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不可解  作者: TAKI
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沈没寸前

沈没寸前でした。どれだけ漕いでも進まなくて、救難信号を送っても誰も反応してくれない。いくら水をかき出しても、浸水する。まるで沈没することを望まれていたかのように………


 彼が運転する軽自動車。高速道路を突き進んでいく。流れていく景色を後部座席の窓から眺めていた。そんな私に彼が語り掛ける。

「今回の遠征。てめぇ、何か学んだことがひとつでもあったか?」

疲れ切っていた私の脳内に彼の言葉がゆっくりと侵入してくる。今回の遠征の反省、振り返りのつもりなのだろう。が、私には彼の言葉がそんなもののようには思えない。彼は言葉を続ける。

「はっきり言って、全く無いんじゃない?学んだことなんてひとつも。……だってなんの成果も残してないじゃん。……え?、逆に何学んだの?」

「…え、えっとぉ。まず技術面に関しては、」

「あぁもういい。もう何言おうとしてんのか大体わかるから。」

ひねり出した私の回答を彼は怪訝そうに遮った。彼は運転しながら続ける。

「てめぇの一番悪いところはそういう人間性だ。なんでもかんでも自分中心で、とにかく自分に甘い。それでもって全く周りに気を配れてない。おまけになんにも考えない。そりゃ馬鹿にこんな遠征できるわけがないよな。」

マシンガンのごとくダメ出しが飛び交う。立場を重んじて私はなにも反論しない。疲れ切った脳をできるだけ回転させてそのダメ出しの内容の理解に努め、ガラガラになった喉の奥から嘔吐するようにかすれた返事を吐き出す。やっとの思いで吐き出した返事を聞いた彼は、

「ちゃんと返事しろ!」

と怒鳴りつけた。彼はため息交じりに続ける。

「おまえ人間終わってるよ。返事もできないようじゃ。そんなんだからロクに遠征もできないし、ロクな成果も出せないんじゃない?それを変えようとしないんなら尚更。ほんと終わってんな。」

脳内に侵入してきた彼の言葉が、私の中の大事な何かに刺さりだした。毎日、毎日。聞き飽きているし聞き慣れている言葉だったはず。なのにいつもより痛い。唐突に、

「おい!メモとってんだろうな?」

と彼が尋ねてきた。

「…ハイ…」

かすれた声でできるだけ大きく返事をする。何かが切れている。何が切れているのか説明はできないが、私の中の何かはつけられた傷の痛みに叫び、とうとう静かになった。彼からはメモをしているように見えているだろう。私の左手にはボロボロになったノート、右手には鉛筆のように握っている刃を露出したカッターナイフ。彼が放った言葉をボロボロのノートの1ページにカッターナイフで刻む。箇条書きでもなければ文章でもない。一文字一文字を順序や構成なんて気にもせず刻んだ。そんなことなど知る由もなく、彼はマシンガンをぶっ放す。それが着火剤になっていることも知らずに。


 高校に入学した私は今までの自分をより良いものに変えたかった。中学時代の私はとにかく閉鎖的な人間だった。人との関わり、人間関係を築くことが苦手だった。その理由はいろいろあるが、1番は人を傷つけたくないと思っていたからだ。自分の話をすることで人の時間を奪ってしまうのではないか、自分の話が相手のなにかしらの地雷になってしまうのではないか。そもそも相手に何を話せばいいのかわからない。どうすれば気に入ってもらえるか、楽しんでもらえるか。そんな人間が関わることで相手を傷つけることになる。だから人と関わらなかった。要するにいらない心配ばかりする性格が、閉鎖的な人間にしてしまっていたのだ。その積み重ねが原因となり、結果として中学卒業時、友達といえる人は2人いるかいないかだった。ましてや、その2人のLINEや電話すら持っていなかったため、卒業後2人がどこで何をしているのか、どんな進路を考え実現したのか、元気でやっているのか、何もわからず終いだった。そしてそれでよいと思っていた。なぜならその2人の進路やその後に興味がなかったからだ。人間の心理とはわからないもので、あれだけ人を傷つけたくないと思っているのに、人そのものには興味を示さない。それが私の根底にあった。そんな矛盾がはっきりしていたことも、その矛盾に従順だったことも結果的に人付き合いの下手さにつながったのだと思う。話を戻すと、そんな性格が原因で中学時代は友達がおらず、さすがにまずいと感じた私は高校ではそんな自分を変え、人間関係を良好なものにしようと考えていた。そこでまずは新しいことに挑戦することにした。新しい環境で新しいことをすることで、新しい自分になれるのでは?そう考えていた。私の入学したM高校(ここではM高と仮称)には、少しマイナーな部活があった。ヨット部だ。M高の看板的な部活で毎年記録を残している。しかしここ数年、認知度が低いという理由で部員は激減しており、私が入学する年には部員は0であった。実績と現状を知った私は受験期からその部活に目をつけていて、面接、志望理由書などで「ヨット部に入りたい」とアピールしていた。そのため入学後、真っ先にヨット部の見学に行った。ヨット部の内容は少しハードで、火曜日以外の平日は学校で筋トレ、月水金は朝練あり。土日は朝から夕方まで海練。もちろんそれは承知の上だった。それで自分を変えられるなら。海練の体験の際、OBさんや顧問からも「楽しい」「進路実現につながる」「練習と実績が見合っている」と肯定的な意見が見られた。実際、ヨットは楽しかったし、みんなよくしてくれた。他にもM高のホームページや学校で渡された部活紹介の冊子を確認しても、特に目立った悪評は無かったため入部を決意した。親もその決断に賛成し、私は晴れてヨット部員となった。

部員は私ひとりだった。

入部して1週間ほどは初心者向けのトレーニングメニュー、ヨットの知識についてを学んだりと、初心者のレベルに合わせた活動だった。しかし入部して1週間から2週間が経過した頃、ちょっとした異変が起きた。土日の練習の際、いつものようにハーバーでの練習。幸いにもハーバーは私の家から自転車で15分のところにあった。まだ初心者だったため、ハーバーでは陸でヨットを組み立て、半日ヨットの部品の名称や操舵方法、専門知識についてのレクチャーがメインだった。その日はタッキングについて。タッキングとはいわばヨットの方向転換の技術である。その日初めて教わったことだった。まず顧問による実演をし、それを踏まえて私が実践するという流れを何回か繰り返した。しかしやはり初めてのことでその動作になかなか馴れず、何回やっても一連の動作のなかで見本との微妙な違いがあり、半日では修正することができなかった。自分の覚えが悪いと変な罪悪感を感じた私は練習後のミーティング中に

「すみません。なかなか上達しなくて…」

と頭を下げた。それに対して顧問は

「大丈夫大丈夫!みんな最初はそんな感じだし、徐々に上達するからさ。」

と私を励ました。私は少しの安堵と嬉しさで

「ありがとうございます。」

と礼を言った。ミーティング終了後、私はハーバーに残り後片付けを行い、顧問は先に帰った。顧問が帰る直前、私は解散前の挨拶として

「お疲れ様です。」

と一礼した。顧問も挨拶を返したのだが、立ち去る際にポロっと、しかし顧問がはっきりと一言つぶやいた。

「…やっぱりあいつは馬鹿だったな。」

はっきり聞こえた。だがそのときの私は聞き間違いだろうと自己暗示をし、あまり気にとめなかった。おそらく、自分を否定されることが怖かったのだろう。その怖さを否定するためにあえて自ら蓋をした。

 その日が境になったのか、さらに1週間、2週間が経過した頃、顧問は包み隠さず私に

「こんなこともできないの?おまえ馬鹿じゃん!」

と直接私に言うようになった。実際、失敗しているのは私だし、仕方ないのかなと思い反論することはなかった。徐々にヨットの技術も初心者から少し経験者と言われるほどになったころ、私の技術について「馬鹿」と言われることは一時的に減った。だが今度は私の性格、人格に対して意見し始めた。入部して一か月が経つ頃、指摘や指導というよりは罵倒に近くなっていった。あるときは、

「おまえのそういう暗いところが人としてダメだ。暗い人間は損しかしない。だからお前はずっと損をしている。そんな損しかしない人間は馬鹿だろ?」

またあるときは、

「馬鹿にヨットはできないし、馬鹿がいい人生を送るのは難しい。おまえはそんな馬鹿と同類なの?」

罵倒を正当化するように私にそんな言葉を浴びせてくる。暗い性格であることは私自身わかっていた。もう少し性格を直そうと思い、ヨット部に入部したのも事実だし、その性格が原因で損したことがあるのもわかっている。けれど顧問の口調は、まるでそんな暗い性格は絶対悪であるかのように批判していた。私は反論こそしなかったものの、いつも顧問の言葉に疑問と異議を感じるようになった。それと同時に「私の価値ってなんなんだろう」と自問自答するようになった。また練習も苛酷になっていった。海練は朝の8時から18時30分、時には19時まで。学校でのトレーニングは放課後15時頃か16時頃から始まって18時30分頃まで行う。休憩はなし。先述したように、練習がハードになることはもともと覚悟していたし、それを承知の上で入部したのも事実だ。しかし想定していなかったことがあった。人格の否定、罵倒だ。海練だけに限らず、学校でのトレーニング、さらには学校生活に対しても顧問は否定を始めた。

「もしテストで高得点とれないようなら、ヨットなんてできるわけがない。」

とか

「生活を削ってでもヨットのためを思え。でないと勝てないし、ヨットなんてできないよ。」

と言われた。自分で言って誇れるようなことではないが、私は努力した。否定されないために。私はテストでは高得点を出し、提出物や素行、人間関係など学校生活にも気を張った。しかしそんなことなどお構いなしに顧問の罵倒はエスカレートしていった。いくら学力が上がっても、人間関係を構築しても、それらが全てヨットの技術向上に繋がるわけではない。その頃の私は学校では授業、部活、家では食事や入浴など以外はその日の授業の復習や課題、ヨットの技術やその日の学びを徹夜でノートにまとめていた。そのため、睡眠時間はいつも2時間から3時間ほど。学校では何本もの缶コーヒーを飲み、ひどい頭痛とふらつく足と倦怠感と戦いながら生活していた。そんな状態でトレーニングに臨むが、そのトレーニングメニューは明らかにレベルに見合っていない過度なものになっていった。トレーニングをしようという意欲よりも先に身体が壊れてしまったため、100%のパフォーマンスができなくなっていった。そんな私を見かねた顧問はさらに私を罵倒した。

「体も精神も弱いからそんなことになるんだ。もっと頭を使え。本当に馬鹿だな。もっと強くなるためにトレーニング増やすぞ。」

結果、唯一のオフだった火曜日も座学や自主トレーニングに充てる日が多くなり、実質休みはなくなった。顧問による罵倒、過度なトレーニング、それによって疲弊した心身が積み重なっていき、徐々に私は家で弱音や文句を吐露するようになっていった。

「マジでだるい。」

「なんだよ、あのくそじじい。」

「マジでやだなぁ、あのクソ部活、あのクソ顧問」

私は無意識のうちにそんな文句を母の前で漏らすようになった。思えば母はとても嫌だったと思う。散々文句を聞かされて。

 高校最初の夏休み。顧問の罵倒、人格否定は依然として健全なままで、私は日ごろの不満を母にぶちまけていた。夏休みの最初の週の土曜、その日は海練であったが顧問の都合により午前中で終わり、早く家に帰ることができた。ようやくゆっくり休められると思い、自室にこもって1時間ほどしたとき父から書斎に来いと呼ばれた。私は言われたとおりに父の書斎に行くと、父は落ち着いた声で

「座れ。」

と言い、私を椅子に座らせた。その空気感から説教が始まるということは予想できたが、何について叱られるのか、疲れ切った脳で考えることはできなかった。父は冷蔵庫からお茶を取り出し、手に持った紙コップに注いでずっしりと私の向かいの椅子に座った。父は落ち着いた声で語りだした。

「おまえさ。最近、母さんに向かっていろいろ愚痴こぼしてるらしいな。」

その問いかけにようやくなぜここに連れてこられたのか理解した。

「…まぁ。………うん。」

愚痴を言っていたことは事実だし、隠したり否定すれば父の逆鱗に触れるかもしれない。私は否定せず、愚痴を言っていたことを認めた。父は軽く頷き、一口で紙コップのお茶を飲みほした。父はゆっくり紙コップを机に置き、ふぅと一息ついてから話を続けた。

「おまえがいろいろ大変なのはわかるよ。馴れんことをして、毎日いろいろ張りつめて。おまけに顧問とも上手くいってないんだろ?」

「………うん。」

私は小さく頷いた。

「おまえがいろいろ悩んでいることは十分にわかる。けどな、いつもいつも文句ばっかり言ってさ、それを応援してくれる人にばっかり言って。その人に失礼だと思わないか?」

無意識のうちに愚痴を吐き出していた私は、その一言で様々なことに気づかされた。自分がやっていたことは顧問と同じ、人を不快にしていた。人を傷つけること、それは中学時代から私が恐れていたことそのものだった。「私はあの顧問とおんなじだ。」もっと前から気づいていたことなのかもしれない。しかし、その事実を認めたくなかった私は、いつしかその事実に蓋をして棚に上げていた。「最低な人間は自分もか。」その答えにたどり着いた私は自分を激しく嫌悪した。父は続けた。

「いいか?おまえを支えてくれる人が大勢いることを絶対忘れるな。もちろん、誰かを嫌いになることは人間誰しもあることだ。愚痴を言いたくなる気持ちもわかる。けどな、人を嫌いになったら相手にも嫌われることを覚悟しておかないといけない。それに人を嫌いすぎれば、いずれ別の人からも嫌われるぞ。」

父の言葉はずっしりと響いた。父はさらに続ける。

「もし、本当に嫌なら、部活を辞めるのも手だぞ。」

「いや!それはできない!」

私は即答した。父は尋ねた。

「なんで?」

私は少し早口になりながら答えた。

「いろいろ支えてもらってるのに、こんなに早く辞めるなんて、その人たちに申し訳ない。」

父はすこし考えてから私に語った。

「だったら、まずは身近な人のことを想え。みんなお前のことを心配してるし応援している。」

私は涙をこらえながら頷いた。が、このとき私には大きな問題が発生した。まず、両親はヨット部の現状をあまり知らない。私があえて伝えていなかったからだ。理由は迷惑をかけたくなかったからだ。

