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「ヒロトさーん、今日は唐揚げですよー。からあげと言っても猫ちゃんじゃないですよー」
キッチンからの声が、おどけた様子で夕飯のメニューを告げる。
あの日以来、トオルの口から家族の話が漏れることは無かった。
トオルは、努めて明るく振舞っていた。無理をしているのがありありと見て取れる。そんなトオルを見る度に、ヒロトはいたたまれない気持ちになるのだった。
どうにか、元気付けてやりたい。
どうやって?
そもそも、抜け殻のような今の自分に、誰かの為に何かを為す事など出来るのだろうか。
「にゃー」
からあげが足元に擦り寄ってきて鳴いた。無意識のうちに抱き上げて、耳をくわえる。
(ふ~む…………)
「ヒロトさん、そっちのからあげは食べちゃダメです」
「……うん」
料理を運んできたトオルに注意されるが、ヒロトはあまり聞いていなかった。
ぼうっとしながら、キッチンとリビングを往復して次々と料理を運んでくるトオルを眺める。
歌っている。いつものように。『空の歌』を。
「──そうか」
簡単な事だった。
食事を終えてすぐ、ヒロトは〈スタジオ〉に篭った。
DAWの画面を前に、そっと目を閉じる。
思い出す。『空の歌』を構成する全ての音を。
オケは全て打ち込みで再現出来る。かつて作った曲をただなぞるだけ。ゼロから音楽を生み出す作業ではない。今の自分でも、やれるはずだ。
目を開いて、DAWの画面を見据える。
マウスを滑らせて、最初のノートを打ち込んだ。
そこから先は、自動的だった。
「──ふぅ」
溜め息を吐いて、ヒロトは椅子に体重を預けた。
なんとかオケは完成した。
モニタには、所狭しとノートがちりばめられたピアノロールが映し出されていた。
再生ボタンをクリックして、ヘッドホンから流れる音を確認する。ほぼ完璧に再現出来ているはずだ。
(意外と覚えてるもんだな)
音源を失くして以来、聴いていないにも拘わらず、驚くほどすんなりとここまで漕ぎ着けた。
(さてと、あとはボーカルか)
歌モノの曲ではあるが、『空の歌』は人の声を使っていない。ボーカルも含めて、この曲は全て打ち込みなのだ。
ヒロトは、当時から愛用しているボーカル音源を立ち上げた。
『VOCALOID2』と書かれたスプラッシュスクリーンの後、シンプルなエディタのUIが画面を覆う。
ひとつノートを打ち込んで再生ボタンを押すと、ヘッドホンから「アー」という音が聴こえた。懐かしさに自然と笑みがこぼれる。あの頃は、この音源を使うのが楽しくて仕方なかった。それまで、インストゥルメンタルの曲しか作る事の出来なかったヒロトに、無限の可能性を与えてくれたのだ。当時のヒロトは、取り憑かれたように歌モノを書いた。使い込めば使い込むほど、新たな発見のある音源だった。パラメータの数自体はさほど多くなく、ある程度慣れてしまえば基本的な使い方はそれほど難しくない。しかしこの音源は、発音記号やパラメータの組み合わせ、あるいはノートの区切り方によってさえ様々な表情を魅せてくれた。取り分けヒロトが好んだのは、ノンビブラートのロングトーンだった。そう、トオルのあの歌声のような。『空の歌』でもビブラートは一切使っていない。
(オートビブラートはOFFにして……と)
設定を確認して、打ち込みを開始する。
まずベタ打ちでひと通りノートを打ち込み、それに歌詞を乗せていく。自動的に割り振られる発音記号で不自然な部分は、手動で打ち込み直す。
VOCALOIDは、音声ライブラリと音声合成エンジンによって構成される。ひとつの製品につきひとつの音声ライブラリ。ヒロトが使っているのはシリーズ物として発売された製品の第二弾で、一般には他の製品と比べて癖の強い音源として知られていた。しかし、ヒロトはこれを扱いづらいと感じた事は無い。適切な発音記号を与えてやり、いくつかのパラメータで表情を付けてやれば、それだけで充分なパフォーマンスを発揮してくれるのだ。ただでさえ少ないパラメータの中で、実際に使用するのはほんの三つか四つ程度。むしろヒロトにとってはこれ以上無いほどに扱いやすかった。
ひと通り打ち込みが終わったら、今度はDAW上で加工してやる。レシオを大きくしたコンプレッサで派手に音を潰し、イコライザでがっちりとハイを伸ばす。こうすることで、非常に硬く澄んだ音が出来上がる。
色褪せない。
当たり前の事だが、ヒロトはそれが嬉しかった。それこそがボーカル音源の強みなのだ。人の声は違う。命と共にある事が、最大の魅力であり、そして──弱点だった。
翌朝、トオルは、ヒロトに呼ばれてリビングへ足を運んだ。
「朝っぱらから機嫌よさげですね、ヒロトさん。何かあったんですか?」
「普段頑張ってくれてるトオルちゃんにプレゼントをあげようと思ってね」
そう言って一枚のCD‐Rを掲げる。
「それは?」
トオルの疑問には答えず、ヒロトはオーディオにCD‐Rを差し込んだ。再生ボタンを押す。
『空の歌』が流れた。
「…………!」
トオルは顔面に三つの丸を作って固まった。丸を貼り付けたままヒロトを見る。笑っていた。
いくつもの疑問がトオルを満たしたが、それを口にする事は憚られた。だって、今言葉を発せばこの素晴らしい“音”を聴き逃してしまうではないか!
いつの間にかトオルは、その場にへたり込んでいた。
曲が終わっても、トオルはそのまま動かない。
「どう?」
ヒロトの声でようやく我に返った。
「『空の歌』、ですね」
「そうだね」
「え? なんで?」
前に訊いた時は無いって言ってたのに。
「作った」
作った? 確かにヒロトは作曲のプロだ。でも、いくらプロでも、オリジナルも無しにここまで正確に再現出来るものなのだろうか?
「まあ、四年も前の曲だし、少し不安だったけど。でも、さすがに自分の曲はちょっとやそっとじゃ忘れないね」
「────────は?」
トオルは耳を疑った。自分の曲?
「あれ? 言ってなかったっけ」
「聞いてない……です」
そう。結局トオルは、ヒロトがなぜこの曲を知っていたのかを尋ねる事は無かった。そもそも、ヒロトも自分と同様にネットから拾ったのだろうと思っていたのだ。DL先のサイトが現存しない事は、過去に検索した際に確認していた。
「……ほんとに?」
「ああ」
「嘘みたい」
トオルの目から涙が零れた。
「ちょ、トオルちゃん!?」
「──え?」
「何で泣くの」
「あ……」
そう言われてようやく自分の涙に気付いた。
「だ、だって…………俺、誰が作ったんだろうって、この曲の事、ずっと気になってて……ヒロトさんにも、そのうち訊こうって思ってて……それが、ヒロトさんの、曲……?」
「それで、びっくりしちゃった?」
てのひらで涙を拭いながら、トオルは頷いた。
ヒロトは子供をあやすような手つきで、トオルの頭を優しく撫でた。
「ヒロトさん」
「ん?」
「──ありがとう」
DTM物の打ち込みシーンはバトル物で言うところのバトルシーンのようなものです。( ̄ー ̄)




