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ベルガモットとオレンジの香水

 

「ミスト、今日はこれだよ。」


 そういってニコニコしながら空色の紙袋をテーブルに置いた。ティはいつもランチ時にやって来た。午前中はちゃんと植生の調査をしているらしい。そして午後は私が待つこのテーブルセットに来る。日課になった茨の観察とスケッチをしながら、私に植物の話や城下町の話をしてくれるのだ。そして毎回小さなプレゼントをくれる。主に町で流行っているお菓子だ。

「今日はマカロン。これにはローズエッセンスが練りこんであってほのかにバラの匂いがするんだ。実はこのローズエッセンスの商品開発の相談に乗ってね、これは結構うまくいったと思うんだ。」

「マカロン?食べたことないわ。」

「そうなの?おいしいよ。」

 ランチをダラダラ食べて、その間ずっとテーブルの周りの小さな草の話をしていた。種を遠くまで運ぶために、様々な工夫をしている小さな植物。ティは話が上手で面白く、どんなことでもずっと話を聞いていたくなる。

 食後に空色の紙袋から、可愛い若草色の紙に包まれた箱を出してくれた。毎回この可愛い包みも私が貰っていた。今はマーサと一緒に作った押し花たちを管理、保管したり、可愛い包みを使ってしおりに飾りをつけたりしていた。この間、ティに一枚あげたら大げさに喜んでくれた。

「君にもらったものは全部大事だし、大げさじゃないよ。」

 子供の私にも目を見てしっかりと、そんなふうに言ってくれるのだ。好きにならないはずがない。


 私はティのことが大好きになった。

 可愛い箱の中にはカラフルでやさしい色合いの丸いお菓子が入っていた。確かに仄かにバラの香りがする。青い目を細めながらじっとこっちを見ているティの前で、一つ手に取って口に運べば、今までに食べたことのない味がした。アプリコットのジャムが中に入っており、そしてバラの花の香りが最後にさわやかに香った。

「おいしい!こんなの食べたことない。」

「そうかい?よかった。」

 一つを大事に食べていたら、全部食べていいんだよ、と自分の分を寄こしてきたので、半分こよ。とティの手の中に押し戻した。

「いいの?半分も貰っちゃって。」

「何言ってるの?半分こは公平でしょ?それにあなたが買ってきたのよ、当然食べるべきよ。それよりこれ、おいしいわ。すごい。中にジャムが入ってて、バラの香りとの相性がいいの。これを作った人は天才だし、貴方のローズエッセンスもすごくいいわ、アクセントになってる。」

「・・・、気に入ってくれてうれしいよ。」

「明日も買って来てよ。あ、もしかして人気で買うの大変だったりする?」

 何時間も並ばないと手に入らないお菓子があるとは、あの『太陽の書』にも書かれていた。これがそういう類のお菓子ならば大変かもしれない。

「いや、予約していけば問題ないから、大丈夫だよ。」

「じゃあお金は?私も半分出すわ。」

「いや、いいよ。レディにかける『投資』はいくらでもするって決めているんだ。」

「あなたおバカさんなの?女の人に騙されない?私の持っている宝石あげるわ。」

 そう言ってバスケットに手を伸ばそうとすると、その手をぎゅっと握って止められた。洗い物と洗濯の手伝いで少し手が荒れていた。優しげに、しかし寂しそうな瞳と目が合った。

「だって君みたいに素敵なレディとお話しできるし、楽しい時間を過ごせるんだよ。お菓子くらいどうってことないよ。むしろ安いもんだよ。」

「そういうものなの?」

「そうだよ。君との時間は、俺にとって楽しくてかけがえのない時間なんだから。」

 今までそんなことを言われたことはなかった。いくら離宮の端にいても、口さがないメイドたちはいるものだ。本宮と離宮の生け垣のしきりに併設している洗濯場。そこで大きな声で噂をおしゃべりしているのを止める権利はない。『あの離宮には姫が住んでいるらしい。』『国王陛下は姫を忘れている。』『今回の行事にも殿下は出たのに姫は出さなかった。』『みすぼらしい姫らしい。だから表に出さない。』聞かれているとも知らずに言っているのだから本心なんだろう。

 そんな言葉を浴び続けていた私にとって、そう言ってくれるのは何よりもうれしかった。同時に、私のことを知ってしまったら、もしかしたらティも離れていってしまうのではと不安になった。私の評判が良くないことくらい分かっていた。『太陽の書』にも自己中で空気の読めない娘と書かれていた。だからティの名前を聞くに聞けなかった。名前を聞いてしまったら、私も名乗らなければならないから。幸いティは名前を気にしている様子はなかった。

