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メタリア ――殺人屋敷の少女――

作者: 付谷洞爺

久しぶりの更新となります。楽しんでいただけたらいいかなと思います。

 三年前のあの日。私は彼に願った。

 どうか殺して下さい。私を馬鹿にし、蔑んだ人達すべてを殺して下さい、と。

 でも、その願いは敵わなかった。なぜなら私がそう願った直後に、彼は捕まってしまったから。

 公式の発表では、彼は男で、三十代の半ばを過ぎているのだとされた。

 私がそれを信じたのかといえば、答えはノーだ。

 公開された写真も、記者会見の場で小太りで口髭を生やした偉そうな警官が言った言葉も、彼が捕まったという事実も。

 何も信じなかった。信じたくなかった。

 彼だけが、私の希望だった。……なのに、どうして!

 どうして、捕まったのか!

 私はそのニュースを聞いた時、腹腸が煮えくり返るほどの憎悪を覚えた。

 役立たず! そう罵ってやりたい気持ちに襲われた。

 もともと、大量殺人犯として名を馳せた彼が殺していたのは、娼婦や不貞を働いた妻や夫といった人達だけだ。

 私が嫌いな人達を殺してくれるだなんて保障、どこにもなかった。

 でも! でも!

 少しくらい、ほんのちょっとくらい私の願いを聞き届けてもよかったのではないだろうか!

 私を嫌い、私を蔑み、私が嫌いなあいつらを殺すくらいのことはしてくれてもよかったのではないだろうか!

 そんなことを考えたところで彼はもういない。

 だから、私はもはや彼には頼らないことにした。

 自分の望みは自分で叶える。そう決心したのだ。

 そう――私は殺した。私のことが嫌いで、私を蔑み、私が嫌いなあいつらを。

 この手で。自らの意志で。

 殺したのだ。

 がらりと教室の扉が開き、見覚えのある顔が驚愕に歪むのを私は観た。

 ぼぅっと。まるで遠い世界の出来事のように。

 そのおじさんの口が動いた時、私は思った。

 ああ、私もあの大量殺人鬼のように警察に捕まるのだわ。

 私の足下に転がっている死体は全部で三つ。どれもこれも、生きていたって世の中の害にしかならない連中だ。

 でも、殺人は殺人だ。警察に捕まり、裁判を受け、周囲からの罵倒を浴びて死んで行くんだ。

 自分の末路を想像しながら、私はなんだかおかしくなって笑っていた。

 おじさんの声は、私の笑い声で掻き消される。

 おじさんは私が話しを聞いていないと思ったのか、私の手を取り、教室を出た。

 血塗れの制服のまま、静かな夜の学校を抜け出し。

 そうして私は、警察に連れて行かれるのだわ。

 そう、確信した――。

?

 今朝方、三人の人間の遺体が発見さらた。さらには、その遺体は全て子供のものだという。

 そのニュースがカーデスの街中に響き渡るのに、半日とかからなかった。

「……なんだか、ずいぶんと賑わってんなぁ」

 軽い調子で乗用車の運転席の窓から外を見ながらフランクリンが言うと、すかさずステファニーが突っ込みを入れる。

「あんた、ニュース観てないの? このあたりの学校で子供が三人も殺されたのよ」

「そんな暇があったら携帯の履歴の整理でもしてるよ」

 フランクリンが口にしたことが冗談なのか図りかねて、後部座席に座るハワードは苦笑した。

「大体、なんでそいつら殺されたんだよ?」

「それを調べるのが私達の役目。わかった?」

「へーへー、わたりましたよ」

 フランクリンがぶつくさ文句を言いながら、ハンドルを握る手に力を込める。

 何だか、今日の彼はかなり機嫌が悪そうだとハワードは思った。

 そっと、ステファニーへ耳打ちする。

「フラン先輩、どうかしたんですか?」

「今日、本当ならどこかの女とデートの約束があったんだって。それがパァになって、いじけてるのよ」 

 ステファニーが小声ながらも、あきれたというように吐息した。

 二人の内緒話はフランクリンには聞こえなかったらしく、彼は変わらず、運転に集中している。

 ハワードは後部座席のシートに座り直すと、ちらととなりを見やった。

 彼のとなりに座るのは、金色の髪を持つ小さな女の子。

 年齢と肉体が合致しない、哀れな少女。

「ねぇ、きみはどう思う?」

「…………」

 少女はぶすっと唇を突き出し、不満を露わししたまま一言も発しようとはしなかった。

 ただ、車窓の外をじっと眺めているだけだ。

 このお祭り騒ぎを眺めながら、彼女は何を感じ、どんなことを考えているのだろう?

 その答えは、ハワードにとって何より気になることだった。

「ねぇ、メタリア」

「止めとけって、そんなふうに親しげに話しかけるの」

 前の席で運転中のフランクリンが突如としてそんなことを言ってくる。

 彼のとなりに座るステファニーも、何も言わない。

「……俺は別に親しげになんか。ただ、彼女の意見を聞いてみたいと思って」

「そいつは必要な時以外喋らせなくていい。それがルールだ」

 フランクリンの声には、苛立ちが乗っていた。

 デートを潰されたから、というのだけが理由ではないだろう。

 彼らとともに仕事をするようになって二ヶ月。その程度のことは、わかるようになってきた。

 

 

                     ◆◆

 

 

 街の端にある小汚いアパートメント。ここが、今回通報してきた人物が暮らしている家だ。

「家というよりお化け屋敷ね」

「ステファ、そいつは言っちゃまずいぜ?」

 なんの捻りもなく、正直に評したステファニーにフランクリンがたしなめる。

 いつも通りなら逆の構図になるはずだが、関係者宅を前にしたフランクリンがどれほど猫を被るか、この二ヶ月にハワードはよくわかっていた。

「……んにしても、どうして今回は初っ端からこいつを連れて来なくちゃいけなかったんだ?」

「知らないわよ。室長命令なんだから」

「その室長は局長命令って言ってましたね」

「何にしても、組織の人間ってのは上の命令には逆らえねぇってことか」

 うんざりしたように言うフランクリン。ハワードはちらと背後を返り見た。

 そこにいるのは、当然ながら金髪の少女――メタリア・ジャックソン。

 十九歳という年齢の割に小柄で、発育も悪い。不健康なまでの白い肌と、眩しいほどの金髪、どんよりと曇った青い瞳が特徴的な、可愛げの欠片もない少女だ。

 およそ数年前、娼婦や売春婦に対し異常なまでの執着を見せる大量殺人事件が起こった。

 俗に『切り裂きジャック事件』と呼ばれるその事件の犯人として、彼女は現在警察により拘束されている。

 のだが……、

「いい、あなたがこうして外を出歩けるのは、捜査に協力してもらうため。もし少しでも妙なことをしたら、ただじゃおかないわよ?」

「…………」

 ステファニーの忠告にも、つんと顔を逸らすだけで応えようとしないメタリア。

 ステファニーは諦めたように吐息して、視線をメタリアから古いアパートメントへと向ける。

「……それじゃ、フラン。お願い」

「はいよ」

 ステファニーに促され、フランクリンが前へと進み出る。

 門に設置されているインターホンに手を伸ばし、押してみる。

 呼び出し音が鳴り、数秒して備えつけのマイクから野太い中年の男のものと思われる声が聞こえてきた。

『……はい、どちら様でしょう?』

「私達、警察のものなんですが?」

『ああ、はいはい。聞いてますよ』

 どうやらこのアパートは、一度門のところでインターホンを鳴らして守衛に照会してもらわないといけないらしい。割とセキュリティはしっかりしているようだ。

『ちょっと待ってて下さい』

 ブツッとマイクから音声が途絶え、直後、自動的に門が開いた。

「どうぞお入り下さいってことか?」

「……でしょうね」

 ハワードが確信を得るより先に、フランクリンとステファニーが門の内側へと足を踏み入れた。彼らに続き、ハワードとメタリアもアパートの敷地へと入る。

 すぐに玄関らしき場所が見えてくる。

 ――と、そこに美しい一人の女性が立っていた。

「お待ちしておりましたわ、みなさん」

「あなたは……?」

 にこりと小さく微笑む彼女に、ステファニーが猜疑の眼差しを向ける。

「私の名前はレイア。このアパートの二階に住んでいます」

「……ミス・レイア。では、あなたが私達に通報を?」

「はい。そうです」

 こくりと何の躊躇いもなくうなずくレイアと名乗ったその女性。

 レイアはまずステファニーに、次いでフランクリン、ハワードへと視線を向ける。

 最後にメタリアへと視線を落とし、少しだけ驚いたような顔をした。

「あの……彼女は?」

 何者なのか、と尋ねたいのだろう。だが、メタリアに関しては緘口令が敷かれている。無暗に口外できないのだ。

「ああ、彼女のことは気にしないで下さい」

「それより、早速ですが事件のお話をお聞かせ下さい」

「……はい、わかりました」

 どうにも腑に落ちない様子ではあったが、そこはレイアも大人の女性。察して見て見ぬふりくらいできるというもの。

「それでは立ち話もなんですので、こちらへ」

 そう言ってレイアはハワード達四人をアパートの自室へと招き入れた。

 

 

                     ◆◆

 

 

 紅茶のいい香りが部屋中を満たしていた。

 そんな中でも、フランクリンとステファニーはぴりっとした表情でレイアの話に耳を傾けている。

「……三日ほど前のことです。突然、妹の行ほうがわからなくなったのは」

 そう言って切り出した彼女の話は、実に不可解なものだった。

 三日前。正確には二日前の夜も明けきらない早朝。まだあたりは暗く、時刻もようやく三時を回った頃のこと。

 眠っていたレイアは、突如として起き出した妹の気配に目を覚ました。最初はトイレかなにかだろうと思って気にも止めていなかったが、以来妹は帰って来なかったという。

 それから三日。レイアは不安に押し潰されそうな日々を過ごしている。

「……どうしてすぐに警察に知らせなかったんですか?」

「わからなかったんです。警察に知らせるべきかどうか」

 レイアは悲しげに目を伏せ、俯いてしまった。

 すかさず、フランクリンがステファニーの脇を小突く。

「おい、なにやってんだよ」

「悪かったわよ」

 言い返すこともできただろうに、ステファニーは素直に謝辞を述べた。いらぬことに時間を取られるのを懸念してのことかもしれない。

「まぁ、お話はわかりました。それで、妹さんの行き先に心あたりは?」

「……家出、の可能性もありますものね。そうですね……」

 ステファニーの問いに、レイアは考え込むような仕草をする。

 ややあってから、ふっと彼女の口元が動いた。

「西にある公園……でしょうか。そのくらいです」

「西にある公園ですね。ありがとう。では、些細なことで構わないので他に気になる点や気づいたことなどがあれば」

「……そう、ですね。そういえば、私の妹と同じように失踪した近所の子共が何人かいました」

「本当ですか!」

 驚きのあまり、ハワードは声を上げてしまった。

 そこを、フランクリンに睨まれて黙り込んだ。

「そのお話を詳しく」

「はい……とはいっても、どの子も半日、長くて一日で戻って来たようですけど」

「つまり、親御さんが騒いでいただけだと?」

「そうは言いませんが……」

「まるで?ハーメルンの笛吹き?ね」

 そこで、それまで黙って話を聞いていたメタリアが不意に声を上げた。

「なんだって? ハーメルンってあのおとぎ話の?」

「そう。彼は夜な夜な、子供をさらう。美しい音色に乗せて」

「今はそういう話をしているんじゃない」

 馬鹿馬鹿しいとメタリアの言葉をフランクリンは一蹴した。

 実際、この場にいる誰もが彼女の先の発言に何ら意味を見出せず、ぽかんとしている。

 ただ一人を除いて。

「つまり、ハーメルンの笛の音色に総等する何かがあると、そうおっしゃりたいのですか?」

「あまり本気にしてはいけない、レイア。今のはこいつのただの思いつきだ。何の論理的根拠も存在しない」

「そう……もし仮にそういう何かがあるのなら、それは何だと思う?」

「それは、私にはわかりません。だからあなたほうにお願いしたのです」

「そうね。ごめんなさい」

「いやに素直だな」

「…………」

 フランクリンに言われても、メタリアはつんと顔を逸らすだけだった。

 彼は苛立たしげに眉をぴくぴくさせていたが、こほんと咳払いをするとレイアへと向き直った。

「まぁ誘拐と家出、双ほうの可能性を考慮して調べさせてもらいます。けれど、あまり期待しないほうがいい。もしも誘拐であるなら、犯人から何の要求もないのは不自然だ」

「……わかっています。それでも私は、妹が返って来てくれることを信じています」

 固い、揺れることのない眼差しがフランクリンを始めとした面々へと向けられる。

 特に、メタリアに向かって。

「あなたは一番頼りになりそうね」

「…………」

 彼女を見下げ、にっこりとほほ笑むレイア。その笑みが、よほど無理をしているものであろうことは容易に想像できた。

「……さて、それじゃあまずはその公園へ行きましょう」

 事態を静観していたステファニーが口火を切り、その場は解散となった。

 そうしてハワード達一行は、レイアの言う公園へと向かったのだった。

 

 

                    ◆◆

 

 

