episode2-1.オリーブの輪
どこまでも澄み渡る青天井。一人天下だと言わんばかりにその存在を最大限ぎらぎらと主張する太陽の仕業で最高気温は分刻みに更新され、汗で肌がべたつき不快感を煽る。蝉時雨が降りしきる今夏のいちばん暑い日のことだ。僕は庭にあるイチョウの木の下で野良猫のトムと約束なく待ち合わせをし、ともに昼寝をしていた。
小暑から大暑へと移り、もうじき立秋を迎えようかとの土曜日。毎年この第一土曜日に開催されるこの町最大の花火大会に人々は浮かれ立ち、朝から活気に溢れていたけれど、人混みが大の苦手な僕には関係ない昨日と打って変わらぬありきたりな一日になるはずだった。僕の家と隣の家を隔てる白い柵からぴょんぴょんと見え隠れするドルーピーの忙しない声を耳にするまでは……。
僕の隣で未だ夢のなかにいるトムは吠声などお構いなしと口元に幸福を浮かべては時々寝言まで漏らしている。きっと食べ物の夢だろう。焼き魚か、鶏肉か、チーズか――ともかく、そんなトムを現実に呼び起こすにはまだ早い。いつかは醒めなければいけなくとも幸せな夢は長く浸っていたい。僕だったらそう思う。仕方があるまい、何やら興奮状態のドルーピーに声をかけようと身を起こした僕へと覆い被さる大きな影。
「ドン!」
空を見上げるよりも先に口を衝いて出た名。そんな僕の声に反応したのはこの場にいた全員だった。
『カアッ カアッ カアッ』
『ワンッ ワンワンッ』
『に゛ゃあ~』
即席の大合唱である。その音色は思わず耳を塞いでしまいたいほどの不協和音だったが、これはまだチューニング中なのだと思いたい。
『ガアッ』
さすがは首領。指揮者の叩き止めの如く一声で場を静めた彼は仲間を先に行かせるとイチョウの木へと降りてきた。
時折 “ゴミ捨て場” で縄張り争いを繰り広げているカラスと猫。ドンは気に留めない様子だけれど、一方トムの毛はやや逆立っている。ドルーピーはといえば叱られたのが効いたのか、興味が薄れたのか。自分の小屋へと戻ったようだ。かの有名なブレーメンよろしく彼らがひとつとなるのは遠い先の話だろう。
「君だと思ったら呼ばずにいられなかったんだ、ごめんよ」
『構わん、儂からもお主が見えておった』
その柔らかい眼差しに僕の頬はだらしなく緩む。彼と出会ってからというもの視線が交差するだけで、まるで恋に目覚めた乙女のように胸が弾んでしまうのだ。
こんなこと気恥ずかしいからドンには伝わらなければいいと思う。でも、それすらお見通しだろうか。なんて僕の心情などお構いなしに『シャアァ』勢いよく飛びかかりそうなトムを一瞥したドンが口を開く。
『こやつもお主の “友” とやらか』
「そうだよ。僕は “トム” って呼んでいるんだ」
あ、自分から聞いておいてあまり興味がなさそう。トムはこんなにも警戒態勢というか威嚇しているというのに、その温度差がちょっとおもしろい。
『親はどうした』
「二人ともおじいちゃん家に行ったよ。今日は花火大会だからね」
僕の家は毎年花火大会の日に隣町のおじいちゃん家へ行くのが恒例となっている。人気の少ない高台にあるおじいちゃん家は穴場だからだ。僕も小さい頃は母さんに手を引かれ行っていたが、正直なところ僕はおじいちゃんが苦手だ。また逆も然りで、おじいちゃんからしても内気で引きこもりがちな今風の僕は好まないと思う。おじいちゃんは昭和産の頑固おやじタイプだから。所謂馬が合わないってやつで、だからこそ年に一度、正月くらいでちょうどいいと思っている。
『お主は行かぬのか』
「うん、ドンたちは行くの?」
『行かぬよ。生憎儂らはああいうのが苦手なのでな』
「そっか、僕も苦手だから一緒だね」
暫しの沈黙が僕とドンの間を漂う。無理に会話を繋げる必要はない。僕はこの沈黙が嫌いじゃないし、むしろ心地がいいとさえ思っているから。
しかし、このときの僕らは互いに次の言葉を探していた。先に発したのはドンだったけれど。
『……ともに来るか?』
「僕が、ドンたちと? いいの?」
『ああ、あやつらも喜ぶだろう』
「少しだけ待ってて! 僕、準備してくるから!」
