一本の赤いバラ
私の生まれたところは王宮の片隅。一応王の娘という立場だった。
キラキラとはかけ離れた簡素な部屋の片隅だった。赤ん坊の頃母は王の3人目の妃で、平民出身の、いわゆるルックスがよかったから選ばれた、典型的な力のない女性だった。外で一夜の過ちによって私ができ、困って王宮を頼った。そして平民の母が受け入れられたのには理由があった。
王は好色の人だった。妻は3人だが、愛人は無数にいた。後宮のにいる女性はすべて王のお手付きではといわれるほどだった。
それなのに、お子には恵まれなかった。
みんなうすうすは気が付いていた。王に問題があって、子供ができにくいのだと。
子供を産んだ3人の女性が召し上げられて、今の後宮がある。
そして私には兄が二人いた。
王位継承権をかけ熾烈な権力争いになるかと思えば、第一王子の母が公爵令嬢のため、第二王子の母の子爵令嬢とは力の差があまりにもあり、野心などかなぐり捨てて全力て生き残る道を選び、結果王妃と側妃の仲は良好だった。ここが仲が良いと、王はどちらかに肩入れできなくなり、結果外に愛を求めていってしまい、母と出会ったらしい。
第一王子が王太子となり、第二王子はそのスペアとして生き、ゆくゆくはどこかに婿養子になるのだろう。
では、私は?
王の三人目の子供は、平民が生んだ女の子だった。
すべての人は私に興味がなく、後宮で生きるにはあまりにも気楽だった。母が王の寵妃などになってしまっていたら話は別だったのだろうが、あいにく私を産んで産後の肥立ちが悪く、記憶に残らないくらい遠い昔に亡くなってしまった。
ただ、母譲りのまばゆく金髪と、父譲りのアメジストの瞳、そして王族の血筋にのみ現れる紫色に輝く『マナ石』これを受け継いだ。
『マナ石』は鎖骨の間、胸元に現れる王族特有の石だ。直径2センチほどのそれは瞳と同じ色で私の胸に輝いていた。この石は普段服の下に隠れているが、王宮で行われる行事の際は王族であることを示すためこの『マナ石』が見える服を着ることになっていた。しかし私は着たことが無い。今年で8歳になるが、王は私のことなど忘れてしまったようだ。呼ばれたことも無ければ、王の顔も見たことが無かった。
私はその王宮の片隅で、乳母とその夫の庭師と幸せに暮らしていたのだ。しかし私はこの幸せも長く続かないことを知っていた。
そう私は見つけてしまったのだ。予言の書を。
ある時、私は表向き私に割り当てられている宮殿の一角にある図書館で、まばゆく光る一冊の本を見つけた。驚いて手に取り本を開けば、そこにはありがちな成り上がり系の物語があった。平民の女の子が実は国王の娘で、寵愛を得て王女となる。イケメン貴族に囲まれて溺愛される物語。しかしそこに出てくる地名も人の名前も、建物の配置もそっくり本物が使われていたのだ。一般人が入れない後宮の地下牢まで詳細に書かれていた。だから私は待ったのだ。
私はその、題名のない予言の書を、『太陽の書』と呼ぶことにした。その内容はこうだった。
酒場の一人娘が妊娠し、父親は行きずりの男だと言った。しかし生まれた娘は胸にエメラルドを抱いていた。その子供の名前はカーシャ。主人公の名前であり、王の本当の一人娘。
本来王族が抱いて生まれる『マナ石』は、アメジストのような紫色のはずだが、主人公カーシャは緑色だった。母の両親はいぶかしんだが、まさか父親が王だとは思わなかった。
話の中の王は暴君だった。
美しいという噂の娘は貴族平民問わず召し上げ、後宮に仕えさせた。周りの国を武力で平定し、その国一番の美姫を愛妾として迎え入れた。好色ではあるが仕事はできたらしく国を大きくした名君と呼ばれてはいた。
そしてその暴君には子供が3人。
物語ではこの3人は王の子ではない。第一王子は前国王と前王妃のはかりごとでできた子供だった。二人は王に子ができないのではと疑っていたのだ。第二王子は王の弟と王の愛妾だった子爵令嬢の間に生まれた子で、のちに弟は反乱の疑いで王に殺されていた。そして最後、私は王ではなく、王の従兄弟の子だった。他二人と違って王もそのことは承知のうえで、従兄弟が死んでしまったので、身重の母を後宮に入れ、保護してくれたのだ。
なんでも王と従兄弟は兄弟よりも兄弟のように育ったらしく、亡くなった母と生まれたばかりの私を保護をしたのだそうだ。
この三人の子供は王宮で好き勝手していたらしい。そこに年頃になった王の本当の娘が現れて、王の愛を一身に受け、王座を継ぐのがこの『太陽の書』の物語だ。
つまりはこれは親子溺愛系の物語で、私はその愛の中に立ちふさがる、最初の小さい壁なのだ。
物語の中の私は自分を王の実子と思って疑わず、平民上がりの主人公を馬鹿にし典型的な嫌がらせをしていた。『マナ石』を抱いて生まれたことも、自分が王の子だと信じて疑わなかった所以だ。そして序盤で実子で無いと王に言われてあっさり王宮を追い出される。中ボスにもなれなかった子悪党だ。
これを読んで私が真っ先に思ったことは、年頃までこの宮殿から出られないんだ、という絶望だった。
