⑥女剣士と祈祷師はもう一度旅に出る
ルティアはひとり、神殿に隣接された塔の屋上にいた。
季節は初夏を迎えようとしている。
「風が気持ちいい季節になってきたわね」
寒くもないし暑くもない。
旅をしていた頃は、この季節が一番過ごしやすかった。
野宿も苦に感じなかった。
ルティアは舞い上がる長い髪を片手でおさえて、夜空を見上げる。
今日は新月だ。
月が無いぶん、星明かりがいつもより近くに感じられる。
――あれから一年と少し……。
ヴィルヘルムとの約束の期限はとっくに過ぎていた。
振り返って思うのは、とにかく濃密な毎日だったということ……。
ルティアに関していえば、剣を持ち、魔獣と戦うということが殆ど無くなった。
朝日が昇り目覚めてから、夜の帳が降りてふたたび眠りにつく時まで、ルティアは片時も離れずアナイナの護衛をしてきた。
何度か危険な場面はあったが、冷静に対処してきたつもりだ。
一番ルティアを困らせたのは、他国の重鎮を招いて開かれる夜会がある時だった。
……ドレスの着用を求められた。
ルティアの身体には、大なり小なり、幾つもの傷跡がある。
もともと戦うためだけに作りあげてきた肉体……。
見られるための磨き方はしていない。
「みっともない」と溜め息を吐いていると、恋人のリュードが慰めてくれた。
『身体の傷はみっともなくありませんよ。貴女の戦った証なのですから。それに……世間的には貴女は魔王を倒した英雄ですから、もしかしたらドレスよりも帯剣した恰好のほうが喜ばれるのでは? わたし自身もそのほうが気が楽というか……貴女の肌に誰かが触れるのかと思うと、なんというか、落ち着きません……』
リュードの真っ直ぐな言葉に、くすぐったいような喜びを感じてしまう。
そしてルティアは決心して、それを行動に移した。
夜会にはフレッドとキーノスを連れて、ガーリア帝国の軍服を纏い、己の剣を携えて参加したのだ。
――あれが、魔王を倒した英雄達か……。
ルティア達は注目を一身に浴びた。
ガーリア帝国には強い戦士がいる……。
夜会の話題の種としても十分なものを提供できた。
ちなみにフレッドは、普段、王城の地下にある「魔核研究室」に閉じ篭っている。
誰よりも強い冒険者だったのに、今では身体を動かすより、頭を使うことが楽しくて仕方ないという感じだ。
(勿体無いわ。だったら、たまには手合せぐらいしてくれてもいいのに……)
鍛錬とはいえ「もしも手が滑ってルティアを傷付けてしまったら、リュードに叱られるから」と、頑なに断られる。
(このまま身体が鈍っていったって、知らないわよ……!)
一方、快く夜会に付き合ってくれたキーノスも、随分変わった日々を送っている。
フレッドの助手として魔核を集めに行ったり、ヴィルヘルムに頼まれて諜報員のようなことや、帝国軍の演習の手伝いまでしている。
何をやらせても、それなりに出来てしまう器用な男だ……。
(それこそ、一年前じゃ考えられなかった状況よね)
この帝国自体が、いまだ変容の最中にある。
ルティアは星空を仰ぎながら、感慨深いと浸る。
きっと何千年も前からこの星空は何も変わっていない。
けれど地上の世界では、平和を望みながらも混濁を繰り返し、壊れては再生し、また揺れ動くのだ。
「待たせてしまって、すみません――」
愛しい人の声がした。
「リュードさん……」
少し疲れた表情をしている。
話があるから呼んだのは自分なのに遅れてしまったと、リュードは心底申し訳なさそうに謝ったあと、ルティアの細腰に腕を回し抱き寄せた。
衣服越しに、ゆっくりとお互いの体温が馴染んでいく。
しばらくして身体を離したリュードが、じっと顔を見つめてくる。
ルティアはそっと目を閉じた。
夜風とともに愛しい気配が近づいきて、唇に柔らかな感触が降ってくる。
鼓動が早まる……。
それが一度だけで離れていってしまうのが惜しくて、ルティアは自分からも唇を押し当てた。
恋人同士で過ごす僅かな逢瀬の時。
リュードはリュードで、この一年ずっと忙しくしていた。
主には神殿の改革だ。
前ガーリア帝国の王と、帝都の神殿との間には癒着があった。
祈祷師の育成と言いながら、粗悪で人権もない神殿の労働環境に目を瞑るかわりに、多くの資金を、帝国側に流していたのだ。
明るみになったことで、ヴィルヘルムは改めて王命を出した。
神殿の責任者の解任。そして新たな後任としてリュードが指名された。
それからは目まぐるしい日々の連続で、リュードは疲弊しきっていた。
せっかく恋人同士になれたのに、ルティアはまともに会うことも叶わなかった。
それから一年が経ち、最近、ようやく落ち着いてきたのだ。
他国の神殿から、経験豊富な神官の派遣もしてもらえた。
それに祈祷師の卵が住まう塔の改築も無事に終わり、もう飢えや冬の寒さの心配がない環境を作り上げた。
懸念だったことは、全て解消されたはずなのに……。
(リュードさん……また窶れてしまった?)