僕も町の人たちのことをとやかく言えないや。だって、ドンからの最高な提案でこんなにも舞い上がってしまったのだから。家へと駆け出した僕に『転ばんようにな』背後からドンの声が届く。でもね、その優しさがもっと僕を喜ばせるってことをきっとドンは知らない。
「ごめんトム、僕行ってくるね!」
『にゃっ』
青空に向かって高く飛び立ったドンの後に続いて家を飛び出す。おそらくトムはまた夢のなかへと潜っていくのだろう。戸締りはしっかりしたし、あの様子ならばトムが番犬ならぬ番猫となって一日警備してくれるはずだ。ややサボりがちだけれど、いざとなれば隣からドルーピーも応戦してくれるかもしれない。
なにが必要か、手当たり次第に詰め込んだリュックサックが重たい。それでも僕の足取りは軽かった。誰と鉢合わせてもすぐさま顔を隠せるようにと被ってきたお気に入りの帽子を深めに被り直す。が、それから隠しきれずに見え出た僕の口元には歓喜が滲み出ていることだろう。
僕が通っている小学校の近くにある空き地には軽トラックが数台止まっていて、法被を着た大人たちがせっせと器材を荷台へと運んでいた。これから会場入りするのだろう。僕は屋台の食べものを好まない。けれど、それらが花火大会という夏を代表するイベントの醍醐味の一環として成り立っているのは知っている。ラムネも金魚すくいも射的も、お面や浴衣も、それらひとつひとつが織りなって花火大会という催しを盛り上げているんだってこと。人間はそういうお祭りが好きなんだってことも。
普段とは違う経路を辿って、ドンが案内してくれた先にはジョーたちの姿があった。相変わらず器用にマヨネーズの空きプラをくるくると回すブライアン。ジョーとエースは懲りずに今日も戯れ合っているなかで見覚えのないカラスの姿に疑問を抱く。
「ねえドン、彼は?」
『お主と会うのははじめてだったか。あやつは新入りでな』
ドンに召され、個性豊かな兄貴たちの影からやってきたのは栄養失調が疑われるほど小さくやせ細ったカラスだった。そんな彼は突然現れた人間にびくびくと怯えている様子で、なんだか彼らとは大違いだ。
なんたって、ドンがはじめて僕を紹介してくれたときジョーとエースはあの調子で小馬鹿にしてきたし、ブライアンは興味なしと言わんばかりの無愛想でバーテンダーさながらの腕前を披露していたからだ。だからこそ僕は彼をブライアンと名付けたし、おちゃめで憎めない彼をジョー、お調子者でおしゃべりな彼をエースと呼ぶようになった。そんなこんなで彼らとの初対面は割と最悪だったが、今ではそれなりに軽口を叩けるほどの仲には深まったと僕は思っている。
『よォ! オレアじゃねェの!』
『あ、ほんとだ。また来たの?』
道化けていたジョーとエースが僕に気づいてやってくる。エースが口にした “オレア” という名は僕同様に彼が僕につけたあだ名みたいなものだ。僕的にはもう少し新入りの彼と話してみたかったのだけれど、この二羽に捕まったのが運の尽き。僕は今日も彼らに新たなコメディ映画の内容を延々と語らなければならず、それは彼らが満足するまで終わらない。とはいえ最近は僕の楽しみにもなっているのだから本望とも言えよう。
僕たちは青の一頁を捲り、旅に出る。ドンを先頭に新入りの彼が、その後ろにはブライアンが気持ちよさそうに飛んでいる。彼らにおいて行かれないようにと続く僕の肩にはジョーがいて、頭上にはエースがいる。語り部はまだ終わっていないからだ。僕は足を動かしながらも彼らが満足しそうなストーリーを語る。
身を焦がすような灼熱の太陽が僕たちをじいっと見守っている。アスファルトへと滴った僕の汗が小さな水玉模様を描いては瞬きの間に蒸発して、ぶわっと吹き抜ける爽やかな風が熱気を吸収した体を冷ましてくれる。こんなにも暑くてしかたがないというのにクーラーの効いた涼しい家でひとり映画鑑賞をしているよりもずっと充実感を覚えてしまうなんて僕はすでに浮かされているのかもしれない。
ぷっくりとした実をつけたとうもろこし。煌々と輝く畑にいち早く反応したのは新入りの彼だった。臆していた彼の瞳に光が宿り、愛らしい表情を浮かべている彼はとうもろこしが好物なのだろうか。高カロリー好きなドンたちと違って随分とヘルシーだが、それであれば彼の小柄さも頷ける。すでにとうもろこしへと狙いを定め、飛び立ったジョーやエースのあとを追うように僕もとうもろこし畑へと進んでいく。誰かに見つかったら僕は立派な泥棒だ。許可なく他人の育てた野菜を収穫し、食そうとしているのだから目撃者がいてもいなくても罪は罪。それでも新入りの彼と仲良くなれるかもしれないこのチャンスを逃したくなかったのだ。
