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上皇落飾

 為子内親王が亡くなると帝は深い悲しみに沈んだ。だが、さらにそれを上回る悲しみに見舞われたのは宇多上皇である。上皇は内親王の懐妊に畿内の各社を巡行するほど皇子の誕生に期待していた。だが、生まれた子は内親王であった。しかもその出産によって同母妹である為子を亡くしてしまったのだ。その嘆きは一通りではなかった。内親王はひどい難産の末苦しみ抜いての死であったので、その哀れさに帝も上皇も悲しみを分けあう相手が必要だった。


 帝と上皇は共に内親王の死の悲しみを慰め合った。この時二人が分け合った悲しみは、純粋に親しく思う人を失った者同士の心の交流であったはずだ。

 だが帝は内親王の死を悲しんでばかりはいられなかった。当時まだ若かった帝には内親王のほかに妃はいなかった。帝に妃がいない状態をいつまでも続けるわけにはいかない。内親王の死から半年もすると、次の妃をどうするかという問題が持ち上がった。だがこの時皇族の中に帝の妃となるに相応しい年周りの皇女はいなかった。


 それに対してこの時藤原氏には帝と釣り合いのとれる年頃の姫達が何人かいた。その中にそもそも帝が即位する時に是非にと勧められていた姫がいた。基経の娘で時平の妹である穏子おんしだ。帝も自分に年が近く、美しく聡明で芯のある穏子を気に入っており、為子と共に入内させることは正式に決定していた。穏子も美しいと噂される若い帝に入内することを、心待ちにしていたと言う。


 だが藤原家の外威の介入を極度に恐れる上皇の反対や、後宮内で絶対的権力を持っていた上皇の后であり為子の母である班子はんし女王の圧力により、入内することが出来なかった。特に班子は穏子が後宮に入ることを許せなかったらしく、本来なら正月に行われるべき帝の即位を強引にも七月に元服共々行ってしまった。なぜなら班子は帝の育ての母である穏子の姉、温子が後宮で力をつけることを恐れたからである。温子は七月に里に戻ることが決まっていたのでその留守のうちに儀式を済ませ、温子の実権を奪ったのだ。しかも万が一にも温子に悟られぬように、即位の儀式の場所まで変更する念の入れようであった。


 さらに班子はきらびやかに入内の支度を整えて後宮入りしようとした穏子を、力ずくで宮中から追いやるという暴挙まで行った。藤原氏の権威を背負って入内しようとした穏子は、名家の姫としてはあまりにも屈辱的な扱いを受けてしまった。この時帝と穏子はまだ十三歳。その傷の深さは計りきれないだろう。このあまりにも厳しい穏子入内の反対があったことから、


「為子内親王の死は、穏子の母にあたる人康親王女の怨霊の祟りだ」


 と言う噂まで後宮内を駆け巡っていた。


 道真を火種として抱えた政。徐々に現れた道真と時平の政務上の対立。内親王の死。そして後宮内に漂う不穏な空気……。公私ともに荒れていた帝は、心が疲れ果てていた。帝が穏子の入内を考えていると聞き、訪ねてきた上皇に帝は訴えた。


「父上。どうか、穏子の入内をお許しください。今、私の妃となれるのは穏子しかいません。私が即位した時は父上が外威を入れるのに反対し、私は父上に従いました。何より二人の女人にょにんを競わせ、苦しめるような状況を作りたくはありませんでした。しかし為子が亡くなった以上誰かを選ばなくてはならぬなら、私は穏子を入内させたい。あのように優れた姫が我々の思惑のために、結婚も出来ずに二年の月日を費やしたのです。これではあまりに穏子が可愛そうではありませんか」


 だが上皇は、


「いや、それはできん。どれほど優れていようともあれは基経の娘。そして時平の妹だ。時平の妹を入内させれば時平は外威を得る事となってしまう。そうなれば時平と藤原家は権力を手に入れることになる。そして政はいずれ権力者の意のままにされるであろう。そなたは外威による権力の強さと言うものを知らぬ。だからそのような甘い事を申すのだ」


 と言って耳を貸さない。


「……父上は、外威を恐れているのではない。穏子が基経の娘であるのが気に入らないだけではありませんか?」


 心の疲れた帝は、上皇への不満が吹きでてしまった。


「何を申すか。私は政のためを思って……」


「父上は政には口を挟まないとおっしゃりました。なのに政を口実に穏子の入内を御認めにならない。父上は単に、自分を臣下に下した基経への恨みを、忘れられずにいるだけではありませんか?」