「あいつがうざい。」

「部活がしんどい。」

「もうやりたくない。」

私のSOSはこのありふれた愚痴のレベルに留めていた。もし、両親が今の現状を知ったら、きっと今よりも心配する。両親からは私がこぼしている愚痴のレベルのようなことがヨット部にはある。私の性格、素行、愚痴だけが問題であると思ってくれていれば、大きな心配をかけることもない。そう思いヨット部の真の現状を話していなかった。そしてそのときの私は特に精神が疲弊しており、自己嫌悪が日に日に激しくなっていた。真に受ける必要のない顧問の罵倒を段々と真に受けるようになり、「自分は本当に馬鹿でクズでどうしようもない人間だ。」と常に思うようになっていた。大きく分けてこの二つの要因が負の連鎖を生み出し、大きな問題を発生させた。それは父の言葉を変に解釈してしまったということだ。父の言葉を簡単かつ一般的に解釈するのなら

「人間関係は決して一個人の問題ではないから、もう少し人のことを考えて発言しよう。人との距離感をもう少し気を付けよう。」

ぐらいなものになると思う。父が言ったように大前提として、人間関係には必ず好き嫌いがあって、その好き嫌いの距離感は人それぞれだと思う。それはみんな同じだから、せめて相手に絶対好かれるのではなく、好かれなくてもいいから不快にならないように努めれるだけ努めよう。それぐらい抽象的で強制的ではないようなものに解釈することがほとんどだ。しかしそのときの私はそのように考える余裕がなかった。私は父の言葉を聞いて

「自分は人に迷惑をかけている。自分の弱音は人からすると迷惑で、自分をさらけ出すことが人を傷つける。ならば、人に弱音を吐いてはダメだ。人に助けを求めてはダメだ。自分一人で抱えれば、自分一人が苦しめば、他の人が傷つかないで済む。」

と解釈してしまった。もちろん父を責めるつもりはないし、父のせいではない。そのときまで事実を隠していた私の責任だ。ただその日から、私の自己嫌悪はさらに深刻になった。私は今までより顧問を立てることにした。

 それから4日後、入部から技術は上達し海上練習をしていた。夏休みは学校でのトレーニングは無く、平日も土日同様のスケジュールで海練だった。その日は季節外れの風で、暴風注意報が出ていた。ここまでの強風は初めてだった。顧問からはゴーサインが出され、初めて強風下でのヨットを経験することになった。私は何回も(チン)した。沈とはヨットがひっくり返ったり転覆することを言う。ヨットがひっくり返るため、当然私は海に落ちる。ベテランになれば海に落ちることはないそうだが、そのときの私にそんな技術はない。初めての強風に私は慌てふためき、そこまで学んできた技術を発揮することはできなかった。顧問はそんな私に呆れ苛立ち、救護ボートからスピーカーで怒鳴り散らした。早朝から夕方まで強風に弄ばれた結果、両腕に力が入らなくなってしまった。ようやく顧問から帰港の命令が出た。依然として強風は収まっていない。強風にあおられながら私はハーバーを目指し、ようやくハーバーのスロープに着いた。私はヨットを陸に上げるための用具、ランチャーを取りに行くべくヨットを安全な角度に向け、ヨットから離れようとした。しかし私の腕は限界を迎えていたため、強風にあおられるヨットを押さえる力がなかった。少し力が緩んだ途端、ヨットは流されていった。後から帰ってきた顧問は無言でそのヨットを回収し、私はそれを受け取った。私はヨットを陸に上げ、顧問が着岸したことを確認した後、謝罪をしに駆け寄った。案の定大説教だった。私が悪い。この件については体力がなく、注意散漫になっていた私が悪い。反論も異議も思い浮かばなかった。ただ、顧問が説教の最後ほうで言った言葉だけが、私の何かに突き刺さった。

「おまえみたいなやつは本当に迷惑なんだよ!いつでも誰かに甘えて、ひとりでなにもできない。そういうやつを見るとすごい腹が立つ。はっきり言って迷惑だ!おまえは本当に迷惑な人間だ!」

『あぁ、自分の存在って、自分みたいな人間は、本当に迷惑なんだ。………存在しない方が誰にも迷惑をかけないんだろうな。』その言葉を聞いた私の脳はこんな答えをはじき出した。4日前の父の言葉、顧問からの言葉を経て、私の中の自尊心なのか、人格なのか。正体のつかめない何かが壊れた。まぁ、全ての発端は私だし、全て私が悪いから、自業自得だ。

………その日の夜遅く、私は自室で手首を切った。

朝、目が覚めると赤く染まった枕と腕が目に映った。寝ぼけていたからか、疲れすぎていたからか、錆びて切れ味が悪くなったカッターナイフで手首を切ったらしい。だから傷口は浅く、絶命には至らず少し多めに出血した程度で済んだ。ウェットティッシュで腕と枕に付着した血をふき取った。何を思ったのか、深いため息が止まらなかった。その後、私は朝食を食べ身支度をして、また昨日と同じ海練に行った。

 夏休みも終盤にかかった頃、私は笑わなくなっていた。お笑い番組を見ても、漫画を読んでもなにも面白くない。気を紛らわせるためにいろんな映画を見たりもした。SFやアクション、感動系を見てもなにも思わない。唯一、ホラー映画、スプラッター映画を見るときだけ心が落ち着く気がした。派手に人が死ぬシーンや内臓が飛び出るシーンを好んで見た。たまにそんなシーンを見て笑ったりもしていた。親はそんな私を見てさらに心配になり、またも父の書斎に呼ばれた。またも説教か。そう思いながら私は椅子に座った。父は椅子にどっしりと座った。ただ父は説教のときの表情ではなかった。父は静かに言った。

「最近なにがあったのか、全部話せ。」

「………え?」

私は口ごもった。父はお構いなしに

「いいから話せるだけ話せ。何も咎めないから。」

と再度言った。私は恐る恐る話した。顧問に何を言われていたか、私が今どう思っているのか。父は何も言わずに黙って聞いていた。私が話し終えたあと、父はゆっくり頷き口を開いた。

「おまえがどういう状況になっていたのかよくわかった。まず一つ。お前は今の部活を続けたいのか?」

辞めたい、といえばよかったのだろう。ただ夏休み中、ヨットの練習中様々な人との関わりがあった。とても親切なOBさんや丁寧にヨットを教えてくれた外部コーチ、趣味で練習をしていたベテランさん、ハーバーのスタッフさん。この人たちは本当にいい人たちだった。私を期待してくれて、私を支えてくれていた人たちだった。その人たちは親身になって私を助けてくれている。その人たちを裏切るわけにはいかない。私は父の問いに対して

「OBさんとか、外部コーチとか。期待してくれている人がいるから、今辞めることはできない。あの人たちを裏切りたくはない。」

と答えた。父は頷いた。

「おまえは親切な人間だな。」

父は私に聞こえるようにつぶやいた。父はそんな私の想いを汲み取り、とある提案をした。私はその提案を補習のための登校日に実行することにした。父の提案。それは「顧問に直接自分の意見を言う」ことだった。詳しく説明するなら、まず補習の日。その日は補習終了後、昼から夕方まで休憩なしでトレーニングの予定だった。私はそこであえて顧問に向かって

「あなたのやり方についていけないので辞めさせていただきます。」

と言って練習に参加せず帰る。その日はちょうど金曜日だったので土日を挟んで部活には参加せず、月曜日の始業式の放課後に顧問と1対1で話す、というものだった。もちろん私は顧問を貶めたいわけではない。ましてや私はヨット部を辞めるわけにはいかない。この父の提案は、顧問との関係を少しでも良好にし、もう少し有意義に部活をするためのものだった。私もそれでもっとヨットがやりやすくなり、いろんな人たちの期待に応えられるのならそれが1番いいと思った。当日。私は父の提案を実行した。提案通りに顧問に退部の意思を伝えるべく、補習が終わり次第職員室に向かった。職員室のドアをノックし、顧問を呼ぶ。しかし予想外のことがあった。顧問は出張で不在。結局第2顧問が私の対応をした。第2顧問はたまに練習にくるのだが、私と顧問の現状については全く知らなかった。私は事の経緯と私の意見を説明した。第2顧問は

「わかった。一応俺から(顧問に)伝えておくから。今日は帰りな。」

と言い、私は予定通り練習をせずに学校を後にした。少し思っていたものとは違うが、私がどうしたいかは顧問に伝わったはずだ。土曜日の午後、顧問からメールが送られてきた。

『先日お話は聞きました。月曜日の放課後、○○教室で話しましょう。』

ガラにもない敬語の文章に少し動揺したものの、私は『わかりました。』と返信した。月曜日。始業式、ロングホームルームが昼頃に終わり放課後、顧問が指定した教室に向かった。顧問は数分前から待っていたのか、腕を組んで教室の前に立っていた。私は顧問の案内で教室に入り椅子に座った。顧問は何を思っていたのか変にかしこまっていて、静かに腰を下ろすと今までにない声色で話し始めた。

「おまえを不快にしてしまっていたことは申し訳ない。」

優しそうな声、のように聞こえた。顧問が口にした謝罪。今までになかったような態度での謝罪は、一瞬顧問は本当に反省しているのだと思えた。しかしその一言のあと。彼は早口に、そしていつもの態度で言った。

「でもおまえもちゃんと全部言ってくれないとわからないよ。おれは神様じゃないから。」

この人はわかっていなかった。私がなぜなにも言わなかったのか。本当のことを言うのなら、さらに真相に迫るなら、私は言わなかったのではない。言えなかったのだ。毎度の罵倒。私は反論しなかったと書いたが、私は反論こそはしなかったものの、自分の意見だけは伝えていた。顧問の意見を否定するのではなく、あくまで私はこうだと思うだとか、自分の活動の経緯や意図などはその罵倒の度説明はしていた。しかし毎度、私が話始めると彼が話を遮り、

「口答えするな。結局お前は間違っている。」

と言って、真剣に取り合ってもらったためしがなかったのだ。私は

「少しでいいから私の話も聞いてほしい。」

とその話し合いの場で言ったが、彼はそもそも私が何も離さないからこのような問題になったと言った。その話し合いの結果、いつもよりは私が話す時間が与えられたものの、結局話は遮られ私の問題というようになり、ヨット部に復帰することになった。その日の夜、そのことを父に報告すると

「………わかった。………手を考える。」

と深く頷き、それ以上は私に何も言わなかった。それから1週間ほどは罵倒は控えられていたと思う。しかし1週間が経つと元通りに。むしろそこからエスカレートしていった。


 秋になり始めた頃。顧問から1枚の紙を渡された。それは大きな大会の案内だった。私はいつ自分が出場するものなのかを尋ねた。

「あぁ。来年の今ぐらいだ。」

と顧問は答えた。そしてその日程も決まっており、それは修学旅行の日だった。顧問は私に言った。

「そういうことだから、修学旅行は諦めて。」

私は疑問でしかなかった。

「どうにかならないんですか?」

と私は質問した。顧問は怪訝そうに答えた。

「いや、大事なヨットの試合だよ?絶対出ないと。」

「修学旅行はどうなるんですか?」

「いや、諦めてって。」

それ以上、私が同じ質問をしても顧問は何も答えなかった。絶望。失望。愕然。呆然。どんな言葉で表せば一番適当か。もはやそれすら思い浮かばない。その日の晩御飯は味がしなかった。しかし流石にこの件はひとりで抱えてはならないことだ。一生に一度の高校の修学旅行が、一生に一度の経験がなくなってしまう。そう思い私は両親に相談した。両親も驚愕した。ヤバい部活ということは両親もとうに知っていた。しかしここまでとは思っていなかったそう。父が言った。

「もう少しで文化祭だったよな?俺も役員で高校行くことになってるから、そのとき話するわ。」

父の言うようにもう少ししたら文化祭がある。父はM高の保護者役員会に所属していたため、M高から文化祭に招待されていたのだ。私は

「悪いけど、お願い。」

と父に頼ることにした。当日。文化祭のときは唯一ヨット部のことを忘れることができた。友達と展示を周り、ステージ発表を見て、屋台で買った焼きそばを食べた。その間父は私のために動いてくれているのに。文化祭が終わった放課後、部活だ。私は顧問のもとへ行き、練習メニューを聞く。しかしその日はトレーニングではなかった。2日後に控えた体育祭の部紹介リレーで使うヨットの掃除だ。顧問の話によると、体育祭の部紹介で私がヨットをランチャーに乗せて、トラックを一周させるつもりらしい。ヨットを引っ張るだけならいいかと思い、私はそれを了承した。そしてそこで使うヨットを掃除する。掃除をしたら今日は帰っていいということだったので、私は掃除をすることにした。が、私が掃除するヨットは3台。どれも砂や泥、埃を被っていて簡単には落ちそうにない。しかも3艇のうち、1艇は1人乗りヨットだが、あとの2艇は2人乗りヨット。構造は1人乗りよりも複雑で、その細部にまで汚れが付着している。そして顧問から渡されたのはボロボロのスポンジとボロ雑巾ひとつずつ。そしてホースヘッドが壊れたホースを使って洗浄する。

「トレーニングじゃないから、まぁいいかな。」

と自己暗示をかけて、私は3艇を掃除した。思っていた数倍汚れが取りにくく、結局トレーニング終了の時間とほとんど変わらないぐらいの時間に、ようやく3艇の掃除が終わった。途中顧問が見に来たが

「おそっ。」

と言われるだけで最後まで顧問が手伝うことはなかった。その夜、顧問との話について父に尋ねた。父は険しい表情で言った。

「校長に直接話に言った。」

父曰く、顧問は話が終わるまで父の前には姿を現すことはなく、校長に全てを話したそう。顧問は逃げたんだな。そう思った。おそらく校長は顧問は忙しいとでも言って対応したのだろう。なんなら文化祭中、顧問が自身の担任するクラスの生徒と笑顔で展示や屋台を周っていたのを見た。代わりに話を聞いた校長は、父の話を聞くと

「そのような問題が起きていたとは知らなかった。真摯に対応し再発防止に努めていく。」

というようなことを言ったらしい。私は安心などしなかった。その話をした父もそう感じたそうだ。なぜなら顧問は校長のお気に入りだからだ。いわば校長はあからさまにヨット部を贔屓していた。いや、ヨット部ではなく顧問を贔屓していた。ひとつその例を挙げると文化祭の準備期間中、私は顧問から

「昼休み中にトレーニングで使っているバランスボールの空気を入れろ。」

と言われた。バランスボールの空気入れは校舎横の体育教官室にあり、バランスボールは部室にあったため、私は言われた通りに昼休みに部室からバランスボールを持ちだし、体育教官室に空気入れを借りに行った。教官室のドアをノックすると体育教員がすぐ出てきたので、

