塩を呪うものの声 a.k.a 焚かれた皿と再火の陣・涙と血と始まりの恋
「……なんで……あったかいの……?」
その問いに、俺は答えなかった。
ミナの瞳の奥で、十年前に焼かれた家の記憶が崩れていくのを感じた。
それは、火で“奪われた”記憶に、火で“赦される”瞬間だった。
銀髪の監察官は、遠くからその様子を黙って見ていた。
彼女は一言も発さず、ただ、火の揺らぎのなかでミナの隣に腰を下ろした。
そしてぽつりと呟いた。
「……その子、料理で救われたわよ」
俺は、ただ火を見つめていた。
この世界で、火を起こすということは——誰かの“罪”を焼き直すことなのかもしれない。
村の長老が静かに現れたのは、それからしばらく経ったころだった。
火が沈静化し、ミナが涙を流しながら眠りに落ちたその後。
長老は俺の作った火をじっと見つめたあと、こう呟いた。
「……これで、“あの方々”に顔が立つとは思うなよ」
静かな声だった。だがその声音には、鉄のような冷たさがあった。
「我々は、ただ火を恐れているわけではない。
火を口実に、我らを囲い込もうとする者がいる。
外の料理人よ、そなたの“火”が誰かの計画を狂わせたとき——その代償は、皿では済まぬ」
そのまま長老は去っていった。
銀髪の監察官が一歩踏み出し、眉をひそめる。
「……いまの、どういう意味?」
俺は答えられなかった。
だが、空気が変わったのは確かだった。
火で救われたはずのこの村の奥底に、まだ何かが潜んでいる。
料理を拒絶していた理由が、“文化”だけではない何か。
誰かが“火”を悪として利用し、
誰かが“塩”を恐怖として支配しようとしている。
陰謀は、煙よりも静かに、村の裏に染み込んでいた。
そして。
翌朝、村の中心に吊された札が一枚——炙り焦がされた木板が立っていた。
《火を用いた者の名、記録済。次の執行日:七日後》
ミナの名前があった。
その横に、俺の名前も刻まれていた。
まだこの村に“記録制度”などないはずだったのに。
銀髪の彼女が板を見つめ、俺に向かってこう言った。
「……あなた、本当に火を使い続けるのね」
「止める理由がない」
彼女は少しだけ笑って、こう返した。
「……じゃあ、私も止まらない」
その背後では、村の外れから煙のような影が立ち上っていた。
人ではない。
塩を拒み、火を憎む、“本物の声”が近づいていた。
だが、“あの方々”は思っていた以上に手が早かった。
その日の午後、村の境界を越えてやってきたのは、異様な服装の一団だった。
全身を煤と血で染め、無表情に行進する者たち。
顔を隠し、名を持たず、ただ“食”を否定する言葉だけを唱え続けている。
風が鳴いていた。
それは自然の音ではなく、斜面を這う“群れ”の咆哮だった。
《無餐派》の襲撃は、警告もなく始まった。
彼らは言葉ではなく、“破壊”で教える。
鉄板を潰し、調理場を潰し、火の残滓を地面に叩きつけて消す。
村の者たちは、再び凍りついていた。
せっかく火に触れた心が、再び冷えはじめていた。
その時だった。
俺は、一枚の皿を空へ掲げた。
塩を振り、焦げた肉片を載せる。
火が走る。
「食って、動け。語らずとも、味で答えろ」
ミナが菜箸を振るう。
銀髪の彼女が剣を返す。
鍋の盾が火花を散らし、焚き火の守りが包囲を破る。
これは、ただの戦闘ではない。
料理を否定する連中に対し、“火を通した意志”で叩き返す戦だ。
そして俺は、無餐派の前衛に立ち塞がる。
「食卓に、刃を突き立てた代償を……火で返す」
直後、最前線にいた村の若者が、無餐派の槍に貫かれた。
