息子が彼氏を連れてきた! Short stories 3
おなじみのシリーズShort storiesの第3弾になります。前作『広瀬家と明石家の長い一日』を受けた話になっています。今まで同様過去作を御存じない方にはわかりにくいかと思いますが、気楽にお楽しみ頂けると幸いです。なお作中「嫁」という表現が出てきますが、本来は舅姑が使う言葉です。パートナー的な意味合いで使用しましたが、厳密には正しくないことをおことわりしておきます。
1 鑑賞会—綾乃とアイミ—
その日私・広瀬綾乃は親友アイミのマンションに泊めてもらった。ビデオ撮影した映像を二人で早速楽し…チェックするためである。何の映像かと言えば、わが広瀬家と明石家の親睦会というか食事会の模様を収めたものである。広瀬家と明石家が何なのかと言えば、私の弟・広瀬暁人とその恋人明石実央君の実家という事なのである。暁人はそこで実央君に指輪を贈ったのだから、結婚式と言ってもいいようなものなのであるが…。
二人の付き合いは大学時代から始まって、この夏で6年目に突入というところ。同居も2年目に入っている。同性同士のお付き合いはもちろん順風満帆とはいかなくて、うちの母親の猛反対や暁人の勤務先でのトラブル等々様々な出来事があった。まあ社内トラブルに関しては暁人も話したがらず、私も詳しい事は知らないのだが…。
「うーん、やっぱり音声は今一つだね。離れた場所で撮っていたからしょうがないか…」
私はため息を吐いた。
「離れた場所って言ってもレストランの中に二人もカメラマンがいたのに、綾乃が言うまで暁人君は気が付かなかったんだね」
ルイボスティーを飲みつつ、アイミが言う。
「三松さんとかはすぐ気付いてたけどね。暁人は神経の8割方実央君に向いていたし、残りの2割で親姉弟の動向に気を配っていたし…いや2割もないか…」
私は苦笑いした。食事会は暁人・実央君の専用席と他の来客用のテーブルが3つ、お店が用意してくれた立食用テーブルが3つ。着席用の一つには両家の両親と実央君の叔母様、もう一つには私と下の弟篤紀、アイミに、実央君の大学の先輩三松晴奈さん。実央君と篤紀と三松さんはK大の経済学部で暁人は理工学部。残りの一つは暁人の会社・仕事関係の6人だった。
「私は改めてお話ししなかったけれど、暁人君のお仕事関係も面白そうな人多かったわね」
アイミがクスクス笑いながら話す。今日食事会を開いた”le Soleil”というレストランのオーナーは、出席者の一人で暁人の営業部時代の先輩大野さんのお兄さんである。
「そうそう、なかなか面白かったわよ、腐女子的には」
私は引き出物?のワインで飲み直しながらそう言った。
私とアイミは腐女子である。アイミは人気急上昇中のBL漫画家で、私はOLをする傍ら同人誌時代から彼女のサポートを買って出ている。今日の出席者の中で実央君のお母さん実和子さん・叔母さんの北原真知さんも腐女子仲間だ。そしてもう一人—
「会社席の秘書課の金沢冴子さん、彼女も腐女子よ」
私は金沢さんにもらった名刺をアイミに見せた。
「ナルホドね…じゃあ『富士吉田市御一行様』は…」
「そう、大室精密(株)社内の腐女子の集まりよ。金沢さんは年齢的にみても多分まとめ役」
ちょっと失礼だったかもしれないが、私はアイミにそう言った。見た感じ金沢さんは40代半ばから後半と言ったところだろう。
今日の食事会に暁人の会社関係から3通のメッセージカードが届いていた。1通は暁人が最初に所属していた営業部から。その時の先輩が2名出席していたので、その関係で届いたものらしい。もう1通は現在所属している広報部から。実は広報部の一人が腐女子会に所属?しているので、多分そこからの情報だろう(※すでに「会」認定)。
そもそも腐女子会に今日の食事会の事を漏らしたのは、弟の篤紀だ。篤紀は今年兄暁人と同じ大室精密にちゃっかり入社した。これについてはかなり暁人の怒りを買ったが、まあその話は置いておこう(※『広瀬家の諸問題』参照)。篤紀は暁人から食事会の事を社内で話すなと言われていたにも拘らず、どうも部の先輩に漏らしてしまったらしい。その先輩というのが腐女子会の一人湯浅さんだったというわけだ。
もっとも篤紀は「腐女子会」の存在には気づいていない。なぜ私たちがそれに気付いたかというと3通目のメッセージが女性5人の連名で部署はバラバラ、しかもご丁寧に「富士吉田市より愛をこめて」と締めくくられていたからだ。腐女子にしかわからない暗号—「富士吉田市→ふじよしだし→腐女子だし」というシャレにアイミがいち早くピンと来たのである。メッセージの内容も暁人と実央君を熱烈応援するものだった。他の来客は彼女たちが旅行中だと思ったようである。
私は会社のテーブルに挨拶に行った時にそのメッセージに触れ、探りを入れてみた。すると金沢さんが「あの子たちは…」と言ったのである。
(もしかすると金沢さんも…?)
私はそう思った。金沢さんは元々出席予定者には入っていなかったが、直前になって参加が決まったという。腐女子会のメンバーなら、こんなおいしいイベントには当然顔を出したいだろう。諸々の経緯があって暁人に同性の恋人がいる事は、本社内に知れ渡っている。しかも金沢さんは暁人の採用面接の時の面接官の一人だ。暁人の恋人の事はその時から知っているだろう(※『同僚の恋の話』参照・暁人は面接時に同性の恋人の存在を告白しています)。
食事会の終了後、金沢さんは私に接触してきた。カメラマンを手配したのは私だと、挨拶の時に知らせていたからだ。金沢さんは私に映像データのコピーを譲ってほしいと頼んできた。ご自身が腐女子である事もお認めになった。私は自分は腐バレする事なく金沢さんと連絡先を交換。暁人があまり喋りたがらない社内の情報が、何がしか得られるかもしれないと踏んだのだ。
別に私は興味本位で弟の社内情報を得ようとしているわけではない。当然姉としての心配からである。暁人が実央君を家族に紹介してからずーーーっと、それはもう知力財力労力を傾けて二人を熱烈支援してきたのだ(※……)。まあアイミの作品のネタ作りには貢献してもらいましたよ、それなりに。
「私今日の食事会でいくつかストーリー思いついちゃった」
アイミが映像を視聴しながら話す。
「え、どんなの?聞かせてよ」
私は身を乗り出した。
「岩城さんを使うの、彼なかなかいい素材だわ」
岩城さんというのは暁人と同期のイケメンで採用試験での面接グループも一緒、入社して最初の配属も同じ営業部だった。現在は暁人と離れ秘書課に所属しているという。金沢さんは彼の今の上司だ。暁人の話だとかなりの女好きというかタラシというかヤリ〇ンらしい。まあ女グセの悪さはともかく暁人とはずっと仲良しで、暁人も彼の事をかなり信頼しているようだった。実央君に指輪を贈る時に立会人を頼んだくらいだし、”le Soleil”も大野さん経由ではあるが岩城さんの紹介だった。
「彼は本当に暁人の事が好きなのかしら?まあ今日はおふざけでずいぶんボディタッチが多かったようだけれど」
アイミの見立てでは、岩城さんは暁人に惚れているらしい。
「家に帰ったら改めて映像で岩城さんの様子を観察するといいわ。暁人君ばかり目で追っているから。暁人君と実央君と岩城さんのトライアングル、暁人君と篤紀君と岩城さんのトライアングルもいいわね。どちらもいい題材になりそう」
「篤紀も絡めるの!?」
私はアイミの発想にちょっと驚いた。
「どちらかをブラコン設定にしたらいいかも、どう?」
「うーん、ブラコン要素は実際にはあまりなさそうだけれど…篤紀はまあまあお兄ちゃん子だわね。学校どころか会社まで付いていっちゃったし…。暁人はソツなく優秀なタイプだから、それに対する篤紀のコンプレックスは確かに強いみたいだけれど」
アイミはそこにどう岩城さんを絡めるのか…同じ秘書課の金沢さんに、うまいこと探りを入れられないかしらね。
「それにしても暁人ったらあっち行ったりこっち行ったりと、バタバタして落ち着きがないわねえ」
改めて動画を見て、私は呆れてしまった。
「実央君がオーナーさんやシェフさんと話してると、すぐ飛んでくよね」
アイミもおかしそうに笑っている。
「オーナーさんとシェフさんは恋人同士なんだから、下手な心配する事ないのにね」
私が言うと、
「そうそう、そこもネタになりそう」
アイミは嬉しそうだ。オーナーの大野尊さんはゲイで、脱サラして恋人のシェフ篠原さんと”le Soleil”をオープンさせたのである。
「お店のスタッフも全員男性?皆さんそちら側なのかしら?」
「どうかしらね、厨房には女性スタッフもいるみたいよ」
「暁人君の先輩の大野弟さんと山下さんもいい感じよねえ、でも大野さんの方が結婚しちゃっているからなあ。金沢さんがこの二人をニコニコして見ているわよね」
「あー、金沢さん妄想中かも」
腐女子の話題は尽きることがなかったが、
「私たちの管轄外だけれど、篤紀君と三松さんもくっつきそうよね」
アイミがふとそう言った。食事会の最中もそんな話をしていたな。三松さんは篤紀より2コ年上で、3,4年が所属する大学の研究室では入れ違いになっている。それでも実央君絡みでご縁があって結構親しくなったらしい(※『研究室の三松さん』参照)。
「三松さんて言えばさあ…」
私は彼女にもらった名刺を取り出した。
「彼女が勤める高階出版て聞き覚えがあるんだけれど、アイミ関係ではないよね」
「今のところご縁はないわね…えーと…あ、もしかして」
アイミが何か思い出したらしい。
「暁人君のお見合い相手が出版社じゃなかったっけ?」
「あ、そうだ、あの時の…たしか高階出版て言ってた!」
私とアイミは思わず顔を見合わせる。この時私は珍しくBL以外の方面で妄想をしてしまった。
(…篤紀が三松さんと結婚する…結婚式に職場の人を招待する…もしその中にあの…あのお見合い相手がいたとすると、なんだかものすごく気まずいシチュになるんじゃなかろうか…篤紀の結婚式なら当然実央君だって親族扱いで出席するし…)
「…今綾乃が考えている事、大体わかるけど…」
「…うん、まあ、あくまで可能性の話よね。同じ編集部とは限らないし。今考えても仕方がないわ」
私は暁人のお見合い話を思い出したところで、母の事を考え始めた。暁人のお見合いというのは、3年前暁人と実央君を何とか別れさせようとした母が仕組んだものだった。暁人はゲイってわけではないから、素敵な女性と引き合わせれば気が変わると思ったのだろう。そんな母の目論見はあっさり崩された。お見合い相手はとても素敵な女性だったが、暁人は微動だにしなかった。まあ、途中私がお見合いぶち壊しに乱入したという事情もあったのではあるが…
正直私は母の事をまだ疑っている。今日のところはおとなしくしていたようだが、まだ一発逆転を狙っているかもしれない。しかしどんな最強打者が母の味方に付いたとしても、逆転満塁サヨナラホームランはあり得ない。母の完封負けはもう確定事項なのだ(※えーと、逆転満塁サヨナラホームランと完封負けは矛盾しているような気がしますが…まあ、いいか)。
「お母さん、本当に諦めて…いや、二人の事を認めてくれたのかしら」
不安が言葉になって出てしまった。
「今日の様子を見たら、お認めにならざるを得ないんじゃないの?社内にあんなに援軍がいるんだもの。あ、この社内ネタもいいわね。使えそう」
アイミはBL漫画家としての好奇心を隠さない。
「それならいいんだけれど…ああ、ここ…」
私は気になる場面をもう一度再生した。
「ここでいきなり抱き合うって…ちょっと揉めてる雰囲気だったのにどういう展開かしら」
「実央君、箱根の一件気にしていたみたいだものね」
アイミはいつのまにかルイボスティーからワインにシフトしていた(箱根の一件は『兄貴の彼氏と俺の話』・『研究室の三松さん』をご参照下さい)。
「私ねえ、ホントに心配なのよ、暁人のこと」
「スパダリなのに?」
「茶化さないでよ、スパダリにしては余裕なさすぎよ」
ワインを飲む手を止めてため息を吐く。
「実央君に捨てられたら暁人は出家するって前に冗談で言ったけど、冗談じゃなくなるわ、きっと。春に二人が喧嘩した話アイミにもしたでしょ」
「うん、すぐメールくれたよね。『実央の匂いが違ってた』だっけ?」
「そうそう、仮に実央君が誰かに抱きしめられたとしたって、そんなのわかる?」
「タバコとか香水の匂いでもすればね、でもそうじゃなかったって綾乃も言ってたわよね。実央君、リセッ〇ュみたいな消臭スプレーとか制汗剤使ってみたらどうかしら」
アイミは大まじめな顔で提案してくる。
「さすがに消臭スプレーは人体には使えないわよ」
私は笑ってアイミに応じたが、
「それがねえ、暁人ってばそういうグッズを使ったら使ったで、ちゃんと気が付くんだって。実央君の匂いが大好きだから、ちょっとした変化にも敏感らしいのよ。もう立派なヘンタイ攻め様だわ」(※「立派」とは…?)