「バランスボールの空気を入れるように顧問から言われたので、空気入れを借りにきました。」

と簡単に説明しお願いをした。すると体育教員の表情には怒りの感情がにじみ出ていた。

「おまえ、昼休みに部室入ったのか?」

唐突に体育教員が質問してきた。

「え?…そうですけど、顧問から言われたんで…」

私は驚きながらもそう返答した。体育教員は怪訝そうに続けた。

「おまえさ、昼休みに部室入ったらダメなこと知らないのか?顧問から説明されているはずだぞ。」

そんな説明は一度もされたことはない。顧問はいつも

「自分がいいと言ったら、大体大丈夫なんだ。」

ぐらいしか言わなかったので、部室に立ち入ってはならないなんて話を聞くことがなかった。私は正直に

「あの、本当に聞いたことがなかったんですけど。……普通は顧問から説明されるんですよね?」

と言い、再度事実を確認した。

「そう言ってるだろうが。」

「けど、顧問から昼休みに空気を入れろって言われてるんですけど、」

それから私は何度も事情を説明したが、なぜか私が全て悪いということになってしまった。私はそのようなことがあったとその日の午後のトレーニングで顧問に行った。しかし顧問は

「校長から許されてる。」

と言って一蹴された。そこで後日、直接校長に話を聞きに行った。校長は

「ヨット部のためだから、」

と言って笑っていた。他にもトレーニングルームの使用についても同様なことがあった。M高に常設されているトレーニングルームを生徒が使うには、顧問または教員がトレーニング開始時から終了時まで監視することが絶対必要だった。私の場合、顧問がトレーニングルームに来るのはトレーニング開始から30分から1時間後、終了する前に帰る。トレーニングルームにいても口をぽかんと開け、いびきをかいて寝ているか、私を大声で罵倒するか。そして私が一人でトレーニングをしている際、よく校長が覗きにきていた。校長は

「頑張ってるね!M高のためにも頑張れ!」

と明らかな違反を注意するどころか応援する始末だった。話を戻すと今回の文化祭で父が聞いた校長の言葉に説得力も安心感もない理由は、それまでの校長の態度がすでに物語っていたからだ。私は父に校長に私の状態を伝えてくれたこと、ここまでしてくれたことに礼を言い、その日は早めに布団に入った。翌日。その日は体育祭の予行、準備だった。その日の予定が全て終わったあと、私はいつものように顧問のもとへ行き、その日のトレーニングメニューを聞きに行った。しかしその日は練習を早く切り上げて、体育祭の部紹介リレーで使うヨットの準備をすることになった。私は指示通りに練習を早めに切り上げて、顧問に指示を仰ぎに行った。顧問の手にはヨットの帆と文字を書いた画用紙があった。顧問は指示を始した。

「この帆の両面に画用紙を貼り付けて、明日トラック1周しろ。」

私は言われたとおりに帆に画用紙を貼り付けた。そして翌日、私はその帆を取り付けたヨットを引っ張りながらトラックを走った。応援席から見る生徒、先生、保護者が笑った。帆に書かれていた言葉。表面には『部員募集中』、裏面には『彼女募集中』人によったらそれはギャグのように捉えられるだろう。だが、私には屈辱でしかなかった。私は恋愛というものに疎い人間だった。ましてや出会いを求めたこともなければ、彼女が欲しいと思ったことすらない。むしろそのようなギャグが嫌いだった。恋愛なんてあくまで個人、もしくはその人たちだけの事情。そこに第三者がギャグだろうとなんだろうと土足で踏み込むのは違うと思っていたからだ。私は画用紙を貼るように指示されたとき、

「あの、自分はそんなこと思ったことないですし、あまりこのようなこと(恋愛ギャグ)は言いたくないんですけど……」

と少し意見した。すると顧問は険しい目つきで言った。

「うるせぇ。こうすればウケるし、おもしろいだろ?それにヨット部に部員が入れば、ヨットのためになるだろ?黙ってやれ。」

「いや、そうですけど、さすがに……」

またも一蹴され、議論する気も失せて、私は帆に画用紙を貼った。結果的にそれによって部員が増えたこともなく、ただただ私だけが恥をかき、無駄骨で終わった。私は顧問からの指示を受け、ヨットを簡単に片づけて校舎の横に停め簡単に片付けをし、体育祭に戻った。それからいろいろな競技が行われ、閉会式に……なるはずだった。青かった空が急に暗くなり、濃い鼠色の雲が空を覆った。その直後、強烈な突風がM高を襲った。ダウンバーストだ。雨よりも先に突風がグラウンドを吹き抜け、グラウンドの人々は大慌て。とにかくまずは飛ばされないようにテントの回収、応援席のブルーシート、杭の撤去をすることになった。私は周囲の先生から杭の回収をするように指示された。杭は簡単に抜けないように深く突き刺さっている。私はまるで大きな株を引き抜くかのように、全身に力を込めて杭を抜いた。しかし最後の1本が中々抜けなかった。私は突風にあおられながら杭を握りしめ、全力で引いた。それでも中々抜けない。私が手こずっていたそのとき、どこからともなく叫び声が聞こえた。

「よけろおおおおぉぉぉぉぉぉ!」

私は何が起こったのかわからなかったが、本能的にその場を離れた。その3秒後、ちょっとやそっとでは動かないはずの大きな防球フェンスが、私がいた場所に吹き飛んできた。金属が地面に衝突した途端、ゴオォンと鈍く低い音が響いた。衝突地点の地面が抉れ、抜くはずだった杭が飛んで行った。私は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。あと3秒後遅かったら、私はただでは済まなかった。その後、私は他の教員の誘導で校舎に避難し、室内で閉会式が執り行われた。どの学年がどれほどの得点を取ったのかなんて覚えていない。突風の後に降り始めた雨の轟音を聞きながら、

「安全に帰れるかなぁ。」

みたいなことしか考えていなかったからだ。閉会式、下校前のロングホームルームが終わったあと、顧問からの呼び出しを受けた。『またかぁ。』と思いながら、私は急いで顧問のもとへ向かった。顧問は怒っていた。

「なんでヨットをほったらかしにして、避難した?」

理解できなかった。たしかに私はヨットの移動には行けていない。しかしそれは、想定外の突風で身の危険を感じ、他の教員の避難指示に従ったからだ。なんなら、死にかけたからだ。私はそのような理由を顧問に説明した。顧問は激怒した。

「おまえよりヨット優先に決まってるだろ!おまえのせいでヨットが吹き飛ばされるところだった!○○先生が移動してくれたぞ!おまえは馬鹿なのか!早くヨットを全て片付けろ!」

顧問はそのとき何をしていたのか私は知っていた。一番最初に避難していた。私は少し反論した。

「命の危険があったんです!それに、リレー後に簡単に片付けをしたとき、顧問が『ここに置いておけば絶対飛ばされない』って言っていました。」

「うるせぇ!そんなことはどうでもいい!さっさと片付けろ!」

その後私は豪雨にさらされながらヨットを片付けた。もちろん傘なんてさしていない。合羽すら着ていない。運動着のままずぶ濡れになった。1時間後、ようやく下校できた。その日、私は親を呼んで迎えに来てもらった。私は体育祭での出来事を伝え、帰宅後親は学校に電話した。……その後、有耶無耶にされたという。体育祭から数日後、M高のオープンスクールが行われた。中学生が何百人も押し寄せる。その日の私の仕事は顧問による体験授業のアシスタント。中学生にプリントを配り、授業で使うコーヒーメーカーのスイッチを押し、中学生にコーヒーを振る舞うといったものだ。もちろんヨット部としての仕事もあった。校庭に2人乗りヨットを組み立てること、私ひとりでヨット部員勧誘のポスターを中学生に配るというものだった。私は入念に流れ、仕事を確認した。しかし実際は困難の連続だった。まず私は2人乗りヨットを組み立てたことがない。そもそも2人乗りヨットの仕組みすらほとんどわからない。顧問の指示を聞きながらヨットを組み立てるが、慣れない作業だったので手早く組み立てることができない。顧問は

「なんでこんなこともできないんだ!」

と怒鳴り散らしていた。その後、体育館での全体説明会が終わった。中学生がそれぞれの教室に分かれて体験授業に参加する。先述したように、私は顧問の体験授業のアシスタント。指示通りに中学生にプリントを配り、指定された時間にコーヒーメーカーのスイッチを押す。が、またしても問題が発生。コーヒーメーカーが壊れたのだ。授業前に動作確認をしたときにはちゃんと動いたのに。私は顧問に助けを求めようとした。しかし、顧問は授業開始前に

「絶対に授業中に声をかけるな。」

と私に言っていた。そんな顧問は気持ち良さそうに喋っている。私はコーヒー豆の詰まりやコンセントの接触を確認した。だが原因がわからない。コーヒーを振る舞う時間になった。私は顧問にコーヒーメーカーが壊れていることを伝えた。顧問は中学生に聞こえる声量で

「なんで言わなかった!馬鹿か!」

と私に言った。中学生の前でことを荒立てるわけにはいかないので、私は

「すいません。」

と深々と頭を下げ、謝罪した。そして顧問がコーヒーメーカーを確認した。しかし顧問にも原因がわからなかった。それどころか

「これ壊れてたわ、そういえば。」

とあやふやなことを言い、結果的に別のコーヒーメーカーでコーヒーを振る舞った。中学生の反応は気まずさそのものだった。そんな雰囲気のまま授業は終わった。中学生が教室から退室したあと、顧問は私にあるものを渡してきた。牛乳だった。中学生にコーヒーを振る舞う際、苦いのが苦手な人のために用意していたものだ。

「おまえが飲んでいいよ。」

顧問が渡してきた牛乳はかなり温くなっていて、よく見ると消費期限ギリギリのものだった。体験授業の後は、校庭に設置したヨットの試乗の案内と、ポスターの配布だ。渡されたポスターの枚数は120枚以上。それを全て配れとの指示だった。私は手当たり次第にポスターを配布した。中学生は苦笑いで受け取ったり、途端に態度を変えて怪訝そうに受け取ったり。断る中学生も多くいた。私は作り笑いで配り続ける。ときどき、手が滑って廊下にポスターをぶちまけてしまった。何十枚ものポスターが廊下に散らばる。私は廊下に這いつくばって、必死にポスターを集めた。行き交う中学生も高校生も、教員も保護者も誰一人として私を助けようとしなかった。一瞬、私のすぐ横を横切るひとりの保護者と目が合った。まるでゴミを見るような目。私は拾い集めながら泣きそうになった。自分は一体何をしているんだろう。自分はそんなにゴミなのか?私の存在意義ってなんなんだろう。様々な疑問が涙とともに私の脳裏に押し寄せた。結果的に、ポスターはやっとの思いで半分配ることができた。顧問に枚数を報告すると

「少なっ!もっと本気で配れよ!」

と嘲笑した。その後、ようやくオープンスクールが終わった。校庭のヨットを解体し片付け、大量に余ったポスターを部室にしまい、部室で弁当を食べた。その日は部活はもともと休みだったので、弁当を食べ終わった私は荷物をまとめ、部室を出ようとした。そのときだった。帰ろうとする私を顧問が呼び止めた。

「おまえどこに行くつもり?」

唐突な質問に私は戸惑った。

「え?いや、もうオープンスクール終わったんで帰るんです。」

顧問の眉間にしわが寄った。

「部活をすっぽかして帰るのか?」

はい?ポロっとそんな一言が漏れた。私は確認した。

「いや、今日はオープンスクールでの仕事が終わったらもう帰っていいと言われたので、」

顧問は黙った。記憶を辿っているのだろう。数秒の沈黙の後、顧問は一回首を鳴らしてから

「ふぅん。……あっそ。わかった。じゃあ早く帰れ。」

と言った。私もそれ以上議論する気力も体力も残っていなかったので

「お先に失礼します。お疲れ様でした。」

と会釈し、部室の鍵を閉め、足早にその場を後にした。顧問は何も言ってこなかった。私は早く帰れて嬉しいという気持ちと、ポスターを配っているときに芽生えたあの感情にどこか悩んでいた。靴箱に行き、靴を履き替えていたそのとき、その場に設置されていたゴミ箱が目に映った。ただの興味本位で中を覗いた。中には私が渡したはずのポスターが何枚もあった。

 文化祭、体育祭、オープンスクールが終わり、段々と寒く感じるようになってきた11月の上旬の土曜。私は初めて公式のレースに参加した。様々な団体が出場するため、当日に向けた練習もさらにハードになっていった。そのレースの2週間ほど前。レースのルールについて顧問から教えられた。私はそれまでヨットの技術、ヨットの知識は学んできてはいたが、これといったルールについては全く教えられていなかった。独学で少しは学んではいたが、実践的なレースの練習はそれまでやったことがなかった。本番までの海練は4日間。私は必死にルールを確認し、レース形式の実践練習を行った。そして本番。初めてのレースに緊張していた私に顧問が語り掛けた。

「まぁ今回は初めてのレースだから、結果よりもレースを楽しむことに集中しよう。」

らしくない言葉に私は少し戸惑いながらも、

「はい!」

と返事をした。いざ、レースが始まった。私にとって初めての経験だらけだった。練習でやったことのない動き、レース展開。そして初めて知ったルール。顧問から教えられていなかったルールだった。動揺した私はフライングやコースアウトなどミスを連発した。昼頃、休憩のために一度帰港した。陸にヨットを上げ、帰港申告のために本部に向かった。本部の椅子には顧問が座っていた。

「お疲れ様です。」

私は挨拶した。その途端、顧問の怒号が響いた。

「あのレースはなんだ!!」

私は小さな声で謝罪した。顧問の目は怒りに満ちていた。

「あそこまで酷いレースを見たことない!おまえは今まで何を学んできた!それにお前、なんでルールがわからなかった?教えたこともできないのか!馬鹿が!」

『教えてもらっていなかった。』そんな理由は通用しないことはわかっている。私が独学で補えばよかったことだ。私は自分の非を認め、深々と頭を下げた。顧問の怒りはエスカレートするばかりだった。

「お前みたいな人間の存在はほんっとに迷惑なんだよ!人にずっと迷惑かけるだけの存在が!お前を見ていると腹が立つ!」

私はただ黙って聞いた。

「そんなに自分が可愛いのか!?自分なんて捨てろ!お前みたいなやつの人格はいらないんだ!そもそもさ、お前はなんでこの部活に入った?レースに勝って自分を変えるんだろ!ならお前の過去なんていらないだろ!?全部否定しろ!お前の過去は全部間違いなんだからな!それができないからお前は成長しないんだ!ほんっとに、お前みたいな人間、嫌いだよ!」

