2
トオルのバイトはあっさりと決まった。例のファミレスである。週四日、トオルは家を空ける事になった。
面接の際、一番の難関だったのは、言葉遣いだ。ちゃんと女としてしゃべる事。しかしトオルはそれも乗り越えた。仕事なのだ。妙な拘りや体面はかなぐり捨てた。
トオルが気兼ねなく『俺』という一人称を使えるのは、事情を知っているヒロトに対してのみとなった。
「俺がバイトの日は店に来ないで下さいね」
トオルの気持ちは判るが、それを聞き入れる気などヒロトには全く無かった。機を見て必ずトオルのウェイトレス姿を拝むのだ。決意を胸に秘めたヒロトの目は猛禽のそれだった。
やがて、トオルがバイトを始めてから一週間ほども経った頃。
「もしもし、お久しぶりっす」
ヒロトの携帯に福音がもたらされた。
ヒロトが代表を務めるサウンドチームのメンバー、北川からだった。ヒロトが曲を作らなくなって以来、こうして時折様子を窺いに電話を掛けてくる。
昼食に誘われた。ヒロトはファミレスを指定した。それと同時に、いくつかの指示を出しておく。
一旦通話を切り、再度の連絡を待った。正座で。
「……………………」
携帯が鳴った。
くわっと目を見開き、神速で携帯を掴む。
「ボス、手筈どおりに」
「そうか…………時は満ちたな」
彼にボスと呼ばれた事など無かったが、ヒロトは空気を読んだ。
かくして、トオルのバイト先へと向かうのだった。
「いらっしゃいませー」
「あ、なっちゃん」
目つきの悪いウェイトレスがヒロトを出迎えた。
「ぷっつんが来てるけど」
目つきの悪いウェイトレスは、そう言って北川の居る席を親指で差した。
「ああ、知ってる。なっちゃんが注文取りに来んの?」
「悪ぃか?」
このウェイトレスは口も悪かった。
「最近新しい子入ったでしょ。石田トオルって子。その子に代わってよ」
「あぁ? 知り合いかよ」
「まあね」
「ちっ、代わってやるけど、そんかし一番たけぇの頼めよ」
で。
「ご注文はお決まりでしょうか……」
トオルが注文を取りにきた。苦虫を噛み潰したような表情で。
「いやーごめんねトオルちゃん。来る予定は全然無かったんだけどさ、彼から電話掛かってきちゃって、自分の分の注文も既に済ませてるって言うからさー。あ、彼は北川君ね。うちのサウンドチームのメンバー」
「どもっす。北川っす」
ヒロトの計画は至極単純なものだった。
まず、北川を先に店に向かわせ、注文を取っておいてもらう。その後に電話を掛けさせ、さもそこで初めてヒロトを誘ったかのように装うのだ。こうしておけば、ヒロトが能動的に店に来ようとした事にはならず、北川も注文を済ませた後なので、場所を移す事も出来ない。
(この間、姉貴が俺に使った手だ……その名も『這い寄る晩餐』!)
ちなみに今はランチである。
「やっぱ似合うねーここの制服」
「あ、あんまり見ないで下さい……」
この照れる仕草が見たかったのだ。ヒロトは満足した。
「それにしてもロトさん、いつの間に彼女なんて作ったんすか」
北川がヒロトに訊いた。
「わ、私、彼女じゃないですっ」
「一緒に住んでるけどね」
「ちょ……!」
さらっと誤解を招く言い方をする。
「仲良さそうっすねー。うらやましいっす」
*
「おねーさん」
ある日の夕方。買い物袋を抱えてマンションに帰る途中、唐突に声を掛けられてトオルは振り返った。
少年が立っていた。年の頃は十一、二歳といったところか。当然見覚えなどない。知り合いにこんな少年は居なかった。
「な、何?」
このような子供に声を掛けられる謂れなどない。
「女の子の身体にはもう慣れた?」
「────っ!」
にっこりと笑って放った少年の言葉は、思いもよらないのものだった。
なぜ知っている? 女の身体になった事は、ヒロト以外知らないはずだ。ヒロトが誰かに話すとも思えない。そもそも、ヒロトの知り合いにこんな子供が居るとは考えにくい。
「な、何を、いきなり……」
焦燥と警戒と緊張と不安がトオルを支配する。少年の笑顔がいやに不気味に感じられた。
「そんなに怖がらないでよ。ちょっとね、おねーさんに頼みたい事があるんだ」
「こ、怖がってなんか──」
「歌を、探して」
「──え?」
どこからか、踏切の警告音が聴こえてくる。
「歌を、探してほしい」
「何、だって?」
具体性に欠ける、謎掛けのような言葉。
「……意味が判らないんだけど」
「ごめんね、生まれたばっかりだから、今はまだ長くは保てないんだ。詳しく話してる時間が無い。じゃ、頼んだからね」
そう言って、消えた。唐突に。忽然と。一瞬で。跡形も無く。
「……………………!」
トオルは脱兎のごとく逃げ出した。
(何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった何も見なかった──!)
今日見た事は忘れようと心に誓うのだった。