 公園――といってもすべり台とブランコ、それに小さな砂場があるだけの簡素な場所だった。

「……あまり人の気配がありませんね」

 きょろきょろと周囲を見回しながら、ハワードが呟いた。

 彼の言う通り、市街地から少し離れいているためか人通りは少なく、もし子供が一人で遊んでいたりしたら、簡単に誘拐できてしまいそうなロケーションだ。

「ああ、そうだな。これなら誘拐の線が濃厚……」

「それはないと思う」

 フランクリンの言葉を遮って、メタリアは言った。

 きろりとフランクリンが彼女を睨むが、どこ吹く風で続ける。

「普通、こんな場所に子供を一人で連れて来たりはしない」

「自分で来たのかもしれないぜ? なんせここまでそう離れちゃいなかったからな」

「……そうかもしれない。でも誘拐の可能性は低いと思う」

「なぜだ?」

「……勘」

「馬鹿にしてるのか?」

 ハワードから見ても、彼女の行動は他人を馬鹿にしているようにしか見えなかった。特に、肩を竦めてみせる仕草なんかそうだ。

 今にも爆発寸前のフランクリンを制して、ステファニーがメタリアの前に出る。

「根拠のない憶測だけで物事を語るのは止めなさい」

「どうして? そんなの私の勝手じゃない」

 睨み合う二人、そして怒り心頭といった具合のフランクリンを前に、ハワードは完全に蚊帳の外だった。

「おいハワード、なにボーッとしてんだ!」

「は、はい……すみません」

「フラン、八つ当たりしない」

 ステファニーにたしなめられ、黙り込むフランクリン。

「それで、どうするんです? こんな場所じゃあ手がかりを掴むのも一苦労ですよ?」

「だから、こいつの出番だろ?」

 ハワードに問われ、フランクリンがとある人物を指し示す。

 メタリアだ。

「どうして私が」

「そのために連れて来た」

「いよいよ外に出してくれる気になったのかと思ったのに……」

「外には出てるだろ。いいからさっさとやれ」

 どすの効いた声で、フランクリンが命じる。

 メタリアは渋々と言った様子で、足下を見回しながら歩き始めた。

 そうして十分ほどうろついた頃だろうか、メタリアが足を止めた。

「……これ」

「なんだ、何かあったのか?」

「……ハワード、ちょっと来て」

「お、俺?」

 名指しされ、ハワードがメタリアの下へと歩み寄る。

 そうして、彼女と同じように膝をつき、じっと地面を見据えた。

「……何もないぞ?」

「よく見て、ここのところ」

 メタリアに言われるまま、ハワードは目を凝らしてじっと地面を見続けた。

 そして見つけた、その何か。

「これ……車輪の痕か?」

「そうみたい。それも、自転車や荷車みたいなの。

 雑草の影に隠れていたそれは、車輪の痕。

「つまり、どういうことだ?」

「……ふん、もういい」

 しっしっ、と犬でも追い払うような仕草をして、メタリアはハワードを遠ざけた。

「何なんだよ」

 そして大人しく引き下がるあたり、ハワードはお人よしなんだなぁとフランクリンあたりは思った。

「こっちに続いている……?」

 ハワードがフランクリン達のもとへ辿り着くのと同時、今度はメタリアが歩き出した。

 慌てて彼女の痕を追う三人。

「おい、どこ行くんだよ!」

 ハワードが呼びかけるも、返事はない。

 ずんずんずんずん、と車輪の痕を追って行くメタリア。ハワード達は、その後を追うので精一杯だった。

 そしてどれくらい歩いただろうか。周囲の景色はすっかり変わり果て、かび臭い古い建物が目の前に現れた。

「これ……は?」

 誰からともなく問いかけるが、当然のように返事はない。ただ呆然と目の前の建物を見上げていた。

 それは大きな屋敷だった。以前に殺害された実業家のものほどではないが、木造で一昔前までは風情を感じさせていたであろう家屋だ。

「……俺、こういうのテレビとか雑誌で見たことある。日本屋敷って言うんだよな?」

「そうね。それにしてもなんて立派な……」

「メタリア?」

 フランクリンとステファニーが感嘆の吐息をする中で、ハワードだけが屋敷の門前に立つ少女を気にかけていた。

 タッタッタ、と駆け寄り、呼びかける。

「どうした?」

「……なんでもない」

 呟き、メタリアが門に触れた。

 すると――

「――この家に何かご用ですか?」

「――――!」

 ビクッ! とメタリア以外のその場にいた全員が肩を震わせた。

 四人は一斉に振り返り、その人物を見やる。

 彼らの目の前には、一人の男が立っていた。

 年齢は四十を少し過ぎたくらいだろう。目もとを覆い隠すほどの長い前髪とみすぼらしい身なりが特徴的な男だ。

 声もしわがれていて、まるでホラー映画に出てくる幽霊と対峙しているような気分だった。

「えと……あなたは?」

「私はこの家の主で名をラッセル・ユファと申します。あなたがたはどなたでしょう?」

「ああ、これは申し遅れました。私はフランクリン・リベレラスです」

「ステファニー・ドゥルクランと申します」

「あ、ハワード・クラウディアンです」

「…………」

 三人が男――ラッセルと挨拶を交わす中、メタリアだけがじっと黙り込んで彼を睨みつけていた。

 そう、まるで殺人鬼でも相手取るかのような眼差しで。

「そちらのお譲さんは?」

 ラッセルはそんなメタリアの態度に気分を害したふうもなく、彼女の身元の紹介を求めて来た。ステファニーが代わりにメタリアを紹介する。

「彼女はメタリア・ジャックソンです」

「見たところ全員年齢も性格もバラバラのようです。一体どういう集まりで?」

「これは失礼。私達はこういうものです」

 そう、フランクリンが代表して懐から手帳を取り出した。

 いわゆる警察手帳と呼ばれる物だ。

「……ほう、警察のほうでしたか。これは失敬。なんせこんなへんぴ場所に住んでいると発想まで貧困になってしまうものでしてな」

「いえ、警察が尋ねてくるなんて、普通は誰も想像してませんから。無理もありませんよ」

「まぁ、立ち話も何ですので、中に入って行って下さい」

「いいんですか?」

「ええ……どうせ道にでも迷われたのでしょう。このあたりはよくそういう人がふらふらっとやって来ますから」

「すみません、助かります」

 言うと、ラッセルは手にしていた荷物を抱え直し、ハワード達を先導するように彼らの前に出だ。その際、ちらとメタリアを一瞥する。

「……かわいいお譲さんだ。お二人の娘さんですか?」

「そんなわけないだろ、こんな奴!」

「そうよ、冗談は止めて!」

「二人とも本音が出てますよ!」

 フランクリンとステファニーが揃って声を上げるのを、ハワードが必死に止める。

 彼らのやりとりを聞いていたのかいないのか、ラッセルは一人先に扉を開けて屋敷の中へと入って行く。

「……さ、行くわよ」

 誰よりも先にメタリアが歩を踏み出した。それを受けて、ハワード達はキリッと表情を引き締める。

 そうして三人は、いかにも怪しげな屋敷へと足を踏み入れた。

 

 

                       ◆◆

 

 

 屋敷内は暗く、今時にしては珍しく電気もろくに通っていないため廊下は歩く際にはろうそくを灯さなければならない。

 ラッセルを先頭にフランクリン、メタリア、ハワード、ステファニーの順で一人ずつろうそくを片手に廊下を歩く。

 すると、客間へと通された。そこはこの屋敷の中でも数少ない、電気の通っている部屋のようだった。

「ここで少しお待ち下さい。今、お茶を入れて参りますので」

「いえ、どうぞお構いなく」

 先ほどまでの苛立ち具合が嘘のように、フランクリンが朗らかな笑みを讃える。

「そうは参りません。娘さんには甘いお菓子などお持ちしますよ」

「だから娘じゃないと……」

 彼が弁解に聞く耳も持たず、ラッセルが顔を引っ込める。

 フランクリンはふぅーっと溜息のようなものを吐いて、客間にあるソファへと腰を下した。

「……ったく、何なんだあいつは」

「本当よ、まったく」

「まぁまぁ」

 ぷりぷりと怒りを露わにする先輩二人をハワードがどうにか宥めにかかる。

「ところでメタリア、さっきから黙ってるけどどうした?」

「……べつに。とくに話すことがないだけよ」

「そうだ。おまえは俺達が必要と思った時だけ喋ればいい。それ以外は口を聞かなくていいぞ、ハワード」

「いや、そういうわけには……」

「ハワードきみ、いくら新人だからってもう二ヶ月にもなるのよ? 少しは学習して」

「……すみません」

 彼らの言い分に納得できないまま、ハワードは渋々といったように謝罪を口にした。

「それで、これからどうする?」

「彼は確かに怪しいけど、今回の失踪と関連性があるかどうかはわからないわね」

「……あるわ」

 ぼそりとメタリアが呟いた。ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声で。

 フランクリンは訝しげに眉を寄せると、スッと彼女へと顔を向ける。

「何? 本当か?」

「確証はない。でも、そんな気がする」

「話にならないな」

 フランクリンあ吐き捨てるように言う。

 そして訪れる、束の間の静寂。その静寂を破ったのは誰あろう、家人のラッセルだった。

「お待たせしました。お茶とお茶菓子です」

「ああ、これは申し訳ない。厚かましくも上がり込んだ上、こんなもてなしを受けるなんて」

「気にしないで下さい。私なりの礼を尽くしているだけですので」

 長い前髪の下から、朗らかな笑みが覗く。

 ハワード達も彼に合わせ、表面上は笑って見せる。

「ところでラッセル。一つ尋ねてもいいだろうか?」

「私にお答えできることならなんなりと」

 テーブルに置かれたティーカップから立ち昇る、紅茶のいい香りが鼻をつく。

「ここ最近、この屋敷の周辺で何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったこと、ですか……」

 フランクリンに問われ、考え込むように天上を見上げるラッセル。

「どんな些細なことでも構わないのです。よければ教えて下さい」

「そうですなぁ……」

 たっぷり数分ほど考え込んでいただろうか。ラッセルは不意に顔を下げると、ぽんと手を打った。

「そういえば、ここらで動物の姿を見なくなりましたな」

「動物を?」

 ええ、とラッセルが首肯する。

「以前は屋敷の周辺をよくノラのうさぎやイノシシなんかがうろついていたのですが、どうも最近はそれもめっきり減ってしまって」

「そう、ですか……」

 フランクリンが目に見えて肩を落としたので、ラッセルは思わずといったように慌てて言葉を紡ぐ。

「あの、この情報ではお役に立ちませんか?」

「……いえ、ありがとうございます」

 いつも通りの人当たりのいい笑みを浮かべるフランクリン。

 彼の背後で、ステファニーがあごに手をあてて唸っていた。

「うーん……」

「どうしたんです、先輩?」

「いえ、ちょっと」

 ハワードが尋ねても、煮え切らない様子でステファニーは言葉を濁した。こういう態度を取られては、ハワードには重ねて尋ねる気にはなれなかった。

 さらに後ろで黙って静観していたメタリアに振り返る。

「きみはどう思う?」

「……どう、とは?」

 逆に問い返され、ハワードは困ってしまった。適切な単語を探し求めるように、虚空に視線を飛ばす。

「えっと……さっきの彼の話」

「別にどうも。ただ、今回の失踪に彼が関与していたという確信を強くしただけよ」

「……! それは……」

「まだ確定情報じゃない。だからまだ話すことはできない」

 ぴしりとハワードを突っ撥ねるメタリア。彼女の瞳は、今だにたゆたう煙のように揺れていた。

「さて、みなさん。今日はもう遅い。止まって行かれますか?」

「いえ、長居するのも悪いですし、我々はこの辺で」

「しかし、外はもう暗いですよ?」

 そうラッセルが窓の外を指差した。すると、確かに日が落ち、仄暗くなっている。

「もうそんなになるのか。時間が経つのは本当に早い」

「そうと決まれば部屋を用意しなくては。みなさんそれぞれ個室がいいですよね?」

「いえ、俺達は……」

 フランクリンが断りかけたのを、メタリアは服の袖を引っ張ることで制した。

「お言葉に甘えて、今日は止まって行こうよ、パパ」

「パ……」

 意識を失いそうになりかけて、フランクリンがどうにか持ち堪える。

「では、決まりですな。すぐに部屋を用意いたします。紅茶でも飲みながら待っていて下さい」

 言うが早いか、ラッセルが再び部屋を後にした。

 彼の足音が遠ざかるのを確認して、フランクリンが声を荒げる。

「どういうつもりだ! 何を勝手なことを!」

「うるさいわよ。今帰れば、彼が失踪に関与していたかどうかわからなくなる」

「それはそうだが、彼は違うだろう?」

「どうしてそう思うの? 根拠は?」

「おまえこそ、どうして彼を疑う? おまえのほうの根拠は何だ?」

「それを探るためにあえて彼の口車に乗ったのよ」

 ぐるるるる、とまるで仇敵にでも出会ったかのように睨み合うメタリアとフランクリン。二人のやりとりはまるで殺伐としていて、ハワードとしてはとてもじゃないが間に割って入る気に離れなかった。