………違う。私の脳内にそんな考えが横切った。私はより良い自分になりたかったんだ。閉鎖的だった自分が他者を避けるのではなくふれ合うことで人を想い、尊重する。人それぞれの距離感を確立する。人とのふれ合いを大事にできる人間に成りたかった。たしかに私は自分が嫌いだ。閉鎖的で矛盾を抱え、矛盾に振り回されることがある。それ故に他者を傷つけたくない。だから自分をふさぎ込んできた。自分で言うことはおこがましいことだが、これが私なりの思いやりだった。私の思いやりの方法は人とは違うのかもしれない。間違いの側なのかもしれない。しかしそれらを、今の私を築いてきた過去の自分を全て否定したとき、そこに残る私は本当の私なのか。私は過去を全て否定しなければならないほどの罪を犯したのか。もちろん私にも非がある。ルールを熟知できていなかったし、上手いレース展開ができなかった。自分に甘いというのもあながち間違いではないだろう。しかし、顧問に。私の過去をしらない彼に私という人格、過去、全てを否定し罵倒し軽蔑する権利があるのだろうか。私に向かってなんでも言っていいのだろうか。私が嫌いなのは仕方ない。嫌いな人間はいることは悪いことではないし、私だって顧問が嫌いだ。だがそれを理由に相手の全てを否定していいと言えば、それは違うはずだ。私は口を開こうとした。

「………あの、」

顧問は間髪入れずに

「黙れ!お前の意見になんの価値もない!」

この場での話し合いはダメだ。私はあとで話すことにした。顧問の怒号はそれから30分以上続いた。その内容は『死ね』という言葉は出なかったものの、

「存在が迷惑。」

「そんな人間が社会にいることが腹立たしい。」

「お前という人格を完全に否定する。」

など、レースの指摘というよりも『私』という人格、存在の否定だった。ようやく顧問の怒号が終わり、疲れ切った状態で私は弁当を食べた。私の脳内には顧問の言葉とそれに対する疑問が飛び交っている。そんな不満げな私の姿を感じ取ったのか、近くにいたOBさんが話しかけてきた。

「大丈夫だった?さっき。」

私は下手に心配させてはいけないと思い、作り笑いで

「あぁ、大丈夫です。悪いのは僕なんで。」

と答えた。OBさんはそんな私の反応を見て続ける。

「じゃあ、午後はもっと上手くできるようにさ、ちょっとだけ一緒にさっきのレースの振り返りをしよっか。」

それから弁当を食べながら、OBさんはいろいろアドバイスをしてくれた。レース展開のコツ、ヨットの技術について、ルールの確認。いろいろ丁寧に教えてくれた。顧問の説教から約20分間、先輩からのアドバイスを受けた私は、出港申告のために顧問のいる本部へ向かった。申告書に名前を記入し、近くの椅子に座っていた顧問に

「これから出港します。」

と伝えた。その瞬間、顧問は大声で

「いつまで俺を待たせれば気が済むんだ!?あぁ!?」

と怒鳴った。私はなんのことだかわからなかった。顧問が続けた。

「お前は俺を20分も待たせたんだぞ!?俺から貴重な20分を奪ったんだ!」

「いや、OBさんからアドバイスを受けていて、」

「ならなぜ俺に報告しない!?『OBさんからアドバイスを聞きたいんで、少し待っていただけませんか?』たったその一言だけだろうが!え?なんでそんなことすら言えないの?人の大切な時間奪うなんて、人として最低だな!」

「あのですね……」

顧問は反論しようとした私の言葉を遮って

「とっとと海に出ろ!」

と私を出港させた。それから午後からのレース。OBさんからのアドバイスや午前の反省を活かしてレースに臨んだ。が、結果は惨敗。レースは2日間に渡って行われたが、一度も上位を取ることは叶わなかった。レース間の休憩の際、顧問からはアドバイスというより罵倒、人格否定を浴びせられた。2日間のレースを終え、閉会式が執り行われた。顧問は司会。マイクを握り、私に見せたことのないような笑顔で淡々と話しだした。

「この2日間のレースは大変素晴らしいものだったと思います。この2日間で得た素晴らしい学びを次のレースに活かし、楽しいヨットにしてください。」

そんな言葉、顧問の口から聞いたことがない。呆れながら周囲に合わせて拍手をした。閉会式後、ミーティングが行われた。顧問は椅子に深々と座り、怪訝そうに缶コーヒーを飲んでいる。私は立ったままノートとペンを持ってミーティングを始めた。ミーティング開始直後、顧問が口を開いた。

「今回のレースは惨敗。なにか学びがあったわけ?」

私は頭をフル回転させて、顧問が望んでいるであろう回答を言った。

「自分の弱点を学びました。」

ふぅん………と顧問はつぶやき、コーヒーを飲みながら続けた。

「そりゃそうだよな。弱点ばっかりだもん。だからあんなレースができるんだよな。」

顧問は鼻で笑っていた。

「おまえさ、ほんとに過去を否定しないと勝てないよ?はっきり言ってさ、今回のレース、なんの学びになってないでしょ?なんにもできないんだから。」

腹が立った。というより素朴な疑問が沸き上がった。なぜ彼がそんなにはっきり言えるのか。

「あの、ちょっといいですか?」

私は反論しようとした。あのとき沸き上がった不満と、今腹のうちにあるものを、はっきり打ち明けようと。しかし、

「はい。もう終わり。」

顧問は急に立ち上がり、話を終わらせた。私はもう一度

「少し意見があるんですけど、」

と話を続けようとした。が、顧問は

「もう疲れたから、また今度でいいわ。」

と言って帰ってしまった。私は顧問を見送った後、その場で大声で叫んだ。家に帰り、私は自分の部屋で項垂れた。まるでゾンビのような低い声をあげながら。見かねた両親は話を聞いてくれた。父は私のために怒り、その次の週の放課後顧問に直接会って話をすると言った。しかし、父は急用で出張に出ることになったり、また顧問も出張が増えたりとそんな不運が何度も続き、結果的に父と顧問が対面で話すことは一度もなかった。そしてレース後のトレーニング、海練で顧問に私の話を聞いてもらえることはなかった。

 その日から、私の挙動はおかしくなっていった。何を思ったのか、百均やホームセンターで大量の刃物を買うようになった。週に2,3本、ひどいときには5本から10本、カッターナイフやデザインナイフ、ノコギリや鎌を大量に買っては特に何に使うこともなく、自分の部屋に保管していた。家族はそのことを知らなかったが、友達は知っていたため何回か私の精神状態を心配していた。友達は、なぜ私がそのようなことをするのか理解できなかっただろう。私自身もそうだった。なぜ刃物を買い集めているのかわからない。刃物に囲まれることで落ち着くのだろうか。訳も分からず、レジで店員に怪しまれながら何回も何回も刃物を買う。気が付けば、自室に100本以上の刃物があった。いつからか学校に刃物を隠し持って行くようにもなった。人よりも優位に立ちたいだとか、かっこつけるためだとか、自衛のためではない。おかしな話だが刃物を持っておかないと安心できなかった。刃物が私の精神安定剤のようになり、刃物がないと動悸が激しくなったり、冷や汗をかくようになったりした。段々と私はおかしく不審な人間になっていた。そのときの私ではどうすることもできなかった。


 冬になった。ただでさえ苛酷な海練に、冬特有の強風と寒波が襲来した。私は冬用のウェットスーツを着て練習に臨んでいたが、自然の力に勝てることはなく日に日に四肢の感覚がおかしくなっていた。一方顧問はまるで雪国を彷彿とさせるような服装に身を包み、温かい缶コーヒーを片手にボートに取り付けられたスピーカーでいつものように大声で怒鳴っている。冬の海は夏よりもはるかに危険なため、夏以上に厳しくなるのはわかる。だが、顧問の口から出てくる言葉のほとんどは、ヨットの指導ではなく私への罵倒だった。そのときの私は表面的に感情を出すことはなくなっていた。周囲の人々からは馴れたのだと思われていたが、実際は傷つきすぎた結果、感情表現ができなくなってしまったのだ。笑顔の作り方、怒り方、ましてや泣き方まで。当たり前だった感情表現が容易にできなくなり、それが拍車をかけて顧問の罵倒は激しくなっていた。何を言っても私は傷つかない、とでも思っているのだろう。実際は違う。傷が抉れ、化膿して、簡単には治せなくなっている。治したくても治せない。チャンスがあってもいつも消える。そんなことも知らず、顧問は私を罵倒した。先述したように冬の海の風は常に強く、私は何度も(チン)した。冬の海はとてつもなく冷たい。ウェットスーツを着ているはずなのに四肢がかじかみ、さらには頭が強烈に痛くなることが毎回あった。沈するたびに、寒さによりヨットの上で動けなくなり咳き込む。顧問は

「サボるな!とっとと動けノロマ!」

とボートから叫んだ。私はしゃがれた声で返事をし、再び操舵した。それから夕方、帰港してヨットを片付け、手早く着替える。ウェットスーツの着脱は難しいため、夏よりも時間がかかる。びしょ濡れの私は顧問を待たせることはできないので、私は下着を着ずに上着とズボンを着てミーティングのために顧問のもとへ向かった。ミーティング中、私は寒さで震えながら椅子に座り、かじかんだ手でノートとペンを持って顧問の話を聞いた。顧問の手には湯気が上がっているコーヒー、足元にはヒーターがある。ミーティング中、

「暖を取れ。」

と言われたことはほとんどない。気まぐれでたまに言われることがあるぐらいで、ほとんどは暖を取る余裕も時間も与えられなかった。震えながら私は30分から1時間のミーティングを聞いた。ミーティングの内容はヨットの技術についてだが、顧問の言葉の所々にいつもながらの罵倒、人格否定が混じっている。

「この技ができないのは、お前って人間がとろすぎるからだよ。その頭を全く使えていないのがなによりの証拠だ。もっとよく考えろ。」

『もっとよく考えろ』というとき。顧問は毎回、まるでジェスチャーゲームのように大げさな仕草で、自分の側頭部を人差し指でコンコンコンとこつく。嘲笑の笑みを浮かべながら。私はしゃがれた声で返事をするだけだった。ミーティングが終わると顧問はさっさと帰り、私は暗くなったハーバーに独り。顧問の使った椅子、机、ポット、ホワイトボードなどを片付け、私のヨットの装備品やウェットスーツを乾かし、真っ暗になった頃にハーバーを後にする。そんな海練を繰り返していた。いつからか、顧問は時間に対してさらに厳しくなった。いつものように帰港して、ヨットの片付け、着替えをする。ただ、先述したように冬は寒さがあったり、慣れない作業が多くあったりするので、ミーティング開始時間ギリギリになってしまう。その日はミーティング開始1分前に顧問のもとに向かった。

「ミーティングお願いします。」

と私はミーティングを開始しようとした。顧問はゆったりと椅子に座り、時計を見た。

「開始時間から10秒過ぎているけど?」

顧問のもとに着いたのは1分前。時間は間に合っているはず。顧問が時計を確認したときの時間が開始時間から過ぎていたのだ。

「いや、間に合いましたが、」

と私は説明する。しかし顧問は

「いや、今確認したら時間過ぎてるじゃん。はい、責任とれ。」

と言った。顧問が言ったのはその場でステッピングスクワット200回。ステッピングスクワットは『1,2,3』の掛け声で右足立ち左足立ちしゃがむというものだ。練習と寒さで疲れ切った体でやるにはとても苛酷なトレーニングメニューだった。私はしゃがれた声で回数をカウントしながらスクワットを行った。100回を過ぎたあたりで意識が朦朧とし、150回あたりで視界がぼやけていく。200回を終えると、私は膝から崩れ落ち5分ほど立ち上がれなくなった。そんな私を見ながらコーヒーを飲んでいた顧問は

「あ、終わった?もっとスピーディーにやってくれよ。こっちも暇じゃないんだからさ」

と怪訝そうにいった。産まれたての小鹿のように、ガクガクと震える足でバランスを取りながら私は立ちミーティングを始めた。そのようなことが何度も何度もあった。もちろん何回か私が本当に遅れたときはある。そのときは反論の余地も権利もないのは百も承知だが、顧問の人格否定、罵倒はその度にヒートアップする。『死ね』や『消えろ』という直接的なワードが出てこないだけで、罵倒はいつもそんな意味を孕んでいた。何も反論しないから、私が悪いから。そんな言葉を顧問が、一教員が、一人の人間が人に向かって言っていいものなのだろうか。罵倒を浴びながら、そんな疑問符が脳裏に浮かんでは消えた。そして冬の練習から段々と手をあげられるようになった。ヨットにはハイクアウトという技がある。ハイクアウトとはヨットのバランスを保つための技術である。バランスを保つために、ヨットの中心に取り付けられたベルトに足をかけ、ヨットデッキの外に身を乗り出す。強風になればなるほど必要な技術で、何十分もその状態をキープしなけらばならない。そのためハイクアウトの練習は出港前に陸上で20分から30分ほど行うのだが、ある日固定されたヨットでいつものように身を乗り出して練習していると、急に背中を蹴られた。背中を蹴ったのは顧問。顧問は怪訝そうに

「腰が曲がっている。やり直せ。」

とだけ言ってどこかに行った。指導として注意したつもりなのだろう。しかし指導にしては蹴りの威力は強く、その強さで何度も蹴られる。ウェットスーツやライフジャケットを着ているので、痣や怪我になることはなかったが、何も言われず蹴られることもあったので良い気はしない。その衝撃でヨットから落ちたこともあった。姿勢が姿勢だったので大抵頭から落ちる。高さは80センチもないほどなので、大けがに繋がる可能性は低い。しかし一度、後頭部をぶつけたこともあった。拳骨されることも何度かあった。振りかぶって殴るようなことはなかったのだが、拳の関節でゴリッとひっかくような拳骨だった。もちろんコブになることはなかったが、思いのほか痛かった。顧問は冗談のつもりでやったのだろうが、なぜそんなことをしたのか、はっきりとした理由を知ることはなかった。また、いつからか昼休憩の時間が急激に減った。それまでの休憩の時間は50分~1時間で、陸に上げたヨットを簡単に片付ける時間を引くと休憩は40分ほどだった。しかしある日顧問から

「昼休憩、20分ぐらいでいいでしょ。」

と言われてから、昼休憩は20分ほどになった。顧問は私よりも数十分早く帰港して昼休憩に入る。私はいつものように急いでヨットを簡単に片付け、約15分間のうちに弁当を食べ、ノートをまとめなければならない。しかし弁当を完食することは容易ではなかったため、3分の1ほど食べてから弁当を片付けノートをまとめミーティングの準備をした。残った弁当は海練が終わったあとに、ハーバー近くの堤防に座って食べていた。このように冬の練習になってから、ヨット部はさらにおかしくなっていった。そのときの私は、なぜそんなことをするのかという疑問とそんな環境に抗おうとしない自分への自己嫌悪しか感じられなかった。

