ほととぎす
延喜二年(九〇二)四月六日。貫之達四人の撰者は、帝に召されて和歌集編纂のために内裏に上がった。帝の詔により時平から用意された編纂作業の場所とは、内裏、清涼殿に近い承香殿東側にある内御書所と言う所であった。帝が進捗状況を気にしていることを考慮してか、本来なら内裏の中も宮廷行事などに特別に呼ばれなければ近寄ることすら出来ない彼らに、時平は天皇のための御文庫を作業場として提供したのだった。
もちろん地下人の彼らが殿上に近づくなど、殿上人達からは強固なまでの反対があった。ましてこの人の世でもっとも神聖であるべき帝の住まわれる近くに、地面を徒歩で歩かねばならないような賤しい身分の者を置くなど、彼らには許せない事だ。それでも時平は帝の名のもとに彼らを特別扱いした。これは歌人と言う立場が身分を越えて特殊な存在であることを意味している。律令制の復活を推進する時平だが、その核となるやまとことばへの信頼を取り戻すため、強引に歌人の地位を確立したのだ。
当然殿上人達の歌人への視線は冷たくさげすんでいたのだが、貫之達にそれは気にならなかったようだ。それは帝と時の権力者、時平の和歌への理解の深さを知ったからである。
本来なら自分達よりずっと身分が上の人でも、この、内裏の奥深い所に入ることなど許されぬのに、帝はためらいなくこの場を自分たちに与えて下さった。
それも、ご自分の目で続万葉集をご覧になり、自分たちの実力を認めたうえでこのような措置をなさって下されたのだ。
そして時平から向けられた期待が、より貫之達を高揚させていた。何としてでもその期待にこたえたい。それまで誰にも創りだせなかったような歌集を編纂したい。彼らは歌人としての純粋な情熱を、時平によって呼び覚まされたのだろう。
それでも内裏に上がった初日は皆ひどく緊張した。周りの嘲りの視線など気にする余裕など無かった。誰もが心上ずり、躬恒などは歩くにも同じ側の手足が同時に出てしまうような有様だった。それを励ます貫之も手足が震えており、忠岑はひどく汗をかいていた。中心となるべき存在の友則でさえ、緊張のあまり顔を青くしている。時平に何を言われても、「はい、はい」と上の空で返事をするのが精いっぱいだった。
しかし、御文庫に入った途端に彼らは興奮状態になってしまった。そこにはこれまで見た事も無い、ありとあらゆる書が収められていた。貫之が勤めている御書所も貴重な漢の書物であふれているが、ここにはその中でも特に貴重な物や帝とごく一部の学者だけが学ぶことを認められている書、唐の国でさえも失われたと言われている書や代々の帝が書き記したとされる貴重な書物があった。時平は編纂の資料としてこれをすべて自由に使う事を認めたのだ。
「このような貴重な書物を、資料として閲覧できるとは……! ここは学問を志す者にとっては、極楽浄土のような所。まるで天に昇ったような気持だ」
身分が最も低い忠岑は呆然とさえしているが、それは他の者も同じだった。この場所を帝や時平が提供するのにどれほどの無理があったのかは、ここに通されるまでの殿上人の視線から理解できる。それはそのまま、自分達への期待の高さとして彼らに伝わった。
「見ろよ! ここにある紙を自由に使っていいそうだ。こんなに真っ白な紙に書きつけながら作業するなんて、なんてもったいない事だろう!」
躬恒が興奮してそう言った。貫之や友則も目を輝かせる。彼らには白い紙など貴重で、たとえ役人の仕事としての作業でも普段は木簡と呼ばれる小さな木片に筆で書き、それをひもでつないで文章を作った物を紙に清書していた。そして清書が終わるとその木片の上を小刀で削って文字を消し、また墨書きをするという作業を繰り返している。だから彼らのような下級役人の事を人々は「刀筆の吏」と呼んだりするのだ。その彼らがこの環境での作業を許される事に、どれほどの感激をしたかは想像を超えるものがあっただろう。
「創るぞ、何としてでも。これから何百年にもわたって人々が手本とするような、素晴らしい歌集を。この国の心のすべてを伝えるような歌集を!」
最も若い貫之はそう意気込んだ。他の者も気持ちは同じだ。彼らは早速続万葉集のために集めた歌を再検討した。近代の歌や他の歌も加え、さまざまな大和言葉の歌の手本を作るのであれば、厳選した古歌もさらなる絞り込みが必要であった。
「と、なると、これはかなり歌を絞らねばなりませんね。三十一文字の和歌とはいえ、万の数を載せるわけにはいかないのですから」
