エピローグ 重なり合う想い
最寄り駅に着くまで、夏希は一度も目を覚まさなかった。
肩を叩いて起こすと、寝ぼけ眼をこすって周囲を見回したあと、サッと頬を赤らめた。
俺にもたれかかっていたことを自覚したんだろう。
今も手をつないだまま、どこか気まずそうに視線を泳がせている。
「……なぁ、夏希」
鼓動が早まるのを感じながら、俺は切り出した。
「なに?」
「このあと、お願いしたいことがあるんだけど……ちょっとだけ、時間もらえないか?」
夏希は息を呑み、すぐには返事をしなかった。
「……シャワーを浴びてからでもいい? その、さっぱりしたいのよ」
ややあって返ってきた声は、どこか緊張を滲ませるように硬かった。
頬の赤みも、さっきより少し濃くなっている気がする。
「あぁ、それで大丈夫だ」
その提案はありがたかった。俺も取りに帰りたいものがあったからだ。
……使わないかもしれない。でも、備えだけはしておきたかった。
それから一時間後——。
篠原家のチャイムを押すと、すぐにドアが開いた。
「……どうぞ」
出迎えた夏希は、少し居心地悪そうに目線を泳がせている。
そのぎこちない様子はかわいらしいけど、俺自身もそれを笑える状態ではなかった。
リビングのソファーに、並んで腰掛ける。
両親は出かけているようだ。少しの間、俺たちの呼吸音だけが響いていた。
「……で、なによ。お願いって」
俺が言いあぐねていると、夏希がしびれを切らしたように尋ねてきた。
「これ、なんだけどさ」
スマホを取り出して、椎名先輩とのやり取りを見せた。
そこには、夏希が今日着用していたビキニとは別に、もう一着購入していたという情報がつづられていた。
——より大胆なものだよ、という注釈付きで。
「なっ……!」
内容を読んだ彼女は、すぐに顔を赤くして唇を噛む。
「まったく、あの人は……っ」
そうぼやきながら、ぶつぶつと文句をこぼす。肯定しているのと同じだった。
夏希はややあって、睨むようにこちらを見る。
「まさかとは思うけど……見せろ、なんて言わないわよね?」
「いや……そのまさかだよ。さっきのもすごい良かったから……せっかくなら、もう一着も見てみたいんだ」
意を決して言うと、夏希はぴたりと動きを止めて、ちらりとこちらを見た。
「あ、あれは悠先輩にそそのかされて買っただけだからっ……その、人に見せるようなものじゃないわ」
夏希がぷいっとそっぽを向く。
それでも俺は、引かなかった。
「でも、着ないのはもったいないだろ? それにほら、二ヶ月記念ってことで」
「そ、そういうのは一ヶ月とか一年とか、大きな節目のものでしょ」
「なら、二ヶ月だって大事だろ?」
「二日過ぎてるじゃない」
夏希が呆れたように半眼になる。
そう。確かに二ヶ月記念は一昨日だった。けど——、
「一ヶ月記念は、二日前だったぞ」
「っ……」
夏希がぴたりと動きを止めた。その瞳は迷うように揺れている。
「どうしても嫌なら、無理には言わないけど……でも、やっぱり……俺は見たい」
夏希はしばらく黙り込んだあと、ひとつ息を吐いて、呆れたような眼差しを向けてくる。
「……いつになく、強引じゃない」
「正直に伝えるって、決めたから」
言いながら、思わず目を逸らしてしまう。
夏希はそれからも葛藤するように、唸り声をあげていたが、やがてぽつりとつぶやいた。
「……確かに、一回も着ないのはもったいないわよね」
「な、夏希、それって……! ほんとにいいのか……⁉︎」
「なに目キラキラさせてるのよ……変態」
「うっ」
ジト目を向けられ、俺は言葉に詰まった。
あはは、と誤魔化すように笑って頭を掻くと、夏希は顔を赤くしながらつぶやいた。
「……一年記念は、高くつくから」
「あぁ、任せてくれ」
俺はしっかりとうなずいた。頼むぞ、十ヶ月後の俺。
「無駄にキリッとしてんじゃないわよ」
夏希は苦笑すると、立ち上がって二階へと続く階段に向かう。
自室の前に到着すると、
「覗かないでよね」
俺にビシッと指を突きつけ、扉の向こうへと姿を消した。
それからの時間は、永遠に感じられた。
しかし、実際は数分にも満たなかっただろう。
扉が開き、夏希がそっと顔を覗かせる。
「い、いいわよ」
「お、おう……」
思わず息を潜めながら、部屋に入る。
そして、彼女の全身を視界に入れた瞬間——呼吸も思考も、全てが止まってしまった。
華奢な肩をあらわにした黒のオフショルダーと、細身の腰を引き立てるボトムス。
水色のビキニを着た夏希は少女らしいかわいさを残していたが、今は女性としての色気が前面に出ていた。
「っ……」
ごくりと唾を飲み込む。吸い寄せられるように、彼女の身体から目が離せない。
「な、なによ、ジロジロ見て……感想とか、ないわけ?」
夏希がもじもじと脚をこすり合わせる。
俺はハッとなり、慌てて言葉を絞り出した。
「いや、その……き、綺麗だよっ……本当に」
「ば、バカ……っ」
夏希がパッと胸の前で腕を組み、前屈みになる。
隠そうとしたんだろうけど、かえって強調される胸元に、理性がぐらりと揺らいだ。
(ま、まずいな……っ)
「そ、そういえばさ。両親はいつ帰ってくるんだっけ?」
少しでも落ち着けるように、話題を逸らした。
——しかし、結果として、それは逆効果だった。
「……お父さんもお母さんも、あと二時間くらいは帰ってこないわよ」
「……えっ?」
