①手紙
『親愛なる祈祷師、リュード様――
お元気にしていますか。
私は、とても元気です。
フレッドとキーノスも、おかげさまで元気にやっています。
皆で戦っていたあの頃が嘘のように、今はとても穏やかな時を過ごしています。
だけど私は、リュードさんのことばかり思い出しています。
私はずっと貴方のことが、す……』
――パキッ。
ルティアの右手に握っていた羽根ペンが、軽い音を立てて真っ二つに折れた。
嘲笑うかように年季の入ったオイルランプの芯がじじじと声をあげて小さな炎を揺らし、手元の羊皮紙に影を落とす。
最後に書き損じた文字は、畑でよく見かける生物が体をくねらせた様にひどく似ていた。
ルティアの頰がひくりと攣った……
(ぎゃあああっーー! これで五回目!!)
ガタリと椅子から立ち上がると、ルティアは心のなかで盛大に叫ぶ。
苛立ちから頭をがしがしと掻くと、湯浴み後のまだ湿った毛先から、雫がいくつも床に飛び散った。
本当なら実際に声に出して叫びたい。
けれど今は真夜中――
王都の外れに位置するこの東区は、地代が安いことから庶民の住宅が密集している。
ルティアの家にぴったり寄り添うように建てられた隣家には、最近赤ん坊が産まれたばかりだ。夜泣きしている時ならまだしも、静かなところを見ると今は眠っているのだろう。
ルティアの魔獣の断末魔のような雄叫びで、安眠を邪魔するわけにはいかない。
(……はあ。ペンて、剣を扱うより難しいわね……)
単純に力加減の問題だろうが、ルティアにとってはそれが何より難しく思えた。
部屋のなかをそのまま移動し、壁に立てかけていた愛剣にルティアは手を伸ばす。
持ち上げると、馴染んだ重みが伝わってきて心が少し落ち着いた。
スラリと刀身を鞘から抜き、薄明かりにかざして確かめるように視線を流すと、そこにルティアの赤く爛れた石ころのような瞳が映った。
――もともとは、こんな色じゃなかった……。
ルティアの双子の妹、レティシアは澄んだ紅玉色の瞳をしている。ルティアだって昔は光を受けると虹彩が煌めく宝石のような色をしていた。
それが今では、切り裂いてきた数多の魔獣の濁った体液のような色をしている。
身体の至る所に歴戦を偲ぶ大なり小なりの傷跡があるし、長旅で太陽に晒されたうえ魔獣の返り血を浴びまくった栗色の髪は、すでに艶を失い、枯葉色で硬くパサついていた。
ルティア・ロードナイト――現在、十八歳の彼女は「魔王」を討ちとった女剣士だ。
幼少期。
極度の人見知りだったルティアは近所の子供たちと遊ぶこともせず、「魔獣狩り」を生業としていた父から実戦用の剣術を教わっていた。ちなみに母は物心ついた時には既にいなかった。
父が魔獣狩りで家を留守にしている間は、レティシアと分担して家事と……やはり剣を一心不乱に振っていた。
ルティアが十五の時、父が一緒に仕事をしていた仲間を庇って死んだ。
哀しみに暮れている暇はなかった様に思う。
ルティアはずっと父に言われていたからだ。
『もしも俺が死んだら、レティシアを守るのはお前だ』と。
その言葉を胸に刻んでいたルティアは、父が仕事にいくときは心のなかでいつも覚悟を決めていた。
だからその時がきたとき、ルティアは妹が止めるのも聞かず、愛剣を握りしめ冒険者組合の扉をたたいた。
――私には剣がある。
――これでレティシアを守っていく!
