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トオルはよく働いた。朝晩の食事を用意し、洗濯をし、からあげの世話をした。トオルが来てからというもの、不摂生の見本のようだったヒロトの生活レベルは、格段に引き上げられたと言えよう。
今までたったひとりでどうやって生活していたのかと思うくらい、ヒロトは家事に関与しなかったが、ひとつだけ、トオルに忠告した事があった。
「この部屋だけは掃除しなくていいよ」
ヒロトはその部屋を〈スタジオ〉と呼んだ。仕事場として使っているが、高価な音楽機材が沢山置いてあるので、足を踏み入れてはいけないという事だった。トオルは素直に聞き入れたが、ひとつだけ気になったのは、その話をする時に少しだけ見せた、ヒロトの遠い目だった。
トオルは家事の最中、よく歌を歌った。『空の歌』を。
以前は、ここまで頻繁に歌う事はなかったのだが、ヒロトと出会う切っ掛けとなったこの歌は、トオルにとって今や特別なものとなっていた。自分を救ってくれた歌なのだ。
ヒロトにしてみれば、毎日歌を歌いながらくるくるとよく働くトオルに不満の出ようはずもなかったが、トオルの方はヒロトに対して少し負い目を感じていた。タダで住まわせてもらっているのだ。少しでも、生活費を入れた方がいいのではないか?
「バイトします」
ある日、トオルは唐突にそう告げた。
ヒロトはあまり気乗りしなかった。理由は単純で、トオルと一緒に居る時間が減るからだ。ヒロトは引き留め工作に出た。
「お小遣い渡そうか?」
完璧に勘違いしていた。トオルは遊ぶ金が欲しいわけではない。稼ぎたいのはあくまで生活費だ。
「そういうわけなので、バイトします」
聞けば、二人が出会った日に入ったファミレスで、アルバイトの募集をしているのだという。あそこならこの部屋から程近いし、ヒロトも普段から利用している。トオルのシフトに合わせて通いつめる事も可能だ。トオルのウェイトレス姿を思い浮かべつつ、ヒロトは手のひらを返して快諾した。
「じゃ、明日は買い物に行こうか」
「へ?」
翌日、買い物に出掛けた。
連絡用にと、ヒロトはトオルに携帯電話を与えた。
「無いと不便でしょ?」
確かにそうだが、ヒロトがそれを買う義理はない。トオルは固辞したが、結局押し切られて契約する羽目になった。
「月々の支払いは絶対自分でしますからっ」
ヒロトは自分名義での契約なのだし、気にしなくていいと言ったが、トオルもそこだけは譲らなかった。
「じゃ次は服だね」
終始、ヒロトのペースで事が運んでいく。確かにトオルは、女物の服を持っていない。外へ働きに出るなら、必要なものと言える。
ヒロトは片っ端からトオルに試着させ、褒めちぎってはそれを買い与えた。まるで着せ替え人形である。
トオルもトオルで、戸惑いつつも試着を楽しんだ。褒められて悪い気はしない。乗せられやすい性格なのだ。一度袖を通してみれば、意外と抵抗は少なかった。
気が付けばヒロトは、大量の買い物袋を抱えていた。
「すみません……お金が入ったら、絶対返しますから…………」
「気にしなくていいよ。トオルちゃんがかわいい服着てると、俺も嬉しいし」
さらっとこういう事を言う。
「さて、次は下着かな」
「はい……って、ええっ!?」
「いや、要るでしょ」
確かに、要る。今持っているのは、最初に着けていたものと、コンビニで買った三枚いくらの安物のショーツのみなのだ。
「サイズとか、判る?」
「さ、さあ……」
「まあ、仕方ないか。こればっかりは俺が付き合うわけにもいかないしなあ」
少し思案して、ヒロトは携帯を取り出した。
「トオルちゃん、久しぶりねっ」
アヤが来た。
「つーわけで姉貴、頼むわ」
「任せてっ。ばっちり、かわいいの選んであげるわ。あ、それとも、セクシーな下着の方がいいかしら?」
ちらりとヒロトを流し見る。ヒロトは黙って親指を立てた。
「ふ、普通のでいいですからっ」
ランジェリーショップに来た。
店内にひしめくきらびやかなパンツ。そしてブラジャー。この下着を自分が身に着けるのかと思うと…………トオルはちょっぴり、わくわくした。
そんなわけで、下着を購入したのだった。
絶対に色は塗らないという決意。
誰か……。




