旋頭歌
長歌の後には旋頭歌が並べられる。だが万葉の世ですら古いと呼ばれた旋頭歌は今や数が極端に少なく、古今集入集のために選んだのは問答歌がひと組と、美しい景観への賛美にその場所での再会を誓う歌が一つである。
「旋頭歌はそもそもが問答のための歌。先に問答歌を置くか」
忠岑がそう言うと躬恒が、
「そうなのですか? 存じませんでした。旋頭歌そのものを耳にすることがなくて」
躬恒は書かれている旋頭歌を物珍しげに見つめた。
「私もほとんどない。今では見たことも聞いたことも無い人の方が多いだろう。この歌体は遠い昔に人々が問答のために詠んだ歌。男女の美しい歌として細々と伝えられ、かろうじて残った歌なのだ。これがこのまま埋もれて消えてしまうのは忍びないではないか」
忠岑の言葉に躬恒も頷き、
「まったくですね。旋頭歌があったからこそ男女の相聞歌が受け継がれ、美しい万葉集の歌や、今こうして編纂している歌の数々が生まれたのでしょう」
と同意する。
「軽んじられたとはいえ、男女が歌を交わし合い続けたからこそ、こうして帝の命による和歌集を編纂できるまでになったのだ。数少なくてもこの歌体は決して外すべきではないだろう。この問答歌は二重の意味になってしまうが」
「二重の意味……ですか?」
「旋頭歌は遠い昔に上の句と下の句で問答をする歌として詠まれていたもの。そのため上の句も下の句も同じ五七七と言う歌体となっているのだ。だがその意味は失われ、今は特殊な歌体の歌として残されている。だからこの歌も旋頭歌でありながら、返しの歌が添えられているひと組の問答歌になってしまっているのだ」
「歌体に歴史ありですね」
その問答歌は男が花の名を問い、女が返した歌である。
題知らず
うちわたす遠方人にもの申すわれ
そのそこに白く咲けるは何の花ぞも
(はるか遠く、遠方の人に私はお聞きしよう
それ、そこに咲いている白い花は何の花であろうか)
返し
春されば野辺にまづ咲く見れどあかぬ花
まひなしにただ名告るべき花の名なれや
(春が来れば、野辺に真っ先に咲く、見て見飽きぬ花でございます
お礼の品も無く、簡単に名乗る花の名だと思いでしょうか)
男の歌は白い花の名を尋ねているが、その前に尋ねている人のことをはるか遠くにいる人、さらに遠方人と呼んでいる。おそらくこれは手に届かぬ人と言う意味。もちろんそれなら名を知りたい「花」と言うのは女性のこと。美しい女性を花に例え、「手に届かぬ高値の花のように素敵な女性よ、私との逢瀬のためにその名を教えてはくれないか?」と頼んでいるのである。
それに対して女性の方は、「お礼の品の用意も無い人に、簡単に名乗る女と思わないで」とやりこめている。「まひ(お礼の品)なし」と言うのだから、どうやら女性は遊女のようだ。貫之の歌にもあるように、「春にまづ咲く花」と言えば梅の事。古い歌ならば白梅のことであろう。
都で桜がもてはやされる前は、梅の花が称賛を浴びていた。しかも自分を「見れど飽かぬ」と言っている。遊女の中でもかなりもてはやされる存在なのだろう。そんな自分の名をただで聞きだそうとするなんてと非難めいた口調だ。
一見、貧しい男が花型の遊女を口説こうとしているように思えるが、それほどの遊女に貧しい男が歌を贈れる筈は無い。おそらくこれは言葉遊びなのだろう。それなりの身分の男が遊女に戯れを言い、遊女の方はまるで報酬の交渉をするかのような言葉で切り返している。遊女との恋とはいえ、古い時代にはこうして互いが雅やかに相手を品定めしたのだろう。
遊女を決して軽んじず、その花を手折る栄誉を優美に求める男と、遊女であろうとも誇り高く、雅な歌で返す女。古い歌体にそんな風情が込められている。
「この歌は下の句をそれぞれつなげれば、本来の問答歌の形となりますね。これは今の贈答歌とは少し趣が違ってなかなか面白い。後の世に伝えるにふさわしい歌です」
躬恒がそう言うと、
「流石に気付いたか。昔の男女の粋が伝わる歌だな。では、次は本当に問答歌に近い形の歌だ」
と、忠岑が次の歌を示した。
題知らず
初瀬川 布留川の辺に二本ある杉
年をへてまたもあひ見む二本ある杉
(私とあなたは初瀬川と布留川周辺に、寄り添うように生える二本の杉の木
年月を経てもまた再会しよう。あの二本の杉のように)
