八.相談
この話の登場人物
芦屋鏡子、神宮夕乃
鳥鳴篤輝……作家、霊感体質
ドルフィン山田……CGクリエイター、篤輝のキャラクター原案担当
ミキ、アカネ、アーヤ……メイド喫茶アルバイト店員
私はその足で鳥鳴邸に向かった。夕乃はしっかり家の電話番号を聞いていたのでかけてみる。
「あ、お母様ですか? わたくし今度からお世話になります菊の光社の神宮夕乃と申します。あ、ハイお世話になります。宜しくお願いいたします。あのところで、今日篤輝さんご在宅でしょうか? あ、秋葉原? ああ、そうでした。うっかり忘れてましたゴメンナサイ。ハイ、失礼いたしまーす」
鳥鳴邸に篤輝はいなかった。ドルフィン山田と秋葉原に行っているらしい。としたらあそこしかないな。この容姿で再び行くことになるとは。仕方がない当たって砕けろだ。
私は考え込んでいる夕乃を連れて、秋葉原のメイド喫茶へ向かった。
「「「お帰りなさいませ、お嬢様!」」」
女性の場合は呼び方が変わるらしい。
(おお、ここが、メイド喫茶ですか)
「おや、夕乃はこういう場所は初めてかい?」
(なかなか一人ではこういう場所って入りづらくて)
確かに。若い子でも抵抗ある場所があることを知って、少し安心した。私の場合はまるっきりだったから今の子達との温度差が埋められず苦労した経験もあるし、また同じ事の繰り返しになることを恐れていた。
「そうだね。今度恋美も連れてくればいい」
(恋美、来るかなあ。ああ見えて家が厳しいから)
「なんだ、そうかい。まあ知らぬが仏ってことわざもあるし、いいんじゃないかね」
(ハイ、今度それとなく誘ってみます)
恋美は本当にお嬢様のような容姿だから、こんな場所に来たら逆に目立ってしまうかもしれないと思った。
「あ、いたいた。おい篤輝!」
「げ、双子。ということは婆か。こんな場所に何しに来た」
私が声をかけると、夕乃の事を見つけて眉間に皺を寄せ、露骨な嫌悪感を示してくる。
「ああ、神宮氏。この前ぶりでござりますな。ささ、どうぞこちらへ」
「おお、すまんな」
ドルフィン山田は紳士的に今座っていた席を立って、隣の椅子を引いた。ここら辺の心遣いがあれば篤輝もモテそうな気がするんだが。
「おい、何でこっちに来るんだ。あっちの席、空いてるだろ」
篤輝は相変わらず無愛想で口うるさい奴だった。少しはドルフィン山田を見習ってほしいものだと思った。
「まあまあ鳥鳴氏、ここはお仲間同士、仲良くいきましょうぞ。シッシッシ」
「あれー、ご主人様とお知り合いでしたかー。ミキ感激ですう―」
「はあ」
相変わらずミキはぶりっ子を演技している。なぜ演技かって? それは前回、本性を垣間見た出来事に遭遇したからだ。私は、はじめましてを装って引きつり笑いを返した。すると他のメイド達が集まってきて、自己紹介してくる。一見さんの時は毎回やっているのか。
「ミキです」
「アーヤです」
「アカネです」
「あれ、もう一人居なかったかい?」
確かノリカと言うちょっと年上のメイドがいたはずだが、今日は店内にはいないようだ。するとメイド達は驚き、手足をバタつかせてオーバーリアクションを返す。
「はじめてなのに何で知ってるんですかー。もしかしてエスパー」
「エスパー凄い、可愛い」
「キャー」
三人は異様なくらいはしゃぎ回っている。他のメイドは……その事には触れないらしい。しかしエスパーって可愛いのか?
