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嘆き比べ(誹諧歌 三)

大変長く間が空き、申し訳ありませんでした。

まだまだペースを取り戻せていませんが、何とか連載を続けたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。

 誹諧歌を並べる躬恒の手がふと止まり、


「ああ、ううむ。これは見事な」


 と、感嘆の声が漏れた。見ると手にした紙に書かれていたのは、



  よそながらわが身にいとのよるといへばただいつはりにすぐばかりなり


 (特別な間柄でもないのに

  わが身に糸を縒るように従兄弟を寄り付かせていると人が言うので

  何時でも針に糸を通すように偽りの噂をやり過ごすばかりだ)


 という、人に誤解され噂を流された「くそ」という女人の不満を詠んだ歌だった。


「成程。これは見事な詠みぶりだ。糸や針といった実用品を使った歌でなければ、誹諧歌として載せるには惜しいほどの歌だな」


 覗き込んだ貫之や忠岑がそういって惜しむほどの工夫が凝らされた歌である。この歌には


『いとこなりける男によそへて、人のいひければ』


 という詞書が添えられている。『よそへ』ということは、この女人は従兄弟の男を寄り添わせている……つまり、そうした深い関係になっていると流言を流されてしまったらしい。軽々しく身近な者同士で恋愛関係になったという誤解を噂された、作者の憤慨が表されている。

『糸』に『いとこ』を、『縒る』に『寄る』を、『いつ針に』と『いつわり』をそれぞれかけ詞とし、『すぐばかり』とまとめている。しかもそれぞれの言葉が縁語としてつながっているという凝った作りになっていた。


 しかも糸や針は実用的な情緒からかけ離れた印象があるが、男女の関係に欠かせない『衣』でつながっている。そのためかこの歌には否定する言葉とは裏腹に、どこか艶やかな香りがした。もしも針や糸をただの実用品と軽んじられていなければ……この歌集が帝の名による勅撰のものでなければ、この歌は男女の綾をうまく表した美しい歌として賞賛されるに値するうまさがあった。


「いやいや。誹諧歌であるからこそ、この歌は光るのだろう。誰もが普段当たり前にあるものとしか考えないモノも、歌人の手腕ひとつ、心ひとつでこのような輝きを与えることが出来る。これも和歌の醍醐味というものかもしれない」


 誹諧歌に触れてその魅力を再確認したのか、躬恒は感じ入ったようにそう漏らした。


 和歌に触れれば触れるほど、その懐の広さを歌人たちは感じとった。この歌集を編纂するにあたって、多くの歌人たちがさまざまな歌に触れてきたに違いない。国家事業として勅撰の和歌集を編纂するということは、多くの歌人たちが皆かつてないほどに多数の歌に触れたということかもしれない。編纂者たちの手元に歌が届くまでの間にも、おそらく多くの出来事があっただろう。自薦、他薦、これまでの評判や伝えられ続けた伝統など、多くの判断を受けて編纂者たちの手元に届けられた歌たち。編纂者である貫之たちも、その責任をひしひしと感じながら作業を進めていた。


「ここに残された和歌はすべて珠玉の歌たち。さらに輝かせる並べ方をしなくては。これは編纂の醍醐味と言ったところだろうか?」


 貫之は言葉とは裏腹に眉間にわずかなしわを寄せながらそう言った。躬恒と忠岑も緊張した様子で頷く。

 この編纂は難しく、責任が重い。そんなことは選者として選ばれた時から覚悟していたことだ。だが、この裁縫に必要なものを情緒豊かに読み上げた歌は、その道具を詠んだからこそ……誹諧歌であったからこその趣がある。それだけに個性も強く、印象的だ。


 いや、印象的過ぎるのだ。他の歌のように決められた型から外れているからこその誹諧歌。誹諧歌は本来なら雅やモノや季節を表して詠むところを、遊び心で雅とは縁遠いものを詠んだこと自体を珍しがって楽しむ歌が大半だ。

 しかしこの歌集に載せようというほど選び抜かれた歌だけあって、誹諧歌といえどもその趣は単純なものではない。少なくとも珍しさを狙っただけの陳腐さなど感じさせない歌が残されているのだ。それは輝きであると同時に異質でもあり、その良さを一つの歌群として生かすことははたやすくはないのだ。


「そうだな。しかしあまり難しく考えることはあるまいよ。この歌集はやまとうたの歌集。やまとの心を集め、伝え続けるための歌集なのだ。この歌は勝手なことを言う世の中に対しての憤慨、嘆きの歌だ。それならば後の並べによってその嘆きを強調してやればよい。この後には『嘆く』心を並べればよいのだ」