貫之は続万葉集を読み返しながらそう言った。
「そうだな。それに出来るだけ近代の歌も多く載せたいところだ」
友則はそう言って様々な家の歌集をめくっている。
「なぜ、近代の歌にこだわるのです?」
躬恒がそう聞くと友則は、
「今だからこそ近代の歌と思うのであって、我々の詠んだ歌でさえも百年経てば『古歌』と呼ばれる。そしてこの歌集は人々の手本とすることを目的に編纂される。この国の言葉と文化の在りようが求められるのだ」と答えた。
「百年後……。確かに古歌を集めた万葉集も、当時は近代の歌の集まりだったのでしょうね」
「現代の歌は明らかに古代の歌より進化している。この歌集には進化の過程を記すことも必要だが、やまとうたとしてより優れた美学を持って編纂し、後の世の人々の助けとなる物を創らなくてはなるまい。そのために出来るだけ技巧に長けた名歌を豊富に選びたいと思う」
「しかし、古歌にも本当に素晴らしい名歌は多くある。それを簡単に切り捨てるのもどうかと」
忠岑も続万葉集の歌を紙に書きつけては案じている。
「そうなのだ。それだけにこの編纂は続万葉集よりずっと難しい。そして今度は期限の区切りが無い。我々が心から納得できるまでこの作業が終わることは無いのだ。歌の選別は慎重に行わねば」
「漢詩には勅撰で作られた『凌雲新集』『文華秀麗集』『経国集』の三つの詩集がある。しかし和歌は国から手本となるべき物と定めて編纂されるのはこれが初めての歌集となる。出来るだけ多種多様な歌を網羅したものにしたいのだが」
忠岑はそう言いながらも悩ましそうだ。種類が増えれば残すべき歌の数も増えてしまう。
「私はやはり古い歌もそれなりに多く残したいです。これは続万葉集のように制限が無いのですから、新旧共々名歌を揃えたいのですが」
貫之もそう言いだした、すると躬恒は、
「気持ちは分かるが載せられる歌の数にも限界がある。いくら和歌は短いと言っても、選りすぐる以上は二十巻程度に納めるべきだ。序文なども入るし、すべて合わせて千歌ぐらいが妥当だろう」と制した。
「では、古歌と近代の名歌人達の歌で千歌ほどと言う事で」
友則はそう言いかけたが、貫之は、
「いえ、もっとあるでしょう。古歌は読み人の知れない歌も多く、何らかの事情で正確に誰の歌とははっきり書かれていない歌も多い。『よみ人知らず』な歌が多数です。それなら近代でもよみ人の知れぬ身分低い人が詠んで世に広まった流行歌も加えなくては釣り合いが悪い」
と言う。
「それを言ったら、これは帝直々の御命令で作るのだから、宮廷に伝わる歌も加えたい。内裏の大歌所の歌も失われてはならない歌だ」
忠岑までそう言いだすので、歌の種類は広がる一方だ。
「古歌に六歌仙などの先人達による名歌、近代流行歌、大歌所に伝わる宮廷の歌……長歌なども少しは入れるべきだろう。千歌程度に抑えるのにあまり幅が広がると、まとめるのも難しくなる。しかも我々の献上歌も加えねばならないし」
友則はあまり幅を広げる事は賛同できないらしい。
「歌も四季の歌に恋の歌、哀傷歌やその他もろもろの歌がある。あれもこれもと欲を出すと作業がより煩雑になり、どれほどの時が必要になるか分からなくなる。これほどの環境をご用意くださった帝を、長くお待たせすることになってしまう。やはり古歌は続万葉集の中から絞るのが良いのでは?」
宮廷歌を推薦した忠岑でさえも、あまり作業量を膨大にすると時を失うのではないかと心配し始めた。
「帝がお待ちになっているのだ。なんとか一年ぐらいで作業が済むように、あまりに古すぎる歌や、誰もが知りつくしている歌ははぶいてもいいんじゃないか?」
躬恒でさえもそう言いだしたが貫之は突っ張った。
「待ってくれ。お待ちいただくだの、時を失うだのと皆言うが、時平殿は何とおっしゃった? 帝のお望みは『幾百年にもわたって手本となり讃えられる歌集を編纂する』事だろう? この先幾百年の長きにわたり人々に伝え続ける歌集を、帝への御遠慮から一年やそこいらで創ってしまっていいのか? 帝の御期待はもっと高いものではないのだろうか?」
「いくら御期待が高いと言っても、ここは清涼殿のごく近いところ。私達のような地下人がいつまでもいて良い所ではないかもしれないぞ。帝や時平殿のご負担にならないうちに創りあげるべきじゃないのか?」
躬恒は自分たちの存在が帝や時平の妨げになることを心配した。口に出さずとも友則や忠岑も心中同じ思いがかすめていることが雰囲気から伝わってくる。しかし貫之は、
