封じられた記憶(第2部 / 潜入捜査)
料理検閲局を後にした一行は、表向きは観光客として街を歩いていたが、実際には記憶監視庁の恐ろしい捜査網が徐々に彼らに迫ってきていることを感じていた。
帝国の街の午後は、まるで病院の廊下のような人工的な静寂に包まれていた。太陽の光すら化学フィルターを通して街に降り注いでおり、自然な暖かさを感じることができない。その光に照らされた慶一郎の頬には、じっとりとした汗がにじんでいた。それは緊張からくる冷や汗で、肌にぺとりと張り付いて不快感を与えていた。
「あそこに『記憶純度測定ステーション』があります」
ナリが冷静に街の構造を分析していた。街の要所要所に設置された白い建物は、通行人の記憶レベルを常時監視している。その建物の前を通るたび、機械の赤い光が一行を走査していた。
慶一郎は胸元の調和の炎を必死に抑えていた。炎は帝国の監視システムに反応し、まるで閉じ込められた野生動物のように暴れたがっている。その抑制に使う精神力で、慶一郎の額にはさらに汗がにじんだ。
「記憶純度78%、要注意レベルです」
測定ステーションの機械音声が響いた瞬間、近くにいた中年男性が青ざめた。
「そんな……私は何も……」
しかし、既に記憶監視庁の職員が現れていた。彼らは黒い制服に身を包み、顔には感情を隠すマスクを着けている。そのマスクの下から見える目だけが、獲物を狙う捕食動物のように光っていた。
「市民番号52341番、記憶検査のため同行してもらいます」
職員の声は機械的で、人間の温かみが一切感じられない。
男性は必死に抵抗しようとしたが、職員が特殊な装置を使って彼の記憶に直接干渉すると、抵抗する意志すら失われてしまった。男性は人形のようになり、職員に従って黒い車に乗り込んでいく。
その一部始終を見ていたサフィが、恐怖で小刻みに震えていた。マリエルがそっと彼女の手を握ったが、マリエルの手もまた冷たく湿っていた。
「私たちも測定されているのかしら……」
エレオノーラが天使の力で周囲の魔法的な監視を感じ取っていた。彼女の美しい顔に流れる汗は、天使でさえもこの帝国の監視に緊張していることを物語っていた。
その時、背後から足音が聞こえてきた。規則正しく、機械的な足音。記憶監視庁の捜査官が彼らを尾行していたのだ。
「気づかれています」
ザイラスが元帝国官僚としての経験で、捜査官の行動パターンを読み取った。
「このままでは包囲されます」
リーザが咄嗟に近くの「帝国文化博物館」を指差した。
「あそこに避難しましょう。混雑に紛れることができます」
博物館の入り口で、彼らは再び記憶測定を受けなければならなかった。測定器が一人一人を走査する音は、まるで獲物を探すレーダーのように不気味だった。
「記憶純度85%、入館許可」
「記憶純度89%、入館許可」
一人一人が測定される中、慶一郎の番が回ってきた。調和の炎を抑えているが、完全に隠すことはできない。測定器の赤い光が彼を照らした瞬間、機械が異常な音を立てた。
「記憶レベル測定不能、再検査が必要です」
その瞬間、リーザが素早く係員に近づいた。
「すみません、この方は記憶障害者で、測定器が正常に反応しないことがあります」
彼女が提示した偽造の医療証明書を見て、係員は渋々納得した。
「記憶障害者なら仕方ありません。ただし、暴走した場合は即座に通報してください」
博物館の内部は、帝国の「輝かしい歴史」を展示していた。だが、その展示内容は徹底的に改ざんされており、記憶管理以前の時代については「混乱の時代」「無秩序な時代」として否定的に描かれていた。
「以前は人々が勝手に記憶を持ち、感情的に行動していました」
館内の自動音声が説明する。
「そのため戦争や争いが絶えず、社会は混乱していたのです。記憶皇帝陛下の英断により、ようやく平和な社会が実現したのです」
その説明を聞いて、レネミアが王女としての知識で反発した。だが、その感情を表に出すことはできない。彼女の握りしめた拳には、爪が食い込んで小さく血がにじんでいた。
館内を歩いているうち、慶一郎たちは恐ろしい展示を発見した。「記憶犯罪者の末路」という展示コーナーには、記憶を奪われた人々の写真が並んでいた。
写真の中の人々は皆、生前は豊かな表情をしていたのに、記憶を奪われた後は完全に別人のようになっていた。目に光がなく、まるで魂を抜かれた抜け殻のようだった。
「これが私たちの運命かもしれないのね……」
マリエルが小さく呟いた。その声は震えており、深い恐怖を感じていることが分かった。
だが、その時、館内の警報が鳴り響いた。
「不審者の侵入を確認しました。記憶レベルに異常のある人物がいます」
慶一郎の血の気が引いた。調和の炎の存在がついに発覚したのだ。
「非常事態です。全館の人員は所定の位置に避難してください」
館内放送が流れると同時に、出入口が封鎖された。来館者はすべて一箇所に集められ、一人一人詳細な記憶検査を受けることになった。
「逃げ道はありません」
カレンが騎士としての戦術眼で周囲を確認したが、完全に包囲されていた。
その時、リーザが再び機転を利かせた。
「私に任せてください」
彼女は元料理検閲官としての権限を悪用し、検査官に近づいた。
「私は元検閲官のリーザです。この団体は私が引率している記憶障害者の治療グループです」
検査官はリーザの元官僚としての威厳に押され、一瞬ひるんだ。その隙を突いて、リーザは偽造した公的書類を提示した。
「記憶障害者の社会復帰プログラムの一環として見学に来ました。彼らの記憶レベルが不安定なのは当然です」
検査官は書類を詳しく調べたが、リーザの偽造技術は完璧だった。最終的に、検査官は納得したように頷いた。
「記憶障害者なら異常な反応も仕方ありません。ただし、今後はより厳重に管理してください」
その場はなんとか切り抜けたが、一同の緊張は極限に達していた。博物館を出る時、慶一郎の shirt は汗でぐっしょりと濡れており、肌にべったりと張り付いていた。
「もう限界です」
エレオノーラが疲労で顔を青ざめさせていた。天使の力を使い続けて調和の炎を隠すことは、彼女にとって想像以上の負担だった。
街に出ると、記憶監視庁の捜査官たちがさらに数を増していた。彼らは街の至る所に配置され、組織的に捜査範囲を狭めてきている。
「包囲網が狭まっています」
ザイラスが元官僚としての経験で状況を分析した。
「このままでは逃げ切れません」
だが、その時、街の向こうから爆発音が響いた。どこかで何かが起きているようだった。捜査官たちが慌ただしく現場に向かっていく。
「今がチャンスです」
アベルが若い騎士の機敏さで、混乱の隙を突くことを提案した。
一同は人混みに紛れて移動を開始した。だが、調和の炎はますます不安定になっており、慶一郎がコントロールするのに必要な集中力は限界に近づいていた。
汗が目に入って視界がぼやけ、呼吸も荒くなってきた。このままでは炎が暴走し、街全体に自分たちの位置がバレてしまうかもしれない。
それでも、彼らは歩き続けなければならなかった。立ち止まることは、捕獲されることを意味していたからだ。




