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GO! GO! オカ研! ─結成編─

 四月なので、『魔法世界の回復役』の主人公、甦さんの過去編。入学当時のストーリーです。もう五月になりますけどね。

 『魔法世界の回復役』を読んでいない方は、先に読んでくれた方がちょっと良いかも。

 ───春。


 春、出会いの季節。


 出会いは、幕開けの合図。


 幕開けはいつも、四月から。


 ある年、桜花芽吹くこの四月。


 春。ここから始まる、物語である。






 ─────






 とある星の、とある国の、とある地方の、とある県の、とある街の、とある学校の、とある体育館。

 体育館、と名の付く通り、その場所は運動の為に造られた広い空間だった。


 しかし今、体育館は本来とは違う用途で利用されている。


 椅子の幾百がずらりと並び、小洒落た造花で彩られたアーチが広い空間に道を示している。立派に聳えた教壇がそのステージの上で姿を見せ、その上にはこれまた飾られた板が吊るされている。

 そして、その板がこの体育館に於いて異質であるとすら言えるこの状況を説明していた。


 ──祝 入学式、である。


 今この場所には、体育館中央に通った道を囲って左右に椅子が並んでいる。そして、並んだ椅子の後方三分の二程度が既に人によって埋められていた。男と女の違いはあれど、その面々は皆統一性に溢れた衣服を着ている。その姿は、実に着馴れた雰囲気を醸していた。

 ふと、空気にぴりと振動が走る。その震源は、ステージ横に隠れた巨大なスピーカーだ。瞬きの間の予兆の後、荘厳な音楽が体育館に響き渡る。沈黙と静寂の空間に、これから始まる式典の喜びを称える様に変化が訪れた。

 音楽と共に、座っている全員が軽快に手を打ち始める。その手は、体育館の中心に通った道に向けられていた。


 造花のアーチが並ぶ道を、堂々とくぐっていく。それはこの式典の主役に与えられた特権であり、今この道を歩んでいく数多の人間はつまりこの場の花形だ。

 次々にアーチをくぐり抜け、一身に拍手を浴びながらそれぞれの席に座る。その瞳には、期待と不安の入り混じる様々な感情が垣間見えていた。


 春、出会いの季節。幕開けはいつも、四月から。


 諸説ある話だが、四月を一つの区切りとして始める文化の背景には米の収穫時期が関わっているという。それはこの国の文化を決定付けてしまう程の大きな存在であったとも言える。

 しかし、今やこの始まりたる時期の象徴は桜である。美しく芽吹き、季節を祝福して散っていく。或いは、桜が新しい風を呼んでいるのだろうか。


 桜の花が、風に撫でられ落ちてゆく。ゆっくり、舞をしながら落ちてゆく。


 そんな、ありきたりな四月が、今年もやって来たのだった。






 ─────






 その後、入学式は何事も無く閉式した。本当に何も無かったかと言われれば校長先生の有難い演説があったのだが、それは割愛しよう。


 ともかく、入学式は終わった。再び拍手を浴びながら退場し、列を成したまま廊下を歩く。目的地は、自分の教室だ。


 クラス。今後一年の生活を決める上で最も重要な瞬間であり、それは自分ではどうする事も出来ない、ある種の運命によって為されるものだ。周囲の人間の色によって、そこに生きた人生の色が変わるのである。


 黒板に貼り付けられた座席表を見て、自分の席に検討をつける。右を見て、顔を窺う。左を見て、顔を窺う。自分にとって、相手はどうか。相手にとって、自分はどうか。あくまで自然に、担任が到着するまでのどうしようもない小さな時間を利用して人を見極める。

 もう一度、右を見る。既に話せるまで発展したのか、はたまた中学からの付き合いか。会話に声を弾ませる二人組がいる。

 もう一度、左を見る。こちらにも話す人の影は見えるが、まだ自己紹介も済んでいない初々しさがある。しかし共通の話題があるらしく、名も知らぬ相手とでも会話は繋がれている様だった。


 二度、教室を見回して発覚した事実がある。仲良さそうに話す二人も、ひっそりと話す二人も、そうでない多くの人達も、大体は同じ人物に意識を向けている。


 それに気付き、教室を見渡していた視線を机に落として、思う。


 「俺、見られてんなぁ……」


 テレビで一度は見た事のある、ここらじゃ知らない人はいない名物男子。

 彼の手に掛かればどんな大怪我も疫病もあっと言う間にすぐ治る、神の力を授かりし子。その手が救った命は数知れず、今もその力を待つ人々が大勢いるという超常の存在。


 それがこの青年、(よみ)である。


 そしてその甦もまた、この四月に高校へと入学した一年生の一人だった。


 「クラス発表で名前だけ見たけど、やっぱりアレ本物だよね?」

 「テレビで見た事ある奴だ……」

 「あの人に見せたら傷治るって、ホントなのかなぁ。」


 「モロ会話が聞こえる……耳が辛ぇ。」


 甦が特段耳が良い訳でもないが、ひそひそ話もここまでくれば聞こうとせずとも耳に入ってしまう。

 有名人と同じクラスになった事、魔法じみた力が一目見れるかも知れない事、色々あるのだろう。暫く経てばそう珍しがる人も減ってきて落ち着いてくるのだろうが、初日というのはやはり注目は避けられないらしい。


 そして案の定、担任の先生が来て連絡事項が終わると、矢鱈に取り囲まれて話を聞かれるのだった。






 ─────






 「解放、された……」


 入学式の日は午前放課、正午には帰れる筈だったものが何故か既に2時を回っている。人数を見るに恐らく他クラスからも来ていたのだろう。注目される事自体は嫌という程ではないのだが、それに自由を奪われるのは納得がいかない。さっさと支度をして、殆ど空の鞄を持って教室を出た。


 早く帰りたい、その一心で小走りになり、階段を駆け降りて玄関へ向かう。


 「ストーップ!」


 しかしその意思は尊重される事はなく、無慈悲にも止められてしまった。


 「えっと……何ですか? 俺そろそろ帰りた」


 「まぁまぁまぁ、待ちたまえよ。ちょーっとワタシの話を聞いてくれるだけで良いんだ。ねっ?」


 声のする方へ向いてみると、半分程開けたドアから女の人が半身を出して手招いている。それも満面の笑みで。

 数秒間、迷う。迷った上で結論を出した。


 「すいません。また別の機会にし」


 「まぁまぁまぁ、待ちたまえよ。ちょーっとワタシの話を聞いてくれるだけで良いんだ。ねっ?」


 「選択肢、無い?」


 くいくいとこちらを呼び寄せる手が、段々と加速していく。そのうち手首でも痛めそうだ。恐るおそる視線を上げると、やはり満面の笑みが甦の顔を捉えている。


 「さぁ、入りたまえよ。キミを待っていたんだ。」


 顔を覗かせる姿勢のまま引き戸を滑らせる。完全に開け放たれた扉の先からは、保健室特有の香りが漂っていた。


 「えっと、もう帰っても」


 「お茶もお菓子も用意しよう。付き合ってくれたまえ。」


 「そっすか……」


 この女に帰してくれる気は無いらしい。ここは素直に従った方が早そうだ、と諦めて保健室に入ろうとして──


 保健室の室名札の隣に『オカルト研究会』なる手作りらしき札が掛かっているのを見て、同時に後悔した。その気付きは既に遅く、一歩近寄った甦の腕は強引に引きずり込まれていた。




