ご利用は計画的に
「初めまして、パパ。これからヨロシクお願いします」
「帰れクソガキ」
俺こと美作左神・大学三年生と、突如現れた美少女こと月ヶ夜央里・中学一年生の出会いは、大学生に優しい家賃三万二〇〇〇円の1Kロフト付きアパートの玄関先だった。
俺はしがない大学生である。両親と死別したのが四年前、以降は親戚に厄介になり、こうして大学なんぞに通わせてもらっている。
親戚の羽鳥さんは俺なんかにとても親身に接してくれて、一人暮らしなんて無理せず帰ってこい、と言ってくれている訳だが、俺はこうしてアパートを借りて、大学に行きながらバイトで生活していた。
というか、羽鳥さんちに厄介になりたいのは山々なのだが、俺だって健全な男なのだ。まさか現役女子高生の一人娘のいる家に転がり込む訳にもいくまい。それが理由の一つだったりする。
高校三年生の頃から一人暮らしを始め、もう四年。彼女も作らず、友達とも疎遠になりながら、淡々黙々と学校とバイトをハシゴして生きる事に慣れた頃。
彼女ではなく。
友達でもなく。
中学一年生になる『自称』俺の娘が、我が家にやってきた。
「ねぇ、パパ。ジュースとかないのぉ?」
「ねぇよ。そんなモン買う金がありゃ、特売で野菜買うっての」
「むー。……じゃあお茶とか」
「水道水以外の飲料が俺んちにあると思うな。一応、浄水機はつけてるから飲めない事はない」
勝手に上がり込んで、俺のベッドに腰掛けた少女は唇を尖らせながら、仕方ないなぁと呟いてデカいアタッシュケースの中からペットボトルを取り出した。オレンジジュースである。……持ってんなら聞くなよ。
身長は一五〇あるかないかと言ったところか。髪は色素が薄く、窓から差し込む光が当たって荘厳に輝いて見える。セミロングの髪はパーマをかけているのか、縦にクルクルと渦巻いていた。僅かだが、今時の中学生らしく薄く化粧もしている様だ。
間接キスになっちゃうケドいる? と甘い声で差し出してくるペットボトルを丁重に断り、俺は少女と向き合う様に座布団に座った。小さなテーブル越しに、俺と少女。
「……で、お前は誰だよ?」
「もう! さっき言ったじゃない! 私は月ヶ夜オウリ! 貴方の娘ですぅ!」
不機嫌そうな表情で、嬉しそうに語るオウリ。さっきからこの調子で喋っているので要領を得ない。
「っつか、フザけんな。俺は大学生だぞ? 二一歳だぞ? 歳の差九歳の娘がいてたまるか」
無碍にそう告げると、少女は顔を真っ赤にして立ち上がり、地団太を踏む様に喚きだした。
「だーかーらー! 私は貴方の娘なの! パパの名前は左神でしょ? ママの名前に『右』が入ってるから、私が央里になったの。これで信じてもらえるでしょ」
「だから、そんな話を信じられる訳が……待て。今お前、何て言った?」
引っかかった。オウリの言葉が、魚の小骨が喉に刺さった様に、上手く飲み込めなかった。
……どうしよう、と俺はその場に頭を抱えて藻掻きたい衝動に駆られた。すっかり忘れていた記憶が脳裏をよぎる。本当にどうしよう。思い出すのは一二年前、当時、小学三年生だった『九歳』の頃の記憶だ。
心当たりが、あった。心当たりと言っても、かなり曖昧な記憶でしかない。何せ九歳だ。二次成長も始まっていない。あの子の顔も思い出せない。
それでも、確かに――、
「……右海、ちゃん」
「え?」
俺がボソリと呟くと、オウリがテーブルから身を乗り出してきた。心底嬉しそうだ。その表情が『あの子』とダブって、曖昧な俺の記憶に拍車をかけた。
「何? なに? 今、何て言ったの!?」
「……ウミちゃん、って言ったんだよ」
「ママの名前だ! パパ、思い出してくれたの!?」
キャッキャとはしゃぐオウリを前に、今度こそ、俺は頭を抱えてその場で藻掻いた。ヤバい、マズい、どうしよう。本気で思い出してしまった。もう、俺にはオウリを否定出来る要素がなくなって仕舞ったのだ!