星明かりしかない闇夜の中でも、ルティアには分かる。
顔色は優れないし、少し痩せた気がする。
もともと線が細く美しい青年だが、さらに儚さが増したようだ。
「リュードさん身体は大丈夫ですか? もう休んだほうが……」
「いいえ。確かに疲れていたのですが、貴女に触れたら元気がでてきました」
「私も。リュードさんに会えて嬉しいです。でも……無理はしないで」
「ええ。……本当は、明日の婚儀が終わってから言おう思っていたのですが……」
――婚儀。
そうだ。明日はヴィルヘルムと、アナイナの婚姻の儀式が執り行われる。
二人がこの一年間とても苦労してきたのを、傍にいる者達は、皆知っていた。
ヴィルヘルムは王位簒奪のあと最初に着手したのは、議会を整えながら、魔王討伐隊で戦死した冒険者の葬送の儀式の準備だった。
魔王と対峙したあの戦場は浄められ、大きな墓碑には、亡き冒険者の名が刻まれた。
そして、三日三晩を通して葬送の祈りが捧げらたあと、国をあげて、一年間喪に服すことになった。
そして喪が明けると同時に、ヴィルヘルムは、アナイナに正式に求婚する。
離れていてもお互いを想い、国の未来を想ってきた二人……。
反対する者など誰もいなかった。
アナイナ本人を除いてだったが……。
『わたくしはヴィルヘルム様をお慕いしております。けれど、わたくしは臣下としておそばに仕えることができれば本望ですわ。ヴィルヘルム様……帝国の未来を心から願うのであれば、他国の姫君を娶るべきですわ――』
この台詞に、ヴィルヘルムの御代を盤石にしたいという、アナイナの強い気持ちが窺い知れた。
一方で、ヴィルヘルムの気持ちは変わらなかった。
だから新たな手を打つことにした。
『他国の姫君を娶らずとも、必ず平和な時代にしてみせる。そのために、正式にガーリア帝国の頭脳として、冒険者組合の総支配人を着任させる』
支援を受けるという誓約でも各国にもたらす影響は大きいものだったが、ついに、内政の要として組み込むことをヴィルヘルムは決めた。
これで帝国の頭脳……宰相でいるはずだったアナイナの居場所がなくなってしまった。
『アナイナティリス。これからは王妃として支えて欲しい。永遠に愛している――』
今度こそ、アナイナは求婚に頷くしかなかった。
ルティアは心から二人を祝福した。
(明日の婚儀も楽しみだわ……)
ルティアはアナイナがちゃんとベッドに入ったのを見届けてから、この塔にやってきた。
大事な話があるから会いたいと、リュードから伝言を受け取ったからだ。
「ルティア……わたしと一緒に、旅に出ませんか?」
「!!」
「もう約束の一年は過ぎました。ヴィルヘルム様にちゃんと許可も戴いています」
驚きのあまり、すぐに言葉が出なかった。
いつから……いつからリュードは考えていたのだろうか。
「明日の婚儀が終わって落ち着いたら……になってしまうと思いますが。いかがですか? そろそろ二人の時間を持ちたいと思ったのですが。……嫌、ですか?」
ルティアの顔色を窺うように、尻すぼみになっていくリュードの言葉。
「嫌だなんて――!」
思いっきり頭を振って否定したあと、安心させるように笑顔で言った。
「私も、リュードさんと二人で旅をしたいわ!」
また冒険者だった頃のような生活が始まるのだ。
剣を持ち、神経を研ぎ澄ませ、野性的に戦える日々がやってくる……。
それだけで、魂が解放された気分だ。
(それに、リュードさんと二人きり!)
愛する人と一緒なのだ。
怖いことなんて何もない。
「良かった……、良かったです――!」
心底ほっとしたように息をついて、リュードはまたルティアを抱き寄せる。
「私は、リュードさんが、私達の未来を考えてくれていたのが嬉しい……」
「貴女の故郷にも行かなければ。……なるべく苦労をかけないようにするつもりです。わたしは祈祷師なので、仕事にも困らないと思いますし……」
「それなら、私も資格があるし」
「あの……ルティア、そのことですが……」
急に歯切れが悪くなったリュードに、どうしたのかと顔を上げれば、今度は頭ごと抱き込まれる。
そしてルティアの左耳に唇を寄せて、そっと囁いた。
「これから……わたしと結ばれることになるのですから、貴女は祈祷師の資格は失うことになる……と思いますよ?」
「…………!!」
そうだった!
リュードと一緒にいれることが、ただただ嬉しくて、すっかり失念していた。
思わず身を硬くするルティア。
「女神の加護は、男には寛容ですが、その……女性は純潔でなければいけないという誓いがあるので……」
「そう、でしたね……」
顔が熱い。
恥ずかしさと、嬉しさも混じって、衣服越しの重なり合った部分が熱を帯びていく。
「貴女は祈祷師でなくとも、とても強くて美しい女剣士です……」
「リュードさん……」
「わたしは、貴女と世界が見たい――。そして命ある限り、少しでも困っている人々を癒していきたい……」
「はい。私も同じ気持ちです」
それは見返りを求めず各地を巡る、コウジュやユタと同じ生き方だ。
魔王はいなくなった。
しかし、いまだ魔獣の脅威はある。
ルティアは剣士として、そしてリュードは祈祷師として、持てる力を発揮できる生き方だ。
二人はヴィルヘルムとアナイナの婚儀を終えたあと、身近な者達に別れの挨拶を済ませ、帝都から旅立っていった。
完結しました!
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