 ぴしゃりと音を立て、甦を招き入れた扉は閉ざされる。逃げ道が絶たれた。数秒前の己の軽率さが実に恨めしい。


 「座ると良い。ちょっとそこで待っててくれ。」


 そう言って示された椅子は、どう見ても保健室の先生と話す時に使われる場所だ。仕方無くその丸椅子に座り込み待っていると、どうやら本当にお茶を沸かしていたらしい。湯気の立った湯呑とそれに見合った練り菓子を持って、当然の様に養護教諭が座るべき椅子に座ってきた。


 「ほら、遠慮せず飲みたまえ。熱いから気をつけるんだよ。」


 「はぁ、どうも。」


 毒、などと疑う訳ではないが、それを啜るには少しばかり抵抗がある。何せ、異様に怪しいのだ。


 その立ち振舞いは、宛らここを住環境にしている人のモノだ。少しテンションの高い養護教諭と言われてもまだ疑いもしないだろう。

 しかしそれは、教員が制服コスをしている、という大前提を超えなければならなかった。


 そう、制服だ。見紛いも無く、それはこの学校の生徒が着るべき服装だった。正確に言うならば今は冬服の時期であり、その女が着ているのはカーディガンを着込んだセーラー服だ。一応学校では夏服、冬服と時期の指定がある。今更制服の着こなしどうこうに口を出す気は無いが、それで片付けて良い問題でも無い気がした。


 セーラー服に指定のスカート、長く伸びた髪は高い位置で紫掛かったシュシュに一つに束ねられている。妖艶な雰囲気を思わせる目元口元が、薄く微笑んで甦を直視していた。と言うか、やけにじろじろと甦の事を観察している気がする。

 部屋に引きずり込んでおいてじろじろと見られてはいよいよ危機感が高まってくる。まずは、相手の意図を探らなくては、このまま数時間が経ってしまいそうだった。


 「えっと、本日は何の御用で?」


 「おっと、すまない。まずは自己紹介でもしようか。」


 そう言うといきなり立ち上がり、反動で髪を浮かせながら胸に手を当てて自分を指した。


 「ワタシは(みお)。澪先輩と呼んでくれて良い。」


 「はあ、澪先輩。」


 「見て解るだろうが、三年生だ。聞きたい事があるなら何でも聞くと良い。」


 この学校は学年によって内履きや体操着に引かれるラインの色が分けられており、今年は一年生から順に青、赤、緑だ。緑の線が走る靴を履いている為、それが三年生である事の証明だった。

 高らかに宣言した後、再び我が物顔で椅子に座ってお茶をふーふーし始める。この変人──澪は猫舌らしい。だから何だと言う話だが。


 「じゃ、一つ聞いていいっすか。」


 「どうぞ、ワタシの知る範囲なら何でも答えよう。」


 「あの、『オカルト研究会』って何ですか。」


 「良くぞ聞いてくれた!」


 湯呑を持ったまま、また立ち上がって語り始める。面倒くさいツボを踏んだ、そんな可能性に怯えながらも甦は聞く姿勢に入る。入らされる。


 「オカルト、オカルトとは超常的な現象の事だ。本来存在しないハズのモノ、現象、科学によって証明されない事実と言っても良いだろう。常識的に考えてそうなるハズがない、しかしそれは現実に起きている。ならば、それを思案し、探究していく事こそがこの世界の先を指し示すのではないか? どんな最先端の研究が為されていたとしても、オカルトとはその先にある新しい世界を見出す可能性があるんだ。超常を研究する事は何より優先すべき事柄であると、そうは思わないかい?」


 「いや、あんまり。」


 「いけず!」


 要は、ただの迷信好きらしい。やけに早口に捲し立てられたが、正直甦には興味の無い話だ。その話をする為に呼び止められたのなら迷惑も良い所だった。


 「……で、その札がなんで保健室にあるんですか。」


 「酷い事に、先生が部として認めてくれないんだよ。それで部屋もくれないものだから、研究会としてここでやっているんだ。」


 大方、予想通りの回答だ。自分が教師だったらこんな部は絶対に認めない。


 「ちなみに、会員は何人いるんですか。」


 「今この部屋にいる二人で、全員だね。」


 「二人……?」


 そう言われて、保健室の中を見渡す。ベッドの上に人の気配は感じられないし、怪我人が休んでいる様子も無い。養護教諭らしき人が見当たらないのは問題だし、生徒一人で何をしているのかという話だ。奥の方までは良く見えないが、それよりも嫌な予感の方が勝っていた。


 「ちょっと、良いですか?」


 「ああ、勿論だ。」


 「俺は入りませんよ?」


 「えっ?」


 「えっ」


 目を丸くして、驚きの表情を崩せない澪。その姿を見るに本当に甦の入会を確信していたらしい。


 「因みに聞かせてもらうが、入らないとは、何にかな?」


 「オカ研ですけど。」


 「何で……? ワタシの話を聞いて、興味が沸かなかったのかい?」


 「そう、言いませんでした?」


 信じられないモノを見た顔で甦を見る。信じられないモノを見たのはこちら側だが、澪にとっては完全に想定外の様だ。


 「そもそも、何するんですか。夜に学校にでも忍び込んでお化け探しとか?」


 「──ああ、成程。研究内容を聞いていなかったね。それじゃあ興味を持てないのも仕方が無い。良いだろう。きっとワタシの求めるモノを知れば、キミも入りたくなるに違いない。」


 「はぁ──」


 立ったままお茶を一啜りし、体制を立て直して甦に向かう。その目は最初に見た妖艶な笑みに戻っている。


 「確かに、ありとあらゆる超常には調べる価値があり、いつしかは必要になるだろう。だが、偶発性の強いものを観測し、ましてやそれを調べ上げるなど、キミの高校三年間の研究では厳しいだろう。」


