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エピローグ ドアのベルが鳴るまで待つから

 


 1



 それから一週間が過ぎた。

 僕は相変わらず店を続けていて、常連になっている女子高生と話をしていた。

 とりとめの無い会話に癒されていると、ドアのベルがカロンと鳴った。その人物はいかにも不機嫌そうにカウンターまで来て僕の前に座ると、「アイスコーヒー、モカ。砂糖とシロップはいらねえ」とその長い脚を組んで苛立ちながら(ひじ)をついて睨む。

「かしこまりました」と僕は淡々とアイス作りながらコーヒーを作っていた。

 その不機嫌そうな人物――御手洗小豆さんはその赤茶色の長い髪を()き上げると、

「私の事を馬鹿にしてんだろ」と思い切り低い声で呟いた。

 驚いて振り返り「何でです?」と返すと、彼女は「いいんだよ、そんな芝居は。見ててイライラするぜ」とまた髪をくしゃりと掻き上げる。僕はやっぱり女の人の髪っていいなあ。男とはまるで違うなあと本当にどうでもいい事を考えていた。

 なので、

「馬鹿にする理由が見当たりませんよ」

 と本気で言うと、小豆さんは「けッ」と吐き捨てるように舌打ちすると、

「なあ~にが『馬鹿にする理由が見当たりません』、だ。解ってんだろうが。華子の事に決まってんだろうがよ」

 そう少し高くなった声で言ってから、僕の作ったアイスコーヒーに口をつける。

 そう言われても。僕は本当に首を傾げざるを得なかった。

「華子さんはもういないんですから。仕方ない事ですよ」

 と本心とは全く逆の事を言ってみる。一瞬、凄まじい殺気を込めた目付きで僕を睨んだが、内心の葛藤(かっとう)がわかったのだろう、何も言わずそのままアイスコーヒーを飲む小豆さん。

 僕らの前から華子さんが消えてから、一週間が過ぎていた。小豆さんが言っている事はおそらく彼女を取り戻す事が出来ない事と、何も手立てが無い事を示しているのだろう。

 仕方のない事。自分でそうは言いつつ、胸の中は空っぽになってしまったような気がしていた。

 あの日、宿借小学校から警備員に連れられて玄関から出て来たところで、赤いスポーツカーがスライドしながら校内に入ってきた。

 中から出て来たのは長い髪を振りながら睨む目付き鋭い小豆さんで、僕を(つか)んでいる制服の警備員を眺め、大声で「そいつは私の関係者だ、話があるならコイツに通してからにしろ」と叫んで歩み寄り、財布から名刺を取りだして示した。

 その名前を見ると途端に二人は(おび)え始め、「す、すいませんでした」と震えながら去って行った。それを見ながら『水戸黄門』の印籠(いんろう)みたいだなあと回らない頭でそのまま車に乗って去っていく二人を見つめていると、小豆さんは僕を見上げながら訊いてきた。

「華子は、見つかった――いや、違うな、……――成仏、したのか?」

 あの光を恐らく小豆さんも来る時に見たのだろう。何も追求せず、ただそれだけを言った。

 僕は何とか笑顔を作りながら、「はい」とだけ言った。

 小豆さんはくしゃりと髪を掻き上げると、雨で濡れた身体を乾かすようにぶんぶんと頭を振って水気を飛ばした。

 そのまま車に戻ると、「お前も乗ってけ」と言って僕を手招きした。原チャリでまた戻るのも怖かったし、申し訳ないが置かせてもらう事にして、そのスポーツカーの助手席に座った。

 小豆さんも乗り込み、ギヤを入れて排気音を響かせながら環境無視でガスを出しつつ発進した。車の中で、小豆さんは一言だけ言った。


「悪かったな。一番辛い役どころさせて」


 その言葉に僕はまた目が滲みそうになりながらも無理矢理顔を引き締め、「嬉しかったです」、と言った。

 嘘つけ、と小豆さんが小さく返した。

 フロントガラスに叩きつけられる雨の音だけが響いた。

 僕らはそれ以上何も、喋らなかった。



 2



 この世に未練のある者、この世でやり残したことがある者が天国だか涅槃(ねはん)に行かず、その思いに支えられるようにまた戻ってくる。

 華子さんはずっとわだかまっていた過去のしこりを消し、今はどうなっているのか解らない。が、輪廻(りんね)転生(てんせい)があるのならば、今こうして入ってきている虫たちの一つになっているのかもしれない。僕はそういう方面はからっきしだから、よくは解らないが。

 いつもやっている事としては、華子さんが座っていたカウンターの奥の椅子の上に、最初に会った時に差し出したクッキーを置いて、その時のコーヒーを置いている事。

 特に理由があった訳ではない。ただ単純に供え物のような感覚で、続けていた。

 何となく、そこから彼女が見ていてくれているような気がしたから。本当に、ただの感傷にすぎないと解りながら。

 小豆さんはまだ後悔している様だった。この世に戻ってくるための方法などを探していたものの、いい方法は見つからず、僕の所に来てはらしくない自虐(じぎゃく)的な事ばかり言っている。

 そんな人の傷口に塩を塗り込むような真似は出来るはずは無く、だた黙って聴いているしかなかった。

 華子さんが去ってから三週間後。

 僕は店を閉めるためにドアに向かって行った。

 そこで、少し悪戯(いたずら)心を持った。

 ある時、源さんからもらった華子さん秘蔵写真集を持ってきて、大声で叫んでみた。

「華子さんの肌って、なんでこんなに綺麗なんだろ~いやあ~これは僕だけが持っているのはもったいないッ。皆に配ってしまいたい、いや、配るべきだなぁ~全くそうだ、うん、では早速これを手始めに中村先生の所に送ってみよう。何て言うかなあ、『やっぱり綺麗になったな綺麗~』とか冗談でもないような冗談言うのかな~意外と真面目な人ほどむっつりだからな~喜んでくれるかもしれないな~」