私はさらに大きなため息を吐いた。
「嫉妬深い執着攻めはBL作品の中ならご馳走だけれど、現実世界じゃちょっとウザいっていうか重くて疲れるというか…私だったら絶対ゴメンだわ」
私は今日の映像を見つめつつ、弟カップルの行く末を心底案じてしまったのだ。
映像を観ながら私は今日利用したお店の事を思い出していた。
「お料理はみんな美味しかったわよねー、特に鴨のロースト最高!絶対また食べに行くわ」
「そうだよね、私のアレルギーにもちゃんと対応してくれたし、ありがたかったわ。『勉強になりました』なんて言われて恐縮しちゃった。編集さんとの改まった打ち合わせの時にも利用させてもらおう」
「経費で落とせるしね」
私たちは声に出して笑い合った。
「アイミの仕事が一段落ついたら、ぜったい北海道に行こうね」
北海道は実央君のお母さん・実和子さんの実家があるところ。今日妹の真知さんから、実和子さんが持っているBlの紙の本が実家にたくさん残っていると聞いたのだ。実和子さんと私は初めから暁人・実央君を応援する同士で頑張ってきたのである。だから今日の食事会には感慨深いものがあった。
「そうそう、篠原さんのご実家の山梨のワイナリーにも行かないと…」
私がそう言いかけた時、映像は終わりの方の両親の挨拶の場面になっていた。「結婚式みたいだからやめてくれ」と暁人が止めに入ったのだが、父親二人、気分が良かったのか並んで来客に挨拶をしたのだ。父の謝辞に続いて、実央君のお父さん・匠さんが挨拶をした。
<この先いい事ばかりではないでしょうが、何卒お力添え賜りますよう、お願い申し上げます>
…そうね、暁人たちは今周囲の人たちに恵まれているけれど、理解のない人だってこれから現れるかもしれない。今日一日があまりに幸せな雰囲気だった反動なのか、私はふいに不安な気持ちに襲われた。
(あの二人なら絶対に大丈夫…)
「綾乃?」
私が急に黙ってしまったので、アイミが私の顔を覗き込んだ。
「ああ、ゴメン。も一回指輪のところ観てもいい?」
「何度でもどうぞ」
アイミは笑顔で答えた。画面にはお互い指輪を嵌めてハグする二人の姿が映っていた。
(頑張りなさいよ、暁人。何があっても実央君を守れるのはあんただけなんだからね)
私は不安な気持ちに蓋をするように、画面に映る暁人と、そして自分自身に活を入れ直すのだった。
おしまい
2 腐女子会リターンズ
今年の春、ビッグニュースが我が大室精密腐女子会を駆け巡った(※6人だけですが)。私はもう腐女子会の会合?を待ちきれずに、メンバー全員にラ〇ンを送った。
<今年の経理部の新入社員、あの広瀬さんの弟君!!ビジュアル良き!!>
すぐに既読がついて返事が来る。
<マジ!?>
<久々の快挙!!>
<どんなタイプ?広瀬さんに似てる?名前は?>
私・湯浅真理は大室精密(株)経理部に勤めるOL、そしてモチロン腐女子です。
腐女子としての楽しみ方は人それぞれ、まあほとんどの人はコミック・小説は外せないっしょ。性癖もまた人それぞれ、私は夜明けの腐女子です。メンバーには光も闇もおりますよ。昨今は映像化も次々決まって、嬉しい悲鳴です、時間が足りないよー。
そしてそして、現実世界での妄想BLも楽しんだりしています。例えば街でイケメンが二人で歩いているのを見かけると、「おっ、これは」と目で追ってしまう。友達?同僚?上司と部下?―勝手に関係性を想像して、ストーリーを作っちゃったりして。しかしですよ、我が大室精密には妄想できる人材が、いかんせん不足しておりました。
それが3年前、営業部に広瀬暁人・岩城諒という期待の新星が二人も現れたのですよ!もうこの二人のビジュアルは社内でもダントツで!!なんで二人とも同じ部署なのという恨み節も聞かれたけれど、彼らが並んで仕事をする様子は、そりゃあ眼福モノだった。腐女子会のメンバーに営業部がいなかったのは残念だったが、「岩城×広瀬」か「広瀬×岩城」かで、そりゃあ私たちは盛り上がったのだ。ちなみに私は前者推しです♡
しかもですよ、二人が入社した年の夏、広瀬さんに「彼氏」がいる事が判明。その話が出た経緯は端折るけど、噂は一気に社内を駆け巡った(※『同僚の恋の話』参照)。当初はモテる広瀬さんをやっかんだのではないかとか、早々と広瀬さんに告って振られた女子社員の逆恨みじゃないかとか色々憶測を呼んだのだが、広瀬さんご自身があっさりとお認めになった。確かに広瀬さんはどんなに合コンに誘われても、絶対に参加はしていなかった。
当然腐女子会は大盛り上がりだ。メンバー最長老…じゃなくて最年長・秘書課の金沢冴子さんは広瀬さんの採用面接を担当したこともあって、「彼氏」の件は知っていたらしい。ただ守秘義務があったから、さすがに私たちにも言えずにいたのだという。この上ない人材を得た大室精密だったが、その後は残念ながら不発だった。
営業部で2年を超えた頃二人は、別部署に異動になった。うちの社の方針で、本人の希望部署とはあえて違う部署を5年くらいは経験させられる。適性を見るという事もあるし、部署同士の相互理解を深めるという意味合いもあるらしい。私も最初は庶務課だっただった。去年の5月、岩城さんは秘書課・広瀬さんは広報部に異動になった。二人のツーショが拝めなくなった事は寂しいが、秘書課には金沢さん・広報部にはメンバーの一人城下紗弓ちゃんが所属している。そう、格段に彼らの情報が得られやすくなったのだ。
実は私は、妄想ではなく実際岩城さんは広瀬さんの事が好きなのではと疑っている。岩城さんは女遊びが激しいという話も聞いているが、それはそれ、これはこれ(※?)。金沢さんには「あくまで妄想」と取り合ってもらえないが、紗弓ちゃんにはけっこう支持されている。部署が別れてからも、岩城さんはよく広報部に顔出ししているらしい。
広瀬さんは広瀬さんで愛妻弁当を見せびらかすなど、彼氏さんとの仲は順調らしかった(※見せびらかしてはいないです)。私は一度、好奇心に負けて退社後の広瀬さんを付けたことがある。その時運よく実央君…あ、実央君は広瀬さんの彼氏の名前なんだけれど、彼に遭遇することができた。可愛い印象の実央君と広瀬さんが並んだ姿は、もう最高だった!でもこれは私だけの秘密である。
あ、話が逸れちゃったけれど、とにかく岩城さんと広瀬さんの入社以後は妄想人材が不発だったのよね。ところがこの春、なんと我が経理部に目の覚めるような元気系イケメンが降臨した(※大げさ)。
「広瀬篤紀です、よろしくお願いいたします」
広瀬!?広瀬って言った!?偶然…いや、似てるわ広瀬さんに!タイプは違うけれど、似てる!
「広瀬君て広報部の広瀬さんの兄弟?親戚?」
私は挨拶もそこそこに彼に質問してしまったのだった。
「えー、わかります?広瀬暁人は俺の…僕の3つ上の兄貴っす」
広瀬弟君は軽いノリでそう答えてくれた。やったわ!!これで広瀬さんとの太いパイプができた!(※パイプとは…?)。実央君の事も何か聞けるかもしれない。何より彼自身がいい「素材」だ。ただ入った早々新入社員にグイグイいくとあらぬ誤解を生んでしまうので、はじめは注意深く様子を見た。今年経理部に入った新入社員は広瀬君の他女子2名。私はうまい具合に新人の教育係の一人に選ばれた。
(これで多少は合法的に?広瀬弟君に近づける!)
広瀬弟君…もう篤紀君でいいか、彼が経理部に来て半月ほど経ったある日の昼休み、私は腐女子会の紗弓ちゃんと松本レイナさんと社食で昼食をとっていた。すると定食がのったトレーを持ったままキョロキョロして空いた席を探している篤紀君が目に入った。うちの社食はグループで食べる円テーブルと長いテーブルが置かれていて結構広いが、一番込み合う時間帯は席の確保もなかなか大変なのである。
「広瀬君、こっちこっち」
円テーブルに座っていた私は席に余裕があったので、思い切って篤紀君に声を掛けた。
「一人ならこっちにおいでよ、一緒に食べよう」
女性ばかりだったのでちょっと照れくさそうだったが、人懐こい性格なのか篤紀君は「ありがとうございます」と素直に私たちのテーブルに着いた。
「こちらは海外営業部の松本レイナさんと広報部の城下紗弓さんよ」
私は他の二人を紹介。紗弓ちゃんはお兄さんの暁人さんと同じ部署だし、レイナさんは少し前に暁人さんと一緒にカナダ出張したばかりだった。篤紀君が「社食の生姜焼きも美味しいけれど、実央君の作った方が美味しい」といった言ったところで、自然に暁人さんの彼氏さんの話になった。よしよしイイ流れだぞ…と思ったのにジャマが入った。
「あれれー、イケメン君の弟はやっぱり違うねえ、早速女性に囲まれちゃって」
サポート課の矢森が篤紀君にちょっかいを掛けてきた。営業部には腐女子会メンバーはいないけれど私と同期の知り合いがいて、暁人さんが営業部に在籍中こいつがちょくちょく嫌味を言っていたという話は聞いていた。懲りない奴だな、弟の方にまで嫌がらせをするのかよ(※真理さん、お言葉遣いが…)。しかしレイナさんの「あっち行け」的なキツイ一言でヤモリはすごすごと退散。
すると今度は岩城さんが声を掛けてきた。
「おや、早速美女たちに囲まれてるのか?」
すでに篤紀君とは顔なじみなようで、篤紀君もパッと顔を明るくした。あ、なんかイイ感じ?岩城さんは実央君とも面識があると紗弓ちゃんから聞いていた。しかも私の「岩城さんは暁人さんに惚れている」説に傾倒してくれている紗弓ちゃんは、その事を岩城さん自身に確かめたらしい。彼女の勇気ある行動には、敬意を表します(※褒めていいのか?)。まあ岩城さんにははぐらかされたらしいけど。
会話の中で紗弓ちゃんが「てっきり弟さんの方に鞍替えするのかと」と水を向けたが、岩城さんはとぼけて取り合わなかった。岩城さんが社食を出るのを見送って「岩城さんも健気よねえ」と私が言った言葉も、篤紀君は意味不明という感じだったのだが…だが…
「皆さんBLってご存じですか?」
篤紀君の想定外の一言に私たち3人は固まってしまった。「BL」?「BL」って言った、今!?
広瀬兄弟は似ているけれどタイプが違うね、という話から飛び出してきた篤紀君の衝撃のセリフだ。
「高校の時ね、クラスの腐女子に言われたことがあって。俺は『年下ワンコ攻め』タイプだって。初めなんのことか全然わからなくて」
「へ、へぇ~、そうなんだ、『年下ワンコ攻め』ね…なるほど…」
「スミマセン、BLなんて言って。そんなに読む人いないっすよね」
「ど、どうだろうね、紗弓ちゃん…」
「どうかしらね…」
なんだか私たちは、とてもギクシャクとした会話をする羽目になった。今時中学高校だと1クラスに2,3人は腐女子がいる時代だしね(※それはどうだろう…)。「年下ワンコ攻め」か…つまり「篤紀×岩城」もアリって事よね!(※あくまで妄想の話です)。いや、逆も捨てがたいなー。
その日から篤紀君はなんとなく腐女子会テーブルで昼食をとることが多くなった。私が一緒の事が多かったが、メンバーは日によって入れ替わった。私の事を「広瀬さんの弟狙い」と陰口を叩く奴らもいたが、そんな事は気にしない。私は現在フリーだが、自分の妄想対象に恋する事はないからだ。いや、できないといった方が正確かな。
篤紀君が入社して4か月ほど経った。仕事にも経理部の雰囲気にもだいぶ慣れてきたようだった。ご家族には「経理部とか似合わない」と笑われたそうだが。真夏の暑さがしんどくなってきたある日の昼休み、いつものように私たちはランチを楽しんでいた。
「毎日暑くていやになるわねえ、みんなは今年の夏休みの予定決まってるの?」
メンバーの一人庶務課の市川有彩さんが聞いてきた。今日テーブルにいるのは私と有彩さん、レイナさんと篤紀君の4人だ。紗弓ちゃんは一足早く夏休みを取っている。金沢さんと経営企画部の諸星葵ちゃんは仕事の都合で今日は不在。
「私は例年通り父の実家のカナダ帰省。祖父母に顔見世よ」
レイナさんが答えた。レイナさんはお父さんがカナダ人・お母さんが日本人だ。幼少期はカナダで暮らしていたそうだが、お父さんが日本の生活を気に入って現在はこちらで暮らしている。
「いいなぁ、毎年カナダかー」
私は素直に羨ましがる。
「いいっすねー、カナダ。なんだか涼しそうで。出張の時兄貴がお土産に買って来てくれたメープルシロップ、めちゃ美味しかったっすよ」
篤紀君が陽気に話す。
「広瀬君は何か予定とかあるの?ご家族でご旅行とか…」
私はそれとなく探りを入れてみた。篤紀君とランチをとるようになって、怪しまれないように少しずつ、私たち(=腐女子会メンバー)はお兄さんカップルの情報を仕入れているのである。篤紀君は残業や飲み会で帰りが遅くなると、会社近くに住むお兄さんたちのマンションに泊めてもらうことがあるらしい。さすがにそれは、お兄さん的にはちょっと色々不都合なんじゃないかなあと気になるところではあるのだが。
「あー、旅行とかはないっすねー、ただ兄貴達の食事会が…」
そこまで言いかけて、篤紀君は明らかに「マズイ」という表情になった。
「食事会?お兄さんたちの?」
私は当然突っ込んだ。
「う、ええと…聞かなかったことにして下さい」
「聞いちゃったよ、もう。家族だけで集まるの?別に隠す事でもないじゃない」
私はちょっと先輩風を吹かせて言ってみた。
「いや…岩城さんとかも一緒で…」
なに!?家族だけじゃないの!?これは見過ごせない!
