陸侍(おかざむらい)
これは、とある町で起きたささやかな事件の物語である。
腰に刀を差した侍や、荷物を担いだ飛脚が行き交い、商売人の威勢の良い声が響く。そんな活気溢れる大通りに店を構える『飯処 えびす屋』が、この物語の舞台である。
店主の意向により様々な身分の者が集い、やれ今日の収穫だの、やれ客入りがどうのと気の合う仲間同士で思い思いに話しながら、飯や酒を楽しんでいる。
「拙者が居れば、壇ノ浦もまた違った結末となっていたであろうな!」
その店内で一際響く声があった。
彼の名は佐久間 弾正。年の頃は三十代半ばといった様子で、切れ長の目が良く似合う中々の美丈夫ではあるが、頬を走る傷跡が彼の元から人を遠ざけてしまう一因となっていた。
身形はそれなりに立派な着物を着込んでおり、とりわけ目を引くのは腰に下げた一振りの刀。
機能性と芸術性、対極に位置する様な二つが見事に調和しており、黒塗の鞘は磨きあげられているが、光を反射する事なく寧ろその内に閉じ込めているかの様だ。
「さっすが弾正さん! 無間一刃流開祖は言う事が違う!」
弾正の言葉に対し、周囲の者が同調する様に声を上げる。
その風体は御世辞にも良い物とは言えないが、気にした様子もなくむしろ、それに気を良くした様子の弾正は更に言葉を続ける。
「当然であろう。拙者であらば柳生なぞ容易い相手よ!」
「スゴイっすね! でも、それなら何でこんな所に?」
「拙者の磨いた剣術は門外不出。
お上にいくら請われようと、指南する事はできんのだ」
そう言い放つと、弾正はグビりと杯を空にする。
その様を見た周囲の者が一層囃し立てるのだ。
さて、これ程の言を放つ弾正だが、実は彼は侍の生まれではない。
少々裕福な商人の三男坊で、剣術に関しては素人同然。当然の事ながら、『無間一刃流』などという流派は存在しない。
更に言えば腰に差した刀は、弾正の先祖が昔、不運にも行き倒れていた侍を助けた縁で譲り受けた家宝なのだ。
上にいる兄二人が優秀だったため、奔放に育てられた彼は退屈な日々に嫌気がさし、家宝を持って出奔した次第である。
そんな身の上のため、当然の事ながら『佐久間弾正』というのは偽名であり、本当の名を坂田 侘助という。
余談ではあるが最後に、彼は合戦に出た事はおろか刀を抜いた事もなく、たまたま立ち寄ったえびす屋で喧嘩に巻き込まれた際、相手が勝手に達人だと勘違いして逃げた事により気が大きくなり、以来度々えびす屋に来ては、この様に大言壮語を繰り返しているのだった。
「けどよぉ弾正さん。斬り合いってのは恐ろしくなったりしないのかい?」
「何を言うかと思えば……。拙者とて斬り合いの度に恐怖は覚える。
だが、その恐怖を飼い慣らし、我が物とできてこそ真の侍と言えよう」
「へぇ~。そんなもんかい」
「何を気の抜けた事を言っておる。
お主とて守りたい者の為ならば、手に武器を握るであろう?
つまりは、そういう事よ」
などと偉そうに講釈を垂れているが、これは剣術を習った事など皆無な男の言葉である。
「なるほど! ってぇ事は、篠崎の大戦には?」
「あれか。あの時は永山の大将が直々に参られたのだが、断った」
「へ? そりゃまたどうして?」
「刀を抜くに値する理由が無かったからな。
コイツは只の殺し合いに使うには惜しい刀なのだ。
それ故、いくら請われようとも頷く訳にはいかなかった」
こんな事を言っているが、そんな事実は一切ない。
この場ででっち上げた法螺話に他ならないのである。
「なるほどなぁ……。弾正さんの気持ちもわからんでもないが、そのせいで合戦が長引いちまって、結局は共倒れなんて事になったんじゃないのかい?」
「おい! それじゃぁ、弾正さんのせいだってのか!」
「そんな事は言ってねぇ!!
言ってねぇけど、あの合戦で伯父貴が死んじまったんだ……
だからよ。つい、弾正さんがいたらって思っちまってよぉ……」
「そうだったのか。すまねぇ。ついカッとなっちまった……」
「拙者からも詫びよう。
故あっての事とは言え、お主に辛い思いをさせてしまった。
スマン。この通りだ」
「そんな! 頭を上げてくださいよ!
俺が勝手な事を言っただけなんですから、弾正さんが頭を下げる様な事じゃないですって!」
「しかしそれでは拙者の気が収まらん。……そうだ!