馬の尻尾のようにふさふさと揺れる焦茶色のひげ。僕がこっそり捥ぎ取ったとうもろこしはずっしりとしていて甘い香りがする。
「隣いいかな」
穏やかな静寂が広がるとうもろこし畑に僕の声が木霊する。情けないことにその声はやや掠れていたけれど彼の耳には届いたようだった。僕を一瞥した彼は返事こそしなかったものの、その場に留まってくれたからだ。僕はそれを都合よく解釈して、兄貴たちの様子を眺めている彼の隣に腰を下ろした。
「これあげる」
『……オイラにか?』
「そうだよ、君のために盗ってきたんだ」
怪訝そうに僕のことを見定めた彼はようやくとうもろこしを受け取ってくれた。僕の努力が報われた瞬間、彼との間に流れる空気もほんの少し軽くなる。僕やドンと同じで口下手らしい彼との会話はなかなか弾まない。けれども不思議と居心地は悪くなかった。
『人間のキミがどうして親分たちといるんだ?』
「僕、人間の友達がいないんだ。だからドン、えっと君たちのボスがはじめてできた友達でさ。それから君の兄貴たちとも友達になったんだよ」
とはいえ彼らが僕のことをどう捉えているのかはわからないけれど……前置きをしたうえで彼が投げてくれた質問に望みを込めて思いを足す。
「僕は君とも友達になれたらうれしいなと思っているよ」
『オ、オイラ……ほんとはここいらの出じゃないんだ』
僕の言葉を聞いて自信なさげにぽつりと口を開いた彼の話によると、彼の出身は僕の町から約十五キロメートル離れたところにあるらしい。そこはここよりもずっと栄えていて縄張り争いも激しかったようだ。仲間内でも競争が激しく気の弱い彼には酷な環境だったことだろう。狩りが下手、野菜や果物が好きだという彼は僕と同様に浮いてしまった。異分子への拒否反応はなにも人間だけではないのだ。今なら彼に興味を惹かれた理由が“新入り”だったから、だけじゃないと腑に落ちている。どことなく似ているのだ、性格や境遇が――。
そんなある日、またも狩りに失敗した彼は故郷から追い出されてしまったらしく路頭に迷い餓死寸前のところでドンに助けられたという。僕の親友はなんと寛大なことだろう。それだけじゃない。親愛なるドンが連れてきたとはいえ他所から来た彼を受け入れたジョーたちの優しさも然りだ。
『打ち解けられたみたいだね。そろそろ行くって』
「うん、おかげさまで。待っててくれたの?」
おそらく僕との会話は聞かれていたのだと思う。彼がドンたちにどこまで自分のことを話しているのかはわからない。彼の心の傷の深さがわからないように僕はまだ彼のことを知らなすぎる。けれども、それはドンたちも同じなのかもしれなかった。僕と同じように手探り状態で徐々に距離を詰め、家族のようになろうと模索している最中なのかもしれない。彼が心を開いてくれるのを待っている、そんな温かさが感じてとれ、僕はなんだかとても誇らしい気持ちでいっぱいだった。
『オイラなんかのせいで……ごめんなさっ』
「ちがうよ、ジョジョ。こういうときはね “ありがとう” って言うんだよ」
僕はそんな彼をジョジョと名付けた。彼がこの名を気に入ってくれたかはわからないけれど、ほうき星みたいにきらりと彼の瞳が光を帯びたのを僕は見逃さなかった。
やさしいひとほど強いことを僕は知っている。強さとはなにも力が基準ではないのだ。人それぞれ自分に合った強さを見つけてそれを磨く。だからこそ彼の潜在能力は高い。僕もジョジョもいつか硬く重い殻を破れたら……そのときは、そのときこそは胸を張って歩めるのかもしれない。そうであったらと思う。
とうもろこし畑を過ぎると人の気配が一気に少なくなった。町からはどんどん離れていき、辺りの音は静まっていく。それは自分の吐息や足音がはっきりと聞き取れるほどだった。青葉が擦り合う音で風の流れが感じ取れる。電線が大きく上下に揺れ、いつの間にか青一色だった空にはもくもくとした入道雲が僕たちを呑み込まんとばかりに近づいていた。