「この歌の上の句は二つの川の近くに住む男女が、何かの事情で別れるときに自分たちを寄り添う杉の木に例えて、心は離れないと詠んだのに対して、下の句はその杉の木に再会を誓う問答歌となっている。旋頭歌本来の詠み方だな」
「そうですね。一つの歌として見れば故郷を離れる者が再びその地に帰ることを誓う歌と思えるが、問答歌として考えるとこれは男女の別れ歌に見える。いつかは交わる川の流れ、寄り添う二本の杉……男女の相聞歌とした方が情緒があるかな」
「私もそう思うね。本来の形が少しでも残る物を後の世に伝える意味でも、この歌は貴重だ。しかし、この貴重な歌体の歌が三つしかないと言うのはやや寂しいな。せめてもう一首は欲しい。躬恒、私と問答歌を詠めないだろうか?」
確かに今では珍しい、数少ない歌体とはいえ僅か三首では寂し過ぎる。そうは言っても不慣れな形だけにそう簡単には詠めるものではない。二人は頭を抱えてしまった。
「問答歌なのだから、男が女に問いかけるつもりで詠めば、何か浮かぶだろうか?」
躬恒が忠岑に提案するが、
「いや、そういう問題ではない。短い言葉で一つの問いかけにすること自体が難しくなる。丸々一首問いかけるにしても、やはりなれない歌体では上手くまとまらない」
「その難しい歌体で女心になって答える返歌はさらに困るな。こういう、風変りな難しい歌こそ、女の心にさえなれる貫之なら面白がって詠みそうなものだが。あいつは頭の中が風変わりだから」
「誰が風変わりだって?」
躬恒の愚痴にいつの間にか傍に戻っていた貫之が返事をした。
「おお、貫之。淑望はどうした?」
「省の仕事に戻った。序文は数日中に仕上げて提出してくれるそうだ。で、私なら面白がって詠みそうな『風変わりな歌』とは何の歌だ?」
「旋頭歌だよ。せめてもう一首欲しいと思うがこの歌体は不慣れでな。五七七で上手く収まらない」
貫之は並んだ旋頭歌を見ると、
「春の歌の問答に、水辺の杉の木。夏を思わせる歌だな。では、秋の歌などどうだ? この歌集にちなんで帝を讃え、『君が挿す三笠の山の紅葉葉の……色』など美しいと思うが」
あっさりと五七七の歌を詠む貫之に、二人は唖然とした。
「あきれたな。いきなりこの歌体を詠んでしまうとは」
しかも帝が紅葉をご覧に御幸なさる時、御姿をさらさぬように挿しかけられる御笠と、山の三笠をしっかりとかけている。
「無理に昔風に問答で問うように詠もうとするから詠めないのだろう。普通に一句と二句を外して詠めば良いのに」
貫之はなんでもないように言うが、後ろの二句は結論だ。この古風な歌体では僅か冒頭の五文字で状況を説明しなくてはならない。慣れているならともかく、初めの二句がないのはかなり表現がしにくかった。それなのに貫之は問答を避けたとはいえ上の句に、「みかさ」のかけ詞まで入れてしまったのだ。こんな歌を詠まれてはますます二人は下の句が詠めなくなった。
「くそっ、問答でなくても出てこない。降参だ。貫之、全部お前が詠んでくれ」
「問答歌でなくていいのだな?」
「ああ、問答されてもとても俺達では返せない」
躬恒が音を上げると、忠岑も苦笑いして頷いた。
「では、野辺の花、水辺の杉と続いて紅葉の時雨『神無月……時雨の雨の染めるなりけり』で、どうだろう?」
君がさすみかさの山のもみぢ葉の色
神無月時雨の雨の染めるなりけり
(帝が挿されている御笠と同じ名を持つ三笠山の紅葉の葉の色
その美しい色は十月の時雨が染めたものでしょう)
「……なんてやつだ。まったく当世風の詠み方で旋頭歌を詠んでしまうとは」
忠岑は目を丸めた。貫之はもともと問答歌として詠まれ続けてきたこの歌体をその成り立ちは無視して、紅葉葉を色で強調し、時雨を神無月の雨としたうえで、普通の和歌として詠みあげてしまったのだ。
「難しく考えすぎる必要は無いのですよ。我々は昔人ではないのですから」
貫之はこともなげに言うが、この発想力がこの歌集をここまで導いてきたのだ。貫之はまぎれもなく普通の歌人が持ちえない何かを持っていた。
「さあ、これ以上歌が出ないのであれば、旋頭歌はこれまでで良いですね。次は誹諧歌を並べねば」
貫之は楽しげにそう言った。躬恒と忠岑はこの歌集は自分達が思っている以上の価値のあるものかもしれぬと考えていた。これほどの天才……紀貫之が主導した歌集なのだ。きっと先々の歴史に名を刻めるものになる。二人はそんなことを確信し、胸躍る思いで貫之を見つめていた。




