表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/87

古歌の序

「では躬恒、忠岑殿、後を頼みます」貫之の言葉に躬恒は、


「大丈夫だ。長歌が最初で次は旋頭歌せどうかと決めてあるし、どちらも数は多くない。誹諧歌はいかいかは後で共に決めよう」と、請け負った。


 雑歌が並べ終えた貫之は、歌の並べを躬恒と忠岑に任せ、淑望が序を書く協力をすることにした。淑望の時間には限りがあるし、友則がいない以上この歌集を一番よく知っていて、漢文の知識も一番持っているのは、ここでは貫之だけなのだ。


 そこで躬恒と忠岑は「雑躰ざってい」を並べ始めた。基本は短歌とは違う形態の歌の紹介となっているが、この歌集では「誹諧歌(滑稽・奇抜といった正調から外れた歌)」も含める事とした。「誹諧歌」は他の短歌と同じ五・七・五・七・七で詠まれるが、この歌集の編纂方法では他の部立にそぐわない、形態の違う歌として扱ったのだ。だから並べの順は、「歌井短歌(長歌)」「旋頭歌(五・七・七・五・七・七の歌)」「誹諧歌」の順に並べることが決められた。


「最初の歌はすでに決めてある。貫之が是非この歌をと言ったのだ。この歌集が編纂されるきっかけになった貫之の長歌の前に、まずは和歌に相応しい切々とした恋心を詠んだ歌で、和歌らしさを表現したいそうだ」


 そう言って躬恒が忠岑に長歌を差し出した。



  あふことの まれなる色に  思ひそめ  わが身はつねに

  天雲の   晴るる時なく  富士のの 燃えつつとばに

  思へども  あふことかたし 何しかも  人をうらみむ

  わたつみの 沖を深めて   思ひてし  思ひは今は

  いたづらに なりぬべらなり 行く水の  絶ゆる時なく

  かくなわに 思ひ乱れて   降る雪の  消なば消ぬべく

  思へども  えぶの身なれば なほやまず 思ひは深し

  あしひきの 山下水やましたみづの    木がくれて たぎつ心を

  誰かにも  あひ語らはむ  色に出でば 人知りぬべみ

  すみぞめの 夕べになれば  一人ゐて  あはれあはれと

  嘆きあまり せむすべなみに 庭に出でて 立ちやすらへば

  白妙の   衣の袖に    置く露の  消なば消ぬべく

  思へども  なほ嘆かれぬ  春霞    よそにも人に

  逢はむと思へば


 この長歌の大まかな意味は次のような詩である。


  たまにしか逢えないあの人を想うと、私はいつも寂しい色に染まってしまう。

  空の雲がまるで晴れる時が無いように、富士の峰が永久とわに燃えるように。


  いくらあの人を想っても逢えない。

  それでもどうしてあの人を恨めないのだろう?


  蒼い海の沖の底、奥深くまで、この想いは深まっていくのに、

  そんな想いも今はただ頼りなく、流されてしまうばかり。

  水は絶え間なく流れ、ねじれ菓子のように心は乱れるだけ。


  いっそこの身も、この降る雪のように消えるなら消えてしまえと願っても、

  人に生まれた私の人生は続き、愛の悩みは深く尽きない……


  山の木陰を隠れて行くように、流れる水のように湧きかえるこの胸の内。

  この想いを一体誰に伝えればいいのか。 でも心を人に悟られたくない。


  夕暮れの迫る中、暗くなると、独りきりになって外に出てみる。

  「悲しい、悲しい」といくらため息ついても、どうすることもできないし、

  途方に暮れ庭に立つ、白い袖が涙の露で冷たく濡れていた。


  いっそこの身も、儚い露と共に消えるなら消えてしまえと願っても、

  ため息をつくだけの私は春霞、遠くからあなたに逢いたい……




「確かにまず歌の心を表したいなら、この歌は美しい。それに貫之の長歌はもともと古歌を集めた『続万葉集』を作った時の序の長歌だった。この歌集にゆかりは深いが、最初に並べるのは合わない。この哀切な歌の後ならば違和感もないだろう」


 そこで次に貫之が『続万葉集』のために書いた序の長歌を並べる。



  ちはやぶる 神の御代みよより  くれ竹の  世々(よよ)にも絶えず

  天彦の   音羽の山の   春霞    思ひ乱れて

  五月雨の  空もとどろに  さ夜ふけて 山ほととぎす

  鳴くごとに 誰も寝ざめて  唐錦    立田の山の

  もみぢ葉を 見てのみしのぶ 神無月   しぐれしぐれて

  冬の夜の  庭もはだれに  降る雪の  なほ消えかへり

  年ごとに  時につけつつ  あはれてふ ことを言ひつつ

  君をのみ  千代にといはふ 世の人の  思ひするがの

  富士の嶺の 燃ゆる思ひも  あかずして 別るる涙

  藤衣    織れる心も   八千種やちぐさの  言の葉ごとに

  すべらぎの おほせかしこみ 巻々の   中につくすと

  伊勢の海の 浦の塩貝    拾ひあつめ とれりとすれど

  玉の緒の  短き心     思ひあへず なほあらたまの

  年を経て  大宮にのみ   ひさかたの 昼夜分かず

  つかふとて 顧みもせぬ   わが宿の  しのぶ草おふる

  板間あらみ 降る春雨の   もりやしぬらむ



  