次の腐女子会の会合で当然私はこれを議題に挙げた。
「なんとか参加できないかしら」
「いやー、私たちは難しいでしょ。岩城さんと営業部の先輩お二人だけってことは、社内でも広瀬さんとごく親しい人のみってことだし」
「でもさあ、興味ない?篤紀君の感じだとけっこう大事なイベントみたいだよ?彼氏さんの家族も一緒みたいだし」
「結婚式?」
葵ちゃんが突っ込む。
「紗弓ちゃんは?広瀬さんと同じ広報部じゃない」
「いや、参加したいのはやまやまだけど、私だけが参加って不自然じゃない。もし呼ぶなら部長でしょ。でも部長もそこまで広瀬さんの家庭事情に詳しいわけじゃないし、特別に親しいってわけでもないし」
「あなたたち、いい加減にしなさいな。人様のプライベートにそこまで踏み込むのは、腐女子会のポリシーに反するわよ。迷惑をかけてはいけないわ」
金沢さんが最年長らしく私たちを諭すように言ってきた。
「……金沢さんは?」
有彩さんがふいに金沢さんの方に向き直って、提案した。
「え…」
金沢さんは急な指名に戸惑っている。
「そうよ、金沢さんならいけるんじゃない?広瀬さんと岩城さんの面接官だったし、広瀬さんの噂が広まった時のゴタゴタにも関わっているし」
「いえ、特に私は何も…」
「参加予定の岩城さんは今部下じゃないですか、そこを突破口にすれば」
「だからこちらから参加を希望するなんて、いくらなんでも図々しすぎるでしょ。恥ずかしくてそんな事できません」
頑なに拒否する金沢さんに
「でも…実央君を見てみたくないですか?」
私はそう問いかけた。内緒だが、腐女子会では私だけが実央君の顔を知っている。あの可愛さをみんなにも知ってほしい、うまくいけば写真の1枚2枚は撮れるだろう。金沢さんは黙ってしまった。やっぱり見たいんだね、実央君を。
「会費をちゃんとお支払いすればいいじゃないですか」
レイナさんが押す。
「でも…営業部関係の人だけの所に私一人が入り込むのも…」
なお躊躇する金沢さん(※そりゃ、そうでしょう)。
「だったらホラ、人事部の堀越さんでしたっけ?あの人も広瀬・岩城ペアの面接官でしたよね?馬場の一件では何やら暗躍したらしいじゃないですか。彼女も誘ってみたらどうです?」(※馬場の一件に関しては『同僚の恋の話』参照)
私もここぞとばかり、金沢さんを説得しにかかる。金沢さんはなおも抵抗を試みた。40代の良識が邪魔をするのだろう。
でも結局は腐女子としての好奇心が勝った。岩城さんに頼み込んで、広瀬さんに話を通してもらったらしい。岩城さんになんて説明したかは知らないが、岩城さんも上司のお願いは無下にできなかったようだ。
「私たちもさあ、カードくらい送ってもいいんじゃない?メンツがばらばらでおかしいと思われるかもしれないけれど」
「そうよね、お祝いの気持ちを表せば嫌な気持ちにはさせないわよね」
腐女子会はその後も暫く、この話題で盛り上がった。なんかもう私たちの中で「食事会」は「結婚式」という位置づけになっていて、一緒に参加しちゃうくらいのテンションになってしまったのだった。
おしまい
3 金谷先生の懊悩
夏休みが終わって2学期が始まった。ここは俺・金谷豪が体育教師として勤める私立三輪春学園、男子だけの高校である。
「お早うございます。今日から2学期ですね」
職員用の更衣室に明石先生が入ってきた。明石先生は去年新卒でここに着任して、俺が担任を受け持った2年生のクラスの副担任だった。今年はお互い別々のクラスの担任を受け持っている。
「お早うございます、まだ暑いですね(今日も可愛いな…)」
「そうですね、生徒たちが熱中症にならないように気を付けないと」
明石先生は明るく応えてくれた。その笑顔を見て
(ああ、俺まだこの人が好きだ…)
新学期早々、そんな事を思ってしまった。そう、明石先生はこの春俺が振られた相手なのである。
実は俺はゲイである。中学の頃に自分のセクシャリティに気付いたが、家族にも友人にも告白せずに今まで過ごしてきた。俺の親族は父方も母方も教育一家というやつで、親戚には教員や教育機関に勤める人間が多い。教師になれと強要されたわけではなかったが、俺も自然と教職を目指してしまった。
三輪春学園は俺の伯父が理事長を務めている。数年前、俺はこことは別の学校に勤務する予定だった。ところが退職者や休職者が続いたとかで三輪春が一時的に教員不足になってしまい、伯父から是非にと懇願されたのだ。俺はすでに新しい勤務地が決まっているからと断った。それに三輪春は男子校だ。もちろん男子生徒に手を出すなんてことは考えもしないが、俺もこの歳になればそれなりにゲイコミュニティでの付き合いがある。万一男子校の教師がゲイなんて知られたら、ただでは済まないだろう。
それでも教育関係に顔が利く伯父の頼みは断りにくく、両親にも諭されて俺は結局三輪春で教師をする事になった。三輪春は名門校で生徒も学力の高い子が集まるし、保護者にもそれなりにステータスの高い人が多かった。比較的大きな問題が起こることなく、教師生活を送っていたのだが―
去年の春、明石先生に出会ってしまった。三輪春での採用が決まって、明石先生は何度か学校に足を運んでいたらしい。だが俺はたまたま運動部の引率やら研修やらで、明石先生と顔を合わせる機会がなかった。初めて会ったのはその年の入学式が始まる前だったのだ。
(かわいい…)
と、素直に思ってしまった。明石先生は女っぽいとかナヨナヨしているとか、そう言うタイプではない。普通の男性ではあるが、やや小柄でとにかく「かわいい」のだ。マズイと思った。これまで平穏に三輪春で教師を務めてきたが、初めて胸がざわついてしまった。
三輪春は男子校とはいえ男女交際は禁止していないから、特に閉鎖的な雰囲気はない。他校の女子と付き合っている生徒も多かっただろう。それでも学校にいる間はほぼ「男の園」だから、やはり明石先生のようなかわいい癒し系は生徒にも人気があった。同性同士の気安さで、ふざけてじゃれつく生徒もいる。
「実央せんせー、なんかいい匂いすんな」
ある日廊下を歩いていると、そんな声が聞こえてきた。ちょうど2時間目が終わった後だ。教室を見ると、生徒が一人後ろから明石先生の肩に顔をのせてふざけている。何人かの生徒も明石先生を取り囲んでいる。なんとなく俺はイラッとした。
「こらお前ら、明石先生に何してんだ、次は体育だろうが、さっさと着替えて校庭へ行け、遅れたら走らすぞ」
そう生徒に注意してその場を離れたが、
(明石先生の匂い…)
生徒の一言に引っかかってしまい、その日はずっと気持ちが落ち着かなかった。
明石先生は素直で穏やかで優しい性格だった。こんな人とずっと一緒にいられたら、俺の人生はどんなに幸せになるだろう…そんな事まで考えてしまった。
夏休みが終わり2学期が始まって、「三輪春祭」という我が校の文化祭が近づく頃には、俺はもう明石先生が好きだという気持ちをごまかせなくなっていた。そんな時
「金谷先生」
俺は明石先生に声を掛けられた。
「どうしました?」
「あの…三輪春祭の教員用のチケット、お使いにならない先生どなたかご存じないですか?」
聞けば三輪春祭に来たいという家族・知人が4人いるという。三輪春祭の入場に関しては、現在チケット制で管理されている。生徒も職員も同様で、職員は一人2枚までだ。足りない場合は誰かに譲ってもらうしかない。
「何枚足りないんですか」
俺は聞いてみた。
「2枚です。僕の母と、あと3人知り合いがどうしてもと…」
「それなら俺の分を譲りますよ」
「いいんですか?先生のご家族は…」
「俺がここに着任した年は両親が来ましたが、後はないですね。だから気にしなくていいですよ」
明石先生はパアッと明るい表情になった。か、かわいい…
「ありがとうございます、必ずお礼しますね」
「お礼は禁止ですよ」
俺は笑ってそう言った。チケットの譲渡については金銭等での授受は禁止で、報告義務もある。昼飯を奢るくらいなら大目に見ているようだが。
(それにしても…お母さんはわかるが、知り合い3人?友人て事なのか?)
俺はちょっと気になってしまった。
三輪春祭は週末の2日間で行われるが、初日の昼頃、俺と明石先生は校内の巡回に当たっていた。校外から多くの人が訪れるから、安全第一を心掛けなければならない。俺たちが第1校舎と第2校舎を繋ぐ渡り廊下近くに来た時、
「あっ、実央くーん!」
明るい女性の声がした。声の方を見ると背の高い男性二人と女性二人が立っている。
(目立つ人たちだな)
一人は40代後半くらいの女性だったので、明石先生のお母さんだろうと察しは付いた。後の若い男女のグループは?女性一人に男性二人、いずれも人目を惹く容姿で明らかに目立っていた。
「暁人さん」
明石先生は最初にその名を呼んだ。
「お母さん、綾乃さん、篤紀君も…」
自然にその場は自己紹介と挨拶になる。お母さんと挨拶を交わした後若い男女3人に目が行ったが、明石先生は彼らの紹介に少し困っているように見えた。するときれいな女性が
「親戚です」
と、にっこり微笑む。親戚?明石先生はそうは言っていなかったけれど…次に一番背の高い男性が口を開いた。
「広瀬暁人です。実央が大変お世話になっています。これは姉の綾乃と弟の篤紀です」
一番初めに明石先生が名前を呼んだ「暁人さん」はこの人か―この人今「実央」って言ったか?親戚なら名前呼びもおかしくはないが、俺は何か引っかかるものがあった。明石先生から「親戚」という言葉が出ていなかったことに、どうしても違和感が拭えなかったのだ。
明石先生は彼らに俺の事を紹介し、チケット譲渡の経緯も説明した。
「まあー、チケットを譲って下さった方?ほんとーにありがとうございます!おかげ様でみんな来られました。2枚だけだと争奪戦になって大変で…」
美女が大きな声でそう言った。
「はあ…?ど、どういたしまして…?」
お母さん以外どうもよくわからない人たちだな。それに―美女と弟さんは終始にこやかに笑っているが、「暁人さん」と言う男性は明らかに目が笑っていなかった。というより俺は、彼に睨まれているような気さえしたのだ。
「あ、じゃあ、僕金谷先生と巡回中だからもう行くね。みんなゆっくり楽しんで下さい。行きましょう金谷先生」
明石先生に促され、俺は彼らに一礼してその場を離れた。第2校舎の手前でチラッと後ろを見てみると、「暁人さん」は俺の方をぞっとするような目つきで見つめていた。
(俺、何か失礼な事言ったか?いや、何も言ってないよな?)
「仕事中にお騒がせしてすみませんでした。母も安心したと思います」
第2校舎に入ってから、明石先生がそう言った。
「いえ…」
お母さんは普通の人だった。物腰がやわらかで、いかにも明石先生のお母さんという感じだった。だけど他の3人…特に「暁人さん」…。何かもやもやする。明石先生に聞いて確かめたかった。明石先生は「親戚」をなぜ「知り合い」と俺に言ったのか…ふと湧き起こった一つの仮説に、俺は自分自身が愕然としてしまった。
2日目に外部来場者による盗撮騒ぎがあり、結局明石先生には何も聞けなかった。学校周辺の商店に日頃のお礼で配布したチケットが横流しされ、三輪春祭で賑わうなか生徒を盗撮した馬鹿野郎がいたのだ。しかもそいつは明石先生まで狙いやがった。
「ジャージを着ていたから、生徒と間違えたんですかね」
明石先生はそう言って苦笑いしていたが、三輪春は生徒と職員のジャージは色で区別してわかりやすくしている。盗撮者を見つけた生徒の話によれば、そいつは明らかに明石先生を狙って撮影していたという。本当にけしからんやつだ。もちろんこの件は、警察にも通報した。
三輪春祭が終わると2年生には次のイベント・修学旅行があった。4泊5日の行程で行先は九州の主に北部エリアだった。部屋は教員数人ずつに割り当てられたが、同じクラスを受け持つ明石先生とはすべて同室だった。俺も男だ。隣で好きな人が寝息を立てていれば、教職者にあるまじき思いに囚われてしまう。4泊のうち2泊は温泉だったが、明石先生が大浴場を利用した様子はなかった。部屋の内風呂を使っていたらしい。思い切って風呂に誘ってみようかと思ったが、勇気が出なかった。
そういえば2泊目にハプニングがあったな。そろそろ夕食の時刻だという頃に、明石先生がうちのクラスの沢田に手首を掴まれて大広間近くに引っ張られてきた。それを見た俺は思わずカッとなってしまった。恥ずかしい話だが、嫉妬である。
「何してる、沢田」
きつい口調で沢田を咎めてしまった。
「違うんです、金谷先生、沢田君は僕を助けてくれたんです」
明石先生が沢田を庇う。聞けば明石先生が一般の男性宿泊者にナンパされていたところを、沢田が機転を利かして救い出したらしい。俺は沢田に謝った。その一方で明石先生への想いがどうしようもないところまで来ている事にも気付いてしまった。
その晩、廊下で明石先生が誰かと電話しているところに遭遇した。俺は気付かれないように明石先生の様子を窺ってしまった。相手はお母さんかと思ったが―
「暁人さん…」
明石先生は嬉しそうな顔で、その名を呼んでいた。
「お土産は何がいいですか?美味しそうなものが色々ありますよ…うん、僕も寂しいですけど…。明日の予定は高千穂なんです。暁人さんも一度行きたいって言ってましたよね、写真送ります。いつか一緒に行けるといいですね」
俺は確信してしまった。三輪春祭の時に立てた「仮説」が、現実だという事を。
(明石先生と広瀬さんは恋人同士…)
それならあの時俺を睨んだ広瀬さんの表情にも納得がいく。自分の恋人の身近に、同僚とはいえ他の男がいるのは気に入らないだろう。その心理は俺にも理解ができた。そして俺は激しく広瀬さんに対して嫉妬してしまった。
年が明け3年生の受験もほぼ結果が出て一段落した頃、来年の担当について内示が出た。俺はまた2年生のクラス担任、明石先生は1年生の担任に決まった。
(別々になったか…)
担任・副担任が同じ組み合わせで2年続くことはないから、予想していたことだった。俺は同じクラスを受け持つ間は、自分の気持ちを明石先生に覚られないようにしていた。お互い仕事がやりにくくなってしまう。でもこの気持ちを抱えたまま、ずっと三輪春でただの同僚でいるのも苦しくなっていた。
(告白して潔く玉砕しよう)
春休みに入ったある日、俺は明石先生に折り入ってお話がありますと伝えた。春休みでも部活動はあるし、図書室が開く日もあるので登校する生徒は少なくない。それに職員には新年度に向けての準備もあった。俺に話があると言われた明石先生は、
「ええと…ここではできないお話ですか?」
こことは職員室の事だ。
「すみません、二人だけで…」
「わかりました。これから社会科教室に施錠に行くので、そこでいいですか?」
明石先生は少し不思議そうだったが、俺に告白されるなんて微塵も考えていないようだった(※そりゃ、そうでしょう)。社会科教室に入ってドアを閉めると、俺は気持ちをぐらつかせないように一息に言った。
「好きです、明石先生」
明石先生は驚いて大きく目を見開いた。ああ、愛らしい瞳だな。
「金谷先生…」
「友情とかじゃありません。恋愛的な意味です」
ごまかさずに正直に伝えた。明石先生は少しだけ間をおいて、でもはっきりと答えてくれた。
「すみません、僕、お付き合いしている人がいます。金谷先生のお気持ちにはお応えできません」
予想していた返事だったが、俺は確かめてしまった。
「それは…あの…広瀬さんという方ですか?」
いきなり同性の名前を出されて、明石先生はびっくりしている。
「はい…でもどうして?」
「わかりますよ、だって…」
俺はちょっと思い出し笑いをしてしまった。
「三輪春祭でお会いした時、俺の事すごい目で見てましたから。ああ、そういうことなのかなって、なんとなく」
「…そうですか…」
明石先生は目を伏せて俯く。長い睫毛に見とれてしまう。俺にはもう一つ聞きたいことがあった。
「明石先生と広瀬さんはその…」
明石先生は皆まで聞かず、俺の質問の意図を理解したらしい。
「僕たちは同性愛者ではないです。でも大学で知り合ってお互い好きになって…今一緒に暮らしています」
「そうでしたか…」
ノンケ同士で交際が長く続いていることに、俺は驚かされた。三輪春祭の時の様子では、家族公認なのだろう。俺は自分がゲイであることを明石先生に告白し、俺自身の事も少し話した。なんとなく明石先生には知っていてほしかったからだ。入学式の日から、明石先生に惹かれていた事も…
「初めから諦めた上での告白でした。明石先生の気持ちに負担を掛けてしまって申し訳ない」
「そんな…」
「ただ、一度だけ…」
おれは自分でも信じられない事を口にしてしまった。
「明石先生のこと、一度だけ抱きしめていいですか」
なに言ってんだ、明石先生にこんなお願いをするなんて…明石先生を困らせるだけなのに…。しかし意外にも明石先生は頷いくれた。俺は天にも昇る気持ちで、明石先生を力強く抱きしめてしまった。
(いつだったか生徒が言っていた通りだ…明石先生は良い匂いがする…)
キスしたかったが、それは必死に堪えた。
「あの時のお弁当、すごく嬉しかったです。本当においしかった」
なんとかそれだけは伝えることができた。お弁当というのは、三輪春祭のチケットを譲ったお礼にと一度だけ明石先生が俺にお弁当を作って来てくれた時の事だ。お世辞抜きで本当に美味しかった。生姜焼きをメインにしたお弁当…あの男はいつも明石先生の手料理を食べているんだな。俺が譲ったチケットで三輪春祭に足を運んだんだな…(※いや正確には綾乃と篤紀の分ですかね)。
本音を言うとこの時1%…いや0.1%くらい期待していた。広瀬さんが明石先生の恋人ではないという事を。そんな俺の淡い期待は打ち砕かれ、1年間の片想いに終止符が打たれたのだった。
とは言ってもすぐに「好き」という気持ちが消えてなくなるわけではなかった。諦める事と思う気持ちはまた別物だったのだ。明石先生はあれからも俺に普通に接してくれている。
体育祭が近づいた6月のある日、とんでもないトラブルが起こった。ある生徒が明石先生を盗撮したのだが、その生徒の母親が「明石先生が息子を誘惑したからだ、息子に色目を使ったからだ」と逆ギレして学校に怒鳴り込んできたのだ。おかしいだろう、怒っていいのは明石先生の方だぞ。
俺は今年生徒指導の担当だったから、その立場から明石先生を守ろうとした。学園長も動じることなく、保護者に対して毅然とした態度をとった。その生徒の父親は会社経営者で、母親はその顧問弁護士に相談したらしい。だが当然そんな話は一笑に付されたらしい。生徒側が訴えられる案件だと言われたという事だった。事情を知った父親が学校と明石先生に謝罪してきたという。
「支えてもらってありがとうございました」
この一件が解決した時、明石先生は微笑んで俺にそう言ってくれた。
(ああ、まだ明石先生が好きだ…)(※金谷先生の回想に関しては『実央先生とある腐男子の日常』・『Short stories2』・『広瀬家の諸問題』をご参照下さい)
2学期が始まったある日、お昼に職員室で持参したお弁当を食べている明石先生を見かけた。食堂でお弁当を食べてもいいのだが、以前生徒にあれが欲しいこれ食べたいと色々言われて面倒になったのだろう。周りに人も少なかったので、「今日はお弁当ですか」と声を掛けようとしたところで明石先生が首元から何やら取り出したのが見えた。
(…何だ?)
