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「あんなとこで何してたの?」
「…………」
少女を連れて、ヒロトはファミレスに来ていた。
ドリンクバーを挟んで、差し向かいに座っている。互いに注文は済ませたが、料理はまだ来ていない。
ヒロトの初ナンパにまんまと引っ掛かった少女は、「トオル」と名乗った。
注文の際と名を告げた以外は、こうしてだんまりを決め込んでいる。ヒロトはそれを緊張あるいは恥じらいの為と受け取ったが、トオルには別の事情があった。
(女言葉がしゃべれない……!)
どのような口調でしゃべれば訝しがられずに済むかは判る。だが、有り体に言えば、吹っ切る事が出来なかった。自分は男なのだ。男のメンタリティを保持した状態で女言葉を口にするというのは、殊のほかハードルが高かった。かといって、女の姿で男言葉を使うというのも、妙な気恥ずかしさがあった。違和感のある行動をとって目立つというのは、思春期の少女、いや少年にとっては耐え難いものなのだ。
「ごめんね、急に声なんか掛けて。迷惑だったよね」
自嘲気味に言うヒロトを見て、トオルは慌てた。むしろ、嬉しかったのだ。誰も自分を知らないこの世界で、初めて声を掛けてくれた人なのだから。
「いや、あの……メーワク、とかはしてない、です」
しどろもどろになりながら、なんとか受け答える。
「やっぱり」
「え?」
「話す時の声もかわいいね」
にっこりと笑ってそんな事を言う。
この時、ヒロトには口説いているという意識は全く無い。素である。
トオルはズキューン来た。
「は? え、あの、いきなり、そんな……」
女としてかわいいなどと言われたのは初めてだった。当然だ。女になったのはついさっきなのだから。しかし、そんな事を言われてズキューン来てしまっている事態は憂慮すべきだろう。自分は男なのだ。
「さっきの歌も、すごくきれいだった」
波状攻撃である。
(これはもしや…………口説かれている!?)
口説いていない。
だが、トオルの反応は当然と言えよう。ヒロトの台詞を聞いて誤解するなという方が無理な話なのだ。
トオルは焦った。男である事を打ち明けた方がいいのではないだろうか。例え信じてもらえなくても。変人扱いされても。
「あ、あの!」
トオルの言葉を遮るように、ヒロトの携帯が鳴った。
「あ、姉貴だ。ちょっとごめんね」
軽くトオルに謝罪して、ヒロトは電話に出た。深夜である。いやな予感がヒロトの胸を掠めた。
「もしもし」
「ヒロくん? お姉ちゃんだけど」
「…………何?」
「お姉ちゃん今日、お友達と呑んでたんだけどぉ、終電なくなっちゃって……駅まで迎えに来てほしいのよぅ」
「えー……、今から?」
「うん、今から」
「うーん……」
予感が当たった。こういった事はこれが初めてではない。ヒロトは独り暮らしだが、姉の住む実家はそう遠くない。姉としては、夜遊びしていて帰れなくなったなどと親に言えるはずもなく、車を持っているヒロトを足代わりに使う事はよくあった。
「ちょっと無理だよ。今ファミレスだし。料理まだ来てないし」
「あらぁ、ファミレスっていつものとこ?」
「うん」
「わかったわよぅ。じゃあお姉ちゃん今からそっちに行く。タクシー使って行くからね! お財布苦しいけど!」
『じゃあ』ときた。その接続詞は何と何を繋いだものなのか。疑問を口にする間もなく、通話は切れた。
「あー、ごめんね、ほったらかしにしちゃって」
「いえ、別に……お姉さん、ですか?」
「うん、まあ、そうなんだけど……なんか、ここに来るって」
「へ?」
トオルは面食らった。こんな時間に電話をしてきて会いに来るという事は、何か急な用事でもあるのだろうか。
「あのー、何か用事があるなら、えと」
「いやあ、特に用事なんて無いよ多分。変な人だからさ、うちの姉貴」
「はぁ」
「どうする? 出よっか。ごはん来てないけど」
翻訳すると、逃げたいという事だった。
「いやでも、お姉さんは?」
あと、ごはん食べたい。さすがにそれは口にしなかったが、どちらかと言えばトオルにとってはそっちの方が重要だった。この身体になって以降、食事は一切摂っていないのだ。
「あんまり会わせたくないんだけどなー。なんか身内の恥を晒すみたいで」
独り言のようにヒロトが呟く。
トオルは考えた。やはりここは、自分が引くべきなのだろうか。さっき会ったばかりの男と食事をしている状況で、その家族に紹介されるというのは、さすがに居心地が悪い。
「あの、やっぱり──」
「お待たせ致しました」
料理が運ばれてきた。
「……食べよっか」
「……………………はい」
食欲に屈したのだった。
「さっきさあ」
早々に料理を片付け終えて、ヒロトがトオルに話しかけた。
「はい?」
「何か言いかけてたよね、電話が掛かってきた時」
「あー……」
そうだ。男である事を打ち明けようとしたのだ。しかしあれは、口説かれている状況を咄嗟に打開しようとしただけで、今はタイミングを逸している気がした。
(どうしたものか……)
その時、女性客がひとり、店内に入ってきた。
「姉貴が来たみたいだね」
二人の席に向かってくる。柔らかな雰囲気がヒロトによく似た美人だった。
「ヒロくん……ひとりじゃなかったのね」
「いや、急に電話切るからさ。言う暇無かったよ」
「あの……初めまして」
互いに自己紹介した。ヒロトの姉は「アヤ」と名乗った。
ヒロトの隣に腰掛けたアヤが、興味深げにトオルを見詰める。
「それにしても、まさか彼女と一緒に居るとは思わなかったわぁ」
(──彼女?)