 自分の事をこれ程まで馬鹿と思ったのは久しぶりだった。言ってて(むな)しい。止めよう、もうこれ以上期待してもしょうがない。すっぱり諦めよう。

 そう言って、その写真集を見ながら、ぽつりと、呟いた。


「戻ってこいよ、バカ女……」


 くしゃり、とその写真集を握りしめた。

 そして、ドアの方へと向かって歩こうとした時だった。


 カロン、と音がして、僕は立ち止まる。驚いた。僕はそのゆっくりと開けられる扉を見て――

 息が、止まる。


「あー、疲れましたぁ、ああ、早く飲み物が飲みたいですねぇ~」


 重そうな旅行鞄を持ちながら、入ってきた人物、それは。

「あ、民ちゃん、私にオレンジジュース下さい~いつも民ちゃんが飲んでるやつですよ~」

 時間も、止まった。

 僕は震える指で、彼女を指さした。あれ、何で、ええ、どうして、ええ、えええ、えええ、ええええええ! ええええええええッ!!??

「何でいるんですかぁッ、アンタぁ!!」

 心からの悲鳴を上げていると、「指さすのは失礼ですよ、民ちゃん」と正にどうでもいい事を言ってきた。そんな問題!? なわけないよ!!

「な、何で、いや、それより何でまだ成仏してないんですか!? なんで僕の事忘れてないんですか!? っていうかあなた本物の華子さんなんでしょうね! ビックリだったら許しませんよこの偽物め!!」

 自分でも何言ってるのか解らないとは思ったものの、それだけ僕の頭は混乱していた。

 華子さんは、ゆっくりと微笑むと、僕に向かって、こう言った。

「未練なんか、残りまくりですよぉ私。何でか解りますかぁ?」

「全く解りません」

 彼女は一瞬で近づき、僕のわき腹に強烈なボディブローを叩き込んだ。

 床に倒れ伏し、悶絶(もんぜつ)している僕に向かって、やれやれと首を振って抗議してくる華子さん。「こんな事、オンナノコに言わせるもんじゃないですよぉ? 民ちゃん?」そう言われましても。僕にどうしろと。

 そんな疑問百パーセントの目で彼女のその吸い込まれそうなほど綺麗で深い黒目を覗くと、ふふ、と笑い、しゃがみこみ、僕の鼻の頭をつんつんと突いた。

 僕がまだ痛みで起き上がれずにいる所をとても楽しそうに笑いかける華子さん。ゆっくりと首を傾げて、僕の唇に顔を寄せて、口づける。

 頭が真っ白になっている僕に、僕が見た中で一番綺麗で鮮やかな色をした唇が僕のかさついた不細工な唇に重なっている。目を閉じた彼女の体温とほのかに香る甘い匂いに僕の頭は完全に停止した。

 すっと離れ、華子さんは言った。


「毎日コーヒーとクッキー置いてくれて、しかも毎日寝る前に私の部屋を掃除してくれてる人にぃ、未練感じない訳ないでしょぉ?」


 僕は固まったまま、華子さんを見続けた。

 華子さんは笑ったまま、僕の手を握った。

 僕は(ほう)けながら立ち上がる。

 つい、と横を見ながら、赤くなった頬を隠すようにそっぽを向きながら、華子さんは言った。


()りついてやりますぅ。一生ねぇ」


 僕は笑みが込み上げるのを抑えられなくなった。

 ちょっと考え、僕は言う。

「ねえ、華子さん、僕から、提案があるんだけど」

 少し首を傾げ訊き返す。

「何ですかあ?」

「一生なら問題ない事なんだけど、聞く?」

「? はい」

 そう言うと、カウンターに走り、新品のストローを取り出し、その袋を丁寧に紙縒(こよ)りにし、そしてまた走って戻ってくる。

 きょとんとしている華子さんの左手をとり、その薬指に紙縒りを三重にして、縛る。

 ようやく意味が解った彼女は頬を爆発させたみたいに真っ赤になって(うつむ)く。まだだ。まだ許してやらない。僕を、僕達を心配させた罰を、これから最大に込めて言ってやる。

 僕は彼女の前で手を取って、言った。

 人生でこの上なく恥ずかしくて最強の、言葉を。

 そのセリフに更に真っ赤になりながら、それでも小さく、でも確かに、首を縦に振って華子さんは微笑む。

 冬の訪れが近づく町の中で、一つの物語がまた始まる。

 僕の指に、小さく、細い指が(から)まる。

 抱きしめた柔らかさに、鼓動を激しくした。

 僕と華子さんの最高の一日が、終わった。




 ……まあ、この話はこんな感じで終わりだ。

 (つま)らなかった? それはまあそうかもれない。

 これは、僕の彼女に対する、一つのラブレターだから。

 でも、これだけは解ってもらいたい。


 華子さんが、絶対最強無敵に可愛いという事。

 この世で一番、可愛いという事。


 それを解ってもらえたなら、僕としては全く問題ない。


 華子さんは今日も僕と一緒に喫茶店にいる。


 華子さんは今日もどこかのトイレを掃除してる。

 世界の何処かで、誰かのために磨き続けてる。


 どうやって移動してるのかは、まだ、謎なんだけど、ね……。


 ……ねむい…………。


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