⑦回想5 死の気配。
「油断するなっフレッド!」
キーノスの警告に、フレッドは二度目の炎を放つ。
火だるまになっている魔王に、さらに追い討ちをかける。
「これだけで倒せるわけないって分かってる……だけど……」
フレッドの眼差しに「祈り」が滲む。
力を込めた自分たちの攻撃が魔王に通用して欲しいという祈りだ。
しかしそれは虚しく打ち砕かれる。
――ギィィヤヤァァァァ
脳を揺さぶる「音」。
それが魔王の怒りを孕んだ声だと気付いた時、ルティアは後悔した。
完全に今の自分達は隙だらけだと。
分厚い炎の壁を割って魔王は飛び出してきた。その体には血の一滴も流れていない。真っ黒な鬣の先端が少し焦げた程度か……。
(いけないっ!)
ルティアが身構えたときには、既に魔王は動いていた。
四つ脚をばねに跳躍し、空中で牙を剥く。
狙いはフレッド。
向けられた殺気にフレッドは剣で応戦しようとした。
だがそれよりも早く魔王はフレッドの首根っこに噛みついた。
「フレッドーー!!」
「そんなっ……フレッド!!」
深々と魔王の牙がフレッドの首筋にのめりこんでいる。
生々しい肉を断つ音と勢いよく噴き出す鮮血。
返り血を浴びながら、魔王はさらに二つの前脚の爪をフレッドの腹に食い込ませた。
「……っぐ……っあ……」
フレッドは痛みに呻きながら瞠目していた。
その瞳が「死」という絶望の色に染まっていく。
仲間の悲愴な姿にルティアの身体に震えがはしる。
「ルティア! キーノス! 魔王をフレッドから遠ざけてください――早く‼︎」
切迫したリュードの声に、ルティアは突き動かされるように動いた。
――しっかりしろ、震えるな、戦いに集中しろ。
ルティアは己に言い聞かせた。
(そうよ……祈祷師がいるもの!)
このままだと、フレッドは確実に死ぬ。
だけど此処には祈祷師がいる。
「絶対に守る」と言葉をくれたリュードがいる。
「ルティア、――跳べっ!」
キーノスの掛け声に、ルティアは右足で思い切り踏みきる。
「風」がルティアの身体を上空へ押し上げた。
魔王のはるか頭上。
ルティアは高みで身体を反転させた。
――絶対に外すものか!
ルティアは剣先を魔王に定めた。
「魔王ーー! フレッドから離れなさいっ!!」
叫ぶと魔王の双眸がルティアに向けられる。
――そう、それでいい!
魔王がフレッドから牙を抜いた。
待っていたその瞬間、ルティアは落下に全体重をのせて、魔王の背中にズブリと剣を突き刺した。
――ギギイッッッ……
魔王は獅子のような胴を捻る。ルティアも負けじと柄を握る手に力を込めた。
両者の力が反発し、もつれるように倒れ、ごろごろと地面の上を転がる。
「ぐうっ……」
異変を感じたルティアは、剣から手を離した。
右手にかかった魔王の血が皮膚を焼いていた。
「ルティア、大丈夫かっ⁉︎」
「キーノス気を付けて! 魔王の血に触れては駄目よ!」
おそらく今まで相手にしてきた魔獣の血より厄介だ。
もし大量に浴びてしまったら皮膚は溶け、骨まで見えてしまうだろう。
ルティアは素早くターバンを傷ついた右手に巻きつけた。
数回、閉じたり開いたりを繰り返して具合を確認する。もちろん目線は魔王を見据えたまま。
(これくらいなら痛みにうちに入らないわ)
ルティアは安堵する。
利き手が使い物にならなくなるのだけは、なんとしても避けなければ。
剣が扱えなくなれば、それはルティアにとっては「死」を意味するのと同じだ……。
一方、魔王は背中に突き刺さった剣をそのままに、後ろの二本脚だけで立ち上がると上体を大きく反らせた。
魔核と繋がっている尻尾が、ドクリと大きく波打った。
「もしかして回復してる……っ⁉︎」
「き、きもちわりぃな……」
キーノスが思い切り顔を顰めた。
魔王にとって魔核はエネルギー源。
大地に立つ二本脚がみるみるうちに太く長く伸びていく。同時に反らせた背中からルティアの剣が押し出されるように抜けて落ち、傷口が塞がっていく。
焦げた鬣は修復されただけでなく、まるで針山のような鋭利な棘となって全身を覆っていく。
先ほどまでの獅子のような姿はもう無い。
――二本脚で立つ化物!