 だからだろう。仕ほうがない、というようにステファニーが二人を諌めにかかる。

「落ち着いてフランクリン。この女の言う通り、彼が今回のことに関与しているか否か、見定める必要があるわ」

「ステファニー、おまえまで……!」

「でも、勘違いしないでね。私はフランに賛成だから」

 きろりとステファニーがメタリアを睨みつける。だが、メタリアにとっては特別間に障る、というようなこともなく、いつも通り淡々としていた。

「さて、そのためにするべきこと何だけど……」

 ステファニーが今後の予定を詰めようとした、まさにその時。

 パッと部屋の電気が消え、真っ暗になったのだ。

「何!」

 驚愕に包まれる一同。ただの停電か。

「それとも……」

 メタリアが瞬時に三通りの可能性を思いつく。しかし、どれも間違っているように彼女自身思えて仕ほうがなかった。

「く……電気は」

「待ってフラン、下手に動いたら……!」

 ステファニーの忠告を無視して、クランクリンが電気のスイッチを探して歩き回る。

 とはいっても、慎重にゆっくりとだが。

「う、うおぉぉ!」

「フラン!」

 突然フランクリンの叫び声が聞こえ、それ以降ぱったりと途絶えてしまった。

 一体なにが起こったのか。この暗がりでは、それを知りようもない。

「ハワードきみ、メタリア! 動かないで!」

 すぐさま、残った二人へと指示を飛ばす。

「わかりました!」

「…………」

 停電の前の位置関係から、ハワードとメタリアがいる場所はわかっている。そこから動かなければ、どうということもないだろう。

 今はじっとして、明かりが点くのを待つのが得策だ。

 そう、ステファニーは思っていた。しかし……、

「え……?」

 ガゴン、という機械音の後、足の裏のあったウール製の絨毯の感触が消失した。かと思うと、一瞬の浮遊感の後、落下の感覚に襲われる。

 悲鳴を上げる間もなく、ステファニーはどこかへと落とされたのだ。

「ス、ステファニー?」

 ハワードが呼びかけるも、応答はない。

 彼はきゅっとメタリアの手を握り、二人のように消えてしまわないようにと祈っていた。

「……俺の手を話すなよ」

「握っているのはあんたよ、私にどうこうできると思ってるの?」

 いつもの憎まれ口。こんな状況でなければ、ほっとすることもなかっただろう。

「ここにいるのは危険だ。すぐに出よう」

「でも、下手にうろつくのは危険よ?」

 どうする気? と言外に問いかけられ、ハワードは困ってしまった。

 どうしよう……? そんな言葉ばかりが彼の脳内で反芻する。

 この暗がりでは、周囲の状況はいま一つわからない。加えて、頼りになるのはお互いの声だけ。そんな状況下で、一体どんな手段を講じればいいのか。

「動かないでじっとしているのが得策だと思う」

「でもそれじゃあ何もできない」

 早くフランクリン達と合流したかった。

 ――と、突如としてハワード達の前に明かりが灯った。

 小さな、蝋燭の火程度の明かり。だが、今ならそれだけの明かりでも十分明るく感じれた。

 しかし、それが希望を指し示す明かりではないとハワードは本能的に察していた。

「誰だ、おまえは!」

「くくく……なんと勇ましい」

「……その声、ラッセルか?」

 聞き覚えのある、しわがれた声。心あたりは、かの人物一人しかいなかった。

「ええ、そうです。ラッセル・ユファでございます」

「なぜおまえがここに……!」

 低く、唸るようにハワードが問う。

 すると、ラッセルは蝋燭の火を前に突き出し、自分とハワード達を照らし出す。

「逆でございます。私がこの場に招待いたしました」

「何?」

「とはいえ、あなたに用はございません、ハワード」

「では、一体誰に……?」

 言いかけて、ハワードはハッとした。

 彼に用がないのなら、この場で残っているのはただ一人。

「彼女に何の用だ!」

「そう声を荒げないで下さい。私は大きな声が苦手なのです」

 くゆる火の向こう側で、微かにラッセルが笑ったような気がした。

 と、そこで初めてメタリアが彼と口を聞いた。

「あなたの幼女趣味につき合う気はないわ」

「おお、そんなことおっしゃらずに。どうか私めとともに」

「嫌よ」

 きっぱりと断じるメタリア。ハワードは彼女とラッセルの間に立ち、眼前の男を睨みつける。

「くく、姫きみを守る騎士気取りですか?」

「なんで……?」

 ラッセルの反応はともかく、メタリアの驚きは意外だった。

 ハワードはちらりと後ろの少女を返り見て、ゆっくりと口を開く。

「何を驚いている? おまえに死なれると俺達も困るんだ。……だから、全力で守るよ」

「――――!」

 驚愕は納得へと変わり、しかし疑念へと姿を変える。

「どうして? 確かに私はあなた達に力を貸している。だからといって、私がいなくなって困るということはないでしょう?」

「いいや困るね、仲間がいなくなったら」

「……馬鹿じゃない」

 顔を俯かせ、ハワードに聞こえるか聞こえないかくらいの声でメタリアは呟いた。

「さて、お話は終わりましたかな? では、そろそろ」

 言いながら、ラッセルは懐から何かを取り出した。

 それは鍵だ。それも、住宅の玄関等に使用されているのようなものではなく、一昔前の簡素な鍵。

 木製のそれは数本が束ねられており、お互いにぶつかり合ってからんからん、と音を立てている。

「……何だそれは!」

「くく、これはこの家のあらゆる仕掛けを駆動させるための錠。あなた達を死に追いやるためのねぇ」

 スッと蝋燭を消し、暗闇の中にラッセルの姿が消える。

 こうなっては、どうやっても彼の姿は見えない。

 下手に動けはどうなるかわからない。ハワードとメタリアはしん、と静まり返ったその部屋の中ですら、一歩も動くことができなかった。

 すると――

「ハワード! 左から来る!」

 突然メタリアが大きな声を上げた。同時、ハワードが横合いへ飛ぶ。

 その直後、それまで彼がいた場所を重たい音が通過して行った。

「何が……?」

 その物体の全容はわからない。だが、ともかく危険だということは瞬時に理解できた。

 どこからともなく、ラッセルの嘲笑うような声が響き渡る。

「くくくくくくくく、ねぇ、今どんな気分? 最高? 最悪? 私は今、最高に最高ですよぉぉぉぉぉぉ……!」

「……狂ってやがる」

 どこからやって来るかもわかない死の先導者を警戒して、ハワードは休む間もなく周囲に視線を巡らせる。

 

 

                         ◆◆

 

 

「ぐぅ……何だここは?」

 うっすらと目を開ける。すると、ぼやけた視界の中でもここが先ほどまで彼らのいた部屋ではないことは明白だった。

 石でできた、ゴツゴツとした壁や床。しかし微かに灯火があり、足下くらいはかろうじて確認できる。

 フランクリンはゆっくりと上体を起こすと、右へ左へと首を回した。

 ここがどういった目的で作られた場所なのか、わからない。まるで牢獄のようにも、一種のシェルターのようにも見える。

 頭上を見上げる。天上に穴が開いており、おそらくはこの穴を通って落ちて来たものと思われる。

 天上は低い。が、この穴から上へ向かうことは不可能に近かった。

 とすれば、正当な出入り口があるはずなのだが、そこは重厚な扉に守られている。

 フランクリンは立ち上がり、扉の前へ向かった。開けようと試みてみるが、びくともしない。

「やはり……」

 予想はしていたこととはいえ、肩を落としてしまった。

「ステファニーやハワードとははぐれてしまったようだな」

 壁に背をもたれかけ、座り込む。おどうやってこの場から脱出しようかと思案する。

 さすがに、扉を破壊して出ることはできないだろう。フランクリン程度に壊せるような代物なら、牢獄としてもシェルターとしても無意味だ。

 一番現実的かつ確実なほう法は、外から誰かに開けてもらうことだ。

 しかし、このほう法論は絶対に現実にならないだろうとフランクリンは考えていた。

 なぜなら、この家にはラッセルとかいうあの男意外にいない。なら、どんな手段を使ったのかはわからないが、フランクリンをこの場に幽閉したのはあの男だ。

 フランクリン達は自分達が警察の人間だと彼に伝えてしまっている。わざわざ捕まりに来るなど、愚の骨頂だ。

 ありえない……、フランクリンは首を左右に振り、考えを切り替える。

「ともかく、ここから脱出しないと」

 顔を上げ、決意を口にする。

 だがしかし、そうしたところでほう法がないと話にならない。

「何か使えそうな物は……」

 牢獄のような部屋の隅々まで見渡してみるが、脱出に使えそうな物はなにもなかった。

 ――と、牢獄の外から足音が響いてきた。

 フランクリンはとっさに入り口付近に移動し、壁に背をつけて足音に耳を傾ける。

 一歩一歩の感覚は短い。それに軽く、とても大人の男のものとは思えなかった。

「……ラッセルじゃない?」

 それどころか、子供である可能性のほうが濃厚だ。

 懐から拳銃を取り出すと、いつでも発砲できるようセーフティを解除した。

 段々と足音が近づいて来る。同時に、彼の緊張も一気に高まる

 ごくりと唾液を飲み下し、その人物が姿を表すのを待った。

 足音は牢獄の前で止まった。複数の金属製の何かが擦れ合う音がして、かちりと鍵が開く。

 キィ……、という錆ついた古い鉄格子の擦れる耳障りな音とともに、その人物は姿を表した。

「きみは……!」

 フランクリンは驚愕に目を見開き、手にしていた拳銃の引き金から人差し指を話した。

 呆然と、床に膝を突いた状態から立ち上がる。

「……ずいぶんとマヌケなことになってるのね、あなた達」

「シルディア……か?」

「そうよ」

 彼の目の前には、齢十歳前後の少女。姉によく似た面立ちをして、腰ほどまである長い金髪を悠然とかき上げる。

 唯一、姉のレイアとの違いといえばふっくらとした可愛らしい相貌に似合わぬ、攻撃的な鋭い瞳だった。

 少女、シルディアは半ばフランクリンを睨むように、じっと見据えていた。

「ど、どうした?」

「どうせ、お姉ちゃんの差し金でしょう?」

「……知っていた、いやわかっていたのか?」

「ええ、とはいえ知ったのはほんの数分前のことだけれど」

「では、わかっているな? きみを助けに来た」

 至極真面目くさった表情で、フランクリンは告げた。

 しかし、シルディアから返ってきたのは、彼の予想とはまったく違う答えだった。

「……帰らないわ、あたし」

「どうして?」

「そんなの、あんなところよりこのお屋敷にいたほうがいいからに決まってるじゃない」

「どういうことだ?」

 フランクリンが問うも、シルディアはつんとそっぽを向くだけで答えようとはしなかった。

「それより、あたしがあなた達を逃がしてもいいわよ?」

「いや、だから俺達は……」

「ここにいたら確実に殺されるわ」

 その一言に、フランクリンは喉を詰まらせた。

「……どういう、意味だ?」

「そのままの意味よ。あなた達は殺される。このお屋敷と、あの男の手によって」

 少女の言葉の意味を図りかねるフランクリン。どう返していいものかわからず、身じろぎ一つできずにいる。

 わけのわからぬまま、フランクリンは茫然とシルディアを見つめていた。

 

 

                    ◆◆

 

 