 ある日の海練。その日も強風に変わりはないのだが、いつもよりも風が強く白波が立っていた。その日はOBさんと一般の方と一緒にレースの練習をしていた。その一環でブイ(浮き)からブイの間約1.5キロほどを行ったり来たりしていた。私含めヨットの集団が一列になり、私のヨットの後ろに顧問のボートがついてきている。いつものように顧問はスピーカーから叫んでいた。指導3割、罵倒7割の顧問の言葉を私は背中に受けながらヨットを操舵した。夕方頃、さらに風が強まる中、私はブイからブイを行ったり来たりしていた。いつものことだが私は疲弊していた。ブイとブイのちょうど真ん中あたりを進んでいたとき、突然別方向から強風が私のヨットを襲った。その途端ヨットの帆の向きが変わり、マストの部品であるブームが私の左側頭部に激突した。ブームとは長さ2mほどの鉄パイプのようなものでマストに対して横向きに取り付けるものだ。簡単に言えば、金属バットで頭を殴られる感覚に近い。私は気絶した。傾いたヨットとともに海に沈した。運が良かったのか、私の足がヨットに取り付けられたベルトに絡まっていたため、流されることはなく逆さまの状態で海の中にいた。その異様な状態は、海の中で目を覚ましたとき、一瞬で理解した。意識が戻った瞬間、息が苦しくなり急いで海から顔を出した。それからヨットを起こし、ようやく海からヨットに上がった。その途端、激しい頭痛で咳き込みあまりの苦しさからヨットでうずくまった。左目に海水でも入ったのだろうか。コンタクトが取れたのだろうか。海に落ちる前よりも視界が悪い。そしてなにより、ぶつかる瞬間の記憶、海に落ちたときの記憶、その数分前まで何をしていたかの記憶がない。なんど思い出そうとしてもその場面だけ思い出せない。周りのヨットや状況から大まかなことは推測できたが、自分が何をしていたのかを思い出すことができない。経験したことのない激しい頭痛でそれどころじゃない。私は肩で息をしていた。そのとき。

「サボるな!」

と怒号が聞こえた。顧問が鬼の形相で私を睨んでいる。

「サボってる暇はねぇんだよ!さっさと動け!馬鹿が!」

先程までの練習で叫びすぎたせいか、いつもよりも声がだせなかったが、私はしゃがれた声で返事をした。頭痛をこらえ、見えにくくなった左目で景色を見ながらヨットを操舵した。それから2時間ほど経過し少し暗くなってきた頃、ようやく帰港した。その日顧問は『予定があるからもう帰る』と言ってさっさと帰っていった。私はハーバーに着くなりトイレに駆け込み嘔吐した。船酔いではない。むしろ自分でもなぜ嘔吐したのかわからない。ただ、側頭部をぶつけてから頭痛と左目の視界と目眩が全く治っていない。記憶が戻らない。私はふらついた状態でヨットを片付け、ノートをまとめた。そして顧問の椅子や机、ポットを片付けようとしたとき、フッと意識が途切れた。………目を覚ますと私は倉庫の中で横たわっていた。時計を見る限り、おそらく5分から10分ほど気を失っていたらしい。不思議と頭痛はさっきよりも治まっていた。それからすべての片付けを終え、いつものように堤防で弁当の残りを食べた。が、全て吐き出してしまった。ちゃんと病院に行った方がいいと思った。しかし、私にそんな余力は残っておらず、結局病院に行くことはできなかった。………その日から、私は物事を覚えることが難しくなった。例えば、人の名前や顔を覚えられなかったり、さっきまでの自分の行動をなかなか思い出せなかったり。授業のときも、どれだけ真面目に受けても5分後にはほとんどの内容を忘れ、何度も何度も同じ作業を繰り返さないと覚えられない。またひどいときは自分が昼ご飯を食べたのか、何を食べたのかすらわからなくなってしまった。トラウマや特に楽しかったことなど、強烈な記憶が残る経験でないと記憶できなくなった。私はそのことを顧問に伝えた。

「少し理解に時間がかかりやすくなってしまったので、迷惑かけます。」

顧問は鼻で笑った。

「そんなもの、気の持ちようだ。てか、物覚えが悪いのは今までもそうだったじゃん。」

私だって気の持ちようだと思いたい。私が気にしすぎているのならそう信じたい。しかしどんな手段を使っても、どんなリハビリをしても治らなかったのだ。私はそのことも伝えた。が、顧問は

「お前の努力不足だ。」

と言って嘲笑した。私は疲れた。その日の夜。どれだけ勉強しても数分前に覚えたことを忘れてしまう。何度同じことを書いても、読んでもそれを思い出せない。そんな自分に嫌気がさし、私はドアノブにビニール紐を括りつけ、自分の首にビニール紐の輪っかを通した。

………私は首を吊った。

喉仏だろうか。紐と一緒に硬いものが喉の奥で食い込む感触がわかる。鼻からも口からも息が吸えなくなり、全身の血の気が引いていく。ボーとした感覚に近いのか。頭痛のような違和感が脳を襲った直後、虚空のようなものを感じた。視界が段々とぼやけてくる。意識していないのに、足はバタバタと動き出している。笑えて来る。どうにもならない自分がどうでもよかったのに、体は、本能は、まだ生きようと必死だった。抜け出せない地獄と抜けようとしない、抜ける力のない愚かな自分を理解しておきながら、体だけは言うことを聞いてくれなかった。その体の想いが届いたのか。

ブチッ

と紐が千切れる音がして、私の喉は自由になった。私は泣いた。死ねなかったことへの悲しみなのか。自分をここまで追い込んだ地獄と自分自身への憎悪か。はたまた生き延びたことへの喜びか。いろんな感情が渋滞していたのかわからないが、私はただただ泣いていた。

 冬休み期間に入りしばらくして、正月休みが終わった1月4日。私は初めてのヨット遠征だった。2泊3日の遠征。しかも今回は別の学校のヨット部(V高と仮称)私は朝4時に起きて支度をし、待ち合わせのM高へ向かった。6時にヨットを積んだ牽引トレーラーをV高の顧問(顧問Vと仮称)の車に連結させるとだけ伝えられたため、念のためを思い私は母に30分前までに学校に到着できるように車で送ってほしいと頼んだ。母は5時30分にM高に着くように私を送ってくれた。結局私たちが着いたのは5時20分だった。

「ちょっと早く着きすぎたな。」

と母と笑っていた。なにせまだM高は開いておらず、顧問の姿すら見えない。私は顧問が来るまで母の車で待つことにした。教員が鍵を開けなければ学校には入れないからだ。それから30分ほど待った。が、顧問はまだ来ない。

「時間合ってるよな?」

と少し心配になりながら、

「早く来いよ。」

と母と愚痴をこぼしていた。55分になろうとしたとき、校舎の横を見慣れた車が通った。顧問だ。

「あ!そろそろ開くかも!」

と言った途端、顧問は素通りで近くのコンビニに入って行った。母も流石に腹が立ったのか

「はぁ?なにあいつ?」

と愚痴をこぼしていた。

「ごもっともだ。」

と私も共感した。結局、顧問ではなくその直後に来た別の先生がM高の鍵を開けた。私たちは先に学校の駐車場に入り、顧問が来るのを待った。顧問が来たのは6時5分過ぎ。

『おくれてごめん。』

などという謝罪はおろか、わざわざ車から降りて挨拶に向かった母にも、もちろん私にも挨拶は無かった。それどころか顧問は寝起きなのか機嫌が悪く、学校に到着するなり

「いや、来るまでに準備しとけや。」

と私を怒鳴りつけた。準備できるものなどない。トレーラーはひとりで動かすことなどできないし、ましてや危険すぎる。それに顧問が自分を待つようにと指示していたのだ。だから私は待っていた。だが、これから始まる遠征。変に荒波を立てない方がいいと思い、私は

「すいません。」

と顧問の目を見ずに返事をした。顧問からの返答などもちろん無い。6時15分頃、ようやく顧問Vの車が到着した。顧問Vの車から、部員がふたりAとBが出てきた。ふたりとは何度か合同練習をしていたのですっかり友達だった。ふたりと協力してトレーラーを車に連結し、顧問Vの車に乗り込んだ。そして車は発進した。車内で寝ることは許された。私を含め3人は顧問と話したくなかったのと、早起きで眠たかったので寝ることにした。この遠征で唯一の安息の時間だった。出発から約3時間半、遠征先のハーバーに着いた。3人は車から降りるなり急いでトレーラーを車から外し、ヨットを降ろした。そしてヨットを組み立てる。牽引のために細かい部品も解体していたため、いつもより準備に時間がかかってしまった。顧問は持参した椅子に座ってコーヒーを飲みながらハーバーを眺めている。私もちらっと周りを見た。今回はもう1校のヨット部(ヨット部Xと仮称)と3校合同練習だった。私はある光景を見て目を丸くした。ヨット部Xの顧問が自らヨットの組み立てを手伝っている。私は全く経験したことがない。

『こんな顧問もいるんだなぁ。』

と驚愕していた。しかしうちの顧問は、深々と椅子に座り私を怒鳴る。

「おいおいおい!なにチンタラしてんだよ!他のやつらはみんなとっくに終わってんだよ!とっとと組み立てろや!ノロマ!」

遠征先など関係ない。むしろいつも以上に声が大きい。

『なら手伝えよ。』

そんな言葉を押し込んで、私は急いでヨットを組み立てた。ようやく作業が終わり、着替えようとしたとき顧問から呼び止められた。早く着替えなければならないのに。顧問は私を睨みながら言った。

「やる気ないんでしょ?もう帰れば?」

意味が分からない。私は

「決してそんなことはありません。」

と否定した。顧問は嘲笑した。

「だったらあんなに遅いはずねぇじゃん。AとBはとっくに終わってたよ。え、なんでこんなこともできないの?逆に何ならできるの?」

私は謝るしかなかった。まだ初日。ここでいざこざを起こしたくなかったからだった。15分ほどの説教が終わり、私は急いでウェットスーツに着替えた。が、その日の午前中は生憎の無風。ヨット部は皆、ハーバーで待機にとなった。私たち3人は遅めの昼食を食べた。その日は母が作ってくれたとり飯弁当。泣きそうになりながら私はとり飯をかきこんだ。13時が過ぎた頃、ようやく風が出てきたので出港となった。しかし風は予想よりも強く、冬本来の強風となっていた。慣れない海の環境、慣れないハーバーの環境。私は沈を連発した。そのたびに顧問からは怒号が飛んできた。ここにきても指導というより、罵倒だった。

「やる気がないならとっとと帰れ!」

なんて言葉は序の口で、

「やっぱりお前はダメな人間だ!」

とか

「ヨットの才能がまるでない!」

とも言われた。私の頭は都合が良いもので、その罵倒や境遇は脳内に深く刻まれ、記憶にトラウマとして根付いた。私は震える手を抑えながらヨットを操舵した。16時過ぎ。ようやく練習が終わり、帰港した。ハーバーに向かう何艇ものヨットについていき、私も帰港した。そこでまたも問題が起きた。まず、その港は砂浜だった。私がいつも練習するハーバーの港はコンクリートで固められたスロープなので、ヨットを引き上げるのは簡単だ。そのため砂浜にヨットをあげるのは初めてで手間取ってしまった。なんとかV高のふたりにも手伝ってもらって引き上げることができた。引き上げると顧問はいつもと違う片付けを指示した。が、強風により顧問の言葉は聞き取りづらく、大事な部分がわからなかった。

「すいません。聞き取れなかったので、もう一度言っていただけませんか?」

と私は顧問に尋ねた。しかし顧問は怪訝そうに

「は?1回言ったじゃん。そんなのも聞き取れないのか?ちゃっちゃと片付けろ。」

と言って説明してもらえなかった。V高のふたりも聞き取れなかったらしく、なんとか知恵を出しながら片付けた。その間、顧問は椅子で寝たり先に車に行ってスマホを見ていた。結果、片付けることは出来たのだが、少しだけ時間が過ぎてしまった。3人で報告に向かった。顧問は車にいたので、車に向かい顧問を呼んだのだが、顧問は寝起きだったそうで3人を睨みながら

「おせえんだよ!チンタラチンタラしやがって!お前たちは指示のひとつも聞けないのか!?」

3人は頭を下げた。顧問の怒号はエスカレートする。

「わからないんだったら聞きに来いよ!そのためにその足と口がついてんだろ!?なんで活用しない?なんにも考えない人間だからそうなるんだよ!」

顧問はため息を吐いた。一方、顧問Vは顧問に同調し、同じことを繰り返し私たちに言った。顧問Vもうちの顧問と同じタイプの人間だった。顧問は呆れながら私たちに言った。

「もうお前らいいや。はい。罰としてステッピングスクワット200回。とっととやれ。」

私たちはその場でステッピングスクワットを行った。120回あたりで3人の足並みが合わなくなった。ようやく200回が終わり、あまりの苦しさに3人とも地面にうずくまった。そんなことお構いなしに顧問は

「とっとと車に乗れ!トロいやつだな。」

と怒鳴った。3人が車に乗り込み、顧問Vの車は宿泊先のホテルへと向かった。着いたのはビジネスホテル。私たちは顧問の指示で荷物を各部屋に運び、指定された時間にロビーに集合した。これから私とAとB、そして顧問2人組、計5人で街の飲食店で晩飯を食べるのだ。5人はホテル近くのお好み焼き屋に行った。それぞれ席に座り、店主が明るく注文を尋ねてきた。先に顧問たちが注文を済ませ、私たちも各々の注文をした。店主が私たちの注文を復唱しようとしたとき、顧問が店主に向かって言った。

「そいつら3人の注文、全部大盛りで。」

店主は笑顔で

「はいよ!」

と返事をした。私たちは困惑していた。顧問は真顔で私たちに言った。

「食えよ。それぐらい。」

その店の大盛りは予想よりも大盛りで、私たちは苦笑いで食べた。美味しかった。が、3分の2ほど食べ進めると限界が見えてきて、美味しいよりも苦しさのほうが勝ってしまった。一方顧問たちの量は少なめ。顧問は顧問Vと笑いながら話していた。

「あんな大盛り食える訳がない。」

その言葉の主語が「私たち」なのか「顧問たち」なのかはわからない。私たちはなんとか食べ終えた。店には申し訳ないが味わって食べることはできなかった。5人は会計を済ませ、店を出た。そしてホテルに戻りミーティング。顧問は私の部屋に上がり、あぐらをかいて私の1日反省を聞いた。ホテルだからだろう。いつものように怒鳴ることはなかった。ただ気怠そうに二言三言返事をし、いくらかヨットの指導をした。ミーティングがこのまま終わるのかと思ったとき、不意に顧問は

