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見えざる国家(第2部 / 潜入ルートの調査)


月明かりすら届かない地下水道の入口で、慶一郎たちは最後の覚悟を決めていた。

「本当にこの道しかないのか?」

カレンの囁きが石造りの通路に反響する。手にした松明の炎が薄暗い空間をわずかに照らし出すが、その先には漆黒の闇が口を開けて待っていた。


一歩足を踏み入れると、湿った空気が肺にまとわりつき、苔とカビの腐臭が鼻を突いた。足元の冷たい水たまりがピチャリと音を立て、その冷たさが靴を通して骨まで染み渡る。


「この水道は帝国建設時に放棄された。今では監視の目が光っている」

リーザの緊張した声に、アベルが剣の柄を握り直した。


通路を進むうち、サフィが小さく息を呑んだ。

「あれ……何かしら?」

松明の光が照らし出したのは、古い骸骨と錆びついた武器の残骸だった。壁には爪で引っ掻いたような跡があり、かすかに「助けて」という文字が刻まれている。


「ここで命を落とした者たちか……」

レネミアが王女としての威厳を保ちながら、深い悲しみを込めて呟いた。


エレオノーラの手がわずかに震えた。天使としての鋭い感覚が、この場所に残る絶望と恐怖を感じ取っているのだ。

「ここには……とても重い感情が残っています」


慶一郎は胸元の調和の炎がかすかに揺らぐのを感じた。この炎もまた、過去の犠牲者たちの苦痛に共鳴しているのだろう。


足元を何かが横切り、小さな赤い目玉が光った。ネズミが数匹、急ぎ足で闇の奥へと逃げ去っていく。


「大丈夫、俺たちは必ずここを抜ける」

慶一郎の静かだが決然とした声に、仲間たちが無言で頷いた。


冷たい風が通路を吹き抜け、一同の背筋をぞっとさせる。カレンが突然手を挙げ、一同を制止した。

「待て。前方に光が見える」

彼女の視線の先では、不気味な青白い光が揺らめいていた。


---


その青白い輝きの正体は、帝国が設置した記憶感知結界だった。細い糸状の魔法が通路を網目のように覆い、透明な膜が空間全体を包んでいる。


「これは厄介だ」

ナリが慎重に結界に近づき、詳細な分析を始めた。レネミアも王女としての教養を活かし、魔法理論の観点から検証する。


「記憶を感知するタイプの結界です。特に強い感情や記憶を持つ者が通過すると、即座に帝国に位置が伝わります」

レネミアの分析にナリが頷く。

「調和の炎は特に危険だ。あの炎には膨大な記憶と感情が込められている。感知されれば、5分以内に帝国兵100名が押し寄せるだろう」


その言葉に慶一郎の胸は締め付けられた。エレオノーラが優しく慶一郎の肩に触れ、決意を込めて告げた。

「私がやってみます。天使の力でこの結界を中和できるかもしれません」


彼女がそっと手を伸ばすと、結界はまるで生き物のように激しく蠢き、拒絶するように抵抗を示した。エレオノーラの美しい顔に苦痛の色が浮かび、額に冷や汗が滲む。


「強力な……魔法が……」

彼女の苦しげな表情に、慶一郎は思わず駆け寄った。

「無理をするな!」


だがエレオノーラは首を振り、天使としての使命感で耐え続ける。その時、慶一郎は調和の炎を静かに手に掲げた。

「力を貸してくれ、調和の炎よ。彼女を、俺たちを助けてほしい」


炎が温かく輝きを増し、その光がエレオノーラの天使の力を補強するかのように彼女を包み込んだ。二つの力が融合した瞬間、結界は音もなく霧散した。


エレオノーラが疲労でよろめくのを、慶一郎が優しく支えた。

「ありがとう、エレオノーラ」

「いえ……私たち二人の力ですから」


仲間たちが安堵の息を漏らす中、一同は再び闇の奥へと進み始めた。


---


地下水道をさらに進むと、通路の壁際から人影がゆらりと現れた。やつれた中年男性で、生気を失った瞳が虚ろに彼らを見つめている。


「あなたたちは……誰ですか……?」

震え声での問いかけに、慶一郎が慎重に近づいた。

「俺たちは帝国と戦いに来た。あなたはなぜここに?」


男はゆっくりと首を振り、こめかみを押さえた。

「分からないんです……記憶が……妻の名前も、娘が何歳だったかも……全部消えてしまって……」


その絶望的な言葉に、サフィは胸を締め付けられ、瞳に涙を溢れさせた。

「こんなの酷すぎる……!」


レネミアが王女としての責任感で静かに告げる。

「このような悲劇を二度と起こしてはならない。私たちが必ず帝国を正します」


マリエルは男の前に膝をつき、祈りを始めた。

「神よ、この方に記憶の光をお戻しください……」


その祈りに応えるように、慶一郎は背負った食材を取り出し、地下水道の片隅で小さな料理を始めた。限られた材料でも、調和の炎が込める愛と記憶の力は変わらない。


暗闇にスパイスの香りが漂い始める。慶一郎は丁寧に料理に心を込め、炎の力で失われた記憶の欠片を呼び戻そうとした。


「これを食べてみてください。料理に込めた記憶は、心を癒す力があります」


男が恐る恐る口にすると、その瞬間、瞳にかすかな輝きが戻った。

「あ……そうだ……マリアって名前だった……妻の名前は……そして娘は……エミリア……7歳だった……」


涙が頬を伝い落ちる。

「ありがとうございます……少しですが、大切な記憶が戻ってきました」


慶一郎たちは胸を熱くし、調和の炎がより強く輝くのを感じた。この力こそが、帝国と戦う理由なのだと改めて確信した。


---


不意に通路の奥から金属音が響き、帝国の巡回兵3名が姿を現した。まだこちらに気付いていない。


ザイラスが素早く手信号を送り、カレンとアベルが無言で頷いた。三人の連携は完璧で、音を立てることなく流れるような動きで敵兵を制圧した。


ザイラスが倒れた兵士に手を触れ、記憶を探った。

「帝国は我々の侵入をまだ察知していない。だが、明日の夜に大規模な巡回が予定されている」


慶一郎は仲間を振り返り、声を押し殺して指示した。

「今のうちに撤退しよう。情報は十分得られた」


彼らは緊張を保ったまま、急いで地下水道の出口を目指した。


だが、慶一郎の胸には消えない不安と、それ以上に強い決意の炎が燃えていた。

「必ず帝国を倒す……みんなの記憶を取り戻してみせる」


闇の中を駆けながら、彼はそう心に誓った。

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