明石先生が手にしているのはネックレス、それに通された指輪を嬉しそうに眺めていた。
(指輪…広瀬さんからの贈り物か)
夏休み前、明石先生はなにやらご機嫌な様子だった。夏休み中に何かイベントがあって、渡されたのだろうか。明石先生は指輪に軽くキスをすると、大事そうにまたネックレスを胸元に滑り込ませていた。振られて諦めたはずなのに、俺はその光景にショックを受けてしまった。
俺の経験上、ゲイとノンケまたはノンケ同士のカップルは長くは続かない。ノンケ同士のカップル自体滅多にお目にかからない。ゲイとノンケはたまにいるが、結局はノンケの方が女性の方を求めて破局する。ましてやノンケ同士では、最初の内は好奇心で付き合えてもやはり最後は女性を選ぶのだ。周囲から好奇の目で見られるのも辛いだろう(※金谷先生の主観です)。だから明石先生と広瀬さんが別れる可能性も0.01%くらい期待したのだが、無理だったようだ(※銀行の金利じゃないんだから…現在少し上がったけれど)。
去年明石先生からお礼のお弁当をもらった時、
「100均で買った容器ですから、返して頂かなくていいですよ」
そう言って手渡された。はじめは洗って返そうと思っていた。だが明石先生と繋がるものを持っていたくて、結局そのまま自宅で使わせてもらっている。この容器に明石先生が俺のためにお弁当を作ってくれた…その容器を見るたびに、幸せな気持ちになる。
(指輪と100均のお弁当箱じゃ、雲泥の差だけどな)
そんな事を思いながら、
「今日も美味しそうなお弁当ですね」
俺は明石先生にそう声を掛けたのだった。
おしまい
4 二人の夏休み
8月某日、会社の有休を使った夏休み、俺・広瀬暁人は自宅マンション自室のベッドでまったりとしていた。
(今日は何をするかな…外は暑いけれど、車を使ってドライブしてもいいし…)
隣で眠る実央の寝顔を眺めながら、俺は考えを巡らせていた。一昨日は広瀬家と実央の実家明石家主催の食事会があった。家族に加え親しい人も何人か招いて、楽しい時間が過ごせた。
俺たちは深く愛し合っているが、同性同士ということもあってここに来るまで平坦な道のりとは言えなかった。二歳下の実央の就職を待って同居を始め、今2度目の夏を迎えている。
昨日は休養という事にして1日家で過ごした。特に予定を入れず二人でのんびりと過ごす時間は、俺にとって最高だった。そろそろ9時になるが、実央はまだ目を覚まさない。
(昨夜「も」ちょっと無理させてしまったかな…)
静かに寝息を立てる実央にキスをしようとしたその時、スマホが揺れた。…イヤな予感しかしない。画面を見ると姉の綾乃の名前が表示されている。ますますイヤな感じがする。ため息を吐き仕方なく通話に切り替えると、
「あ、暁人ー?今夜篤紀と行くからねー」
…挨拶もなく、いきなり用件を伝えてきた。
「…何か、用?」
俺も最低限の言葉で応じる。
「食事会の映像を編集したからさー、今日早速持ってくわ。篤紀の退社に合わせるんだけれど、いいわよね。あ、邪魔しちゃ悪いし、今夜はホテルに泊まるから気にしなくていいわよ。でも夕飯はそっちで食べたいかなー」
姉さんは一方的に勝手な要望を次々に伝えてくる。
「…こっちの都合も聞いてくれよ…」
「何よ、土日を挟んでの休暇だからまだ一週間あるんでしょ、ケチケチしないでよ」
なんだよ「ケチケチ」って。俺は答えずにいたが、姉さんは構わずに話し続ける。
「何か予定でもあった?ひょっとしてまだ寝てたから機嫌が悪いの?今何してた?」
デリカシーの欠片もない。
「あー、まだベッドの中だったかー」
今、それを言うか!?
「暁人さん…?」
俺と姉さんのやり取りに、さすがに実央も目を覚ました。実央の声が聞こえたのか
「あー、やっぱり隣で実央君寝てたかー、それは悪かったわね」
…悪いとは思っていないよな、絶対。ここで断ったところでまた別の日に振り替えられるだけだろう。面倒な事は先に済ませておいた方がいいと、俺は考えた。そもそも食事会の撮影だって、俺が手配したわけじゃない。姉さんがいつの間にかレストランに許可をとって、勝手にカメラマンを仕込んでいたのだ。しかも二人も。
「…わかったよ、今夜篤紀と来るんだな」
「食事はウー〇ーイーツで頼んでおくから、実央君に心配しないでって言っておいてね」
姉さんは言いたいことだけ言うと電話を切った。
「はぁ…」
ため息がはっきりと声に出た。
「お姉さんと篤紀君が来るんですか?」
実央が俺に確かめる。
「悪いな、実央、せっかくの夏休みなのに。食事会の動画を早く見せたいらしい。食事は手配するから気にしなくていいってさ。来るのは夜だからまだのんびりできるよ。今夜はホテルに泊まる予定だって」
俺はそう言ったが、実央は気になったらしい。
「でも…飲み物とか買い出しに行かないとですね。それに2つ3つは僕も何か作らないと…」
言いかけた実央を俺はすっぽりと腕の中に収めて、そのまま二人でベッドで横になった。
「ん…」
そして俺は何度も実央にキスをする。
―以下略―
まあ俺も、動画が見たくないわけではない。指輪を贈った時の実央の表情とか改めて堪能…いや、味わう…じゃなくて、確かめてみたかったからだ。
午後は車を出して、二人で買い物に出た。どちらも免許を持っているが、二人で出かける時は大体俺が運転する。独身時代にすでにコンパクトカーを購入していたから、双方の実家に行く時なんかは車利用が多い(※独身時代???)。近くのスーパーはお値段高めなので、休みの日は二人でちょっと離れたコスパのいいスーパーまで買い出しに行ったりしているのだ。
「果物もあった方がいいですかね、最近果物高いなあ」
実央は青果コーナーで色々見比べている。
「サラダも作ろうかな」
うちの食卓は野菜が多めだ。肉や魚がメインでも、実央は必ずある程度の野菜を用意する。実央のお母さんの実家が北海道で、よく野菜が送られてきたそうだからその影響もあるのだろう。だから以前男所帯では捌けないだろうと俺の母さんが嫌がらせで送ってきた野菜も、実央にとってはありがたい届け物だったのだ。母さんは当初俺と実央の交際には大反対でトラブルもあったが、今では認めてくれる風向きになっている。
「…暁人さん…ここで、そういう事は…」
肉売り場を見ている時、実央が困ったように俺の顔を見上げてきた。
「え?」
実央は自分の腰に回された俺の腕に目をやる。無意識の行動だった。近くの女性客がチラチラとこちらを見ている。
「あ、ゴメン」
俺は慌てて手を放したが、
「実央が俺を呼び捨てにして、敬語をやめてくれたらもうしないよ」
と、付け加えた。実央はいくら言っても「暁人さん」呼びで、話す時も敬語がデフォだ。実央は不満そうに唇をきゅっと固くしてそっぽを向く。
(可愛いな、こういうところ)
買い物から帰るともう夕方で、一服した後実央はすぐ夕食の支度にとりかかった。
「姉さんが色々頼むって言ってたから、そんなに作らなくていいぞ」
そうは言っても俺は実央の手料理が、一番好きだけど。
「暁人さん、飲み物を冷蔵庫に入れて下さい」
「はい…」
俺は言われた通り飲み物を冷蔵庫に収めたが、なんとなく手持ち無沙汰になった(※手伝うという発想はないの?)。
「何作るの?」
「ポテサラと白瓜の浅漬け…あ、浅漬けに茗荷入れよう。汁物は何がいいですかね。お姉さん何頼んでくれたのかな。洋食系ならスープがいいし、和食系なら味噌汁かお吸い物か…」
俺は実央に近付いて、後ろからそっと腕を回した。
「暁人さん」
実央は怒ったような顔で振り向く。
「包丁を持ったりガスに火がついたりしている時は危ないから、そういう事はしないで下さいって言いましたよね」
「はい…」
俺はふと、以前うちに来た営業部時代の先輩・大野さんが言ったことを思い出した。
<お前なあ、俺だって味噌汁くらい作るぞ。あんまり甘えてると愛想つかされるからな>
確かそう言っていたな。
「…俺、味噌汁作ろうか」
試しに言ってみた(※試し…)。
「えっ、暁人さん、お味噌汁作れるんですか?」
実央は初めて聞いたという感じで、驚いている。うん、初めて言った。
「鍋に水と味噌入れて、煮ればいいんだろ?」
「……」
実央は何とも言えない表情で俺を見る。何かおかしなことを言ったのだろうか。
「僕、初めて広瀬のお母さんが可哀想だと思いました」
あ、いいな、その言い方。「広瀬のお母さん」て。いや、そこじゃなくて…
「かわいそう?」
「お母さん、ちゃんと昆布や鰹節や煮干しを使って出汁をとっているんですよ。僕なんか手抜きで粉末出汁を使っちゃうし、出汁入りのお味噌も売ってはいますけど…。広瀬家で出されたお味噌汁、すごくおいしかったじゃないですか。それに家庭科の授業で作らなかったんですか?」
怒られてしまった…。家庭科なんてそんな遠い昔の話は覚えていない。なんか女子たちが張り切っていたような記憶はあるけれど。母さんが手間をかけていたのに気が付かなかった事は、確かに申し訳ないと思った。俺は所在なく、またリビングのテーブルに戻ることにした。
夜7時頃になって姉さんと篤紀がやって来た。この時間にうちに来て、ほんとにホテルを使ってくれるんだろうな?
「おじゃましまーす、これ諸々差し入れー、すぐにウー〇ーイーツがいくつか来るからねー」
姉さんはすでに酒を飲んでいるのかと思うくらい、陽気な調子で部屋に入ってきた。
「えーと、これも差し入れ…何買ったらいいかわからなくて、駅前でタコ焼き買ってきた」
篤紀も続いて入って来る。この二人がうちに来たのは通算何度目だ!?
