⑫通いあう想い
ブクマくださった方、有難うございました!
第五章。ラスト。
楽しんで頂けますように……。
遥か天辺に月が在る。
上弦の月だった。
運行している位置によっては、欠けた月も大きく見えることがある。
今夜の月はとくに地上から近く感じられた。しかも月虹をともなっている。
ルティアは山の中腹を過ぎたところで、足を止めた。
少し拓けたその場所には、小さな沼があった。
凍りついて鏡面になったそこに月明かりが落ちて、淡い虹色を浮かび上がらせている。しかも沼のまわりは「銀雪草」の群生地になっていた。
――ここに来たのは間違いだったかもしれない……。
そうルティアは思う。
ルネがくれた銀雪草の押し花を目にして、どうせ明日には山を降りるから一度見ておきたいと思ったのは本当だ。
それに銀雪草を採取できれば集落の人々の回復にも役立てる。妙案だと思った。
しかし、山を登り、いざ銀雪草を見つければ、その美しい銀色に輝きにリュードの瞳を思い出し、どうしても胸が切なくなってしまう。
――リュードに想いを伝えた。
――そして「願いは叶わない」と知った。
(これで、私の旅は終わったんだわ……)
ルティアは、明日、集落をたつと決めた。
リュードの隣にはレーヌがいる……。
そして祈祷師の二人がいれば、集落のことも安心して任せられる。
ここにルティアが留まる理由は、もはやひとつも無い。
あとは帝都で待つアナイナのもとに戻るだけ。
そうすれば……もう二度とリュードに会うこともないだろう。
視界いっぱいの銀色が、溢れた涙でおぼろに揺らいでいた。
――もう、このまま……ここで消えてしまいたい……
しかしすぐに頭を振り、ルティアはその考えを打ち消す。
(だめだめ。私、そんな後ろ向きな性格じゃないんだから……)
力のはいらない頬を持ち上げ、薄く、苦く笑う。
(ちゃんと……私は、私のために生きたのだから。これで良かったのよ……)
ルティアが戦う道を選んだのは妹のためだった。
ずっと誰かを護るための人生を送ってきた。
けれどリュードのことを好きになって、初めて心の望むがままに生きることを、ルティアは選択したのだ。
再会できる日を夢に見ながら、自分のためだけに前を向いて歩いてきた。
そのおかげで、コウジュやユタ、アナイナとも出会えた。
――誇るべきことだ。本当なら……。
だけど何もかもが終わった今、ルティアの魂は萎んでしまった。
身体は力が入らない。心も冷たくなっていくばかりだ。
もしもここで魔獣に遭遇したら、一撃くらっても仕方ないほど隙だらけの自分。
(こんな……弱い自分じゃ、いたくないのに……)
涙が勝手に出てきてしまう。
胸が苦しい……。
まるで叶わなかった願いが、助けを求めて心の中で藻搔いているようだった。
そんなルティアを慰めるように、柔らかい風が吹いてくる。
風の精霊がもたらす風によく似ている……そう懐かしく思った時だった。
「――ルティア……」
声が聞こえたと思った。
それはルティアが心から愛する者の声だ。
まさか……と思考が否定した。
けれど、ふたたび風が運んできた響きは、確かにルティアの耳朶に届いた。
「――ルティア!」
はっと振り向くと、そこにはリュードの姿があった。
「ど、うして……」
もう会うことはないと思っていたのに。
慰めに……いや、急にいなくなったルティアを心配してきてくれたのか。
一緒に旅をしていた頃も、ルティアがひとりでどこかに行くと必ず追いかけてきた。女性一人では心配だからといつも気にかけてくれいた。それが、とても嬉しいと思っていた。
――だけど……今はその優しさが切ない……
ルティアは拳で濡れた目元を擦った。
心配しなくても大丈夫だと、うまく伝わるようにしなければ。
これ以上、大好きな人を困らせることはしたくないから。
「リュードさん……私のことなら、」
「待ってください。今、そちらに行きます――!」
ルティアの言葉を遮ったリュードが、呼吸を乱しながら近づいてくる。
その瞳は少し鋭く、まっすぐルティアを捉えたまま離さない。
逆にルティアは瞳を伏せてしまった。
薄くたまっていた涙が、瞬きと一緒に落ちていく。
俯いた視界に、雪に埋まったリュードの足先が見えた。
「ルティア……」
すぐ傍で声がして、ルティアは顎を少し持ち上げた。
