突然くる別れ
仕事も一段落し、久しぶりの連休を迎えた由依は両親から度重なる帰省の催促を受け、地元への特急に乗り込んだ。
両親は2人とも健在で、一人娘の由依は帰省の度に大歓迎を受けていた。会社の近くに一人暮らしをしているとはいえ、会社と実家は電車で30分の距離。いつでも会える距離にいるからか、かえって足が遠のいていた。
今回は仕事がひと段落ついたことを、母親からの電話でついポロッと漏らしたがため、いつもよりも熱心に帰省を促されてしまったのだ。
まあ、帰りたくないわけじゃないしいいんだけど……。
車窓から見える街並みは、次第に緑が多くなっていく。ほんの30分もあれば、ビルが立ち並ぶオフィス街から、自然豊かな田園風景へ変わるのだから、都会と呼ばれる限られた区画のみがどんどん栄えていっているのだろう。
自分が普段過ごしている場所が異世界のような、不思議な感覚に陥る。夢とも現ともつかない、曖昧な境界からぼんやりと眺めていると、目的地を告げるアナウンスが耳に入ってくる。時計を見ると、ぴったり30分張りが進んでいて、自分の体感との差に驚かされる。慌てて荷物をかき集めて、下車の準備をおこなう。
慌ただしく、列車を後にすると改札口の向こうの、駅前ロータリー内で白のワンボックスカーがハザードランプを点滅させていた。由依に気づいた母親が運転席の窓を全開にして大きく手を振っている。
「由依、おかえりなさい」
「ただいま」
挨拶もそこそこに、由依が助手席に乗り込むと、すぐに車は出発する。車内には花の香りが立ち込めており、懐かしい香りに由依は大きく息を吸い込む。花の香りが、曖昧な世界へいっていた由依の意識を現実へと、確かに引き戻していった。
「仕事中なのにお迎え、ごめんね」
由依の言葉に母親は、大丈夫よ、父さんに押し付けてきたからと、何故か得意げに笑う。由依の実家は花屋を営んでおり、いつも早朝にこの車で買い付けに行っている。こんな風に言っているが、本当は時間を無理に作ってくれたのだろう。申し訳なさに、手にした荷物を抱きしめながらきゅっと身を寄せる。
「それに、お墓参りは由依と一緒に行きたかったから」
独り言のように前を見ながら呟く母親の姿に、深い悲しみを感じた気がして、由依は小さくなった身をさらに丸め、そっと下を向いた。
思い出されるのは、いつも優しくて花に囲まれていた祖母の笑顔。夫を早くに亡くし、女手一つで母を育て先代から続いていた花屋を守ってきた祖母は、3年前に脳溢血であっけなくなく亡くなってしまった。
祖母の花屋を継いでいた両親に変わって、由依と食卓を共にし、身近で世話をしてくれていた祖母は由依にとって祖母であり第二の母のような存在だった。
そんな祖母のあまりにも早い別れに未だに実感がわかず、今でも実家に帰ると、居間で小さなブーケを作りながら、「由依、おかえり」と出迎えてくれるのではないかと錯覚する。
おばあちゃん孝行何にもできなかったな……。
祖母のことを思い出す度にいつも、この生活は当たり前ではないことに気付かされる。
人との繋がりは無限ではない。当たり前のことなこに、自分にとって身近すぎてつい忘れてしまい、失ってから気づく。
横で運転する母親を盗み見る。その表情には歩んできた歳の分だけの年輪が刻まれているように思えた。
自分が歳を重ねて大人になった感覚はいまいちわかないけど、周りは明らかに変化していっている。
そんな現実に自分1人置いて行かれているような気がして寂しさを覚える。その思いを振り払うように、由依は再び車窓から見える景色に意識を向けるのだった。
車は細い山道を通り抜け、墓地の入り口にたどり着く。山際に位置する墓地は、その一帯だけが俗世から切り放たれた神聖な場所のような空気を纏っていた。
車を降りると、木々に囲まれたその地は駅前からさらに人里離れた、活き活きとした自然が広がっている。冷たい空気が緑の香りをまとって胸いっぱいに広がる。
「ここまで来ると涼しいわね」
母が後部座席から切花を出し、由依に手渡す。
お墓参りの時に花は私が持つ、と小さい時にぐずってから、それから毎回、花を供えるのは由依の役目となっていた。
キンセンカを基調とした綺麗な花々は、きっと、母が店から選び抜いたものだろう。
小さな光を宿したかのように、凛と咲き誇っている。
「おばあちゃん、キンセンカ好きだったよね」
一際明るいオレンジ色をしたこの花を、祖母が熱心に世話していた記憶が蘇る。
母がそうね、と懐かしそうに目を細める。
「母さん、お供えの花は亡くなった父さんへのメッセージだって毎回用意してたわね。父さん、母さんと結婚してすぐに亡くなったから……」
別れの悲しみ。
祖母は花言葉の意味を込めて、一輪一輪、大切に選んで亡き夫へ送っていたのだろう。
そして、今日選ばれたこの花たちも、きっと……。
家族の思いまでも受け取った様で、自然と気の引き締まり背筋が伸びる。
思いを託された花たちは、毅然としてその美しい佇まいで与えられた使命を全うしようとしてくれているようだ。
墓地へと続く長い階段を一段一段昇っていく。
頬を掠める風が花をも揺らし、柔らかな香りがたちまち広がり、故人たちが人の訪れを喜んでいるようだ。
母の先を歩いていた由依は、先に墓石の前に着くと普段とは違う光景に首を傾げ、遅れてやってきた母親に問いかける。
「お父さん、先に来てたの?」
問いかけの意味がわからず、唖然としている母に目線で供えられている花の存在を指し示す。
祖父や祖母たち久野家の先祖を祀っている墓には、可愛らしい白いカーネーションの花束が並んでいた。
祖母の交流のあった人たちはご高齢ということもあり、この山奥の久野家の墓を訪れる人は限られている。今はもう由依の家族ぐらいしか思い浮かばず、父にしては珍しい花だな、と瑞々しいその花に触れる。
真っ白な雪のようなその花弁は、触れると消えてしまいそうな幻想的な空気を纏っていた。
母は由依の質問に曖昧に頷き返すと、墓石に水をかけ始めた。
由依は不思議に思いながらも、持ってきたキンセンカの花束と合わせるように、花を立てる。黄色と白のコントラストが互いの花を引き立てるように、寄り添いあっているようで、朗らかな気持ちになる。
線香に火を灯し、手を合わせる。
今、この瞬間が切り取られ、あの世とこの世の境目にいるような不思議な感覚に陥る。
ここにくれば、故人と再び逢うことができる気がして、由依はぼんやりと宙へと消えていく煙に祖母の姿を探すが、映るのはただただ白いモヤだけ。
「遅くなって、ごめんね」
ポツリと母がこぼした言葉に違和感を感じて、由依は振り向き母の横顔を見つめる。
祖母の命日は秋だし、お盆はまだ先だ。強いて思い当たるといえば祖父の命日だろうか。そうだとしても、決して遅くはない。
一体、誰に向けて発せられた言葉なのだろうか。
疑問をそのまま口にしようとするも、母の神妙な硬い表情に口を紡ぐ。
自分が死んでしまったあと、母はこんな顔をするのだろうかと、ふと縁起でもないことが頭によぎる。
母が会いに来ないことをぐずる幼子の自分が、ここに縛り付けられて、母の来訪を遅いとなじっているような、不思議な思いで母の背中を見つめていた。