「いらっしゃい、色々ありがとうございます」
実央が笑顔で招き入れる。心が広いな、実央は。一昨日食事会があったばかりだぞ。
「あ、実央君わざわざ作ってくれたんだー、ポテサラおいしそー」
「自己流ですよ」
「暁人、テレビこっち向けてー、もうすぐウー〇ーイーツが来るから」
…なんか姉さんは、うちを自分の別宅のように思ってないか?
「食べながら見ようね、データは置いていくからじっくり観たいところはまた後でゆっくり楽しみなさい」
俺たちが主役の食事会映像を我が家で観るのに、なぜここまで姉さんに仕切られなくちゃいけないんだ?理不尽だとは思いつつも、逆らえば結局俺の方が疲れることになるので言う通りにした。ウー〇ーイーツも届いて、夕飯がてら俺たちは食事会の動画を観ることになった。
「お客様のジャマにならないように離れて撮ったから、音はイマイチの部分も多いけど画像はきれいよ。一応プロに頼んだからね」
姉さんがそう言うと
「費用がずいぶんかかったんじゃ…」
と、実央が心配する。
「いいのいいの、私の趣…ええと、厚意だから!」
今「趣味」って言いかけたよな?「厚意」って自分で言うか?最初の方の指輪贈呈のシーンになって、俺は実央の表情に見入っていた。感激して涙ぐむ実央が愛おしくて堪らなかった。
「あんたたちさあ、この時30秒近くハグして動かなかったのよ?その間立ったままでそれを見させられている私たちの気持ちわかる?」
「……これまでの出来事を思い出して、感慨に耽っていたというか…」
正直あの時は自分と実央だけの世界に浸っていたな。
「立会人の岩城さん、かっこいいよねえ、様になってるよ」
篤紀が岩城を褒めた。岩城は俺と同期入社で、営業部で約2年一緒に働いた。篤紀は今俺と同じ大室精密(株)に勤めているが、岩城とはそれ以前から面識があって懐いているらしい。
「ほんとに素敵ですよね、岩城さん」
実央も篤紀に同調する。俺はムッとした。実央は前にも岩城のことを褒めてたな。篤紀が褒めるのはいいが、実央が褒めるのはなんだかムカつく。姉さんのニヤニヤした視線に気が付いて、俺は目を逸らした。目を逸らしてテーブルの上を見ると…様々な料理が並べられている中で、実央のポテサラがほとんど残っていない!?浅漬けも半分以上なくなっている!?動画を見始めてまだいくらも経っていないぞ!?
「おいっ、なんでポテサラがなくなってんだよ!俺まだ一口も…」
「知らないわよ、あんたが勝手に動画に見入ってたんじゃゃないの」
「おいしーよね、色々野菜が入っててさ、胡瓜・人参・レタスにコーン、それとカリカリベーコン…」
篤紀がわずかに残ったポテサラに手を出そうとしたので、俺は皿ごと取り上げた。
「リンゴも入れようかなと思ったんですけどね、好き好き別れるから今日はやめておきました。もっと作ればよかったですかね。でもお姉さんがたくさん料理を注文してくれたから…」
実央が嬉しそうに話す。
「あ、私リンゴが入っててもOKよ、次回はリンゴ入りでね」
次回って…いつの話だよ!
「食い意地張るのはみっともないわよ、暁人。あんたはいつも実央君の手料理を食べられるんだから、私たちに譲りなさいよ」
食い意地張ってんのはどっちだよ!
動画は進み、3年前の実央の箱根研修の一件で揉めた辺りになっていた。当時捻挫していた実央を大学の研究室の研修に参加させるため、俺が有休を使って車で送迎したのである(※『兄貴の彼氏と俺の話』参照)。その時の宿泊費が2泊で30万だったことを実央に咎められたのだ(宿泊費には篤紀の分も入っているが)。
「で、どうしてここでいきなり抱き合ってんの?なんか揉めてんなとは思ったけれど、お客様そっちのけでまたいきなりラブシーン見せてくるから、姉としては焦ったわよ。周囲の視線、わかってやってんの?」
ストレートな姉さんの物言いに、答えに窮する。
「…まあ、俺たちの間の話だから」
言葉を濁したが、
「へえ、二人だけの話で衆目を集めた抱擁シーン?」
と、姉さんに突っ込まれ
「説明が難しいんだよ!」(※『広瀬家と明石家の長い一日』参照)
この段階で実央の作った浅漬けも空になっていた。
一通り見終わる頃には食事も終わって、実央がデザートの梨を剥いている。
「これ食ったら引きあげてくれよ、ホテル取ってあるんだよな」
俺が確認すると
「取れなかったわ、満室だって」
あっさり姉さんは言う。ほんとに予約しようとしたのか?
「はあ、話が違うだろ?じゃあ帰るってことでいいんだな、まだ終電前だし」
「こんな時間に姉弟を放り出すの?冷たいわねえ、わざわざ動画を持って来てあげたのに」
…わざわざって…こっちが頼んだわけじゃないぞ!?
「いいじゃない、昨夜も二人一緒で寝てたみたいだし」
この人は「デリカシー」という言葉を知らないのか?
「夏は冷房を使うから、節約してんだよ」
俺はもっともらし言い訳をする。
「節約ねえ、二人でくっついて寝る方が暑いんじゃないのー?」
「とにかく帰って…」
俺が言いかけたところに
「いいじゃないですか、暁人さん」
梨を剥き終えた実央が口を挟んできた。俺が止めようとしたが
「この間マットレスとか枕とか買ったんですよ。いつだったかお姉さんと篤紀君が泊まったって聞いて、急な来客用に用意しておいた方がいいかなって」
実央が言ってしまった。この二人には知られたくなかったのに…
「あらー、じゃあ何も問題ないじゃないの、ありがたく使わせてもらうわね。あんたは実央君のベッドを使いなさい、暁人。私と篤紀であんたの部屋使うから」
何でまた姉さんに仕切られなくちゃいけないんだ。そういえば篤紀のやつやけに静かだなと思ったら、ソファでスース―寝息を立てていた。俺の姉弟はなんでこんなに自由なんだよ!!
「私たち聞き耳立てたりしないから、『二人で好きなように』過ごしていいからね」
過ごしていいからねって…ここは俺たちの家なんだよ!!
翌朝姉さんたちは、実央が用意した朝食を平らげて帰って行った。帰るというより、うちからそれぞれの勤務先に出社したのだ。昨日実央が「泊まるかもしれないね」と念のため買ってあったパンは、一つも残っていない。
「実央君ごちそう様~、また来るわね」
「もう来なくていいから」
「まあまあ、これあげる」
姉さんはバッグからチケットらしきものを2枚取り出した。
「(BL定番の)水族館デート、しなさいよ」
実央がそれを嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございます!水族館、久しぶりだな、いつ以来だろう。僕海月とか好きなんです」
「あー、確かに実央君海月好きそうだな」
篤紀が調子よく言う。その根拠は何だよ。
「暁人」
帰り際、姉さんが急に改まった顔をして俺に向き直った。
「なんだよ」
「動画の最後の方、実央君のお父さんの言葉、肝に銘じておきなさいよ」
お父さんの言葉?
「何かあった時、実央君を守れるのはあんただけなんだからね」
姉さんにしては大まじめな表情だった。
その日俺と実央は早速水族館デートを楽しんだ。夏休みで人出は多かったが、童心に帰って楽しめた。暗い場所では恋人つなぎをしたりした。
「実央、あそこ、海月の水槽」
「ほんとだ、いいなあ、プカプカ漂ってる。気持ちよさそう。子供の頃家族旅行でカーフェリーに乗ったことがあって、その時海月を見つけて、それで…」
実央は楽しそうに話をする。
(姉さんに言われなくたって、実央はちゃんと俺が守る)
実央の笑顔を見ながら、俺はそんな事を思っていた。
おしまい
5 鑑賞会—大室精密腐女子会—
その日、珍しく腐女子会は私・金沢冴子の家で行われることになった。家と言っても2LDKのマンションですけど、一応ローンを組んで購入した物です。ある土曜日、約束の午後1時になって私が勤める大室精密(株)の腐女子会(非公認)の面々が集まってきた。
「お邪魔します、お昼まだなので、みんなで色々持ち寄りました」
メンバーの一人市川有彩さんが玄関先でそう言った。
「あら、ありがとう、私もまだなのよ、何か頼もうかと思ってたの。さあ、みんな入ってちょうだい」
メンバーは全員で6人、私が最年長で他の5人は20代・30代である。
「わあ、広いですねえ、私もこんなお部屋が買えるくらい稼げるかしら」
諸星葵ちゃんがそう言ったが、
「どうかしらね、みんなその前に結婚するんじゃないのかしら?ちょっと椅子が足りないから、ソファの方と別れて適当に座ってくれる?」
私がそう言うと、みんな散らばって座り始める。
「今日金沢さんのお宅に呼んで頂いたというのは、アレですよね。例の食事会の写真を見せて頂けるんですよね」
湯浅真理ちゃんがキラキラした目で私を見つめている。
「うふふ…写真もいいけれど、ねえ」
私は手にしたメモリーカードをみんなに見せた。
話は10日ほど前に遡る。私は都内にある”le Soleil”という、まだ新しいレストランを貸し切って行われたある二家族の食事会に招待され…招待されたわけではなかったが、諸々の事情から自主的に?参加する事になった(※本作ep2「腐女子会リターンズ」参照)。
二家族というのは現在うちの社の広報部に所属するイケメン若手社員広瀬暁人君と、その彼氏明石実央君の家族の事だ。そう、「彼氏」!彼女じゃなくて「彼氏」なのよ!まあこれまでの経緯は端折らせて頂きますが、広瀬君が入社して早い段階で彼に同性の恋人がいる事は、社内に広まっていた。私はというと彼の入社試験の最終面接で面接官を務めたこともあり、その時点で恋人の事は聞かされていたのだ(※『同僚の恋の話』参照)。
その後社内でもちょっとしたトラブルがあったのだが…あ、あれよ、トラブルって言っても広瀬君が悪いんじゃなくて余計な事喋った問題児の管理職がいて、そいつのせいなのよ。それに同性同士での交際という事で、ご両家の方でも何かと揉め事はあったらしい。そこを乗り越えての親睦会に、家族以外の関係者も若干名招待されていたのだ。
現在秘書課である私の部下に、広瀬君と同期のこれまたイケメン・岩城君がいる。広瀬君と岩城君は面接でのグループも一緒で、最初の配属先営業部でも2年ちょっと一緒だった。この二人は我が腐女子会にとっては格好の妄想対象、中には妄想でなく岩城君は広瀬君ラブだと主張するメンバーもいる。この岩城君が食事会に招待されていることを聞きつけて、ちょっと融通してもらったというか話を通してもらったというか、腐女子会の熱い期待を背に私が参加させてもらったというわけなのである。
そして当日、広瀬君のお姉様綾乃さんの差配で食事会の模様が撮影されていた事を知り、私は彼女にデータのコピーを譲ってもらうよう懇願したのだった(※懇願…)。
「ひょっとしてそれって…写真じゃなくて、動画ですか!?」
全員の顔が一斉に輝きに満ちた表情になった。
「広瀬君のお姉さんにお願いしたのよ。これ以上のコピーは不可って条件付きでね。でも『富士吉田市御一行様』での鑑賞会はどうぞって、言って下さったわ」
「え…広瀬さんのお姉さんて、腐女子なんですか?」
「さあ…そうはおっしゃっていなかったけれど…一緒に来ていたお友達が、カンのいい人なんですって。あなたたちがあんなメッセージカードを送るから、わかる人にはわかるわよ」(※お姉さんもその友達も腐女子です)
そう、この子たちは私以外の連名で、ご丁寧に食事会当日お祝い?のメッセージカードを送ったのだ。「富士吉田市御一行」という謎かけで。
「早く見せて下さい、食事なんかどうでもいいです、実央君観たい!!」
広瀬君と同じ広報部の城下紗弓ちゃんが声を上げた。
私はこの日のためにテレビでデータの画像が見られるメディアプレイヤーを購入しておいたのだが、が…
「あら、あれ?どう使うんだったかしら…説明書は…」
ちょっともたついてしまった。正直私は機械オンチなのだ。
「ちょっと貸して下さい」
待っていられないという感じで、松本レイナさんがすぐに対応してくれた。
「カメラマンが離れていたからちょっと音声は不明瞭な部分も多いけれど、画像はバッチリよ。見どころがたくさん…」
私がそう言いかけたところで、みんな一斉に「静かに!」という目線を私に向けてきた。
「ご、ごめんなさい…」
一番の功労者にその態度はヒドくない?
