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焔を継ぐ者と、焼かれていない国

 血と煙が収まったあと、俺は一歩、踏み出した。

 砕かれた鍋、潰れたまな板、そのすべてが静かに焦げついていた。


「まだ……焼き足りねぇんだよ」


 俺は呟いた。拳を握ったまま、焼け焦げた皿を睨んでいた。


 その時だった。


 銀髪の彼女が、俺の胸倉を掴んだ。

 そして、言葉もなく——キスをした。


 驚愕した村人の目の前で、銀髪の監察官は炎の香りを帯びた口づけで、俺を繋ぎ止めた。


「あなたは、料理人。火で、憎しみを煮詰めないで」


 その囁きは、焼きすぎた心に冷たい水を垂らしたようだった。


 直後、村の外から整然とした軍靴の音が響いた。


 王国軍だった。


 先頭に立つ将官は頭を下げると、こう言った。


「我が軍の不始末、誠に申し訳ない。これより貴殿を“火の使徒”として叙任する」


 そして、その後ろから一人の少女が現れた。

 白金の髪、純白のドレス、その奥に宿る渇き。火の熱に慣れぬ細い指先。

 将官の娘——アリシア。


「王都より、料理の護り手として参りました」


 少女は微笑み、俺の手を取り、静かに言った。


「……どうか、あなたの“味”を私に分けてください」


 銀髪の彼女が静かにそっぽを向く。

 ミナは下唇を噛み、俺の袖をそっと引いた。


 そして、森の奥からさらなる存在が姿を現した。


 長耳。翠の装束。山風の香り。

 エルフ山族——かつて世界を離れ、火を捨てた一族の女王だった。


「……貴殿が“焔”の料理人か」


 彼女は、焼かれた魚の骨を見つめ、ひとつだけ言った。


「この部族と命を、貴殿の火に捧げよう」


 料理は、戦場を超えて、国と種族をも繋いでいく。


 王国軍の少女の手は、震えていた。

 彼女はただ役目で来たのではなかった。

 長い旅路で、何も食べられなかった彼女の胃袋に、ふと鼻をくすぐる香りが届いたのだ。

 焼き焦げた玉葱、骨から滲んだ塩、そして——炙った魚の脂。


「……この匂いを、思い出したの。昔、母が作ってくれた、ただの干物……なのに、あれほど美味しかったものはない」


 彼女はぽろぽろと涙を落としながら、俺の手を握りしめた。

 その背後で、ミナがわずかに唇を噛み、銀髪の彼女が目を伏せる。


 だが、緊張が走ったのはその直後だった。


 森の奥で矢が鳴った。

 そして、木の間を裂いて、山風のように彼女が現れる。


 長身の女、翠の甲冑に包まれた気高い輪郭。

 ——エルフ山族の女王、その名をリュミエール。


「王都の人間、火の兵、山を焦がした歴史……全てを忘れていない」


 兵たちが緊張する中、彼女はゆっくりと腰の短剣を抜き——地に突き刺した。


「だが、この料理の香りは、あの頃の火ではない」


 リュミエールはゆっくりと火に歩み寄り、かつて捨てたという“焼かれた魚の骨”を拾い上げた。


「この命と、我らが山の飢えを、あなたの火に預けよう」


 その瞬間、神の目が静かに明滅した。

 料理は、国と種族と時間を越えて——共鳴する言語になろうとしていた。


 そのとき、空に微かな光が差した。


 神の目が、初めて“音”を発したのだ。


『観測完了。対象、火を通して世界と接続。次なる料理地へ誘導を開始——』


 光が皿に宿る。

 それは、祝福ではなかった。

 指令だった。


 王都娘が、涙を拭きながら言った。


「次に焼かれる場所が、あるのですね」


 エルフ女王リュミエールが、森の地図を広げる。

 その一角が、黒く焦げ、そしてまだ焼かれていない。


「……この北の集落、“コルンの窯”——食が消え、火を捨て、病が満ちている」


 俺は静かに火を見つめた。

 握った柄の中に、あの目玉焼きの香りが、まだ残っている。


「行くぞ。まだ、焼いてない場所がある」


 銀髪の彼女が横に並び、剣を背負う。

 ミナが荷を担ぎ、菜箸を携える。

 王都娘がレシピ帳を抱え、エルフ女王が森を越える。


 こうして、火の料理人は旅に出た。

 まだ焼かれていない世界のために——。

恐縮です

できるだけ書きますがご期待に添えないこともある点が出かねない点はご容赦ください

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