「後宮の事は政とは違う。しかし政への影響が大きいのだ。私は権力者の傀儡とされる苦しみや屈辱をよく知っている。私は帝の御世のために」


「私の御世のため! そうおっしゃるのなら昔の古いお恨みは忘れて下さい。今は私の世です。政は私が決めます。後宮は政でないとおっしゃいますが、それなら後宮は私個人の場です。私の妃をどうして私が決められないのですか! 女の事まで口を挟まれるようでは、それこそ私は父上の傀儡同然ではありませんか!」


「私が……そなたを傀儡としている、だと?」


 上皇は愕然とする。半年前まで共に自分の妹の死の悲しみを分かち合っていた我が子が、自分に傀儡として操られていると言っているのだ。


「そうです! 私だけではない。時平も、道真も、父上は自分の思うように動かしたいと思っている。自分の恨みを晴らし、自分の望む世さえ叶えば良いと思ってらっしゃるのだ! 政は……世は一人で動かす物ではありません。動かせる物でもありません。多くの者の協力が必要なのです! それなのに父上は私達を使って、御自分の思う世だけを作ろうとしている。これが傀儡でなくて何だとおっしゃるんです!」


「違う……そなたは誤解している。私はそのようなつもりではない。私はやまとの心と、帝を敬う心を復活させ、この国にあった政を」


「朝廷の人々に耳を傾けず、外威を許さず、功臣を危険にさらす事のどこがこの国にあった政なのです!」


「功臣を、危険に?」


「道真の事です。彼は父上と親しいために孤立している。父上の頑ななお考えが道真へ不満を集中させ、人々に敵意を抱かせている。しかも今や彼を憎んでいるのは上位の貴族ばかりではない。中位の者達まで彼の存在を疎んでいる。このままでは道真を呪い殺そうとする者や、強盗に見せかけて襲おうとするものが出て来るかもしれません」


「そのような……。唐を越えたこの都でそのような乱暴な事があるはずは」


「公には人に乱暴を働くような、はしたない真似をする高貴な者などいないことになっていますが、実際は有力貴族の間では自分達に都合の悪い事をした者には、容赦のない私刑が与えられていると聞きます。使わされて戻れぬ者の多い遣唐使に送ろうとする者達です。そこまでしても追放できなかった道真に、何をしてもおかしくは無いでしょう?」


 打ちひしがれる上皇を、帝はさらに追い詰めてしまう。


「父上がこうして後宮の事にまで介入すれば、人々は一層父上と親しい道真を疎むようになる。父上が道真や私に口を出すほど朝廷の和は乱れ、人々の心は荒んで行くのです! せっかく道真や時平が築き上げた文化的な今の世を、父上が壊そうとなさっているのだ!」


「ちが……う。我が夢は道真と同じ。道真は我が夢を自分の夢と言ってくれた」


「父上に大恩ある道真はそう言うしかないでしょう。ですが、殿上人達は自分達に都合の悪い事はすべて道真が、父上の意を汲んで行っていると思っている。父上は譲位なさったのです。もう何も出来ることは無いのです。父上は政にも、私の事にも干渉するべきではないのです!」


 この時帝は心の疲れから上皇と道真へそれまでの不満をぶつけただけかもしれない。だが、この帝の態度に上皇は深く傷ついた。自分の正当な後継者として、これまでのどんな帝よりも素晴らしい天子となって欲しいと細やかに気を使い、見守って来た筈の我が子からこのような言葉を浴びせられるとは思ってもみなかったのだ。


 そして、帝の言い分もある面では当たっていた。上皇が道真を守ろうと活躍の場を与え次々と昇進させたことは、道真を孤立させ上皇を頼らざる得ない状況に追い込んでいた。自分の夢のために献身を尽くす道真に、上皇が甘えていたのは確かだったのだ。


 道真は命危ぶまれるほど孤立している。私が道真にそういう道を選ばせてしまったのか。

 あれほど賢く、心厚い者を……!


「私が帝の政の重荷であることは分かった。だが、穏子のことは私が許して済む事ではない。源氏の意向も考えねばならぬし、班子のこともある。班子は期待を寄せた実の娘を亡くしてまだ半年しか経っていないのだ。今、強引に穏子を入内させても班子の心を逆なでしてしまい、穏子は針のむしろとなるであろう。そう言う後宮に時平は妹を入内させる気があるのか。良く時平と話し合うが良い」


 上皇はそう力なく言って、帝と和解することなく朱雀院へと戻った。それを聞いて時平は驚いた。


「何と言う事を上皇様におっしゃったのです。すぐ、上皇様にお詫びの文をお書き下さい」


「……私は、自分が間違っているとは思わない。それにこれほど言っても穏子の入内は認められなかった。私は穏子の美しさと聡明さに、この疲れた心を癒やされたいのだ。父上は女の事と軽んじていらっしゃるようだが」