 忠岑が年長者らしくおっとりとそういうと、貫之や躬恒はハッとさせられた。そうだった。自分たちは優れた歌の編纂をしているからと言って、それで歌の一つ一つが持つ魅力までもをどうこうできるわけではないのだ。ここにある歌はすべてが素晴らしい。並べはその根底にある『やまとの心』を表すためのものでしかない。歌の個性が強すぎるとか、歌を生かすなどとは驕った考えであったことを貫之たちは知った。


「そうですね。危うく本質を見誤るところでした。この国の多くの人の心に寄り添う並べを考える。それが本来の我々の仕事でした。この歌集の歌はいずれ劣らぬ名歌揃い。我々はその名歌を生んだ心を素直に表す並べをすればよいのですね。さすがは忠岑殿。冷静でいらっしゃる」


 貫之の言葉に躬恒もうなずいた。


「いや。私もこの多くの歌とお二人の若い感性に教えられて、そのことを知ったのだ。私は単に帝からこの歌集の撰者に選ばれるという栄誉を喜ばしく思っているわけでも、自分の能力を認められたことを喜んでいるだけでもなく、これほどの歌に触れ、お二人の感性を身近に感じながら作業に参加させていただけていることが、嬉しくてならないのだ。その喜びの心が私に多くのことを教えてくれた。感謝しているのは私のほうなのだ」


 忠岑はそう言ってほほ笑むが、それは貫之たちも同じだった。歌人と言えどこの世のすべての和歌に通じることが出来るわけではない。むしろよほどの流行歌でない限り、自分たちに近い歌人達とのつながりの上でしか、知る機会はないと言ってもよかった。歌合せに列席すれば多くの歌にも触れられるが、それでも限りもあれば偏りもあった。歌人たちの世界の輪は、彼らにとって決して大きいとは言えない。


 そんな中で帝は和歌の促進のために、多くの者が多くの和歌に触れられるように和歌集を編纂される。このことが和歌にどれだけ明るい希望を与え、歌人たちにとって重要な意味を持つか、貫之たちは知っている。それだけにその重責を意識してしまえば、この素晴らしい作業を行える喜びを忘れてしまいそうになる。


「そのお言葉、そのままお返し申し上げたい。だが、今は並べを進めましょう。忠岑殿のおっしゃる通り、この後は嘆きを詠んだ歌を並べることにしましょう」


 そういって貫之は『嘆き』に係わる歌を三つ並べる。


「おお、同じことなら、嘆きを比べるように並べてはどうだろう? だんだん嘆きを増していくように」


 躬恒がそう言って貫之の並べた歌を並べ替えた。



  ねぎごとをさのみ聞きけむやしろこそはてはなげきの森となるらめ


 (願い事をそれほど多く聞きつづけたお社ならば、

ついには『嘆き』という『木』で森になってしまうことだろう)


 という、『さぬき』という人の歌。



  なげきこる山とし高くなりぬればつらづゑのみぞまづつかれける


 (嘆きすぎて刈り取った木が積み重なって高い山となったので、

  まず、つえをついて山を登るよりも

『つらづゑ(頬杖)』をついて疲れてしまう)


 という、『大輔たいふ』の歌。



  なげきをばこりのみつみてあしひきの山のかひなくなりぬべらなり


 (嘆くのは『なげき』の木ばかりを刈り、積み上げていくようなもので、

  刈った木が山の峡を埋め、なくすように、嘆いたかいもなくなってしまう)


 という、よみ人知らずの歌の順に並べられる。


「どうだい。こうすると『なげき』の木が積もり積もって初めの歌は森になり、次の歌では山となり、最後の歌ではその山の峡谷さえも埋め尽くしてしまう。見事な嘆き比べとなるだろう?」と、躬恒は面白げに言った。


「ほう。これは面白い。しかも三つの歌とも結論は皆、嘆いたところで『かい』がないことを表している。これならその前の個性的な針と糸の歌に印象負けすることもないな」


 貫之はほっとした声を立てた。すると躬恒は、


「おやおや。さっきは『本質を見誤る』と反省していたのに。やはりまだ、並べの醍醐味にこだわっていたのだな」


 と言って楽しげに笑う。貫之は返す言葉がない。


「それでこそ貫之らしいというものだ。そうだ。我々は簡単には妥協しない。難しくは考えないが、この素晴らしい歌に挑む喜びも手放しはしないさ。その方が歌を寄せてくださった方々にも、礼を尽くせるというものであろう」


 躬恒の言うとおりだ。難しく考えずともどの歌も素晴らしい名歌。それゆえ驕らず、されど臆せずに歌の持つ意味に真っ直ぐに向き合って、よりよい並べを目指すのだ。そうすればこの歌集は『やまとの心』を表してくれるに違いない。


「本当に、編纂者に選ばれて、私は幸せだ」


 貫之は少し苦笑いを残しながらもそういうと、躬恒と忠岑も笑って頷いた。




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