「私もあなたと一緒にいると楽しいわ。」

「そっか。」

 そういうことしかできなかったが、ティはニコッと笑ってくれた。



 雨が降った日、肩を寄せ合って植物図鑑を覗いていていた。ティから聞いた、図鑑の欄に書かれていない植物の面白い話を書き足すのが、私の日課になっていた。そして隣にいる彼はいつもいい匂いがする。

「ティってコロンでもつけているの?いつもいい匂いがするわ。」

 腕に巻き付いて頬をつけながら言うと少し驚いた顔になった。そこからみるみる顔が赤くなって、あらぬ方向を向いてしまった。私からは黒髪の癖っ毛をひとくくりにした、後ろ頭しか見れなかった。

「え、ちょっと恥ずかしいから。人の匂いとかかがないでくれよ。」

「なんでそんなに赤くなってるの?」

 小首を傾げていると、不意に私の髪をひとふさ手に取った。

「君はかなりの美少女だって自覚したほうがいいと思うよ。」

「そんなこと初めて言われたわ。」

「あのねぇ、君はすれ違えば、十人中十人が振り返る美少女だよ。可愛いんだから気を付けたほうがいいよ。そうホイホイ男に触ったりとかしちゃだめだからね。バカが勘違いするから。」

 手に持っていた私の髪を指に絡めながら、ため息交じりに言われてしまった。急に顔に熱が上がって来たのを感じた。なにせティは目鼻立ちの整った男性なのだ。雨音がやけに大きい時間がややあって、ティが口を開いた。

「ベルガモットとオレンジだよ。」

「へ?」

「コロン、というか香水。気に入ったの?」

「うん。」

「そっか。」

「オレンジってどんな感じで実がつくの?」

 ああ、それはね、と気まずい空気がなくなって、話題転換に成功したようだった。またティの腕に抱き着いて植物図鑑を眺めてながら話を聞いていた。私は、ティに抱き着きながらお話を聞くのが好きなのだ。やめてとはっきり言われるまで放す気はなかった。


 楽しい時間はあっという間だった。

 マーサに休みなく茨に通い詰めたことを少し不審に思われながら、しかし最後まで隠しきった。きっとバレてはいないと思う。

「今日で、最後。」

 どんよりと曇った空が、私の心情を表しているかのようだった。テーブルに突っ伏し、目の前のティーセットとサンドイッチを眺めながら、この一カ月を思い出していた。珍しいお菓子と楽しい植物の話。そして何より優しいティと一緒にいたことが何より素敵な時間だった。毎日が光り輝いて見えて、明日は何をしようか、とワクワク過ごしていた。最後、もう会えなくなる日が近づいてくるのが悲しくて仕方がなかった。

 ともすればもう一生逢えなくなるかもしれないのだ。ふいに、笑顔のティが思い出された。

「笑顔でお別れが、いいよね。」

 小説に出てくる主人公たちは、街から街へ旅をするとき、やはり出会いと別れを繰り返す。もう会えなくなると分かっていても、決してそれを顔に出さない。それは笑顔でお別れをして、相手に良い思い出として覚えておいてほしいからだと、そう言っていた。

 私だってそうだ。好きな人が思い出してくれるなら、可愛くてきれいな私を覚えていてほしい。初恋なのだ。それが最後のプライドみたいなものだった。

 茨が道を開け、その真ん中をすらりとした男性がゆっくり歩いてきた。一括りにしている黒髪が、肩からはらりと落ちた。

「ミスト。」

 その顔を見て先ほどまで会った陰鬱な気分がサッとなくなってしまった。自然と笑顔になった。

「いらっしゃい。準備してたわ。」

「うん、いつもありがとう。」

 私が席を勧めて、いつも通りティが座る。王墓の調査はもう終了し、興味深いことが分かったと、地図を見せてくれた。

「上司よりも先に、君に知らせたくてね。」

 ふんわり笑った彼に涙が出そうになったけど、グッと堪えて、無理やり笑った。

「うれしいわ。何が分かったの?」

 それから地図を見ながら珍しい植物があったと教えたくれた。どうやら数代前の王が王妃のために、他国から取り寄せた植物の子孫がいたらしい。

 いつものように彼の腕に巻き付いて、しかし振り払われはしなかった。一通り話し終わってから昼食を取とったティが、テーブルに小箱を置いた。いつものお菓子にしては少し、箱が小さい。首をかしげると、開けてみて、と渡された。

「これって、香水?」

「そう。俺がつけているのは男性用だから、ミストに似合いそうなやつ。・・・、オレンジの香りがベースになってて、ベルガモットも入っているし、たぶん好きなにおいだと思う。」

