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桜花(春歌 上~下)

 春は梅が終わると桜の季節になる。人々は桜の花を愛してやまない。吉野などの山桜もそうだが、都の桜につぼみが膨らめばそわそわし、淡く色づいて来ては開花を待ち焦がれ、一輪、二輪と咲くごとに心は騒ぐ。そんな桜が都を彩れば人々は春の喜びに酔いしれてしまう。



  見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける


 (山から都を見渡すと青柳と桜をもぎ取り混ぜ合せ

  都は春の錦となっている)


「この素性法師殿の歌は華やかで独特の美しい歌ですね。これは間違いなく彼の名歌と言ってよいでしょう」


 貫之はこの歌を口づさんでため息をつく。


「まったくだ。こんなに印象的な歌はそうは無いな。青柳や桜は良く詠まれるものだし、こき混ぜるもたまに見かける表現なのだが、紅葉ではなく桜と柳が錦を織りなすというのは彼独特の素晴らしい感性としか言いようがない。この表現力には舌を巻かざる得ない」


 友則もそう言いながらあらためて感心している。春の花々を錦に例えるというのは漢詩文にはあるというが、和歌の世界には過去にも今にも例が無かった表現だった。


「素性殿が僧であるからこそ、気付いた表現と言えるだろう。山寺の行きか帰りの道で高台から実際に都を眺めでもしたのではないか? 空想だけでは絵描けぬ説得力がある」


 忠岑もそう言って目を閉じる。その都の姿を心に浮かべているのだろう。


「桜の頃は都が誇らしく思える季節ですからね。何故私達はこうも桜に魅了されてしまうんだろう? まさに伊勢の詠んだ、



  桜花春くははれる年だにも人の心のあかれやはせぬ


 (桜の花は春がひと月多いうるう月の年であっても

  人の心が飽きるほど咲くという事は無いのだろうか)



 の心境になってしまう。どれほど咲いても散るのを惜しく思わずにはいられないのです」


 躬恒も同じように心に咲き誇る桜を思い浮かべているのだろう。心騒がせる桜の魅力に抗えぬ心。桜は特別な花なのだ。


「なんでも桜はもともと豊穣を祈る花とされていたそうですよ。農夫たちは桜の花を仕事の指標にしているとか。そうやって遠い昔から桜の花を待ち焦がれていた事が、私達の心に沁みついているそうです」


 貫之が思い出したようにそう言うと躬恒は、


「さすがは勉強家の貫之。いろんなことを知っている。そうそう、貫之が見つけた散る桜を惜しむと言えば例の桜を折る歌もこのあたりに並べるのが良いな」


 と、あの折り桜の連歌を思い出す。それに貫之は


「それは在中将(業平)の贈答歌の後はどうだろう? とある女が、



    桜の花のさかりに、久しくとはざりける人の来た

    りける時によみける


  あだなりと名にこそ立てれ桜花年にまれなる人も待ちけり


 (浮気者とあだ名が立っていますがこの桜の花は

  一年のうち稀にしか訪れない人の事もも待っているのです)


 と恨み事を詠んで来た時に在中将が返した歌だよ。



  けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや


 (今日来なければ明日はその桜は雪となって降っていたことだろう

  消えないと言ってもそれを花と思って見る事が出来るだろうか?)


 恨み事を言いながらも女はすでに他の男に心が移っていることを匂わせて、今日は恋の花に見えても本当は明日には雪となっていたんだろう? と切り返した歌だ。本気で無い相手をうまくかわす在中将らしい、上手い歌だ。その後に散りゆく花を惜しむ心を並べるのはなかなかいいと思うが」と、提案した。


「ほう、いいな。しゃれた並びになる。降る雪と散る桜が心の中でいい感じに重なり合うな」



 桜を詠む歌の真っただ中だが、歌はまだ半分ほどある。夏の歌の倍はあるようだ。


「春の歌は上下に分けるしかないな。恋にいたってはずっと多いが」


 貫之は後に並べる恋の歌に目を向ける。


「恋の歌は何巻かに分けるしかあるまい。その辺のつなぎは貫之の歌に任せる。全体の流れが良ければ巻を分けても問題は無いだろう」


 躬恒は順々に歌を並べながらそう言う。貫之の感性に全幅の信頼を感じているのだ。


 春の歌は下巻に入り、散りゆく桜を惜しむ歌が続く。古歌が並び、惟喬親王の歌の後に法師たちの歌。つなぎに貫之が歌を詠み、歌人の歌が続く。そこで貫之の手が止まった。


「おお、これこそは友則殿の名歌と言ってよい歌。『ひさかたの光のどけき春の日に……』これは是非、東宮の帯刀たちはきを務めていた藤原好風ふじわらのよしかぜ殿の歌の前に並べたい。散りゆく桜を惜しむ影の心が春の光を一層輝かしく感じさせる名歌の後に、春風が桜をよけて欲しいと願う歌を並べて、桜を惜しむ心を引き立てたい」