それでも、確かに――俺は、あの子と出逢っていたのだ。
それは、一二年も昔の記憶。
「そっか……もう、ウミちゃんと遊べなくなるんだね」
「うん……お父さんがね、お引っ越しするって……」
「うん」
「私ね、もっと、サガミくんと一緒に遊びたかった」
「僕も、ウミちゃんともっと楽しい事、一緒にしたかった」
「……ねぇ、サガミくん。私の事、好き?」
「……うん。ウミちゃんは、僕の事好き?」
「うん」
「よかった……僕だけだと、思ってたから」
「そんな事ない! 私もサガミくん好きだもん! だから……」
「ん?」
「だから、私は……サガミくんと、一緒になりたい……」
「……僕も、ウミちゃんと、一緒に――」
幼かったから、俺と彼女はその行為の意味を知らなかった。とは言え、こうして冷静な目で考えてみると、若かったとしか言いようがない。
「誰か俺を殺せー!」
死にたい。もういっそ死んで楽になりたい。過去、どんなに辛い出来事があったって、こんな気持ちにはならなかった。早熟にも程がある。誰か切に俺を殺してくれ。
「んー……まぁ、早いと言えば早いけど、男性の精通の最年少ギネス記録は五歳だから、不思議でも何でもないんだけどね」
「女の子がそんな事を堂々と言うんじゃない!」
唇に人差し指を当てながら、どうと言う事もなく語るオウリ。そうは言われても、『ギネス記録には達していないから大丈夫』と言うのは、何かが激しく間違っている気がする。
「ちなみに、女性の初潮は生後三年半が最年少ギネス記録みたい。その記録保持者は生後四年一ヶ月で妊娠して、五歳になる前に帝王切開して出産したみたい。当然、これもギネス記録ね」
「だから女の子がそんな事を――マジ!? それ色々と凄くない!?」
困惑する俺を余所に、娘はケラケラと俺のベッドの上で笑い転げる。
「……って事は、お前は本当に、俺の娘って事か?」
「イエスイエス」
「……ホントのホントに?」
「ホントホント」
「……実はドッキリとか?」
「あーもう! 何だったらDNA鑑定でもしようか!? 私はいいよ。あんなの、ほんの数分で結果が出るんだから!」
オウリはテーブルを何度も叩きながら力説する。ここまで状況証拠が揃っていて、自信満々にこんな事を言われて仕舞えば、認めざるを得ない。
「……分かった、仕方ない、了解した。俺も男だ。お前を娘だと認めよう」
「やった! うん、ヨロシクね、パパ!」
「……で。その娘は、俺なんかのとこに何しに来たんだ? というか、ウミちゃんとはあれから会ってない上に連絡も取れてない、住所も変更した俺の元に、どうやって来たんだ?」
「家出したから、ここに住もうかと思って。パパの行方は、興信所を使って調べたの」
「待て待て待て。何か今、トンデモない事をサクッと言わなかったか?」
ボストンバッグの中から女物の洋服を取り出して俺に見せながら、頻りに似合うかどうかと訊くオウリを止める。
「え? あぁ、興信所の事? 結構かかったんだよぉ、お金。おじいちゃんのへそくり使っちゃったケド。にひひっ」
「にひひっ、じゃねぇよ! 違う! そっちじゃなくて――いやそっちも問題だけど――家出の方だ!」
言及すると、オウリは笑顔を一変して曇らせ、俯いた。胸元がやたら開いた大人っぽいワンピースに皺が出来る程握り締め、ポツポツと語り出す。
「……だって、私、パパと会いたかったんだもん。なのにおじいちゃんが、パパとは二度と関わるなって。ママも会いたがってるのに」
「あ……」
その表情を見て、俺はまた一つ、子供の記憶を思い出していた。
ウミちゃんの引っ越し先の住所が分からなかったから、手紙すら出せずもどかしかった苦い記憶。難しい漢字が読めない子供だったから仕方なかったが、いつかウミちゃんから来る事を信じて、待ち続けた、辛い記憶。
俺は最低な男だ。彼女が本当に大変な時期に、俺は彼女の傍にいてやれなかったのだ。