おぞましい様相に、ルティアの背中に冷たい汗が流れていく。
「ルティア、オレも戦うぜ。フレッドの回復まで時間稼ぎしないとな……」
風を操りルティアの剣を回収したキーノスが「同調」を始めた。
ルティアは横目でフレッドの様子を窺う。
首筋から大量に溢れ出る血。
その傷口をリュードが手のひらで抑え、回復の御業を施していた。
だらりと地面に落ちたフレッドの腕は、血色を失い黒ずんでいる。
不安が胸をついたとき、リュードがこちらを見て深く頷いた。
――必ず助けます。
ルティアも深く頷き返した。
「よし……ここからは同時攻撃だ」
同調を果たしたキーノスは珍しく短剣を手にしていた。
剣での直接攻撃が有効だと証明されたからだろう。
「魔王の血にだけは気をつけて」
「わかってる。全部オレの風で散らしてやるぜ。いいかルティア、魔王に反撃の機会を与えるなよ」
「わかってるわ」
「まずはオレが突っ込んでいくから、隙を見つけて斬りこんでこい!」
「――まかせてっ!」
他人が聞いたら、大雑把な作戦だと鼻で笑うかもしれない。
けれどルティアとキーノスにとっては充分だった。
キーノスがどんな攻撃を仕掛けるのか、ルティアには手に取るようにわかる。
「――いくぜっ……!」
翡翠色の瞳が煌めいた。
今のキーノスは「風の精霊」そのもの。疾風のごとく魔王の背後にスウッと回り込むと短剣で一閃。棘に変化した鬣を削り取る。
魔王が不快だと言わんばかりに胴を捻り後方を向く。
そこでキーノスは素早く前方に回り込みながら、今度は脇腹のあたりを短剣で攻撃した。
――反撃の機会を与えるな。
その言葉通り、キーノスは止まることなく身を翻した。
舞い踊るように魔王の頭上に跳ね上がると、がらりと空いた懐にルティアが飛び込んでいく。
ザシュッ……
水平に剣を滑らせ魔王の腹を裂く。
血飛沫が上がるが、キーノスの起こす風によって何処かへ散らされていった。
大きく腕を振り回した魔王の爪先がルティアの腕を掠める。破れた服に赤い染みができた。
だが集中しているルティアは痛みを感じない。傷が深くないからでもある。
攻防は暫く続いた……。
はじめに限界をむかえたのはキーノスだった。
「ルティア……そろそろっ……くっ!」
短剣で魔王の爪先を受け止める。
押し負けそうなキーノスに、ルティアが加勢する。
「同調が解けるのね⁉︎ キーノスは下がって! あとは私が……」
「いや、ぎりぎりまで戦う――!」
キーノスがふたたび身を翻すと、ルティアは右脚で魔王の腹を蹴って反動をつけ少し間合いをとる。
この時、異変に気付いた。
「キーノス! ――魔王がなんか変よ!」
すぐさま警告を発する。
「変⁉︎ なにが⁉︎」
「魔王が、腹に力を溜めてる‼︎」
蹴ったときにルティアは足裏に違和感を覚えた。
――腹が妙に膨らみはじめている……。
幾多の戦闘で培った「勘」が危険を告げている。
「まずいな……いったん距離を……」
そしてキーノスが魔王の背後に回り込んだときだった。
――フシュウウウゥゥ。
魔王が大きく息を吐いた。
それは黒い靄となり風のなかに紛れていく。
ルティアは咄嗟に手の甲で口を塞いだ。
(これはきっと毒!)
魔王の背後にいたことで気付くけなかったキーノスが、風とともに流れてきた黒い靄をもろに吸い込んでしまう。
「ぐっ……、がはっ……ごほっ」
ドサリと崩れ落ちるキーノス。
同調も限界がおとずれ、解けてしまった。
「キーノス――‼︎」
苦痛が伝わってくる。
喉元を掻き毟るような仕草をしながら、キーノスは地面の上を転げ回った。
(このままじゃ、キーノスがっ――‼︎)
今すぐ出にでも駆け寄りたい衝動を、ルティアは唇を噛んで抑える。
目の前には魔王がいるのだ。
ここで隙を見せたら、それこそ何も守れなくなる。
「魔王! 私が相手よっ――‼︎」
キーノスに注意が向かないよう、ルティアはわざとらしく愛剣を振りかぶった。
思惑通り、魔王の底無しの闇のような双眸はがルティアだけに向けられる。
(大丈夫。油断せずに集中すれば、ひとりだって大丈夫……)
魔王は強い。でも攻撃が通じないわけじゃない。
魔核による修復が早いという難点はあるが、ルティアの剣は確かに魔王に効いている。
今戦えるのはルティアだけだ。
「――はあぁっっ!」
ルティアが間合いを詰める。
両手で柄をしっかりと握り、斜めに振り下ろす。
傷つけた魔王から飛び散る血を浴びないように、すぐに後方に退く。
――フシュウウゥゥッッ。
また魔王が黒い靄を吐きだした。
「だっ……だめっ‼」
黒い靄の矛先はキーノスに向けられていた。
次こそまともに食らってしまったら、キーノスの命は危うい。
ルティアは庇おう飛び出すが、間に合わない。
黒い靄が質量を増しキーノスに襲い掛かろうとしたとき、真っ赤な炎柱が上がり盾となった。黒い靄は炎に触れて消えていく。
(この炎は……!)
ルティアの心に希望がさす。
「フレッド! リュードさん!」
振り向いたそこには全快したフレッドが、剣を手にして立っていた。
「ルティア、待たせてごめん!」
「キーノスのことは、わたしに任せてください!」
リュードが、倒れていくキーノスのもとに駆けていく。
(良かった……フレッド……。キーノスも、これで助かる……)
気を抜いてはいけないと理解しつつも、張り詰めていたものが少しだけ解けていく。
足元がふらついた。
支えるように肩に添えられたフレッドの手が熱くて、じわりとルティアの瞳に涙が滲んだ。
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