「いや、何となくだよ、何となく。違ったかな」
私は頭を掻いて照れ笑いを浮かべる。その様子に篤輝は舌打ちすると、コーヒーを啜った。ドルフィン山田はメイド達のはしゃぐ姿を心のカメラで激写していた。瞬きする回数が異常に多いことから、私の勝手な想像である。
「確かに、ノリカってお姉様が居たんですけど、最近辞めてしまいまして。新しい夢を見つけたって、すっごくうれしそうでしたけど」
アカネが解説してくれた。自分の道を見つけたことはいいことだ。年齢制限はないだろうが、あまり長くは務められそうもないと感じた。ミキは一瞬本性を現したが、プロ根性でメニューを片手に愛想を振り撒く。
「ご注文はいかがなさいますか? 本日のおすす……」
「コーヒーで」
「本日のお……」
「コーヒーだけでいいから。あ、ミルクと砂糖多めで頼むよ」
片手でメニューを隠すようにして、ミキが言い終わる前にビシッときっぱり言ってやった。最初の客だと甘く見て貰っちゃ困るよお嬢ちゃん。ミキはプルプルと指を震わせ必死に自我と格闘している。仕事だ、これは仕事だ。そんな声が聞こえた気がした。
「かしこまりました、お嬢様! ただいま持って参ります」
そう言って騒がしいメイド達はすばやく散会した。
「今日は何しに来たんだよ」
篤輝はいらつきながらコーヒーを飲み干し、カップを乱暴に置いた。まるで場外乱闘しそうな勢いだ。
「後で話がある。家についていくから」
「ああ!?」
篤輝は体を乗り出して、殺気をまき散らしている。ドルフィン山田は慣れた手つきで篤輝の肩を押さえながらこともなげに会話してくる。
「ところで、今日はしずくも一緒じゃないのかい?」
「今日は大学の試験があるとかで、来ないでござります。大学生は何かと忙しいですからな、シッシッシ」
「へぇ、そうかい」
三月は春休みかと思ったが、違ったようだ。もしかして趣味に走りすぎて単位を落としそうとか。あの天然娘ならやりかねないと思った。
「お待たせいたしましたー」
明るい作り笑顔でミキが持ってきたコーヒーには、何故かキューピッドのラテアートが施してあった。ミルク入りだとこんなサービスがあるのか。
「ハイ、お嬢様もご一緒に! キュンキュン」
「キ、キュン……キュン」
ぐはっ! コーヒーでもこれをやらされるとは、不覚。ミキは最高の作り笑顔で自分の仕事を全うした。ドルフィン山田の瞬きがまた激しくなる。
「キャー、可愛い。お嬢様、とっても可愛いですー。今度ミキたちと一緒に働きませんか?」
「何? いや遠慮しとくよ」
「ござるござる、神宮氏もメイド服似合うでござります」
ミキが私の照れポーズを気に入ったのか、メイド喫茶で働けと言ってきた。そんなの無理だと断ろうとしたが、何故かドルフィン山田は鼻息荒く、お勧めしてくる。一体ここの住人はどういう神経しているんだか。振り返ると夕乃は顔を両手で隠して悶絶していた。ポーズをとる自分の姿がよっぽど恥ずかしかったようだ。私はその様子から今、顔が真っ赤になってるんだろうと推測した。
「いってらっしゃいませ、ご主人様、お嬢様!」
そう言うとミキはきびすを返して店内に戻っていった。このドライな感じがいつの間にか癖になり始めた。これは私もメイド喫茶の毒牙に染まってきた予兆だろうか。
ドルフィン山田と別れ、篤輝と私は家に帰った。その間は一切しゃべるきはないようだ。無言のまま帰宅する。母上と久しぶりの再会だったが、ここは初対面を装って部屋に上がらせてもらう。
想像以上に夕乃を気に入ったのか母上は、ケーキや紅茶など最高のおもてなしで迎えてくれた。その顔は前と変わらず気品があって美しい。夕乃も共感したのか母上の姿に見とれていた。
部屋は相変わらず本が散乱し、おおよそ人が生活する場所ではないと感じだが、二年近くこの部屋で鳥鳴篤輝として執筆していたことで、少し愛着がわいていた。部屋に入ったことで我が家に帰ってきたような錯覚を覚える。
「で、話って何?」
机に座りパソコンを開くとキーを叩きながらぶしつけに質問してくる。部屋に着くなりパソコンをいじり出すところが篤輝なのかと思った。
「まあ、ちょっと夕乃にも聞いて欲しいと思ってね。私に取り憑かれてどうだったのか」
丸大の言っていたことも一理あるが、正直自分ではもう判断できない。ここは体験者の意見を聞いて夕乃の判断に委ねようと考えたのだ。