ちょっと怖いな……その迫力に圧倒され、そう思ったのは僕だけじゃなかったようでそっと僕の肩に身を預けてくれたジョジョ。そんな彼の様子に僕はふうっと息を吐き出して、震える小さな体を撫でた。僕がいるから大丈夫だと言い聞かせるように。僕が守ると覚悟を決めるように。
青々と続く畦道。蛙の声とともにどこからかやってきたとんぼに導かれた先、現れたのは鬱蒼とした森への入り口だった。僕のような子どもが誤って入らぬように設置されたフェンスが人と獣を隔てる壁と化している。
ここを越えられなければ僕はドンたちの旅の脱落者になってしまう。せっかく誘ってもらえたというのにそれだけは回避したい。であらば……意を決し、断固たる態度で阻むフェンスに手をかければガシャンと音が鳴る。よもやこの僕がよじ登るとは考えたことさえなかった。ましてや越えられるなんて思っていなかったが、ジョーたちの指示に従いながら手と足を交互に動かしていけばなんとか登り切ることができた。残すは降りるだけ。その一歩が躊躇われる。しかしすでに片足突っ込んでしまった僕に与えられた選択肢は二つ。僕の身長を遥かに上回るこのフェンスから大ジャンプで飛び降りるか、先程の逆を繰り返し慎重に降りるかだ。思わず握りしめたフェンスから軋る音が響く。頬を伝う汗、逸る心音が僕の不安を煽るけれど深呼吸をして誤魔化す。
嫌なことはできるだけ短いほうがいい。それこそ叶うならば一瞬で。僕はもう一度深く息を吐き出してフェンスから手を放す。そして思いきり大地を踏みしめた。
『すごいじゃん。オレアも飛べたんだね』
「……じんじんする、けどね」
『カッカッカッ そらァ、おめェそうだろォよ』
僕の勇姿を褒めるジョーたちの背後、まるで父親のような優しさを含んだ瞳と交わる。ねえ、僕を褒めてくれるかな? ドン――そんな僕の心の声が伝わったのかもね。ドンは僕に向かって一声『ガアッ』と鳴いた。
森のなかは仄暗かった。樹木が陽光を遮断しているおかげで若干涼しくも感じられたが、感覚が整うまでに少し時間がかかった。地を這う木の根が張り巡らされた蜘蛛の巣みたいに蔓延っていて足場は悪く、僕は足元に気を払いながら進まなければならなかった。
異常な酷暑により焼かれた葉が乾いた音を立てる。木々の隙間から吹き抜ける風はか細い声となり不気味さに輪をかけていた。
『……荒れるかもな』
木の間から天を一瞥したブライアンの一言と「雨が降るかもしれない」僕の思考はほぼ同時だった。辺り一面に漂いはじめた雨の匂いを僕の嗅覚が拾ったのだ。
教えられたわけでもないのになぜか嗅ぎ分けられるその独特な匂いは遥か昔からの記憶や本能に結びつき、今でもなお危機を知らせてくれているのかもだなんてちょっとばかり夢想がすぎるだろうか。
『羽が濡れたら死活問題だァ』
スピードを速めた彼らにおいて行かれないよう走り出す。僕の体重で押しつぶされカサリカサリと音を立てていた落葉が地面に吸い込まれたかのように沈んでいく。
ぽつぽつと僕の頬を濡らす雫が次第に大粒へと変わった。まるでバケツをひっくり返したかのように降り注ぐそれは僕の洋服を変色させ体温を奪う。走るたびに泥が跳ね、無地だった靴下はあっという間にまだら模様となっていた。そこらじゅうの窪みへと溜まった雨が取り合って形を変え、水位が上がる。僕の靴をじわじわと侵食したそれは飽き足らずに足首を、膝をも呑み込んで、歩くというよりは泳いでいるみたいだ。
「っ、うわあ!」
大地を真二つに裂くような雷鳴が僕のすぐ後ろのほうで轟く。その振動は僕の体の芯にまで届き、びりびりと焦がすような地響きだった。思わず恐怖に足が止まりそうになる。こわい。帰りたい。こんなところで死にたくない。本能が危険だと叫んでいる。
この森に安全な場所なんて存在しない。足を踏み入れたときよりもずっと暗成る森のなかに一閃の矢を射ゆが早いか、頭上で腹の底に響く轟音が鳴り渡る。どっど、と飛び出るほどの心音がうるさい。こわい。こわい……それでも己を奮い立たせ、エースたちの声を頼りに前へと進む。出口は見えなくともここで足を止めてはいけないことだけはわかっていた。
