10 水木樋
“箱”から出てきたのは、足が5本あるヤドカリっぽい何かだ。大きさは小指の爪ほどもない。ちょこちょこ動き、ドクドクと動く心臓をちょんちょんと足で触れるとにゅるん、と入っていった。心臓が震え、まるでフリーズドライにするようにあっという間に縮んでいく。最終的にはレーズンほどの非常に小さい大きさになった。それを山吹がつまむ。
「まあまあ重い」
「どのくらいです?」
「たぶんお前よりは重いわ」
無くさないように内ポケットにしまうとグッさんの入っている木箱を見る。温度計をつけるとしっかり三度だ。どうやら住居者にとって居心地がいい環境を整えてくれるらしい。
「すっげえ優良物件だったのな、この箱」
「コンシェルジュいるようなもんですね」
「透明じゃなくなったのが残念だけど、まあいいか。上から見れば」
木箱を水槽があった場所に移動し餌を入れる。つんつん、と餌を食べる姿を見届けて山吹は大月に、笛吹は葛に連絡を入れる。
「取引しましょう、でいいですか」
「おうよ」
そのまま葛に連絡を入れると「早くない?」と返信が来て、今取り込み中だからまた連絡するとのことだった。
「取り込み中ねえ」
「田中さんの使い走りを佐藤さんがボコボコにしてる最中です、って書いてありますね」
「やっぱ葛君に目つけたな。この分だと有栖川さんもきてるかな」
チャットツールには大月から一文。
“有栖川に変なのが寄って来たから火男と私でグチャグチャにした”
「こっわ」
二人の声がハモる。一体どんな感じにグチャグチャにしたのか、文字通り比喩抜きでグチャグチャなんだろうな、と笑っていたが。次の瞬間二人の表情が凍り付いた。勢いよく出入り口の方を見る。
なにかが、いる。
こんこん、と扉をノックする音がした。答えずにいるとガチャ、と勝手に扉が開く。ありえない。鍵屋が直したはずの鍵を開けるなど。
「こんにちは」
そこに立っていたのは、若い男だった。瞬時に笛吹が口を開こうとしたが、それを上回る速さで山吹が笛吹の顔をわしづかみにする。バァン! と凄まじい音がした。
「やめろ」
その声はワントーン低く今まで聞いたことがないくらいに殺気立っている。しかしそれは笛吹とて同じだ。だが、山吹の手を振りほどこうとはしない。その様子を見ていた男は眉をハの字にした。
「すごい音したけど、大丈夫ですか? すごく痛そうでしたよ。顎吹っ飛んでません?」
「……」
穏やかな青年だ。細身でいかにもお人よしそうな顔立ち。しかし、雰囲気は。
「……水木樋」
「はい、そうです。どうも」
人間とは思えない。
「そんな化け物を見るような目で見ないでください、俺は至って普通ですよ。貴方たちと違って」
その場にいるだけで、息ができなくなりそうだ。
「要件は一つです。その、今作ったフェイク品。俺に譲ってもらえませんか? ちょっと必要なんですよ」
「……」
まったくの想定外、とまで言わないが。まさか水木樋から来るとは思っていなかった。しかも今回の件でモノを回収しに来るとは。
「俺としては今回の件どうでも良かったんですけどね、急きょ必要になって。上司に渡すつもりも、あなたたちが田中さんと呼ぶ存在にあげるつもりもないです。俺の個人的な事情なので。別に誰かに、何かに悪影響が出るわけじゃないですからご安心を」
情報が本当にすべて筒抜けだ。田中たちに筒抜けなのはどうでも良かったが、水木樋に筒抜けなのは分が悪すぎる。二人は動かない。動けない、と言っていい。
「タダで、とは言いません。俺が作った更なるフェイク品と交換でどうです?」
そう言うとポケットから取り出したのは小ぶりのミカンくらいの大きさの物体。
「これじゃ騙せないんですよね、材料で気づかれてしまうので。だからそちらの物と交換させてほしいんです。これもちゃんと神の心臓ではありますよ、そちらと比べても同等品です。どうですか?」
誰を騙すというのか。今はわからないので探りようがない。黙ったままだった山吹がようやく口を開く。
「一つ目のからくり箱の中身か」
「ご名答、凄いですね。田中さんからこっそりかっぱらったんですけど質が悪かったので一級品になるよう手を加えておきました。デメリットはないでしょう。保管品の神の心臓は佐藤さんに渡す、それは俺がもらってこっちのフェイク品をここで保管する。条件は同じですし。と言ってもこれだけじゃ決め手に欠けるでしょうからプラスアルファとして」
にこりと水木は笑う。その笑顔はひたすらに虚無だ。吸い込まれるような、しかし何もないひたすらの、無。
「田中さんを、あなた達の前に引きずり出してあげます」
その言葉にようやく山吹は殺気を引っ込める。笛吹から手を放すと笛吹は掴まれていたあたりを撫でた。
「やっぱり痛かったみたいですよ」
「そりゃそうだろうな、咄嗟だったから。で、今の話受けよう。メリットがでかい」
「ありがとうございます」
受けなければ、すべての証拠品含め警視庁ごと消し飛ばされかねない。




