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焼けぬ村の少女と、燃え尽きた記憶

 村は静かだった。あまりにも静かで、まるで誰も“咀嚼”という行為を知らないかのようだった。


 風が吹いても、煙が立たない。

 鍋はあっても、使われた痕跡がない。


 その村では、焼かれた料理の香りは“死者の臭い”とされていた。


 俺が焚き火の前で火をつけた瞬間、子どもがひとり、絶叫を上げた。


「やめて! 火を起こさないで!!」


 少女だった。年の頃は十か十一。痩せていて、声はひどく乾いていた。


 彼女の名前はミナ。

 火を起こそうとした兄を失った“過去”を持っていた。


 ——彼女の兄は、かつて病で弱った彼女のために、卵を炙ろうとした。

 しかし村の掟に逆らったその行為は“禁忌”とされ、家は焼かれ、兄は吊るされた。


 以来、ミナは火を見るだけで過呼吸を起こすようになっていた。


 けれど今、目の前で火を起こしている“異物”がいる。

 それが、俺だった。


 ミナは震えながら地面に座り込んでいた。

 俺は何も言わず、小さな鍋に湯を張り、極少量の塩を落とした。

 出汁は、森で拾ったキノコと草の根。


 そして、スープをひと匙だけ、椀にすくった。

 湯気は立てなかった。彼女が“熱”に怯えないよう、微温に抑えた。


「これは、炙ってない。焼いてもいない。ただ……温めただけだ」


 俺はその椀を、無言でミナに差し出した。


 彼女は拒否した。最初の一口は、喉を通らなかった。


 だが、二口目で涙があふれた。


「……なんで……あったかいの……?」


 その問いに、俺は答えなかった。


 ミナの瞳の奥で、十年前に焼かれた家の記憶が崩れていくのを感じた。


 それは、火で“奪われた”記憶に、火で“赦される”瞬間だった。


 銀髪の監察官は、遠くからその様子を黙って見ていた。

 彼女は一言も発さず、ただ、火の揺らぎのなかでミナの隣に腰を下ろした。


 そしてぽつりと呟いた。


「……その子、料理で救われたわよ」


 俺は、ただ火を見つめていた。


 この世界で、火を起こすということは——誰かの“罪”を焼き直すことなのかもしれない。


 村の長老が静かに現れたのは、それからしばらく経ったころだった。


 火が沈静化し、ミナが涙を流しながら眠りに落ちたその後。

 長老は俺の作った火をじっと見つめたあと、こう呟いた。


「……これで、“あの方々”に顔が立つとは思うなよ」


 静かな声だった。だがその声音には、鉄のような冷たさがあった。


「我々は、ただ火を恐れているわけではない。

 火を口実に、我らを囲い込もうとする者がいる。

 外の料理人よ、そなたの“火”が誰かの計画を狂わせたとき——その代償は、皿では済まぬ」


 そのまま長老は去っていった。

 銀髪の監察官が一歩踏み出し、眉をひそめる。


「……いまの、どういう意味?」


 俺は答えられなかった。

 だが、空気が変わったのは確かだった。


 火で救われたはずのこの村の奥底に、まだ何かが潜んでいる。

 料理を拒絶していた理由が、“文化”だけではない何か。


 誰かが“火”を悪として利用し、

 誰かが“塩”を恐怖として支配しようとしている。


 陰謀は、煙よりも静かに、村の裏に染み込んでいた。

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