「……ウミちゃんは、元気にしてるのか?」
「うん。私を生んだ事は秘密して、その後は普通に学校に通ったよ。今は普通に大学生してるよ。世間的には私は月ヶ夜ウミの妹って事になってるし。流石に戸籍までは変えれなかったけど」
「……苦労、したんだな」
「にひひー。そりゃね。出産しても堕胎しても、成熟してない母胎は同じくらい危険だったらしくてね。ママから聞いたんだけど、ママってば自分の首に果物ナイフ当てて『サガミくんの子を産めないなら死んでやる!』って啖呵きったんだって! 滅茶苦茶だよねー!」
楽しそうに、身振り手振りを交えて説明するオウリ。今まで誰にも出来なかった話を、実の父親である俺に話せる事が余程嬉しいのだろう。その笑顔を見る度、俺の胸に重い物がのし掛かってくる。
何て、非道い父親だろうか、俺は。九歳で出産したという事実は、きっと俺の想像を遙かに超えて、大変だったに違いない。出産の話だけではない。法律の問題とか、育児や世間の視線なども含めた話だ。
その間、俺は何をやっていた? 大切な人を忘れ、何の疑問もなく平凡に生きてきただけだ。大きな事件と言えば、両親を失った事か。それも羽鳥さんという心優しい親戚がいてくれたから、今がこうしてある。
「……何て、自分勝手で、最低な男だろうな、俺は」
「……そんな事、ないよ。ママは今でもパパが大好きだし、パパがいてくれたお陰で、私はここに立ってる。確かに色々大変だったけど、嫌だと思った事はないよ」
語りながら、オウリは座ったままうなだれる俺の頭に手を置き、ゆっくりと撫でてきた。どっちが子供だか分からない。俺はテーブルに身を乗り出したオウリの腰に手を回し、抱き寄せた。
「う、うわっ!?」
「ごめん……ごめんな、オウリ。今まで、放ったらかしにして……」
こんなに人が愛おしいと感じたのは、ウミちゃん以来だ。抱き寄せたまま顔をずらして、オウリの顔を眺める。ウミちゃんの顔は未だ思い出せないが、それでも、似ていた気がする。
記憶の少女より大きな娘。自分がどういう状況になっているか理解しているのか、中学一年生にしては大人っぽい顔立ちのオウリは、首まで真っ赤に染まった。
恋人ではない。
友達でもない。
俺達は親子だ。歳の差がたった九つしかない、少しおかしな家族。
やがて、意を決した様にオウリが目を閉じた。俺は抱き寄せたオウリを見て、唇の位置を確認し、思い出の少女の面影を探りながら徐々に顔を近付け――
「お兄ちゃん! 遊びに来たよー!」
玄関のドアが、突如開け放たれた。そこでようやく俺は我に返る。
(あ、ッぶね! 今、俺は何をしようとした!? 実の娘だぞ! しかも中一! 色々と犯罪だろ! ……って)
覚醒した意識。ではどうやって、俺の意識は戻ってきた? 何か、外からの介入だった気がする。
「お、お兄ちゃん……」
玄関には、羽鳥さんちの現役女子高生の一人娘・千草が立っていた。俺の事を「お兄ちゃん」と慕ってくれる可愛い子だ。
1Kと言っても狭いアパートだ。玄関から部屋の中は丸見えなのである。ついでに、俺は女子中学生を抱き締め、あまつさえ雰囲気に呑まれたとは言え、どう良心的に解釈しても下賤で不埒な行為に及ぼうとしていたのだ。
実際、大人の俺が制止しなかったのだから、言い訳のしようがない。というかむしろ、大人の俺が率先して動いて仕舞った訳で。
「お……お兄ちゃんが少女趣味だったなんて……!」
「いや、待てチグサちゃん! 誤解と言えば誤解の様な気がしないでもないから話を聞いてくれ!」
「……パパ。ちゃんと最後までしてよぉ。私は、パパになら……いいからぁ」
「ぱ、パパ!?」
「よせヤメロ空気を読めオウリ!」
あぁ……人間、何事もノリだけで動くモンじゃないな。世の人に告げる、ご利用は色々と計画的にな。
この場合、法律ってどうなるんだろ? 限りなく児ポ法に引っかかりそうな小説だけど…。