「そのような事は御座いません。帝の妃を決めると言うのは、それほど難しい事なのでございます。帝のお気持ちも分かりますが」


「父上はそなたの女の問題を、わざわざ私に書き残されたりした。そう言う方なのだ」


 どうやら帝の穏子への執着が、上皇の言葉を素直に聞き入れられなくしているようだった。


「違います。上皇のおっしゃる事は私にもわかります。たとえ今妹を入内させても、妹は宮中の人々から受け入れられないでしょう。時を置く必要があるのです」


「いや、父上は私の政など軽んじていらっしゃる。本当は御自分が道真と好きなように政を行いたい所を、道真が人に憎まれるので仕方なく私に譲位し、道真を使って政を進めようとしているのだろう」


 帝はそう言って態度を軟化させることは無かった。



 道真の方でも上皇に帝の言葉は本気ではなく、心の疲れと若さが出ただけなのだと釈明しようとしたのだが、上皇は道真との面会を受け入れなかった。そしてひと月余りが過ぎた昌泰二年十月二十四日。宇多上皇は仏門に出家し、東寺で受戒した後仁和寺に入って落飾してしまった。


「何と言う、何と言う早まったことをなさったのです。今はまだ右大臣(道真)の立場は大変不安定です。その道真を守って下さっていた上皇様……いや、今となっては法皇様ですが。その法皇様が御出家なされては、誰が右大臣を守って下さると言うのですか」


 時平は仁和寺に出向き、そう言って法皇を責めた。


「道真を守るべきは帝のはず。道真は帝の即位に並々ならぬ功臣ぶりを発揮した。帝は道真の恩を知るべきであろう。私が道真に近づき、帝の政に介入するほど人々の感情は悪くなる。それなら帝がしっかりと道真を守るべきだ」


「理屈はそうですが、帝にまだそれほどのお力はありません。私は藤原家の氏長者。出来ることにも限界があります」


「臣下を守れずして何のための帝なのだ。女の心配をするより、自分に身を捧げる臣下の心配をするべきだ。帝はもっと大人にならねばならんのだ」


 これを聞いて帝はますます道真と法皇への不信感を強めた。法皇は道真の事だけ考えておられる。そして道真も本音は法王への恩しか頭にないのであろうかと。


「そのような事は御座いません。右大臣(道真)も本当に帝に心から尽くしたいと思っています。右大臣は帝の御即位の年に、自分の娘を法皇の皇子である斉世親王様に妻として差し上げています。もし帝への忠心が足りないのなら、右大臣は帝の即位にあれほど熱心であったはずがございません。それよりも自分の娘婿を帝位につけようと考えた筈です。しかし法皇様も右大臣も帝を帝位におつけになりました。これこそが法皇様が帝に御期待していらっしゃる何よりの証拠。法皇様のご期待に応えるのが帝のなさるべき事なのです」


 時平の言葉に帝は一応は納得した。法皇との関係悪化や道真への不信、そして時平が穏子の兄である事が帝と時平を近づけさせていた。今は帝と時平の間に、かつての法皇と道真のような友情が結ばれようとしていたのだ。

 しかし上皇が落飾して法皇となった事で、朝廷の道真に対する緊張は一気に悪化した。人々の道真への恨みはすでに理屈で片付くものではなくなっていた。そこに庇護者の影が薄まった事で人々はますます道真に恨みを募らせた。


 それに帝と道真、時平は少しづつではあるが政の立て直しのため、荘園の現状調査を始めていた。これは貴族たちの収入に直接関係することなので、皆何かと理屈をつけては反対した。しかし帝は調査の手を緩めようとはしない。その不満も道真憎しの感情に結びついてしまった。朝廷の雰囲気はピリピリと高まって行く。


 だからと言って、誰かが道真に直接何かを言って来る訳でも無ければ、具体的な行動を取った訳でもない。帝と言えど朝廷の空気をどうすると言う訳にも行かない。為子内親王が亡くなっているので、あまり華やかな催しなどもためらわれる。状況は悪化する一方で、道真は学問の弟子たちに守られながらでなければ、ろくに外出も出来なくなった。帝は自分の力不足を痛感させられてしまう。



 そして昌泰三年(九〇〇)正月。とうとう法皇は動いた。仁和寺に帝を行幸させ、その席で、


「穏子を入内させると時平は帝の外威となってしまう。どうしても穏子を入内させると言うなら、時平だけに権力が偏らぬよう道真に関白宣旨をするように」


 と帝に伝えた。これまで関白の宣旨を受けた者が権力を発揮するには、帝の外威である事が必要だった。道真と時平が内覧の宣旨を受けても公卿達が政務を放棄したように、宣旨による権力など現実には無いに等しい。皇族の外威と言う確かな後ろ盾があってこそ、関白宣旨は効力を発揮する。