「やっぱり今回の遠征で、お前っていう人間の駄目さが出たな。」

と言った。私は

「すいません。」

としか言えなかった。顧問は鼻で笑いながら続けた。

「まぁ、初めからわかってたけど。ほんとにお前、駄目だよ。」

と言って顧問は部屋を後にした。

『結局またこれか。』

と私は自己完結して諦めた。それからは自由時間。とは言っても部屋からは一歩も出ない。出る気力すらない。私はスマホで動画を見ながら寝落ちした。次の日は4時半に起きた。部屋の掃除をし、支度をした。5時半頃、集合場所に指定されたホテルの駐車場に集合した。トレーニングだ。スクワットや腕立てなどのトレーニングをした後、数百メートル先にあるコンビニまで走る。コンビニでは昼食、軽食を買い会計を済ませたらまた、ホテルまで走っていく。疲れ切った私たちは休む間もなく朝食を食べ、荷物を車に積んだ。そして私たち3人はホテルから約6キロ離れたハーバー目指して走ることになった。顧問曰くトレーニングであると。朝食を食べ終えて15分ほどで、3人は走り出した。何度も朝食を戻しそうになった。フラフラになりながらハーバーにたどり着き、3人は急いでヨットを組み立てた。その30分後、顧問たちがハーバーに到着した。それからは1時間ほどの昼休憩を挟んで海練が行われた。毎度のごとく顧問から怒号が飛んでくる。身体的にも精神的にも疲弊しきったころ、ようやく1日の練習が終わった。私たち3人は1日目の反省から学び、手早く片付けをした。結果、少しギリギリではあったが指定された時間には間に合った。3人は顧問Vの車に乗り込み、晩飯を食べに行った。その日の晩飯は中華。顧問が中華好きだかららしい。私たちにはどうでもいいことだが。店に入り、注文をした。私が注文したのは豚骨ラーメン。もっと中華らしいものにしようとも思ったが、疲れすぎていて食欲がなかったので、メニューの中で比較的マイルドに見えた豚骨ラーメンにしたのだ。その注文を聞いた顧問は

「もっと中華らしいもの注文しろや!馬鹿だなぁ、お前。」

と嘲笑した。私は作り笑いで相槌した。少しすると餃子がきた。顧問が注文したのだろう。顧問は私ではなくAに向かって

「おい、ギョーザのタレ作れ。」

と言い、ポン酢とラー油と一味をAに渡した。Aは緊張しながら、それらを混ぜた。が、Aは緊張のあまり少しラー油を多く入れすぎてしまった。顧問はそれを見た途端

「へったくそだな。ラー油多すぎるよ。これで俺にギョーザ食えってのか?」

と言ってAを睨んだ。Aは頭を下げて謝罪した。そのあと、顧問2人は喋りながら食べていたが、私たち3人は黙ったまま食べ、その空気の気まずさに耐えていた。全員が完食し終えた後、会計を済ませてホテルに戻った。ホテルに着くと1日目と同じように部屋でミーティングを行った。その日はよっぽど眠たかったのか、顧問は私の振り返りについて少ししか指導せず、さっさと自室に戻っていった。その日の自由時間も私は一歩も部屋を出ることはなく、1日目同様動画を見ていた。気が付けば寝落ちしていた。3日目の朝。その日はようやく遠征が終わるという喜びと、練習が嫌だなという疲れで頭がいっぱいだった。前日と同じように早朝からトレーニングを行い、コンビニで昼食を買った。それからホテルで朝食を食べた。3人が食べ終えると6キロのランニングが待っていた。吐きそうになりながら、3人はそれぞれを鼓舞して走った。ようやくハーバーに辿り着き、急いでヨットを組み立てる。顧問たちは前日と同じように30分後にハーバーに来た。出港前のミーティングを済ませ海練に臨んだ。そして毎度同じ顧問の怒号が飛んでくる。この遠征中、顧問の怒号は指導2割、罵倒8割という比率は変わらなかった。昼過ぎ、帰りの時間の関係で早く練習が終わった。私は海上でヨット部Xの顧問に3日間の礼を言って帰港した。ハーバーに着くと私たち3人は急いでヨットを引き上げ、細かい部品まで解体した。その間、顧問は椅子に座ってコーヒーを飲んでいる。顧問Vは車の中でスマホを見ていた。突然、顧問が大声で叫んだ。

「とっとと片付けろや!グズグズしやがって!お前らにゆっくりする時間なんて与えてねぇんだよ!」

『なら少しは手伝えよ。』と頭の中に浮かんだ。時間ギリギリとなったがなんとか片付けが終わり、顧問たちの手を借りてトレーラーにヨットを積んだ。そして私たち3人はそれぞれの荷物を持ち、顧問Vの車に乗り込んだ。車が発進した。助手席に座る顧問は、私たち3人を睨みながら言った。

「この遠征でお前らなにを学んだわけ?お前らが時間にクソ疎いってことぐらいしか学んでないだろ。」

顧問Vはその言葉を聞いて笑った。AとBは苦笑いを浮かべていた。私は笑えなかった。顧問が20分ほど喋った後、遅めの昼食をとった。私が食べたのはアジフライ弁当だったはず。遠征の疲れと車内の嫌な空気のせいで味がしなかった。それから約3時間半、3人は寝ることを許されたので寝た。私が目覚めたのはあと1時間ほどで目的地というとき。顧問が大熱唱を始めたのだ。お世辞にも上手いとは言えない歌声。顧問は私たちのことなど気にもせず、何曲も何曲も熱唱する。変に絡まれたくなかったので私は寝たふりをした。それから約1時間。目的地であるいつものハーバーに着いた。私たちは到着するなり急いで車を降り、トレーラーからヨットを降ろした。さてヨットを片付けようとしたその時、顧問が私を呼び止めた。

「お前、ヨット以外の片付けも込みで30分で終わらせろよ。」

30分。完全に解体したヨットを簡単に組み立ててからいつも通りに片付けをし、自分が使ったウェットスーツ、装備品を水で洗ってから干し、遠征で使ったその他の道具を一つずつ洗って、顧問が使った椅子や道具を片付ける。これらを全て一人でこなす。私は大急ぎで片付けをした。ウェットスーツは私の私物という扱いなので、最悪顧問が帰った後にすればいい。ヨットの簡単な組み立ては、遠征中何度も行ったため、遠征前よりは手際よくできる。私は優先順位を決めて片付けた。結果、なんとか間に合わせることができた。もちろん顧問は手伝っていない。顧問はコーヒーを飲みながら海を眺めていた。私はミーティングのために顧問のもとへ駆け寄った。顧問は眠たそうに

「はい、じゃあ解散。ノートまとめて次の練習で提出しろ。」

と言い、二言三言続けた後帰っていった。私は後回しにしていたウェットスーツを洗った。ゴムの臭いと海水特有の臭いが混ざっていてくさい。私は真っ暗になったハーバーの倉庫の隅で、ただひたすらにウェットスーツを洗った。18時半過ぎ、ようやく全ての片付けを終え、私は電話で親に迎えを頼んだ。5分ほど経って、父の車がハーバーに着いた。父は私を見るなり

「おつかれ。………大変だったな。」

と言った。私は作り笑いで

「………大変だったよ。」

と答えた。家に帰り、私は遠征での出来事を家族に話した。

 遠征が終わり3学期が始まった。私の心身にも異変が出始めた。トレーニングをしているはずなのに、十数段しかない階段を上るとすぐに息が上がる。倦怠感が拭えない。眩しい光、特に晴れの日の日光を浴びると目が開けられなくなり、それと同時に激しい目眩と頭痛に襲われる。様々な体の異変が次々と私に降りかかる。極めつけは手の震えだった。緊張しているわけではないのに両手が激しく震え、鉛筆が握れなくなったり、物が持てなくなったり。極端に手に力が入らなくなった。体の不調だけなら休息をとったり病院に行ったり、最悪時間の経過によって治る可能性がある。さらに問題は精神の不調だ。前々から精神状態は危うかったのだが、3学期以降、好きな映画を見ても趣味をしても、誰と話しても心の底から笑えなくなり、逆に心の底から泣くことも怒ることもなくなった。それなのに何も面白くないときに大声で笑ったり急に叫んだり、挙句の果てに自傷行為をするようになった。私がおかしくなっていったことは家族も友達も知っていた。ただ私は助けを求めようとしなかった。ひたすらに

『迷惑をかけたくない。』

『自分のせいで傷ついてほしくない。』

『巻き込みたくない。』

とばかり思っていた。私は自分で自分の首を絞めるようになっていた。一方顧問は、年明けの遠征を経てさらに厳しくなっていた。罵倒は当たり前。私という人間そのものを否定するような言葉がいつも飛んでくる。トレーニング中、背中を蹴られることも増えた。また顧問の指示で、顧問の椅子だけではなく、顧問が使うヒーターやポットを用意したり片付けたりと、まるで召使い、奴隷のような扱いを受けた。もちろん見返りなんてものはない。ひたすらに罵られ嘲笑され、ときには蹴られ。ごくたまに、顧問の気まぐれでボロボロになった小さなクッキーや賞味期限が切れたプロテインを渡された。幸い、顧問の前で食べることはなかったので、家に帰ってから捨てていた。そんなことを何度も繰り返した結果、私は壊れていった。ときには限界を感じ、顧問に心身の不調を訴え休みを求めたこともあった。しかし顧問はお得意の根性論で聞く耳を持たない。反抗する気力などとうに残っていなかった。そんな冬を過ごし、3月となった。3月の上旬は高校の入試期間であったため、学校に登校できなくなる。その関係でほとんどの部活は活動しない。なぜならM高の規定により

『顧問、教員不在の場合は部活動をしてはならない』

となっていた。教員は言わずもがな部活に顔を出す時間なんてない。だからこそ部活はできないのだ。が、ヨット部だけは違った。顧問は

「OBさんに海練見てもらえ。」

と言い、期間中のヨット部の活動を許可していた。試験期間は1週間。そのうちハーバーの定休日が火曜日なため、6日間海練となった。練習当日。OBさんもヨットを出し、ヨット2艇で海練をすることになった。救護艇は1艇も出ない。3月の海は冬の気候の影響でまだ風が強い。強風の中、私はOBさんと海に出た。OBさんは丁寧にいろいろと教えてくれた。数か月ぶりにヨットが楽しいと思えた。罵倒されることのないヨットを経験するのはいつ以来だろうか。試験期間中の海練は身体的には大変だったが、有意義な練習となった。しかし最終日。その日の練習は午前だけであった。そのため、私は弁当を持ってきておらず、練習が終わったあと家で食べる予定だった。最終日の練習も充実したものだった。12時前に帰港し、片付け、ミーティングを行った。時間は14時を回ろうとしていた。私は全然気にしていなかった。ミーティングが終われば帰れる。少し遅めの昼飯になるが構わない。顧問に罵られることのない練習、顧問と関わらないで済んだからだ。ミーティングが終わり、私は荷物をまとめハーバーから出ようとした。そのときだった。ハーバーに顧問が入ってきた。なぜここに?私は動揺を隠せなかった。顧問は私を見るなり

「おまえ、もう帰るのか?」

と言った。私は訳がわからなかったので

「え?あ…は…はい。」

と返事した。顧問は怪訝そうに答えた。

「レースの準備もせずに帰るのか。おまえは。」

「………はい?」

顧問の言うレース。私は次の週にレースを控えていた。だがそれは1週間も先だ。

「いや。まだ昼ご飯も食べてないんですけど………」

私はやんわり断って帰ろうとした。が、顧問にそんなものが通用するわけもなく、

「うるせぇ。飯食ってないならとっとと飯食って来い。30分で戻ってこい。」

「いや、ですけど、今日は………」

「え?なにお前。俺に全部任して、お前ひとりだけ楽するつもり?薄情な人間だな。」

当然のように顧問は私の意見に耳を傾けようとしなかった。時間は14時半頃。私は全力で自転車を漕ぎ家に向かった。家に着くと私は急いで手を洗い、母が用意してくれた昼食をかきこんだ。結局家にいた時間は7分ほど。私は吐きそうになりながら全力で自転車を漕いだ。15時前にハーバーに着いた。顧問は椅子に座ってコーヒーを飲んでいる。顧問は私を見るなり

「やっと来たか。」

と言って椅子を立ち準備を始めた。本来は昼過ぎに帰れるはずだったのに、結局作業が終わったのは17時過ぎ。1日海練と大差ない時間まで作業していた。顧問は準備が終わるとさっさと帰って行った。労いの言葉どころか

「おつかれ。」

の一言ない。慣れてはいたが私の中には変な感情が渦巻いていた。憎悪、憤怒。その正体が何かなんてどうでもよかった。1週間後、レース本番。11月のレース、年明けの遠征を経て私のヨットの技術は上がっており、レースについて怒鳴られることは少なかった。またこのレースで1人乗りヨット部門に出場したのは私含め2人だけだった。運良く私は相手高校生に勝てたので、顧問はレースの結果に対して不満を言うことはなかった。しかし閉会式の直前、私は相手高校が使った2人乗りヨット3艇を1人で掃除するように顧問から命令された。私はなぜ1人なのか、顧問に尋ねた。顧問は

「うるせぇ、だまってやれ。」

と言って何も説明しなかった。閉会式が迫っていたので私は仕方なく掃除した。なんとか閉会式に間に合わせたものの、顧問は私を見て

「おせぇんだよ。」

と言って睨んだ。

『はいはい。いつものことね。』

と私は呆れていた。閉会式では表彰が行われ、私は1人乗りヨット部門で1位だったので、表彰状を受け取った。初めて公式のレースでの勝利。おそらく普通なら嬉しいという感情が沸き上がるはずだ。ただ、そのときの私はなんの感情も沸き上がらなかった。式後、顧問は記念に私の写真を撮ると言ってOBさんたちと写真を撮ることになった。私を真ん中にOBさんが隣に並んで写真を撮影した。私は顧問から

「笑え!」

と言われた。私の表情は死んでいた。引きつった口角、死んだ魚のような目。楽しい、嬉しいなんてものを感じられるわけがない。その写真は学校の掲示板にでかでかと掲示された。レースの翌日の月曜日。その日は朝練のため早く登校した。いつものように部室の鍵を受け取り、部室を開け練習の準備をする。その日はトレーニングルームでの筋トレだった。私は荷物を持ってトレーニングルームへ向かった。そのときだった。何かにつまずいたわけではないのに、その場でこけて倒れた。

『疲れているからか。』

と思いながら、すぐに立ち上がろうと体に力を入れる。すると腰に激痛が走った。ぎっくり腰なのか。しかしぎっくり腰が原因ならなぜこけてしまったのか。ぎっくり腰の前兆と言われる腰の重だるさや張り感が特別あったということはなかったし、急にこけるなどという前兆があるなんて話も聞いたことがない。私はなんとか立ち上がるも、思うように足が動かなかった。荷物を引きずりながらトレーニングルームに入った。少しして顧問がトレーニングルームに来た。私は腰を痛めたということを伝えた。顧問は