思わず、まじまじと夏希の横顔を見つめてしまう。
彼女はみるみる頬を染めながら、ちらっと流し目を向けてきた。
「……まだ、二ヶ月記念をもらってないのだけれど?」
——その瞬間、俺の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。
「夏希っ」
両肩をつかむと、貪るようにその唇に吸い付く。
段階やムードなんて考える余裕もなく、すぐに舌を差し込んだ。
「ん……っ、んん……!」
夏希の全身から、徐々に力が抜けていく。
俺は片腕でその体を支えながら、布切れ一枚で隠されているだけの膨らみに触れようとすると、夏希がそっと俺の手首をつかんだ。
「夏希?」
「わ、私だけ、ずるいじゃないっ……。その、澪も……っ」
「あっ……あぁ、そうだな」
俺は一度夏希から離れて、シャツに手をかける。
畳む時間も惜しくて、脱いだそばから放り投げると、再び夏希を抱き寄せ、口づけを落とす。彼女もスイッチが入ったのか、積極的に舌を絡めてきた。
「は……っ、んん……!」
鼻から抜けるような吐息が、徐々に甲高い嬌声に変わっていく。
夏希は、シャワーを浴びたいと言った時点で、こうなることを予想していたのかもしれない。
——彼女は、両親がすぐに帰ってこないことがわかっていたんだから。
その予感は、口での愛撫を中断してもらったときに、確信に変わった。
これまで途中でやめてもらったことはなかったというのに、夏希は不思議そうにするのではなく、恥ずかしそうに視線を落としたのだ。
(夏希も、覚悟してくれたんだ……っ)
愛おしさが込み上げてきて、再びキスを交わす。
夏希の瞳はすでにとろんとしていた。
たぶん、このまま流れで押し切れる。
でも、けじめとして、ちゃんと言葉で伝えようと思った。
俺は口を離すと、呼吸に合わせて上下する白い肩に、優しく手を添えた。
「あの、さ」
おずおずと切り出すと、夏希は赤らんだ瞳で見上げてくる。
俺は息を整え、彼女を正面から見据えて、はっきりと想いを言葉に乗せた。
「俺、夏希が……ほしい」
言ったあと、自分で顔が熱くなっているのがわかる。
「……あ……っ」
意味を理解したのか、夏希の頬にもみるみる朱色が差していく。
彼女はうつむきながら、そっと俺の胸に手を添えて、囁くように言葉を紡いだ。
「……そ、そういうのは言わなくていいのよっ……ばか」
——それは、紛れもない承諾の合図だった。
◇ ◇ ◇
「はぁ、はぁ……ふぅ」
俺はベッドの上で呼吸を整えていた。
ふと視線を向けると、夏希と目が合った。照れくさくて、お互いに視線を逸らしてしまう。
初めての緊張もあり、決してうまくはできなかった。夏希も怖かったはずだし、痛かったと思う。
少なくとも、気持ちよさなんて感じてる暇もなかっただろう。
それでも、必死に俺を受け入れてくれた。
瞳を潤ませつつも、安心させるように手を握って、微笑みかけてくれた。
そんな彼女だったからだろう。
行為を終えてからも、気持ちは冷めるどころか、風船のように膨らむばかりだった。
「——夏希」
ただ名前を呼んで、腕の中に包み込む。
夏希は身を任せるように体重を預けてきたあと、かすかに顎を上げて、まぶたを閉じた。
「……ん……」
触れるだけのキスを落とすと、彼女の口元が緩やかな弧を描く。
その気恥ずかしそうで、それでいて幸せそうな笑みを見ていると、自然と言葉がこぼれた。
「——幸せにするから」
「っ……!」
夏希は目を見張ったあと、頬を染めた。
しかし、これまでのように顔を背けることはなく、まっすぐ見つめ返してきた。
「澪でよかったって、思わせてよね。……これからも、ずっと」
「あぁ。後悔させないよ」
俺が間髪入れずにうなずくと、夏希は驚いたように瞬きをしたあと、満足げに瞳を細めた。
「ふぅん……少しは、いい顔するようになったじゃない」
微笑みながら、ぎゅっとしがみつくように唇を重ねてくる。
俺はそれに応えながら、細くて柔らかい体を力強く抱きしめた。
絶対、この手を離さない——。
そう、心に強く誓いながら。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました! これにて本編は完結となります!
短編だからすぐ終わるかもと言いつつ、気がつけば60000文字を超えていました。「なんか長くないか?」と思った方、すみません(笑)。
改めて、最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!
そして、感想を寄せてくださった方、評価してくださった方、さらにギフトを贈ってくださった方。皆様の応援のおかげで、楽しく執筆を続けることができました。
更新のたびにいただく反応も、本当に励みになり、何より嬉しかったです!
◇ ◇ ◇
さて、ここからはお知らせになります。
本作に関連した新作、
ヒロイン・夏希さん視点のスピンオフ『幼馴染に嫌われたと勘違いして不登校になりかけたけど、実は両想いだった件』の連載を開始しています!
まず本話より少し未来のお話から始まり、その後は夏希さんの視点で描かれる回想形式となっています。ぜひご一読ください!
↓URLです。
https://ncode.syosetu.com/n4818kk/
改めまして、これまで本当にありがとうございました!