 目を覚ましたのは、薄暗い地下でのことだった。

 最初はまだ意識が朦朧としているのだろうかと思ったが、実はそうではないのだとすぐに知れた。

 頭が冴えてくるに従って、次第に周囲の状況を理解できるようになっていく。

「ここは……どこ?」

 うつ伏せの状態から立ち上がり、身の周りへと視線を飛ばす。

 右へ、左へ。だが、ここがどこであるか、その答えを示してくれる物は何一つとして見あたらなかった。

「さっきまで私達がいた屋敷の地下施設……だと思うけど?」

 一人ごちるように、ステファニーは考え込む。

 周囲の状況、この場に落ちて来るまで自分がいた場所、他の仲間。彼らと合流するためには、一苦労しそうだった。

 連絡を取ろうと携帯電話を取り出す。しかし、無情にも圏外の二文字が躍っていた。

 く……、とステファニーは歯噛みして携帯電話を仕舞い込んだ。

「とにかく、こんな場所にいてもらちが明かないわ」

 こんな暗がりで無暗に歩き回るのは危険だ。いつどこから、ラッセルと名乗ったあの男が襲ってくるかわからない。

 そんなことはわかっていたが、じっとしていれば安全だという保証はどこにもない。

 ステファニーは壁に触れ、ゆっくりと慎重に歩き出した。

 コツコツ、という彼女の靴音がよく反響する。それくらい、その場所は静まり返っていた。

 そうして、どれくらい歩いただろうか。暗さに加え、一時とはいえ気絶していたという事実が彼女の時間の感覚を狂わせていた。

 長時間歩いていたようにも思うし、もしかするとほんの十分かそこらかもしれない。

 どちらにせよ、今のステファニーにとってどうだっていいことだった。重要なのは、フランクリンはハワード達と合流することなのだから。

 どこへ向かえばいいのかもわからず、ステファニーは歩を進め続ける。すると、彼女の目の前に重厚にして精巧な装飾の施された、鉄の扉が現れた。

「これは……?」

 それが何かわからず、訝るように眉間に皺を寄せるステファニー。

 埃臭いその鉄扉に触れる。すぅーっと手を動かすと、彼女の動きに合わせてそこに刻まれた文字が露わになる。

 そこには、ステファニーが普段暮らしているだけなら滅多に関わることのない、異国の文字でこう刻まれていた。

「……キリシマ……マサクニ?」

 たどたどしく、その文字列を読み上げる。

 どう考えても、彼女と同じ国の人間とは思えない。

「この名前、日本人なの……?」

 詳細はわからない。ステファニーは扉に触れていた手を動かし、鉄扉を開けようと試みた。

 しかし、扉はびくともしない。鍵でもかかっているのだろうかと思ったが、どうやらそうではなさそうだ。

 鍵穴が存在しない。そうなると、この扉の奥には本当に部屋があるのかどうかさえ怪しかった。

「……この扉」

 何かがおかしい。改めて扉に刻まれた精緻な文様を眺めて、ステファニーはそう思った。

「これ、模様じゃない……?」

 パッと見はただの刻まれた紋様にすぎない。特別なところの一つもない。

 だが、よくよく見てみると違うのだ。

「全体が一つのパズルになっているのね!」

 気づき、思わず声を荒げるステファニー。

 おそるおそる、右端の模様の一つに触れてみる。

「やはり……」

 彼女の読み通り、かちりという音とともに模様がスライドした。

「スライドパズルの要領か」

 一度そうと気づいてしまえば、解き終えるのにそう時間はかからなかった。

 最後のピースが彼女の思っていた通りの場所に収まる。そうすると、がちゃっという少しばかり大きな音が鳴り響いた。

 おそらくは、鍵が開いたのだろう。

 ステファニーはもう一度、扉を開けようとする。

 が、ぴくりともしないことに苛立ちを覚えた。

「なんで……!」

 扉から手を離し、改めて全体を眺め見る。

 ノブのない扉。引いても押しても開く気配はなく、途ほうに暮れてしまう。

 と、そこで背筋を雷が鳴り響くように、ステファニーはびりびりとした感覚を得た。

「これ、横にスライドさせるんじゃ……!」

 そうとわかればもう苛立つ必要もない。

 ステファニーは扉に手をかけ、思いっきり左へと力を込める。

 彼女の考えた通り、扉は開いた。

 そしてその奥には、真っ暗は部屋が続いている。

「ここは……?」

 ゆっくりと、周囲を警戒しながら足を踏み入れる。すると、ぼぅっと部屋中の蝋燭が一斉に火を灯らせる。

「これは一体、どうゆうことなの?」

 先ほどの扉のことといい、これほど奇妙なしかけは見たことがなかった。

 不謹慎にも、ステファニーは自分が心躍っていることに気づかないふりをした。

 でなければ、こんな部屋に立ち寄ったりなどするはずがない。

 部屋はそれまでの石の壁や床とは異なり、干し草のような物で編まれた絨毯らしきものや、壁一面に聳えるような書架で埋め尽くされている。

 ステファニーは土足のまま、絨毯の上に乗る。そして、書架の前まで赴き、目の前にあった一冊を手に取る。

 パラパラパラ、とめくると、それはどこかの屋敷の設計図のようだった。図面のあちらこちらに彼女のような素人ではわからない記号が書かれている。

「――見つけてしまったのね」

 唐突に響いた声に、ステファニーは設計図を放り捨て、素早く反転した。

 拳銃を取り出し、声の主へと銃口を向ける。

 だがしかし……、

「子供?」

「……ついに見つけてしまったのね。残念だわ」

 ステファニー、彼女の眼前にいるのは、十歳前後の少女だった。

 長い金髪を掻き上げ、ふっくらとした相貌にたたずむ鋭い視線。 しかし全体的な雰囲気は彼女も知る誰かとよく似ていて……、

「まさかあなた……レイアの妹さん?」

「お姉ちゃんを知っているの?」

 生気のない瞳で、少女はステファニーを見返してくる。

 睨みつけるのでもなく、希望を見出すのでもなく、ただ淡々と。

 ステファニーは拳銃を下しながら、彼女の言葉を肯定した。

「ええ、私はステファニー。あなたのお姉さんからお願いされて来たのよ」

「お姉ちゃんから?」

 少女がぴくっとわずかに眉を動かした。だが、それだけだ。

 ステファニーは拳銃を仕舞うと、少女へと近づき、膝を追って目線を合わせる。

「あなた、お名前は?」

「……シルディア」

「そう、シルディア。いい名前ね」

「言っとくけど、あたしはここから出るつもりはないわ」

 ステファニーが何か言うより先に、シルディアと名乗ったその少女が呟くように言った。

 ステファニーは驚愕にわずかばかり目を見開いていたが、やがて優しい顔つきになる。

「どうして?」

「帰れないもの。どうやっても」

「そんなことないわ。私達があなたを無事にお姉さんのところへ返してあげる」

「無理よ、そんなこと」

「だから、どうして?」

 再度問うも、シルディアが答えを告げることはなかった。

 かわりに、警告を発する。

「あなた達は早くこのお屋敷から出て行ったほうがいいわ。でないと、殺される」

「何を言っているの?」

 ステファニーが怪訝そうに眉を寄せるが、シルディアはそれ以上何も言おうとはしなかった。

 彼女は手招きすると、背を向けてどこかへと歩き出してしまう。

「……ついて来いってこと」

 ステファニーはムッとしながらも、シルディアの後を追った。

 どれほど歩いただろう。ステファニーは段々と時間の感覚が曖昧になっていく。

「ねぇ……いつまで歩くの?」

「もう少しよ」

 そうシルディアは答えた。だが、それがどれほど信頼できるのかはわからない。

 その後、また少し歩く。と、目の前に石の階段が現れる。

「……この階段をのぼれば、地上へ出られるわ」

「そう。だったらあなたも一緒に」

「言ったでしょう? あたしはここから出ることはできないって」

「だから、どうして!」

「…………」

 ステファニーは声を荒げるが、シルディアが答えを口にすることはなかった。

 彼女は目の前の大人から目を逸らし、階段の向こう――――地上を見据える。

「さぁ、行って頂戴。いつまでもこんな場所にいてはいけないわ」

「……そうはいかないわ」

「なぜ?」

 ほんの一瞬だけ、シルディアの瞳がステファニーへと向けられた。が、すぐにまた顔を逸らされる。

「私はこれでも、警察の人間。殺されるだとか、そんな言葉を聞いておいそれと一人だけ逃げられるわけがないでしょう?」

「だったら、どうするの?」

「あなたも連れて行く。絶対に」

 ステファニーは膝を折り、シルディアと目線を合わせた。

 彼女がステファニーを見ることはなかった。だが、それでもステファニーは訴える。

 自らの内にあるものを。

「あなたにも、あなたを心配して帰りを待っている人がいる。その人のために、なによりシルディア、あなた自身のためにも」

「あたしの……ため?」

「そう――だから……!」

 ステファニーが彼女の肩に触れようと手を伸ばす。

 しかし、シルディアはそれを避けるかのように身を引いた。

「もう、遅いのよ。……何もかも」

「シルディア?」

 彼女が浮かべているのは、十歳の少女が浮かべるにはあまりにも絶望に染まり切った表情だった。

「あたしを助けようと思っていたのなら、もう少し早く来るべきだった」

「それは……どういう?」

「わからないならいいわ。さ、この階段をのぼって。そうすれば外よ」

 一ほう的に言うと、シルディアはさっと身を翻した。

「待って、どこへ行くの!」

 ステファニーは叫んだが、彼女は何の反応も示さなかった。

 ただ、闇の中へと溶けるかのように消えていっただけだ。

 

 

                      ◆◆

 

 

「くくくくくくく、ずいぶんと頼りない騎士様ですなぁ」

 男はしわがれた声で下卑た笑いをあげる。

「この男は騎士ではないわ。ただの凡夫、特別な力なんて何もないわよ?」

「なるほど……では、少々以上に痛い目にあった後、死んでしまっても仕ほうがないというわけですね?」

「そうなるわね。……一人だったら」

「ほう、二人ならどうにかなると?」

「どうとでもなるわ」

「どこから出て来るんだその自信は!」

 ハワードは思わず叫び、同時に二発、発砲した。

 タンタン! と乾いた銃声が響き渡る。だが、目の前の男、ラッセルには当たらなかった。

「くそ、俺は射撃は苦手なんだ!」

「言い訳なんか聞きたくないわ。次、天井を狙って」

 メタリアの指示に従い、ハワードが天井へ向かって乱射する。

 僅かに兆弾はあったが、ラッセルへの威嚇ほどにも効果はなかった。

「どこを狙っているのですか? くくく」

「残弾は?」

「一だ!」

 拳銃の装弾数、発砲数から逆算して、ハワードは答えた。

 メタリアは素早くあたりを見回すと、最後の支持を飛ばした。

「前ほうに打って!」

「了解!」

 タァン! 狭い空間に、大音響が鳴り、二人は顔をしかめた。

 ハワードが放った弾丸はラッセルへは当たらず、彼の僅かに横を通り過ぎていく。

「ざぁんねぇんですねぇ。最後の一発すら当たらなかった」

「いいえ、これでいいわ」

 メタリアは自信満々に返す。その口元には、笑みすら浮かべて。

 直後、坑道にも似た地下道の壁に亀裂が走った。

 亀裂は瞬く間に広がり、やがてその向こう側から僅かにではあるが水が滴り始める。

「なんだこれは!」

「水……? 地下水道か!」

 ラッセルが怒号とともに振り返る。ハワードもメタリアを庇うように、彼女の体を己が両腕に包み込む。

 ごごごごごごご! と水圧に圧され、地下道の壁が決壊した。

 壁を突き破った水が、暴龍のごとくハワード達を呑み込んでいく。

「ぐぅ……メタリア、俺の手を離さないで……!」

 メタリアの小さな肉体を抱え、ハワードが必死になって耐え続ける。

 それでも、水流は容赦なく彼らを襲い、次第にその激しさと荒々しさを増していくのだった。

「ああ、ああぁぁぁ!」

 轟々とうねりを上げる水流に、ラッセルが流されていく。

 ハワードとメタリアはその様子を視界の端に捉えながら、どうすることもできずに彼は歯噛みした。

「く、そぉ……!」

 彼の腕の中で、メタリアの華奢な肢体だけが唯一、彼の正気を保っていた。

 

 

                       ◆◆

 

 

 轟々と遠くで何かが鳴り響いている。

 その音を不快に思いながら、しかしフランクリンはたくさんの書架に囲まれたその部屋で、一人の少女と対峙していた。

 少女の名はシルディア。レイアの妹である可能性が最も高い人物。

 なぜこのような場所にいるのかは、彼の中で概ねの予想はついていた。

「……ラッセル・ユファ。彼により連れされたんだね?」

「そう、あの男の手によって、あたしはこのお屋敷に連れて来られた」

「恐かっただろう?」

「……いいえ」

 彼の質問に対し、シルディアは力なく首を振った。

 その行動の意味するところに、フランクリンは意外な思いだった。

「怖くなかった? 誘拐されたっていうのにか?」

「誘拐、というのとは少し違うかもしれない」

「どういう意味だ?」

 問うも、シルディアは静かに彼を見つめるだけで、委細を答えようとはしなかった。

「それより、早くこのお屋敷から逃げたほうがいいわよ? あなたのお仲間が余計なことをしてくれたから」

「仲間? そうだ、ステファニーやハワードは! 俺の他にも何人かいるはずなんだ」

「……わからない。あたしにわかるのは、あなたは一刻も早くこのお屋敷を立ち去ったほうがいいということだけ。お仲間も一緒にね」

 フランクリンが何を言っても、少女は消極的だった。

「じゃあ、きみも一緒に」

「それはできないわ」

 差し出された大きな手の平を、シルディアは避けるように身を引いた。

「……なんでだ?」

「なんでも、よ」

 暗い、深淵のような瞳がフランクリンを見つめる。

 彼はもう一度、少女の手を取ろうと右手を差し出した。けれども、シルディアがその手に触れることはなかった。

「……今さら、あたしがお姉ちゃんのところに戻ったって意味がないわ」

「きみが何を言っているのか全然わかならないが、ともかくこの場は――――」

「あたしは一生、彼と一緒にいる。そう約束したの」

 フランクリンの言葉に被せるように、あるいは遮るように放たれた、少女の儚い一言。

 それは彼の動作を、思考を停止させるには十分過ぎるほどの力を備えていた。

「……きみは一体?」

「あなたが知る必要はないわ。さぁ、行って。でないと死んじゃうわよ?」

 彼女の、シルディアの瞳は目の前の男を見ているようで、実のところは違うようだ。

 なぜか――――フランクリンはそう感じた。

「彼? ……彼とはラッセルのことか?」

「だから、あなたが知る必要はないって言ってるでしょう?」

 しつこい男は嫌いよ、と十歳の女の子とはとても思えないほど、彼女の瞳は雄弁に語っていた。それはもう、フランクリンですらたじろいでしまうほどに。

「……では質問を変えよう。きみは何者だ?」

「それも、あなたが知る必要のないことよ」

「またそれか……きみは姉さんの下へ帰りたくはないのか?」

「それは……返りたいわ。でも、不可能なのよ」

「さっきも言っていたな? それはどういう意味だと――――」

 フランクリンは言いかけて、口を閉ざした。

 理由としては、足音が聞こえてきたからだ。

 コツッコツッコツッ、と。音の間隔から、音源の主は成人した男性であると推測される。

「ハワードじゃない? だったら、ラッセルか?」

 壁に背をつけ、拳銃を構えながら彼は呟いた。

「さぁ、きみもこっちへ…………」

 シルディアを招き寄せようとしたところで、フランクリンは思わず固まってしまう。

 なぜなら、彼の目の前には誰もいなかったからだ。

 いや、そもそもこんな暗がりでは、例え誰かがいたとしても気づかなかったかもしれない。

「じゃあ、あいつは……?」

 ぐらり、と世界の全てが反転してしまいそうだった。

 フランクリン・リベレラスという個人程度なら、簡単に呑み込んでしまいそうなほど。

「だめだ、今は」

 今は、足音の主を警戒するのが先決だ。

 シルディアがどこへ消えたのかは気になるところだが、もしかしたら隠し通路のようなものがあったのかもしれない。これほど大仰な仕掛けの施された屋敷だ。その程度のギミックはあってしかるべきだろう。