 「俺の三年間は研究に使われるんですか?」


 「しかし我々は、それを自らの意志で起こすチカラを持っている。自らの意志で観測し、自らの意志で実験が出来る。実に興味深いと思わないかい?」


 「いや、あんまり。」


 「いけず!」


 さっきも聞き覚えのある下りだ。これが続く様なら、無理にでも帰ろうとさえ思った。しかし、澪は甦を逃さない。


 「知りたくないのかい? 本当に? ──キミの手から生じる、超常の真実を。」


 「───」


 「知りたくないのかい? 本当に? ──そのチカラの発生源を、仕組みを、結果を。」


 「───」


 「知りたくないのかい? 本当に? ──キミが、何者なのか。」


 甦の手から起きる、超常。


 触れた傷口は見る影も無くなり、身体の不調はあった事を忘れる程に快復する。

 それは甦が生まれ持ってして得た力であり、世のどんな研究者さえも計れなかった奇跡だ。


 疑問を持たなかった訳ではない。寧ろ、逆だ。得体の知れない力。正体不明の現象。自らが起こす超常を不思議に思わない筈が無い。


 「ワタシは、キミが知りたいよ。ヨミ君。」


 その時、不覚にも心を動かされた。こんな狂人と二人でなんて、禄な事にならない筈だ。しかし、甦は既に揺らいでいた。


 「俺だって知りたい、けど……」


 「──し」


 澪に付くべきか悩んでいると、突然唇に指を当てて静かにとジェスチャーする。何かと思って耳を済ませると、やけにうるさい足音が廊下に響いて保健室の中まで聞こえていた。


 「ふむ、変に誤解されると面倒だ。今日はお開きにしようか。」


 「は──?」


 「返事は、明日にでも聞かせてくれたまえ。あ、あと妙な男がここに入ってきたら『澪先輩はとっくに帰りました』とでも言っておいてくれると嬉しいな。」


 「ちょ、どこに──」


 そう言い残して、問い返す隙も与えずに窓から飛び出して行った。幾ら一階とは言え、男子でもそうしないショートカット法だ。

 取り敢えず、面倒な人からは開放された。やっと帰れると鞄を持ち肩に掛けて保健室を出ようとして、ドアに掛けようとした手が空振りした。


 「くぉらぁ! 貴様、入学式にも出なかっただろう!」


 そこに入ってきたのは、細身で長身の男だった。短く切り揃えられた髪と耳に掛かった眼鏡。典型的なガリ勉らしき姿の男が、保健室に向かって怒号を当てていた。


 「えっと、多分あなたの探してる人は居ないと思います。」


 「む、そうか。驚かせてすまんな、少年。」


 「はぁ」


 澪に次いで、変人が増えた。高校選択から間違えたのではないかと本格的に不安が増してくる。


 「少年、一年生だな。入学おめでとう。して、具合でも悪いのか? 一年生はとうに帰ったと思われるが。」


 「あ、いえ。ちょっと変なのに絡まれまして。」


 「そうか、状況は察しよう。どこにいるか解るか、少年?」


 「あー、んっと、澪先輩はとっくに帰りました。」


 「帰りよったか、ならば仕方あるまい。」


 「──いや、やっぱ今さっき窓から出て行きました。」


 「何!? 本当か! 情報感謝するぞ、少年!」


 そう言うと開けっ放しの窓から飛び出して、「待て」という叫び声が遠くまで響いていた。これがドップラー効果だろうか。


 「なんて馬鹿考えてる場合じゃねぇな。さっさと帰ろう。」


 既に放課してかなりの時間が経っている。急ぎ足で靴を履き替え、帰り道を駆けていく。


 「オカ研、か──」


 その間、どうしても澪の顔が頭から離れなかった。






 ─────






 入学式から一日経ち、いよいよ本格的に高校生活が始まる。とは言えすぐに授業が始まる事は無く、最初の一時間は教科毎の担任の自己紹介程度で終わるものだ。代わるがわる教室に入ってくる教員の経歴や好物を聞いている内に、あっという間に時計は昼時を指していた。四限の終わりのチャイムが鳴り、午前の授業が全て終わった事を知らせている。


 「あ、授業終わったな。んじゃあ、明日からはちゃんとした授業するから教科書忘れないようにー。」


 気の抜けた声で、気の抜けた教師が教室を去っていく。そうしてやっと、昼休みが始まるのだ。そうは言っても甦に遊ぶ友人も居ない為、ただ昼食を取るだけの時間になるが。


 「なぁ、隣良いか?」


 そう思っていた甦の元に、一人の男が現れた。弁当らしき物を持って話し掛けてくる。


 「あぁ、良いけど。ていうか、元々席隣じゃん。」


 「一緒に食おうぜって意味だよ。お喋りしようや。」


 ずりずりと机を引きずり、甦の机に寄せる。それが終わると椅子の位置を調整して、弁当の包を解いていく。


 「んと、確か……ハルっつったか。」


 「そ、天崎(あまざき)(はる)。晴れって書いて晴な。」


 晴、という名に見合った明るい顔で話す。弁当を開けて卵焼きを箸で割るのを見ながら、甦はコンビニで買ったパンを咥えていた。


 「まさか、君みたいな有名人と同じクラスになれるとは思って無くてさ。甦って呼んで良いか?」


 「自由に呼んでくれて構わねぇよ。」


 「じゃ、遠慮無く。甦って、好きな人とかいるの?」


 「ごぶ」


 全くの想定外からの質問に、パンの中のクリームが逆流する程の勢いで吹き出す。


 「初対面でそれか……距離の詰め方、どうなってんだ。」


 「手頃な話題とかないし、とりま恋バナかなって。」


 かなり支離滅裂である。特に偏差値の低い高校に入ったつもりは無いが、まさか真っ当な人間は居ないのだろうか。


 「で、どうなのよ。あちこち飛び回ってるんだから出会いとかも多いんじゃないの?」


 「基本日帰りだし、大体患者に会って終わりだからな。」


 「病気がちで寝たきりの子と、病床で一夜限りの──」


 「儚くも切ない関係も無いからな?」


 そう答えると、何故か不満げな顔で返される。その顔をこちらに向けたまま、冷凍食品筆頭たる小さなグラタンを箸で器用に掬い上げて口に運んでいる。


 「いや、そんな顔で見られても何も無いんだけど。」


 「本当に? じゃあ面白かった人とか、変なヤツとかは?」


 「面白かった人、ねぇ……」


 そう聞かれれば、甦にもエピソードトークが無い事もない。一応これまで沢山の人々と関わってきた身だ。当然、様々な人間と出会ってきたのだが、それよりも先に引っ掛かる人がいた。