「いや、まだ彼女じゃないって」
(──まだ?)
「あら、そうなの? えぇと、トオルちゃんだっけ? ごめんなさいね、なんか邪魔しちゃって」
(──『トオルちゃん』?)
耳慣れない呼称だった。しかしこれは、反応してはいけない部分なのだろう。女の子がちゃん付けで呼ばれるのは別に特別な事ではない。
(いやでも、トオルちゃんて! え? トオルちゃんなのか? 俺は)
トオルちゃんは混乱した。
「邪魔してると思ってんなら帰ればいいじゃん。大体何しに来たんだよ」
姉に対して忌憚無い物言いをするヒロトを見て、トオルは少しヒロトに対する印象を修正した。以外に子供っぽいところもある。
「あらぁ、つれない。今から家帰ってもお父さんに怒られるから、ヒロくんちに泊めてもらおうと思ったのよぅ。それなのに、こんな時間まで女の子連れ回しちゃってさ」
「連れ回してないよ。さっき会ったばっかで……って、そういえばさ、トオルちゃんはなんでこんな時間にあんな場所に居たの?」
このままこの呼称で定着してしまうのだろうか。ともあれ、ヒロトの疑問は当然だった。
住宅街から少し外れた市街に、ひとり佇んでいたのだ。深夜に開いている店などもほとんど無い。むしろ、繁華街でうろついていた方が自然と言える。
「えーっと……」
言葉に詰まる。それを説明しようとすると、自分の身に起こった怪奇現象まで説明するはめになりそうだ。絶対信じてもらえない。
「家出?」
アヤが尋ねた。
「家出、というか……いや、家出と言えなくもない、ような……」
先程から、半ば意図的に一人称を避けてしゃべろうとしているため、会話が非常に拙いものとなっていた。
「だめよぉ、親御さんに心配かけちゃ」「姉貴が言うな」
「はい……でも、帰る家が無いというか、いや、あるにはあるんですけど、もはや自分の家じゃないというか……」
「まあ」
誤解を生むには充分な発言だった。
「じゃ、今日はどこに泊まるつもりだったの?」
ヒロトが訊いた。
「ネカフェとか……」
「まあ。……ヒロくん、この子泊めてあげたら?」
「「えっ」」
ヒロトとトオルの声が重なった。
「いきなり何言い出すんだよ姉貴」
「ヒロくん、かわいそうだと思わないの?」
「いや、そりゃ思うけど……でも、彼女だって困るでしょ、見ず知らずの男の家に泊まるなんて」
「大丈夫よ、今日はあたしも泊まるから。ね、トオルちゃん、一晩だけでもどう?」
「あの……でも、ヒロトさんが迷惑なんじゃ……」
「いや、俺は別にいいけど……」
「ほら、ヒロくんもこう言ってるし」
どうすべきか。トオルは考える。
当初は、こうなった原因さえ判ればそこから元に戻る為の糸口も見つけられると考えていた。しかし、先ほど母親と会った事で、考えられる可能性は全て潰えてしまった。帰る家も無く、明日を生きる事すら困難なこの状況で、体面を気にして遠慮している場合だろうか? 手持ちの金もそう多くない。一日でも宿泊費が抑えられるのなら、それに越したことは無いのではないか。アヤも泊まるというのなら、間違いが起こる事も無いだろう。
「あの……じゃあ、お言葉に甘えても、いいですか?」
「もちろんよぅ! 歓迎するわ」「姉貴が言うな」
そういう事になった。
途中、コンビニに寄ってお泊りセットを買った。あと女物のパンツとか。




