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episode1.ペリドットの煌めきを

 彼との出会いを僕は一生忘れることはないだろう。それはまるでコメディ映画にありそうな衝撃的な出来事だったから、だけではない。彼はあの日を境に僕の親友となったからだ。

 とはいえ彼と親密な関係になるまでにはそれなりの月日を要した。僕も彼も口下手だったし、そればかりか彼は僕と同じ人間ではないからだ。もちろん彼の名も僕が勝手につけたもの。本当の彼の名は親友になった今でもわからないままだけれど本人は自分のことを “ドン” と認識しているようだからお気に召しているということにしておきたい。

 というのも、彼は誰が見ても僕の住む町の首領(ドン)だからだ。これほどまでに似合いの名はないと僕は思う。僕は彼のことを(直接呼んでみたことはないが)親しみを込めて “ゴッドファーザー” とも呼んでいる。

 彼はどうかわからない。それでも僕は彼と接触する前から彼のことを知っていた。ハスキーボイスにしてはしわがれすぎている声に鋭く光る目。貫禄という名の存在感が誰も寄せつけない圧を放っているが、仲間からはそれこそ己が父のように慕われている。漆黒に艶めく翼は陽光によってその色を青や緑に変化させ、空へと羽ばたく様はまるでトムキャットのようでかっこいい。

 そう、彼は()()()だ。ゴミを荒らすだの、縁起が悪いだのと嫌悪されることも多いが神の使いだという説もある。ああだこうだと勝手に決めつける人間たちは彼らの身になったことがないのだろう。あまりにも不憫すぎる。だから僕は人間が苦手だ。こんな性格ゆえに(()()の)友達もいない。けれど僕にはドンがいるし、ドンを介して知り合ったジョーやブライアンたちがいるし、僕の家にあるイチョウの木へと遊びに来るリスのジェリーもいる。週に二、三回ともに昼寝をする野良猫のトムも僕は友達だと思っているし、隣の家に住むボーダーコリーのドルーピーも僕にとっては話し相手であり友達だ。

 誰しも得意不得意がある。僕は人間でありながら人間とのコミュニケーションが苦手で、その代わりに動物と意思疎通ができる。といっても、彼らの話す言葉が理解できる特殊能力はもちろんない。正確には()()()()()()()()()()()が正しい。それが理由で僕は変わり者扱いされていて不登校ではないものの家に引きこもりがち。両親はそれを “個性” というグレードアップした名に収めて変わらず愛情を注いでくれるけれど、やや放任主義。兄弟はいない。だから僕はいつもひとりで映画鑑賞をしては脳内で数多の冒険に出ている。頭のなかなら安全だし、ひとりでもこわくない。多少なりとも夢想家気質になってしまうのは否めないがザイルさえ離さなければ日常に支障をもたらさすことはないし、問題もない。

 

 そんな僕とドンの出会いは桜の舞う季節のこと。僕はその時、小学三年生でランドセルを背負い、麗らかな日差しに包まれながら足取り軽く帰路の途中だった。

 あれから三年の月日が経ち、僕は最終学年になったけれど、変わったことといえば身長とあの時のランドセルに細かな皺が増えたことくらいだろう。勉強は好きでも嫌いでもなく普通。成績は持て余す時間がたんまりあるゆえに平均よりは上のほう、映画から得た知識もある。その知識すべてが今の僕に必要なことかどうかはあえて明言しないでおこう。

 たとえば小学生の僕が算数の宿題で計算をミスしたとき(ひとりの時に限るが)思わず「shit!」や僕を揶揄する同級生に「You, son of a bitch!」なんて言葉を(もちろん心のなかで)口にしていることを父さんが知ったら禁止にはならずとも制限によってジャンルが狭まるだろうし、父さんのみならず母さんの耳に入った際には僕はかける言葉が見つからない。知らなくてもいいことまで得られてしまうのは今のご時世SNSも同じだけれど、小学生の僕にはいささか早すぎた自覚がある。僕の映画鑑賞という平穏な時間を守るためにもこのまま僕だけの秘密で貫きたい。

 