伯父殿を切った輩を見つけたら、拙者がこの刀で切り捨てて進ぜよう!」
「…………いいんですかい?」
「無論だ。その時は無間一刃流の真髄をお主にも見せてやろう」
「ありがとうございます! 伯父貴もきっとあの世で喜んでます!」
「気にするでない。これは拙者の問題でもあるからな」
などと安請け合いしているが、彼の剣術の腕は素人同然であるという事を忘れないで頂きたい。これは、どうせそんな機会ないだろうと、高を括っているが故の安請け合いなのだ。
「そういやぁ弾正さん。
ここ何日か町を離れてたみたいだけど、何かあったのかい?」
「あぁ、その事か。すまんが、話せる事がないのだ」
「そんなケチ臭い事言わんでくださいよ~。
俺らと弾正さんの仲じゃないですか。勿体ぶらないで教えてくださいよ~」
「拙者とて話せる事ならば話したいのだが、面倒な所から口止めをされてな……」
「へ? そりゃまたどこから?」
「それも言えん」
「そんなぁ……。良いじゃないですか、ちょびっとくらい。ね?」
「……そこまで言うなら仕方あるまい。良いか? 決して口外してはならんぞ?
もしこの事が知られたら拙者のみならず、お主らにも危害が及ぶやもしれん。
それを努々忘れるでないぞ?」
「そ、そんな脅かさんでください。
オレ達だって無理に聞き出そうなんて思っちゃいないんですから……。
なぁみんな?」
切れ長の目を細めた弾正の様子を見た男達は、怖気づいたのか口々に弾正の話を遮ろうとする。
が、蓋を開けてみればなんて事はない。
野良犬に盗られた草履を取り返そうと方々を駆けずり回っていただけなのである。
「お主らがそう言うならば、拙者も何も言うまい。
世の中には知らぬ方が良い話もある故にな」
内心ではこれ以上踏み込まれたらどうしよう? などと慌てていたが、そんな様子を微塵も感じさせず鷹揚に杯を傾ける弾正。
その様を見て、男達は気づかれない様にほっと息を吐くのだった。
「そういやぁ弾正さん。
以前は織田の所に居たって聞いたけど、それは本当なのかい?」
「然り。以前、織田殿の食客として世話になっておったが、それがなにか?」
「いや、弾正さん程の方がいたってのに、どうして謀反なんかがおきちまったのかなって思って……」
「あぁ、あのキンカ頭の件か。あれは痛恨の極みであった……。
織田殿の命とは言え、猿と一緒に備中で遊んでいる場合ではなかったのだ」
重ねて言わせて頂くが、これは事実無根の与太話に他ならない。
弾正が合戦に行った事などありはしないのだから。
「ってぇと、あの時は太閤様と……?」
「応とも。
世話になった織田殿の無念を知った拙者は、秘奥を使い毛利共を即座に締め上げ、キンカ頭に身の程を教えてやったのよ。
その後に織田殿を救えなかった拙者は我が身を恥じ入り、名を伏せるよう猿に伝えて陣営を離れたのだ」
「へ~!! って事は、あの中国大返しは太閤様じゃなくて弾正さんの手柄って事ですかい?」
「その様な物言いは好かんが、そうだ。
あの猿は拙者の後をついて回っていただけよ」
くどい様だが、これは真っ赤なウソである。
腰に差した立派な刀と風貌故に周囲の者は信じているが、刀をまともに握った事もないこの男。
実際に切った張ったの事態となれば、道場に通う門下生相手でも勝ち目は無いのだ。
弾正の法螺話をすっかり信じている男達は、口々に弾正を褒め称え、杯を交わし合う。
と、店の入口から何やら騒がしい声が聞こえて来た。
「店主。とりあえず上等な酒をもらえるかい?」
声を引き連れて厳しい男がそう声を上げる。
身形が良いとはお世辞にも言えないが、身体のあちこちに付いた刀傷から歴戦の強者である事を窺わせ、中でも片方の目を縦に遮る傷跡が男の雰囲気を更に剣呑な物にしていた。
「おや、風間さん。お久しぶりですね。
篠崎でのお噂は私の耳にも届いていますよ」
そう言いながら、恰幅の良い男が酒の入った瓶を持って来る。
彼こそがえびす屋の店主その人である。
「そうかい。まぁ、オレァ頼まれた仕事をしただけだ。
誇る様な事じゃねぇよ」
「はっはっは。相変わらずですね。
これは店からの奢りです。楽しんでください」
「おいおい。こんな上等な酒をいいのかい?」
「構いませんよ。
その代わりと言ってはなんですが、今後もご贔屓に」
「はっ! 店主にゃ敵わねぇな。
ありがたく頂いとくぜ」
風間と呼ばれた男と店主の会話を聞いていた一人が、何かを耐えるように身を震わせていた。その尋常ではない様子に気付いた弾正は、どうしたのかと思い声を掛けるのである。