 フランクリンは再度、自分が入ってきた扉のほうへと視線を向ける。

 段々と足音が大きくなるにつれて、呻き声のようなものまで聞こえてくる。

「くそぅ……あいつら、なんてことを……」

 何を言っているのか、その詳細を聞きとることはできなかった。が、それでも先ほどの奴の言葉から推察できる事柄がある。

 その一つが、ハワードやステファニー、ついでにメタリアが生きている可能性があるということ。それがわかっただけでも、フランクリンとしては十分な収穫だった。

「……おそらく、ラッセルのものだろう」

 確信はないが、そうであるなら彼を捕らえる絶好の機会である。

 相手はどうやら負傷しているようであるし、何より油断しているところを不意を突いて先生攻撃できるのは大きい。

「……よし」

 どんなふうに取り押さえるか。その具体的なイメージを頭の中に思い描き、フランクリンは勢いよく扉を開け放つ。

 ――はずだった。

 彼の行動は、ラッセルの次の言葉により中断される。

「しかし、なんだってあいつらはあんな小さな子を連れて歩いてるんだ? 保護してる……にしてもこの屋敷まで連れて来るのは変だし……」

 小さな子、思い当たる人物は一人しかいない。

 メタリアだ。ラッセルは彼女のことを年端もいかない幼い少女だと思っているらしい。

「まぁいい。彼女、中々かわいかったし」

 一人になった途端、よく喋る。

 フランクリンはラッセルの変わり身にほぅっと吐息しつつ、どうするべきかを頭の中で思い描く。

 まず、扉を開ける。奇襲性を増すためにここはあえて彼が通り過ぎるのを待つべきだろう。

 続いて拳銃を向ける。もし仮にラッセルが何らかの自己防衛策を持っていた場合、即座に発砲。足の一、二本は覚悟してもらうことになるだろう。

 スッと、頭の中のイメージが体の奥深くに浸透していく感覚。

 足音は、部屋のすぐ近くまで来ていた。そして部屋を通り過ぎた瞬間から、フランクリンの行動は始まる。

「――動くな!」

「んな! おまえは……!」

 フランクリンが勢いよく扉を開け、ラッセルへと銃口を突きつける。ラッセルは驚愕に戦き、大きく目を見開いた。

 振り返ることなく、肩越しにフランクリンを返り見る。

 その表情は、憎悪に染まっていた。

「おまえ……確かあいつと同じ警察官だったな」

「あいつ? あいつとは誰だ?」

「白々しい。わかっているそ、これがおまえ達の作戦だってことくらいは」

「何を言っているのかさっぱりだ。が、まぁいい。俺と一緒に来てもらうぞ」

「ふざけるな! 私がおまえなんかと……」

 憤怒の叫び声を上げ、バッとラッセルは振り返った。

 その手に、小型の箱のような物を持って。

「これはこの屋敷のあらゆる仕掛けを作動させるためのスイッチだ。これさえあれば、おまえなんか一瞬だぁ! ははははははは!」

「く……」

「なぁおまえ、この屋敷がなんと呼ばれていたか知っているか?」

「はぁ? 知るわけがないだろう」

「だろうな」

 ラッセルは銃口を向けられたまま、しかしフランクリンを嘲笑うかのようにスイッチを手の中で弄んでいる。

「……?殺人屋敷?それがこの屋敷の名前だ。といっても、本当の名じゃないけどな」

「そうかよ、だったら何だって話だけどな」

「前の名前はわからない。でも、この屋敷を建てたのが……」

「黙れ! それ以上おまえに喋る権利はない!」

「日本人だと知った時には、驚いたねぇ」

 タァァン! 閉鎖的な地下道に、数十分前と同じような乾いた音が炸裂する。

 ラッセルはがくりと膝を折り、その場に沈んだ。

「安心しろ。打ったのは足だ」

 ラッセルの言う通り、彼はまだ生きていた。右のふくらはぎに銃弾の痕が残っているが、命に別状はない。

「くくくくくく……そうか。あんたはこういう性格か」

 ラッセルが脂汗の浮かぶ顔でフランクリンを見上げた。

 その表情を、彼は知っている。

 過去の、過ちの象徴のような顔だ。

「……止めろ、これ以上は」

「何を恐れている? ためらっている? その引き金を引けば、全てが終わるというのに」

 さぁ、ここだ――そう言って、ラッセルは自身の額をとんとんと二度小突いた。

「打てないのか? くく、そうか」

 何かの確信を得たように、ニタァ、とラッセルは笑んだ。

 彼の表情に苛立ちを覚えながらも、フランクリンは引き金を引けずにいた。

「くそ、くそ!」

「くくははははははは! 一体何がどうなっているのかわかりませんが、素晴らしい。エクセレント!」

 張り上げた声は何度となく反響し、地下道の中を揺さぶる。

 ラッセルは手にしていたスイッチに親指をかけると、躊躇なく押した。

「な……!」

 同時、周囲から錆ついた機械が発するような、嫌悪感を増幅させてくれる嫌な音が聞こえてくる。

 フランクリンはとっさに両手で耳を庇った。

 しかしラッセルは耳を庇う、なんてことはせずにぐりんと体ごと振り返り、打たれた足を引きずって走り去ってしまった。

「待て!」

 逃亡を止めるため、銃口をラッセルへと向ける。引き金を引くも、飛び出した弾丸は彼の足下に着弾しただけで、ラッセルを止めるための効果はなかった。

 ズズズズズズズッ、と地面が二つに割れる。そうして現れた深淵に、フランクリンはまたしても呑み込まれてしまう。

 見える全てをコマ送りにしたかのような刹那の時間、彼は不敵にほくそ笑むラッセル・ユファを見た。

 

 

                          ◆◆

 

 

「これは……!」

 ボボボボボボボッ、と。どういう仕掛けになっているのか皆目見当もつかないが、ともかく部屋中の蝋燭に火が灯ってゆく。

 揺らめく影は一つ。

「あなたは一体……?」

 ステファニーは目の前の幼い少女を疑念の眼差しで見つめていた。

「…………」

「待って!」

 ステファニーの問いに答えようともせず、立ち去ろうとする少女。彼女の背に追い縋るかのように、ステファニーは駆け出した。

 手を伸ばす。そして、彼女に触れるか否かというところで――

「え……?」

 スッとステファニーが伸ばした腕は空を掻いた。その手には、掴んだはずの少女の感触はなく、ただ自身の手の平が所在なげに動いているだけだった。

「どこに?」

 消えたのだろう? そう誰かに問いたいが、この場は一人きり。質問を投げかけることのできる相手などいない。

「……とにかく、みんなと合流しないと」

 この部屋にまともな情報はない。そう判断して、ステファニーは石畳の上を歩き始める。

 どこまでもどこまでも。まったく同じ景色が続き、自分がどれくらい歩いたのかの感覚さえ曖昧になってしまいそうになる。

 その度に頭を振り、どうにか心を落ち着かせる。そうしなければ、彼女はとっくに頭のどこかがおかしくなってしまっていたかもしれない。

「道に迷った……なんてことはないはずだけど。一本道だし」

 その呟きも、まるで吸い込まれるように虚空へと消えていく。

 無為に、時間だけが過ぎていく。もはや通話する機能の使えない携帯電話も、時計としての役割くらいは果たせるものだ。

 ステファニーは携帯電話を開き、時刻を確認する。

「……三十分間歩き通し。なのになんで誰とも会わないの?」

 この地下施設がどれほどの広さや大きさを有しているのか、ステファニーにはわからない。だが、これだけ歩いたのだから何らかの変化もしくは兆しがあってもよさそうなものである。

 見事なまでに、何もなかった。

 誰とも会わない。それだけではなく、上へ繋がる階段も現れず、途ほうに暮れる。

「どうすればいいのよ……」

 ついにはその場に立ち止まり、座り込むステファニー。

 脱出も、ハワードやフランクリンと合流することも絶望的な状況だ。座り込みたくもなる。

 彼女は両膝を抱え、顔を埋める。ぐるぐると、頭の中を弱音ばかりが飛び交っていた。

 もしこの場にハワードかフランクリン、もしくはメタリアがいたならば、意地が邪魔をしてステファニーがこうした行動を取ることはなかっただろう。

 が、今は誰もいない。完全に彼女一人だ。

 そうした弱気な行動を見咎める者はいない。

「はぁ……どうして私がこんな目に」

 本来なら、ただの人探しのはずだった。さくっと見つけて、さっさと帰れるだろうと、そんなふうに楽観的な考えすら彼女は抱いていた。

 なのに、実際はどうだろうか。

 さくっと見つかる、どころか自分達のほうが窮地に追いやられているではないか。

 今のままでは、自身の身が危ない。

「……ちくしょう」

 思わず、声が震えていた。

 思い返せば、先日実家に帰って来いと連絡を寄越して来た父親と母親。妙な意地を張らずに、素直に帰ればよかったと後悔する。

「何を泣いているのよ?」

 その声に、ステファニーはハッと顔を上げる。

「シルディア……?」

「みっともない顔。いい大人がそんなことじゃ、嫁のもらい手がなくなっちゃうわ」

「……余計な、お世話よ」

 ステファニーは服の袖で目元を拭うと、すっくと立ち上がった。

「それより、どこに行っていたの?」

「どこだっていいでしょう? それより、一つ忘れたことを思い出して」

「忘れた、こと?」

「ええ」

 シルディアは一度だけうなずくと、踵を返した。

 そのまま、彼女は歩き出してしまう。

「ちょ、どこへ?」

「出口まで案内してあげるの。そうしたら、出られるでしょう?」

「だったら、あなたも一緒に」

「何度も言わせないで。私は……このお屋敷からは出られないのよ」

 振り返らないままにそう言うシルディアの声は、やはり幼い女の子らしからぬ雰囲気をまとっていた。

 その威圧感に押された、というわけでもないが、ここは黙って彼女の後について行くことをステファニーは選択した。

 しばらくは、無言の時間が続く。床を打ち鳴らす靴音だけが、ステファニーの耳に届く、唯一の音楽だ。

「……さ、ここよ」

「ここよって……何もないじゃない?」

 シルディアに案内されて、二人はとある壁の前で立ち止まる。

 他の壁と何ら違いの見受けられない、古臭い色あせた壁だった。

「ここ、押してみて」

「え? なんで……」

「いいから」

 急かされ、ステファニーは仕ほうなく彼女の指差した個所に手の平を添える。

 軽く力を込め、押し込む。

 すると――

「な、何……!」

 ゴゴゴゴゴゴゴッ、と足下を揺らすような轟音が鳴り響き、彼女の目の前にある壁がゆっくりと横にスライドしていく。

 ステファニーは驚愕に戦き、目を見開いた。驚きのあまり、言葉もでない。

「シルディア、これは……?」

 彼女に問おうと振り返る。だが、それまで確かにあったはずの小さな影はどこにも見あたらなかった。

 

 

                        ◆◆ 

 

 

「二人とも、大丈夫かな?」

 壁や天井を破壊して勢いよく流れ出た流水もひと段落して、今は大分落ち着いている。

 ハワードとメタリアはわずかに残る水溜りに濡れることも気にせず、床に座り込んでいた。

 もとより体中がびしょびしょなのだから、気にするだけ無駄というものだ。

「大丈夫よ、あの二人なら」

「根拠のない慰めなら止めてくれ」

 メタリアのせっかくの慰めにも、ハワードは大した反応を見せることはなかった。

「そんなことより、探さなくていいの?」

「……誰を?」

「レイアの妹よ」

「……ハッ!」

 すっかり忘れてしまっていたらしい。

 ハワードはバッと顔を上げると、すぐさま駆け出そうとする。

 だが、数歩も行かない内に彼の足は止まった。

「……どこを探せばいいんだ?」

「少しは落ち着いたら?」

 髪の毛を弄びながら、冷めた口調でメタリアは言ってくる。

 そんな彼女の態度に、ハワードはムッとした。

「きみは……心配じゃないのか? 二人のことが」

「別に。私にとってあなた達は憎むべき対象ではあっても、心配したりされたり、そういう間柄じゃないもの」

「ぐ……そうかよ」

 ハワードは苦虫を噛みつぶしたような顔つきになり、しかしそれでも彼女を置いて他の二人を探しに行こうとはしなかった。

「どうしたの? 探さないの?」

「……あの二人なら心配ない。それよりも、この状況できみの側を離れるわけにはいかないだろう?」

「どうして? 私が逃げ出すから?」

「違う、またあの男が襲って来たらきみ一人じゃどうしようもないだろ」

「…………」

 ハワードの言葉を受けて、メタリアは黙り込む。

 生まれてこのかた、そんなふうに言われたのは初めてだ。特に、警察に捕まってからは人づき合いもめっきり減ってしまったため、彼女の中ではもう、他人とそうしたやりとりをするなんてことは諦めていた。

