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凍えるからだ、熱い記憶。  作者: 亜胡夜
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1.妖しい夢

よろしくお願いいたします。

 寒い。

 いや、冷たい。凍り付きそうだ。

 こんなにもぴったりと肌を合わせているのに。


 「!ん、ああ!」


 鋭くゆさぶられ、声が裏返った。


 冷たい。凍えそうだ。

 だからもっとしがみつく。そのひとをかき抱く。

 いつか、ぬくもりを得られるのではと言わんばかりに、無意識に。

 

 「もっと、……お願い……」

 

 我ながらだらしなくゆるんだ口の端から、涎とともに本音が漏れた。


 暗闇の中、顔はよく見えない。

 けれど気配だけで、男がわずかに笑んだことがわかる。


 「そなたの望みなら、いくらでも」


 氷の吐息と共に、耳朶を、うなじを、冷えた舌が這い回る。

 冷気と愛撫で全身の感覚が研ぎ澄まされている。


 大きな手が、わたしを抱えなおした。

 痺れるほどの快感に苛まれて、またはしたない声をあげてしまう。

  

 「……好き、好きです、あなた、……!」


 慕わしくて愛しくてたまらない。

 魂ごと吸い寄せられるようだ。こんなにも冷たいからだなのに、ひとつに溶けあってしまいたくなる。


 「ああ、……さま!!……」


 全身が震えた。

 跳ねるからだを抱きしめる力強い腕。

 冷たい腕……。



 **********



 ───鳥のさえずり。なんとなくだが、日本にはいない鳥のような気がする。

 ちゅんちゅん、というより「りゅんりゅん」とでもいうような麗しい鳥の声。

 

 「またか……」


 爽やかな朝の空気の中。

 わたしはため息とともにかたわらの抱き枕をぎゅう、と抱きしめた。


 

 このところ、毎日のように夢を見る。

 ひとには言えないほど淫らな夢だ。いや、初めはそうではなかったのだが。

 

 フランスに来て、ここへ移動して一週間。この夢を見るようになったのはここで眠るようになってからのこと。

 

 南フランスの古城。古城、というより館と言ったほうがよい大きさだけれど、それでも大邸宅、という平凡な表現では到底言い表せられない風格と規模を備えたそれは、日本から来た普通の大学生であるわたしにとっては十分に「城」だ。


 わたしは趣味でフランス語を習っていて、その縁で知り合った日本へ留学中のフランス人女性、正確にはその家族がこの城の所有者である。

 

 フランス語は好きだが決して社交的ではないわたしに、交流イベントで出会った彼女はなぜかとても人懐こく話しかけてくれて、社交は苦手でも当然とても嬉しくて、わたしたちは急速に仲良くなっていった。

 知り合って半年足らずだけれど、親友と言ってもよいレベルになったと思う。


 その彼女が、夏休みはウチへいらっしゃいよと誘ってくれたのだ。 


 憧れのフランスのホームステイか?とわくわくしたのだけれど、よく話を聞いてドン引いた。

 というより怖気づいた。


 「ウチ」は城だった。


 パリにお屋敷があり、リヨンの郊外に本宅があるそうだが、もともとは南仏出身の一族なのだと。

 南仏にお城があり、普段は観光客への開放とかパーティや結婚式等に貸し出したりしているけれど、二、三年に一度は全ての予約を断り、一家でそのお城のバカンスを楽しむのだそうだ。


 セレブっぷりに顎を外し、かつ日本人の常識からして「ご家族水入らずの大切なバカンスにわたしがお邪魔するなんて」と強く遠慮したのだが、彼女いわく、家族全員日本好きの日本びいき。それに部屋はたくさんあるから顔を合わせないようにすることだってできる。気楽にしてくれればいい、と熱心に言ってくれたので、結局はお言葉に甘えることにしたのだ。もとよりフランス好きのわたし。南仏の美しい風景、丘の上の石造りの古城に萌えないはずはない。


 そして夏休み。嬉々として渡仏し、彼女と、彼女の家族、そしてなんと(城、だから当たり前かもしれないが)使用人たちの大歓迎を受け、楽しくあちこち観光しているうちはよかったのだけれど。


 城で眠るようになってから毎日、夢を見るようになった。


 最初は柔らかく抱きしめられた。ごく短い夢。

 次の夜は抱きしめられて、キスをされた。羽のような軽いキス。これもあまり長くはなかった。

 その次の夜。すっかり当然のように抱きしめられて、とても深いキスをされた。

 舌を絡め、唇を互いに舐めあう。いつの間にか、からだじゅうを大きな手が這い回っていた。


 だんだん夜が怖くなってきた。


 少しずつ長くなる夢。深まる行為。

 顔も名前もわからないのに、夢の中のわたしは嬉しそうだ。そして、相手の男も。

 言葉少なだが、それだけに仕草のひとつひとつが雄弁にわたしへの愛情の深さを物語る。

 どんなに抱擁を繰り返しても唇を重ねても、男の肌は氷のように冷たいのに、嫌悪はもちろん違和感をまるで感じない。


 そして目覚めるとうそ寒くなるのだ。

 夢のあまりの生々しさに。

 起き抜けには乾燥気味であるはずの唇は、まだ男の唾液で濡れているかのようだから。 


 欲求不満なのかと自省してみる。 

 ブスではないだろうがとりたてて美人というほどでもない容姿のわたしだが、彼氏はいた。過去形なのが微妙だけれど。

 そういう経験はあるし、誰にも言えないけれど自分で試してみたことだってある。

 性欲がないわけじゃない。


 でもこの夢はまずいんじゃないかと真剣に思う。


 一晩目は起きてから面白がっていた。城に招待してくれた彼女、ジャンヌとその家族に「よく眠れましたか?」と問われて、「ええとっても。それになんだか素敵なひとの夢を見たような気がします」と答えたくらいだから。


 ジャンヌのご両親もジャンヌも、ものすごく嬉しそうに破顔して、「それはよかった。何より」と言ってくれたのだが、実は笑って話せたのはそれきりだ。


 二晩目以降も続くそれはじわじわと官能の度合いを増していて、そして今回は、ついに最後まで抱かれてしまった。


 今朝は本当に喘いでいたかのように喉が枯れている。

 南仏は乾燥しているから当然だと無理やり思うことにして、サイドテーブルのピッチャーからグラスにお水を注ぎ、一息に飲み干した。


 が、勢いよくあおりすぎてむせて咳きこんでしまう。

 ぐほがほ、とお水を吐き出してしまって、寝間着代わりのロングTシャツをすっかり濡らしてしまった。

 べったりと肌にくっついて気持ちが悪い。


 シャワーでも浴びて、ついでにこれを洗濯しようと考えて、Tシャツを脱ぎ捨てながらバスルームへと移動して。


 「なに、これ……!?」


 姿見に映る自分のからだに息をのむ。


 胸に、腹に、足に。

 点々と赤黒い痕。


 羞恥心も忘れて足を開き、身を屈めてさらに見れば。


 内腿には歯型。

 そして両腰にはくっきりと指の痕。


 抱え込まれたときの、あの夢と同じ場所に。 

 

 


 



お読み頂き有難うございました。

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