⑧渓流の浄化
もうじき昼になる。
今日は晴れていて、陽射しも強い。
昨晩降った雪も柔らかく水気を増していた。
こういう日の山では雪崩に気を付けなければならない。
ルティアは渓流のそばを上流に向かって歩き始めた。
しばらく歩くと、辺りは鬱蒼としてくる。
木々の生い茂る場所は薄暗く、ごつごつとした岩肌の絶壁に滝の氷瀑が見えた。
春にはまた大量の雪解け水が渓流に流れ込むだろう。
さらに一時間ほど歩いたところで、ルティアは剣を抜いた。
「魔獣……!」
気配はすぐに察知することができた。
木々の隙間に黒く蠢く大きな影が見える。
雪を踏みしだき、ゆっくりと移動している魔獣は、全身が真っ黒な長い毛で覆われている。しかも両方の腕は地上についてしまうくらい、太くて長い。
ルティアは息を詰め、ゆっくりと近づいていった。
目線だけは外さずに、全身で、辺りの状態を感じ取る。
足場は柔らかく踏ん張りがきかない。
生い茂る木々のせいで助走をつけた鋭い攻撃も、女であるため軽くなってしまう斬撃に体重を加えることも満足にはできない。
(――だったら、素早く……手数を増やすだけよ!)
ルティアは木々の間から飛び出した。
魔獣もすぐに反応を示した。太くて長い片腕を振り上げる。
巨躯なのに素早い。
風圧が雪を散らせ視界を塞ぐが、ルティアは動きを止めなかった。
振り下ろされる真っ黒な腕をすれすれで躱し、剣を一閃。ズシュリと肉を裂く音とともに、ボトリと魔獣の片腕が落ちた。
魔獣はバランスを崩す。
ルティアはその隙に渾身の力で魔獣の片足に刃を突き立てる。
――本当は斬りおとすつもりでいた。
しかし腕を斬ったときに、意外にも柔らかい肉の感触が手に伝わってきたため「突き」の攻撃へと変更した。肉がかたいと突いたあと抜くのに僅かだが時間を取られてしまうからだ。
――ギイイイイッ……
魔獣は呻き、どっと倒れた。
「――はあああっ!」
ルティアは魔獣の胴を切り裂く。すると魔核が現れた。
魔核は魔獣にとってエネルギー源だ。これを破壊すれば終わりだ。
ルティアは火神の加護を使うことにする。
手の甲から生み出した炎で魔核を焼いた。
同時に魔獣の息の根も止まる。
「一応、浄化しておいたほうがいいわよね……」
もし毒を孕む魔獣であれば、流れた血や死骸は、大地にとって有害だ。放っておけば毒が染み込んだ場所に生命は息づくことができなくなる。
ルティアは浄化の女神――ウートス神の祈りを施す。
「もしかしたら、他にもまだ魔獣はいるかもしれないわね」
ふたたび、辺りに気を配りながら、ルティアは渓流にそって歩き出そうとした。
しかしそこで思いがけない光景を目にする。
「――っ! なんてこと!!」
柔らかな雪に足を滑らせながら、ルティアは急いだ。
渓流の水の流れが、一部堰き止められている。
――魔獣の死骸だ。
何体もの魔獣の死骸が折り重なるように、渓流のなかに沈んでいる。
「酷い……!」
怒りに、かっと頭の奥が熱くなる。
これは自然に起こったことではない。魔獣にはいくつもの斬られた傷があるからだ。
肉が抉られ、魔核を取り出しただろう痕も見てとれた。
――渓流が汚染されるのも当然だ!
