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消えぬ傷痕(第1部 / 戦いの終わり)


夜明けの柔らかな光が、要塞の高い塔や尖塔をゆっくりと包んでいった。あれほど激しかった嵐は嘘のように消え去り、濃紺の空には穏やかな淡い橙色が広がり始める。嵐が残した僅かな霧は朝日に溶け、薄く黄金色の靄となって揺れていた。


静けさを取り戻した要塞には、微かな鳥のさえずりが遠くから届き始めていた。心地よい朝の風が頬を優しく撫で、戦いの硝煙に代わって野花のほのかな香りが漂ってくる。その新鮮な空気を深く吸い込みながら、慶一郎はふっと穏やかな安堵を感じていた。


周囲には戦いの痕跡が色濃く残されている。石壁のあちこちに亀裂が入り、地面には剣や盾が散乱していた。だが、その傷跡さえも、今朝の柔らかな日差しの下では静かな調和の一部に見えた。


要塞の中央に立つ慶一郎は、穏やかな光の中に佇み、じっと遠くを見つめていた。その隣には、純白の翼を広げた天使・エレオノーラが静かに微笑んでいる。


「本当に終わったのですね……」


彼女の声は透き通り、夜明けの空気に溶け込むように響いた。美しい翡翠色の瞳は輝きを帯び、朝日に染まった頬には安堵の色が浮かぶ。


慶一郎は静かに頷きながらも、複雑な感情を胸に抱いていた。彼の視線の先には、かつての敵であったザイラスの配下たちが戸惑いながら立ち尽くしている。その姿を見て、彼は小さく呟いた。


「でも、これが新しい始まりでもある」


エレオノーラは慶一郎の手を優しく握り、無言のまま彼を励ました。その温もりは天使となった今も変わることなく、彼の心を慰めていた。


---


謁見の間は戦いの跡を残しつつも、新たな希望が芽生える場へと変わっていた。ザイラス配下の兵士たちは硬い表情を浮かべ、目を伏せていた。彼らの心には深い罪悪感と戸惑いが渦巻いている。


「我々は取り返しのつかないことを……」


兵士たちの代表が声を震わせながら告げた。その瞬間、慶一郎は穏やかな笑みを浮かべて彼らの前に立つ。


「誰もが過ちを犯す。だが、本当に大切なのはそれを悔い改め、より良い未来を作ることだ」


そう告げると、慶一郎は自ら調理した温かな料理を一人ひとりの前に静かに並べていった。焼きたてのパンは外側がパリッと香ばしく、中はふんわりと柔らかい。温かなスープの湯気からは甘い野菜の香りが立ち上り、冷えた兵士たちの手のひらを優しく温めていた。兵士たちは最初こそ戸惑ったが、一口食べるごとにその険しかった表情は柔らかなものへと変わっていった。


その後ろからマリエルが静かに歩み出て、祈りの言葉を紡ぎ始める。


「神よ、この場に慈悲と赦しをお与えください……」


彼女の静かな祈りに呼応するように、天使エレオノーラの翼から降り注ぐ光の粒子が部屋を優しく包み込んだ。


その奇跡的な光景に兵士たちは膝をつき、涙を流しながら口々に懺悔を始める。


「すまない……本当にすまない……!」


慶一郎はその様子を見つめ、改めて口を開いた。


「新しい世界を一緒に作ろう。憎しみではなく、愛と調和をもって」


彼の声は真摯であり、同時に力強く響いた。兵士たちは涙を拭い、堅く誓った。


「この命に代えても、その願いに応えよう!」


謁見の間には、争いの気配は一切消え去り、和解と希望だけが新しく息づいていた。


---


平穏が訪れたその瞬間、ふとした静けさの中で慶一郎は心に痛みが蘇るのを感じた。


エレオノーラが天使として戻ったとはいえ、彼女は生前のままのエレオノーラではない。目の前にいる美しい天使は、彼が愛したあの女性そのものでありながら、どこか別の存在であるような気がしていた。


「笑ったときの君の声、料理をするときの小さな仕草……時々、今も探してしまうんだ」


彼の心には「エレオノーラを失った」という喪失感が深く刻まれていたのだ。それでもなお、目の前にいる彼女を深く愛している自分自身の矛盾した想いにも気づいていた。


その沈んだ表情を見抜いたエレオノーラは、ゆっくりと慶一郎に近づいた。彼女はそっと彼の頬に手を伸ばし、静かに語りかける。


「私がこうしてここにいることは、あなたの悲しみを癒やせないのかもしれません。けれど、私の愛と想いは決して変わりません」


その言葉を聞き、慶一郎の胸に深い温もりが満ちていった。


「ありがとう、エレオノーラ……君がいてくれて本当に良かった」


---


レネミアは静かな瞳で兵士たちと慶一郎の様子を見守りながら、深い思索にふけっていた。


「民を導くとは、こういうことだったのですね……力ではなく心で人を繋ぐ。私も学ばなければ」


マリエルは目の前で起きた奇跡に深く感動し、自分の信仰心が新たな高みに導かれたことを感じていた。


サフィはエレオノーラが戻った喜びを感じつつも、胸の奥でざわめく小さな嫉妬心に戸惑っていた。


「私、なんて小さいんだろう。でも、きっとこの気持ちを乗り越えられる」


ナリは学問的な常識を超えた超常現象を目の当たりにし、新たな探求心を燃やし始めていた。


カレンとアベルは戦士として、真の強さが敵を倒すことではなく、人々を守り、許し、そして慈悲を示すことだと悟り、新たな決意を固めていた。


それぞれが胸に新たな決意や想いを秘めながら、戦いの終わりを静かに受け止めていた——。


次なる旅への準備が、穏やかに始まろうとしていた。


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