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心は花に(雑歌 二)

「しかし、かんざしを飾る白玉を手に入れられるのはうらやましいな。俺も宮中の女となんとか知りあって、舞姫の使った何かを下げ渡してもらえないものだろうか?」


 躬恒はそう言って羨んだが、貫之は、


「よせよせ。宮中の女たちは皆鼻っぱしも気位も高いぞ。いくら歌人と言っても私達の様な下っ端役人の言葉など聞いてもらえるものか。何しろあの敏行殿でさえ、女蔵人にはからかわれているんだからな」


「ああ、この歌が詠まれた時の事か」


 躬恒が言う歌とは、



  玉だれのこがめやいづらこよろぎの磯の波分け沖に出でにけり


 (あの『こがめ』はどこにいったやら

  『こよろぎの磯』と呼ばれる海の波を分けながら

  沖に出て行ってしまったのだろう)


 と言う歌である。貫之は頷くと身常に説明した。


「寛平の御時に敏行殿が清涼殿の殿上の間に呼ばれた事があって、その時に殿上人達が酒が足りないから帝の后の宮の御方に、大神酒おおみきのお下がりを賜わりたいと言う話になったそうだ」


「帝の后の宮様に酒をねだるとは、なかなか大胆な事を言い出したな。殿上人達は皆すでに少し酔いが回っていたのではないか?」


「敏行殿が歌人として呼ばれるような宴の席だ。たぶん座の盛り上がった勢いでのことだろう。もちろん大神酒と共に、それを注いでくれる美しい女房も共に愛でて楽しもうと言う魂胆だっただろうし」


「だが、后の宮に仕える女たちは相手にしてくれなかったのだな?」


「そうだ。殿上人達は使いの者に酒を入れるための小ぶりなかめを持たせて、女蔵人たちの所に行かせた。すると蔵人たちは酒の事なんかまったく無視して笑いながら、瓶を后の宮への献上品として御前に持って行ってしまった。それっきりなしのつぶてで返事すら寄こさなかったんだ。使いの者は仕方なくそのまま手ぶらで戻って、事情を説明するしか無かったんだ」


「使いの者は困っただろうな。主人たちの機嫌が損ねられるんじゃないかと当惑しただろう」


 躬恒はつい、仕える役人の方に同情したが、


「いや、そう言う酒の席での戯れだ。高貴な方々には日常の事だよ。高貴な方に仕える女官は一筋縄ではいかないと笑いあったことだろう。だがやはり殿上人達も面目は保ちたい。女官にからかわれっ放しと言う訳にはいかないのだろう」


 と貫之は言う。敏行からその時の場の雰囲気は聞いていたのだ。


「そこで敏行殿に歌を詠ませたのか。返してもらえない瓶にかけて、『こがめやいづら』とふざけて返したのだな」


「そうそう。『こよろぎの磯』のように美しい、后の宮と言う海の沖に出て行ってしまって、その深い懐に抱かれてしまったから、『こがめ』が戻らないのだろうと皮肉ったのだ。女官たちは感心して殿上人達は面目が立ったと言う訳だ」


「何とも優雅な話だなあ。この御文庫のすぐ近くで、女官たちとのそんな優雅なやり取りが毎日行われているんだな。俺も女官と言葉を交わして見たいものだ」


 躬恒はますます羨んだが、貫之は、


「女官たちは我々など眼中にないさ。この、兼芸法師殿の歌を見てみろ。こんな歌を詠んで見せるなんて、彼女達によっぽど言いたいことを言われたのだろう」


 と言って歌を示した。



  形こそ深山隠れの朽木なれ心は花になさばなりなむ


 (姿形こそ深い山に隠れたまま朽ちてしまったような私だが

  心の中は美しい花になろうと思えばなれるのです)



「これは女官たちが法師の姿を見て嘲笑った時に詠んだ歌だと言う。つまり見た目が美しい女官たちは、法師の様な美しい心になれるのかと問うておられるのだな。お前も良い妻に恵まれているのだから、美しい女官に浮つくよりも、こういう粋な心を歌人らしく持つ方がいいと思うぞ」


「……独り者のお前に、そんな説教はされたくないな。お前は女官が気にならないのか?」


「気になるもならないも、我々のような地下人には姿もめったに見られないからな。そう言う楽しみは五位の位をいただいた時に取っておくさ」


 同じ位の低い身の上でも、躬恒と貫之では置かれた立場が違った。躬恒は彼の家系自体がほとんど没落していて、彼だけでなく一族がすでに未来永劫、位など得られなくても仕方がないところまで来ている。それは悲しい事ではあるが、凡河内氏の家の者たちもすでに受け入れてしまっている現実だ。


 しかし貫之は違う。彼の氏家である紀氏は完全に落ちぶれたわけではない。武に勝った家柄を変えて学問に長ける道を選んだ紀氏は、貫之や友則の様な歌人のほかに、博士や大学頭になる人物なども輩出している。彼らのこれからの活躍如何によっては、紀氏がまた盛り返さないとも限らない。そんな中で友則と貫之は帝直々の勅命を受けてこの編纂作業に当たっているのである。