「え…なにコレ…実央君可愛すぎん!?」
「これはノンケの広瀬さんもやられちゃうわー」
「この二人そのまま実写BLに出られるじゃないの」
「岩城さんの表情、ヤバ過ぎる…」
「広瀬さんのハグ長すぎー」
「ここにいる営業部の大野さんと山下さんて、金沢さんの妄想対象でしたよね、大野さんが結婚しちゃってテンション下がったって言ってましたけど」
いや、私が言うのもなんだけれど、この子たちの熱量凄すぎる。
「広瀬さんてやっぱり執着攻め様だよね、実央君が他の男性と話をしているとすぐに飛んでいくじゃない。シゴデキの広瀬さんがこんなに右往左往してるの、すごく新鮮♡」
紗弓ちゃんが、決してからかう風ではなく、うっとりとした顔つきでそう言った。実は私は実央君と話をしているオーナーさん(♂)とシェフさん(♂)が恋人同士だという事を知っているので、それを言ったらさらに盛り上がるのは間違いないのだが、さすがに40代後半の常識が勝って黙っておいた。オーナーさんは食事会にも参加している現営業部大野さんのお兄さんなのである。
「広瀬さんのお父さんも素敵だよねえ、三友商事の重役だって?広瀬さんていいとこのお坊ちゃんじゃない。スペックの高いイケメンが男に持って行かれちゃうっていうのも、まさにBLの世界観を体現してるわよねえ。ほんと私ら女は立つ瀬がないっていうか」
お酒も入っていないのに、葵ちゃんはケラケラ笑う。動画はすでに2巡目だ。編集済みだから、途中抜けている部分もあるが、腐女子にとって大切なポイントはしっかり押さえられている。
「いやもう岩城さん、広瀬さんに惚れてるの確定でしょ。こんなにベタベタしちゃって。最後の方で妬いてる実央君のカワイイこと」
「ねえ、途中二人がいきなり抱き合っているのはなんでですか?」
「さあ、私のテーブルからはちょっと…」
「広瀬さんのお姉さん、よくこれ渡してくれましたねえ」
「いや、まあ、それは私の交渉力で…」
我ながら随分なお願いをしたとは思っている。
「これのコピー…」
「ダメよ、これ以上のコピーはしないって約束で頂いたんだから。あなたたちを信用しないわけじゃないけれど、ご家族の私的な部分を見せてもらったんだからそれだけでも感謝しないと」
「じゃあ、写真は?」
食い下がるなー…
「それは…私の一存では…」
「じゃあ、お姉さんに聞いてみて下さい」
えっ、私が綾乃さんに聞くの!?全員の視線が私に集中する。
「…ちょっと待っててよ…」
私は仕方なく少し離れた所で広瀬君のお姉さん・綾乃さんに電話をした。
「あ、綾乃さんですか?金沢です、先日は大変お世話になりまして…今お時間大丈夫ですか?実は…」
綾乃さんと話を終えて、みんなのいるリビングに戻る。
「一人2枚まで。SNSへのアップは不可。コピーも不可。あくまで個人で楽しむ事。腐女子会内で見せ合うのはOKだそうです」
みんなワッと喜ぶ。
「どさくさに紛れて3枚以上撮ったらダメよ」
「わかってます、お姉さんて腐女子の気持ちよくわかってますよね」
「ねえ、みんな被らないようにしようよ、待ち受けにしても怒られないかな」
「私、岩城さんが後ろから広瀬さんを抱いているのがイイ」
「あっずるい、私もそれ欲しい」
「実央君はどれが一番かわいいかな…やっぱり指輪贈呈は外せないか…」
「なによ、結局被っちゃうじゃない」
喧々諤々大変な事になっている。食事もそっちのけで大騒ぎだ。綾乃さんに許可はもらったから広瀬君と実央君はいいにしても(※いいのか?)、岩城君の画像はプライバシー的にどうなんだろう。事後承諾で報告するのもアリだけど、それだと私が食事会の動画のコピーを持っていて、それを彼女たちが観たという経緯を説明しないといけなくなる。うーん、それはちょっと…まあ、いいか、部下だし(※問題発言)。
「他のお客さんの姿は入らないようにね、画像編集しての再保存もダメよ、私の顔を潰さないでちょうだい。それとこの動画を観た事は他で喋っちゃダメよ」
私は彼女たちに注意しながら、冷蔵庫から冷やしたスパークリングワインを取り出した。
「はいはい、ひとまずみんなが持って来てくれたものを食べましょうよ、これね、食事会のお土産で頂いたスパークリングワインなの。当日も飲んだけれど、とても美味しかったわ。シェフのご実家が山梨でワイナリーをなさっていて、そこで作った物なんですって。6人で分けると少しずつになっちゃうけれど」
「山梨!!富士吉田市のある県だ!」
真理ちゃんが突っ込む。
「とても素敵なお店だったわ、”le Soleil”って言って、営業部の大野さんのお兄さんがオーナーさんなのよ。お値段もそこまで高くないようだったし、みんなも利用してみてね(まあ当日は無料でご馳走になっちゃったけれど)」
「映像を観る限りでも素敵な雰囲気ですよねえ、オーナーさんもシェフさんもかっこいい、恋人同士だったりして♡」
す、鋭いわね、紗弓ちゃん…
「いいなあ、金沢さんはいつでもこれを観られるんですよね」
有彩ちゃんが言う。
「それはみんなの無茶振りで強引に参加させてもらって、さらにあなたたちのためを思って恥を忍んで動画のコピーまで頂いたのよ?それくらいの特典はないと…」
タダの食事・お酒もなかなかの特典だけど…
「ここに来ればまた観られるってことですよね?」
ニコニコしながら真理ちゃんが聞いてくる。
「え…それはまあ…そうだけど…」
「今度から月1で金沢さん宅で腐女子会を定期開催しませんか?」
え…定期…?
「それいい!人目を気にせず思う存分語り合えるし、本や動画やBLCDを持ち寄っての感想会、金沢さん何かサブスク利用してますか?」
葵ちゃんが聞いてくる。
「え…サブ…」
「〇アニメとか、ネ〇フリとかなんちゃらプライムとか」
「あ、ああ入ってるわよ、一つだけ」
「ご迷惑はお掛けしません、食べ物飲み物は自分たちで用意します!あートイレやお風呂はお借りするかもですけれど」
お風呂!?トイレはわかるけれどお風呂まで!?
「雑魚寝でいいですからお泊りもたまに…女だけなら気楽でいいし」
いや、気楽でって…
「さすがに光熱費くらいは実費で出さないとダメでしょう?」
レイナさん、冷静に提案してくれるのはいいけれど、うちを使うことがすでに決定事項になってない?
「いや、同じ動画をそんなに何回も観たい?」
私はあえて聞いてみた。
「観たいですよー、金沢さんだって何回も観てるんでしょ?リアルBLで栄養補給したいです」
広瀬君と実央君は腐女子のドリンク剤!?
「私も頑張って働いて、会社近くでマンション暮らしできるようになろーっと」
…年齢差を感じない腐女子の会話は確かに楽しいけれど、なんだか大変な事になってしまった。これって年下に慕われて、幸せっていう解釈でいいのかしら。
「いやー、このワイン美味しいですよ、金沢さん。お取り寄せしちゃおうか…あ、それとも腐女子会で山梨旅行しちゃおうか!?」
「それ、いいわね、それも半年に1回くらいの定期開催で。お金貯めておこうっと」
…年下に慕われるというより、年下のパワーに圧倒されている感じだわ。まあいいか、金沢冴子40…ん歳、定年まではまだだいぶあるし、若い子の元気を頂いて仕事と腐女子生活に精力を傾けて参りましょう。
おしまい
6 le Soleil
世間的には夏休みが終わって、9月になった。まあ、大学生はまだ夏休みってところが多いだろうけどな、ウラヤマシイ。
「なんか落ち着かないよなあ、最近の社内」
隣のデスクの山下が、小声でそんな事を言ってくる。ここは大室精密(株)本社営業部。俺・大野武はここに所属している。隣の山下は同じ時期に営業部に配属されてから、なんとなく相棒扱いになっている。
「そうだな…まあ、色々…」
俺は言葉を濁した。社内がなんとなくざわついている理由のひとつは、社長の体調不良だ。深刻な病気という事ではないようだが、不調を感じて検査入院し、その後しばらく静養するらしい。たしか70歳くらいだと思ったが、年齢を考えて引退するのではという噂も出ている。
それに近々浅見専務が長期の海外視察に出かけるらしい。海外にある大室精密の拠点・工場、取引先から場合によっては政治家とも会って交渉するらしい。大げさに言えば、世界中飛び回るらしいのだ。昨今は円安が普通になっているから、その辺も見込んでの交渉なのだろう。浅見さんは専務に就いてまだ長くはないが、叩き上げでなかなかの切れ者だという話だ。平社員の俺らがお目にかかることはあまりないが、俺はわりとこの人を買っている。
社長も専務も不在になるこの期間、会社の舵を取るのは副社長の大室康光だ。名前でわかる通り創業者一族の一人である。大室精密は必ずしも世襲ではなく、過去一族以外の人間が社長職を務めたこともあったが、やはり一族が要職に就くケースが多い。そして俺はこの副社長が、あまり好きではない。
簡単に言うと胡散臭い。仮にも創業者一族に対して失礼だとは思うが、なんか印象が良くない。そう思うのは俺だけかもしれないが…。営業で色々な取引先に回っていれば、雑談で業界の噂話を聞くことはしょっちゅうある。もちろんタダの噂でガセの場合も多い。でも同じような話を何度か聞かされれば、「本当かも」という気もしてくる。副社長に関する噂話は社員としては印象のいいものではなかった。
副社長があからさまに何かしているというわけではないのだが、あちこちの大企業と個人的コネクションを作り上げているらしい。それが会社の為だというのならもちろん問題はないが、自分がいずれ社長になるための地均しのような気がするのだ。野心家っていうのか、極端な言い方をすれば会社すら飛び越えて自分の利権を追及するような…いや、小説やドラマの見過ぎだろうか。
とにかく上層部の不安定な感じが、下っ端の俺らにもなんとなく伝わってくるのだろう。尤も気にしたところで、俺らにできる事なんか何もないのだが。
「また”le Soleil”に行きたいなあ、お酒も料理もうまかったよ。お前嫁さんと行ったのか?」
山下が思い出したように俺に聞いてきた。
「うん、嫁さんというか家族で行った。この前の食事会の後に」
”le Soleil”は俺の兄貴・尊がオーナーを務めるレストランである。この前の食事会というのは去年の5月まで営業部にいた後輩・広瀬暁人主催の食事会の事だ。説明すると少し長くなってしまうのだが―
俺の家族は両親に兄貴と俺の4人だったが、去年俺は結婚して家を出た。兄貴も今は店舗兼住宅で恋人と暮らしているのだが―その兄貴・大野尊はゲイだった。家族にカミングアウトしたのは、兄貴が高校生の時。「女性には興味が持てない」と間接的な表現で、両親と俺に告げてきた。家族は別に兄貴を責めたりしなかった。否定も肯定もしなかったが、その日から家の中は微妙な空気になった。ケンカなどはしないが、兄貴と俺たちの間に見えない薄い壁ができたみたいだった。
兄貴は大学を出て普通のサラリーマンになったが、居心地は悪かったらしい。若いうちはいいが、段々年齢が上がって行けば、彼女はいないのか、結婚はしないのかと聞かれるようになってくる。今時そういう話はセクハラになるといっても、昭和のオッサンたちは悪気なく色々言ってくる。兄貴は早くに係長に昇進し、なかなかの有望株だったようで、上司から見合い話も持ち込まれるようになった。「会ってみるだけでも」はおせっかいの常套句である。断れば嫌な顔をされる。
俺も段々兄貴とは必要最低限の会話しかしなくなっていた。これではだめだと思いながら、どう接していいのかわからなくなっていた。そんな頃、うちの営業部に新卒の新入社員が5人配属された。男性3人女性2人—そのうちの男二人は背が高く、男の目から見てもハッとするようなイケメンだった。それが広瀬暁人と岩城諒である。
「なんだよ、今年は見た目重視で選んだのかあ?」
俺はついそんな感想を漏らしてしまった。悪意はなかったが、後で聞いたところ岩城は皮肉に受け取ったらしい。俺は広瀬、山下は岩城の教育係を任されることになった。もう一人の…佐藤…いや、斎藤だったかな、彼は一度の失敗であっさりと退職してしまったが。
広瀬と岩城は見掛け倒しではなく、仕事もなかなかできるやつらだった。二人とも理系で技術・開発系の部署希望だったようだが、ずっと営業部にいてほしいと思ったくらいだ。彼らは順調に仕事を覚えていったが、7月の半ばになってとんでもない噂が社内に広まった。
―営業部の新人、広瀬には同性の恋人がいるらしい―
まさかと思った。広瀬も岩城も当然女性社員には人気があったから、やっかみで出たガセだと思った。営業部で直接広瀬に何か言う者はいなかったが、隣の課の連中が広瀬をからかいに来たらしい。俺はその時席を外していたが、広瀬はあっさり事実だと認めたという。ただゲイというわけではなく、恋人の事が好きなだけだと答えたらしい。
暫くの間営業部は微妙な雰囲気に包まれた。
(俺の家と同じような感じ…)
同期の岩城は最初から広瀬の恋人の事を知っていたらしい。二人は採用面接で同じグループだったらしく、その時広瀬は同性の恋人がいるという話をしたようだ。広瀬は冷静だったが、岩城の方が腹を立てていた。それにしても…なんで広瀬は普通にしていられるんだ?同性と付き合っているなんて本社中に知れ渡ったら、なんというか、もっと萎縮したりしないか?別に悪い事をしているわけではないが、好奇の目で見られ、ひそひそ噂話をされ、時にはからかいの的になる。
でも広瀬の態度は何も変わらなかった。淡々と仕事をこなし、堂々としていた。
(こいつ…すげえな…)
俺は兄貴の事があったから、似たような立場の広瀬に後輩ながら尊敬の念すら抱くようになっていた。そして俺自身がこれでいいのかと考えるようにもなっていた。
そのうち岩城の方が問題を起こした。噂の出どころは二人の面接を担当した当時の広報部長馬場だったのだが、こいつがわざわざ広瀬の事で岩城に絡んだらしい。怒った岩城が社内の廊下で馬場とやり合ったという。あいつもチャラそうに見えて、熱い男だったんだな。この馬場という男は社長の縁故入社で、以前から問題行動が多かったため、これが致命傷になって地方に飛ばされた。この時大鉈を振るったのが、就任間もない浅見専務だったというわけだ。社長の縁故という事で誰も手を付けられなかった問題児を、ばっさり切ったのである(※『同僚の恋の話』参照)。
広瀬を腫れ物のように扱う空気は薄れていった。俺も山下も通常モードで接していた。
(そうだ、兄貴にだって普通に接すればいいだけなんだ)