(先生……)
「何? この前言っただろう、それが全てだ。俺の中では……まあ、ちょっとはいいこともあった気がする」
イベント会場で聞いた話からはちょっとトーンダウンしていた。まったく失敗だった訳でもなさそうだ。すると机の中から原稿用紙の束を取りだして、こちらに向けて放り出した。見ると小説の原稿、しかもこれは私が長命照記の書籍化作品“異世界転生したら魔王に幽閉されちゃったけど、最強スキルでちゃっかり奪取、魔王城で優雅に生活する美少女アールの日常”の続編としてプロットを書き上げたものだった。私が消えた後、鳥鳴篤輝は小説を書いていたのだ。
その場にあぐらをかいて早速読んでみる。フムフム。序盤はプロットの通りはじまって途中イベントを増やしたな。なるほど……ホー。それから……、そうくるか。まあいい具合だ。それで……。
私はその小説を無我夢中で読んだ。その間、篤輝は無言でキーを叩いている。時折私の反応を探るように、チラ見していたようだが、私は無視してその作品を最後まで読み切った。
読み終わった後、各エピソードを頭の中で反芻し、ストーリー、構成、登場人物の描写、盛り上がり、エンディングを評価する。半分は私のプロット通り書いたこともあって、文句を付ける箇所は少ない。新たに追加されたキャラクターの元はあの二人だと思う。それがプラスに働いているようだ。
「よくできてるじゃないか」
「まあな」
篤輝はそれを聞いて満更でもない顔をして、キーを叩き始めた。
(先生、私も読みたいです)
夕乃は自分の体に吸い込まれるように一体化すると、占有権は夕乃に渡った。私は夕乃の意識の中に身を隠す。篤輝にとってもこの方が話しやすいだろうと思ったからだ。
夕乃は真剣な眼差しで、初めて鳥鳴篤輝の作品を読む。まだ拙いところがあるが、表に出してもそれなりの評価はもらえると思った。
「なるほど。この前作の本は、お持ちですか?」
「その棚のどこかにあるはずだ」
篤輝は人形が置かれた棚を指差した。夕乃は本棚の中から同名小説を手に取ると、他にも鳥鳴篤輝の本を数冊取り出した。
「あ、この本は」
“巡る流星”を手に取り装丁を眺めると、その場にしゃがみこんで取り出した本を食い入るように読み始めた。
――何時間経っただろう、窓から差し込む日が赤く染まり、夕暮れを知らせている。途中、母上が緑茶を運んで来てくれたが、熱心に本を読む夕乃を優しい眼差しで見つめると、そっと煎茶碗を置いて静かに部屋を出た。
「ふう」
全ての本を読み終えた夕乃は一息つくと、お皿とティーカップが無くなり、替わりに煎茶碗が置いてあることに気がついた。はっとして篤輝に向かってお礼を述べる。
「いただきます」
そして冷めた緑茶を一気に喉を鳴らしながら飲み干すと「ぷはー」とまるでビールを飲んだように、満面の笑顔をみせると「ご馳走様でした」と言って丁寧にお盆にのせる。
「篤輝さん、この原稿はすごく良くなってます」
夕乃は原稿を持って立ち上がり、篤輝に向かって笑顔で伝えた。
「お前、それ失礼じゃないか」
「え? いや、どの本も素晴らしいですけど、この原稿が一番面白いと思います」
篤輝は自分の作品が、まるで今まで悪かったと言われたように感じたようだが、次の言葉“どの本も”つまり鳥鳴篤輝として書いた私の本よりも面白いと評価したのだ。それには篤輝も満足した様子で、いつものふてぶてしい笑いではなく、照れ笑いを浮かべた。
「まあ、そうだよな」
「あの、芦屋先生と一緒だったって聞きましたけど、どんな感じだったんですか?」
夕乃はその本から何かを感じ取ったのか、私が鳥鳴篤輝に憑依していた頃の話を催促した。篤輝はキーを叩くのを辞め、暫く顎を手で摩りながらそっぽを向いていると、静かに語り始めた。
「俺はあんたのように霊と会話したり、連れだって歩いたりすることはできない。憑依されると金縛りにあったように自由が奪われ、闇の中に幽閉されるんだ。状況はそこにスクリーンを置いたように映し出されて、それをただ鑑賞するだけだった」
彼はそんな環境だったのかと反省した。意思疎通を試みたが、反応が無く私に変わって天上界へ旅立ってしまったのかもなどと無責任な考えをしていたのだ。その気持ちを思い返すだけで胸が痛む。