 とにかくあのときの僕はお腹が空いていて駄菓子屋へ寄り道をしていた。上級生や同級生と鉢合わせないという超重要ミッションをこなしながら、僕は人がまばらになった頃を見計って店内へと入り、スナック菓子を一袋購入した。夕食にはまだ時間があるし、映画鑑賞でもしながら食べようと頭のなかで作品を吟味していて上の空だった僕にも非はあったと思う。それでも一瞬で僕の手からスナック菓子の袋を略奪した彼には敵うまい。そのときの彼こそがドンであり、これが僕とドンのコメディのような出会いである。

 彼は僕から奪った袋を器用にくちばしで咥えてはあっという間に僕の手が届かない高さまで飛び立った。『してやったり』とでも言いたげな一瞥を寄越して風に乗り、どんどん僕から遠ざかっていく。

 基本的に僕は平和主義だ。そんな僕に変わり者のレッテルを貼りつけた同級生たちに対しても感情を荒げたことはない。のに、このときの僕はどうしてか感情を抑えられなかった。それが怒りからくるものなのか、悲しみからくるものなのかはわからない。それでも彼を追う以外の選択肢はなかった。もう彼の姿を捉えることさえ難しくなっているというのに僕の足は止まり方を忘れてしまったみたいに走り続けた。

 家を通り過ぎ、林を一直線に抜け、坂を駆け上がった先――辿り着いたのは土手だった。そこで僕はようやく彼の姿をもう一度捉えることができた。

 河川敷の高架下、少し前まで僕のものだったスナック菓子の袋をくちばしで開けようと奮闘している彼と視線が結び合えば、ぎらつきをみせる目が僕を捉えて離さない。そんな彼の厳然たる態度に気を呑まれてしまった僕を追い払おうと舞扇のように翼をバサッと動作(ふり)の如く広げてみせ、ドスの効いた声で威嚇する彼がなんて言っているかはわからない。それでも言いたいことはわかった。

 

 僕たちの間を春風が吹き抜ける。それはこの世界にあるすべての音を攫ってしまったみたいに静謐(せいひつ)さを秘めていて、まるでここには僕と彼しか存在しないのではないかという不思議な感覚に時間までもが止まったような錯覚に陥る。僕だって言いたいことはあったんだ。「お金を払ったのは僕なんだからそれは僕のだよ」とか「返してよ」だとか。

 にもかかわらず聖母のように僕たちを宥め、慈しみ、包み込むその温かさに僕の心は凪いていき、声に乗った言葉は彼を責めるものではなかった。

「わかったよ。それ開けてあげる」

 諦めたわけじゃない。お腹が空いているのは彼だけじゃなく僕もだ。彼のおかげで今は余計にそう感じている。

 こんなに走ったのは冬にここで行われる学校行事の持久走大会以来だし、そうでなくとも僕は体力なしだというのに。きっと乱れた呼吸を整えたばかりの僕の顔は火照っていることだろう。それなのに僕は今、言葉の壁を超え意思疎通を図れていることへの驚きと喜びに胸がいっぱいだった。僕は人間で彼は動物、根拠なんてない。それでも……。

 案の定、彼は僕の言葉に短く『ガアッ』と返事をしただけだった。しかし、それきり威嚇してくることはなかった。スナック菓子の袋を地面へと置き、ほんの少し距離をとっては僕と袋を交互にちらちらと見ている。

 彼のものになってしまったスナック菓子が僕の手に戻った。このまま走って逃げられたらなんて儚い希望を抱く。が、今の僕は拳銃を向けられた人質みたいなもの。某アクション俳優のような身のこなしでこの場を切り抜ける自信も、そんな度胸もあるわけないのだ。だから僕に与えられた唯一の選択肢はこの袋の上部を引っ張り開けるというなんとも無難で人質らしいもので――そのまま両端を引っ張って広げれば、嗅ぎなれた匂いが僕の鼻腔をくすぐって空腹を刺激する。

『ガアッ ガアッ』

 まるでそれを置いて去れと言わんばかりの彼は僕以上にお腹が空いているのかもしれない。一秒でも早くそれにありつきたいという意思がひしひしと伝わってくるから。でも、僕だって……交渉くらいはさせてほしい。僕も譲れないんだってことを。