そうは思っても、何が「普通」なのかよくわからなくなっていたが…
11月終わり、広瀬はケガをした恋人のために有休を使った。認められた権利とはいえ、新人が冠婚葬祭以外で有休を使うのはなかなか度胸がいる。よほど恋人の事を大事にしているのだろう。広瀬の休暇中
「広瀬の休みの理由、聞いてます?」
そう岩城が話しかけてきた。
「聞いてるよ、お前だって聞いてんだろ」
「まあ、一応」
「余計な事、他で喋るなよ」
心配ないとは思ったが、一応釘を刺しておいた。広瀬は佳山部長にもちゃんと説明をしたらしい。つくづく誠実な男だな。
広瀬と岩城が入って2年目の夏、会社で岩城が体調を崩したことがあった。その日は朝から具合が悪そうだったので、俺も気になっていたのだが…。岩城はたまたま廊下にいた広瀬に連れられ医務室に行き、そこで様子を見ることになった。午後、仕事で一区切りついた俺は佳山部長に断りを入れ、岩城の様子を見に医務室へ行った。広瀬がいればやつが世話を焼いただろうが、あいにく外回りで不在だった。俺はそこで初めて自分のプライベートな話を岩城にしたのだった。
同性と付き合っても堂々としている広瀬に感心している事、自分にはゲイの兄がいる事、広瀬を見て兄貴への態度を改めたこと、兄貴が俺に礼を言って泣いた事…話していて思わず涙が零れてしまった。そして俺が近いうちに結婚の予定があって、彼女に兄貴の事を話すべきかどうか迷っていると岩城に相談めいた事も言ってしまった。岩城は普段ノリの軽そうな所があるが、この時は真面目な顔つきで
「お兄さんに聞いてみたらどうですか。黙っててほしいっておっしゃったらそうすればいいし」
そうアドバイスしてくれた。
広瀬と岩城が営業部に来て2年が過ぎた頃、二人は別の部署に異動になった。広瀬は広報部、岩城は秘書課だ。うちの社は最初の5年くらいはいろいろ経験させられるから、仕方がない。営業部からイケメン名コンビがいなくなって、少しの間オフィスには物悲しい雰囲気が漂っていた。
その年の秋、俺は恋人の加奈子と結婚した。俺は岩城に言われた通り、加奈子に伝えるかどうか兄貴に聞いてみた。
「そうだな、もう少し待ってみてくれ。加奈子さんは優しい人だから、あからさまに拒絶されないとは思うけれど、タイミングを見て自分で話すよ」
兄貴はそう言った。俺も一言
「わかった」
そう答えた。
俺が結婚して家を出た後に、兄貴は会社を辞めた。恋人の料理人とレストランを始めるという。簡単な道ではないと思うが、兄貴が息をしやすくなるならそれもいいと思った。
翌年春俺は山下・岩城と共に、広瀬とその恋人・明石実央君の新婚家庭?を訪れた。恋人の就職を待って同居を始め、もう2年目になるという。実央君は都内の私立高校で、教師をしているそうだ。岩城はとうに知っていて、すでに新居に遊びに行っているらしい。二人が営業部を離れた事もあって、俺や山下がそれを知るのはだいぶ後になった。
成人男性に対してこの表現はどうかと思うが、実央君はかわいかった。そして広瀬が実央君を宝物のように大切にしている事が、二人の様子から十分に伝わってきた―でも、と俺は思う。兄貴のようにゲイだったら最初から選択肢は同性しかない。だが彼らにはまだ「女性」という選択肢も残されている。二人が同性愛者でない事が、かえって俺には不安要素であるように思えた。
二人と山下がベランダに出ている時、俺はふとその不安を岩城にもらした。
「それ、俺も広瀬に言ったことがあって。まあ一蹴されましたけど」
岩城は笑ってこう言った。さらに続けて
「『そんなことは100万回考えた。実央ともちゃんと話し合っている』そうです」
とも教えてくれた。
「そうか…やっぱりすごいな、あいつは」
広瀬のお母さんは、まだ二人の仲を反対しているらしい。そりゃ、そうだろうとは思う。実央君はいい子だが、出来のいい息子がよりにもよって男を選んだなんて母親にとっては我慢できないのだろう。それでも広瀬はそんな事を全く意に介していないようだった。
その年の夏、広瀬家と明石家で親睦会のような事をする予定なので兄貴の店を使わせてもらえないかと、岩城を通じて打診があった。岩城には兄貴がレストランをオープンさせた事は伝えてあったので、広瀬に使ってもらってもいいかという。
「広瀬にはまだ詳しい事は言っていません。大野さんとお兄さんの了解をもらってから、伝えようと思っています」
岩城にそう聞かされ、俺はすぐに兄貴に話を通した。広瀬と実央君の関係もその時に伝えた。
「お前にそんな後輩がいたのか…」
さすがに兄貴は驚いていた。ノンケ同士で交際して長く続いている事、会社中にそのことが知られても広瀬が全く動じていない事、家族の理解が得られている事…
「夢のような話だな」
兄貴は笑った。
「広瀬のお母さんはまだ微妙らしいんだけど…でも最近優しくなって、食事会にも参加してもらえそうなんだってさ」
俺はまるで自分の事のように、テンション高めで兄貴に説明した。
「当日は家族以外にも若干名知り合いを呼ぶらしい。俺と山下、岩城も呼ばれているよ。それくらいの人数でも貸し切りとかできそうかな?」
「人数は関係ないよ、そんな素敵なカップルならぜひうちを利用してほしい。俺と篠原の事も伝えてもらって構わないから」
篠原さんというのは、兄貴の恋人のシェフである。
「わかった、日程と人数が確定したらまた連絡する。よろしく頼むよ、兄貴」
俺がそう言うと、兄貴は嬉しそうに笑顔を見せた。
8月のある暑い土曜日、広瀬・明石両家の食事会は無事執り行われた。参加者はなかなかユニークな人が多かった。広瀬の弟・篤紀君も春から当社の経理部に勤め始めている。広瀬のお姉さんはすごい美人だが、なんとなく男勝りという感じで広瀬も頭が上がらないようだった。会社からはなぜか、俺たちの他に秘書課の金沢さんと人事部の堀越さんが加わり、広瀬が仕事で関わったという外部のデザイン事務所の男性も一人参加していた。倉館さんという人だが、岩城とも親しい様子だった。
この日は日頃仕事のできる頼もしい広瀬が、実央君や家族の事でバタバタ振り回されているのがなんだかおかしかった。
(広瀬にも、こんな一面があったんだな)
この食事会に参加しながら、俺は心に決めた事があった。
広瀬たちの食事会から2週間後、俺は両親と妻の加奈子を連れて”le Soleil”を訪れた。俺が声を掛けた時、両親は消極的だったが、半ば強引に連れ出した。もちろん兄貴にも事前に伝えておいた。俺は広瀬たちの食事会に出たあの日、家族をここに連れて来ようと決心したのだ。兄貴は少人数用に2つだけある個室のひとつを、俺たちのために用意してくれた。
店に入ってフロアを見渡すと、中は8割方お客さんで賑わっていた。家族連れ・恋人?夫婦?友人同士らしいグループもいる。土曜日だというのにスーツを着たサラリーマン風の二人連れもいた。みな笑顔で食事を楽しんでいる。
「ママ、僕アイスクリーム食べたいよ」
「デザートはお食事の最後よ、もう少し待ちましょうね」
家族連れらしいテーブルの横を通る時、そんな会話が聞こえてきた。個室に入ると間もなく兄貴と篠原さんが食前酒を持ってやってきた。
「親父、お袋、加奈子さんも久しぶり」
兄貴が明るく話しかける。
「ああ」
親父が一言だけ言った。
「お義兄さん、お久しぶりです。もっと早く来たかったのに、遅くなってすみませんでした」
隣の加奈子が明るい調子で挨拶した。
「今日はゆっくりしていってくれ、ただその前にちょっと…」
兄貴は一度篠原さんの方を見て、また俺たちに向き直った。
「食事前に話す事ではないけれど、早い方がいいかと思って」
兄貴の前置きに、加奈子は不思議そうな顔をする。
「親父、お袋、加奈子さん、隣にいる篠原修吾はこのレストランのシェフで…俺の恋人なんだ」
兄貴の隣に立つ篠原さんが、軽く頭を下げた。さすがに加奈子はびっくりしている。親父とお袋も兄貴がゲイであることは知っていたが、プライベートの事までは知らなかったので動揺した様子を見せた。
「加奈子さん、驚かせてすまない。俺はゲイなんだ。家族もそれは知っている。修吾の事は武しか知らなかったけれど」
「そうだったんですか」
最初は驚いていた加奈子だったが、兄貴の話に落ち着いて応える。
「俺の決心がつくまで武には黙ってもらっていた。自分の口で加奈子さんに伝えたかったから。不快に感じたなら、今後は俺たちとの距離は取ってもらって構わないよ。できれば今日の食事だけは楽しんでいってもらいたいけれど、嫌だったら…」
「え?なんでですか?」
兄貴の話を聞き終える前に、加奈子が不思議そうにそう言った。
「不快って何ですか?そんな事思う訳ないじゃないですか。今世界にどれだけの人がいると思ってます?80億以上いるんですよ、80億です。その中で好きな人に巡り合って、その人にも愛してもらえるって、ものすごい事なんですよ?そもそも80億の中に男と女しかいないのに、同性とか異性とか、そんなの重要ですか!?」
加奈子はすごい勢いで一気にまくし立てた。俺も両親も加奈子の意外な一面に、呆気に取られている。元気ではっきりとした女性だとは知っていたが、80億とはデカく出たな。そう言えば加奈子は大学で世界情勢の何とかを専攻していたっけ。それにしても目がキラキラと輝いている。気のせいか?
「うん、こういう時はなんて言ったらいいのかしら。『そういう事に理解があります』みたいな言い方、私は好きじゃないのよね。上から目線みたいでイヤでしょ?『気にしない』もなんか違うな…て、いうか、武さん、もっと早く教えてくれればよかったのに。このお店にも自分だけ後輩さんの食事会とかで招かれて…」
加奈子が不服そうに俺を見る。今度は俺が責められる羽目になった。
「ご、ごめん?実は、その後輩というのも…」
俺は広瀬たちの名前は出さず、プライバシーに配慮して先日の食事会の趣旨を簡単に加奈子と両親に説明した。話の流れで、伝えた方がいいような気がしたのだ。
「そんな素敵な食事会だったなんて…私もお邪魔したかったわ」
加奈子はそう言ったが、いや、さすがにそれは無理だろう。加奈子が面識があるのは山下しかいない。親父・お袋は自分の息子がゲイであることに複雑な思いを抱いていたが、俺の身近にも男性同士のカップルがいる事に驚いたようだった。
「篠原さん」
その時スタッフの一人が篠原さんを呼びに来た。
「厨房の方、ちょっといいですか?」
「ああ、すまない、今行く。尊、ちょっと外すな」
加奈子の発言に呆然としていた篠原さんだったが、急いで厨房に戻って行った。残された俺たち家族の微妙な雰囲気に、加奈子は一同の顔を見回す。
「え?私何かおかしな事言ったかしら、武さん?」
「あー、おかしくはないと思うけど…」
俺もなんて言ったらいいのか、わからなかった。
「そうなの…武の会社にもそういう方が…私たちも古い価値観を改めるべきなのかしらねえ」
ずっと口を閉ざしていたお袋が、ぽつりと呟くように言った。
「あら、お義父さんとお義母さんは尊さんの事、反対なさってたの?」
加奈子がいまさらのように確かめる。
「反対っていうか…まあ、複雑な親心っていうか…正直俺もそうだったから。後輩の事があって兄貴との関係にも前向きになれたっていうか」
「そうだったのね、まあこういう価値観は人それぞれだから、無理に改める必要はないと思いますけれど…でも私、お義兄さんと篠原さん、とてもお似合いで素敵なカップルだと思いました。お世辞じゃないです、本心です」
加奈子の言葉に兄貴は泣きそうな表情を見せた。
「いいパートナーを見つけたな、武。今日は俺がご馳走するから、存分に味わっていってくれ」
兄貴がそう言った。兄貴はあえて「パートナー」という言葉を使ったのだろう。
「ダメだよ兄貴、今日は俺がご馳走するってみんなを連れてきたんだ、あんまり大盤振る舞いしてるとすぐに店が潰れちゃうぞ。そうだ、あれ出してくれよ、鴨のローストだっけ?この前の食事会で食って、めちゃ美味しかったわ」
そこへ篠原さんが最初の料理を運んできた。テーブルにはお箸もセットされている。
「お待たせしました。ワインは僕の実家のワイナリーのものです。山梨の甲州市なんですけれど、機会がありましたら是非」
「ワイン!私大好き!甲州種の白、美味しいですよね。武さんは赤ワインが好きみたいですけれど、私は白が好きで…」
加奈子がまた顔を輝かせて言う。続けて
「今度、お義兄さんと修吾さんでお店がお休みの日に、うちへいらして下さいよ。お二人の馴れ初めとかぜひ、聞きたいわ。それで簡単なレシピを教えてもらえると助かるかなー、私料理の方は今一つで…」
と、照れくさそうに兄貴たちを誘った。
「教えますよ、上手な手抜き料理」
篠原さんは笑って答えた。
「修吾、鴨のローストのオーダー入ったから頼むな。あれ評判いいな。先日の食事会に来てくれた人が数名早速リピートで来店してくれたけど、みんな注文していたよ」
「それは嬉しいな、じゃあ次の皿を用意してくるよ」
再び厨房に下がった篠原さんを追うように、兄貴も「それじゃ」と下がろうとした。その時
「尊」
親父が兄貴を呼び止めた。
「長いことすまなかったな…辛い思いをさせてしまって。理解のない親で申し訳なかった」
兄貴は驚いたように振り返って、親父とお袋を見た。
「そんなことないよ、二人とも俺を責めたり否定したりしなかったじゃないか、それで十分だよ」
それだけ言って兄貴は厨房に下がって行った。後ろ姿しか見えなかったが、なんとなく泣いているような気がした。
「今日みんなで来られて、よかったわね」
加奈子がワインを飲みながら微笑む。そしてみんなが最初の料理を楽しみ始めたその時、
「左右どっちかしら…」
隣で加奈子がそう言ったのが聞こえた。
「左右?カトラリーのマナーの話か?」
俺が確かめると、
「あ、いえ、こっちの話」
とはぐらかされた。その日は加奈子の新たな顔を見られた気がした。
9月の秋空とはいえ、まだ外は暑い。
「それじゃあ、営業先に行きますか」
山下が重い腰を上げる。今年俺たちは新人教育の担当にはなっていない。二人で外に出ると秋の強い日差しがじりじりと容赦なく照り付けた。本社ビルを見上げるとガラスにも日差しが反射している。
「あれ、晴れてると思ったけれど、ほら、あっちの方角、なんか黒い雲が出てるな。夕立ちに会わなきゃいいけれど」
山下が言った方を見ると、確かに空が嫌な色の雲で覆われて薄暗くなっていた。
「社長、早く元気になるといいなあ」
