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内教坊育ち

 元慶七年(八八三)正月。一人の少年に新たなる人生の幕が上がろうとしていた。


 少年はこの正月で十三歳(数え年)を迎えた。彼にとって元服の年である。それに伴って彼は大学寮への入寮試験である寮試を受けることになっている。そのために今日から母親と離れて、年の離れた従兄いとこの邸で暮らすことになった。


 少年が母親のもとを離れようとすると、母親は寂しげな顔で、


「しっかりと学ぶのですよ。母の事は何の心配も要りませんからね」


 と言って無理に微笑もうとした。その母の表情に少年は自分の心細さを胸にしまい、


「分かってます。母上は誰よりも素晴らしい妓女ぎじょですから。僕がいなくてもご出世なさるに決まっています。僕も負けずに出世しますから」


 と言った。今度は母親も笑顔を見せ、そして少年を見送った。迎えに来た従兄のきの 友則とものりは、


「母上似の君にも、少し父親の面影が出てきたようだ」


 といいながら少年を連れて歩きだす。まだ寒い早春の風には微かに梅の花の香りが感じられた。そんななか少年は従兄の後を追うように歩く。従兄と言っても友則は少年よりずっと年上で、そろそろ三十路に近づいた大人の男であった。少年は「君」という聞き慣れない呼ばれ方に緊張しながらも、これから向かう新たな世界に胸を膨らませていた。



 少年の父親、きの 望行もちゆきは少年がまだごく幼い頃に死んでいる。少年にとって父親の面影は朧気おぼろげな物でしか無い。むしろ、父親が母のもとを訪れた時の、母のいつもより嬉しそうな表情の方が強く記憶に残っている。幼かった少年にとって父というのは母を喜ばせる人という程度の印象しか残っていないのだ。父を亡くした日も少年には死という物が理解できておらず、さめざめと泣き続ける母の姿を悲しいと思っていたに過ぎなかった。


 しかし少年はその後、母の愛に守られて健やかに育った。少年が暮らした場所は大内裏だいだいりの内にある内教坊と呼ばれるところだった。母はそこで妓女としてつぼね(女官に与えられる部屋)に暮らしていた。そこは宮中で年の初めに祝詞を唱えながら足を踏みならし舞い踊る「踏歌とうか」と呼ばれる舞や、宮中内宴にて行われる女楽などを演じる妓女や倡女しょうじょの育成機関で、少年は顔立ちの愛らしさや愛嬌の良さからそこの女人にょにん達に「阿古久曾あこくそ(おぼっちゃん)」と呼ばれて可愛がられていた。


 少年が女達に可愛がられたのは彼の祖父の従弟いとこにあたるきの 有常ありつねという人が、同じように内裏の芸事をつかさど雅楽寮うたりょうの長官である雅楽頭うたのかみで、少年や母親の後ろ盾であったせいもあるかもしれない。父の亡い子とはいえ少年は母の深い愛とささやかな後ろ盾の中、華やかで優しく、甘い世界で健やかに育った。


 少年の愛嬌の良さは単純な見た目ではなく、人の心に敏感な情緒と大人が目を見張る賢さにあった。そして少年は好奇心も旺盛で、多くの美や自然、四季の変化などを好んだ。少年の母が言うには内教坊の女人にも色々な人がいて、ここで長く務めた人の中には男なら昇殿が許されるような位、従五位下に叙せられている人もいると言う。そして少年の母など数人の女人は若くして妓女、倡女としての芸に優れており、位を得た歳上の人達に目をかけられていて親しくしていた。そんな母達は物越しも優雅で品があり、なかなかに美しい。


 だが内教坊の中を遊び歩いていると、大半の若い女達は少し薄汚れた衣を着ていて品も無く、姿もどこかだらしなく見える。通りがかる男達にからかわれ、それに恥入るどころか言い返しながら軽く媚を売っている。しかもそれに男達は喜んでいるようだった。

 少年にとってその姿は正直不快感があった。何故かはわからないが見ていて気持ちはよくない。母も少年にその姿を見せることは良くないと考えるらしく、


「ねえ、子供の前でだらしなくしないでくれる? 昼間は疲れが出るのは分かるけど、せめて衣ぐらいは正して。そんな風だから舞や唄い方も上達しないのよ」


 と、小言を言ったりする。しかし若い女達が衣を直すのはその場限りで、女達の印象はいつもどこか乱れたものがあった。



 ある日少年は母の衣を持ち出すと、若い女達の様にだらしなく羽織って男に媚びを売る仕草を真似ながら女たちの前に現れた。


「ほらほら! これが皆さんの格好だよ! 良く似ているでしょう?」


 少年はそういいながら「しな」を作って見せる。さすがにこれには女たちも恥入って、本気で自分達の身なりを整え始めた。

 だが、顔立ちの愛らしい幼い少年がすると、若い女がするそれとは違って何とも言えない可愛らしさがある。女達は恥入りながらも幼い子供の達者な芸に喝采を贈った。


「もともと可愛らしい子だったけど、賢い子ね。あんな可愛い事をされたら、疲れも癒えて身を正さない訳に行かなくなるわ」


 女達は口々にそう言うと、少年の前では威儀を正すようになった。そして少年のことを皆で、


「可愛い、阿古久曾おぼっちゃん


 と呼んで可愛がり、でて、甘やかした。「阿古」とは私の可愛い子という意味で子供に広く使われる言葉であり、それに愛嬌を表すために使われる「久曾」を添えて、「おぼっちゃん」という意味で少年を呼んだのだ。


