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少女感覚  作者: 森乃ケイ
イントロ
2/27

 家に帰ると、見知らぬ少女が立っていた。姿見の向こう側に。もはや疑いようもない。どうやらこれが、現在の自分の姿のようだ。

 玄関で立ち尽くしたまま、トオルは姿見を眺めた。


挿絵(By みてみん)


 どこをどう見ても女の子。しかもかなりかわいい。年頃は自分とほぼ同じくらいだろうか。いや、自分自身の年齢を自分と同じくらいと評するのも妙な話ではないか。そもそも、目の前に立っている少女を自分であると言ってしまっていいものかどうか。

「さっぱりわけが判らない」

 とりあえず胸を揉んでみる。

(あ、ブラしてんのか。……という事は)

 制服のスカートを捲った。女物のパンツだった。

「おおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 妙な背徳感を覚えた。が、自分自身に興奮している場合ではない。当然の事ながら、あるべきものがそこにはなかった。一応、パンツを下ろして確認するべきだが、ここは玄関だ。それは部屋に帰ってからのお楽しみにしておこう。

 いそいそと自室へ。



「ふぅ」

 女の子についての知識が身に付いた。ついでに、冷静な思考も取り戻す事が出来た。

 冷静な頭でトオルは、自分の身に起こっている事について考える事にした。まず、なぜ女の子の身体になってしまったのか。

 可能性その一。何かの病気でこうなった。

 かなり無理のある仮説だ。まず、服装まで女子の制服になっているという時点でおかしい。さすがにこれは除外していいだろう。同様に、肉体のみが変化したという系統の仮説は全て除外しても構わないはずだ。

 可能性その二。どこかの女の子と精神が入れ替わった。

 出来の悪いオカルトだが、自分の身に起きている現象自体が既に理解の範疇を超えているので、一概に無いとは言えない。そういえば、この身体になる直前、制服姿の女の子を見かけたではないか。あの時、瞬間的に視界が変わったせいで混乱していたが、自分の立っていた位置はちょうど女の子が居た辺りだったように思う。となると、急に男の身体になって戸惑っている女の子がどこかに居るはずだ。踏み切りの向こう側、最初に自分が立っていた辺りはどんな様子だったか。よく覚えていないが、サラリーマン風と女子大生風と自転車男の三人しか居なかったように思う。いや、あの時は電車で視界が遮られていたのだ。その間に、どこかへ行ってしまったという事も充分に考えられる。かなり有力な仮説と言えよう。

 可能性その三。宇宙人にさらわれて女の子に改造された。

「いや待てよ」

 これはひどい。だが、思い付いてしまったものは仕方がないので、そのまま考察を進めた。

 まず、一瞬で立っている場所が変わったという点。これは実のところ、記憶が抜け落ちたという可能性も考えられるのだ。前後の記憶があまりにシームレスに繋がっているのが不自然といえば不自然だが……。それも、宇宙人がやったと考えれば、どうとでもなる。記憶が途切れているという前提の仮説であれば、まず確認すべきは現在の日時だ。

 トオルは携帯を取り出して、時間を確認した。最後に時計を見た時点から現在時刻までの辻褄は合っている気がする。日付も今日の日付だ。だがしかし、宇宙人は携帯の時刻も操作しているかもしれない。部屋の時計、カレンダーを確認する。いずれも今日が今日である事を示していた。次いでPCを立ち上げる。PCの時刻も正常。適当にニュースサイト等を見て回ったが、日時に破綻は見られなかった。やはり宇宙人説は無理があったようだ。

 そうなると、精神入れ替わり説がもっとも有力な説という事だろうか。しかし、ひとつ気に掛かる事があった。今のトオルの顔は、男だった時のものと非常によく似ているのだ。

兄妹と言っても差し支えのないほどに。

 本当にこの身体は、赤の他人のものなのだろうか……?