「………あっそ。じゃあ今日と明日は部活いいや。」

と言った。意外だった。昨日のレースの結果で上機嫌なのだろうか。顧問の考えはわからない。結局私は朝練を中断し、都合上翌日に病院へ行った。おそらく筋肉の疲労によるものだと診断され、マッサージを受けた。そこの先生は腕が良く、マッサージを受けた結果本当に腰の痛みがなくなった。それから1週間ほどは過度な運動はしないほうがいいと言う忠告を受け、その日の診察は終了した。次の日は祝日で学校は休みだったが海練があった。私はいつものようにハーバーに行った。しかしその日は今までで1番強い風が吹いていた。大雨が降り白波が立っている。波の高さは2mから3mある。漁船は1艇も出ていない。唯一目にした船は海上保安庁のものだった。初めて海上保安庁の船を目にした私は、この風がよっぽど異常なものであり、とても危険な海であるということを改めて理解した。とりあえず、指示されていたようにヨットの準備をする。もしかしたら、今日の海練は無しになるかもしれない。そんな小さな希望を抱いていた。8時半過ぎ、顧問がハーバーに来た。私はいつも通り挨拶し、今日の練習について尋ねた。

「は?海出るよ?出るに決まってんじゃん。」

顧問はいつものテンションで答えた。私は内心驚いていた。

『海上保安庁が出てきているんだぞ?逆に漁船は全く出ていないんだぞ?』

顧問の正気を疑った。顧問曰く

『プロのレーサーならこの程度の風はなんともない。』

とのこと。私はプロのレーサーではない。ましてや海上保安庁が出てきている海がなんともないわけがない。私は

「危険ではないですか?」

と尋ねた。災害級と言ってもいいほどの風。そんな中で海に出る。下手すると死ぬ可能性だってある。それに私は腰を壊し、昨日治したばかりだ。医者からは激しい運動は避けるように言われている。私は自身の腰の状態も顧問に伝えた。しかし顧問は

「いや、治ったんでしょ?なら出るよ。」

と言って聞かなかった。1時間後、私は何度もやめたほうがいいと説得したが、その要望は受け入れられず海に出た。ヨットに取り付けたロープを引っ張って帆を操作するが、全く言うことを聞かない。暴風が四方八方から私を襲う。私はハイクアウト(ヨットのバランスを保つために、外に身を乗り出す技)でヨットのバランスを保とうとした。しかし全く意味がない。2m越えの波が私の顔面にぶつかる。鉄板で殴られたような鈍痛が顔全体に走る。日光対策でサングラスをしているが、ゴーグル代わりになるわけもなく海水が目の中に入り痛い。数メートル進むごとに風向きが変わる。私は何回も沈した。冬の冷気が残った海水は想像以上に冷たく、一度落ちると大幅に体力を削られる。顧問はボートから私を眺めていた。なにか叫んでいるのは聞こえるが、風と波の音で何も聞こえない。一瞬だけ聞こえのは

「とっとと走れ。」

の一言だった。私は暴風によって荒ぶるヨットに振り回された。出港して1時間ほど経った。私は数えきれないほど沈していた。そのため体力はもう限界だった。それでも顧問から帰港の命令は出ない。私は方向転換してもう一度ヨットを走らせようとした。そのとき、運悪く風向きが変わった。暴風が波に持ち上げられたヨットの船底に直撃する。その途端、ヨットは1mほど宙を舞い、私は外に投げ出された。着水の衝撃でヨットも横転した。が、さらなる不幸が襲い掛かった。ヨットが横転した状態で帆に風を受けてしまい、横転したまま急発進してしまったのだ。私に命綱なんてものはない。顧問から渡されたボロボロのライフジャケットと、ダメージを受けすぎて今にも破れそうなウェットスーツ。そして投げ出されたときにたまたま手に握っていた操舵用のロープ1本のみだった。私はロープを両手で握りしめ、猛スピードで波に突っ込んで暴走するヨットに引きずられた。数百メートルほど引きずられただろうか。風向きがようやく変わり、帆に風が当たらなくなってヨットが止まった。私は波や流木にさらされたボロボロの身体でヨットまで泳いで行き、横転したヨットを起こした。私はヨットに乗り込んだ。激しい頭痛と腰痛、吐き気が襲ってくる。するとようやく顧問のボートが近づいてきて

「………帰港しろ。」

と怪訝そうに命令された。私は細心の注意を払いながら帰港した。やっとの思いで辿り着いた港。私はヨットを引き上げた。安心という感情は、ヨットを完全に片付け終わったときに初めて溢れ出てきた。その日は午後から海に出ることはなかった。それからの私は腰を痛めてしまい、治ることはなかった。もちろん顧問はそのことを知っていたが、

「気合が足りない。」

と言って真剣に取り合ってくれることはなかった。


 3月の終わり頃。2度目の遠征が始まった。2泊3日の遠征。今回の遠征は各地から高校ヨット部が集まってレースをする正式な大会だ。10校ほど集まっていただろうか。私は今回もⅤ高のヨット部と合同でレースに参加した。今回は顧問の車でヨットを牽引する。顧問Vは現地集合らしい。年明けの遠征同様私は母に頼んで、朝早くM高に集合したが顧問は時間ギリギリに学校に来た。母にも私にも挨拶なんてしない。それどころか寝起きの機嫌の悪さからか

「早く準備しろや!」

と私を怒鳴った。今回はV高のふたりは道中、顧問の車で拾われる。そのため私1人でトレーラーを車に連結させなければいけなかった。私はなんとか連結させ、顧問の車に乗り込んだ。顧問が最後の点検をし6時15分頃、車が発進した。車内、会話なんてものは一切ない。私自身、顧問と会話したくなかったから好都合だった。発進してから1時間ほどして、V高のふたりと合流し顧問の車に乗り込んだ。ふたりが入ってきても、これといった会話はなかった。それどころか私たち3人は寝ていた。前回の遠征よりも目的地は遠く、出発から4時間以上かかってようやく目的地に着いた。今回はハーバーと宿泊施設が連携した公共施設だった。私たちが着いた時には多くのヨット部員がハーバーのあちこちでヨットを組み立てていた。私たちも急いでヨットを降ろし組み立てた。もちろん顧問が手伝うことはない。私に向かって

「なんでてめぇはそこまでノロマなんだ!ヨットを準備するぐらい誰でもできるだろうが!ホントお前は使えない人間だよ!」

と怒鳴るだけ。周りを見渡すとどのヨット部も顧問も、1人乗り2人乗り関係なく部員の手助けをしている。うちの顧問のように片手にコーヒー持って、足を組んで座っている人はいない。

『本当にうちの顧問はやばい人なんだ。』

と改めて思いながら急いで準備をした。準備が終わると顧問は私を呼び出した。顧問の顔には怒りが満ちている。

「てめぇみたいな人間がいるだけで、何人に迷惑かけると思ってんだ?!使えない人間はうちにはいらねんだよ。ひとりで帰るか?使えねぇんだから。」

「………いえ。」

「じゃあさっさと動けよ!ホントにてめぇみたいな人間嫌いだわ!」

いつになく今日は口調が荒い。それに今回はかなりスムーズに組み立てが終わっていた。周りのヨット部員は手伝いを借りながらもまだ組み立てている。自分で言うのもなんだが今回は手際良く、時間内に出来た。そして午前は生憎の無風によって出港できないという連絡が回っていた。つまり時間はあったし、私はどちらにしても間に合っていた。しかし顧問は何かが気に食わなかったのか

「マジでてめぇみたいな人間嫌いだよ。自分がそんなに可愛いのか?迷惑かけるだけの自分が。」

と罵倒する。理解できなかった。30分ほどそんな罵倒を浴びた。その後、私は急いでウェットスーツに着替え、昼飯を食べた。母が作ってくれた弁当、とり飯だ。遠征、ヨットのレースのときの応援メニューだ。私は不意に溢れそうになった涙をこらえながら、とり飯を食べた。昼飯を食べたあとAとBとともに顧問からのミーティングを受け、出港の指示が出るまでノートをまとめながら3人で待っていた。AとBとは年明けの遠征、毎度のレースを経て気が合い、

「今回もしんどそうだよなぁ。」

とか

「あんなに怒鳴ることないじゃん。」

など愚痴を言い合ったり、笑い話ができる仲にまでなっていた。14時が過ぎた頃。ようやく風が出てきたため出港の許可が出た。私たちも出港した。当たり前だが、そこの海の環境はいつも私が練習しているハーバーとは違い、風の変わり方、波、潮の流れに慣れなければいけない。私は出港してすぐに環境に慣れるための練習を行った。顧問はレースの運営。本部艇に同乗しているため、下手にこちらに船が来ることはない。出港して30分ほど練習し、レースのためにコースとして設置されたブイ(浮き)の周辺に集合した。何十艇も集まっている。ここまで大規模なレースは初めてだ。それから私は練習通りにレースに臨んだ。1日目の結果は2位。が、1日目のレースは練習試合、本番は2日目からだ。16時過ぎ、帰港の指示によりヨットの集団は港へ戻った。私も帰港し、ヨットを引き上げた。帰港した際、帰港申告をしなければならない。私もヨットを引き上げながら、帰港申告をしなければと考えていた。本部に申告書があるのだが、同じように帰港申告をするために他の部員が長蛇の列をなしていた。その列に並んで待つのなら、少しでも人が少なくなるタイミングまで待ち、その間出来るだけ片付けてしまったほうが効率がいい。そう判断し、私はタイミングを見計らいながら、片付けをした。そんな私の下に顧問が来た。顧問の顔は怒っていた。

「早く帰港申告しやがれ!」

と私を怒鳴りつけた。私は説明した。

「忘れてたわけじゃないんです。今本部を見たところかなりの行列になっているので、そこで並んで待つよりその時間で片付けをしたほうが効率がいいと思ったんです。」

しかし顧問がそんな説明に納得するわけもなく

「黙れ!馬鹿が!そんなの言い訳だろが!てめぇの嘘なんて聞きたかねぇんだよ!とっとと申告してこい!」

結局、その長蛇の列に並び申告をした。その間片付けなんてできない。大幅に時間をロスし、申告後片付けに戻った。私は急いで片付けをし着替えをし、ミーティングの準備をした。顧問は椅子に座っている。私たち3人はノートと荷物を持って集合した。顧問は怪訝そうに私たちを見て

「なんでもっと早く片付け出来ねぇんだよ。」

と言った。たしかに5分ほど遅くなってしまっていた。顧問はため息をついた

「はい。お前らステッピングスクワット300回。手ぇ抜いたらやり直しさせるからな。」

顧問はそう言って宿泊施設に入って行った。私たちは残ってステッピングスクワットを行った。3人とも体力はとうに限界だった。吐きそうになりながらなんとか300回を終え、荷物を持って宿泊施設に入った。顧問はロビーのソファで寝ていた。私たちはステッピングスクワットを終えたことを報告した。その後、施設の管理人に挨拶をして改めてミーティングを始めた。

「1時間後に食堂前に集合。それまでに風呂入ってノートまとめとけ。」

そう指示を受け、解散した。今回の部屋は3人で1部屋。私たちは荷物を片付け、風呂に入る支度をした。大浴場に行くと多くのヨット部員がいた。

『混雑しそうだな。まぁそりゃそうか。』

と思いながら私たちは準備をした。さて風呂に入ろうと、浴場のドアを開け浴場に入った。真っ先に目に映ったのは顧問の姿だった。浴場のちょうど真ん中あたり、顧問が腕立て伏せをしている。周りには他の高校のヨット部員がいるというのに。顧問は息が上がるほど腕立て伏せをしていた。私は異様な光景に思わず目を背けた。私たち3人が浴場に入ったとき、入れ替わるように顧問は浴場から出て行った。私は同じ学校の人間として恥ずかしくなった。公共の場所で、ましてや浴場で腕立て伏せをする。私は顧問の常識を疑った。私たちは指示された時間に間に合わせるために、急いで体を洗い湯船につかり、浴場から出て行った。指定された時間の5分前。私たちは食堂前に集合した。顧問は時間ギリギリに集合。そして顧問Vもそこで合流した。顧問は笑いながら

「お前ら3合は米食えよ。3合食うまでごちそうさましないからな。」

と命令した。腹は減っていた。しかし3合も食べられる自信はない。ましてや疲れすぎて食欲という食欲はなかった。自分の適量で食べたい。しかし顧問にそんな要望が通用することはない。食堂が開き、私たち5人は真っ先に入った。顧問は私たちの茶碗に米を盛った。漫画でしか見たことのないような山盛りの白米。顧問曰く、その量を3杯食べなければならないらしい。明らかに3合で収まる量じゃない。私たちは山盛りの米を山盛りのから揚げをおかずに食べた。他の高校のヨット部員の米の量を見る。平均的で良識的な量の白米。羨ましかった。吐き気を抑えながら白米をかきこんだ。私はなんとか3回おかわりをして3人のなかで1番最初に完食した。水すら飲めないぐらい気持ち悪い。一方、顧問2人は一度もおかわりをしていない。それどころか量も他の高校と同じぐらいで、私の向かいに座っていたうちの顧問に至っては茶碗に大量の米粒が残っている。それで完食したつもりなのだろう。顧問の皿にはから揚げが1つ残っていた。顧問はそのから揚げを素手で鷲掴みにし、私の皿に置いた。

「お前、から揚げ食っていいよ。俺もう腹いっぱいだから。」

私はもう苦しかったので

「いや、もうさすがに……」

と断ろうとした。しかし顧問は

「はぁ?食えよ!俺の優しさを無下にすんのか?」

と言い、顧問Vも

「おい食えよ!先生の優しさだぞ!」

と同調した。私は断りきれず、そのから揚げを食べた。全く味のしないから揚げを食べるのは初めてだった。私以外のふたりもようやく食べ終わったので5人は食堂を後にし、それからは自由時間となった。3人はよろめきながら部屋に戻った。

「やばい。マジで吐きそう。」

Aが呟いた。

「俺も、なんかものすごい腹痛いんだけど。」

とBも言った。私も

「いろんな意味で気持ち悪い。」

と言った。それからもう一度3人で風呂に入ることにした。浴場には私たち以外人はいなかった。ようやく、緊張がほぐれた気がした。体を洗っているとき、ふと鏡に映る自分が目に入った。トレーニング続きの毎日。少しは筋肉質な体になっていると思っていた。だが、鏡に映っている自分はあばら浮き、腕や足が細くなっていた。筋トレをしているはずなのに。改めてみる自分に少し絶望した私はため息をついて湯船に使った。2日目。5時頃に私たちは目を覚まし、部屋の掃除、練習の準備をした。6時過ぎ、施設の広場に集合した。朝練だ。準備運動をし、1キロほど離れたところにあるコンビニに走っていく。顧問は車で先にコンビニに行き、私たちはその車を追いかけるように走った。コンビニに着くと、その日の昼に食べる軽食を買った。会計を済ませまた走る。施設に着いたら朝食だ。またも真っ先に食堂に入り、顧問が白米を山のように盛る。吐きそうになりながら米をかきこんだ。すると顧問がなにやらビニール袋を取り出した。袋の中には卵やふりかけ、納豆が入っている。それを見たBが

