第17話 ご褒美
「座って」
夏希に促されるまま、俺はベッドに座った。
自然と、腰を引いて前のめりになってしまう。
「今さら隠しても、無意味だと思うけど」
「そ、そうだけどさ」
夏希はくすっと笑って、俺のズボンに手をかけた。
「痛かったら言いなさいよ」
「あ、あぁ」
もう何度目かになる行為なのに、未だに慣れない。
けれど、それでも——いや、だからこそ、もっと触れてほしくなる。
「な、夏希」
声が少し震えてしまった。
「あっ、痛かった?」
「いや、そうじゃなくて……」
俺が言いよどむと、夏希が怪訝そうに眉をひそめた。
「なによ?」
「その……く、口とか、だめかなって」
「っ……!」
夏希はサッと顔を赤らめ、視線を逸らした。
ややあって、じっとりと見上げてくる。
「あくまで、勉強のためなのだけれど?」
「あっ、ごめん。そうだよな……」
また、調子に乗ってしまった——。そう思って目を伏せると、
「……今日このあと、みっちり教えてくれるなら」
夏希が小さな声で付け加えた。
「えっ?」
ハッとして顔を上げると、彼女は頬を染めたまま、そっぽを向いている。
い、今の……そういうこと、だよな?
「ほ、本当にいいのか?」
「別に、私はしなくてもいいけど?」
夏希はわざとらしく目を細めた。
「いや、お願いするよ。……ありがとな」
「変に気を散らされても面倒ってだけよ」
夏希は「まったくもう……」と呆れたようにため息をこぼしながら、髪の毛を耳にかけ、重心を落としていく。
吐息がわずかにかかるだけで、腰がゾクゾクした。
——でも、そんなのは序章に過ぎなかった。
やばかったな……。
頭がうまく回らない。肉体的な刺激もそうだが、それ以上に精神的な満足感が桁違いだった。
このままぼーっとしていたいけど、夏希にもこの感覚を味わってほしいという思いが強くなる。
俺は夏希の手を取り、引き寄せた。
「俺もするよ」
「わ、私はいいって」
「でも、夏希もこのままだと気が散っちゃうんじゃないか?」
「っ……」
夏希が一瞬、言葉に詰まった。
——それこそが、答えだった。
◇ ◇ ◇
「この辺にしておくか」
俺が時計を見ながら声をかけると、夏希がジト目を向けてきた。
「……結局、半分しか終わらなかったのだけど?」
「ま、まだギリギリ二週間前じゃないからさ」
自分でも情けなくなるような言い訳だった。
夏希はため息をついて、手元のペンを俺に向ける。
「明日から、ああいうのは禁止よ」
「えっ……いや、でも、そうだよな」
夏希も悪い顔はしていなかったけど……たぶん、そういう問題じゃないだろう。
自然と視線を下げてしまった俺の耳に、か細い声が聞こえた。
「……全部終わって、時間が余ったら、考えてあげてもいいけど」
「えっ——」
驚いて顔を上げると、夏希はそっぽを向いたまま、わずかに頬を染めていた。
「……ありがとな」
俺はそっと彼女を抱き寄せた。
夏希は驚いた様子は見せず、ただ軽く肩をすくめて口を開いた。
「勘違いしないでよ。ちゃんとやることが終わったらの話だから」
「わかってるよ」
しっかりとうなずいてから、口付けを落とす。
夏希は少し間を置いて、ぽつりとつぶやいた。
「……本当に、わかっているのかしら」
「大丈夫」
力強く言い切ると、夏希がふっと顔を上げる。
その目をまっすぐに見つめて言った。
「もう絶対に、途中で意識を逸らしたりしないから。だって——」
俺はニヤリと口角を上げた。
「早めに終わらせればいいんだろ?」
「っ……」
息を呑んだ夏希は、呆れたように目を細める。
「——変態」
「うっ……」
頬が火照るのがわかる。
夏希が小さく息を漏らした。
「……でも、ご褒美があったほうが頑張れるものだし、悪くないルールかもしれないわね」
「夏希も、頑張れそうか?」
冗談めかして訊ねると、夏希はじっと睨んできた。
「調子に乗らないでくれる?」
「ごめん」
「……まったく」
俺がすぐに頭を下げると、夏希は思わずといった様子で頬を緩めた。
もう一度だけ唇を交わしてから、俺は篠原家を辞去した。
◇ ◇ ◇
ご褒美があったほうが人間は頑張れる——。
夏希のその言葉は、本当だったのかもしれない。
約束通り、やることを終わらせてからではあったが、テスト期間中も何回かそういうスキンシップは行なった。そのあとは疲れて勉強どころではないときもあった。
にも関わらず、俺と夏希の成績は上がった。
特に、夏希の伸び幅は凄まじかった。
全体の平均点が大幅に下がったにも関わらず、前回よりも二十点も高い総合点で、学年三十位以内に入ったのだ。
「夏希、本当にすごいな」
「澪のほうが高いじゃない。皮肉にしか聞こえないのだけれど」
「でも、俺は順位としてはほとんど変わらないし」
廊下に張り出された成績上位者のランキングを見ながら、何気ない会話をしていると、
「夏希ー!」
元気な声が後ろから飛んできた。クラスメイトの鈴宮翠だった。
「翠、どうしたの?」