物語の私ではない、現実の私は、名前をアストラガルス・モーヴミスト・パレストンという大仰な名前の、植物と本が好きな8歳の子供だった。王妃から割り振られる予算は微々たるものだったが、それは宮殿を維持することになるならという話だ。使用人に与えられた一棟を維持するには十分な金額だった。私は普段、その使用人棟に住んでいた。宮殿は見えるところだけメイドたちに掃除させた。庭師のおじいちゃんも見えるところを重点的にきれいにしていた。年に数回ある大掃除は予算が別途来るため、時期を外してメイドを借りて何とかやりくりしていたし、そういうのは乳母のおばあちゃんがやってくれていた。
『太陽の書』は本当にすごい。王宮で忘れ去られて過ごしていたとあったが、その通りだった。書かれていることがぴたりと当たるのだ。この話の中に出てくる過去の話、そして王宮の隠し通路までちゃんと書いてあった。8歳の私の現状までその通りだった。
「ねえ、マーサ、私って王の子供ではないの?」
「え?・・・そ、そんなことありませんわよ、ストラ姫は王の、お子様よ。」
乳母・マーサの嘘は分かりやすい。そんな正直者だから、こんな打ち捨てられた宮殿の仕事に割り当てられたのだろう。でも彼女が乳母でよかった。私は庭師のジャックの手入れした花壇を覗き込んだ。片手にはルーペ、片手にはお気に入りの植物図鑑を持っている。これはどちらも誕生日プレゼントにもらったものだった。ルーペは庭師のジャックとマーサから。そしてこの植物図鑑は2人の息子のマシューから貰ったものだった。著者は大学教授のジョン・ハンター、連名でマティアス・デ・カインズとあった。植物のことを事細かに書かれているこの本の、この二人のことは私は心から尊敬していた。
今マシューはこの二人の元で植物学を学んでいるようで、卒業後は王宮の庭師になるのが夢だそうだ。たまに週末に食事を取りに来る彼の話は、ここから出たことのない私には新鮮なものばかりだった。
花も木もその辺の草すら、私の好奇心を刺激してならない。一番不思議なのは『マギ』と呼ばれる魔力を含んだ木のことだ。この木は魔力の高いところで生育し、物言わぬ植物から魔物へ片足を突っ込んだ動き回る植物だった。
庭師はそういったマギを見つけたら、直ちに引き抜いて火にかける。それは人間を捕食したり、毒の成分を分泌したりと危ないものが多いからだ。
私はマーサから貰ったランチボックスを片手に、庭の奥へと歩を進めた。木漏れ日が心地よい風に揺られて葉を揺らしていた。この辺りはジャックもあまり来ない。見回りはしているようだが、宮殿の庭は広くとても一人で整えるのは無理なのだ。だから私も手伝って庭の手入れをしているが、見える範囲をやるだけで精一杯だ。
私は外に、行きたいのだ。
まだ見ぬ植物を追い求め、海を越え空を越えずっと遠くに。
いまだ顔すら見た事の無い王と、兄たちとそしていつか来る物語の主人公の権力闘争に巻き込まれる前に、ひっそりとこの王宮から消え去りたい。
そして庭の端の端、茨で覆われている生垣についた。この茨は図鑑によると、思いっきりマギの一種なのだが、ジャック曰く契約マギと呼ばれるそうだ。話の分かるマギと、植物の世話を条件に契約を交わしているらしい。契約主は王で、城の周り、城壁の無い僻地にはこれが植えてあるらしい。ジャックが月に1度この茨に栄養たっぷりの肥料と水を届けていた。
宮殿の中でこの茨があるのはここだけだそうで、つまりここは王宮の中でも僻地に当たるということだ。私はこのマギの観察が日課だった。太陽のしたでは茨が痛々しげに輝いていた。この茨は侵入してくる者たちを一瞬にして捉え、土の中に引きずり込み、養分にしてしまうのだ。一方で春には真っ赤なバラを咲かすこの植物への興味は尽きない。
茨に近づくとガサガサと音を立てて一本の道が現れた。契約マギである茨は、王から王族は傷をつけるな、そして世話をするものを領域に入れること等々を契約しているらしい。私も王の子ではないにしろ王族なので、襲われることはない。
夏の終わり、日差しは強いがそれも真夏ほどではない。いつものようにテクテクとその一本道を歩いていくと、テーブルと二つの椅子だけの簡素な東屋が見えてきた。茨に囲まれたここは私の秘密基地だ。茨の新芽もこの日当たりの良い場所に生えていた。私は挨拶がてら、持って来ていたバスケットから、水差しを出し、その子にちょろりとかけた。小さな新芽は短い茨を伸ばして喜んでいるようだった。
「もっといる?まだ暑いもんね。でも、飲み過ぎはよくないかしら?」
そう言って上のほう、たぶんこの新芽の親に当たる茨に聞くと、葉っぱの棘の無い部分で頭をポンと一回撫でられた。これはイエスの合図だった。親が言うならやめておこう。そう思い立ち上がった時、茨がざわざわと騒ぎだした。そしてある一角がぽかりと開いて、そこには茨に巻き付かれた人が、地面に伏して倒れていた。
「人?」
茨は侵入者には容赦しない。肉を溶かし、骨は土の中。地面に残るのは身に着けていた衣服や武器などだけだった。侵入者をとらえても、茨の中で服をはぎ取って四肢を茨どうして共有して捕食するから、捉えるという行動自体が驚きだった。
「この人、侵入者?」
ポンポンと二回たたく。答えはノーだ。侵入者ではない?