「父上。それはあまりにもやり過ぎではありませんか? 時平も氏長者としての立場が難しくなります」


 道真が関白宣旨を受ければ、時平は帝の外威でありながら関白と言う地位を得られなくなってしまう。それどころか道真は万が一帝の身に何かがあれば、同じ法皇の皇子である娘婿の斉世親王を立太子させた後に帝とし、外威を持つ関白と言う権力者の地位に就くことになってしまうのだ。確かにそれほどの権力を得れば、道真の身は安全かもしれない。だれも、道真に逆らう事は出来ないだろう。


「時平は大変だろうが、妹が入内する以上仕方あるまい。今の状況を改善するにはこれくらいの事が必要であろう」


 しかしそれは帝にとっては自分の立場を危うくすることであった。もし道真が裏切れば帝は斉世親王に帝位を奪われてしまうのだ。

 法皇の言葉に帝は法皇と道真への不信が再燃した。


 だが、道真はこれを固辞した。逆に人々の不信をあおることを恐れたのだ。そして道真の懸念は的中する。藤原氏達は一斉に時平に迫った。


「今、右大臣(道真)を排斥せねば藤原家は権威を失ってしまう。少なくとも法皇は我らよりも右大臣に権威を与えるつもりでいるのだ。もう一刻の猶予もならぬ。左大臣(時平)が何もしなくとも、我々は何をしてでも右大臣に消えてもらう。これは藤原家全体の問題なのだ。邪魔をするようであれば、たとえ氏長者の左大臣と言えども容赦はせぬ!」


 時平には藤原家の人間すべてを抑えることなど不可能だった。とうとう時平は道真に一旦出仕を休まれてはどうかと勧めた。しかし道真は、


「いえ。今は帝の大切な時。御父上様は御出家、妃もおらず、荘園の整理は反対されている。国風文化はようやく花開いたばかり。今ここで側近の私が帝のお傍を離れる訳には行きません」


 と言う。


「しかし、本当にお命を狙われては」


「狙う者は狙って結構。私は法皇様と約束したのです。私は法皇様との夢を叶えると」


「夢?」


「和御魂を持って帝を敬う国を作り、その帝の律令制のもと、国風文化をこの国にしっかりと根付かせる夢です。そのためには帝の政をしっかりと固め、詩や和歌を通じて人心をまとめるようにせねばなりません。私はそのためになら命を捧げてもいいと思っています。これは法皇様との長い夢でしたが、聡明な帝はこの法皇様の夢をきっと受け継いで下さるでしょう。その夢を託す……この国を託す帝のもとを、今離れるわけにはいかないのです」


 道真は決然とした覚悟を持っていた。しかし心揺らぐ帝に、その思いは届いていなかった。




道真の左遷のきっかけになった基経の娘穏子の入内。

実は醍醐帝の即位と共に穏子の入内は正式に決まっていたようです。

本来、別々に行われるべき元服と即位を醍醐帝は同時に行われています。しかも即位は正月が普通なのに、七月の即位。どうもこれには後宮の問題などがあったようです。


醍醐帝は実の母、藤原胤子ふじわらのたねこを立太子した年に亡くしており、宇多上皇の女御でありながらも皇子に恵まれなかった基経の娘、温子を育ての母としていたのですが、宇多上皇の后の班子女王が彼女に後宮での権力を与えないため、彼女が里に戻っているうちに通常とは違う場所で儀式が行われたそうです。


しかもその時、温子との繋がりから入内が約束されていた穏子が、すっかり支度を終えて後宮に入ってきたところを、班子が力ずくで無理やり追い出してしまいました。

そのため穏子は帝に会う事も出来ず、結婚のために家の権威を背負い、豪華な仕度をしてやってきた宮中を去らなくてはならないと言う、名家の姫として大変な屈辱を受けてしまいました。


兄の時平も当然腹立だしかったでしょうし、後宮での班子の君臨ぶりに宇多上皇の頼りなさを苦々しく思ったことでしょう。

醍醐帝としても育ての母であり、庇護者でもある温子を自分の晴れの場から遠ざけられ、後ろ盾を断たれた上に年の近い穏子に屈辱を与えられて、班子の娘をあてがわれたのです。


時平の道真への本当の感情がどのようなものだったかは分かりませんが、宇多上皇にはあまり良い感情は抱いていなかったかもしれません。

宇多上皇は基経との関係が良くなかったので温子や時平が醍醐帝に近い事を懸念したでしょうが、醍醐帝にとって温子は父親以外の大事な庇護者であったでしょうし、時平は自分を支える重臣です。


正直醍醐帝には政務の事から臣下の扱い、後宮の妃の事までお膳立てする父親の宇多上皇よりも、温子や時平、穏子と言った基経の子達のほうが親しみやすく、信頼しやすい存在だったのかもしれません。


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