 貫之が感慨深そうにそう言うので、友則は照れ臭くなったのか、


「そう臆面もなく名歌などと言ってくれるな。しかし私の歌の前には桜のはかなさを嘆く歌になっているな。『光のどけき』の前が『水の泡』として消えてしまう花の歌では少しさみしいが」


 と、並びに疑問を寄せる。


「ここは私が二首詠んでまとめましょう。この名歌の前に並べさせて頂くのは気が引けますが」



    桜の花の散りけるをよめる


  ことならば咲かずやはあらぬ桜花見る我さへに静心なし


 (同じ事ならば咲かずにいられないか、桜の花よ

  見ている私さえ心落ち着かないから)



    桜のごと、とく散るものはなし、と人のいひけれ

    ばよめる


  桜花とく散りぬるとおもほえず人の心ぞ風も吹きあへぬ

 

 (桜の花がすぐ散るものとは思えない

  人の心こそ風が吹き抜ける間もなく変わってしまうのだから)


 貫之は『静心なし』と『散りぬともおもほえず』と言う言葉を入れた二首を詠んだ。二つの言葉が友則の歌の『静心なく』と『花の散るらむ』を引きだしているのだ。


「二首目が字余りですが、どうしても『散りぬともおもほえず』と入れたかったので」


 貫之はそう言ったがこれは実に技巧的な工夫が生きた歌だった。


「これはまた実に凝ったものだ。我が歌とは思えぬほど歌が引き立つ。もちろん貫之独自の歌としても美しいが」


 友則が感嘆の声を上げる。歌の並びの魅力を最大限に引き出した貫之の手腕に、他の二人も感心している。


「それに貫之は幻想的な歌や雄大な歌が得意だ。景物に大きな広がりを感じさせる。それが歌を豊かにしているのだろう」


 友則は貫之の歌の美点を挙げた。だが貫之は、


「しかし、私はその分現実的な歌が劣ります。実感のこもった濃厚な歌という点では女性歌人たちの歌の方が優れているのではないでしょうか? 私は古くても小野小町のこの歌は大変な秀歌だと思います。これこそ後の世に必ず残る名歌でしょう。



  花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに


 (花の色はむなしく色あせてしまった

  我が身も恋に耽っているうちに、世の移ろいを眺めているうちに

  春の長雨を眺めている間に、年老いてしまった)



 これは自分を客観的に見ながら現実をしっかりと描写した名歌。私とは対照的な美しさがあります」


「そうだな。この歌には古歌の持つ心情の吐露のあわれさ、美しさが感じられる。そして貫之の雄大さ、革新的な幻想世界の魅力も、また美しい。しかし花を愛で、惜しむ心は昔も今も変わらぬのだ」


 友則と貫之の会話を聞いていた躬恒がふっと言葉を漏らした。


「ああ、このような解釈こそ後の世にも残せればよいのだが。歌人の歌への深い理解や思い、豊富な知識や感性を……」


 すると忠岑が笑いだした。


「躬恒、我々は歌詠みだ。余計な理屈などいらない。歌を見聞きした者は、ただ歌を味わえばよいのだ。個人の思いなど遠い先々の人には何のゆかりもないであろうよ。それでも伝わって行くのが『やまとうた』と言うもの。歌は自由であってこそ美しい。そして、自由だからこそ親しまれ、愛され続けて行くであろう。歌に理屈は似合うまいよ」


「そう言われればそうですね。我々も古い時代の歌人たちの心は今となっては分からぬが、歌の素晴らしさはこうして伝えられている。歌に理屈は似合わない。……しかし、こうして歌人の素晴らしい感性と理解力を人に知られずに『所詮和歌など』と言われるのが悔しくて」


「いや。この素晴らしい歌集が人々に広まれば、きっと和歌の価値は変わる。そのための編纂だ。しかもこれは帝直々の編纂。友則殿も順調に出世をしているし、帝や時平殿の期待も高い。その期待にこたえれば必ず和歌はこれまでにないほど世の人々に認められるだろう」


 そうだ。きっと認められる。


 その自信と共に貫之達にはそこはかとない不安も感じ始めていた。なぜなら帝と時平の世への不安が人々の中に生まれ始めていたからだ。改革はすでに動いてしまい、もう後戻りは許されない。それなのに去年は凶作に疫病と人々の心が落ち着く事は無かった。

 今年こそはと人々は希望を胸に抱いているが、今年も都は去年同様に雨が多い。春だというのに日差しが少しも感じられず、五月の空の様なうっとおしい日々が続いていた。

 しかも幾度となく雷雨が叩きつける。まだ夏には遠いはずなのに。


 道真は生前に天拝山に登って雷雨の中で何かを呪っていたという。去年道真の怨霊は都の川を暴れさせ、帝を病に臥せさせた。

 都人は道真の陰に脅え、帝と時平の世に不安を感じていた。それは帝の命による歌集の編纂で和歌の復権を望む貫之達にとっては、心細い傾向だったのだ。





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