サクラの木の下には
私は9歳になった。
相も変わらず、庭に出てジャックの庭仕事の手伝いをし、マーサの洗濯と掃除の手伝いをしていた。ティの手がかりなんて夢のまた夢だったが、リストの更新は続けていた。思えば自分が名乗りたくなかったので聞かなかったのだが、名前くらい聞いておけばよかった。王墓の植生調査をしていたから、植物について研究しているだろうこと。それから上司がどうのと言っていたから、何かの組織に所属していることくらいしか分からなかった。しかし植物への愛は一級品だった。そこも素敵なところだ。この頃は、あの時間は夢幻だったのではないかと不安に思ったりもするが、貰った香水とマカロンの包装紙たちが夢で無かったと言ってくれていた。それから一緒に書いたやりたいことリストも。
ティに会いたい。
お話ししたいし、いや、お話ししなくても、顔が見たい。声が聞きたい。今度会うときはちゃんと私の名前を名乗ろう。アストラガルス、なんて言いにくいから、マーサとジャックが呼んでくれる、『ストラ姫』から、ストラと呼んでもらおう。ティの低くて落ち着く声で呼んでもらったら、どんな感じなのだろう。
恋しい。
想いは薄れることなく徐々に溜まっていっているように感じる。
春の終わりジャックとマーサのお手伝いも一通り済んで、庭を探索していた。ふと生垣の向こうに、見たことのない花を咲かせた木があった。薄ピンクで葉が無く、枝から花が生えている。すぐさま植物図鑑を開いて確認すればサクラというらしい。私が見たことがなかったのはすぐに散ってしまうためか。しかも生垣の向こうというのは違う宮殿だ。私がいる宮殿は後宮の端、そしてこっちは王宮側だ。お隣さんが誰かは知らないが、ジャックが手入れを重点的にしているところを考えると、人目の多い宮殿なのだろう。
国王陛下の後宮は、人が多い。ここ3年以内でも何人か妾が増えていた。そしてその女性たちは全員人質だった。戦争をするたびに征服した土地の領主や貴族の娘を、人質として後宮に入れていたのだ。だから征服された土地は一応静かだった。そして彼らの娘たちも後宮では、それなりの生活が保障されていたので、今のところは沈黙していた。
戦争に勝つ強い王。
国民からの人気は高く、貴族からの支持は厚かった。暴力で支配はしているが、同時にカリスマ性もあって臣下に恵まれていた。『太陽の書』によると、小さい問題は上がって来たが、王の娘が現れるまで、王はまともだった。逆鱗に触れれば処刑されたが、淡々と業務をこなしていたそうだ。王の娘が現れて、溺愛をはじめ、娘に愛を注いでから徐々に狂っていくのだ。唯一の血のつながった可愛い我が子を、王位に就かせたいと思うことも自然だった。
それはそうかと思う。今、後宮にいる子供は皆、王の子供ではないのだ。それなのに王位継承権をめぐって水面下で駆け引きとは、滑稽だ。私はそれに巻き込まれないところから着実に、外に出て生きていける方法を探さねばならない。
そして今はあのサクラを、近くで見てみたい。この一ならあそこの生け垣の隙間からソッと入ってスッと戻ってくれば、きっと誰にも見つからないだろう。サッと行ってスッよ。躊躇なく生垣の隙間に体から突っ込み、反対側へ抜けた。少し高めの木と、低木があり、王宮の端なことも相まって人はいなかった。しかし明らかに手入れの行き届いている庭がそこにあったため、少しひるんだ。ジャックは全部をできないからできるところだけであとは見回り程度だ。雑草がぼうぼうになっている個所も多々あった。しかしこちらの宮殿の庭は細部まで一部の隙なく手が入っていた。その差に、長居はできないと痛感し、早くサクラを見て、早々に帰ろうと歩きだした。
チラリと舞う花弁が足元に舞い散って、そしてそこには何本かまとまってサクラが植えてあったため、このエリアだけやけに華やかだった。見事な咲きっぷりに頭が空っぽになった。青い空をバックに、優しい太陽と花と春風と私がそこにいた。
すごい、こんな木見たことない。
くるくる回りながら落ちてくる花びらを、思わず追って掴もうとしたとき、何かを踏んでその上に倒れこんだ。持って来ていた植物図鑑を手から取り落とした。
「きゃあ?!」
「いてぇ。」
最初に視界に飛び込んできたのは日光に照らされた金色だった。それから私と同じアメジストの瞳だ。至近距離でしばし、見つめ合っていた。それから私は勢いよくどき退いた。