 「昨日、保健室で変人と会ったぞ。今から行ってみたらどうだ?」


 「いや、この学校じゃなくてもうちょい甦の経験トークが欲しかったりするんだけど……」


 そうは言うが、現にこれまで出会った狂人の中でも上位に値する。甦の目でしてそう評される人物、それが──


 「てゆーか、もしかしてその人、平阪澪って名前だったりする?」


 「名字は初耳だけど。なんだ、有名なのか。」


 「ああ、中学の時から俺と仲良いセンパイがこの高校にいるんだけど、その人曰く『保健室の七不思議』って呼ばれる生徒が引き籠もってるって。」


 「あと六人もいんのか……あれと同格が?」


 「いや、一人で七つの奇行を為し遂げたって。」


 「うわ」


 聞けば聞く程に想像を凌駕した言葉が放たれ、みるみると印象がガタ落ちしていく。面倒なタイプの人に絡まれたと頭を抱える横で、晴は冷めきったご飯を飲み込んでいた。


 「で、どうだったの? 成績と見て呉れだけは最上級って言われてるけど。」


 「あれで頭良いとか、逆にタチ悪ぃな。見た目は、言われてみりゃあ良い気もする……かな。それ以外に相殺されてて何にもわかんなかったけど。」


 「授業もロクに受けずに成績トップ、ある意味七不思議最大の謎ってね。」


 「授業は受けとけよ……」


 甦の中での澪の人間像が、最悪に近い所まで来ている。噂は尾を伸ばして誇張されてゆくものとは言うが、しかし実物を見てしまうとそうとも言い切れなくなってきた。


 「んで、面倒な先輩に絡まれた上にオカ研に勧誘されている俺。もう嫌な予感しかしないじゃん。」


 「勧誘?」


 「俺にオカ研に入れって。というより勿論入るよねって感じだったけど。」


 「へぇ。目ぇ付けられてるのか。」


 「怖い言い方しないでくれよ……」


 そう逃避しようとも、事実は事実。厄介な人間に出会ってしまった現実は既に出来上がっているのだ。それを変える事など不可能なのである。そうでなくとも、甦がこの学校に入学を決めた時点で今の状況は必然だったのかも知れない。


 「澪──平阪澪か。」


 その名前を、口の中だけで反芻する。顔を思い浮かべ、奇行に走る姿を想像し、昨日の素行と照らし合わせる。──どう考えても、関わってはいけない類の人間にしかならない。

 やはり関わらない方が良い。今後なるべく会わない様にしようと思う。


 「俺、ちょっとその人に会ってみたいな。」


 「───え」


 しかし、その甦の決意とは対称に、晴は興味津々な様子だった。






 ─────






 「今日は、お友達も一緒に来てくれたのか。ようこそ、歓迎するよ。……本当は、二人きりで話すつもりだったけど。」


 放課後、一日の授業も終わり帰ろうという所を晴に止められ、保健室まで連れて来られたと思えば扉の前で仁王立ちの変人がいた。しかも文末にぼそりと添えられた言葉がまた悪寒を引き立てている。


 「やはりワタシの目に狂いは無かった。キミは絶対に来てくれると確信していたよ。」


 十分に狂った目を自慢しつつ、アテにもならない確信を披露しながら甦と晴を保健室に招き入れる。すぐにでも帰りたいところだが、晴が「どうもどうも」と入っていくお陰で甦も入らざるを得ない空気感である。


 「……でも、俺は用事あるんで。もう帰りますよ。」


 「そうか。話したい事は山程あるのだが、仕方ないな。」


 もし時間があったとして、何をそこまで話そうというのだろうか。しかし一度始めてしまえば何時間でも語り出しそうでもある。

 だが面倒にも絡まれる事を想像していた甦としては、意外にもあっさりと開放された感はある。幸運といえばそれまでだが、案外澪は話の通じる人間なのかも知れない。


 「あれ、帰っちゃうのか。ちょっとくらいゆっくりしても良いんじゃない?」


 「悪いけどやる事あんだよ。かの有名な七不思議と二人で喋っててくれ。」


 この変人と二人、なんて想像するだけでも気が病みそうだが、晴も大概狂っている節がある。それなりに話は弾むだろう。きっと。


 「じゃあな、また明日。」


 「ちぇ、つまんないの。」


 物足りなさそうな顔を向けてくる晴を置いて、急ぎ足で保健室を後にする。一度話に入ろうとしてしまえば、この二人から逃げられるかも解らない。話し出したら終わらなそうな二人組だ。


 「──ふむ。行ってしまったか。」


 「──ですね。」


 遠目に、靴を履き替えた甦が出ていくのが見えた。取り残された二人は呆然としてその光景を眺めていたが、ふと冷静になってみると妙に気まずい状況になっている。


 「えと──」


 「ヨミ君のお友達には悪いが、今日はお開きにさせてもらう。」


 「あれ?」


 さてこれからどうしようかと思った矢先、澪からそう告げられる。


 「キミも聞いただろう? 彼は用事と言ったんだ。放課後に彼が用事なんて、行く先は一つじゃないか。」


 「──まさか。」


 「ああ、ヨミ君は誰かの治療に向かっているに違いない。ならば、ワタシとしてはそこへ行くしかないだろう。」


 要するに、甦の治療している風景を見学しに行ってやろうという事である。甦の治療は特別秘匿にしている訳ではないが、その瞬間を実際に見る機会はそう無い。つまり今がそのチャンスであるのだ。


 「あの、ちょっと良いすか?」


 「何だい? ワタシはなるべく急ぎたいのだ。手短に頼むよ。」


 「それ、自分も着いて行っちゃダメっすかね?」


 「───ほう」


 今にも飛び出して行きそうだった澪だが、晴の言葉を聞いて立ち止まった。少し驚いた様な表情をし、晴を正面に向き直る。


 「キミ、名前は?」


 「晴っす。晴れって書いて晴。」


 「成程、ハル君か。キミも、我らがオカルト研究会に──」


 「や、大丈夫です。部活決まってるんで。」


 「……そうか。」


 言い切られるよりも早く、食い気味に言い切る。あくまで晴の興味があるのは『保健室の七不思議』であり、見るからに怪しい研究会ではない。


 「まぁ、良いだろう。キミも連れて行ってあげよう。」


 「あざーす。」


 「そうと決まれば急ごうか。彼を見失っては大変だ。」


 甦が出ていった玄関の方を見ながら、澪が言う。


 少し変わった三年生と一年生の二人組の、超常の青年への尾行が始まった。






 ─────






 「車に、乗りましたね。それも黒塗り。」


 「運転手は──サングラスでよく見えないが、三十過ぎの男といったところか。」


 「澪センパイ、視力2.0くらいあります?」


 一見すると、どこにでもある様な住宅街の一角。学校から少し離れたくらいの場所で、そこに全く見合わない車が停められていた。真っ黒に染められた車は高級を体現した程のものだが、それにつけて悪目立ちする訳でもない。それが更に高貴な雰囲気を増長させている。