  不思議が続いた神の時代。竹節のように次々続いた世にも絶えなかった物。

  それが和歌。和歌の心はこういうものです。


  山びこ響く音羽山に立つ春霞に、心が乱されること。

  五月雨が空に轟くほど降りしきること。

  ほととぎすが鳴くなびに誰もが目覚め、錦の様な山の紅葉に感嘆すること。

  神無月に時雨が冷たい雨を落とし続けること。

  冬の夜に庭にまだらに降る雪が、消えはせぬかと震える心。

  それが和歌の心です。


  年ごとに巡る季節。その趣を語りながら、帝には千代の長寿を下さいと、

  ありきたりな言葉が出てしまいます。それも和歌の心です。

  富士の峰の燃えるような想い。別れに絶え間なく流れる涙。

  亡き人のために藤衣を織る心。数多い言の葉すべてに和歌の心があるのです。


  ああ、そのすべてを帝に仰せつかった通り一巻一巻の中に記し尽くしたくて、

  伊勢の海辺に散らばる塩貝を拾うように、良い古歌を拾い集めているのに、

  玉の緒のように短気な私では、思うようにはいきません。

  だから私は宮中で長く年を経て、昼夜分けることなくお仕えし続けましょう。


  しかし顧みなくなった私の家は、私のことを忘れたように板間の隙間にまで、

  物を忘れてしまうと言われるしのぶ草が生えて、荒れてしまいました。

  そんな私の事なので、荒れた我が家に春の雨が降っては漏れるように、

  残すべき歌を拾い漏らしたのではないかと案じているのです。




 この歌は一見和歌がどのような物であるかの解説がされ、その和歌を集めるのに編纂者がどのように心を砕いたかを訴える内容に見える。しかしこの歌は様々な工夫が凝らされていた。


 まず読んですぐに分かるのは、和歌が四季折々の情緒やそれを理解する心、帝への感謝や何か出来事が起こるごとに動かされる心から生まれているということ。そして編纂中は家に帰れぬほどの苦労をしたが、それでも大切な歌を漏らしてはいないかと心配している。

 この心配は実際に書き漏らしの不安があると言う訳ではなく、おそらくそんな考えが頭によぎるほど、その作業は大変で献上出来たことに安堵していると、謙虚に伝えているのだろう。


 だがこの序の歌の後に並べられた古歌を読むと、この序の歌は古歌の並べの紹介文でもあることが分かるのだ。

 春の山の歌、山に響く様々な音の歌、春霞の歌、五月の歌、五月雨の歌、ほととぎすの歌、錦の歌、紅葉の歌、神無月の歌、時雨の歌、冬の歌、雪の歌……。

 見事に四季折々に並べられた、歌の順序を表していた。


 そして、年が巡る歌、季節の変化の歌、情緒を語る歌、帝を讃える歌、感謝をささげる歌、富士の歌、燃える思いの歌、別れの歌、涙の歌、喪の歌、衣の歌、伊勢の海の歌、宮仕えの歌、顧みず離れる人の歌、宿の歌……。


 さらに最後を春雨の歌でまとめる。これによって歌は冒頭の春の歌につながる。季節はまた戻り、同じく繰り返される。これは時の流れの中での、和歌の永遠性を表しているのである。


 これまでの部立、編纂を思い出せば分かるように、この流れは古今集の並べの流れとも一致する。古今集はもともと集めて並べられた古歌に新たな歌を加えながら、さらにその流れを繊細に、はっきりとした部立にまとめて編纂されたのだ。この歌はもとの部立がどのようなものだったかを示す古今集のもとであり、古今集の大まかな紹介にもなっている。


 古歌を集めた歌集と古今集は別の物には違いないが、この長歌が無ければ古今集は生まれなかった。別の歌集の序の歌とはいえ、編纂者たちはこの貫之の長歌を古今集から外すわけにはいかなかった。何よりこの長歌に凝らされた技巧が醍醐帝と時平を感心させ、古今和歌集の編纂に繋がったのである。この長歌は編纂者たちにも思い入れが強い歌であろう。


 だからこそ、この歌を長歌の最初の歌にはしなかった。貫之自身がそれを拒絶した。これは新しく生まれた歌集なのだ。この長歌はあくまでも掲載される歌の一つと言う扱いが相応しかったのだ。

 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