「私達の賤しい身分を気にしたり、他の人々の不満に戸惑われるような帝なら、そもそも和歌集編纂などを思いつかれたりなさらないだろう。おそらく帝は恐れ多くも私達に和歌の未来を賭けて下さっているのだ。この国の先々は和歌の発展が必要だと心から信じて下さっているのだ。我々が考えるべき事は帝の御身の回りの事ではない。帝が我々を信じて下さったように、我々も帝を信じて精一杯の事をするべきだ!」と言った。
帝がこの内裏の奥深くに自分達を入れ、置いて下さると言う事は、それほどの御覚悟を持っての事なのだ。我々はどれほど帝に甘えても、人々から白い目で見られても、より素晴らしい物を創り出さなくてはならないのだ。それを初日から自らの身分の低さに怖じてそれなりにまとめることを考えていては、とても帝の御信頼に応えているとは言えない。
身分や立場を考えれば躬恒たちの考えの方が貴族社会では当然の考え方である。しかし、それを越えて素晴らしい歌集を作りたいと言う貫之の情熱は、歌人たちの覚悟を促した。
「そうだ……! 帝ですら、これほどの御覚悟を持って歌集編纂に期待して下さっている。我々にはさらなる覚悟が必要だった。たとえ一生涯かかってでも、世に他に無い歌集を創り出すべきなのだ!」
躬恒は貫之を真っ直ぐに見ると、
「貫之のおかげで私は本当に覚悟が定まった。私は帝に甘えさせていただいてでも、素晴らしい歌集を編纂する。私はたった今から自分の身分を忘れよう。そのためにすべてを失っても、このような素晴らしい役目を与えて下さった帝のために、命懸けで歌集を生みだしたい」
と言って、貫之の手を取った。若い二人は和歌への情熱を何より素直にこの編纂作業にぶつける覚悟を持った。
その姿は貴族社会で辛苦を味わい続け、常識に凝り固まった友則と忠岑の心も動かした。この若さと情熱に負けぬ仕事をなしたいと、思わずにはいられなかった。
「よし。どれほど時間がかかってもいい。本当に何百年も後まで残すに値する歌を選ぼう」
歌人たちは身分を忘れ、ここが清涼殿の近いところである事も忘れることにした。
「とはいえ、歌を千歌程度に選ばなければならないことに代わりは無い。古歌を入れると言っても本当に選りすぐったものでなければ」
友則はそう言って釘をさす。
「では、まずは続万葉集の古歌を半分くらいまで絞り込もう。今他の事に手をつけても、作業が広がるばかりで効率が悪い。古歌の四季、春の歌から選んで行くのだ」
忠岑がそう言って促すと、早速古歌の春の歌選びが始められた。しかしまだ初日の作業だと言うのに、歌選びは困難を極めた。誰かが、
「これは春らしさにあふれている」と言えば、誰かが、
「しかしこれは素朴すぎて雅やかさにかける」と言い、
「古歌は素朴さが魅力だ」と言う者があれば、
「素朴な古歌も雅な表現に変化する兆しが見えるものでなければ、近代の歌と並べる意味が薄れてしまう」
と言う者もいて、一つの歌を吟味するにも大変な時間を要した。古歌を集めて古い歌の良さを見直そうとするのと、これまでにない全く新しい歌集を創ろうとするのでは、選ぶ歌の基準がまったく違ったのだ。しかもそれが正しいのかどうかさえもわからない。これまでにない物を創り出すとはそういう事であった。
歌の選別のための議論は初日から白熱した物となった。朝から作業を始めたにもかかわらず、気づけば外は暗闇に閉ざされており、完全に夜更けとなっていた。議論も疲れ果てたのか、ふいに皆黙りこんで沈黙が訪れた。その時、ごく微かだがほととぎすの鳴く声が聞こえた。
「ほととぎす? こんな夜中に?」若い貫之が耳ざとく鳴き声を聞きとった。
「夜でも鳥は鳴くだろう。しかし今日はまだ四月の六日。この時分には珍しいかな」
躬恒も興深く耳を澄ます。
「おお、微かだがほととぎすの鳴き声だ。さすがは帝のいらっしゃられる宮中は趣が違うなあ。まだ忍び音(かすかな声)とはいえ、もうほととぎすが聞こえるとは」
忠岑も嬉しそうに耳を傾ける。友則もその声を聞きとると、全員でにこりと笑う。そう、ここはめでたくも帝のおわす清涼殿の近く。そこでこんな雅な体験が出来る喜びを、白熱した議論の合間にこうして味わえる事に、皆心慰められていたのだ。
そこに帝のお世話をしている役人が、「貫之殿はまだこちらにおいでと聞いたが」と貫之を探すので、
「はい。初日ですが作業が長引いておりまして」と答えると、
「帝もそのようにお聞きになっていたので、気にかけていらっしゃる。少し休みがてら帝のもとに参るようにと仰せだ」