母譲りの美貌に、鍛えぬいた引き締った肢体。前を見つめる瞳は、強い意志が通っているように真っ直ぐで揺らぎがない。
屈強で乱暴そうな男たちの中で、ルティアは好奇の目に晒されたが、父の名を口にしたとき誰もが押し黙った。
父は英雄だった――
そして皆が父の死を悼んでいた。
ルティアが英雄の娘だと知ると、今度は何故か賞賛の声があがった。
だけど、そんなことはどうでもいい。
剣をとった目的は、唯ひとつ――――
「私は魔獣狩りになってこの街を守る! そして妹のレティシアをちゃんと嫁に出すわ!」
嫁がせるにもお金が要る。
しかもルティアもレティシアも結婚の適齢期に入っている。ルティア自身はともかく、レティシアを「いきおくれ」と呼ばせるわけにはいかない。
父と同じ冒険者組合に属して魔獣狩りの仕事につけば、レティシアの身の安全と同時に、お金だって稼げるのだ。
ルティアは強かった。
魔法が使えなくとも、剣ひとつで十分戦うことができた。
幸い、見目も良く器量も良く、優しい性格のレティシアには、すぐにいい縁談が飛びこんできた。
レティシアも相手の男を気に入ったようで、ルティアは我が事のように喜んだ。
剣を振るう目的が「魔王討伐」に絞られた。
――――魔王。
古の時代。
空から降ってきたとされる、数々の邪悪な魔核。
それを宿したものが「魔獣」。
そしてそのなかでも一番大きな魔核から生み出されたのが「魔王」という存在だ。
人間達は苦しめられてきた……。
語り継がれる歴史では、人間達はあらゆる神々や精霊の力を借りて、魔王を倒したとされている。
だが魔核は、また降ってきた。
ルティアの生きる時代に……。
それは同時に、魔王の再来をあらわしていた。
「魔王を倒して、レティシアとレティシアの家族が安心して暮らせる未来を、私は絶対につくる!」
ルティアには頼もしい仲間がいた。
火の神より加護を賜った魔法剣士のフレッド。
風の精霊とともに生き、エルフの血を継いでいるキーノス。
そして後から仲間に加わった【アルーミス】【ウートス】【エイオス】の処女三神の御業を行使できる祈祷師のリュード。
この三人の仲間とともにルティアは「魔王討伐隊」に加わり、最前線で剣を振るった。
最終的に三日三晩の熾烈を極めた戦いの末、なんとか魔王を倒すことができた。
世界に散らばった魔核のせいで、魔獣はまだ棲息しているが、魔王を倒したおかげで少しずつその数は減っている。
安心して暮らせる未来が見え始めた……。
だがこの時には既に、ルティアの心にある想いが芽生えていた。
――『恋』をしたのだ。祈祷師のリュードに……。
もちろん、ルティアにとって初めての恋だった。
リュードのことを想うと心が灼けつくように熱くなる。
家族や仲間に対して抱く感情とはまるで違っていたのだ。
リュードと一緒にいたい……。
リュードと一緒に生きて行きたい……。
全てが終わったら打ち明けようと、密かにルティアは決めていた。
しかし――いざ魔王を倒したあと、リュードはひとり姿を消してしまう。
仲間の誰にも別れを告げずに、ひとりで行ってしまったのだ。
悔しかったし、悲しかった……。
もしもルティアに対して、ほんの少しでも「情」を持ってくれていたら、留まってくれたのではないか。
だとしたら、リュードにとってルティアは、それだけの存在だったということになりはすまいか。
(……せめて、気持ちだけでも伝えたかったのに……)
時間が経てば忘れられるかと思ったけど、違った。
遣り場を失くした想いは、日に日に膨れ上がって、ルティアのなかで大火事を起こしている。
(――そもそもリュードさんと離れる生き方なんて、私考えてなかった!)
そばにいれるだけで幸せなのだ。
気持ちを伝えて、駄目なら駄目で、その時に考えればいい……。
ルティアは心を決めた。
レティシアの婚儀を見届けたあと、旅の支度を始める。
「どんなに時間がかかったとしても、私はリュードさんに会いにいく!」
――明日、ルティアは旅立つ。
だからその前に手紙を書こうと決めた。
生まれてはじめて書く手紙だ。
もしも志半ばでルティアが膝を折るような事態になった時、この手紙が人伝てでもリュードに届いてくれるといい。
「今夜中に書かなきゃ……」
ルティアは剣を置いて、ふたたび椅子に腰掛ける。
新しい羊皮紙を広げると、羽根ペンを右手に持つ。
『親愛なる祈祷師、リュード様――』
早く会いたい。
早く会って、直接伝えたい……。
(私がどうして貴方を好きになったのか。そして……貴方がいてくれたから、私は大切な人を守ることができたんだって、伝えたい……)
溢れた想いのまま右手を動かすと、また軽い音を立てて羽根ペンが折れた。
次回。
序章②「魔獣」