 いずれにしても、これ以上考えていても埒が明かない事は確かだった。今、自分が石田トオルであると証明できるのは、自分自身のみなのだ。今はまだ誰も家に帰ってきていないが、パートに出ている母親もじきに帰宅する。何を言っても、自分がトオルであるとは信じてもらえないだろう。今出来る事は、どこかに女の子の精神入りの自分が居ると信じて、それを探す事だ。そうと決まれば、行動は早い方がいい。

「その前におしっこ行こう」

 ちょっぴりワクワクしながらトイレに向かった。



「ふぅ」

 女の子についての知識がさらに身に付いた。

 私服に着替えて、いくつかの荷物をバッグに詰める。

 両親には書き置きを残したが、これで時間を稼ぐ事は難しいだろう。今まで、特に素行が悪かったわけでもなく、家出らしい家出をするのはこれが初めてなのだ。なるべく早急に自分の本体を見つけなければならない。

(父さん、母さん、心配掛けて──ごめん)

 両親に懺悔しながら、家を出た。



 自分の本体を探すといっても、手掛かりは非常に少ない。トオルは、とりあえず例の踏切に足を運んだ。しかし、やはりそこに自分の姿を見つける事は出来なかった。

 既に日も暮れている。まずは当面の宿を確保する事が先決だろうか。

(ふーむ、一体どうすれば…………あ)

 そういえば、最初に着ていた制服はうちの学校のものではないか。制服の中に何か手掛かりがあるかも知れない。ポケットの中に生徒手帳なんかがあれば儲けものだ。制服ならバッグに詰めて持ってきてある。

 今ここで女子の制服を広げるのはまずい気がしたので、ひとまず人気のない場所に移動する事にした。

(この辺でいいか)

 早速荷物を検める。バッグから制服を取り出し、ポケットを確かめた。果たして、生徒手帳はそこにあった。

(ビンゴ! どれどれ……)

 中を確かめて、愕然とした。


   二年二組 石田トオル


 確かにそう書かれている。

 同じ学校、同じ学年、同じクラス、同じ名前。そして、全く知らない女の子。

(なんで……どういう事だよ一体。あり得ない!)

 まるで異世界にでも迷い込んだかのような錯覚を覚えた。

(異世界だって?)

 馬鹿馬鹿しいなどと笑う事は出来ない。もしかしたらここは本当に、異世界なのではないか。いわゆるパラレルワールドというやつだ。トオルが女として生まれたifの世界。

 女になってからの記憶を辿る。今までに、トオルの事を知る人間とは一切接触していない。確認しなければ。果たして、女のトオルを知っている人間がこの世界に居るのかを。

 トオルは駆け出した。



 家に辿り着くとトオルは、乱れた呼吸を整えながら、この後の行動をシミュレートした。この時間なら母親も既に帰宅しているはずだ。

 まず、顔を合わせた最初の反応を見る。もし我が子として接してきたなら、妙な書き置きを残した事を謝って、そのまま帰宅してしまえばいい。この時点で問題は何ひとつ解決しないが、当面の生活基盤が保障されるという点で、かなりの余裕が出来るはずだ。

 逆に、もし母親がトオルをトオルと認識出来ないようなら……。

(その時は、トオルのクラスメイトを演じるんだ)

 緊張の面持ちでインターフォンを押す。

 予想通り、母親が出た。

「はい…………どなた?」

 初対面の対応だった。

(──あれ?)

 正直、予想はしていたが想像は出来ていなかった。ここは、パラレルワールドではない?

 そこでふと思い至る。今トオルが着ている服は、男物の服だった。トオルの部屋にあったものなのだから、当然だ。

 そうだ、あの部屋は間違いなく自分の部屋だった。男である自分の。

「あ……の……」

 上手く言葉が出ない。訝しげな目で母親がこちらを見詰めている。

 失敗した。目を合わせられない。どうしよう。どうする?

 気が付けば駆け出していた。いや、逃げ出していた。

 全速力で夜道を走り抜ける。一刻も早くこの場を離れたかった。

(くそ……! 何なんだ、この世界は一体何なんだよ!)