 なのに、ハワードというこの青年は彼女の中のそうしたもの全てを踏み越えて、やって来ようとする。

「どうした?」

「……なんでもない」

 ふてくされた子供のように、ぶーっと唇を尖らせてそっぽを向くメタリア。

 ハワードは思わず、ふっと微笑んでいた。

「……なに笑ってるのよ?」

「いやぁ、きみもそういう顔をするんだなぁって思って」

「何、いけない?」

「そういうわけじゃ……」

 と、実にのほほんとした会話をくりひろげている最中、彼女の小さな相貌がわずかに歪められた。

「……誰?」

「どうしたんだよ、いきなり……?」

 突如として真剣な顔つきになったメタリア。彼女の視線が向かう先へ目をやりつつ、ハワードはとっさに懐の拳銃へと手を伸ばしていた。

「……安心して、あたしは敵じゃないわ」

 闇の中から聞こえて来たのは、年端もいかない少女の幼い声。

 ハワードは拳銃から手を離した。

 メタリアは、変わらず真剣な表情で闇の中に佇んでいるであろう少女を見やる。

「あなた達は早くこのお屋敷を出たほうがいいわ」

「そのようだな。で、きみは誰だい? この家の子供……というわけでもないんだろう?」

 ちらりとメタリアを盗み見る。すると、彼女の口もとが微かにうごめき、言葉を紡ぐ。

「そこから出て来て、顔を見せてはくれない?」

「……いいわ。でも、ちゃんとここから出て行ってね」

 メタリアの要求に、意外にも素直に少女は応えてくれた。

 まったくと言っていいほど光のない回廊の向こう側から、足音を響かせることなくその少女はハワード達の前へその姿を晒す。

 わずかに揺らめく蝋燭の炎が映し出したのは、十歳前後の女の子だった。

 長い金髪に勝気そうな目元。ふっくらとした輪郭はどことなく見覚えがある。

「……きみはもしかして?」

「レイアの妹のシルディアよ」

 少女が簡単な自己紹介をしてくる。

 つられて、ハワードも名乗った。

「俺はハワード、こっちはメタリア」

 ハワードはメタリアの頭に手を乗せる。その馴れ馴れしい仕草は気に喰わなかったが、そんなことで癇癪を起こすほど彼女は子供ではない。

 ハワードはじっくりとシルディアを見つめていた。シルディアは居心地の悪そうに身じろぎしたが、やがて彼の視線に耐えかねたのか視線を逸らした。

「早くしないと、この屋敷とあの男の手で殺されるわ」

「他人と話す時はちゃんと目を見る。教わらなかったかい?」

 ぐりん、とハワードの手によって強制的な目を合わされるシルディア。

 彼女は、忌々しげに吐息した。

「何をするの?」

「誰かと話す時は、その人の顔を見て話せ」

 至極真っ当なことを言われて、シルディアは目を剥いた。

 慌てて、ハワードの手を振り払う。

「どうしてあなたにそんなことを言われなくちゃいけないの?」

「どうしてって……そりゃ俺は大人だし」

「こんな状況で説教なんてしても、事態は改善されないわ」

 言われて、そりゃそうだなとハワードはうなずいた。

 まずは、この屋敷を出ることが先決だ。

「きみは出口への行きかたを知っているんだろう? だったら、一緒に行こう」

「ええ、出口まではね。その先までは行けないわ」

「何でだ?」

「何ででもよ」

 切り捨てるように言って、シルディアは身を反転させた。

 足音を響かせず、無音で石の回廊を行く。

「待ってくれよ。行こう、メタリア」

「……ええ」

 ハワードに急かされて、メタリアも歩き出す。

 彼女の表情は、あまり晴れやかとはいえなかった。

 

 

                          ◆◆

 

 

 立ち昇る硝煙の香りに、思わず顔をしかめてしまう。

 フランクリンは己が手に返ってきた衝撃を受け止め、しかし冷静に事態を分析する。

「ぐぅ……あぁ」

 床に倒れ伏すラッセル。周囲は石造りの回廊で閉ざされ、前と後ろ、どちらが出口へ向かうための道なのかも到底わからない。

 つまり、現在のフランクリンは完全な迷子状態だった。

「さて、案内役に両手は必要ないな。かと言って使用不能にしてしまうほど俺も鬼じゃあない。このまま出口まで案内し、誘拐の容疑で大人しくお縄を頂戴するのなら、簡便してやらないこともないぞ?」

「ぐ……くく、それは脅しという奴ですかなぁ? だとしたら凄く残念だ」

「残念? 何がだ?」

 ラッセルの意味深な言いかたに、フランクリンは思わず眉間に皺を寄せた。

 彼は痛みに表情を引きつらせつつも、にたぁ、と薄気味の悪い笑みを浮かべる。

「私にその手の脅しは効きませんよ。……無駄なことです」

「それは、おまえの体に直接聞いてやろう」

 タァン、タァン! と銃声が二度、打ち鳴らされる。

 フランクリンの放った弾丸はラッセルの右腕部、左肩に風穴を穿ち、弾創からはどろりと鮮血が溢れ出る。

「がぁ! ……ああぁぁ!」

 悶え、のた打ち回るラッセルを目の前にして、冷めた顔つきで見つめるフランクリン。

「どうだ? 少しは協力する気になったか?」

「……この程度で、この私が」

 またしても銃声。今度は、腹部に着弾した。

「ごふぅ! ……あなた、本当に警察官ですか?」

「警官にもいろんな奴がいてな。俺はどちらかといえば血の気が多いかたなんだ」

「ですが、いくら痛めつけられたところで……」

 不意にフランクリンは構えていた拳銃を下した。

 意外過ぎる彼の行動をラッセルが訝しんでいると、フランクリンはラッセルの側まで歩み寄り、彼の肩口にできた弾創を思いきり踏みつけた。

「ぎ、ぎゃああぁぁ!」

「人間、手足なんかなくても生きていけるものだ」

 口内に自身の血液が溜まり、窒息しそうになるラッセル。このまま死んでしまえたなら、どれほど楽だろうと彼は考えていた。

 だが、それすらもフランクリンは許さなかった。彼の体を仰向けの状態から横へ向け、口の中に溜まった血を吐き出させる。

 ラッセルが反射的に咳き込んだ。石の床が紅く染まる。

「……さて、そろそろ本気で協力する気になっただろう?」

「く……わかりました。案内させていただきます」

 とても喋りにくそうだったが、どうにかラッセルが言葉を紡ぐ。

「では、行こうか」

 フランクリンはラッセルの首根っこを掴み、無理矢理に立たせると、先行させた。

 よろよろと足を引きずりながら回廊を歩くラッセルの背を、フランクリンは感情の籠らない瞳で見つめていた。

「一つ尋ねたい」

「……どうぞ、この際十でも二十でも」

 ラッセルの声色がふてくされていたのは、彼のせめてもの反抗だろう。

「シルディアという女の子がいるはずだ。どこにいる?」

「シルディア……ええ、その娘ならいますとも」

「どこだ……!」

 勿体ぶるようなラッセルの口調に、フランクリンは苛立ちとともに語尾を強めた。

「おっとぉ、また痛い目を見せられちゃ敵いませんね。お話しますよ」

 おどけたように両手を上げるラッセル。そんな彼へ、フランクリンは再び銃口を突きつけた。

「おおっと、冗談ですよ」

「おまえと楽しくお喋りする気は毛頭ない。今すぐに彼女の下へ案内しろ」

 腰のあたりに硬質な感触を感じ、ラッセルは表情を引きつらせた。

 思い出すのは、つい数分前までのこと。

「わかりました、わかりましたよ」

 観念したように、しゅんとなるラッセル。フランクリンはふんと鼻を鳴らして、拳銃を仕舞い込んだ。

「それで、彼女――シルディアはどこだ?」

「くくく……ええ、ご案内しますとも」

 不気味な笑みを浮かべて、彼の者は客人を案内する。

 コツコツッ、と死の匂いがべっとりとこびりつく、回廊に足音を響かせながら。

 

 

                          ◆◆

 

 

「どうなってるのよ……?」

 ステファニーは困惑していた。

 この屋敷の構造上のことはもちろんだが、そんな瑣末なことよりももっと彼女を混乱させている要因がある。

 それが、シルディアだ。突如として現れたかと思うと、突然消えた。その事実は、ステファニーに一種の目眩に似た症状を引き起こさせていた。

「……ともかく、この場は」

 シルディアはどこへ行ったのか。その疑問が晴れることはなく、しかし彼女がここまで案内してくれたという事実は、目の前の結果を伴って確かに存在している。

 つまり、彼女はいる、ということだ。

「なら、必ず見つけるわ」

 ステファニーは体中を漁り、何か役に立つものでも持っていないだろうかと探しだした。

 見つけたのは、革製の鞘に納められた小型のナイフだった。

 ステファニーは数瞬考えた後、そのナイフで壁に印を刻んだ。

 印を刻み終えると、ステファニーが身を反転させる。タッ、と小走りに駆け出した。

 数メートル置きに、何度も印を刻んでいく。

 だが、何十度目かに印を刻んですぐ、行き止まりに突き当たった。

「え……」

 どう見ても、その先に道があるようには思えない。

 ステファニーは引き返すべきか否か、呆然とその場に立ち尽くしてしまう。

「どうすればいいの……」

 シルディアがやって見せたように、どこかに仕掛けがあるのかと思ってか壁中に触れてみたものの、どこにもそれらしい突起や不自然なくぼみなどは見当たらなかった。

 途かたに暮れて、振り返って壁に背中をつける。そのままずるずると座り込み、膝を抱えて腕の中に頭を埋める。

 どうして、私は何もできないのだろう……?

 彼女の心中を、無力感が襲う。

 ――すると、

「……?」

 どこからから、誰かの声が聞こえた気がした。何かを言い争っているような、男女の声だ。

 やがて声は疲れたように収まり、再び、あたり彼女の周囲は静まり返った。

 だが、ステファニーの心の中を、小さな火種がわずか灯した。

「近くに……誰かいるの?」

 ステファニーは立ち上がり、左右へと首を振る。縦横無尽、どこを見ても無機質な灰色に覆われた空間。しかし、それでも。

 ほんの些細な、それこそ一筋の光にも満たない希望であっても、縋る価値は十分にある。

 ステファニーが再び壁に触れ始めた。今度は目の前の壁のみならず、横の壁にも注意を向ける。

 ――と、

「これは……!」

 見つけたのは、他の壁石とは微かに色合いの異なる、壁石だった。

 その壁石に触れ、力一杯押し込んでみる。そうすると、石壁は僅かな抵抗感を彼女の手に押し返してくるが、ズズズッ、と耳障りな音を立てて奥へと引っ込んだ。

「やった!」

 ステファニーは喜びに、思わず表情が弛緩するのを感じた。

 これで、何らかの変化が期待できる。そう思ったからだ。

 事実、変化はあった。

 彼女の新路を妨げていた大きな壁が、土煙とともに真横へとスライドしていく。

 そしてその先に、道が生まれた。暗く、どこまでも続くような暗い道が。

「……ごくり」

 ステファニーは思わず唾液を飲み下した。

 ここまで来て、なおこのような暗い回廊を一人で行かなくてはならないのかと思うと、底冷えするような気持ちになる。

 ちらりとステファニーは背後を返り見た。

 ここに来るまでにつけた印を辿れてば、あの階段のところまで戻ることができる。そうすれば、とりあえずステファニーだけならこの屋敷を脱出することができるだろう。

 そこから、助けを呼ぶなりなんなりすればいい。おそらく、そちらのかたが賢い選択というものだ。

 でも……、とステファニーは無限にも続くかのような回廊へと再び視線をやる。

 そんな悠長なことをしていて、もしハワードやフランクリン達に危険が迫っていたら?

