恐怖と一目惚れ
母に怒鳴った翌日の朝、友哉は平静を装いながらも内心ドキドキしていた。母に対して感謝の気持ちがある分、昨日のことにとても罪悪感があった。
謝りたい気持ちがあるのに邪魔なプライドがその感情を押え付けていた。
(このクソみたいなプライドを捨てるのは簡単だ。でも、それだと今までの俺を否定することになる)
もちろん、そんな自分は否定しまったほうがいいに決まっている。だが、否定したときに自分がこうなった『きっかけ』が恐怖として襲い掛かってくるのだ。
捨てようか、と思った時には毎回のようにその『きっかけ』が首を締め付けるような感覚に襲われる。
(……結局、俺はこのままがいいんだろうな)
どこか諦めたように苦笑いを浮かべる。そして、そのままリビングに行くと。
「おはよう、友哉! 昨日はごめんね、騒がしくしちゃって……」
「………………………………………………………………………………ぇっ?」
「…………? どうしたの、呆けた顔して。ほら、ご飯食べましょ!」
状況の把握ができない友哉は言われるがままにいつもの定位置に座り、合掌してご飯を食べ始める。
いつもと違う母に違和感、というよりは何というか気持ち悪いと感じてしまった。
確かに小さい頃は毎日明るく元気に話し掛けてはいたが、友哉が今の状態になってからは口数がめっきり減っていた。
(……昨日のあれが関係してるのか?)
友哉は昨日の母の行動を思い出す。しかし、その行動に対して友哉は冷たい態度、挙げ句には怒鳴り返した。
普通なら不機嫌になってもおかしくはない友哉の態度に何故こんなにも明るく居られるのか、今の友哉には分からなかった。
「ごちそうさま」
「はーい。美味しかった?」
「あぁ」
「そっか! 良かった!」
当たり前のように質問に対して素っ気なく返事をする友哉に母は明るく元気に言葉を発してくる。
(…………小さい頃と一緒)
友哉は思い出すように母の後ろ姿を見詰める。その姿は変わっていないのにとても大きく感じた。あの時は母と話すのがとても楽しかった友哉、でも今は。
(ダメだ。会話が1番の原因なんだ。会話さえなければ、誰かと喧嘩になることだってない……!)
いい思い出を振り払い、自分がこうなった原因を思いだし己を叱咤する。
これ以上ここに居たら、何かが変わってしまうと警鐘を無理矢理ならして、リビングから部屋に戻る。そして、学校へ行く準備を滞りなく済ませ、玄関へと向かう。すると、洗い物途中の母が玄関まで見送りにきた。
「あら?もう行くの?」
「……あぁ」
「そう?気を付けてね」
「あぁ」
短く素っ気ない返事をして友哉は甘くて懐かしい空間を後にした。学校が終わってここに帰ってくるのがとても悲しく恐怖だった。
友哉はいつも通りにイヤホンを耳に装着して登校していた。今日は家を出るのが早かった為か、回りを歩く生徒たちの顔触れも違っていた。
およそが朝練のある部活に所属している生徒たちだろう。
(全く……母さんのせいで朝から憂鬱な気分だ)
そう、回りを歩く生徒たちのやる気に友哉は嫌気が差していた。皆で強くなろう、上手くなろう、その目標が本当にくだらない。
所詮、一時の感情。部活を引退したらそれまでのこと。
大人になっても続けるならまだしも高校、もしくは大学までで辞めてしまうなら、何故そこまでやる気を出して部活動に参加するのか。
(どうせ『いい思い出』になって終わりだろうに)
その思い出が大人になったから一体何の役に立つのか知りたい。『いい思い出』のメリットを納得できるように説明して欲しいものだ。
そんな事を毎回のように考える友哉の性格はかなりひねくれている。
中学時代も部活には参加せず、委員会も極力、活動が少ないものを選び人との関わりを減らしてきた。
今も当然、部活に所属をしておらず、委員会も活動が少ないものを選んだ。だから、今回の日直に選出されたのはとても腹立たしかった。
(はぁ、後4日……あいつと関わるのか……めんどうだな)
ため息を吐き出し、信号待ちをしている友哉は昨日からやたらと自分に関わろうとしてくるクラスメイトの顔を浮かべていた。
ぼっちはぼっちでも自分とは違う類いのぼっちだということは理解している。昨日の行動を見ていれば明らかだ。
(極力、突き放したいけど……それをはね除けて関わろうするから厄介だ……)
信号が変わり歩き出し、どうやって詩織と距離を突き放すか考えていると不意に肩を叩かれた。後ろを振り向くと頬に人差し指が触れた。
「にゃはは、引っ掛かった!」
(波端じゃない、誰だ?)
「おっと、信号が変わっちゃうよ、早く渡ろ!」
「…………」
後ろの女子に急かされ、横断歩道を渡る友哉。
誰かも知らないヤツに馴れ馴れしくからかわれ、それを面白がっている女子に怒りを覚えていた。しかし、関わるべきではないと怒りを抑え、何事もなかったように歩き出す。
すると、後ろから何か飛び付き、耳に装着していたイヤホンを外された。
「おーい、先輩を無視するとは何事だ!」
先輩と自称する女子生徒に友哉は直感で面倒なことになると沸き起こる怒りをグッと堪え、いつものように冷たく素っ気ない態度で敬語で言葉を返す。
「……すみません。急いでいるので」
「急いどるようには見えんけどね!」
「…………」
「おっと、私に怒っているね!」
分かっていて何故、平然と話し掛けてこれる神経のほうが友哉にとっては疑問だった。
仮に先輩だったとしても初対面……のはずだ。中学時代、人との関わりを最小限にしてきた友哉に仲のいい先輩など存在しない。
「まぁ、君が戸惑うのも仕方ないことさ!だって、話し掛けるのは今日が初めてだからね!」
「そうですね……!」
さっさとこの場を離れたいのに抱き付かれているせいで歩けば、自動的に自称先輩も付いてくる。引き剥がそうとするもがっちりホールドされていて、自称先輩を地面に下ろすことができない。
先ほどからすれ違う生徒や大人の視線が痛い。
「そう暴れるな!どうして私が君に話し掛けたか教えたら今は離れるとしよう」
「……!」
「そ、れ、は、ね」
自称先輩は友哉の耳元にそっと口を近付け、さっきまでとは比較にならない小さい声で一言。
「君に一目惚れしたからさ」
「ぇっ?」
「それじゃ! 学校で!」
宣言通り、自称先輩は友哉の背中から離れて駆け足でこれから友哉も歩く道を駆け抜けていった。取り残された友哉は自称先輩の言葉を思い出す。
『君に一目惚れしたからさ』
その言葉を耳を全く離れず、顔がだんだんと火照っていくのが分かった。
今までに感じたことのない感情に戸惑うばかりの友哉はイヤホンを装着するのも忘れ、ゆっくりと歩き出した。