 少年はそのように女達から愛され、可愛がられたので、父親のいない子供にありがちな影などとは無縁に育った。むしろ芸や美を身につけることを生業とする女達の中で育ったために、情緒に対する感受性は豊かに身についていった。

 内教坊は大内裏の中にある粋な男と女たちの世界なので、夜になれば逢瀬のために局に忍んで来る男の姿も多い。しかしそれは子供が立ちいることを阻む世界で、少年の関心を引くわけではない。


 少年が心惹かれたのは女のもとから男が帰った後の、昼間の光景である。女が男から受け取った菓子などがある時は、


「おぼっちゃん。良かったらお菓子、食べて行かない?」


 などと誘ってくれる。愛想の良い少年は機嫌よく女の局に入って行く。


 菓子を分けてもらい、周りを見るといつもとは違う美しい衣があったり、季節の花があったりする。


「綺麗な花だね。……あれ? これ、歌?」


 花のそばには開いたままの薄様に書かれた後朝きぬぎぬの和歌があった。それは契りを結んだ男女が朝の別れの後に贈り合う歌である。


「まあ、駄目よ。人のふみ(手紙)を勝手に読んじゃ」


 女はそう言ってすぐに文を取り返したが、少年は、


「歌だけだもの。もう、読んじゃった。歌も覚えたよ」


 そう言ってすぐにそらんじてしまう。女達は感心するばかり。


「ほんとに、頭の良い子ね。物語でも読んでみる?」


 そんな風にして少年は女のための物語ではあるが、「伊勢物語」などにも触れていく。

 少年は早くから物の読み書きをおぼえていた。このような環境で和歌や物語などに多く触れる機会があったせいかもしれないし、彼の家系の血筋のせいかもしれない。



 きの氏は、もともとは武に勝った家柄であった。少年の家系は紀氏の傍流ではあるが、過去には武勲を立てた先祖を持っている。特に天平てんぴょう宝字ほうじ八年(七六四)に起きた恵美えみの押勝おしかつの反乱の際に武功を立てた船守ふなもりという人は、生前には正三位の大納言及び近衛大将に達し、さらにその死後までも右大臣、正二位を追贈された。以来この家系は武人の血統として伝えられ、延暦えんりゃく年間(七八二~八〇六)の時期はとくに重んじられていた。


 しかし貴族文化の繁栄と共に武門の紀氏は衰退してしまっていた。特に嵯峨帝の唐風文化を何より重んじる時代(七八六~八四二)に入ると武も芸とみなされ、その技は形式化し儀礼化された。かつて武を誇った家系は、時代の波にのみ込まれようとしていたのだ。


 紀氏はその状況に甘んじていたわけではなかった。形骸化した武芸を伝承するだけではなく、貴族の生き方として身につけ学び目指す教えに『儒教』を信条とする事にした。儒教の教えは武人にとっても貴族にとっても欠かせない道義的な思想があるからだ。特に孔子の教えは重んじられ、子々孫々紀氏はその名に論語にまつわる名をつけるようになった。少年も早くから父の遺品であった論語を学び、しかも少年はそれをやすやすと理解していった。その才能を知った少年の母は、


「あなたはきっと、紀氏のお役に立てる人になれる筈。あなたのお父様はあまりにも早く亡くなったので、せっかく弁官の大史だいしであったのに本当に低い位のまま終わってしまったの。でもあなたの祖父の本道もとみち様は従五位下だったから、あなたは五位以上の子孫という大学寮への入寮資格を持っている。才能あるあなたをこのままむざむざと無位無官の身で任につけるには惜しいわ。あなたも是非、お父様と同じく文章生もんじょうしょうを目指しなさい。そうすればきっと、出世の道が開けるでしょう」


 と言って、少年が元服と共に寮試を受ける事ができるように、少年の後ろ盾であった有常を通じて従兄の友則に手配を頼んだのである。友則も少年の利発さを認め、少年は今日、住み慣れた内教坊を出て友則の邸に向かっていた。今後はこの年の離れた従兄が、彼のささやかな後見となるのであろう。


 だが少年が本当に心にしみるのは、この世の美しさや喜び、情緒を表す和歌であった。しかし和歌はあくまでも私的感情の吐露が中心で、貴族道徳や思想、論理の役に立つわけではない。そういう物を学び、出世の足掛かりとする事が出来るのはやはり漢文、漢詩の世界である。少年が元服を迎える時代は、まだそういった合理性を重要視する唐風文化が礼賛されていた頃であった。少年も自らの身を立てるために漢詩、漢文を知識として身につけることを望んでいた。


 とはいえ少年は歌の世界の美しさ、素晴らしさも幼いころから肌で感じて来たので、そこから心を離すことは出来無かった。彼が憧れたのはあの、女達が好んだ「伊勢物語」の歌であった。そこに出て来る「昔男」である業平なりひらの詠む歌は、漢詩の合理的な世界を和歌に取り込んだ美しい世界観にあふれていた。感受性が高く、人の心の流れ……つまりは時代の流れに敏感な少年は、和歌による漢詩表現に新たなる潮流をすでに読みとっていたのかもしれない。


 彼にはすでに、時代の寵児となるべき才能が備わっていたのである。





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