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躬恒の散位

 躬恒は次の官位を得られないかもしれない。そんな噂が立ったのは延喜十三年、あのきらびやかな亭子院歌合の催された前日に、右大臣源光が突如急死した後であった。いや、死んだかどうかも実はわからない。馬に乗って山に出かけた先で底なし沼に沈み、行方不明になったらしい。あの華やかな催しの影であまりに異様な死にざまと、彼は道真の左遷によって大納言から繰り上げられた過去があったため、またもや道真の怨霊が光を死に導いたと都中が大騒ぎになった。貫之の歌の評判が高かったのは、怨霊の恐怖から逃れたい人心が華やかな歌を望んだためでもあった。


 次の右大臣は時平の弟である藤原忠平が昇進した。道真左遷の際に時平をかばったあの忠平である。弟と言っても忠平は幼い頃より才気があり、次兄を差し置いて藤原の氏長者となったほどの実力者だった。よって時平が成し遂げられずにとん挫していた律令制国家への道は、この忠平がその後受け継ぐこととなった。

 そんな有能な忠平ではあるが、この時はまだ突然の人事交代と怨霊騒ぎに内裏の動揺は沈静化できていなかった。その中で躬恒は任期を終えようとしていたのだ。

 内裏は再びの変化に浮き足立っており、位の低い歌人になど目を向ける余裕はなかった。


 散位さんみの危機を感じた躬恒だが、それまで決して指をくわえていたわけではなかった。ふだんから御厨子所の人々や内膳司の人に、自分が一途に役目をこなしていることや、まだ自分には妻のほかに元服前の子もいることを懸命に訴えていた。さらに歌人と言えど歌ばかりに興じているわけではなく、身分相応の仕事もきちんとこなしていることを理解してほしいと訴えた。


 しかし御厨子所の仲間内では人気者の躬恒も、内裏のうちの人々の興味を引くことは難しかった。躬恒は位を挙げるほどの学がなかったことと、内裏では重要視される筆跡もごく平凡であったのだ。文才が必要とされる職場なら理解もあるだろうが、調理担当の内膳司では歌で上司の気を引くことなど難しい。しかも躬恒は普段御厨子所にいるため、人間性を知ってもらえる機会も少なかった。


 躬恒は思い切ってある蔵人に十二首もの歌を贈った。


    延喜御時、御厨子所にさぶらひけるころ、沈めるよしを歎きて、

    御覧ぜさせよとおぼしくてある蔵人に贈りて侍りける十二首がうち


  いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪降る


 (どこでも春の光は分け隔てしないはずですが、この吉野山には雪が降っております)


 春の光とは暖かくも慈しみ深い、帝の御慈悲のこと。吉野山は古くから親しまれている山ではあるが、都からは遠く山里は春の訪れも遅い。そんな山里のようなさびれた我が身にも、暖かな帝の御慈悲を……このまま散位となることのないように、お気遣いいただけませんか? と言う懇願を込めた歌であった。

 そこまでしたにもかかわらず身分のない歌人と見くびられたのか、翌年延喜十四年に躬恒は任に漏れてしまった。

 また世の中の風も冷たかった。貫之以外の身分が低く漢詩文の素養もない者が、歌人と言うだけで特別扱いを受ける事には、人々は不満があった。身分が低いものは前世からの徳が足りないからで、そういった者は誰もが苦労を強いられている。

 歌人だけが優遇されるのは納得がいかないのだ。


 内裏が浮き足立つといつの世も人心は極度に傾きやすくなる。怨霊の恐怖から逃れさせてくれる貫之の歌は極端なまでにもてはやされた。歌人と言っても貫之はもはや歌聖として特別視されていた。彼が漢詩に詳しく達筆で有能であったことも、祭り上げるには都合が良かった。

 人々は心のどこかで怯えていた。高貴な方々が道真の怨霊に取り殺されてはいるが、実は自分たちのような名を出さぬ者の声が……道真の良い時には勝手に持ち上げ、不安が高まると彼を排斥するべく追いつめた声が、都に怨霊を招いたことに。

 個々の思惑は単純な賞賛や愚痴でしかないのだが、名もなき声だからこそ集団となった時の力は異常なものとなった。あの方が悪い、この方の罪だと言いつつも、自分たちが風潮をもたらしたことで今、都は怨霊にたたられているという恐怖と罪悪感が多くの人の心にあった。そこから逃れたい一心で貫之の歌は求められていたのだ。