「今までも何度か入られることはあった。その度に早く出て行けと思ったが、今回の婆は長かった。今までの奴と比べて現世への執着なのか、ただの能力馬鹿かいつまで経っても出て行く気配が無かった」
篤輝は年長者に対しての敬うという概念がない。それが篤輝たる所以なのか、もうちょっとなんとかならなかったのか母上と思ってしまう。
「しかし奴は作家だと言う。そして作品を作り続けた。それを俺はただ呆然と見ていたが、逆に見入っていたのかもしれない。こんな凄い作家のドキュメンタリー番組なんて初めてだったからな。その創作活動は勉強させられることも多かった。自分の足りない部分が露呈したって訳だ」
夕乃は頷きながら、真剣に話を聞いている。私もホンネの所が聞けた気がしてうれしかった。
「しかし別れは唐突にやってきた。婆が生前未完のままになった原稿を書き上げたときだ。俺の周囲がぼんやり明るくなり始めた。これは以前も経験していた自分が目覚める合図だ。そうとは知らず婆は秋葉原に出かけたり、散歩したり第二の人生を謳歌していた。俺は思った。もう時間がないんだ、早くそいつらと縁を切って未練が残らないよう精算しろと。しかし婆は何も終止符を打たず、俺と元担当編集者に手紙を残して旅立った」
私の中で起きたざわめきはやはり終末へのカウントダウンだった。本当にもう一度作家として大成したかったのか。改めて何かにチャレンジしたかったのか。それは今でもわからないが、結果的に手紙だけ残して去ることになった。
「あとは、何とか俺が埋め合わせをしながら、あいつらとも繋がったまま、今に至るって所さ」
篤輝はつまらなそうに話を終わらせた。それを聞いた夕乃は俯いて考えを巡らせている。それは自分なりの答えを導き出そうともがいているように感じた。
「篤輝さんは、成長しています」
「ん? まあそうかもな」
篤輝の態度は夕乃に対して優しかった。
「先生と会って良かったですか、悪かったですか?」
それは篤輝にとってなのか、夕乃にとってなのか。それを篤輝の言葉で探ろうとしているように感じた。
「それは……まだわからねぇな」
「でも、この原稿はきっと芦屋先生のドキュメンタリーを見た上での作品だから、作家としては成長してるんじゃないかと思います」
夕乃はあくまで私の功績としてみてくれたらしい。とてもいい子だ。
「まあ、そうとも言えるが……なんかお前、その、夕乃は霊とよく話をしてるのか?」
「え? ハイ、私は昔から会話できたので、家に遊びに来た友達みたいな感覚ですかね」
夕乃の中で霊は友達扱いのようだ。確か前にも読者の期待しどころがわからないとか嘆いていたが、それなら理解できる。
「おいおい、本当に大丈夫なのか? 怖い思いとかしたときは?」
「それはありましたけど……なんかやめてって言えば、やめてくれましたし」
「強えーな夕乃は。だから会話できるのかもな。あの婆でもかなわないってやつか」
「いいえ、そんなことは」
(調子に乗るんじゃないよ)
「アハハ。先生が怒ってますよ」
「ん? そうか? なんか見えないと全然聞こえねーな」
「そうなんですか」
篤輝はヘラヘラしながら余裕ぶっているが、そういう所がまだ甘ちゃんなんだよ。私はいいことを思いついた。
(へぇーそうかい。じゃあ篤輝のあんなことやこんなことを夕乃にだけバラしちゃおうかねゴニョゴニョ)
「え、何なに。篤輝さんの何か裏情報でも……キャー恥ずかしい」
夕乃は興味津々で、耳に手を当て聞き耳を立てるフリをする。その様子に篤輝は慌てふためき、手を左右に振って怒鳴りつける。
「お、おい婆、何言ってんだ。出てこいコラ」
(なんだい篤輝。その慌てようは)
私は夕乃から抜け出して、涼しい顔で篤輝を見下す。篤輝は興奮したのか顔を赤くして抗議の声を上げる。
「ば、婆! 夕乃に何をしゃべったんだ。裏情報なんて何もないだろうが! 夕乃、婆の言うことは嘘だ。全部嘘っぱちなんだ。だから真に受けるな!」
(そうかね。私は二年近くもこの家で暮らしたんだ。篤輝の裏情報なんて何でも手に入るよ)
「ちくしょー! 人権侵害で訴えてやる!」
(霊体に法律なんて効きゃしないよ。諦めな)
「このクソ婆!」
私が顔を出すといつも揉め事になる。夕乃は笑いながら二人のやり取りを聞いている。その表情はスッキリしていた。