「様子を見たいけど、近づいてもいい?」
もし捕食するつもりならちかずくのは危険だ。しかし答えはイエスだった。倒れている人に近づくと茨の本数が少なくなっていって、傷だらけの手があらわになった。しかしこの茨が捕らえたにしては刺さってない。手加減したのだろう。顔を覗き込めば、気を失っていて細かい怪我はあるが息はしていた。くせっけの黒髪が印象的な、目鼻立ちの整った男の人だった。私は躊躇なく手に持っていた水差しの水を顔にぶっかけた。
「わっぷ!」
声をあげた彼は顔に手を持ってこようとして、茨に巻き付かれ自由に身動きがとれないことに気が付き、痛いと声をあげた。
「あのう、おじさん何しに来たの?」
そう声をかければその時初めて私の存在に気が付いたようだった。
「え、こんなところに子供?いや、まだ夢でも見てんのか俺は??」
「痛いんでしょ?それじゃ夢じゃないじゃん。」
「確かに。」
小首を傾げた私に妙に素直に納得したようだった。
「あー、俺は王墓の植生調査を頼まれた、ティというものだ。」
「植生調査って、どんな植物が生えてるか調べるやつ?それでどうして茨の中に?」
「いや、珍しいマギがあって落ちた枝とか拾ったり、葉っぱの採取をしたくなって切ったら捕まった・・・。」
ああ、切られたら侵入者だと思うだろう。彼は拘束が少し緩くなった茨から手を引き抜いて懐の採取した葉っぱを見せてくれた。紙に包まれて、今日の日付と時間、場所など書かれていた。実に丁寧だ。
きっと茨たちもいきなり切られて警戒モードになって捕らえたが、いつもの侵入者と様子が違うようで、戸惑って私に見せに来たのだろう。
「そりゃあそうだね。ここは後宮につながってるんだもん。契約マギって知らないの?」
「いや、話にしか聞いたことがなくてだね、いや、実は初めて見たんだ。本当に侵入者をとらえて土に引きずり込んで食べてしまうんだね、実に刺激的だ!動く植物ってのはロマンがあるよな、こんなに珍しい植物はそうそうないし、契約マギはこの国でここだけだよ。朝から気分が高揚してしまってね。王墓だって誰しもが気軽に入れる場所じゃないからね。昨日なんかこれが見たくて眠れなかったんだから。遠足の前の日の気分がこの年になっても味わえるなんて、自分はなんて幸せ者だろう!」
いきなりつらつらと話し出した彼は、キラキラした目で早口になった。
「ところで、君はいったいこんな茨の中で何を?まさか、噂に聞く、茨の妖精さん?」
どんな噂だ。
「違うよ。小さい子にお水をあげに来たの。あとちょっとここでランチ。」
先ほど水をあげた新芽を指さしてた。
「あ、引っこ抜いたりしないでよ。」
「しないよ、しないから近くに行ってみてもいい?スケッチしたい、いいかな?」
「いいけど暴れないでよ。茨に殺されたくなかったら。」
「うん、でも、茨の養分になれるなら本望か!」
凄い変人だが、悪いひとではなさそうだった。私が茨に放してあげてというと、茨は彼の拘束をようやく離した。ティと名乗ったこの人は東屋の近くに腰を下ろし早速スケッチに取り掛かった。しかし私はそれに待ったをかけた。
「せめて手の棘くらいは抜いてからやったら?刺抜き持ってないの?」
刺さった棘が痛々しい傷になっていた。もしかしたらこのままだと化膿するかもしれない。
「いやあ、道具を置いてきたみたいだな。スケッチブックと絵の具はあるけど。」
もう、と嘆息してから私はバスケットの中から刺抜きと消毒液を取り出した。ペンを握りたそうにしている手を、自分のほうに引き寄せて手の甲に刺さった棘を抜いていく。茨が手加減をしてくれていたので思ったほど、深く食い込んでいるものは少なかった。
「なんか、急に痛くなってきた。さっきまでは茨に触れたから興奮してたんだけど。」
ううっとうめき声をあげて首の後ろをさすっていた。典型的なオタクだこの人。植物オタク。しかし私にとっては、外から来た人というのは珍しい。
