仇討ち(前編)
暗雲が垂れ込めた夜空は荒れ狂い、天地を切り裂くような稲妻が不気味な城塞の輪郭を鋭く浮かび上がらせていた。雷鳴が響き渡り、その轟音は大地を震わせるほどに力強い。叩きつけるような激しい雨粒が石畳を打ち据え、薄暗い道を濡れ光らせている。
慶一郎たちの前にそびえるのは、歪んだ尖塔と鋭利な城壁を持つ異形の要塞だった。黒々とした巨大な城門は閉ざされ、まるで侵入者を拒むかのように、禍々しい威圧感を漂わせている。宗教的な装飾が随所に施されているが、それは崇高さではなく、狂信的な支配を象徴する異様な恐怖を帯びていた。
カレンが雨で濡れた金髪をかき上げ、鋭い瞳で要塞を見つめる。
「行くぞ、アベル。私たちが道を開く」
「承知しました、カレン殿」
二人の戦士が無言の連携で城門へと近づく。素早く門衛の背後に回ったカレンの剣が、一閃。鋼が空を切る音がしたかと思うと、門衛が静かに地面に崩れ落ちた。アベルも無駄のない動きで周囲を警戒しながら、次の兵士を静かに倒していく。
レネミアは王女らしい堂々とした足取りで兵士たちの前に立つ。
「あなたたちも、このまま戦い続けて何になるというの? 無益な血を流すのはやめなさい」
毅然とした態度と威厳のある声に、数名の兵士が気圧されて動きを止めた。その隙を見逃さず、マリエルが聖なる祈りを口ずさみ、空間に張り巡らされた不浄な結界を無力化する。
「聖なる光よ、この場の邪悪を退け給え……」
その声に呼応して、結界が崩れ去り、要塞への道が開けた。
ナリが鋭く眼鏡を押し上げる。
「ここまでは完璧だ。だけど油断は禁物だ。警備はさらに厳重になっていくはずだからね」
彼の冷静な分析を聞き、慶一郎は心を引き締める。隣に寄り添うサフィが静かに手を握った。彼女の指は冷たい雨に濡れていたが、確かな温もりが伝わってきた。
「慶一郎さん、私たちがついていますからね」
その言葉に小さく頷き、彼は決意を新たに要塞へと踏み込んだ。
廊下は冷え切っており、薄闇の中を松明が怪しく揺らめいている。壁の石には血のような赤黒い染みが点々と残されていた。処刑や拷問が日常的に行われていたことを示す、惨たらしい光景が脳裏に焼き付く。
慶一郎の心臓が鼓動を早める。焦げ臭さと血の鉄臭さが入り混じった空気は、彼の神経を鋭く刺激していた。息苦しさが胸を締め付ける。
巨大な扉を押し開けると、荘厳な謁見の間が広がっていた。無数の蝋燭が室内を揺らめき照らし、壁には巨大な十字架や異教的な宗教画が掛けられている。その中心に、圧倒的な威圧感を放ちながらザイラスが玉座に座っていた。全身を包む荘厳な装飾品は彼の狂気じみた威厳をさらに増幅させている。
ザイラスはゆっくりと顔を上げ、慶一郎を冷ややかに見下ろした。
「秩序のためには犠牲が必要だ。その理解もないまま、よくここまで来たものだ」
「違う、ザイラス! 犠牲なんて必要なわけがない。お前はただ、恐怖と支配を秩序と履き違えているだけだ!」
慶一郎の声には怒りと悲しみが入り混じり、震えていた。
ザイラスは軽蔑的な笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「エレオノーラの死は平和のためだ。感情などという不安定なものに支配されるから、争いが起こる。料理も同じだ。その一瞬の快楽のために、愚かな者たちが理性を失い、秩序を乱す」
「違う……違う! エレオノーラは犠牲じゃない! 彼女は愛と平和のために生き、そして死んだんだ! 俺は料理で世界を変える。人の心を変えられるんだ!」
慶一郎の声が張り裂けるほど響き渡り、謁見の間の空気を震わせる。
だがザイラスは冷然としたまま、哀れみすら浮かべている。
「料理で人の心を変える? そんな絵空事が現実になるとでも?」
「だったら、見せてやるさ。俺の料理で、お前の歪んだ秩序を正してやる!」
その瞬間、ザイラスの表情が険しく歪んだ。
「ならば、力で示してみよ。感情が力を超えるというならな」
その言葉とともに、両陣営が剣を抜き放つ音が謁見の間を満たす。刹那、激しい雷鳴が再び要塞を揺るがし、稲妻が窓越しに室内を鋭く照らし出した。
交渉は決裂した。もう後戻りはできない。
慶一郎は胸の中で調和の炎が激しく脈動しているのを感じた。それは怒りと悲しみ、そしてエレオノーラの温かな想いに呼応するように強まっている。
「今度こそ……決着をつける!」
彼は強く拳を握り締め、真っ向からザイラスを見据えた。
その瞳には揺るぎない決意と、愛する者を守り抜く誓いが宿っていた。