「おい。どうした? あの男が来てから何やら様子がおかしいぞ?」
「すまねぇ弾正さん。あいつなんだ……」
「あいつ? 何がだ?」
「あいつが先の大戦で伯父貴を殺したんだ……。
切った張ったは戦の常ってのは、頭じゃ理解してるがやっぱ割り切れねぇよ」
「そうか……。
だが、ここで刀を抜いては店主に迷惑がかかる。
すまないが今暫くは辛抱してくれ」
先程交わした約束に関して、己の迂闊さを呪う弾正ではあるが、どうにか理由をつけてこの場をやり過ごそうとする。
「あぁ、わかってるよ。
無関係の人を巻き込むんじゃ伯父貴だって喜ばねぇ。
それに、弾正さんには相応しい場で刀を抜いてほしいからな」
そう言って笑う男の顔は、無理をしているのが容易にわかる程で、周囲の者達は縋る様な目で弾正を見る。その視線から逃れる様に弾正は杯を傾けるが、空となったままの杯はその役目を果たす事ができない。
そうこうしている間に風間と店主の会話は進んでおり、何やらキナ臭い内容となっていた。
「それじゃ、またすぐに合戦があると?」
「あぁ、今度のは今までと訳が違う」
「というと?」
「遂に太閤様が小田原とやり合うらしい」
「なんとまぁ……。
で、風間さんはどちらにお味方するので?」
「気安い傭兵稼業とは言え、仁義ってもんは捨て置けねぇからな。
散々世話んなった小田原方に付こうと思ってる」
「立派な御心ですね。
一介の商人に過ぎない私ですが、風間さんの御健勝をお祈りしてますよ」
「よせやい! さぁ、この話は終いだ!
せっかくの酒が不味くなっていけねぇ」
そう言って何かを誤魔化す様に杯を勢い良く傾ける風間。
そんな二人の話を聞いていた男が、その身を震わせながら弾正に視線を向ける。
その無言の圧力と先の件で逃げ場を失った弾正は、内心では逃げ出したいと思いながらも、鷹揚に頷いてみせる。
「任せよ。先の約束通り必ずや彼奴めの首を刎ねてみせようぞ」
「という事は……!」
「うむ。昔の誼もあるからな。
拙者はあの猿に味方してやるとしよう。
そして戦場で彼奴と出会った暁には……!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!
この御恩は末代まで忘れません!」
「そう固くなるでない。なに、ほんのついでの事。
その様に畏まられては、こちらが困ってしまうわ」
そう言って笑いかけながら、瓶ごと酒を煽る弾正。
内心では恐ろしくてすぐにでも逃げ出したい程ではあるが、そんな事をしてしまえば、この心地よい空間へはもう戻れないという思いと、微かに残されていた仁義の心により、どうにかその場に踏み止まる事が出来ていた。
「さて、世話んなったな店主。
今度という今度は最後になるかもしれねぇが、達者でな」
「えぇ。風間さんも御武運を」
そう言葉を交わし合い、風間はまだ酒の残る瓶を片手に店を出て行くのだった。
その背中を憎々しげに睨みつける事で、弾正はいくらか溜飲を下げるも、己が身に待つ運命を呪わずにはいられないのである。
「さて、それでは拙者も支度がある故、これにて失礼させて頂く。
各々方はこれで楽しまれよ」
そう言って懐から銭を出し、席を立つ弾正の姿は悲愴な覚悟を決めた侍そのものである。その様を見た取り巻き達は、その姿を目に焼き付けんと弾正が店を出るまで見つめ続けるのだった。
さて、この物語はこれにて閉幕と相成ります。
全く面識のない太閤様の幕下に加えて貰う事ができるのか?
また、戦場に出た事はおろか刀をまともに握った事のない弾正が、この後どうなるのか?
それは私にもわかりません。
なにせ、私はえびす屋の給仕に過ぎないのですから。
え? ただの給仕が弾正の過去を知っているのか? ですって?
彼は気付いてくれませんが昔、彼の小さな勇気によって救われた人間が居た。
ただそれだけの事ですよ。
奇怪な縁で再会しましたが、彼の頬の傷は私のせいなのです。
ですが、それもまた別のお話。
それでは皆様。御縁がありましたら、またお会い致しましょう。
私はこの『えびす屋』にてお待ちしておりますので、
さてさて、想定ではもっとコメディ調となる予定だった本作ではありますが、いかがだったでしょうか?
この後、弾正がどうなったのか?
また、他の陸侍はどんな生活をしているのか?
機会があれば書いてみたいなと思う次第であります。
拙作を読んでくださった皆様の心に何か感じて頂けましたら幸いです。




