権力の味(第3部 / 皇帝の逆襲)
記憶皇帝の幻影が空に浮かび上がると、街全体の空気が一変した。それまで民衆の声で満ちていた街が、突然死のような静寂に包まれる。皇帝の恐ろしい力が本格的に発動し始めたのだ。
『我慢の限界だ』
皇帝の声が、物理的な音ではなく直接脳内に響いてくる。その声を聞いた者は、激しい頭痛に襲われ、膝をついてしまう。
『貴様らごときが、我の完璧な秩序に逆らうとは』
空に浮かぶ皇帝の幻影が巨大化していく。その顔は憎悪と絶望に歪み、まるで悪魔のような恐ろしさを放っていた。
慶一郎は調和の炎で皇帝の攻撃に対抗しようとしたが、その力の差は歴然としていた。炎は懸命に輝こうとするが、皇帝の暗黒の力に押し負けそうになっている。
「くそ……力が足りない……」
慶一郎が歯を食いしばった瞬間、皇帝の真の能力が発動した。
『記憶全消去』
皇帝が宣言すると、街全体を覆う巨大な暗黒の波動が放射された。それは先ほどの記憶消去波とは比べ物にならないほど強力で、触れた者の記憶を根こそぎ奪い去ってしまう。
「みんな、逃げて!」
エレオノーラが天使の力で結界を張ろうとしたが、皇帝の力はそれをも上回っていた。
暗黒の波動に触れた民衆が、次々と倒れていく。彼らの瞳から光が消え、人形のような無表情になっていく。せっかく取り戻した記憶が、再び奪われてしまった。
「そんな……」
サフィが絶望的な声を上げた。
だが、さらに恐ろしいことが起きた。波動は反乱軍のメンバーにも及び始めたのだ。
「俺は……誰だっけ……」
ガルスが困惑した表情で呟いた。元帝国兵としての記憶、反乱軍として戦う意志、すべてが曖昧になっていく。
「私も……何をしていたんでしょう……」
記憶を取り戻したばかりの元記憶奴隷たちが、再び記憶を失い始めていた。
「だめ!」
マリエルが祈りで抵抗しようとしたが、彼女にも波動の影響が現れ始めた。
「神よ……お守りください……」
ナリが科学者として分析を試みたが、その知識すら曖昧になっていく。
「これは……理論を超えた……現象……」
カレンとアベルも騎士としての記憶が薄れ、なぜ剣を握っているのか分からなくなっていた。
「みんな……」
慶一郎が仲間たちの変化に絶望しかけた時、一人だけ変わらない人物がいることに気づいた。
エレオノーラだった。
天使の力を持つ彼女だけが、皇帝の記憶消去に完全に抵抗していたのだ。
「エレオノーラ……」
「大丈夫です、慶一郎さん」
エレオノーラが微笑みながら、天使の力を最大限に発揮した。
「私の力で、みんなを守ります」
エレオノーラの周りに神聖な光の結界が展開される。その光に包まれた者は、皇帝の記憶消去から守られていた。
「思い出してください!」
エレオノーラが仲間たちに呼びかけた。
「私たちは仲間です! 一緒に戦ってきた大切な仲間です!」
彼女の声と天使の光により、仲間たちの記憶が少しずつ戻り始めた。
「そうだ……俺たちは……」
ザイラスが記憶を取り戻し始めた。
「贖罪のために戦っているんだ」
「私たちは料理の喜びを取り戻すために……」
リーザも記憶が蘇ってきた。
だが、エレオノーラの力にも限界があった。皇帝の攻撃を防ぎ続けることで、彼女の体は悲鳴を上げていた。
「エレオノーラ!」
慶一郎が彼女を支えようとしたが、天使の力を維持するために、彼女は動くことができなかった。
『天使よ』
皇帝の声がエレオノーラに向けられた。
『貴様の力も所詮は我の前では無力だ。愛する者を守りきれずに絶望せよ』
皇帝が直接エレオノーラを狙って攻撃してきた。暗黒の力が天使の結界に激突し、激しい光と闇の攻防が繰り広げられる。
「うあああああ!」
エレオノーラが苦痛の叫び声を上げた。天使の力と皇帝の暗黒の力がぶつかり合い、彼女の体に激しい負荷がかかっている。
「やめろ!」
慶一郎が調和の炎を解放し、エレオノーラを守ろうとした。だが、皇帝の力はあまりにも強大だった。
『無駄だ』
皇帝の攻撃が激化すると、エレオノーラの結界にひびが入り始めた。このままでは、結界が破られてしまう。
「みんな……」
エレオノーラが振り返った。その顔には、深い決意が刻まれていた。
「私は……あなたたちを守ります……どんなことがあっても……」
エレオノーラが天使の力を限界を超えて発揮しようとした時、慶一郎が彼女の手を握った。
「一人で背負うな。俺たちは仲間だ」
慶一郎の言葉に、調和の炎が反応した。炎はエレオノーラの天使の力と融合し、これまでにない強大な光を放ち始めた。
「二人の力が……融合している……」
ナリが驚愕の声を上げた。
調和の炎と天使の力が一体となった光が、皇帝の暗黒の力に対抗していく。その光は希望の象徴となって、街の人々に勇気を与えていた。
だが、皇帝もさらに力を増していく。
『ならば、すべてを破壊してやる』
皇帝の怒りが頂点に達し、記憶宮殿全体が不気味な光を放ち始めた。最終的な攻撃の準備が整ったのだ。
「あれは……」
レネミアが王女としての知識で、その光の意味を理解した。
「記憶の日の儀式です。皇帝が本気で全世界の記憶を支配しようとしています」
時間が残されていなかった。このままでは、帝国だけでなく、世界中の人々が記憶を奪われてしまう。
「行くしかない」
慶一郎が決然と告げた。
「記憶宮殿に乗り込んで、皇帝を止める」
仲間たちも決意を新たにした。たとえ敵がどれほど強大でも、守るべきものがある限り、戦い続けるのだ。
最終決戦の幕が、ついに上がろうとしていた。