「そういえば私、名乗ってなかったわ。私はミストっていうの。」
頭をあげて顔を見上げれば、驚いたように、青い瞳が見開かれるのが分かった。何をそんなに驚いているんだろう。ちょうど聞き手の棘が抜き終わったので、消毒液で消毒して、大きい傷には塗り薬を塗った。
「ミストちゃんはここでこの小さい新芽の世話をしているのか?」
「うん。今年の夏は暑かったでしょ?小さい子は日当たりのいいところにいるから喉が渇くかなって。」
「そうなのか。じゃあミストちゃんは、後宮の、宮殿の子なんだね。ああ、薬まで、ありがとう。」
私はそれに首を振って、反対の手、とだけ言った。ごつごつとしている男の人の手だった。その時彼のお腹が盛大になった。
「サンドイッチがあるから食べてて。私はその間にこの棘を取っちゃうわ。」
先ほどから大活躍のバスケットから、ポットを取り出しお茶を入れ、サンドイッチの入ったお弁当箱を取り出した。マーサがいつも『茨がサンドイッチを食べたい』と言った時ように少し多めに持たせてくれるので、二人分はあった。私は上を向き茨のほうに向きなおった。
「食べる?」
そういうと葉っぱを私の前に持って来たので、その上にサンドイッチを乗せた。
「おお、サンドイッチも食べるの?」
「うん、サンドイッチも人も食べるし、根から養分も取るよ。全体的に水が足りなかったら水が欲しいっていうし、調子の悪い茨があったら、庭師を連れて来てっていうの。」
「素晴らしい!やっぱり契約マギってすごい!」
そう言っているティの利き手にサンドイッチを乗せた。彼はそれを素直に口に運んだ。反対の手の棘はたいして無かったので、すぐに終わった。
「これ、おいしいね。」
ゆっくりと咀嚼している彼は、やっと自由になった手で首の後ろを触っていた。私が彼の背後に回って髪をあげると、引きずられたときにぶつけたのか青あざになっていた。
「あざにはなってるけど、棘は刺さってないみたい。一応シップを貼ろうか?」
「うん、何から何までごめんね。多分足を引っ掛けられたときに後ろ頭をぶつけたんだと思う。」
私がバスケットからシップを取ろうとしたとき、湿布の表面の紙が少し剝がれて本にくっ付き、それごと持ち上げたものだから、途中でその本がバスケットの外に転がった。
「この本。」
それは私のお気に入りの植物図鑑だった。庭にある雑草を観察したページだった。欄外に私の手書きの書き込みがあった。これを人に見られるのは恥ずかしい。拾おうと手を伸ばしたが、先に彼に拾われてしまった。
「君が書いたの?凄い細かく書かれているね。君のところでは青いんだね。この草はね、土の中の水によって色が変わるんだよ。この本に載っているのは赤紫だね。」
「土の中の水によって色が変わる?そうなの?」
「うん。土の中の水が豊富だと青く、少ないと赤紫になるんだよ。青いのは川辺や湿地の近く、赤紫は町中のちょっとした土なんかに根を下ろして、身近だけど面白い生態を持っているんだ。」
「へえ、面白い。もっと聞かせてよ。」
流石植生調査に来ていた人だ。植物図鑑を手に、気が付けば日が陰ってきていた。
「ああ、もうこんな時間!?スケッチできなかった。」
「じゃあ明日また来れば?」
「・・・。いいの?」
「私もまたお話ししたい。」
私が願いを口にした時、茨が私の指輪をティに渡した。それはサファイヤがついていて、今日の朝マーサが私の宝飾品の中から選んでくれたものだった。大人の男の人には小さすぎて入らないが、ひもで首から下げれば大丈夫だろう。これは数少ない私の持ち物で、亡くなった母に『国王陛下から』とされていた、宝石がいくつもついていたネックレスを、バラバラにしてお直しに出したものだ。真実は分からない。私の実の父が母に送ったものかもしれないし、本当に国王からかもしれない。
「目印?」
そういえば頭をポンと一回叩かれた。
「じゃあまた来るよ。」
そうして彼はその後1カ月だけ、私の秘密の友達だった。