 反対に身分の低い歌人の安易な任官には、人々は神経質になった。怨霊を呼び寄せた後ろめたさと内裏への批判もためらわれる中、人の心は荒んでいた。以前は和歌など詠み捨てられるもので歌人など取るに足りない存在だったのに、貫之の徳を頼りに日の目を見て官位をかすめ取ろうとするのは、身の程を知らぬ傲慢さに思えた。

 貫之が異様に持ち上げられる一方で、立場の悪い者は些細な罪でも徹底的に貶められた。世の風潮が道真の怨霊を生み出したにもかかわらず、人々は同じ愚を犯していることに目をつむっていたのだ。


 こうした世の中では身分の低い歌人は出世が出来なかった。まして一の人がまたもや入れ替わったばかりである。躬恒はつらい立場に追い込まれてしまっていた。

 歌人はもともと世間の声には敏感である。古今和歌集編纂の功労者であるにもかかわらず、躬恒は己の力に限界があることを思い知らされているはずだった。その受けた傷が浅くないことは貫之もわかっていた。しかし官位のことは自分の力の及ぶことではない。それならばせめて、歌人のほかに躬恒の味方になってくれる人がいてほしかった。ついに貫之は躬恒に声をかけた。


「お前は私に任官運動の心構えを教えてくれた。ささやかでも今こそお前の力になりたい。どうだろう、わが主人兼輔様を頼ってみないか?」


 躬恒にも有名歌人としての矜持はあっただろう。それでも親友の言葉に躬恒は感謝して、


「ここはお前の言葉に甘えさせてもらおう。よろしく頼む」


 と承諾した。それほど躬恒は追い込まれていたのだ。


 さっそく貫之は自分の主人である兼輔に躬恒のことを相談した。決定した人事を変えることはできない。世の中も内裏も余裕がなく、身分の低い躬恒には不利だ。

 それでも何か手立てはないかと兼輔に尋ねた。すると兼輔も躬恒に同情してくれた。


「躬恒に非があったわけでもあるまい。その、蔵人に贈った歌はなかなか良い出来だ。何より官職の求めにも関わらず、押しつけがましいところがない。こういうあわれに人々が気付けばよいのだが」


「まこと、おっしゃる通りではございますが……現実、躬恒はこのままでは歌人としても自信を失いかねません」


「それもそうだが、何より今の暮らし向きにも困るのではないか?」


「……その通りでございます。それも躬恒の心を折ってしまうのではないかと心配しております」


 貫之もそれを感じていたが、自分が世の人に持ち上げられている時なのでそれを口にはできなかった。世の中の嫉妬と蔑みは、二人の友情にすら影を差そうとしていた。


「よろしい。それなら彼を、我が家人(家来)として仕えさせることを考えよう。任官のことは若輩な私が関与できることではないが、私個人が従者として雇うなら問題はない。彼の暮らしも支えてやれるだろう」


 主人の心遣いに貫之は喜んだ。だがさらに兼輔は、


「だが彼のことは歌人としての顔しか私は知らぬ。名簿みょうぶ(履歴書)を書かせて持ってきなさい。……おお、そうだ。蔵人に良い歌を贈っているのだから、それを上回るような歌も、一つ添えてもらおうか」


 と言って、貫之をさらに喜ばせた。躬恒もきっと自信を取り戻してくれるだろう。


 やはり躬恒は感激し、さらに貫之と同じ主人に仕えられることを喜んだ。さっそく歌の御所望を得られたことも彼を喜ばせた。躬恒は自分の名や経歴の日付などを細かく書き込んだ名簿と共に、歌を詠んだ。


    もとより友達に侍りければ、貫之にあひ語らひて、兼輔

    朝臣の家に名簿なづさを伝えさせ侍りけるに、その名簿に加へ

    て貫之におくりける


  人につくたよりだになし大荒木おほあらきの森の下なる草の身なれば


 (人に仕える宛すらないのでございます。古歌にもある大荒木の森の雑草のように、振り替えられることもない身の上でありますから)


「大荒木の森の下草」とは、古い歌の言い回し、歌ことばである。荒れ木の大きな森はうっそうとして人は寄り付かない。まして日も差さぬその下の雑草など馬もみに来なければ人が刈りに来ることもない。見捨てられた場所と言うことだ。

 あの蔵人に贈った歌は「吉野山に降る雪」だった。雪降る山ならば帝の御慈悲は届かずとも、人にはあわれと見てもらえる。だがそれを上回るような歌をと言うことで、誰も気にすら留めない雑草に自分の身の上を例えたのだ。そんな自分の身を嘆く思いと、蔵人よりも温情ある兼輔への感謝を表した歌である。


 もちろん兼輔はこの歌を喜んだ。そして躬恒を従者とし、貫之同様に目をかけるようになった。






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