58 彼女の残り3日
58 彼女の残り3日
チカイ零那:私が朝起きた時にはもうタスク君は隣にいなかった。
いつもよりも丁寧に整理された彼の服だけがあってそれを見た時、彼がどこか遠くに行ってしまったんじゃないかと感じた。
知らないうちに抱きかかえていたその服を置いて、すぐに着替えた私は洞窟から森に突っ込んだ。
早く早く早く。砂浜に行かなきゃいけない。きっともう2人の殺し合いは始まっている。
私はそれを見届けなきゃいけない。だってもしも彼が殺されそうになったら私は、彼を助けないといけないから。
約束を破ってでも彼を助けたい。そこまでしたくなる理由も、今こうして全力で走ってる理由も私は分かってる。
だって、前へ進もうとするあの人を見ているとなんだか安心するんだもの。そして私は、そんなあの人をずっと、すぐ後ろから見ていたい。
漆「ナイフの持ち方からなってねーんだっ! よ!」
あと少しで砂浜というところ。木々の隙間からあの女の声が聞こえた。間に合って良かったと安心した私の足は歩き出す。
ノリト「ナイフに持ち方もクソもあるか! 自分が一番楽な持ち方で良いんだ、よ!」
木の後ろから様子を伺うとナイフを手に持った2人だいた。2人ともそれを武器に戦っている。いいや、戦いというよりも──喧嘩をしてる。
こんな光景を見た普通の女なら〝きゃー恐い〟とか言って、顔を手で隠すんだろうね。
本当はそういう普通っぽいことはしたくなかったけど、やっぱり目の前の光景を手で隠したくなる。
流石に悲鳴はあげない。でもやっぱり叫ぼうかな。だって2人とも砂浜に着いた私に気がつかないんだもん。
彼ですら私に気がつかない。邪魔をしてはいけないからそれで良い気はするけど、なんか寂しいな。
でも、万が一の場合に私が不意打ちをする環境は整った。ギリギリまで木の後ろから見ていよう。
漆「そんなナイフの使い方じゃ私にかすり傷の1つも負わせられないよ? 素手でくれば〜?」
ノリト「お前はほんと、よく喋る奴だな!」
漆「それだけ余裕ってこと。分からない?」
素人の私から見ていても漆の動作には余裕があった。タスク君の単純なナイフだけを使った振り回す攻撃を、飛んで来た虫を避けるように彼女はかわし続けている。
そんな彼で遊ぶように彼女は手に持っているナイフを使わない。使わずに左手の拳で彼の腹を殴る。あまり強く殴ったように見えないけれど、彼はお腹を庇ってうずくまってしまう。
漆の動作はまさに蝶のように舞って蜂のように刺すそのもの。
ノリト「……そんなこと言ってお前本当は怖いんじゃないのか」
ノリト「人をナイフで切ることが怖くて出来ないんだろ?それともナイフを使って人を殺したことがないとか!」
そうやって挑発する彼はまるで中学生。それでも体はきちんとナイフを構えている。自分の間合いに獲物が入ってくるのを待っている。
けどそんな挑発を大人の態度で聞いていた漆は当然、彼の間合いに入らない。
彼女はただ歩いて彼に近づく。まるで死の恐怖を知らない不気味なオーラ。砂の上に足跡を丁寧につけて前進する。
漆「殺人鬼が必ずしもナイフを上手く使いこなせるとは限らない」
漆「そして、人を殺すことに慣れる事なんて無い。でも私は──」
彼女は彼の足元目掛けて頭から飛び込む。砂に手で着地した瞬間、倒立のように足を青空に伸ばして彼が握っていたナイフを蹴り飛ばした。私は察した。空高く上がったナイフが落ちてくるまでに彼は死ぬと。
当然怯んだ彼は仰け反ってそのまま背中から倒れる。漆はその隙に彼の上に馬乗りになり無防備の喉にナイフぴたりとを密着。そして最後に落ちてきたナイフを片手でキャッチ。
速すぎるその動きは完全にプロの動作。素人が敵うわけがない。
・・・でも、顔まであんなに近づけなくて良いのに。
近すぎるよもう! 何しているの? キスなんかしてたら2人とも殺すだけじゃ済まないんだから!
漆「でも私は、殺人鬼じゃない──私は暗殺者」
漆「ナイフの扱いにも殺すことにも慣れている。狂った殺人鬼とは違う」
ノリト「暗殺者?なんだよそれ……反則だろ」
漆「こんな役にも立たない能力くれてやるわよ」
私は漆のナイフをじっとこの目で見張った。もしもあの喉元のナイフが動いたら私が行く。私が彼女を殺す。
やっぱりこんな負け戦最初からやるべきじゃなかったんだ。そうよ!ずっと見ていないで、早いうちにあいつを殺しておけば良かった。
この目が瞬きをすることは許されない。けれど、すぐに瞬きが出来るようになった。だって漆がタスク君をあっさり解放したから。
漆「初日はこれくらいにしといてあげる。タマゴがくれた猶予まで後2日あるしね。それじゃあまた明日ね〜」
まだ砂浜の上で倒れている彼を置いて、漆は何事もなかったかのように歩いて森へと戻って行く。途中彼女は私の横を通り──
漆「殺気はもっと隠しな?あんた余裕なさすぎ」
私の首に一瞬冷気が触れた。声が喉で止まるほどヒンヤリとしたそれは、ナイフの峰。
振り返るとあの女の姿は森のどこかへ消えていた。