 どうするの?と首をかしげると、ティが空中にプシュッと噴射した。霧が頭にかかった。冷たいわ、と言うとクスクス笑っていた。

「あんまりいっぱいつけるんじゃなくて、このくらいがいいかな。つけすぎは何においてもよくないんだ。うん、俺もこの匂いは好き。」

 確かに空色の瓶に入ったそれは、少し甘めではあるが女性が使う可愛らしい香水だった。

「本当はバラもいいかなと思ったんだよ。ほら、君ってローズマカロンも好きじゃない?ミストからバラの香りがしてもいいなと思ったんだけど、あ、もちろんマカロンも買ってきたよ。でもやっぱし香水は自分の気に入った匂いじゃないとね。」

 ここまで植物以外で、こんなに饒舌なティを見るのは初めてだった。

「うん、いい匂い。この匂い好きよ。何だかティと一緒にいるみたいだわ。あ、でもバラも好きだからね。マカロンも大好き。」

 手の中のキラキラしていて可愛らしい小瓶をじっと見て、私はこれまでの思い出を振り返っていた。その時ティの大きな手が、私の頭をそっと撫でた。

「本当に、君っていい子だね。この香水はね、今までのお礼なんだ。」

「お礼って、私はあなたのスケッチの邪魔しかしなかったわ。」

「うんん、毎日楽しかったよ。来るのが楽しみで、君に会えるのが、本当に。」

「私も、楽しかったわ。」

 泣かないと決めていたのに、私は奥歯を噛み締めた。そこから少し沈黙の中にいた。ティの腕を抱きしめて頬を寄せ、冷たくなってきた風を感じていた。私が抱きしめているティの手は、私の髪先を指でいじっていた。何も話していなくても、二人で同じことを思っていることは明白だった。今日で会えなくなるのは寂しいと。しかしどうしようもない。私は後宮から出られないし、ティは後宮に来れない。もう二度と会えない。

 いや、私が大きくなったら、ここから追い出されるわけだから、その時には、会いに行ってもいいかもしれない。

「これ、返すよ。」

 今まで首から下げていた私のサファイアの指輪だった。私はそれを反射的にティの手に戻した。

「うんん、ティが持ってて。ねえ、私ね、大人になったら旅に出るのよ。」

「え?」

「いろんなところに行くの。果実畑に行ったり、南の国内最大のバラ園に行ったり、海を見たり、したいことがいっぱいあるの。リストも今作ってるの。それでね。大人になったらティに会いに行くわ。私がティを探し出すの。これはね、その、目印。」

 そう言ってティを見上げた。ウェーブがかった癖っ毛の隙間から、驚いた目で私を見ていた。

「私が作っているやりたいことリストの一番上に、書き足すわ。ティに会いに行くって。だから、だからね。」

 私はそこで下を向いて言葉を切った。息を吸いなおしてからまた顔をあげた。

「もう一度、出会ったら、私とまた友達になって。そうしたらまた毎日会えるから。」

「もう一度、出会ったら。」

「そう。ねえ、そうしたら一緒に、マカロンのお店に行ってお菓子を買って、一緒にバラ園に行って…。」

「じゃあ海も一緒に行こうか。知ってる?海水の中にも、海藻っていう藻類がいるんだ。それも見に行こう。見せたいものがたくさんあるんだ。君と一緒なら、世界中どこに行っても楽しいはずだよ。今から何だかワクワクしてきた。」

 にっこり笑ったティの顔が眩しくて、瞼の裏に焼き付けた。私はバスケットから紙を引っ張り出して、その日はティとやりたいこと、外に出たら行きたいところなどを、二人で一緒に書きだした。それは一抹の泡と消えてしまいそうな夢で、しかし私の希望だった。ティも手帳に何やら書いていた。

「北部の公爵家の温室が、この国一番の温室で、一年中花が咲き誇っているらしいんだ。そこも行こう。」

 紙に最後に書き加えて、ぎゅうぎゅうになったそれを二人で大笑いしてから、時間になったことを悟った。ティと過ごすと時間が一瞬で過ぎていく。

「もう一度会うときまでに、このリストをもっといっぱいにしよう。俺も一緒にやりたいことを増やしておくよ。」

「うん。待っててね。」

「待ってる。ずっとね。俺も、なるべく目立って見つけやすいようにしておくね。」

「ふふふ、何する気なの?」

 そう言って、じゃあまた、と彼が茨の方に足を向けた。背中を見送るのがとてつもなく辛い。でも視線を逸らさずにじっとしていた。しかし彼の足がぴたりと止まった。振り向いて大股でこっちに来た。そして跪いたのだ。私はただそれも見ていた。左手を手に取りその手の甲にキスをした。

「俺も、頑張るから。」

 にこりと笑った顔を見て、私はうんとだけ返した。

 そうして又立ち上がって彼の背が茨に隠れるまで見送った。彼が見えなくなった後、左手の甲を見てひとり赤くなっていた。


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