 そんな車に、甦が乗り込んでいったのだ。


 「あれを追えば、甦の仕事先が割れるって訳だ。」


 「出発するよ、乗りたまえ。」


 そう言って澪が手を掛けたのは、パステルな紫を基調とした原付き自転車だ。学校の駐輪場で異彩を放っていたものだったが、澪の所有物だったらしい。

 その全貌に呆気に取られていると、これまた何ともなヘルメットが手渡された。


 「尾行にはどう考えても合わないカラーリングですね。」


 「尾行とは人聞きが悪いな。ワタシは隠密に調査をしているだけだ。」


 「隠密にはどう考えても合わないカラーリングですね。」


 どうやらお気に召さなかったらしいので言い直したが、あまり変わっていない気もする。ともあれここで無駄話をしていたら黒塗りの車が出発しかねない。いつでも追える様に原付きに乗り込んだ。


 「一応聞きたいんすけど、二人乗りの経験は?」


 「無いね。まあ、大丈夫だろう。」


 「そっかぁ」


 そんな話をしていると、黒塗りの車からエンジン音が鳴り出した。早速出発するらしい。


 「そろそろ出るみたいですね。」


 「行くよ。しっかり掴まりたまえ。」


 甦の乗った車が動き出し、その少し後で澪と晴が付いて行く。どこにでもある様な住宅街の一角、黒塗り外車と紫バイクが走っている。


 「……これ、甦にバレるかは置いといて、一般市民の注目を集めてないすか?」






 ─────






 「───」


 揺れる車内、広く採られた空間の後部座席で、ぼんやりと外を眺めていた。


 「───」


 特に何があるでも無いが、代わり映えのしない車内よりも、目まぐるしく変化する外界の景色を見ていた方がずっとマシだ。


 「───」


 それでも、外を見たから面白くて退屈しない、なんて筈も無く、すぐに飽きが来てしまう。


 「───」


 寝る、という気分でもない。仕方無く、鞄を開けて携帯を探そうとした。


 「──昨日、入学式だったそうだな。」


 ふと、運転席の方からくぐもった声が響く。低く重たい声音だが、聞き取り難くもない男の声だ。


 「どうだ、高校は。友達とか出来たのか?」


 運転手は続ける。実に他愛の無い、よくある切り口だ。


 「別に、どうもこうも無いですよ。」


 「──そうか。ま、そんなもんだよな。」


 そんな質問に、よくある返し口で応える。相手もそれを予想していたらしく、驚くも悲しむも無い様子だった。


 「親父面って訳じゃねぇが、俺はあんたを心配してんだぜ? 高校生活、ちゃんとやってけるかってな。」


 「放課後にやる事がなきゃ、部活でもやってたかも知れませんね。」


 「はは、こりゃ耳が痛い。」


 口を開けて笑いこそするが、その笑声は乾いた音をしていた。皮肉めいた言葉にもあっけからんとした態度で応じる。


 「こうやってあんたを乗せて走るのも、何年になるかねぇ。」


 「小学校の後の方からだから、5年はやってるんじゃないですか。」


 「そらまた、なげぇことやってたもんだ。」


 そう言った時だけ、少し微笑んだような気がした。見えていたのは運転する背中だけだったが、そう感じられたのだ。それが何を思ったからか、そこまでは読み取れなかったが。


 「──そろそろだ。降りる準備しとけよ。」


 「ん」


 短くそう応え、いつでも降りられる様に準備をする。と言っても、持ち物は学校帰りのままの鞄だけで、特にする事も無く到着を待った。


 それから五分もすると、大きな病院が見えてきた。ここらでは最も広い病院であり、度々この場所を訪れた事がある。

 慣れた手付きで駐車場を走り抜け、裏口近くに車を停車させる。そこには病院の職員らしき、白に身を包んだ男が立っていた。車から降りて、その男の元に向かう。


 「やあ、待ってたよ。今日もよろしくね。」


 「どうも。早速行きましょう。」


 その男と少しの挨拶を交わし、早々に病院の中に入っていく。その様を、車の中から静かに見守っていた。掛けていたサングラスを少し持ち上げ、去っていった青年の背中を見送る。


 「どうもこうも無ぇ、ってか──」


 窓を開き、胸のポケットに入ったライターを取り出して、さっと口に差した煙草に火を付ける。一息、煙を吸い込んでから窓の外に向けて吐き出し、景色を見渡した。

 何度も飽きる程見た植木や花ばかりが目に付くが、今日はそれ以外にも見えるものがあった。


 「俺にあれこれ言えねぇが──友達は選べよな、甦。」


 怪しげな二人組がひそひそと話している姿がある。ずっと、後ろを付けて来ていたバイクに乗っていた二人だ。恐らく甦を追って来たのだろう。勘付かれないようにか距離は開けていたが、ミラーに度々映り込んでいた。


 その二人組は、何をしているかと言うと──



 「よし、あそこに入って行ったね。追おう。」


 「めっちゃ関係者以外立入禁止って雰囲気。」


 こそこそと歩きながら、裏口に近付いていく。車の運転席からは丸見えなのだが、一応はこっそりと潜入するつもりらしい。


 「今更なんですけど、これ入って大丈夫なんすか? 入学早々問題行動で特別指導とか御免ですよ。」


 「安心したまえ。先生からは、逃げ切れる。」


 「自分まだそこまで振り切れてないんですけど。」


 ふ、と頬を歪めて言う。澪にとっては先生などそんなものなのだろうが、晴にとっては大問題だ。一応、高校に入るのにそれなりの勉強はした身であり、それを二日目にして捨てるつもりはさらさら無い。


 「怖気付いたのなら、ここで待っていたまえ。ワタシは一人でも行くよ。」


 「じゃあ、待ってますね。」


 「……まさか、本当にそう返す人がいるとは。」


 ここが漫画かアニメかの世界で、これから一世一大の大戦に向かうというのであれば違ったかもしれないが、ここはリアルの現代日本だ。


 「仕方ないね。じゃあ、ワタシは行ってくるよ。」


 「あ──」


 「ん? どうした、呆けた顔をして。」


 澪が一人で潜入しようとした所で、晴が声を上げる。何かマズいものでも見たのかと、澪が振り返り──


 「何処に、行かれるというんですか?」


 白い服を纏う、長身の男だ。そして、その男が出てきたのは、今まさに進まんとする裏口の奥だ。それ則ち、病院の従業員。


 「こちらは、関係者以外の立ち入りを禁止させて頂いております。」


 「何故、ワタシ達が──」


 「監視カメラに、見知らぬ方がいらしたもので。」


 「「あ」」


 扉の上の方を見ると、これみよがしに目を光らせるカメラがこちらを向いていた。


 「何か、お困りでしたでしょうか。」


 「忍び込もうとしたの、完全にバレてますよ。どうするんです。」


 「──退くよ。」


 「え、ちょ」


 身体を捻らせ、ターンと共に爆速のロケットスタートを決める。長い脚と柔軟な身体を最大に利用した走りは、運動部に三年間所属していた晴ですら追い付けない程だった。


 「おい、待ちなさい!」


 男が叫んでいたが、そんなものは聞かぬと駐車場を走り抜ける。そのまま百メートル程離れた所にある木陰に隠れ、澪が顔だけ覗かせながら警戒する。幸い、男に追ってくる素振りは見えなかった。