「僕は君の仲間だよ」

『……ガ、ア』

 その言葉は彼の表情を見れば明々白々だった。僕だって彼の立場なら同じことを思うに違いない。『何言ってんだ、こいつ』と。発言した本人ですらそう思うのだから彼が思わないはずない。それでも僕は諦めなかった。彼となら分かり合えると、そう確信していたんだ。

「腹ペコなんでしょ? 僕もだよ。ね? 仲間でしょ?」

「だからこれを半分こにしない? 君と僕で仲良く分け合おうよ」

 辛抱強く話しかけていれば、きっと。淡い期待を捨てきれず粘った僕の勝ち。彼は渋々といった様子ではあったものの僕の提案を受け入れてくれた。もとはと言えば全部僕のものだけれど、この際そんな些細なことはどうでもよかった。家族以外の誰かとこうして食べ物をシェアするのははじめての経験だったし、それも動物とだなんて素敵だと思ったからだ。

 袋を片手に彼へと歩み寄る。訝しげに僕を見上げる彼は第一印象よりもずっと愛らしい。そんな彼の隣へと腰かけ、チップスを一枚差し出せば器用にくちばしで挟み、呑み込んだ。お気に召した様子の彼を横目にやっとのことで口にしたチップスはいつもよりちょびっとだけ美味しく感じた。それがただお腹を空かしていたからなのか、それとも彼とシェアしたからなのか。後者だったらいいなと思う。

 そのあと僕らは会話を弾ませることなく無我夢中で空腹を満たした。あっという間になくなってしまったスナック菓子の袋を未だくちばしで突いている彼には申し訳ないが、もうそこにはボロボロになったカスしか残っていない。それを伝えるためクシャクシャになった袋を逆さまにすれば、さすがは賢い。諦めがついたらしい。

 しかし缶蹴りのように片足を前へと蹴り出す彼の残念がる様に『ちぇっ』小さな舌打ちが聞えた気がした。

 

 オレンジまじりの陽光が辺り一面を染めていく。穏やかな風に吹かれ、青々とした芝が漣のようにきらきらと煌めきをみせる。いつもと変わらない景色なのに彼がそばにいるだけでなんだか昨日までとはまったく別なものに感じられて、眩いほどの鮮やかな色彩が僕の世界を塗り替えていく。

 彼にしたい質問はいくつかあった。「本当にこの町の首領(ドン)なのか」とか「この辺りに住処があって仲間がいるのか」とかを。彼にはもともと興味があったし、それは今日という素晴らしい時を経て増す一方だ。

 それでも僕は彼にそれらの質問を投げかけなかった。なにも焦ることはない。彼との心の距離はじっくり時間をかけて縮めていけばいい。彼とはまたこの場所か、違うどこかで会える気がしたんだ。だから僕はズボンについた砂を手で払い立ち上がる。迷うことなくまっすぐに。

「じゃあまたね “ドン” 」

 はじめて呼んだ気がしないくらいするりと口を衝いて出たのは以前からこっそりそう呼んでいたからだろうか。とはいえ、そんな彼は『貴様……まさかと思うがそれは儂のことか?』と怪訝な顔で僕を見ていたけれど、スナック菓子を分け合った仲だ。彼なりに思うところがあったのだと思う。『まあよかろう』一声お許しをくれた。


 夢見心地で今度こそ帰途につく。階段を下り、林を抜けた先までドンは上空から送ってくれた。彼の住処があったのか、ただの気まぐれか、はたまた僕の勘違いか、はさておき人間とカラスの間に友情が芽生えた。

 繰り返しになるが僕はこの日のことを一生忘れまい。誰でも主人公になれるのだとしたら、この日の僕はヒューマンドラマの主人公だったのだから。 “アカデミー賞最有力候補” とまではいかなくとも、ありがちなキャッチコピーを借りるなら ”全僕が泣いた” や ”今年最高の感動を” くらいは許されるだろうか。きっと僕はその通り涙するに違いない。試写会にはドンを招待しよう。そして、僕たちの間には思い出のスナック菓子を。音響の良い大型シアターもいいが、あえてこじんまりとした古びたシアターに一人と一羽。本編前の予告がスクリーンへと映し出されては僕たちの昂りを煽る。なんて贅沢なのだろう。もちろん僕の頭のなかのシネマだけれど――ああ、今から上映が待ち遠しい。

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