「なんなの、あの点数! もしかして、愛のパワーってやつ⁉︎」
鈴宮は成績表を片手に、夏希の肩を楽しそうにバシバシ叩く。
「ち、違うわ。ちゃんと勉強したのよ」
夏希はぷいっとそっぽを向きながら、微妙に頬を赤らめた。
「へぇ、白石君とおうち勉強会とかしてたんだ? そりゃあ、やる気も出るね!」
「べ、別にそんな……っ、変な想像しないでよっ!」
「え〜、そんなのしてないよ?」
夏希にジト目で睨まれても、鈴宮はまったく怯まずニコニコしている。
すると、夏希がこちらに鋭い視線を送ってきた。なに傍観しているのよ、とでも言いたいんだろう。
「……まぁ、実際集中はしてたよ」
俺はフォローのつもりでそう言ったのだが、鈴宮は「ふーん?」と、意味ありげに語尾を上げた。
目を輝かせてニヤニヤと近づいてくる。
「集中はってことは、他にも何かしてたのかな?」
「してないよっ」
「してないわよっ」
俺と夏希の声が重なった。
鈴宮は一瞬ポカンとしたあと、すぐに破顔した。
「おお、息ぴったりだねー! ごちそうさま!」
手をひらひら振りながら、軽い足取りで席に戻っていく。
気恥ずかしさを覚えながら、なんとなく夏希のほうへ目をやると——バッチリ目が合った。
「「……っ」」
咄嗟にお互い視線を逸らす。
「お、お手洗い行ってくるわっ」
夏希がそれだけを告げて、足早に教室を出て行った。
どうやら、羞恥が限界を迎えたらしい。
「白石。あんまり教室の風紀を乱さないでくれるか」
「あいつに言ってくれ……」
神崎からの苦言に、俺は鈴宮を見た。
彼女は一瞬キョトンとした表情を浮かべたあと、ニヤリと笑ってダブルピースをした。
「「……はぁ」」
一拍置いて、俺と神崎は同時にため息を吐いた。
◇ ◇ ◇
夕方、俺たちは夏希の部屋で並んでベッドに腰掛け、夏休みの過ごし方について話し合っていた。
「夏休み、どっか行きたいとことかあるか?」
俺の問いに、夏希は少しだけ考え込んでから、ぽつりと答える。
「そうね……。どうせなら、夏らしいことがしたいわ」
「夏らしいか……海とか?」
俺がそう言うと、夏希はすっと目を細める。
「まだ煩悩が残っているのかしら? ……二回も、させておいて」
「ち、違うって! 普通に海は夏らしいイベントだろ⁉︎」
「冗談よ」
夏希はくすっと口元を緩め、カレンダーに目を向けた。
「次の日曜日とか、どうかしら? 私は空いてるけど」
「俺も。じゃあ、そこにしようっ」
夏希から日程を提案してくれたことが嬉しくて、思わず声を弾ませてしまう。
「逆に、澪はどこに行きたいの?」
「そうだな……遊園地とか、どうだ? 夏っぽいし、アトラクションも色々あるし」
「いいじゃない。たまにはアクティブなのも悪くないわね」
そう言って、夏希は少しだけ笑った。
その表情がどこか嬉しそうで、俺も自然と笑みをこぼした。
それからしばらくして、ふと、一番直近の予定が埋まっていないことに気づく。
「そういえば、明日は午前練なんだよな? 午後、映画とか観ないか?」
「ごめんなさい。悠先輩のお悩み相談をしなきゃいけないの」
夏希は申し訳なさそうに目を伏せた。
「あぁ、いや、全然いいよ。にしても椎名先輩、まだ告ってないんだっけ?」
確か、少し前に神崎と二回目のデートをしていたはずだ。
「えぇ。本当は前回するつもりだったようだけど……慰めるのが大変だったわ」
「苦労してんだな」
「まあ、そうね」
俺が苦笑すると、夏希は肩をすくめた。
「けど、私も色々アドバイスはもらってるから、そこはおあいこよ」
「えっ、アドバイス?」
「べ、別に普通のことよ⁉︎ 変な想像しないでよねっ」
「……あ、あぁ」
別に引っかかってはなかったけど、否定が早すぎて、逆に何か隠しているように思えてしまう。
夏希は、どこか思わせぶりに視線を逸らしながらつぶやいた。
「ついでに、買い物もしてくるわ。新しく買わなきゃいけないものもできたし」
「えっ? ……あぁ」
すぐに察して、頬が緩むのを止められなかった。
——たぶん、水着のことだ。
「やっぱり、そういう目的だったのね」
呆れたような視線に、俺は慌てて手を振る。
「ち、違うって! ただ夏っぽいことがしたいって……!」
「残念。私は普通のしか買わないから」
「だ、だから違うっての!」
俺の声が部屋に響いた。
夏希が楽しそうに目を細める。
「そこまで焦っていると、逆に怪しいのだけど?」
「……それを言うなら、さっきの夏希も、結構焦ってたけどな」
「そ、そんなことないわよ」
余裕そうな表情から一転、夏希は頬を赤らめてそっぽを向いた。
(本当に、椎名先輩からどんなアドバイスをもらってるんだ?)
気にはなるが、これ以上は機嫌を損ねてしまうだろう。
多分、今年の夏はこれまでとは一味違ったものになる。いっときの好奇心で、その始まりを台無しにはしたくなかった。
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