多分、この魔獣は毒をもっている……。
死骸から染み出した毒が水に溶けて、下流に住む集落の者たちが飲用することにより、徐々に身体に影響が出てしまったのだろう。
「誰がこんなことを……!」
集落に住んでいる体力のある若者達は、見回りをして、魔獣がいれば退治していると言っていた。
けれどこんな風に、渓流のなかに沈めたりはしないだろう。
魔獣が毒を持っていることは、小さな子供だって知っているのだ。
――しかも数が多すぎる……。
戦い慣れた者でなければ、こんな数の魔獣を相手にできない。
ふとルティアの脳裏をよぎるのは、帝都の役人の話だった。遠く離れた地まで視察にくるなら、それなりに戦いの心得はあるだろう。
(もしこれが役人の仕業だとして、どうして……。なんの為に……)
これ以上先のことを考えたくはなかった。
ただの無知なのか、それとも人の命を弄んでいるのか……。
「とにかく、すぐに浄化しないと!」
ルティアはふたたび火神の炎で、死骸を焼きつくす。
幸い、水の流れのおかげで、山火事の心配はない。
それから念入りに範囲を広げて、浄化の祈りを施す。
集落に戻ってきたのは、陽が傾き始める頃だった。
どこに行っていたんだと、物凄い剣幕でコウジュに怒られて、ルティアは肩をすくめる。
要らぬ心配をかけてしまった……。
コウジュは、ルティアの父と母を知っている。そのせいかルティアを娘のように思っている節もあった。
(私は冒険者だし、剣士だし、そこらへんの男より強いし……)
心の声は閉まっておくことにした。
そのかわり、渓流を遡り、そこで見た顛末を説明する。
「そうか……。魔獣のせいで渓流が……」
「おそらくね。浄化したから大丈夫だと思うけど、当分は様子を見たほうがいいわ。そろそろ冒険者組合に依頼していた物資も届くだろうし……」
「ルティア」
「なに?」
「感謝する――、お前がいなかったら、多分この集落の誰かは死んでいたかもしれない」
「お役に立てたなら、なによりだわ」
「ありがとう」
コウジュは心底安堵した表情を浮かべていた。
ずっと原因の分からない病と闘っていたのだ。
それにコウジュとユタが根気強く治療をしていたからこそ、ここまで持ちこたえることが出来たんだと、ルティアは思う。
「おねえちゃん、みんなを助けてくれて、ありがとう!」
ルティアが寝泊まりしている小屋に、さっそくユタと、ユタに懐いている少女ルネがやってきた。
どうやら集落の者達の耳に、ルティアの活躍は届いたらしい。
(さっき戻ってきたばかりなのに、早いわね)
ルティアは微笑みながら、ルネの頭を撫でる。
こうしていると、妹の小さい頃を思い出して懐かしくなる。
「ルネ? 手になにか持ってるわね?」
「うん。おねえちゃんに、あげようと思って……」
ルネの小さな手がすっと伸びてきたので、ルティアは両手を皿のように広げて、それを受け取る。
「わ……綺麗な押し花ね」
ルネが持ってきたのは、百合の花に似た押し花だった。
「この花、初めて見たわ! 銀色に輝いてる……珍しいわ、とっても綺麗!」
「ルティア知らない? これは「銀雪草」っていう高価な花なんだよ」
ユタの説明にルティアは驚く。
銀雪草……名前だけなら知っていた。
確か万病に効く、とても稀少な花だったはずだ。
本物を見るのは初めてだ。
「確か……冬の、しかも月明かりの下でしか咲かないっていう花よね?」
「そうそう。この集落の山を登った先で採れるらしいんだ」
「ええ! すごいわね……」
「雪が解け始めて春になる前に、ここの集落の人たちが大量に摘んで、春になったら帝都で売り捌くんだ。そのお金で一年暮らしてるんだって」
「へえ……」
「あいにく今は全部売れちゃって残ってないけど。残ってたら病気のときに使えるのに……」
ユタが残念そうに呟いた。
銀雪草の収穫が大変なのは想像できる。
とくに夜の雪山は危険だろう。
(でも、月明かりの下で咲く銀雪草は綺麗でしょうね……見てみたいわ)
からからに乾いて、押し花になった今でも、輝きを失っていない。
この精錬な銀色の輝きは、リュードの瞳を思い起こさせた。
――澄んでいて……見つめられるだけで、心が鎮まるような優しい銀色……
「ありがとうルネ。大切にするわね」
ルティアが微笑むと、ルネも嬉しそうに笑った。
「おいルティア、ちょっと来てくれっ!」
小屋の外からルティアを呼ぶ声がした。
コウジュだ。
声の感じから察するに、慌てているようだ。
「どうしたの⁉ もしかして魔獣――⁉」
「違う。けど……早く出てこい!」
剣を取ろうとした手を引っ込めてから、ルティアは外へ出る。
――夕暮れだ。
山裾に今から隠れようとする太陽の輝きが朱く広がっている。
天頂にはそろそろ一番星が見える頃合いだ。
コウジュが出てきたルティアを見て頷いたあと、視線を滑らせた。
つられるように瞳を移したとき、ルティアの呼吸は止まる。
「……リュード……さん?」
ゆっくりと雪を踏みしだいて近づいてくる人影。
――まぼろし? 違う……
それは間違いなく、ルティアが再会を望んでいたリュード本人だった。
お読み頂きまして有難うございます。
ラストまであと10話くらいかな。
やっとここまできました。
次回、とうとうリュードが出てきます。
宜しくお願いします!