 とてもじゃないが、間に合うとは思えなかった。

「……それに、シルディアもいるしね」

 どういう経緯で彼女がこの屋敷に住み続けているのかはわからない。けれども、彼女を救うことが、今のステファニー達の仕事だ。

 彼女は自らの頬を張ると、小さくうなずいた。

 行くぞ、と。

 そして、ステファニーは回廊のその向こう側へと、足を踏み出した。

 

 

                        ◆◆

 

 

 遠くで聞き知った声が聞こえた気がした。こんなほこり臭い場所にとても似つかわしくない、若い女の声だ。

「……今、何か聞こえなかったか?」

「いいえ、何も」

 ハワードが問うも、隣にいるメタリアは首を横に振るだけだった。

 彼は「そうか……」と再び黙り込む。

 その様子に、二人を先導する少女――シルディアは興味を示すことはなかった。

 三人の間に、再び沈黙が舞い降りる。

 一番最初に耐えかねたのは、やはりというか、一番の年長者であるハワードだ。

「なぁシルディア、俺達は一体どこへ向かってるんだ?」

「……言ったでしょう、出口へ案内してあげるって」

「で、でも……さっきから上を目指している気がしないんだけど?」

「外へ出るためには、必ずしも階上へ向かわなければならないなんてことはないわ」

 まぁ、最終的には上を目指すんだけどね。

 シルディアはそう言ったきり、黙り込んでしまった。

 三度の沈黙が、彼らを、とりわけハワードを襲う。

「い、いくら何でも、このまま闇雲に歩いてたって外には辿り着かないだろう?」

「……はぁ、そう思うのなら着いて来なくてもいいわよ? ただし、その時はこの地下でのたれ死ぬことになるだろうけど」

 十歳の少女が並べ立てるには、あまりにも不穏当な発言にハワードは半ば肝を冷やした。

 シルディアは彼を一瞥することもなく、黙々と歩いていた。

 メタリアも、先ほどから一言も言葉を発していない。

 それから、どれほど歩いただろう。言葉にならない不安だけがハワードの心中を犯していく。

 その最中、彼の服の袖を引っ張ってくる間隔があった。

「ねぇ……」

「……なんだ?」

 やっと会話ができるのか、そう思うと自然と声と表情が明るくなる。

 ハワードはなぜかシルディアに聞こえないよう声を潜めいているメタリアに合わせて小声で応えた。

「何か気づいたことでもあるのか?」

「いえ、まだ確証はないわ。でも……少し気になることはある」

「気になること?」

「ええ、それを確かめたいわ。協力して」

 一体何がそんなに引っかかっているのだろう?

 ハワードは心中で疑問に思いながら、メタリアの提案にうなずいた。

「よし。じゃあまず、彼女の反応が見たいわ。私の言った通りに質問してほしい」

「わかった。何を聞けばいい?」

「彼女の名前と年齢」

「名前……はわかってるだろう? シルディアって……」

「いいから……!」

 語気を強めて睨みつけてくるメタリアに、ハワードは不満に思いつつも黙って従った。

「な、なぁ」

「……何?」

 後ろから声をかけられ、シルディアは立ち止まって振り返った。

 彼女の表情から、読み取れるところは何もない。

「名前、教えてくれよ?」

「は……? 言わなかったかしら? シルディアよ」

「えっとじゃあ……おまえって年は幾つなんだ?」

「……十一歳よ。それがどうかしたの?」

「いやぁ……何でも」

 ハワードはにこやかに手を振ると、シルディアに合わせていた歩調を僅かに遅くしてメタリアと並ぶ。

 ハワードは声を潜め、

「……十一歳だってよ」

「十一歳……」

 メタリアは考え込むように、顔を俯かせた。

 まるで、シルディアの言葉の真偽を確かめているかのように。

 そんなふうにハワードとメタリアがこそこそと内緒話をしていたのが気に喰わなかったというわけでもないだろうが、唐突にシルディアは立ち止まり、二人を振り返った。

「もしあたしのことを疑わしく思っているのなら、一つだけ言っておくわ。あたしは間違いなくシルディアよ。それ以上でも以下でもない」

「じゃあ聞いてしまうけど、あなたはシルディア……何?」

「は……? どういう……」

 ここに来て初めて、シルディアが動揺を見せた。

 これまで、眉一つ動かさないどころか歩調や息の乱れすらない。

「大抵の人間にはファーストネームとファミリーネームがあるわ。稀にないこともないけど、でもあなたの場合はあるはずよ」

「どうしてそんなこと……」

「私達があなたのお姉さん、レイアから受けた依頼だからよ」

 メタリアが告げると、シルディアは突如として苦しげに呻きだした。

 頭痛を抑えるように頭部に手をやり、苦悶の表情を形作る。

「あ、あたし……は」

「さっきから聞いていれば、要領を得ないことばかり言っているから。つい聞きたくなっちゃったのよ」

 悪びれもせず、メタリアは続ける。

「もし私があなたの立場なら、こんなかび臭いところに一分一秒だっていたくないわ。こんな暗くてじめじめした場所より、お日様の下のかたがずっと気持いいもの」

「ぐぅ……あなた達に、何がわかる……」

「わからないわよ。だから尋ねているんでしょう?」

 彼女の容赦のない追及に、シルディアは苦悶から憎悪へとその表情を変化させた。

「ど、どどどどうしてそんなことをぉぉぉぉ!」

 今にも、メタリアの細い喉に噛みつかんばかりのシルディア。

 だが、彼女の表情は一ミリも変化することはなかった。

「……哀れね」

 ぽつり……、とメタリアが紡いだのは相手を哀れむ言葉。

 目の前にいる幼い少女に対し、可哀想なものを見るかのような目で見つめる。

「おそらく、この家は全てが立体映像ホログラムよ」

「立体映像?」

「ええ」

 ハワードの疑問符に、メタリアは自信ありげに首肯した。

「こんなアナクロな見た目にしているのは、おそらくカモフラージュのため……もしくは、もっと別の理由があると思われるわ」

「別の理由……?」

「そこまではまだわからない。でも、たった一つ言えることがある」

「それは……」

 ごく……、とハワードは唾液を飲み下した。

 ここまで、メタリアの仮説はハワードの想像を遥かに超えていた。次に、一体何が来るのか、少しも想像できずに彼は彼女の台詞を待っているのだ。

「……このシステム、作ったのはラッセルではない」

「ラッセル……じゃあない?」

 ええ、とメタリアは小さくうなずいた。

「この技術、およそ二、三十年前のもの。だから、プログラミングされた行動しか、彼女は取ることができない。それ以外の言動を求めてしまうと……今みたいにエラーが起こってしまう」

「あ、ああ……」

 ハワードはシルディアへと目を向けた。

 頭を抱え、今にも崩れ落ちそうになっている幼い少女の姿は、胸を打つものがある。

「シルディア!」

 がく、とシルディアが膝を突く。ハワードはとっさに支えようと腕を伸ばすが、その小さな体躯を支えることは叶わなかった。

「…………!」

「これで、ほぼ決まりね」

 静かに、メタリアは宣言した。

 彼女、シルディアはこの場に存在しない人物であると。

「それじゃあ、レイアの依頼は……」

「果たせないわ。私達には不可能ということよ」

「そんな……」

 愕然とするハワード。

 もし仮に本当のシルディアが生きていたのなら、わざわざこんな手の込んだことをする必要もないだろう。ラッセルがそういう趣味の持ち主なら、尚更だ。

「彼女は……もう?」

「その可能性は高いわ」

 感情の籠らない瞳で、メタリアは自分より幾つも年下の女の子を見下していた。

 もう二度と、この屋敷から出ることの叶わない、肉体を持たぬ少女。

「ずっと彼といる……こういうことだったのね」

「ちく、しょう……」

 苦しげに、ハワードは唸った。

 それは、自分達の目的が叶わなくなったからではない。それももちろんあるだろうが、それ以上にレイアに対する申し訳のなさもあったのだ。

「どこかにプログラムを打ち込むための部屋があるはず。そこを探しましょう」

「……ああ、そうだな」

 これ以上、シルディアの声で、姿で誰かを惑わせるのは止めてほしい。それは、姉のレイアとて望むところではないはずだ。

「彼女には、ありのままを報告しよう」

 ハワードは目元に浮かんだ涙を拭い、ゆっくりと歩き出した。メタリアも、彼の後ろから着いていく。

 幼いシルディアに背を向けるように、これまで来た道を戻って行った。

 

 

                         ◆◆

 

 

 最初は何てことのない、小さな違和感だった。

 だが、何度も何度も同じことを繰り返している内に、彼の中でその違和感は確かな疑問となって、彼の思考の半分以上を埋め尽くすことになる。

「……これは、どういうことだ?」

「どうかされましたか?」

 不意に立ち止まったフランクリンを、嘲笑するような表情でラッセルが振り返る。

 ここでようやく、二人はまともな会話を交わすようになる。

「さっきから同じ場所をぐるぐる回っている気がする。おまえ、ちゃんと案内する気があるのか?」

「ありますとも。しかし、この地下道の構造は何分複雑でして。簡単には抜けられぬようになっているのです」

 そうと言われては、フランクリンに言い返す言葉はない。どれだけ喚き散らしたところで、現状が変わるわけではないのだから、ここは大人しく歩く以外に選択肢はなかった。

 フランクリンは再度、銃口をラッセルの腰のあたりに突きつける。

「止まるな。歩け」

 再び、石畳の回廊を二つの足音が響き渡る。

 そこからたっぷり三十分。無言の時間が続く。

 一向に変わる気配のない回廊の景色に、フランクリンは苛立ちを募らせる。

「いつになったら着くんだ!」

「もうすぐですよ、もうすぐ」

 もうすぐ、と繰り返し呟くラッセル。

 彼はどこか膿んだような瞳をしていた。まるで、ここではないどこかを見ているような。

 そこから更に三十分ほど経った頃。

「さぁ着きましたよ」

 そう彼が指し示したのは、重厚な扉の前だった。精緻な装飾の施された、日本風の扉。

「ここにシルディアはいるのか?」

「ええ……ですが、一つ条件が」

「そんなことが言える立場だと思ってるのか?」

「何、簡単なことです。その無粋な金属の塊をどこかへと仕舞っていただければ」

 ラッセルは拳銃を指差して、そう言った。

「中には子供がおりますので。そういったものは教育上よろしくないかと」

「どの口が言うか」

 フランクリンはにこりともせずにそう返した。

「では、少しばかり時間がかかりますので」

 一言断り、ラッセルが扉へと手を伸ばした。

 しかし、彼が行ったのは扉を開けることではなく、扉にしつらえられた装飾をいじくりまわすことだった。

「この扉の鍵は一つのパズルになっていましてね。この柄を完成させなければ開かない仕組みになっているのです」

 言っている間にも、彼は慣れた手つきでパズルを完成させていく。

 そうして現れたのは、細長い蛇のような胴体に小さな手足を持つ空想上の生物。

「ドラゴン……?」

「日本では竜、と呼ばれています」

 フランクリンの勘違いをラッセルが正す。

 直後、金属と金属のぶつかる音が炸裂した。

 今度こそ、ラッセルが扉を開ける。

「さぁ中へ」

 彼は扉を抑えたまま、暗い室内へとフランクリンを招き入れた。

 すると、どういう仕組みになっているのか彼の周囲の蝋燭に一斉に火が灯る。

「驚かなくて結構です。そういう仕組みと思っていただければ」

 今度も、ラッセルは涼しげに言う。

「……それで、彼女はどこだ?」

 部屋はそう広くはない。いくら蝋燭の頼りない灯かりの下とはいえ、十歳前後の女の子の姿を見落とすなど、そうそうないだろう。

 ましてや、フランクリンには隅々まで見落としなく見た、という自信があった。

「誰もいないじゃないか!」

「何を言っているのですか? いるではありませんか……そこに」

 すぅっと、ラッセルの人差し指がフランクリンを指し示す。

 正確には、彼の背後を。

「何を言って……? ッッッ! これは!」

 驚愕に、フランクリンは目を見開いた。

 そこにいるのが、紛れもないシルディアだったから、ではない。

 驚くべきは、彼女の姿。

 四角いモニターの向こう側で、シルディアは悲しげに目を伏せていた。

「どう、どういう……ことだ?」

「見ての通りですよ。彼女は今、私の思うがままに動く機械人形です」

 おかしそうに笑うラッセルの声が耳障りだった。

「黙れ! これはどういうことだ! 俺をおちょくっているのかぁ!」

「くく、誰もあなたをおちょくってなどいませんよ。ただ事実を申し上げているだけです」

「何だと?」

 苛立たしげに、ラッセルを睨みつける。

「そんなに恐い顔をしないで下さい。震えあがってしまいます」

「だったら今すぐ説明しろ……!」

 フランクリンは仕舞い込んだ拳銃を取り出すと、その銃口を彼へと向ける。

 ――と、ぐわん! と彼の足下がたわんだ。ように思われた。

「な、なんなんだ!」

「くくく……この屋敷で私を殺そうなど、そう簡単にできる話ではありませんよ?」

「く……どういう、意味だ?」

 ぐるぐると頭の中が掻き混ぜられるような感覚に、フランクリンは立っていられなくなってその場に座り込んでしまう。

 ラッセルは平然とした様子で、フランクリンに歩み寄ると彼が取り落とした拳銃を拾い上げる。

 今まで、ラッセルへと向けられていた銃口がフランクリンに向く。

 立場が、逆転する。

「あなたには、ここで死んでもらいます」

「……この、野郎」

 海の底に沈んで行くような感覚の中で、彼はどうにか言葉を絞り出す。

 呻き声はやがて消え失せ、かわりに微かな唸り声が静かな回廊のあちこちから反響する。

「くくく……残念でしたねぇ」

 ラッセルは不気味に笑むと、拳銃の引き金に人差し指をかけた。

 それから、ゆっくりと引く。

 

 

                       ◆◆

 

 

「まるで迷路ね……」

 ステファニーは壁に印を刻みながらそう呟いた。誰かに聞かせるためというより、自身の平静を保つためという意味合いが強い。

 彼女はふと背後を振り返る。言葉にできない不穏は空気を感じたからだ。

「…………」

 何だろう、この感じ……?