 「あの男、もう戻って行った様だな。」


 「は、はぁ。速すぎじゃあありません?」


 膝に手を付いて息切れする晴を余所に、澪が目を光らせる。気付けばその木陰は黒塗りの車の目前で、裏口と木の間に隔たるように駐車していた。


 「で、どうするんです。監視カメラもあるし、二回見つかるのは流石に──もがっ」


 晴が澪を諭そうと口を開くが、その口は澪の手もよって強引に塞がれる。──と同時に、車の運転席側の扉が、音を立てて開いた。辛うじて二人は補助席側の、更に木を挟んだ場所にいたため見付かった様子はなく、存在は勘付かれていないらしい。


 「ぷは、窒息しますよ。それより、早く離れた方が……」


 「いや、離れない。──電話だ。」


 「電話──?」


 澪に指されて男の方を見ると、良く見えないが確かに携帯を片手に持っている。咥えていたタバコを左手に持たせ、サングラスを掛け直しながら携帯を耳に当て始めた。澪が晴の口を塞いだタイミングからして、車内の通知音を聞き付けたらしい。


 「もう一件、ですか。うい、すぐ連れて行きます。火事で、なるはや、了解です。」


 ほんの十秒程、気怠げな重い声で返答してすぐに電話を切る。携帯を着ているスーツのポケットに仕舞うと、獣の様な欠伸をしながら身体を伸ばし、車に寄り掛かってからまた煙を吸い直した。