帝が直々に自分のような賤しい者にお会いになる? 貫之は信じられずにいたが、役人にすぐに来るようにと言われ、もったいない事なので胸とどろかせながらも転がるような思いで役人の後をついて行った。
帝は夜中にもかかわらず清涼殿の奥、夜の御殿から出てこられ、昼の御座にいらっしゃった。隣に時平が控えている。そして殿上の間につれてこられた貫之に、
「初日から夜遅くまで編纂に励んでいるようだな。どうだ? 作業の環境は整っているか?」
と尋ねられた。
「十分すぎるほどでございます。あれほどの資料や真っ白な多くの紙を目にして、私などは目がくらみそうな思いでございます」
「目をくらませていないで、編纂に励んでおくれ。このような真夜中まで議論の声が響くのであるから、十分励んでいるとは思うが。それよりそなたたちの所でもほととぎすの声は聞こえたか? 仁寿殿の近くの桜の木で鳴いていたのだが」
「はい。私には今年最初のほととぎすの声でございました。やはり帝のいらっしゃられる宮中はめでたい場所でございます」
「せっかく良い歌人がいるのだから、今話題のそなたに歌を詠んで欲しくなったのだ。ほととぎすについて歌を詠むように」
突然の歌の仰せに貫之は緊張しながら歌を詠む。
異夏はいかが鳴きけん時鳥今宵ばかりあやしきぞなき
(これまでの夏はどのように鳴いたのであろうか、ほととぎすよ
今夜ほど不思議に心ひかれたことはありません)
「ほう、良い歌だ。私も今まさに素晴らしい歌集がこの内裏にて創られているのだと思うと、心弾みが抑えられず、眠れずにいるのだよ。今年のほととぎすの声は特別だ。まるで今の私の心境のような歌だ。それともそなたたちと私は同じ心で新たな歌集が創られることを喜んでいるのだろうか?」
まだ十代の若い帝がそう言って笑顔を見せる素晴らしさ。貫之はこの世の事とも思えずにいた。
「もったいない……。私などと」
「それ以上の言葉を言ってはならぬ。私はそなたたちと同じ心でいたいのだ。この和歌集はそなた達が編集しているが、生み出すのはそなたたちだけではない。私も、法皇も、時平も、他に世に歌を広めたいと望む者たちすべてによって生み出される歌集なのだ。だから何の遠慮も必要ない。ただ、そなたたちは素晴らしい歌集を作ればよいのだ」
このために……このためにわざわざ、帝は私にお会いになられたのだ。本当なら帝の影すら慕う事など許されないような身分の私に、これを伝えるために帝は歌を御所望になられたのだ。
どこかで夏の喜びをほととぎすが鳴いている。我々歌人の喜びを表すように。
「必ず、必ず帝に御満足いただける……百年でも千年でも帝の名を知らしめるに値する歌集を奏上いたします!」
貫之は頭を床にこすりつけながら、力強く帝に申し上げた。それはこの場で帝にお答えするだけではない、世の歌を愛する者達への誓いの言葉であった。
「楽しみだ。存分に励むが良い」
暗闇の中に、今宵のほととぎすの忍び音は、神々しく響いていた。
フィクションとはいえ、下級役人の歌人たちが内御書所を提供されて他の殿上人が不満を持っただろうことは確かだと思います。
この場所は大内裏の中心である内裏の中でも、帝が公務を行う所のさらにずっと奥にあたるんです。普通の殿上人でさえ、帝の謁見場所の「紫宸殿」の端っこから帝を仰ぎ見るんです。その奥がほととぎすがこの夜鳴いたと言う(大鏡・下 雑々物語より)「仁寿殿」。さらに奥が「承香殿」です。その東奥に内御書所があります。内裏の公務の最深部ですね。
ここは後宮にも近くて一番近い後宮の建物は、渡殿でつなげていないとはいえ麗景殿があります。本当に普通の上流貴族でも帝の許しが無くては入れない場所だったことでしょう。
内裏にはもっと浅い場所に蔵人所とか、造物所とかもありますから、本当ならそこにも近づけない身分の歌人達を内裏最深部で作業させるのは、上流貴族たちのプライドから言っても、不満を持ったでしょう。
でもそれが帝の歌人や和歌に対する姿勢を示したでしょうね。
ほととぎすの一件は大鏡で有名なようですが、貫之の個人集「貫之集」にも同じ話が貫之側から書かれています。初日から深夜まで「とかく言ふほどに」喧々囂々の論議がなされる中、帝のお召しがあって歌を詠み奉ったそうです。歌人たちは身分が低いので他の貴族のいない真夜中、初日早々そんな時間まで編纂作業に明け暮れる貫之達を、帝はねぎらったのでしょう。残された記録から、彼らがどれほど感激したかをうかがい知ることが出来ます。