「ごめんなさい!下を見てなかったわ。痛かったでしょ?!ケガしてない?」
私は自分が踏んでしまったであろうところについた砂を払った後、怪我の確認をした。大丈夫かしら。
「触るな。」
そう言われ、私はぴたりと手を止めた。そしてその男の顔を改めてみた。その視線などまるっきり無視して、体を起こして自分で砂を払っていた。実に、綺麗な男だった。整った顔立ちに、少し釣り目気味の涼しげな眼もと。そして綺麗なアメジスト。
「痛かった?」
「・・・。」
話しかけてもまるっきり無視された。こちらを見ることさえない。なんなんだこの男は。そう少し不審に思っていたが、シャツの隙間、だらしない襟元から胸元にちらりと見えた紫色に、息がヒュッと止まった。
それは私の胸元にもある、王族の証である、アメジストだ。
気だるげに一つあくびをした男は、上を向いた。そういう一仕草とっても絵になるというのがなんとも不思議だった。
王族の証明を持った男は、この王宮には今、3人いる。しかし成人男性は、一人しかいなかった。王だ。
やっっっっっばい。
これが、王?!いや、会ったことないから分んなあい。『太陽の書』にも目を引く色男と書かれてはいたけどさあ。いや待ってこれが3人の子持ち?(公式発表)いくつよ、まだ十代のお兄ちゃんに見えるんですけど?!この人が戦場にも立つあの、暴君?!騎士団にも貴族にも男性にも女性にも年上にも心酔するものが絶えない、あの?!
今私なにした?踏んだよ?
媚びねば。この王の逆鱗に触らず、靴を裏までなめてでも、生き抜かなければ。どうしようどうしよう。
あ、知らないフリとかしちゃおうかな。アメジストが見えなかったことにして。
額に汗がにじんで来た。
いやいい作戦かもしれない。この王が先ほどのことをあまり気にしていないなら、へらへらしてこの場をうやむやにして逃げよう。関わっても碌なことにならないのは目に見えている。
まずは、笑顔を作る。だいぶひきつった笑顔で、滝汗を流しながら王のほうを見た。アメジストの相貌がこちらを見据えていた。また喉の奥で息が止まった。心臓の鼓動の音がうるさい。スカートのポケットに入れていた、ピンクの可愛い缶を取り出した。
「本当にごめんなさい。」
ぺこりと頭を下げた。それから顔をあげて目をしっかり見た。
「怪我しちゃってたら、これを塗って。オトギリソウが入っていて、止血作用があるのよ。よく効くんだから。」
「オトギリソウ?」
初めて会話が通じた。私は缶についている黄色い花を指しながら話しだした。
「うんそうよ。黄色くて一房にたくさん花をつける多年草で、花が終わって実が出来たくらいで採って、水洗いしてそのままもみほぐして出てきた汁を傷にあてるの。それか煎じたものを傷口に塗るの。止血作用があるのよ。」
植物についてはペラペラ回る口に、そしてその知識を教えてくれたティに、感謝しつつ冷汗をかきながら言い切った。
「へえ。」
ものすごく気のない返事が返ってきたが、そのままでいい。私に興味を持たないでそのまま行ってほしい。
腕をあげて、少し切れて血が出てしまった肘のあたりを見ていた。やっぱり怪我をさせていた。またぶわっと出てきた汗と、大きくなった心臓の音を聞き、震える手で立候補した。
「ねえ、そこ、塗りにくいなら私が塗るよ。」
またこちらに視線を戻し、じっと射抜いてから缶をポイと投げてよこした。取り損ねて地面に落ちたが、それを震える手で拾った。ゆっくりと慎重に軟膏を塗っていった。
どうか、どうかこれで許してくれますように・・・。
「はい、できたよ、お兄ちゃん。あ、でも傷口は洗ったほうがいいから、あとでちゃんと医務室?とかそういうところに行ってね。」
「ああ。」
また気のない返事をしていた。そう言って軟膏を見ていたので、手の中に缶を押し込んで、立ち上がった。同時に植物図鑑を胸にしっかりと抱いた。
「本当にごめんなさい!」
そう言ってから猛ダッシュでそのままその場を去った。低木の隙間、生け垣の間に体を入れて大急ぎでそこを抜け、木々を抜け使用人棟まで走って戻ってきた。途中出てきた涙と鼻水のまま、野菜を桶に入れて洗っていたマーサに抱きつき、そこで久しぶりに大声で泣いた。
怖かった怖かった、怖かった!
その時は後に、拍子抜けするほどなにもなかった。
しかし半年後だ。
遠征に行って、小さい国を滅ぼして帰ってきた王が帰還してしばらく後。
突然私の宮を訪れた。