 「聞いたかい、今の。」


 「随分と雑な電話でしたね。」


 「そこじゃない、どうやら今日の仕事はまだあるらしいぞ。」


 声量を落としながらも、どことなく気が高ぶっている。既に行く気満々なのが見てとれた。


 「付いて行くんすか。」


 「当然だ。ここまで来て収穫無しで帰る訳にはいかないだろう。」


 「ま、そうだろうは思いました。」


 「キミは、どうする。」


 「行きますよ、歩いて帰れる気がしないんで。」


 「それもそうか。なら、まずはヨミ君が戻って来るのを待とう。」


 「──何勝手に付いてくつもりだ、ガキ共。」


 木の陰に隠れていた二人の背中に、低い声が掛かった。はっと振り返ると、両手をポケットに詰め込んだ猫背の男がいる。さっきまでタバコを吸っていた筈の運転手だ。


 「いつの間に、後ろに──」


 「いつの間にじゃねぇ、お前らの警戒心が足りねぇだけだろ。んな事ぁどうでも良い。」


 後ろ頭をガリガリと掻きながら、溜め息混じりに喋る。だらけた様な姿勢だが、不思議と相対する人を動かさせない様な威圧感があった。


 「お前ら何がしたい。興味本位とかってんなら、とっとと帰れ。」


 「う……な、何故だ、ワタシは邪魔をするつもりで来たんじゃない。」


 「そのつもりならとっくに110番だ。つか、常識的に考えろや、常識的に。こっちはお国の令で仕事してんだ。遊びでコソコソくっついて来るモンじゃねぇ。」


 「遊びとは、心外だ。ワタシは決して彼を娯楽に使うつもりはない。彼自身と、彼の担うべき世界の為に、ワタシはあの力を少しでも知りたいんだ。」


 「それも大人がもうやってる。お前もやりたきゃとっとと学校帰って勉強するこったな。狭い門だけどよ。」


 タバコの先から火を落としながら、呆れた物言いで言葉を並べる。それは大人の都合も現実も、全てを知った風な口振りで、それをそのまま高校生に叩き付ける様でもあった。


 「お前らと甦がどんな関係か知らんが、今あいつと会わしてやるつもりはねぇ。帰って来る前にさっさとどっか行っちまえ。」


 「……行くよ、ハル君。」


 「え……センパイ?」


 男が言った通りに、澪が停めていたバイクの方へと歩き出す。またもいきなりの方向転換に、慌てて晴も後ろに付いた。


 「どしたんすか、そんな素直に帰るなんて……」


 「し──。まずは彼から離れる。次の行動はそれからだ。」


 「───」


 怪しまれない様に自然と歩きながら小声で言う。やはり未だに諦める気は無いらしい。


 「行こうか。」


 ヘルメットを被り、バイクに乗る。

 そのまま病院の駐車場を抜けたバイクは、来た時とは逆方向へと曲がって行った。






 ─────






 「おう、終わったか。お疲れのとこ悪ぃが、もう一仕事。火急だ。」


 「……そうですか。」


 病院を出た甦を迎えたのは、煙臭い男だ。といっても随分と昔から嗅ぎ慣れた臭いで、寧ろその変わらなさが安心する程だった。


 「そんな遠くじゃねぇよ。ま、上も助けられる制限時間くらいは分かるってこった。急ぐぜ。」


 急かされて車に乗り込むと、すぐさま駐車場を抜ける。気持ちアクセル踏み込み気味の運転が、事の早急さを物語っていた。


 車の速度に乗せて、外に見える景色も余計に速く移り変わっていく。相変わらず退屈で、つまらない景色だが。

 時刻は五時を過ぎて、六時に近付いていた。家に着くのは七時くらいになるだろうか。その頃には外も暗くなっているだろう。


 しかし、そんな想像は、より酷い物となって現実に訪れる。


 「クソ、渋滞か。こっちは急いでんだっての……」


 運転席で、忌々し気に唸る。その言葉の通り、後にも先にも車ばかりが外の風景を埋め尽くしていた。

 運転手が携帯を取り出し、電話を掛け始めた。詳しくは知らないが、甦の行く先を指示する上層部の人間、という事だけは理解している。


 「もしもし、あとどんだけ持ちそうですか。こっちは渋滞引っ掛かって思ったよりマズい感じです。──そっすか、出来るだけ、急ぎます。」


 電話を切り、手をハンドルに戻す。急ぐと言った所で、結局は渋滞を抜けない事にはどうしようもなかった。


 「あー、クソ。間に合わねぇ。」


 今この車がいる場所は、橋の上だ。長い川の上で、数少ない橋の一つ。対岸へ渡るには交通が集まり易い所だった。

 少し進んでは、止まる。遠く離れたどこかの信号が切り替わるタイミングで、少しずつだけ車が動いていた。


 「どうする、甦。歩いて行った方が早いかも知んねぇぜ。」


 「歩いてって、それでもどんだけ掛かるんですか。」


 確かに、この感じなら車を降りて行った方が早いだろう。しかし甦にはわざわざ間に合うかも解らない他人の為に歩くつもりもなかった。


 停滞した時間が続く。見違えのしない景色に、風を感じない道。酷くつまらない時間だ。


 これならいっそ、歩いて帰ってしまおうか──



 コン、と音がした。それは、すぐ左の窓からだ。


 コンコン、と音がした。それは、軽快なノック音だった。


 何だ、と顔を音の鳴る方へと向ける。そこには、見覚えのある顔が立っていた。


 「──晴!? 何で、ここに──」


 「そんなの後で良いだろ。それより、早く行かなきゃだろ?」


 「はぁ──?」


 「おい、待てガキ。何のつもりだ。そもそも、帰ったんじゃ──!」


 運転手の言葉を無視して、甦の座る後部座席のドアを大きく開く。そうしてから甦の腕を引っ張り、外の世界へと連れ出した。


 「お前、勝手な事してんじゃねぇ。こいつを連れてくのは俺の仕事だ。」


 「人の命と引き換えにでも、自分が責務を全うしたとでも言いたいんですか。だとしたら──本末転倒だ。」


 そう良いながら、晴は持っていたヘルメットを甦に被せる。


 「行ってこいよ、甦。世界がお前を待ってるんだ。」


 力強く、甦の背中を押し飛ばす。よろけて数歩進んだ先の歩道で、何をするのかと抗議しようと顔を上げる。しかし、その視界には如何にも趣味の悪そうなバイクが見えて言葉を飲んでしまった。そして何より、それに乗っていた人物が、甦の思考を硬直させる。



 「行こう──誰一人だって、死なせない為に。」



 「───」


 息が詰まる感覚がして、咄嗟に声が出なかった。ただ、その時に舌が回ったとしても、きっと何も言わなかっただろう。不思議と、導かれるままにバイクに股を掛ける。そこに一つの疑問も抱かず、ただそれこそが正しいと感じていた。


 「澪センパイ!」


 晴が、声を高々に上げる。その声に目を向けると、右手を突き上げて見送る様子が見えた。その激励に、澪もまたサムズアップを掲げて返す。


 「さぁ、飛ばすよ──しっかり掴まりたまえ!」


 歩道か車道かも解らない様な道らしき道を、爆音と共に駆ける。その姿は、あっという間に見えなくなっていた。






 ─────






 「で、何でお前はこの車に乗ってんだ?」


 「ここから高校生一人を歩いて帰らせようってんですか? 冗談じゃないですよ。」


 「お前が勝手に来たんだろうが。俺に責任はねぇ。」


 全く動く気配のない車の、高校生の乗った車内で堂々とタバコを吸い始める。晴にとっては慣れない煙臭さに息を止めながら窓を全開にした。


 「──で、質問の続きだ。何でここにいる。」


 「それに関しちゃ自分も驚きですよ。なんかスマホ出したと思ったらあの人、ここらの火事で検索かけ始めて。場所見て絶対この橋を通るとか言い出したかと思えば、案外当たるもんですね。」


 「はっ、抜け目のねぇ。」


 ハンドルに体重を預けながら、煙を吹き出して微かに笑う。片頬を上げる笑い方が、誰かに似ている様な気がした。


 「で、結局お前らは何がしたいんだ。あいつに付いてって、何の得がある。」


 「センパイの考えはもう誰にも読めませんけど、でもきっと自分と大して変わらないと思いますよ。」


 なんと言っても『保健室の七不思議』の名を欲しいままにしている人間だ。欲しいのかは知らないが。


 「甦を、知りたいんですよ。あの人と自分は、多分重さが違うだけ。やりたい事は一緒だと思います。」


 「知りたい、ねぇ。」


 「ま、友達のお節介程度の思いじゃ、到底センパイには届きませんよ。」


 「お節介──そうか。」


 運転手が、目元を隠していたサングラスを外す。日の入り前の時間帯で、赤く燃える太陽が低く輝いていた。その明るさに目を細めるが、晴にはもっと、目の前の事に蔽目している様に見えた。


 「お節介、焼いてくれる奴がいるんだな。吃驚だ。」


 「甦を見くびり過ぎですよ。もっとずっと、普通の高校生です。」


 「そうかもな。子離れ出来ねぇ親父ってのは、こんな感じかね。女々しくなったもんだ。」


 晴が、くすと笑うと、つられて運転手も噴き出す。煙を含んだその微笑に、また晴が笑い出す。


 夕陽の前に、ちっとも動かない車の中で、くすくすと静かに笑い声が木霊していた。






 ─────






 「で、何でここにいるんですか?」


 橋の上で晴に投げ掛けられた質問、それはほぼ同刻に、走るバイクの上でも聞かれていた。


 「何故、か。キミの為、牽いてはオカ研の為とでも言っておこうか。」


 「何で俺の為が、オカ研の為に昇華するんですかね。」


 冷静になってみれば、軽口を叩く余裕も出てくる。そうなって考えると今さっきの一連の流れは意味の分からない事だらけだ。でも、何故だかそれが今の甦には楽しかった。


 「見たまえ、あそこに黒い煙が上がっている。目的地はあそこだ。」


 「ありゃまた、派手に燃えてますね。」


 遠くの方で、そこらのビルより高く煙が昇っているのが見える。もう春先だというのに、かなりの大規模らしい。


 「これは忙しくなりそうだね、ヨミ君。」


 「何で楽しそうなんですか、先輩。」


 「んー? そう見えるかい?」


 「後ろに乗ってるんで、顔は見えませんけどね。」


 道だったり、道じゃなかったりを爆走しながら、バイクは煙の元へと近付いていく。その景色はやけに鮮やかで、風がとても心地良かった。


 「キミは──中々悪い顔で笑うものだね。」


 「なんすか、悪い顔って。後ろに目でも付いてるんですか。」


 そう聞くと、澪が左手でトントンとミラーを指す。それにつられてそちらを見ると、ウィンクを決める澪と目が合った。


 「ワタシはキミのその表情、嫌いじゃないよ。それがキミの、ヨミ君の表情なんだろうから。」


 ミラーの奥で、今度は自分と目が合う。その顔は歪で、右頬だけが微かに上がった様な笑みを浮かべていた。確かに、誰が見ても悪人面だ。

 だが、不思議と嫌ではなかった。何度も見てきた顔な気がして、何故だか大切なものに感じるのだ。


 「道路も空いてきた、全速力で行くよ。」


 「うぉ、ちょ──!」


 アクセルを惜しみ無く踏み、速度が一気に倍増する。警察にでも見付かれば免停物だろうが、何よりもその瞬間の鼓動の高鳴りがあらゆるしがらみを忘れさせていた。






 ─────






 現場に着いた後はあっという間だった。


 何人もの消防士が消火をしつつ救助を行い、運ばれて来た人達を甦が治療する。大きな火事という事もあり野次馬も多くいたが、皆触れているだけで火傷の痕が消えていく様に舌を巻いていた。