けれどリュードの顔は見れなくて、胸元に視線を置くだけにした。
見上げてしまったら、明るい月の光で、情けない顔を晒してしまうことになる。
「ルティア……手紙を、ありがとうございます」
「――!!」
まさかと驚いて、思わずリュードを見上げてしまう。
しまった……。
ルティアの泣いて腫れぼったくなった顔を見て、リュードは眉を寄せる。
「すみません。また貴女を泣かせてしまった……」
リュードの伸びてきた指先が頬に触れそうになって、ルティアはとっさに顔を伏せた。好きな気持ちは変わらないのに、もう触れて欲しくないと……心が拒絶している。
「て……手紙は忘れて、いえ……捨ててください」
いたたまれない気持ちで呟く。
しかし――
「ルティア、聞こえません」
「え?」
雪を踏みしだく音とともに、リュードがさらに距離を詰めてくる。
抗うことを許さぬように強い力で肩を引き寄せられ、ルティアの冷え切ってしまった頬に、手のひらを添えてくる。
優しい力加減でそっと持ち上げられれば、リュードの顔がすぐそこにあった。
銀色の眼差しが翳って見える。
「……貴女の声が、今のわたしには囁きよりも遠いのです……」
リュードの声に哀しみを感じた……。
ここでルティアはようやく何かが不自然なことに気付く。
言葉を反芻し、その意味を理解した時には声を上げていた。
「リュードさん……もしかして耳がっ……、いつからっ⁉」
「魔王との戦いのあとから少しずつ……」
「そんな……私、ずっと一緒にいたのに……」
全然、気が付かなかった。
どうしてそんな大事なことを言ってくれなかったのか。
――いや、そうじゃない!
ルティアは凍り付く。
(言わなかったんじゃなくて、言えなかったんだ!)
魔王との戦いのあと、ルティアに心の余裕はなかった。
それはフレッドもキーノスも同じだったと思う。
故郷に戻る旅路も、とにかく必死だった記憶しかない。
だから、リュードは言えなかったのだ……。
皆の心配の種を増やさないために……。
(私……気付けなかった……)
一番好きな人のことなのに……。
ショックで身体に震えが走る。
もしリュードが悟られないようにしていたとしても、ずっと一緒に旅をしていたら気付ける機会はいくらでもあったはずだ。
それなのに……不調を抱えたリュードに気付くどころか、守ってもらうばかりだったということか。
ルティアは愕然とする。
さらに思い至った現実に目の前が暗くなった。
(それなら……リュードさんがいなくなるのも当然だわ……)
重荷でしかなかったのだろう。
冒険者になったリュードは、魔王との戦いでも命を尽くして、何度も死の淵から皆を救い出してくれた。
相当、負担をかけてしまった。
戦いが終わった後も、リュードは献身的に、ルティア達の面倒をみてくれていた。
――本当は、解放されたかったんだ……。
これで理由がはっきりした。
身も心も疲れてしまったリュードは、安らげる場所を求めていたのだ。
そして、選んだのは、レーヌと一緒にいること……。
「ごめんなさい……」
ルティアの口から謝罪が漏れた。
もう「好き」とか「一緒にいたい」なんて、口が裂けても言えない。
再会したときに聞こえていなかったなら、それで良かった……。
「ごめんなさい、……リュードさん」
胸が痛い……。
好きな人を苦しめてしまった自分の存在が恨めしい。
どれだけ詫びても足りない。
多分、ルティアは一生、自分を許せないだろう。
(それなら、せめて……今の私に出来ることをするしかない――)
「私……もう、リュードさんに会いにきたりしないから」
「!!」
「だから……今だけ……」
ルティアは大きく両腕を広げて、リュードの身体を抱きしめる。
そしてそっと瞼を閉じると、ただ鼓動に意識を向ける。
脈打つ心臓……。
それとは別に、打ち寄せては引いていく波のような肉体のもつ独特の旋律にたどり着いたとき、ルティアは小さな声で【女神】を呼んだ。
(今、リュードさんにもらったもの、返します――)
それが唯一、今のルティアにできることだと思った。
魔王との戦いで瀕死のルティアが助かったのは、リュードの生命力を分けてもらったからだ。
そのせいでリュードの耳は聞こえなくなってしまった。
ならば……この身体の中に宿っているものを返せばいい。