「持ち込んで大丈夫なんですか?」

と尋ねた。顧問は

「なにか問題でも?」

と言って自分の白米に卵をかけた。私はひたすらに米をかきこんでいた。食事を終え、身支度をしハーバーに出向いた。その日は風が強く、少しだけ出港の予告時間が遅くなった。私はヨットを組み立て待機していた。出港の指示が出たのは昼前。私は軽食を済ませ、急いで出港した。前日同様30分ほどの練習を済ませスタートラインに集合した。今日は本番。私は気を引き締めてレースに臨んだ。レースが始まった。パフォーマンスは前日よりも良かった。しかし周りの選手は昨日までは遊びだったと言わんばかりの走りを見せた。私は次々と抜かされた。結果は8位。真ん中よりも少し下の方だ。1日のレースが終わり、私は帰港した。港に着くと顧問が待っていた。先に帰港していたのだろう。顧問は私を怒鳴りつけた。

「なんなんだ!あのレースは!」

私は自身の反省を簡潔に伝えた。しかし顧問は聞こうとしない。

「てめぇにはやる気がないんだよ。そりゃそうか。自分に甘い人間なんだもんな!だからあんな結果しか出せないんだよ!ホントに迷惑な人間だよ、てめぇは。」

顧問は今回のレースの敗因を私という人間そのもののせいだと言った。私は脳内で理解を拒んだ。いつも聞いていたはずの言葉。けれども今日の顧問の言葉は深く深く刺さっていく。私は簡単なミーティングを終え、ヨットの片付けをした。今回は時間内に間に合いステッピングスクワットをすることはなかった。前日と同じように風呂に入り、食堂の前に集合した。そのときの私たちにとって、食事は恐怖でしかなかった。吐きそうになるまで食べさせられる。普段はなんとも思わない食事そのものが怖くて仕方なかった。そんな心配をしても無駄だった。顧問は私たちの茶碗に白米を盛り、自分の茶碗には少なくよそう。そして3合以上あるであろう山盛りの米をかきこみ飲み込んだ。あまりの量に涙が出そうになった。そんな私たちなど気にもせず、先に晩飯を食べ終えた顧問は、ご飯のおかわりのために並ぶ他の高校のヨット部員たちを眺めていた。

『なに考えてるんだろう。』

顧問の挙動を理解できない私は、米をかきこんみながら顧問の様子を窺った。すると顧問は無言で立ち上がり、その列の方へ歩いて行った。その列の先頭の部員が米をよそおうとした途端、顧問は茶碗としゃもじを部員から取り上げた。

「おれがよそっていく。」

と言って、次々と他の高校の部員の米をよそった。私たちは正直ひいていた。親切心なのだろうか。得体の知れない何かを見ているような感覚だった。顧問Vは顧問のそんな様子を見て

「流石だわ。」

と感心していた。もう何が起きているのか、脳はそんな情報を上手く処理出来ていなかった。しばらくして顧問が席に戻り、私たちもようやく完食した。私たち5人は食堂を出て、ロビーでミーティングを行った。顧問は呆れた口調で日中の話の続きをする。

「てめぇにはさ。真面目に物事に取り組むっていう姿勢が、考えがないんだよ。俺言ったよな?過去の自分を捨てろって。今のてめぇが弱いのは、てめぇがてめぇのまんまでいるからだよ。」

食べ過ぎによる気持ち悪さと、顧問の言葉で私はどんどん不快になっていった。30分ほどそんな言葉を投げかけられ、やっとミーティングが終わった。それからの自由時間、何もやる気が起きなくなり前日よりも早く寝た。3日目。2日目同様5時頃に起き、部屋の掃除をした。今日で遠征が終わる。そのため朝練前に顧問たちが部屋を点検しに来るのだ。前日よりも丁寧に掃除し、シーツのしわや靴箱の汚れなど細かなところまで気を配った。そのおかげで点検は一発でクリアした。それから朝練が始まった。前日と同じように準備運動を行い、コンビニまで走って行った。その日は雨。しかし雨が降っていようが関係ない。何回も水溜まりを踏み越え、コンビニに辿り着いた。コンビニで軽食を選び、会計を済ませてまた雨の中、施設に向かって走って行った。施設に着くとあの食事が待っていた。最終日だから少なめに、なんてことは当然ながらなく、むしろ今までで1番大盛りに盛られた。泣きそうになりながら、吐きそうになりながら米をかきこんだ。顧問たちはコンビニで買った納豆やふりかけ、卵などをかけ、私たちよりも少なめの朝食を軽々と平らげた。3日目になると、3日分の胃袋の負担が襲ってくる。いつもより完食するのに時間がかかる。そんな様子を見て顧問は

「早く食えよ!それぐらい!」

と怒鳴った。

『自分は食べていないのに………』

という文句を押し殺し、米を口に放り込んだ。やっとの思いで3人とも完食し、すぐにハーバーへ向かった。その日は生憎の無風。雨の影響で大気が不安定になり、予報よりも風が吹かなかった。午前中、私たちはヨットを準備しウェットスーツに着替え、ミーティングを終えると雨をしのぐために屋根の下で待機していた。雨は強くなったり弱くなったり。一向に風は吹かない。そのような状態が昼過ぎまで続いた。私は軽食を食べ終え、ノートをまとめていた。そのとき出港の許可が下りた。どうやら沖のほうでは少し風が吹いているらしい。私たちは急いで出港した。沖のほうは風があると聞いていたのだが、私たちが出港すると徐々に風がなくなっていった。しかし最終日であるため、延期はできない。本部は弱風のなか、レースを行うことにした。私は30分ほど練習した後、スタートラインに集まった。そして数分後、レースが始まった。………順位は真ん中よりも下だった。無風に近い弱風下で上手く操舵することができず、技術力の高い他の選手たちに追い抜かれていった。私はなんとか巻き返そうと、弱風下での操舵でヨットを動かした。しかし、その差は縮まらない。それどころか、私が進んでいた場所が無風エリアになり、ヨットの動きがさらに遅くなった。ようやくゴールしたとき、本部艇から私を眺めていた顧問は

「てめぇふざけんな!」

と怒鳴り地団駄を踏んだ。私は何も言えなかった。結局レースがひと段落したところで、無風により続行不可能と判断され、レースは終了となった。帰港の指示が出た。私はなんとか帰港した。ヨットを引き上げ、帰港申告を行い片付けをした。トレーラーにヨットを積む必要があるため、細かい部品まで解体した。顧問はどこかに消えていた。私はなんとか間に合わせようとした。しかしどこからともなく顧問が現れ、

「てめぇあんなレースするために、ヨット部入ったのか?」

と怒鳴った。私は

「いえ。そんなことはありません。」

と否定した。顧問の眉間にしわが寄った

「嘘つけ。じゃないとあんなレースできるわけがない。」

私は謝罪した。10分ほど作業を中断し顧問の言葉を聞いた。そして顧問は去り際に

「ホントに終わってるよ、お前。」

と言った。またも時間をロスした。私は急いで片付けていたが、あと少しというところで閉会式が始まった。1位から3位の選手が表彰状を受け取り、私たちは拍手した。閉会式に顧問の姿はなかった。式後、急いでヨットのもとへ戻り、片付けを済ませトレーラーへの積み込みを開始した。顧問は自分の車から出てきた。ヨットを5人がかりで持ち上げ、専用のベルトで固定する。しかし、3人の体力は限界だったため、思うように作業ができない。

「とっとと動け!ノロマ!」

「てめぇらに休む時間はねぇんだよ!」

顧問たちは大声で怒鳴る。きちんと固定しなければ事故に繋がるため厳しく言われることはわかる。しかし顧問たちの言葉の中には明らかに人格を否定する言葉が混じっていた。むしろ罵倒の方が多かった。やっとヨットを積み終わり、車に荷物を積んだ。そこで私は初めて知った。帰りは顧問の車で2人きり、私は自然とため息が出た。何かが吹っ切れたのか、私は諦めて車に乗り込んだ。


 車が発進した。私は流れていく景色を後部座席の窓から眺めていた。そんな私に顧問が語り掛けてくる。

「今回の遠征。てめぇ、何か学んだことがひとつでもあったか?」

疲れ切っていた私の脳内に顧問の言葉がゆっくりと侵入してくる。

「はっきり言って、全く無いんじゃない?学んだことなんてひとつも。……だってなんの成果も残してないじゃん。……え?、逆に何学んだの?」

「…え、えっとぉ。まず技術面に関しては、」

「あぁもういい。もう何言おうとしてんのか大体わかるから。」

ひねり出した私の回答を顧問は怪訝そうに遮った。顧問は運転しながら続ける。

「てめぇの一番悪いところはそういう人間性だ。なんでもかんでも自分中心で、とにかく自分に甘い。それでもって全く周りに気を配れてない。おまけになんにも考えない。そりゃ馬鹿にこんな遠征できるわけがないよな。」

マシンガンのごとくダメ出しが飛び交う。立場を重んじて私はなにも反論しない。疲れ切った脳をできるだけ回転させてそのダメ出しの内容の理解に努め、ガラガラになった喉の奥から嘔吐するようにかすれた返事を吐き出す。やっとの思いで吐き出した返事を聞いた顧問は、

「ちゃんと返事しろ!」

と怒鳴りつけた。顧問はため息交じりに続ける。

「おまえ人間終わってるよ。返事もできないようじゃ。そんなんだからロクに遠征もできないし、ロクな成果も出せないんじゃない?それを変えようとしないんなら尚更。ほんと終わってんな。」

脳内に侵入してきた顧問の言葉が、私の中の大事な何かに刺さりだした。毎日、毎日。聞き飽きているし聞き慣れている言葉だったはず。なんならこの遠征中も、さっきまでも耳が腐るほど聞いていたはずだ。なのにいつもより痛い。唐突に、

「おい!メモとってんだろうな?」

と彼が尋ねてきた。

「…ハイ…」

かすれた声でできるだけ大きく返事をする。何かが切れている。何が切れているのか説明はできないが、私の中の何かはつけられた傷の痛みに叫び、とうとう静かになった。彼からはメモをしているように見えているだろう。私の左手にはボロボロになったノート、右手には鉛筆のように握っている刃を露出したカッターナイフ。彼が放った言葉をボロボロのノートの1ページにカッターナイフで刻む。箇条書きでもなければ文章でもない。一文字一文字を順序や構成なんて気にもせず刻んだ。そんなことを知らない顧問はさらに続ける。

「てめぇみたいな人間は絶対この先失敗するよ。断言できるわ。あんなふざけたレースをして、自分に甘々で、他力本願で、わがままで、独善的で、体力のない弱虫。それでもって返事すらできない。そういう人間はなクズって言うんだよ。てめぇみたいな人間をな。言っただろ?てめぇが1番するべきことは、過去のてめぇを否定すること、捨てること。どうせ過去のてめぇもそういう人間なんだろ?そういう人間は本当に迷惑なんだよ。」

「………ア?」

かすれた声で答えた。たしかに私は負けた。たしかに私は弱い。今回の試合に至っては前日の練習試合の順位よりも低く、追い越すことはできなかった。私の技術不足なのも、変え難い結果なのもわかる。しかし、私が負けたこととは罪なのか?自分で言いたくはないが、私は顧問が思っている以上に努力してきた。ヨットの技術を高めるために、ほとんど休まず練習し家でも筋トレをし、ノートも何冊も取った。わからないことは人に聞いたり、パソコンで調べたり。顧問があれだけ馬鹿だと言ったから私は勉強した。12時過ぎまでパソコンやノートを開き、頭が痛くなるまで勉強する。とにかく教科書の内容を脳に積み込むために寝る間も惜しんで取り組んだ。気が付けば朝の5時を回っていた日も少なくない。それでも家族に心配をかけないために早く起きた。睡眠時間が1時間未満なんて日もあった。頭痛を抑え、授業に集中するためにコーヒーをがぶ飲みしたり、サプリメントを飲んだり。眠気覚ましのために市販薬に手を出したりもした。おかげで私は不眠症になった。体も壊した。しかし休めばヨットの練習に支障がでると顧問から言われ、さらには下手な心配をかけたくないがために、巻き込まないために誰にも私の真意を隠し続けた。記憶力が著しく低下し、手が震え、腰を痛め、頭を痛め。体の至る所が悲鳴をあげていたが私は誰も巻き込まないために隠した。そして精神も壊した。毎日毎日、私という存在を否定され続けても続け、感情を失ってもヨットに自分を捧げ、自分自身が狂っても、誰も傷つけないために隠し、耐えてきた。あらゆるものをこの1年間で失った。あらゆるものを捨ててきた。中学と比べて人付き合いは良くなったであろうが、周りからは狂った人間として見られていた。私が今まで受けてきた深い傷は、ヨットのために受けてきた傷は、必ずどこかで報われる。そう思っていろいろ捨てた。ときには命さえも………それがどうだ。ヨットは、顧問は、目の前にいるこの男は、それでも足りないという。私の負けは罪なのか?私という人間は罪なのか?顧問に、おまえにそこまで言われる筋合いがあるのか?おまえに私の全てがわかるのか?私の気持ちがわかるのか?私の過去がわかるのか?お前に全てを否定する資格があるのか?私は生きていては、存在していてはならないのか?私という人間が生きていてはダメなのか?………ふと、顧問が言葉を漏らした。

「俺はてめぇを否定し続けるからな。クソなんだから。」


………あぁ、そうか。こいつは私の敵だ。


私は握りしめたカッターナイフの刃を目一杯出した。高速道路のど真ん中。行き交う車の音でうるさいはずなのに、静けさが車内に生まれた。緊張しているはずなのに気分が楽だった。


もう………いいや。


私はカッターナイフを振りかざした。

読んでいただきありがとうございました。初めての作品で読みにくい箇所も多々あったと思います。読んでいただいた皆様には、最後の「私」の行為の続きを予想してみてほしいです。「私」はいったいどうしたのか、その答え合わせ、後日談をまた書こうと思います。またこの作品を読んで様々な意見があると思います。そのような意見を次作の参考、そして私筆者自身の生き方の参考にしていきたいと思っています。暗い作品ですが最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

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