 ──ただし、最も近くにいた野次馬が、一番騒がしかった。


 「ヨミ君! これはキミの手にはどういう感覚なんだ!?」

 「触れた所を中心に、広がる様に治っていくのか。途中で手を離したらどういう風になるんだい?」

 「驚いた、煙を吸った人も回復していく。これは体内の煙が消えているのか、それとも煙を残したまま身体の機能を強引に動かしているのかな!?」


 「ちょっと、黙っててくれます!?」


 一応邪魔にならない一定の距離は保っているし、何よりここまで連れて来てくれたのは澪だ。それを無理矢理ひっぺがすのも気が引けるし、見てても良いと言ってしまったのは甦だった。


 「先輩が飛ばしてくれたお陰でギリ間に合った人もいるみたいですけど、にしたって疑問が多くないですか?」


 「いや、この目でこの奇跡を目の当たりにするのは始めてなんだ。どうして興奮せずにいられようか!」


 「そんな言い回し古文でしか聞かねぇ!」


 何かと騒いではいるが、ひとまず全員の治療は終わった。この状況で犠牲者が一人も出なかったのは奇跡だと言える。


 「ま、結果オーライってとこか……」


 「おや、やっと着いたみたいだね。」


 澪がそう言いながら振り返る。澪が向いた方向から、少しずつクラクションの音が近付いてきた。野次馬の集団を縫って現れたのは、真っ黒に塗られた車だ。


 「あの車は──」


 「おーい、甦ー!」


 「晴、まだ帰ってなかったのか?」


 駐車もそこそこに、助手席から晴が飛び出してくる。それを追う様に、運転手も走って甦の元へと来た。


 「その感じだと、間に合ったみたいだな。」


 「はい。何とかギリギリで。」


 「そうか──お前、いや、嬢ちゃん。助かっちまった。」


 「礼には及ばないよ。何て事はない。」


 「いーや、あるさ。身元も知らない一般人に甦の身柄を預けて仕事放棄したなんて知れたら、俺は退職もんだ。ホント、やってくれたぜ。」


 「おっと……」


 片頬を上げながら自分の置かれている危機的状況の説明に、澪が苦笑いで応える。というか、そうするしかなかった。


 「だが、人の命のが大事だ。だろ?」


 「え、自分すか? 何か言いましたっけ。」


 「言ってたろ、俺を車から引っ張り出した時。」


 晴の発言に、運転手が今度は苦笑する。


 「──甦、良い友達がいんじゃねぇか。」


 「──え?」


 「大事にしろよな。」


 「───」


 澪と晴の顔を、交互に見る。その甦の視線に、二人は笑顔で返した。


 「友達、か──」


 「そ、俺ら友達。だろ?」


 「ああ、そうだな。」


 「これからも、仲良くやっていこうじゃないか。」


 「はい、そうですね。」


 「今のあんた、今までで一番、良い顔してるぜ、甦。」


 「ええ──良い、友達です。」


 三人で、笑みを交わし合う。きっとそれが、友達という事なのだろうと思ったから。




 ───春。


 春、出会いの季節。


 出会いは、幕開けの合図。


 幕開けはいつも、四月から。






 ─────






 「昨日のニュース、見たぜ!」

 「やっぱ、甦ってスゴいんだな。」

 「大火事で大変だったんでしょ? 火傷とかしなかった?」


 「あぁ、うん──どってことないさ。ヘーキヘーキ、はは。」


 翌日、朝学校に到着すると、この様だった。席に付くなり取り囲まれ、質問攻めに合う。こんな調子じゃ、隣の席の人もおちおち座れないだろう。隣の席が、晴でなければ。


 「なぁなぁ、今日も保健室行くだろ?」


 「あー、そうだな。昨日の事もあるし。」


 自分の席に座ったまま取り巻きをかい潜り、甦に話しかける晴。それに対し会話もままならない様な状況で何とかキャッチボールをする。


 そうこうしているとチャイムが鳴り、先生がやって来た為、一度全員が解散した。そのままの調子で七限までを終え、時間は放課後になっていた。






 ─────






 「てな訳で、昨日はどーも。」


 「いや、ワタシも良い経験だったよ。また近くで見せてくれたまえ。」


 「また……ねぇ。」


 その会話をしながら、澪はお茶を入れて茶菓子を用意している。とんとんと三人分置かれた湯呑からは湯気が立っていた。


 「昨日は楽しかったっすね。自分もまた行きたいです。」


 「ああ、キミは見所があるな。」


 「あの短時間で仲良くなるとか、コミュ力どうなってんだよ……」


 元々人付き合いの苦手な方である甦からしたら、この二人の関係は信じ難いものだった。


 「何を言う。ヨミ君もワタシ達の仲間だろう?」


 「そそ、俺達は仲間だ。」


 「仲間、か。そうだな。」


 三人で円になりながら、お茶を飲んで、笑い合う。こんな関係が、とても楽しいと感じていた。友達で、仲間で、きっとこれからの高校生活が楽しいものになるだろうと、そう思った。


 「んじゃ、仲間って事で。」


 「ああ、そうだね。」


 「──ん?」


 何やら、澪と晴が互いを見て頷き合う。何か嫌な予感がして口を開こうとするが、澪の方が僅かに早い。


 「そういう事だから、オカ研の入会届はワタシが出しておくよ。」


 「は、ちょっと──!?」


 「ちなみに、書き上がったものがこちらになります。」


 「晴てめぇ、勝手に何してやがる!?」


 「……っと、彼が来た。また適当に匿ってくれたまえ。」


 「ちょっと、逃げないでくれますか!?」


 澪が勢い良く窓から飛び出す。それとほぼ同時に、保健室の扉が開いた。


 「おい、平坂! 平坂澪! 火事現場で目撃情報が入っているぞ! 貴様、何をしていた!」


 一昨日も見た、澪を追っていた細身の眼鏡だ。靴の色を見た所、澪と同じ三年生だったらしい。


 「待、てぇぇぇ!」


 「なんか忙しいみたいだから、俺は甦の入会届出してくるよ。」


 「え、おい、待て──」


 各々が、窓やらドアやらから出ていった。気付けば一人になった保健室で、甦は深く溜め息を吐く。静かになった保健室で一人、虚しくお茶をすすって、独り言の様にぼやいた。


 「やっぱり、高校選びミスったかなぁ──」




 ──ある年、桜花芽吹くこの四月。


 ここから始まる、物語である。

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