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最後の晩餐(第4部 / 永遠の別れ)


静寂が、濃密な悲しみとなって古びた山小屋を覆い尽くしていた。

外では容赦なく雨が降り始め、隠れ家の朽ちた屋根を打つ雨粒の音が、不規則な鼓動のように響き渡った。

壁に走る亀裂からは、冷たい湿気を帯びた風が忍び込み、部屋の蝋燭の炎を揺らした。

それは、まるで命の終わりを告げる儚い灯火のようだった。


エレオノーラは、青ざめた顔を床に敷かれた薄い毛布の上に横たえ、呼吸はか細く途切れがちだった。

その瞳には、すでに生気の欠片すら宿っていない。

冷たい唇がかすかに震えるたび、彼女の生命が指先から静かに零れ落ちていくのがわかった。


「エレオノーラ……お願いだ、目を開けてくれ」


慶一郎の声は掠れ、涙で視界がぼやけた。

彼女の冷え切った手を必死で握りしめるが、返ってくるのは命の温もりではなく、死の影をまとった冷たさだけだった。


(まただ……また俺は、守れないのか……!)


その瞬間、封印していた記憶が脳裏を襲った。

過去の職場、何気なく振り返った瞬間の激痛、背中を撃たれたあの忌まわしい感覚――。

あの日の絶望が、今日の現実と残酷に重なった。


(前世でも守れなかった。そして今も……俺のせいでまた誰かが死んでいく……!)


エレオノーラの口元が微かに動いた。

慶一郎が耳を寄せると、消え入りそうな声が聞こえた。


「……最後に、あなたの料理を、もう一度だけ食べたい……」


慶一郎の胸が、引き裂かれるように痛んだ。

彼女のために出来ることは、もうそれしかなかった。


「もちろんだ……俺のすべてを込めて、君に料理を届ける」


立ち上がると、仲間たちが静かに動き始めた。

サフィは涙を堪えながら材料を並べ、マリエルは静かに祈りを捧げつつ炉に火を灯した。

レネミアは王女としての誇りを保ちつつも、唇を噛みしめて涙を耐えている。

ナリは沈痛な表情で時計を見つめ、残り少ない時間を数えていた。


慶一郎は震える手で包丁を握った。

だが、指が震えてうまく動かない。

包丁の刃先が小さく揺れ、手元に落ちた涙が食材の上で弾けた。


「!くそ……!」


苛立ちと無力感が彼の胸を焼いた。

だがその時、胸に宿る調和の炎が彼の激情に応えるように鮮やかに燃え上がった。


(頼む……これが最後でもいい。俺に最高の料理を作らせてくれ……!)


彼の叫びに応じるように、炎は蒼く輝きを増し、小屋を満たす空気が温かく穏やかに変化していく。

刻む野菜の瑞々しい音、立ち昇る香ばしい湯気、鮮烈な香りが次第に部屋を包み込んだ。

慶一郎は心を込めて、これまで作ったどんな料理よりも丁寧に、最後の一皿を完成させた。


彼は完成した料理を手に、エレオノーラの元へ戻った。

その温かな湯気は、彼女の凍えた身体を優しく包み込むようだった。


「エレオノーラ……できたよ。これが俺の全てだ」


小さくスプーンを運ぶと、エレオノーラの唇が震えながら開き、ゆっくりと一口料理を受け入れた。


その瞬間、彼女の瞳に一瞬だけ生命の輝きが戻った。

エレオノーラの頬を、涙が静かに伝う。


「あぁ……懐かしい、温かさ……初めてあなたの料理を食べた時のことを、思い出します……」


彼女の声が小さく震え、過去の情景が二人の記憶の中に鮮明に甦った。

かつて互いに敵同士だった頃、初めて彼女が料理を口にした時の驚きと喜び、微かな笑顔。

その全てが、胸を引き裂くように慶一郎の胸を締め付ける。


「……私は、あなたに出会えて幸せでした。生まれ変わっても、またあなたを愛したい……」


その声は儚く、消え入りそうで、しかし優しく甘やかな響きを持っていた。


「俺もだ、エレオノーラ……君と出会って、本当に幸せだった……!」


慶一郎の声は嗚咽混じりに震え、彼女を抱き寄せた。

腕の中の彼女の身体は、羽根のように軽く、儚く、柔らかく、そして美しかった。


エレオノーラが、最後の力を振り絞って微笑んだ。


「ありがとう……慶一郎様……ずっと、ずっと……あなたを愛しています……」


慶一郎は胸の奥で込み上げる感情を抑えきれず、そっとエレオノーラの唇に口づけをした。

唇同士が触れ合ったその瞬間、世界が静止したかのような感覚に包まれた。

彼女の唇は冷たく、しかしどこか懐かしく、そして優しい温もりを僅かに残していた。


その口づけが終わった時、エレオノーラの瞳は静かに閉じられ、唇には穏やかな微笑みだけが残されていた。


「エレオノーラ……?」


慶一郎が呟いたが、返事はもう二度と返ってこなかった。

彼女の心臓が鼓動を止めたその瞬間、隠れ家に充満していた調和の炎が蒼く燃え上がり、彼女の身体を静かに包み込んだ。


隠れ家にいた者たちが号泣し、祈り、震える手で互いに抱き合った。

その涙と悲しみの中で、慶一郎は彼女の身体を静かに抱きしめ、全身でその死を受け止めた。


外の雨はますます激しくなり、その雨音はまるで慶一郎たちの心に響く、世界の悲しみの慟哭のようだった。


(ザイラス……お前を許さない。必ず、料理で世界を変えてみせる。そして、お前をも変えてやる。

エレオノーラ……君の分まで……必ず俺が、やり遂げる。お前にできるせめてもの餞だ。)


そしてその決意に呼応するかのように、調和の炎は新たな輝きを帯びて静かに揺らめいた。


ご拝読いただけますこと、至極恐悦です。ここでいったんの区切りとなりますが、いろいろと書いていきたいと思うことがありますので、不定期かつ不定な投稿量でポストすることが今後も一定期間続くと存じます。実際この後も主人公サイドの話を時差で投稿します。

皆様に於かれましては、天候の急変や気温湿度の変化などに伴う体調不良にくれぐれもご注意の上、一番楽しいと思うシーズンをご堪能くださいませ。

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