名も告げず、ただ料理を覚えたいと俺のもとに通っていた少年だった。
味を知って三日目、笑顔を知って初めての朝だった。
彼の死は、音を立てずに降ってきた。
血の代わりに、焦げたスープの香りが漂った。
ミナが叫んだ。
「やめて! 味を……あたたかさを殺さないでッ!!」
だが、無餐派は静かだった。
そして、その刃は次にミナへと向いた。
その瞬間、銀髪の彼女が身体を投げ出した。
「——火は、護るものよ」
彼女の背に、初めて皿の光が宿った。
神の目の“観測の光”が、彼女を包んだ。
戦場が、息を飲んだ。
俺はもう迷わなかった。
この火を、焼き直さなければならない。
「食え。今すぐ。死ぬ前に、もう一度だけ——あたたかいものを」
それは命令でも説得でもない、祈りだった。
ひとりの無餐派が、それを口にした。
咀嚼の音が響いた瞬間、その男が泣いた。
「……なんだこれ……こんなもの、忘れてた……俺は……食ってた……」
その瞬間、無餐派の列に動揺が走る。
火で失われた者たちが、火で戻ってくる。
銀髪の彼女が振り向く。
その頬に涙があった。
「——あたし、たぶん……あなたに、火を借りたい」
その言葉に、ミナがぽつりと続けた。
「……わたしも、ずっと側で……温めててほしい」
それは、炎に照らされた始まりだった。
風が鳴いていた。
それは自然の音ではなく、斜面を這う“群れ”の咆哮だった。
《無餐派》の襲撃は、警告もなく始まった。
彼らは言葉ではなく、“破壊”で教える。
鉄板を潰し、調理場を潰し、火の残滓を地面に叩きつけて消す。
村の者たちは、再び凍りついていた。
せっかく火に触れた心が、再び冷えはじめていた。
その時だった。
俺は、一枚の皿を空へ掲げた。
塩を振り、焦げた肉片を載せる。
火が走る。
「食って、動け。語らずとも、味で答えろ」
ミナが菜箸を振るう。
銀髪の彼女が剣を返す。
鍋の盾が火花を散らし、焚き火の守りが包囲を破る。
これは、ただの戦闘ではない。
料理を否定する連中に対し、“火を通した意志”で叩き返す戦だ。
そして俺は、無餐派の前衛に立ち塞がる。
「食卓に、刃を突き立てた代償を……火で返す」
直後、最前線にいた村の若者が、無餐派の槍に貫かれた。
名も告げず、ただ料理を覚えたいと俺のもとに通っていた少年だった。
味を知って三日目、笑顔を知って初めての朝だった。
彼の死は、音を立てずに降ってきた。
血の代わりに、焦げたスープの香りが漂った。
ミナが叫んだ。
「やめて! 味を……あたたかさを殺さないでッ!!」
だが、無餐派は静かだった。
そして、その刃は次にミナへと向いた。
その瞬間、銀髪の彼女が身体を投げ出した。
「——火は、護るものよ」
彼女の背に、初めて皿の光が宿った。
神の目の“観測の光”が、彼女を包んだ。
戦場が、息を飲んだ。
俺はもう迷わなかった。
この火を、焼き直さなければならない。
「食え。今すぐ。死ぬ前に、もう一度だけ——あたたかいものを」
それは命令でも説得でもない、祈りだった。
ひとりの無餐派が、それを口にした。
咀嚼の音が響いた瞬間、その男が泣いた。
「……なんだこれ……こんなもの、忘れてた……俺は……食ってた……」
その瞬間、無餐派の列に動揺が走る。
火で失われた者たちが、火で戻ってくる。
銀髪の彼女が振り向く。
その頬に涙があった。
「——あたし、たぶん……あなたに、火を借りたい」
その言葉に、ミナがぽつりと続けた。
「……わたしも、ずっと側で……温めててほしい」
それは、炎に照らされた始まりだった。