 友則はコツコツと努力を重ねて五位まであと一歩の所に来ている。紀長谷雄は博士となっているし、その息子の淑望は文章得業生を経て四年前に方略試に合格し、及第している。彼はいずれは父の後を追って、大学頭になる事が出来るだろう。


 貫之はそんな紀氏にあって、父親がいないために儒学の道を諦めている。だが、一族の重荷となる訳に行かず、なんとしてでも歌人として五位の位を得ようと必死なのだ。傍流の生まれで引き立ててくれる父親のいない彼が五位を目指すのは厳しい道であるが、それでも貫之はこれまで歌人としての実績だけで上を目指してきた。貫之と躬恒では位に対する執着心が違うのは仕方のないことなのだ。


 普通なら貫之の立場で五位を目指そうなどとは思うまい。彼にはそれだけの才能と気概があった。五位の位を得てから正妻を得て子を儲ける。それは彼の人生においてとても重く、重要な事なのだろう。たとえ彼個人の人生が今多少寂しくあろうとも、あえて五位の位を目標とするその生き方は貫之でなくては出来ない生き方だ。彼は父のいない一族の傍流の歌人だからこそ、五位の地位を得ることの重要性を感じているのだ。これから後の道を歩むであろう多くの卑官の身の歌人たちのためにもと。


「……お前が五位の位を得たならば、心からお前を理解してくれる妻を得られるといいな」


 世の中には位にかかわらず「好き者」と呼ばれる者はいる。かの業平もそうだし、平中と呼ばれる平貞文もそうだ。女を一人と定めることなく、恋の喜びも傷も味わう。恋のあわれを堪能し尽くす男は確かにいる。それは歌を詠むうえでも重要だ。そして貫之は決まった妻を持たずに思い出したように恋をしている。だが貫之は「好き者」達の恋とは違う。


 業平のように恋のために身の破滅も厭わないような事はしない。平中のように恋のあわれに溺れることを目的にもしない。だから世間も貫之を業平や平中と同じ「好き者」とは扱わない。貫之は「好き者」としては色々に立場を考えすぎる。だから華麗さが欠けているのだ。


 冷たさとは違う、一族に責任を持ち歌に生涯を捧げながらの恋。そのくせ恋をすると歌人らしくどうしようもなくのめり込んでは傷ついてしまう不器用さ。

 彼に必要なのは恋にも歌にも同じ重さで一途になる貫之を理解できる女。おそらく普通に夫に頼るだけの妻ではそんな事は出来ないだろう。貫之が歌に賭ける情熱が理解できる、女の方でも何か男以外に情熱を持てる。そんな女に出会えるといいのだが。そんな事を躬恒は思った。


「なんだ? いつものように早く妻を持てとは言わないのか?」


 貫之は躬恒の心を知ってか知らずか、そう言って笑う。


「俺はお前が位を得られないなんて一度も言ったことは無いぞ。もし位を得て妻を持つなら、お前を心底分かってくれる女が良いだろうと思っただけだ。意地を張らずに早く妻を持てばいいとも思っているが、お前は変に頑固だから」


「躬恒こそいつまでも女にからかわれるような恋に憧れていないで、逆にからかってやるぐらいの心を持てばいいのだ。そのうち、友則殿にあしらわれるぞ。この歌のように」



    方違かたたがへに人の家にまかれりける時に、あるじの衣を着

    せたりけるを、あしたに返すとてよみける


   (方違えで知人の家に泊まった時に、その家の主人

    の衣を借りて着て寝たが、翌朝返す時の歌)



  蝉の羽の夜の衣は薄けれど移り香濃くもにほひぬるかな


 (夜にお借りした衣は、蝉の羽のように薄いものでしたが

  移り香とおぼしき香りはとても濃く匂っていました)



「衣が薄いにもかかわらず、よほどきつい匂いだったようだな。そんなに匂いがきつく移るほど妻とべったり戯れているのかと、宿の主人をからかったわけだ。同じからかうなら女官たちの様な意地の悪いことをせず、このくらい和やかでありたいものだ」


 貫之がそう言うと、序文を考えていた友則が「褒めすぎだ」と微笑んだ。その頬笑みはいつも通り友則らしい穏やかな物ではあったのだが……。


「なあ、最近ちょっと、友則殿はやせられたか?」


 と、躬恒が聞いた。


「ああ、やはりそう思うか? 私もほんの少しだがやせられた気がする。時々疲れた表情もお見受けするし」


 貫之も気になっていたことらしく、すぐに返事を返した。


「早く奏上しようと、このところ根を詰める事が多くなっているからな。少し休んでいただきたいのは山々だが」


「しかし、奏上までに序文を書いていただかなくてはならないからな。言葉も選ばなくてはならないし、神経も使う。あまり遅くなると後が辛いことだし」


「序文が出来たらすぐに奏上して友則殿がゆっくりできるように、こちらの作業をしっかり進めるしかないな」


 二人は友則の体調を気遣いながらも、自分たちの作業に没頭するしか無かった。出来れば春のうちに。遅くとも初夏の内には完成させたい。

 そう思いながら二人は部立を一心に並べて行った。





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