第3話 勘違いと、その先
学校休んでるのって、俺のせいか——。
そう問いかけた瞬間、夏希の瞳が揺れた。
驚いたように見開かれた目は、しかしすぐに伏せられる。
「……だったら、なに? あんたから距離を取ったくせに」
「っ——」
感情を押し殺したような震えた声に、胸が締め付けられる。
(でも、じゃあなんて夏希は……って、今はそんなことはどうでもいい)
俺は慌てて否定の言葉を口にした。
「違う。俺は、夏希と離れたかったわけじゃない」
「……はっ?」
夏希がキツく眉を寄せた。
「じゃあなんで、いきなり別々に行こうなんて言い出したのよ?」
「いや、夏希が俺のせいで彼氏できないって言ってたから——」
「——はあ⁉︎ 私、そんなこと一言も言ってないんだけど!」
夏希は、瞳に涙を滲ませながら睨みつけてくる。
俺の背中を冷たい汗が流れた。おそるおそる、問いかける。
「……もしかして、俺がいるからみんな諦めるんだってのは、俺が夏希の恋愛を邪魔してるって意味じゃなかったのか?」
「——全然違うわよ、このバカ!」
夏希が耐えかねたように叫んだ。
「あれはっ、私と澪がカップルみたいな関係になってるから、みんな諦めるのは当然でしょって意味!」
「えっ……そうだったのか?」
「当たり前じゃん! 幼馴染ってだけで、男の子と一緒に登校すると思ってんの⁉︎ というかそもそも、高校でも私から一緒に行こうって誘ったんじゃん! その時点で気づきなさいよ!」
夏希が堰を切ったようにまくし立てた。
「な、夏希。やっぱりお前……っ」
俺が息を呑むと、夏希は打って変わって、気まずそうに視線を逸らした。
「えぇ、そうよ……。私は、あんたのことが好き」
「……そう、だったのか」
心のどこかで予感していたはずなのに、いざこうして本人から言われると、現実味が湧かなかった。
夏希が呆れたようにため息を吐く。
「……これまで、ホントに気づいてなかったの?」
「あ、あぁ……全く」
気まずくて視線を逸らすと、夏希が小さく鼻を鳴らす。
「虚数より先に愛を勉強しなさい、このガリ勉」
「その言葉遊びが高一で出てくる時点で、お前も十分ガリ勉だろ」
「黙ってこの朴念仁。……で、答え……聞いてないんだけど」
素っ気ない口ぶりとは裏腹に、どこか怯えたような表情だった。
俺は小さく息を吐いてから、その揺れる瞳をまっすぐ見つめて、告げた。
「俺も、夏希のことが好きだ」
「っ……同情じゃ、ないでしょうね」
夏希がスッと瞳を細める。
俺は勢いよく首を振った。
「んなわけねえだろ。別々に行こうって言ったのだって……お前に距離取られるのが、怖かったからだよ」
俺は情けない本心を吐露した。
夏希はじっと俺を見つめ返し、ゆっくりと口を開く。
「……ホントに?」
「あぁ」
「……じゃあ、証拠見せてよ」
夏希の言葉が終わらないうちに、俺は彼女を抱きしめていた。
「っ……!」
腕の中で、息を呑む気配がする。
俺は熱を帯びた顔を背けながら、言い訳のように続けた。
「こ、これでいいか? ていうか、夏希こそ本当なんだよな——っ⁉︎」
今度は俺が言い終える前に、頬に柔らかい感触が押し当てられた。
……キス、された。
「な、夏希……⁉︎」
「こ、これでも信じられないって言うなら、何回でもしてあげるけど?」
強がるようにそう言った夏希の顔は、耳まで真っ赤だった。
じゃあ、もう一回お願い——。
そんな軽口を叩く余裕など、俺にはどこにもなかった。
「死にそうなんで遠慮しときます……今は」
「っ……!」
せめてもの抵抗として付け加えた一言に、夏希が肩を跳ねさせ、ぷいっとそっぽを向いた。
俺はなんとか呼吸を整え、その横顔を見つめた。
「……夏希」
「……なによ」
夏希が流し目を向けてくる。
もはや、言う必要はないのかもしれない。でも、これはケジメだ。
(このままうやむやにしちゃ、だめだ)
俺はもう一度深呼吸をして、手を差し出した。
「——俺と、付き合ってください」
夏希はしばらく、瞬きひとつしなかった。
やがて、肩の力を抜くと、俺の手を振り払い——、
遠慮がちに、体を預けてきた。
「遅いわよ、このばかっ……!」
「……ごめん」
俺は震える夏希の背中に腕を回し、今度は優しく抱きしめた。
俺の胸で泣いてしまったことが、恥ずかしかったのだろう。
夏希はしばらく借りてきた猫のように小さくなっていたが、だんだんといつもの太々しさを取り戻していた。
「全く……鈍い男だとは思っていたけど、まさかここまでだとは思わなかったわ」
今も、呆れたように肩をすくめて、ぶつぶつと文句をこぼしている。
「いや、問題も難しかっただろ」
「人のせいにしないで」
俺の反論をピシャリと切り捨て、夏希はジト目を向けてきた。
「なんで高校になっても一緒に登下校してるって大ヒントから、ネガティブな方向に行っちゃうのよ」
「だって俺、そういうの苦手だし……」
言い訳がましく口ごもると、夏希がすかさずツッコミを入れてきた。
「あんたの好きな言い方をするなら、方程式の答えが出てるのに代入することくらい、愚かよ」
「いや、それは確かめ算って可能性も——」
「黙りなさい」
俺の未練がましい抵抗は、再び容赦なく切り捨てられた。
「計算ミスした挙げ句、確かめ算すらもしなかったくせに」
「……ぐぅ」
「なんでぐうの音は出せる立場だと思っているの?」
「ごめんなさい」
「ふん、最初から素直に謝っておけばいいのよ」
ツンと顔を背けながらも、その頬はどこか柔らかく緩んでいた。
俺も自然と微笑んでしまう。やり込められたはずだが、こういうやり取りができること自体が嬉しかった。
しかし、一つ確認しておかなければならないことを思い出した。
「……そうだ。あのさ、夏希」
「なに?」
「来週からは、また迎えに行って、いいんだよな?」
少しだけ緊張しながら尋ねると、夏希は再び、わざとらしく眉をひそめた。
「また、お説教されたい?」
「いや、ごめん。迎えに行きます。行かせてください」
「……遅刻したら、許さないから」
素直じゃないその返事に、俺は再び頬を緩めた。
「……なに?」
「いや、なんでもない」
俺はふと、窓の外に目を向けた。少しだけ赤みの残る夕焼け空が見えた。
綺麗だな——。
ただ、そう思った。
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