 ステファニーは眉を寄せ、眉間に皺を刻む。

 誰かの命が今、終ろうとしている。そう感じられたのだ。

 引き返すべきか思い悩み、彼女は前後に首を振って思い悩む。

 引き返せば、ことの真偽が確かめられる。しかし、今はシルディアを追うのが先決だ。

 ステファニーは首を振り、廊下を進み始める。

 この屋敷から、シルディアを救い出すために。

「大丈夫、もうすぐ見つかるわ」

 子供の足で、そう遠くまで行けるはずがない。まして、迷路のようなこの地下回廊。先へ進むことに躊躇するのが普通だ。

 であるならば、すぐに見つかるだろう。

 そう思っていた。なのに……、

「どういうこと?」

 ステファニーは、眉間の皺をますます濃くした。

 進めども、シルディアの姿を見つけることができないのだ。

 相手は十歳前後の小さな女の子だ。ステファニーとの身長差は歴然としている。

 そこには、確固たる差異があるのだ。

 だというのに、これはどういうことか。

「確かに、迷路みたいだとは思ったけれど……」

 それはそんな印象を受ける、程度の話であって実際はほとんど一本道が続いているだけだ。入り組んだ構造をしているわけでも別れ道があるわけでもない。

 ただ延々と、まっすぐ続いているだけである。

 ――と、ステファニーが途かたに暮れていると、彼女の周囲に変化があった。

 突如、壁が揺らめき出したのである。

 壁だけではない。天井も、床も。空間そのものが、微細にではあるがノイズのようなものを発している。

「これは……?」

 ステファニーは思わず立ち止まり、警戒心に満ちた眼差しであたりを見回した。

 どうなっている……?

 事態の変化について行けず、ステファニーは困惑してしまう。

 そしてついには、目の前に広がる暗闇も、石でできた床や天井、壁が消失する。

 回廊そのものが、消え失せてしまったのである。

 その後に出てきたのは、硬質な金属の塊。

「……どうして?」

 ステファニーの頭の中は、混迷を極めた。

 一体何が起こっているというのか。

 異常事態に、彼女は困惑するしかなかった。

 

 

                        ◆◆

 

 

 銃声が鳴り響く。床を濡らす鮮血が、彼らの間を紅く染める。

 ハワードは苦悶の表情を浮かべ、苦しげな唸り声をあげた。

「……どうしてこんなことをしたんだ?」

 それは問いではなく、ほとんど慟哭に近かった。

 ラッセルは真正面から弾丸を受け、その場に膝を突いた。

「ぐぅ……拳銃の弾を喰らうのは、今日だけで何度目でしょう」

 痛みに呻きながら、それでも彼は笑っていた。

「どうしてここがわかりました?」

「それは、彼女が教えてくれたわ」

 ラッセルの疑問に答えたのは、ハワードではなく彼の後ろにいたメタリアだった。

 彼女はすぅっと目の前のモニターを指差し、続ける。

「彼女がこの場所を教えてくれた。自分の意志とは、反対にね」

「馬鹿な、彼女にプログラム以上のことなんて……」

「このシステムは、もともとあなたのものじゃないわ。そうでしょう? ラッセル」

「……ええ、そうです。でも、なぜそれを?」

「それも、彼女が教えてくれた。正確には、彼女の内に眠るもう一人がね」

 メタリアはモニターを指差していた手を下し、すっと目を細めた。

 まるで、哀れむようにラッセルを見下す。

「最初、私はすっかり騙されていたわ。自分の無知さ加減を恥じてしまうほどに」

 きっかけは、おそらく誰もが抱くはずの当然の疑問だった。

「誘拐した目的が金にせよ何にせよ、大切な人質をこんな場所でうろうろさせておくはずがない。そう思ったのよ。まして、あなたは金や怨恨ではなく、彼女自身を愛していたようだったしね」

「……愛ですか」

「そう、歪んだ愛。ゆえにシルディア、彼女は死んだのよ」

 フランクリンは、少しも動けないようだった。

 ハワードも、黙ってメタリアの言葉に耳を傾けている。

「彼女は死んだ。でも、あなたはどうしてもそれが認められなかった」

「ええ、そうですとも。私の前からあの子がいなくなる。考えただけで恐ろしい」

「そう……だから、この屋敷のシステムをフルに使い、彼女の立体映像を作り出したの。もう一度、シルディアと会うために」

「そうですともそうですとも……そして、私は再び彼女と会うことができた……!」

 バッとラッセルが顔を上げる。そこに、薄気味の悪い笑みを張り着かせて。

「……残念ね、死んだ人間とは二度と会うことはできないのよ?」

 容赦のない、メタリアの言葉。それは鋭利な刃物のように、ラッセルの喉元に突き刺さる。

 僅かに、微細に彼の体が揺れ動く。

 笑みを消し、怒りに目を血走らせて喚く。

「黙れ! 私は彼女と会った! もう一度会えたんだ!」

「仮に会えたとして、私ならあんたのような奴、願い下げだけどね」

 静かに語るシルディアの口調に、特段の変化はない。

 足下に寝転がっているフランクリンへと視線を向ける。

「動くな!」

 彼に手を伸ばそうとしたラッセルへ、ハワードが激を飛ばす。

 だが、彼の手は止まらなかった。ガッとフランクリンの髪を乱暴に掴むと、彼の頭を持ち上げる。

 すかさず、発砲の構えを取るハワード。しかし、当然だが打つことはできない。

「どうした? 打たないのか?」

 打てるはずがない。もし発砲すれば、フランクリンに当たる可能性もあったからだ。

 それを理解しているらしいラッセルの挑発じみた声が響く。

「くくく、所詮はその程度というわけだ。おまえに人殺しはできない」

「黙ってろ!」

 慎重に、ハワードはラッセルへ狙いを絞る。

 射撃はあまり得意ではない。どちらかといえば彼は、泥臭い肉弾戦を得意としているのだ。

 が、下手に近づけばフランクリンに何をするかわからない。だから、ラッセルがフランクリンに何かするより先に、彼を無力化してしまいたいと思っているわけだが。

「ち、くしょう……」

 無理だ。どうしても。

 緊張で手許が揺れていた。どうしても、狙いがブレてしまう。

 こう着状態が続く。

 先にしびれを切らしたのは、ハワードのかただった。

「彼を離せ、かわりに俺が人質になろう」

「馬鹿を言うな。おまえのような健康優良児に人質など勤まるものか」

 ラッセルの言い分は、しゃくではあるが的を射ていた。

 フランクリンを人質に取られているせいで、一歩たりとも彼に近づくことができない。

 どうすれば……?

 窮地に追いやられ、ハワードは歯噛みした。

 どうやっても、打開策を見出すことができない。

 そう、思っていた。その時――

「『私は誓う。とこしえにきみを愛すると』」

 メタリアが何ごとかを呟いた。かと思うと、直後にハワード達の目の前にあるモニターに変化が現れた。

「……ああ、私の愛する人」

 モニターの向こう側から、成人した女性の声が聞こえてきた。

 ハワードもそうだが、一番驚いたのはラッセルのようだった。彼はぎょっとした様子で背後を振り返り、モニターを見上げている。

「な、なぜ……? おまえは消去したはずだ」

 その一瞬、ラッセルに隙が生まれた。

 僅かにではあるが、彼の手がフランクリンから離れたのだ。

 意識のない彼の頭部は、ごん! という音とともに床と激突した。

 それを合図として、ハワードが引き金を引く。

 たぁぁん! 銃声が響き渡り、ラッセルの胸部を弾丸が貫く。

 鮮血がモニターを染め、周囲に肉片が撒き散らされる。

 赤一色になった部屋の中は、しんと静まり返った。

 喉奥から絞り出すように、ラッセルのかすれた声が聞こえてくる。

「……どうして、この女に」

「……建築士、黒沢浩一郎には最愛の人がいた。彼はあんたと同じように、この屋敷で故人を蘇らせようと試みたのよ。……でも、その計画は失敗。中途半端な立体映像システムだけが残り、そしてあんたみたいな奴の手に渡った時のために、このパスワードを残した」

 既にラッセルは息を引き取っていた。

 じっと彼を見つめるメタリアの瞳は酷く冷たく、また侮蔑すらもありはしなかった。

「自分の愛する人が、決して誰の手によっても蹂躙されないために」

 聞く者のいないその慟哭を、ただ一人ハワードだけが聞いていた。

 その部屋には、血の匂いと悲しみだけが漂っていた

 

 

                          ◆◆ 

 

 

「容疑者の死亡により、事件は一応の解決を見せました」

「うむ、ご苦労」

 フランクリンの報告を聞き、トーマスは一度、大きくうなずいた。

「ただ……一つ疑問に思うところがあるのだが、いいかね?」

「何でしょう?」

「建築士である黒沢が自分の最愛の人をこの世に残すためにかの屋敷を建造した。そこまではいい。万が一、乗っ取られた時のための防衛策を施していたことも理解はできる。しかし、ではなぜ彼は自身をこの世に残さなかったのだろう?」

「いいえ、それは違いますよ室長」

 トーマスの疑問に、フランクリンは首を横に振って答えた。

「調査の結果、黒沢はつい最近まで生きていたことがわかっています。そして、最愛の人と永遠に一緒にいるために自身すらデータ化しようとしていたことも」

「なるほど、そこをラッセル・ユファに……」

「はい。道半ばで彼に殺され、システムを奪われた。だから中途半端に女の思念だけが残っていた、というわけです」

 どれほど強大な野心を抱こうとも、黒沢の最愛の人に対する愛のかたが遥かに勝っていた。ただ、それだけの話だ。

「彼も、そしてシルディア嬢もすでにこの世にはいない。かの屋敷における真実を知るものは、もはや存在しないというわけだな」

「ええ……そして、メタリアの言葉も推測の域を出なくなってしまった」

「真実は永遠に闇の中、ということか……」

 トーマスははぁ、と溜息を吐くと、顔を俯かせた。

 その姿は、まさに疲れ切った老人のような印象をフランクリンに抱かせた。

 

 

 

「そっか……そういうこと」

「全ては憶測。確証はありません」

 食堂の一角で、日替わりメニューを口に運びながら、ハワードとステファニーはそんな会話を繰り広げていた。

「でも、もしそれが本当なら私達がいかなくちゃ、全部ラッセルの思惑の通りだったってことでしょう?」

「そういう言いかたもできますね。黒沢や彼の想い人、それにシルディア。この三人の心を踏みにじって、ラッセル・ユファは己の欲望を満たそうとした」

「その欲望さえ、私達が奪い取った」

「ステファニーはまじめですね」

「フランみたいな奴のかたが珍しいのよ」

 冗談めかして、二人は笑い合った。

 おかしくて、というより気持ちを切り替えたくて。他に今の感情の表しかたを知らなくて。

「彼女はどうしてるの?」

「彼女……ああ、メタリアですか?」

「え、ええ……」

 ステファニーは言いにくそうに顔を逸らした。 昼食を食べる手も止まっている。

 その様子に、ハワードは少しだけ悲しい気持ちになった。

「元気、だと思いますよ。たぶん」

「たぶん……?」

「よくわからないんですよ。あれからずっと地下のあの部屋で、何かを考えているようでした」

「事件の真相がわからなくなっちゃって、気持ち悪いのかもね」

「……かもしれない」

 何にせよ、メタリアには早く元気になってほしいとハワードは思っていた。

 もしあの冷たい牢獄から出られる日が来るのなら、その時、普通の女の子として過ごしていけるように。

「……ステファニー、少し相談があるのですが」

 そう切り出したハワードに、ステファニーは小さく首を傾げていた。

 

 

 

「……そう、あなた達は幸せなのね」

 誰もいない、暗い部屋。床は冷たく、彼女の体温を徐々に奪っていく。

 それでも、彼女が一向に寒がったりしないのは、おそらくは慣れであろう。

 人間は順応する生き物だ。痛みも孤独も、悲しみさえも。

 だから彼女は、この暗い空間で、冷たい床の上に一人座っているても少しも冷たくないし、寂しくもない。

 彼女は金色に輝く長い髪をすきながら、そこにはいない誰かに向かって呟いた。

「……もう、私があなた達に会うこともないのね。清々するわ」

 心にもない、当てつけのような言葉が口をついて出る。

「……二度と、戻って来なくていいわ。あなたはそっちで、あの人とよろしくやっていればいい。……私はもうしばらく、こちらにいなくちゃいけないから」

 死ぬことは簡単だ。今すぐに舌を噛み千切れば、それで命を断つことができる。

 だが、彼女にはまだ、死ねない理由があった。

「私はまだ、私自身の無実を証明していない。復讐も、何もできていない」

 だからまだ死ねない。そう彼女は言った。

 その小さな唇を、少しだけ悲しみに震わせて。

「ねぇ、聞いてくれる?」

 彼女は、ここにはいない誰かに語りかける。

「もし私、ここから出られたらやってみたいことがあるの」

 その願いがいつか叶う日が来ると信じて、彼女は紡ぐ。

 静まり返った暗い部屋で、一人。


 

 

 

                                       FIN


いかがだったでしょう? こうしたほうがいいよ、等ありましたら教えてもらえると嬉しいです。

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