山下がそう言いながら地下鉄の入り口に向かう。
「そうだな」
俺たちは約束した営業先に向かうため、地下鉄の階段を下りて行った。
おしまい
おまけ 岩城の懊悩
9月のある週末、退社後に俺はなんとなくミックスバー“Fairy tales”に立ち寄った。そしていつも通りバーの常連ユウさんに出迎えられた。ミックスバーとは様々なセクシャリティの人が集う場所である。
「ユウさんはいつもいるよな、ここに住んでるのか?」
「住んでないわよ、家は近いけれどね」
ユウさんはそう言って、ビールを一杯俺に持って来てくれた。いや、もうほとんどスタッフじゃん。
俺の名は岩城諒・大手企業大室精密(株)に勤務するエリートサラリーマン(※自分で言うんだ…)。最初は営業部に配属され、今は秘書課に属している。
「最近暁ちゃん来ないのねえ、寂しいわ」
今話している常連のユウさんは、オネエの男性。「暁ちゃん」というのは俺と同期入社の広瀬暁人の事で、営業部では2年ちょっと一緒に働いた。今やつは広報部に所属している。共に新しい部署に移って2年目になる。そして…まあ、広瀬は俺が惚れている相手だ。といっても俺はゲイではない。自分で言うのもあれだが、女が大好きで遊び相手にも困らない。俺も広瀬もいわゆるハイスぺ男子というやつで、見た目も中身も申し分ないからだ(※やっぱり自分で言うんだ…)。女とは遊ぶだけで恋愛はしない俺だったが、なぜか広瀬に惚れてしまった。自分でもいまだに謎である。
「アタシねえ、あれから3回も”le Soleil”に行ったのよ」
ユウさんが嬉しそうに話す。
「へえ、3回も…誰と行ったんだ?」
「…一人よ…」
ユウさんはため息を吐いて俺の隣に座った。
「ねえ、オーナーさんとシェフって本当に恋人同士なの?諒ちゃんの勘違いじゃなくて?」
「間違いないよ、本人からも聞いてるし」
”le Soleil”というのは都内某区にある、まだ新しいレストランである。営業部時代俺と広瀬がお世話になった大野さんのお兄さんがオーナーを務めていて、シェフの篠原さんは彼の恋人である。二人はゲイのカップルだ。
先月その”le Soleil”で広瀬が貸し切りの食事会を開いた。実はこいつの恋人も大学時代の後輩明石実央君という男性である。ただしこの二人はノンケで同性愛者ではない。共に社会人となった現在は二人で同居生活を楽しんでいるが、付き合い始めて5年以上、ずっと平穏だったわけではない。特に広瀬のオフクロさんが最後まで二人の交際に猛反対していたという。それが今年の春辺りからようやく認めてくれる風向きになったので、二人の家族や知り合いを集めての食事会を”le Soleil”で開いたのだ。決して人数は多くなかったが、俺もユウさんも出席者の一人だった。
もっともユウさんは自主参加である。3年前広瀬をここに連れて来たのは俺だ。実央君との男同士のあれこれ?で悩んでいた広瀬を、参考になればと誘ったのだ(※参考…)。ユウさんとはそれ以来の付き合いだが(厳密にいえば、俺はユウさんとそれ以前に1度会っている)、広瀬の相談に乗っていたユウさんが是非とも食事会に参加したいと言い出したのである。
ユウさんは大手デザイン会社に勤めていて、広瀬が広報部に入った後に仕事でも関係があったから、一応会社関係枠での招待という事になったのだ。
「素敵な人よねえ、オーナーさん…♡」
どうやらユウさんは食事会でオーナーの大野尊さんに一目惚れしたらしい。
「頼むから色目なんか使わないでくれよ、大野さんに顔向けできないから。大野さんの所も広瀬と同様、やっと家族とうまくいくようになったみたいだし。ユウさんも不倫はダメだって前に言っていたじゃないか。ユウさんがオーナーに手を出したら、不倫と同じだろう」
俺はユウさんに釘を刺す。
「わかってるわよ、でもあちらからお誘いがあったら仕方ないわよねえ」
あちらからって…そんな下心で”le Soleil”に通ってんのかよ。
「まあ、100%無理だと思うけど」
俺はあっさり断言する。
「もう、イジワルなんだから」
ユウさんがそう言って口をへの字に曲げた時、新しい客が店に入ってきた。俺はその男に見覚えがあった。
「アラ、史ちゃん、久しぶりね」
「久しぶり、ユウさん、相変わらず元気そうだね」
「ここはアタシのオアシスですもの」
そう、ユウさんが「史ちゃん」と呼ぶ男。俺が広瀬への恋心を自覚し、即失恋した夜にここで初めて会った男だ。歳は俺より一つ下らしいが、なんか俺と同じような境遇だと話していたな。ただ俺と違って史ちゃんはゲイらしい。
「そちらの方もお久しぶりですね」
史ちゃんは俺にも声を掛けてきた。こういう場所では本名を明かす事はあまりない。下手に名刺交換なんかして同業種だったら、きまりが悪いしな。
「どーも、ご無沙汰です。その後どうですか?片想いの彼とは進展なしですか?」
俺は軽い調子で聞いてみた。史ちゃんはノンケの男に恋をして、その男がノンケにも拘らずこれまたノンケの男とくっついてしまったという。この辺が俺と同じなのだ。
「どうもないですよ、たまにラ〇ンやメールのやり取りはしてますけれど、彼氏とは同棲中らしくて…ああ、その子はただ『恋人と暮らしています』って教えてくれただけで、『彼氏』とは言っていないですけれど」
史ちゃんは苦笑いした。
(ノンケ同士で同棲ねえ、うまく行くのかねえ)
俺は広瀬と実央君の事を思い浮かべる。食事会の時俺は、よりにもよって二人の指輪贈呈の立会人をやらされた。目の前で30秒間二人のハグを見せつけられた。
(しかし知らないから仕方ないとはいえ、史ちゃんの片想いの相手もちょっと残酷だな。自分のことを好きな男に「同棲してます」報告って。そもそも気付かないのか?同性とはいえ、自分が好意を持たれている事に…)
俺は勝手に史ちゃんに同情した。かくいう俺も広瀬には気付いてもらっていない。その方がいいのか?気付かれたら、友達でいられなくなるかも知れない。俺が自分に惚れてるって知ったら、広瀬はどんな顔をするんだろう。
俺はその晩、イヤな夢を見た。
―広瀬と実央君が抱き合っている。広瀬は実央君が折れてしまうのではないかと思うほど、きつくきつく彼を抱きしめている。やめてくれ、こんな場面は見たくない。広瀬の胸に顔を埋める実央君の表情は見えなかったが、やがてゆっくりと俺の方に顔を向けた。はじめは無表情だった実央君は口元に笑みを浮かべて、勝ち誇ったように俺を見る。俺は二人を引き離そうとしたが、体が動かなかった。苦しい、息ができない…—
そこで目が覚めた。喉が塞がれていたようになっていたが、呼吸ができてほっとした。苦しかった。見れば眠りにつく直前まで読んでいた雑誌が胸に載ったままだった。これがよくなかったのかもしれない。ゆっくり起き上がって体が動く事に安心したが、心臓はバクバクしているし胸の奥には悪寒が残っている。全身ぐったりとしていた。
(疲れる夢だったな…)
翌日の土曜日、俺はまた“Fairy tales”に足を運んでしまった。2日続けて行くのは初めてだった。
「あら、珍しい、また来たの諒ちゃん」
いつもの大歓迎と違って、ユウさんは不思議そうな顔で俺を見た。
「うん…なんとなく足が向いた」
昨夜の悪寒は、まだ体のどこかに沈んでいる。昨日より客は少なかったが、あの「健ちゃん」がいた。この男はゲイでバリタチらしい。以前広瀬が来た時に、この男から諸々「実地」方面を教わったらしいが…
「おや、諒君、今日は一人かい?暁君は元気?彼氏とはうまくいっているのかな」
「どーも…広瀬なら元気で、彼氏とは仲良くやってますよ」
「それは良かった。ノンケ同士のカップルはなんか心配になるんだよねえ、俺が世話を焼く事じゃないってわかってはいるんだけど」
「…健さんは以前広瀬に色々教えたんですよね」
「ん?ああ…まあ教えたね」
「広瀬にどんな事を教えたんですか?」
「知りたいの?男を抱く予定でもあるのかな?そうでないなら聞かない方がいいと思うけど」
健さんにそう言われ、俺は返事ができなかった。
「何かあったの、諒ちゃん?先月の食事会で暁ちゃんにスキンシップして、目覚めちゃった?」
ユウさんはからかうように言ったが、俺が黙り込んでいるのを見て真顔になった。
「諒ちゃん、アナタ…」
「なんでもない、昨夜変な夢を見たから神経質になってるだけだ」
そう、あの夢はきっと警告だ。これ以上広瀬にのめり込むなという、神様かご先祖様か守護霊様からのありがたいお告げなんだろう。
「そういえばね、アタシまた暁ちゃんの所と仕事する予定なのよ」
話題を変えようとしたのか、ユウさんはあえて明るい調子で言ってきた。
「うちの広報部と?」
「そうよ、前回のCMが好評だったからまた依頼が来たの。TVにするかWEBにするかは未定なんだけれど」
おいおいユウさん、決定前のそんな話をベラベラ喋っちゃっていいのか?俺が同じ社の人間だから、油断してんのか?それにしてもあのアホそうな女性タレントのCMが好評だったとは…(全然記憶に残ってねえぞ)。
「もういっそ、暁ちゃんに出てもらいたいわよねえ、社員が出演するのもアリだと思わない?」
そうだな、下手なタレントを使うくらいなら広瀬の方がよほど映える。なんなら俺が一緒に出てやってもいいぞ?ユウさんとそんな話をしていたら、若い女二人連れが近寄ってきた。
「ねえ、一緒に飲まない?お話ししましょうよ」
(逆ナンかよ)
俺は心中舌打ちした。ゲイバーではハードルが高くてもミックスバーなら入りやすいのか、たまにいかにも興味本位な女性客が来店する事がある。それがダメだとは言わないが、こっちには絡まないでほしい。下手に「ゲイだ」と嘘をついたところで、逆に色々聞かれてやぶへびになる恐れもある。
「あー、ごめんね、ちょっと込み入った話をしているからまた今度」
俺は愛想よく笑って女性客を追い払った。お持ち帰りしてやってもいいが、今日はそういう気分じゃないし、この店で下手こいて来にくくなるのも嫌だしな(※ホントこういうところクズ)。
「ずいぶん冷たいのねえ」
ユウさんに冷やかされたが、
「女目的でここへは来てないよ」
その日は2,3杯酒を飲んで、店を後にした。
(今夜はコンビニ飯にしておくか…)
店を出た俺はそんな事を考え、コンビニに寄ってから帰宅した。勤め始めて4年目、給料もまあまあもらえるようになったので、前のアパートから引っ越して1LDKのマンションに暮らしている。築年数も浅く、きれいで気に入っている。広瀬がここに来たことはまだない。いつか「寄ってけよ」と誘いたいとは思っているのだが。
風呂を沸かして下着を出そうとしていたら、スマホが鳴った。「渚」と表示されている。妹からだった。
<お兄ちゃん?久しぶり、今大丈夫?>
「大丈夫だけど、なんか用か?」
<冷たいなあ、別に用ってわけじゃないけれど最近ご無沙汰だから>
俺の実家は埼玉某市、実は会社に通勤しようと思えばできる場所にあるが、自由気ままに暮らしたい俺は大学在学中に理由を付けて一人暮らしを始めている。
「ああ、そう言えばそうだな、親父たちは元気か?」
<変わりないよ、そろそろお兄ちゃんがいい人連れてこないかな、なんて話してる>
だからあまり帰りたくないんだよ、まだ30前だぞ。そもそも結婚願望ないしな。
「仕事が忙しいし、恋愛なんてしているヒマないよ」(※大ウソつき)
<お兄ちゃんは昔からモテるから、選り好みしてるんでしょう?>
「(そりゃ当然するわ)そんなんじゃないよ、それよりお前の方はどうなんだ?」
妹は今年から社会人になった。地元の会社に就職して実家住まいである。
<うーん、まあ仕事は何とかやってるわ、まだまだだけれどね。それよりこの間同じ課の人に食事に誘われちゃって>
本題はそっちかよ。
<どう思う?これってやっぱりそういう意味かな?>
ちょっとウキウキしている妹の声に、少し複雑な気分になった。
「まあ、二人だけで食事ってことなら、そういう意味なんじゃないのか?」
<そっかー>
妹の声は弾んでいる。こいつもまんざらではないらしい。
「その気がないなら断った方がいいけれど、相手を知るためにとりあえずOKしてみるのもアリじゃないか?合わないって感じたら、期待させるような態度はやめておいた方がいいぞ」(※どの口が…)
それから妹とは親の事・地元の話なんかをして電話を切った。
(新入社員に早速声を掛けるとか、手の早い奴もいたもんだな)
風呂から上がって、タオルで髪を拭きながら俺はそんな事を思っていた。そりゃ俺の妹だから、そこそこ可愛い。そういう話も出てくるだろう。俺は腰にバスタオル1枚巻いたままで、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
(広瀬と実央君て、女に何も感じないのか?)
あの二人は男同士でくっついてはいるが、もともとは異性愛者だ。好きになった人がたまたま男でしたという事でしかない。
(女の裸とか見ても、なんとも思わないのか?)(※つくづく発想が下品)
広瀬はもう何人も社内で女性社員を振っている。もしかしたら俺の知らない社外でも、声を掛けられているかもしれない。そう言えば前に、同じ広報部の城下紗弓が「広瀬さん、他社の女性にも男性にもモテますよ」みたいな事言ってたな。
実央君は今男子校で教師をしている。女性はオバさんばかりらしいから、声は掛けられないか(※男性には掛けられています)。高校の時ちょこっとだけ彼女がいた話は前に聞いたけど…その時昨夜見た夢の中の実央君を思い出した。
(あの表情…)
顔そのものが変わっていたわけではない。ただ、いつものかわいい天使の実央君ではなかった。
(あざとい?妖艶?…ちょっとイジワルそうな口元の笑み…)
「この男は自分のもの」—そんなふうに俺に言っているような顔つきだった。
(魔性の男…)
ふとそんな言葉が俺の脳裏に浮かんでしまった。
(いや、なんだよ「魔性の男」って、ワケわかんねえわ)
自分の考えに自分で突っ込んでしまった。
(夢見が悪かったから、なんか思考がおかしい事になってんな)
俺は買ってきたコンビニ弁当を温めようと電子レンジに入れた。あんな顔の実央君には、金輪際お目にかかりたくないなと思いながら。
おしまい
終わり
お楽しみ頂けたでしょうか。両家の食事会前後を中心に色々な視点で描いてみました。また一人腐女子が増えました。前作同様、富士吉田市にはご迷惑をお掛けしております。甲州種の白ワイン、美味しいですよね。図らずも山梨県にはお世話になりました。




