1. 聖女 その1
初投稿です。頑張ります。
「……確かに、超巨大、ですね」
そう呟くと、美しい白金髪の少女は空を仰ぐようにして、空の代わりに視界を覆うその生き物を眺めた。
ブレイブランド王国。大陸唯一の国家。
その国土は、広大な大陸全土に対して大変慎ましやかだ。
大陸唯一でありながら、王国がそんな有様なのは、それ以外の土地が他の生き物の生息圏だからだ。
――魔物。
魔力を源泉とする生物。
その行動原理は、人類に敵対すること。
とにかくそう解釈しなければ説明のつかないその存在は、多種多様、様々な生態――時には高い知能や知性すら有する――に関わらず、一貫して交渉の余地無く、王国に――人類に襲いかかってきた。
人々は、魔法――魔物同様に魔力を源泉とし、様々な現象を行使し、操る力――を見出し、術式を組み上げ、『魔術』と名付けて魔物と戦うための武器とした。
そうして戦い、戦い、戦い続けて、ブレイブランド王国は生粋の軍事国家となった。
そんなブレイブランド王国内の国境にほど近い集落の一つに、ある一体の魔物が襲来した。
合成超巨獣。
竜級――生ける災害と呼ぶべき存在達――に属する、上位魔物。
合成獣と呼ばれる中型の魔物の、大型の亜種。
原種同様に、複数の獣を無理やり繋ぎ合わせ、重ね合わせたような歪な姿の怪物。
しかし、その大きさは大型の獣の域を出ない原種とは比較にもならない。
千を超え、万にもなろうかという数の獣がつなぎ合わされた姿は、獣とは程遠い蠢く肉塊の山。
その山は、高さにして複数階建ての建物に匹敵する。
王国の精鋭部隊が数百人規模で駆り出され、軍民合わせてその数倍に及ぶ被害を出し、事後処理では地方軍の半数が動くことになる。等級が示すとおりの厄災そのものである。
その厄災の山に、たった一人の少女が対峙している。
切り揃えた前髪を残して絹織物のようにさらりと流れる、輝くような白金髪。
少しだけ切れ長の、黄金色に輝く眼をこれでもかと際立たせるかのようなつぶらな瞳。
最高級の白磁を思わせる、透き通るような白い肌。
最低限の柔らかさだけが残る、繊細さを突き詰めた硝子細工を思わせる肢体。
派手さや華々しさや肉感といったものをギリギリまで削ぎ落として、その代わりに儚さや繊細さや気品を研ぎ澄ませたような顔立ちと体つきには可憐さと無機質さが同居し、人形に命を吹き込んだ、と聞かされても納得してしまいそうな人間離れした類の美貌。
目の前に迫る肉塊が今もなお醜悪な唸りを上げ、土砂のように押し寄せようとしているにも関わらず、超然とした少女の様子と相まって、その光景は奇妙ながらも美しい一枚の絵画のようだった。
その光景を無残に、無慈悲に、あるいは対峙しているという意識すら無いまま無関心に、肉塊が呑み込み、押し流そうとしたその時――。
大地が、大きく、深く、裂けるような重々しい轟きが響き渡った。
――肉塊が、停止した。
少女は――呑み込まれていなかった。
数拍前と同様に超然と佇み、しかして、その細枝のような右腕を何気ない風に前方に――巨大な肉塊に対して――突き出していた。
つまり、少女がその突き出した片腕によって、万倍でもきかない膨大な質量を、受け止めたように見える、そして事実としてそうである、という状況がそこにあった。
そのあまりのアンバランスさは『少女が山の如き怪物を事も無げに押し留めた』という見たままの事実を、非常に受け入れがたい光景にさせていた。
だが、その直後に繰り広げられたのは、更に受け入れがたい光景だった。
「えい」
少女の、その小さな、あまりにも場違いな掛け声――だと言われなければわからない平坦な声――は、誰の耳にも入らなかった。
――破裂音。大きな、大きな。
肉塊に、孔が空いていた。
大いなる災いをもたらす恐るべき肉の山に、馬車でも悠々と通り抜けられそうな大穴が、少女の眼前から突き抜けるように、一直線に穿たれていた。
――ちょうど、少女の手から何かが放たれた結果、そうなったのだ、というような形に。
竜級上位魔物、合成超巨獣は、ここに至り漸く、ほんの少し前まで気にも留めていなかった路傍の石ころが、目の前の小さな小さな存在が、自らを脅かしうる脅威――敵なのだ、と理解した。
既に手遅れとなったその認識に基づき、その巨体に秘められた異能――自らに穿たれた大穴をものともしない再生力だとか、合成された数多の生物に由来する無数の攻撃能力だとか――を発揮しようとして――、
「とう」
――少女が再び手から発した何か。それが生み出す衝撃波に巻き込まれ、大量の肉塊も、その分厚い肉で保護され攻撃など届かないはずの心臓部も、何の区別もなく一緒くたにもみくちゃにされ、弾き出され、引き裂かれ、圧し潰されて、跡形もなく消し飛ばされてしまった。
*****
――ブレイブランド王国東方司令部第四軍において千人長の地位にあるその男は、顔面において開けることが可能な部位を余すことなく開ききって、力の抜けた様子で立ち尽くしていた。
男には、少女と合成超巨獣の交戦とその結果を見届ける任務が課せられていた。
そして、その任務は、竜級の脅威が年端も行かない少女によって事も無げに吹っ飛ばされた事で、速やかに達成されたのだった。
その事実を未だに頭の中で噛み砕けず呆けているうちに、男の前には件の少女が立っていた。
男がその事態に気づき、上官の誰に相対する時よりも背筋を伸ばしながら、恐る恐る目線を下げて少女を窺えば、少女はその綺麗過ぎる眉を少し下げて何か困ったような様子で、目線を男とその背後とでちらちら行ったり来たりさせていた。
それに応じて男も自身の背後を窺うが、そこには特筆すべきものは何も無かった。
厳密に言えば、無くなっていた。
少女と怪物が対峙することになった、かつて集落のあった場所は、少女と怪物による戦いの余波――即ち少女の一方的な蹂躙の余波――によって、まっさらな更地に変わってしまっていた。
もっとも、小さな集落の数少ない住民達はとっくに避難を済ませており、怪物が本来ならもたらすはずだった被害を考えれば、無傷と言ってしまって良い程の些細な損害であった。
少女が何を言わんとしているのか汲み取れずにいると、今にも泣き出しそうな様子で口を開いた。
「やはり……弁償、でしょうか」
弁償。誰が、何に対して?
少しの間、少女の言葉の意味するところがわからず、沈黙が流れる。
「防衛任務失敗の責任と、被害者の皆様への補償は、わたしが負うべき……」
「――とんでもございません!」
答えに窮していれば、何かとんでもないことを口走りだした少女の言葉を慌てて否定し、首がもげそうなほど横に振った。
そして、被害はむしろ軽微なのだという説明と、任務は成功である事を伝えると、少女は「よかった…」と胸をなでおろし、そして「ありがとうございます」と言ってぺこりとお辞儀をしたかと思えば、すぐに信じがたい速度で走り去っていった。
全てが嵐のように過ぎ去った更地に残された男は、今回の任務の報告をどうすれば上層部に信じてもらえるだろうか、と頭を悩ませた。
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