 がむしゃらに走った。


     *


 薄暗い部屋でひとり、中村ヒロトはPCに向かっていた。

 室内は種々の音楽機材で取り囲まれ、そのうちのいくつかはLCDやLEDが無機質な光を放っていた。それらは無造作に配置されたスタンドライトやスポットライトによって淡く照らされており、二種類の対照的な光が室内を独特の雰囲気で包んでいた。

 これらのライトは、インテリアとして置かれているわけではない。

 ヒロトは暗い部屋を好んだが、部屋の照明を落としてしまうと室内の明かりはPCのモニタのみとなる。高価な機材もあるこの部屋で、行動が制限されない程度に明るく、眩しさが気にならない程度に暗い照明として、適当に選んだものを置いているに過ぎなかった。

 照明も含め、完全に音楽制作に特化したこの部屋で、以前は一日の大半を過ごす事も珍しくなかったが、ここ二ヶ月ほどの間、この部屋から新しい音楽は生まれていない。かつて、あんなにも激しく自らを掻き立てた作曲に対する衝動が、今は枯渇していた。

 所在なげにマウスを操作する。モニタには、DAWと呼ばれる音楽制作システムの画面が映し出されていたが、ピアノロールのウィンドウにはひとつのノートも打ち込まれてはいなかった。

 無為に時間を消費している自覚はあったが、頭の中にはけし粒ほどのアイデアも浮かんでこない。

 ひとつため息を()いて、まっさらなプロジェクトを閉じた。代わりに、“on_sana_018.cpr”というファイル名のプロジェクトを開く。立ち上げられたウィンドウにはいくつものトラックが表示され、それぞれにオーディオやMIDIのイベントが配置されていた。

 ひとつだけ、イベントの置かれていないトラックがあった。そのトラックには、小さなフォントで『vocal』と書かれていた。

 ゆっくりとポインタを動かし、再生ボタンの上に乗せる。

 人差し指は動かない。

 どれくらいの時間そうしていただろうか。結局何もせずに、そのプロジェクトも閉じた。

 空腹を覚えて立ち上がった。食料はもう無かったかも知れない。冷蔵庫を確認する。やはりろくなものがなかった。

(コンビニ行くか……)

 財布を持って家を出た。



 少し肌寒い夜の道を歩く。時刻は午前零時を回っていた。

 歩道橋に差し掛かった時、歌声が聴こえた。ふと歩道橋を見上げると、そこにひとりの女の子が居た。この子が歌っているのだ。欄干にもたれかかって、道路を見下ろしながら。近づくと、歌声が明瞭さを増す。繊細でありながら、倍音のよく乗った張りのある音。さして大きな声で歌っているわけでもないのに、その音はノイズを洗い流すかのようによく響いた。印象的なのは長音部で、ビブラートを一切使っていないにも拘わらず、レベルも音程も危なげなく一定の強さ、高さを保っていた。しかし、無機質な印象を与えない。通常、ピッチの揺らぎは音に柔らかさを与える。ビブラートを捨てても尚、音が硬くならないのは恐らく、時折入る、半音ほど下から発音を始めて目的のピッチへ移動させる歌い方のせいだろう。これは特にこの少女特有の歌い方という訳ではなく、むしろ大半の人間が音を取るためにこのような歌い方をするのだが、これが音の印象を柔らかくしている。

(なんて、きれいな音……)

 この瞬間、理想そのものを現象化したようなその“音”に、ヒロトは恋をした。

 音が止んだ。少女がヒロトに気付いたのだ。気が付けば、彼我の距離は互いの顔が識別出来るほどに近づいていた。

 少女がヒロトに背を向けた。

(あ……)

 行ってしまう。理想の音が。

「『空の歌』」

 咄嗟に声を掛けていた。

 ヒロトの声に、少女が振り返る。

「『空の歌』だよね、今の」

 少女の目が驚きに見開かれる。当然だ。マイナーどころの話ではない。恐らく、この曲を知っている人間など世界中を探しても五〇人にも満たないはずだ。四年ほど前、ネットの片隅でひっそりとUPされたその曲のダウンロード数は、アクセス解析によれば、ユニーク数にしておよそ四〇前後。ヒロトはそれを知る立場にあった。

 その曲は、かつてヒロトが作った曲だった。


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