どうか、どうか当たりませんように。どうか僕たちが無事にこの場を切り抜けられますように。誰でもない、存在するかもわからない見たことのない神に祈る。どうか守ってください、と嘆願する。
『オレア!』
背負っていたリュックサックを浮き輪変わりに酸素を確保することに精一杯だった僕の耳に届いた声は焦りに満ちていた。
雨に打たれ、鉛のように重いであろう翼をばたつかせてこちらに向かってくる小さな姿が僕の瞳に映る。君はそんなキャラじゃないだろう。それなのに知り合ったばかりの僕のために殻を破ったというのかい? 思わず目頭が熱くなる。
溺れかけていた僕の襟元をくちばしで挟み、助けようと引っ張ってくれる小柄な姿。そんな末っ子の勇姿に兄貴たちが駆けつけては僕の袖を、抱えるリュックサックを引っ張り誘導してくれる。僕は君たちよりもずっと大きいというのになんて不甲斐ないのだろう。それでいて自分たちも危機的状況だというのになんて勇敢なのだろうか。
泥濘ではあるもののようやく自分の足で地を踏みしめる感覚を得たとき、僕は堪えていた涙を抑えられなかった。それは彼らへの感謝の気持ちと生きているという安堵感が織り交ぜられて流れたものだと思う。
静謐の先に出口が見える。木々の連なりが間遠になり、視界が一気に明るくなった。あれからどのくらいの時間が経ったのか。長いように感じられたが、乳房雲が急速に流れ、オレンジに染まっていく空を見るとそれほどでもないらしい。遠くのほうで稲光が駆けるけれど、先程までの強烈さが嘘のように弱まっていく。これならば予定通り花火大会が開催されることだろう。
しかしここは――ぐるりと見渡してみれば見覚えのある建物がちらほらと確認できる。父さんの運転する車のなかから眺めた景色だ。僕の町よりほんの少しだけ活気がある隣町まで来てしまうなんて……それも徒歩でだ、きっと父さんたちが知ったら仰天することだろう。もしくはしばらくの間外出禁止になるかもしれない。
あちこちにできた水溜まりに町の光が反射してはきらきらと輝いている。どうやらこの町も集中豪雨を受けたらしい。僕の足取りはそれはそれは重かった。それはドンたちも同じなようで疲れが見て取れる。
「少し休憩をとらない?」
僕の一言に皆が賛同し、僕たちは古びたゲームセンターの駐車場に足を運んだ。水気を含み倍以上に重くなったリュックサックを湿り気を帯びたアスファルトへと置き、腰を下ろす。ふうっと漏れた深い息は僕だけのものではなかったと思う。気を緩めた拍子で一気に押し寄せた疲労感。つかれた。さむい。足が痛い。とめどなく湧き出る負の感情を振り払うように、僕は口を開く。
「助けてくれてありがとう。君たちが駆けつけてくれなかったらと思うと……でも、ジョジョの声ちゃんと届いてたよ。僕のためにありがとうね」
『そんな! オイラは……!』
『コイツが来た道引き返しやがったときは気ィでも狂ったかと思ったがァ……ったく、おめェもほんと世話が焼けるぜェ』
『よく気づいたよね。てっきりついてきてるものだと思ってた』
『まあそう言ってやるな。無事でなによりだ』
兄貴面で僕を突くエースにつられてジョーが僕に擦り寄る。ジョジョは未だ自分の行動が信じられないようで頑なに謙遜するけれど、その表情は数時間前よりもずっと逞しく感じられた。普段は無関心なブライアンもこのときばかりは心配してくれたんだと思う。心なしか僕のそばにいてくれたから。そんな僕たちの様子を見つめるドンの眼差しには安堵の色が浮かんでいた。
びしょ濡れのタオルを固く絞り、彼らの翼を丁寧に拭いてやる。このままじゃ揃って風邪を引いてしまいそうだ。今更だとしても先を急ぐ前にどこかで雨宿りをしたほうが賢明だろう、ともう一度辺りを見渡せばシャッターが開け放たれていたゲームセンターの店内にジョーとエースの姿を見つける。
いやいやいや、君たちはなにをしてるんだい。そんなところにいるのを店員さんに気づかれたら大変だよ。なんて僕の焦りとは裏腹に彼らはずらりと並べられたゲーム機を吟味し、僕を呼ぶ。
ここで僕と同い年くらいの子どもたちが集まっているのを見たことがある。楽しそうな笑顔を浮かべて、はしゃいでいる姿を。だから、本当は僕こそこのゲームセンターに来てみたかったんだ。