失った聴力がよみがえる可能性は低いけれど、それでも少しは楽になるはずだから――
何もない闇に光が溢れてくる……。
上弦の月の光が、さらに力を与えてくれる。
「――ルティア! それは駄目です!」
叫んだリュードに突き飛ばされて、ルティアは雪の上に倒れた。
せっかく集まった光が消えていく。
リュードが荒く息をつく。
「……っ、貴女が祈祷師の資格を取ったと、聞いておいて良かった……。もう少しで、手遅れになるところだった……。ルティア、その御業は「生命力」を使うものだと知っていますね?」
リュードの声音は厳しいものを含んでいた。
――それは知っている。だからこそだ……。
「……死ぬわけじゃないわ」
「そういう問題ではありませんよ」
倒れたまま動かないルティアの半身を抱き起こしながら、リュードがぴしゃりと言う。
低い声。怒っているのが分かる。
(だって……これしか無かったんだもの……)
ルティアはがっくりと項垂れる。
結局、何も出来なかった……。
「――貴女のせいじゃありませんよ」
「でも……」
「わたしが貴女を守りたかったのです。貴女に出会えていなかったら、わたしはきっと……死んでいるのと何も変わらない人生だった……。貴女が、わたしを……」
リュードの両腕が優しくルティアの身体に回される。
胸のなかに閉じ込めるように抱きしめられると、右肩にリュードの熱い吐息を感じた。
――震えている。いや、泣いているのか……
かすかな嗚咽の震えが、直接触れ合っている肌を通して伝わってきた。
「リュード……さん……?」
躊躇いながらも、ルティアもゆっくりと両腕をリュードの背に置いた。
びくりと動いたリュードの肩。
驚いて手を離そうとすると、今度は呼吸もままならないくらい、強く抱き込んでくる。
「貴女のそばを離れるべきじゃなかったと、今は後悔してます。こんなふうに貴女を泣かせることになるなら、もっと早くに打ち明けていれば良かった……」
少しだけリュードの身体が離れていく。
それでもお互いの腕は絡んだまま……。
リュードの銀色が、ルティアだけを映している。
「ルティア、貴女を愛しています――」
「……え……?」
今、愛していると……確かに聞こえた気がした。
ルティアは頭の中が真っ白になると同時に、混乱した。
(だって、リュードさんは、レーヌさんのことが……あれ?)
まさか思い違いをしていた?
驚いて瞬きをしていると、リュードが微笑みながら目尻に残っていた涙を拭ってくれる。
「え……でも……嘘よ……」
「嘘だと言われると傷付きます」
「ごっ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて……」
「ルティア、わたしの願いを叶えてくれませんか?」
「リュードさんの願い……?」
今まで命を尽くしてルティアを助けてくれたリュード。そのリュードの為なら何だって出来るし、してあげたいと思う。命だって惜しくはない。
ルティアが頷くと、リュードは言った。
「ずっと、わたしのそばにいてください――」
「そっ、それはっ……」
「お願いします。貴女にしか叶えられないことです」
「だって、それは……私の……」
それは、ルティアの願いだったはずだ。
リュードのそばにいたくて、ここまでやってきた。
「いずれ……わたしの耳は完全に音を失います。多分、とても迷惑をかけてしまうはずです」
「そんな迷惑だなんてっ……!」
絶対、そんなこと思うはずがない。
だってルティアにとって、リュードは誰よりも愛しい人だ。
その気持ちは何があっても変わらない。
「私はリュードさんがいてくれれば、それで良いんです。何があっても、私がリュードさんを守ります」
「ルティア……」
「リュードさんが好きです。ずっと前から好きだった……」
「わたしもです。誰よりも、何よりも、貴女を愛しています」
リュードの微笑みが、ルティアの胸をみたしていく。
抱きしめ合う二人を包むように風が舞い踊っている。
まるで祝福してくれているようだ……。
(そういえば、私が祈祷師の資格を持っているって、誰にきいたのかしら……)
ルティアの疑問は、もうすぐ解けることになる……。
読んで頂き有難うございました!
のちほど、活動報告書きます!




